2009年1月23日金曜日

我が意を得たり


自分がやってきたこと,やりたいことを整理,代弁してくれた.

そんな心境です.

今日,龍谷大学の長谷川裕教授の講演がありまして,それを聴く機会を得られました.
テーマは「スポーツ科学を現場にどのように活かして行くか」という趣旨であり,私の今の活動にとても有益な示唆を含んでおり,有意義な時間を過ごせたと非常に満足しています.

以前から持論として「スポーツ科学は現場では役に立たない」とは考えていたのですが,ではその “役に立たない科学” を 「どのように役立たせればいいのか」 ということについて自分では “言葉・言語” として整理できずにいました.
まだまだ未熟者ですから,この頭の中にフワッと浮かぶ考えを固定することもできず,そしてこの “考え” に自信もなく悶々としたものを抱えていたのですが,それを的確に言葉として整理していただいたという感じです.

それについて先生の言葉を借りますと,一言で言えば,

「スポーツサイエンスをスポーツテクノロジーとしてフィールドへ」

といったところでしょうか.

具体例を挙げると,数学者,物理学者といった人たちが,「科学」 として理論を構築しても,それは役に立たないのです.
それを利用するためには「テクノロジー((科学)技術・工学としてココでは定義します)」が必要であり,それによってコンピューターや建築,宇宙開発が進められ,これが我々人間社会に還元されるわけです.人間社会が「科学」の恩恵を得るには 「テクノロジー」 というフィルターを通さなければならず,「科学」はその 「テクノロジー」 に示唆を与えるものに過ぎません.
「科学者」は純粋に知識・情報を生み出す作業に従事するものであり,むしろそれ以上の価値を成すものではないないのです.
この「科学」を実用的に人間社会で利用するためには「テクノロジー」という技術をはさむ・変換する作業が必要になるのです.

スポーツの世界では,スポーツ科学をダイレクトに現場(フィールド)に還元しようとする向きがあります.以前の私もそうでした.なんとかスポーツ科学を現場に活かせないか,活かさなければ.さらには「スポーツを科学することがスポーツを理解することになるのだ」と.しかし,スポーツを “理解“ することとスポーツを “する” ことは違います.知らず知らずのうちに “活かす” のではなく “当てはめる” ことに終始していたのです.

科学についての解釈には伊勢田哲治 著『疑似科学と科学の哲学』が非常に分かりやすく,かつ問題提起もたくさんあり名著だと思います.ぼんやりと 「科学」 について自分なりの位置づけを持っていたつもりでしたが,今日は私にとっても灯台下暗しと言いたくなる 「スポーツ科学」 のありようを再確認できました.スポーツ科学も例に漏れず 「科学」 なんだなと.

スポーツ科学についても,テクノロジーや工学といった考え方・視点でみればスッキリとまとまるような気がします.スポーツ科学として得た知識・情報を,スポーツや体育の現場で活かすためには,やはり “活かす” ための営みが別に必要となるわけで,長谷川先生曰く「それが日本は非常に遅れている」 とのことです.

スポーツ界でよく言われる 「研究と現場のギャップ」 というのも,ここにその渦の中心があるような気がします.当たり前と言いましょうか,研究と現場にギャップがあるどころか,そのままでは相容れないものなのです.

長谷川先生の講演は自分の考えをかなり整理でき,方向性も確立できたいい機会でした.
スポーツ科学から得た知識や情報をどのように利用するのか.テクノロジーとしての視点をスポーツ分野にも取り入れれば,スポーツ・体育にまつわる世界も幅広いものとなってくるのではないでしょうか?