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昨日の続きかもしれない

昨日のブログを書き終えてふと思ったことがありまして.


大学とかで体育会系のクラブ活動に関わっておりますと,厳しい部則(クラブ内ルール)などで “仕事” などと称する下級生への活動典範みたいなものがあることを目にします.
本当にそのルールが “文章化” されているクラブもあるので驚くこともしばしば.

だいぶ前に関わっていたクラブでは,新チーム結成の時のミーティングとかで 「今後の部則」 みたいな感じで上級生がそのルールを読み上げ,下級生が一生懸命ノートに書き込んでいる姿がありまして,思わず笑いそうになりました(本人たちは必死ですけど).
もうね,アホかと,バカかと.

まるで新しい領主様を迎えた領民のような雰囲気.見てらんない.
(実際,そうなんでしょうけど)

こういうのには,概ね上級生やコーチ・指導者,クラブを訪れたお客様や対戦相手などへの配慮,マナーなどが盛り込まれているようです.

その根底に流れているのは,
「社会に出た時に困らないように」
とか
「みんなのために出来ることとは?」
とかなんですけど.


私,これが大嫌いです.


社会に出るために必要なことを学ぶために活動している....
昨日の続きではありませんけど,このメッセージではクラブ活動が破錠します.

素直に認めれば良いのです.年上であるという特権を満喫したいと.
別にそういう状況が悪いわけではないと思います.楽しくやればいいのです.
儒教の影響がある日本では否定される価値観ではないでしょう.

ただし,そういうクラブ活動なのであれば勝敗にはこだわらないでほしい.
勝敗にこだわらないというのはネガティブな意味ではありません.勝利よりも重要なことがあると信じて活動するのも重要な価値観です.
しかし,「みんなのために」 とか 「社会に出た時に」 だとかいう考えを埋め込むのであれば勝敗へのこだわりを盛り込むことは不可能です.
勝敗にこだわるのであれば,勝敗にこだわるという価値観を原点に活動する必要があります.


社会に出るために必要なことを学ぶのがクラブ活動なのでしょうか?

学べないこともないでしょうけど,クラブ活動でなくても十分学べるでしょう.
それに,「競技」 をやってるのにそんなことに注意してるのはなんだかなー.スポーツに失礼な気がします.感覚的なものですけど.

それと,
だいたいが...,
社会に出たことがないであろう上級生や先生・指導者がそんなこと言ってる状況が目も当てられないのですよ.

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