2009年2月28日土曜日

卒論発表ごくろうさまです


今日は卒業論文発表がありました.



疲れました.
いろいろと.


毎年のことですが,自分が関わった学生の修論・卒論発表はめちゃくちゃ緊張します.心拍数が急上昇し,“手に汗握る” とはこういうことだと言わんばかりの状況になってしまいます.
自分が自覚している以上に心配性なのかもしれません.

自分自身の発表ではそれほど緊張しないのに不思議です.

自分が主だって担当していた研究室の学生は,思っていた以上にしっかりと発表でき,上々の出来映えだったと思います.
その学生の感想としては,質疑応答に適切に答えられなかったことを悔やむ声もみられましたが,もともとその研究の限界,もしくは不備であった部分もあるわけですから,その中での回答としては上出来です.


それ以外の知り合いの学生の発表としては,かなり厳しい状況のものもありましたが,やれるだけのことはやった,と言ったところでしょうか.

1人に設けられた発表時間が8分間ですから,かなり複雑で大掛かりな研究をした学生にとっては短くて不十分な発表しかできなかったかもしれません.
その彼らは,昨夜夜遅くまで最終チェックをしていたようですので,自身の発表終了後に一気に気が抜けてウトウト居眠りする姿も見られました.

知り合いの中に,社会学系の学生で “スポーツ実施・参加率と地域アイデンティティとの関連” をまとめた学生がいました.彼女は発表前にはかなり不安がっていましたが,言いたいことを非常にうまく表現できていて感心しました.自分が大学4年生だった時にあそこまでできるかどうかわかりません.
その学生には質問もしてみましたが(その質問にはかなり “毒” があったので,うまく応えられるかどうか逆に心配でもあったのですが),上手に応えられていたので,しっかりと勉強できている様子が伝わってきました.

まぁとりあえず,
皆さんお疲れさまでした.
この経験はかならずやこれからの人生に活きてくると思います.


それにしても,各学生に対する先生方から出た意見・コメントが,結構キツいものが多かったのが意外(?)でした.
データの解釈について根っこから問うものがあり,学生があたふたする場面も.

なので,というわけでもないのですが,このブログを読んでくれている(特に)院生・学生にとって,「データ解釈」について参考になる書籍をいくつか紹介したいと思います.

まず古典としてはダレル・ハフ 著『統計でウソをつく法』.「だまされないために,だます方法を知る」というスタンスで述べられています.データの取り扱いについて書かれているものとしては,これ以上の分かり易さを上回るものに出会ったことがありません.基本的なことがメインですが,それだけに一読の価値ありですよ.

データ解釈の注意点については谷岡一郎 著『「社会調査」のウソ』と,門倉貴史 著『統計数字を疑う』がオススメです.データ解釈には広い視野で挑まなければいけないことが分かります.両著とも社会学とその調査を主に題材としていますが,これは実験研究においても同じことが言えるでしょう.複合領域であるスポーツ科学では是非とも必要なリテラシーです.
これらについては,以前紹介した 細野真宏 著『数学嫌いでも数学的思考力が飛躍的に身につく本』 でも学べるところです.

データ解釈の難しさと重要性について,もっと具体的なテーマで紹介しているのは,赤川学 著『子どもが減って何が悪いか!』と,松永和紀 著『メディア・バイアス』です.前者は少子化問題を問題にする問題点,後者は健康情報やニセ科学を題材にしており,データの本質をつく視点の大切さを説きます.どちらもデータ解釈のことだけでなく,少子化問題やメディア報道のいい加減さを知る上でも有益です.

肩の力を抜いて,それでいて一級のデータ解釈のお手本として読めるのが,パオロ・マッツァリーノ 著『つっこみ力』,同著 『反社会学講座』
「データって解釈のしようなのだな」 という気持ちにさせてくれます.おもしろおかしく笑いを取ろうとしている中にも “データ解釈” ということに重要な示唆を含んでいます.
暇つぶしに読んで勉強になるといった感じです.

ここまで挙げたものは社会学系が主ですので「ちょっと取っ付きにくい」という人には,よりスポーツ科学,特に自然科学として具体的に取り扱ったものとして,ジェリー・トーマス,ジャック・ニールソン 著『身体活動科学における研究方法』があります.
ちょっとお値段がはりますが,今から購入しても遅くありません.これから大学院に入る人は是非購入してください.

みなさまの研究生活の足しになったら幸いです.

2009年2月26日木曜日

Appleよ


今日,Apple修理サービスからMacが返ってきました.
そのMacで今このブログを書いています.

まるで新品以上になって返ってきたのです.
新品以上というのは別に比喩ではなく,本当に新品以上なのです.

というのも,この修理は,
「ハードディスク周辺から異音がして,それっきり起動できなくなった」
という訴えで,「ハードディスクの交換になる」 という見積りだったのですが,それ以外にも “これでもか” とばかりに部品が交換されており,

ディスプレイ・インバーターケーブル
ディスプレイ・ベゼル
キーボード
コンボドライブ(CD・DVD)
カメラボード
バッテリー
トップケース

「作動チェックしたら劣化が見つかった」とのことで,凄まじいサービス精神.

キーボードも交換されているので,見た目は新品同様.
それに交換されたハードディスクですが 「同形の60GBものが在庫切れ」 ということで,80GBのものに変更になっていました.

もはや修理に出したのか改良に出したのかわからないほど.
しかもこれ全部無料です.

さすが顧客第一主義.企業の鑑.

こういう企業が生き残っていくんだろうなぁ,と感心しました.
Appleに対する悪い印象がすっかり消えて,次買うパソコンは是非ともMacにしようと誓いました.

Windowsから出たVistaは,空前のカスOSですし,次のWindows 7で相当がんばらないと候補に挙がるのは厳しいでしょう.

“サービス” とは,期待以上のことをすることを言います.“期待通り” ではサービスとは言いません.

私の高校(例の高校です)では 「仕事体験」 という課外授業があったのですが,これはその体験先だったホテルの支配人の言葉です.

「粋な計らい」 とでも言いましょうか.それこそがサービスなのだと.
期待を裏切らないことは当然であり,期待を上回ることがサービス業の勝負どころだとおっしゃっていました.

今回のApple修理サービスはそれを見事にやってのけてくれました.
こうやって贔屓にしたい企業としての地位を築いていくのですね.
これで例のリンゴちゃんの失態は帳消しです.

2009年2月25日水曜日

生理人類学


自分が担当している研究室以外の学生の卒論発表練習を聞きました.

発表間近にこれで大丈夫かな? と思えるような状態の学生もいますが,そこら辺は自分の卒論発表も同じような状態だったので人のこと言えません.

私の場合,この時期に初めて先生に発表スライドを点検してもらいました.大変なことになっていました.
それに比べれば,今日見た学生の発表スライドはかなり立派なものになっているので,なんとかなるものでしょう.

このブログを読んでいる人の中にも卒論発表(この大学と同じ)を経験している人がいるかと思いますので,懐かしい想いに浸っているのではないでしょうか(もう忘れ去ってしまうほど過去の方もいるかもしれませんが).

こういうことをやっていると,いろいろな分野のこと頭に入れて視野を広げておかないといけないことを痛感します.
“分からないから” ,“興味ないから” では済まされないし,聞いてても面白くないので,ヒト・人・人間の事について,あらかた勉強できる本が便利です.

佐藤方彦 編『人間を科学する事典』 がかなりおススメです.
カタい学術的な文章が並ぶわけではありませんが,それほどやわらかく加工されているわけではなく,それでいて内容はしっかりしているので,人間の事についてザッと見渡すにはうってつけです.

実はこの本を紹介してくれたのは以前お世話になった大学の先生でして,昨年退官されたのですが,未だ研究意欲衰えずといった感じで今年もお世話になりっぱなしです.
たった1年だけのお付き合いでしたが, “人間とは?人類とは?” という疑問を常に頭におく研究スタンスで,近視眼的なデータ解釈を嫌う印象が強く残っています.

このスタンスは別に “研究” という分野だけに言えることではなく,これまでに紹介した教育・学力系の書籍でも述べられていることと一致します.
まずは “全体把握”,その後 “個別比較(部分)”, そして “前後比較(変化)”.

という視点で見なければいけないというもの.

言われてみれば当たり前のことですが,自分が専門としている事以外のこととなると,どうしてもイメージしにくくなります.
顕著なのがニュースや日常作業について.
どれだけ全体を把握してニュースを聞いているか疑問です.
マスコミにのせられた視聴や,思い込み・偏見による行動が多いような気がします.

こういったことを昨今の教育では蔑ろにしてていた(ゆとり教育推進派からすれば「うまく転換できなかった」)ところがあります.
“基礎の積み重ね” で全体を把握するのではなく,全体を把握してから基礎も把握する,という学力も大切なのではないか? 実際の生活場面では,そっちの方が重要である可能性が高いからです.

今日は恒例の大学院生勉強会で教育について発表したのですが,イマイチ自分の考えが言葉にできず,己の技量不足と,この問題の複雑さを噛みしめました.
やっぱり自分の考えを “発表” するのは重労働ですね.もう少し自問自答してみます.

卒論発表に苦労している学生達の気持ちをタイムリーに共感できました.

2009年2月23日月曜日

卒論発表間近

卒論発表を間近に控え,発表を予定している学生がそわそわしてきています.

夜遅くまで残って作業している学生が多くなってきています.“作業のため” に残っているのか,“青春するため” に残っているのか....夜中に大声で笑ったりはしゃいだりする姿も目に付きますが,若いっていいなぁ,と思う今日この頃です.私は黙々と自宅に篭ってやっていたタチでしたので.
今さっきも学生が一人ここにいまして,発表用スライドについて話し合って行きました.

私はというと,ブログに「そつろんはっぴょうまじか」 と入力して,
「なんで “間近” に変換できねーんだよ!」
と半ギレする深夜の研究室.
自分の漢字力の浅はかさにガッカリです.
(☓ まじか , 〇 まぢか)

世間じゃ漢字能力検定協会が取り沙汰されていますが,必要最低限の漢字力は必要です.特にこういう漢字の 「よみ」 については知っとかないと漢字が入力できませんから.
これにめげずに国民の漢字力を検定し続けてください.

さっきまでココにいた学生の卒論のテーマが 「高校生が抱える不安の要因と性差」 .
アンケート調査による心理・教育系の研究なんですが,これがまた厄介で厄介で.

「安易にアンケート調査して論文を書こうとしてはいけない.あとの処理が大変だから」
と口をすっぱくして言っているのに,学生としては「実験と比べるとアンケート調査は “楽だ” 」 と思ってやるのでしょう.
案の定,彼はどつぼにハマッて見えない出口を探してさまよっています.

何より,私自身が 「アンケート調査」 を利用した研究を扱ったことが少ないので,アドバイスをしようにも的確なものが思い浮かばず,一緒になって悩んでいるのが正直なところ.

“共に学ぶ教育” とか悠長なこと言ってられないほどシンドイのです.

でもまあ,彼の論文の面白い結果としては(調査方法に不備不足があることは確かですが),男子と女子とで不安の強さに違いが見られたこと.
以前から知られていることに,『普段感じている 「不安の強さ」 に性差(男子<女子)がある』 ということですが,今回の調査結果でも同じ結果が得られ,さらに以下のことが分かりました.

男子は,身近に信頼できる人物が多いと不安が小さいのですが,女子にはそれがみられず,信頼できる人物がいようがいまいが男子より不安を強く感じていることです.
逆だと思っていただけに以外でした.
女性は信頼できる人物の有無によって不安が軽減することはないのか?または “信頼できる人物” という存在の定義に男女差があるのかもしれません.
面白いですが,これをさらに調べるにはもっと学術的な論文を読み,追試をする必要がありそうです.


彼の卒論に関わって良かったのは,「教育とこころ」 についてモチベーションを持って勉強できたことでしょうか.
これについては小沢牧子 著『「心の専門家」はいらない』 が非常に参考になりました(彼の卒論とはあんまり関係ないけど...).
学校における “カウンセリング” や “心のケア” について取り上げ,これがそんなに万能な “善い” ものではないという警鐘を鳴らしています.

著者曰く,カウンセリング中,カウンセラーはクライエントの “言葉” を引き出そうとしますが,それはクライエントの自発的な “言葉” を産み出しはするが,それはクライエントの本心から出た “言葉” ではないことに注意しなければならないと説きます.
これは,言葉を引き出そうとするカウンセラーに対して,クライエントが配慮したともいえる 「自発的適応」 が発生した瞬間であり,そこにはカウンセリングをする側と受ける側双方に共通の 「治されるべき状態」 が存在することを示します.

つまり,「対等な関係」 や 「ありのままの状態を受け入れる」 といったことを標榜するカウンセリングではありますが,そうではないというのです.
これは 「カウンセリングが成功した」 という状態が,ある種の自発的に誘導尋問にかかった状態,言い方を変えれば,自らマインドコントロールにかかった状態にあることを指すのではないでしょうか.

これが教育現場でどのような危険性を孕んでいるのか,ということについては,また紙面を変えて書きたいと思います.
今週の水曜日は,例の大学院生勉強会があり,今回は私が担当する番ですので,これについて発表しようかと思います.

2009年2月22日日曜日

Apple の対応

先日私の愛用しているMacが故障してしまい,明日修理に出すことになっています.

サポートセンターへ電話し,どのようにすればいいのか対策を相談しました.保障期間が過ぎていましたので,てっきり自分で修理したほうがいいかと思い,その確認の意味合いが強かったのですが,そこはさすが顧客重視型企業,保障外でも無料修理ということになりました.とりあえず電話はしてみるもんですね.

このAppleという会社のサポートセンターなんですが,以前このMacを購入した際には行き過ぎじゃないかと思うほどのサポートを受けた経験があります.
オンライン注文をして【購入完了】した直後から私の携帯電話が鳴りはじめ,見たこと無い番号に恐る恐る出てみると,「Apple,カスタマーサポートセンターです」とかいう若い女性の声.
とっさに,「オンライン注文に枝を張った詐欺か!?」と思ったほどタイミング良過ぎる対応.

「MacBookを購入していただきありがとうございます.これから,納入までの手順をサポートしますね」って,こちらこそ御親切にありがとうございます,なんですが,この女性のしゃべり方がいわゆる “男相手の勧誘系” のしゃべり方なんですよ.
「君,前にそんな仕事してたろ?」とか言いたくなるほど胡散臭い.

「今ですとぉ~,XXXも増設していただくとぉ~,とってもお得なんですよぉ~,○×△さんわぁ~,XXXもどうですぅかぁ~?」って,間違いない.

今でもその人の名前覚えていますが,とりあえずココでは “リンゴちゃん(仮名)” としておきましょう.
めちゃくちゃ警戒して対応し,リンゴちゃんが売りつてくるオプションは全部断りました.今考えるとホントにそっちの方がお得だったので残念です.
たぶん部署内でもリンゴちゃんはチョットできない子として位置づけられているはず.

電話を切った後,猛烈に不安になってきたので確認をとりたくなりました.こちらからサポートセンターに電話してみようと考え,番号を調べたのですが,かかってきた番号と同じだったので 「何かあるかもしれない」 と警戒.手の込んだ新手の詐欺かもしれませんので,ここはひとつ,Apple本社に電話します.

「電話対応の件でお伺いしたいことがあります」とはじめて,
(1)Appleでは購入直後に電話によるサポートがあるか?
(2)リンゴちゃんという社員は怪しくないか?
それを聴こうとすると,対応してくれたApple本社の気品漂う知的な女性の声は,
「かしこまりました.ではサポートセンターの電話番号をお知らせしますので,そちらで確認をお願いします」って,例の怪しいサポートセンターの電話番号を教えてくれました.おそらく電話対応へのクレームだと思われたのでしょうね.実際そうだけど.

この期に及んでやっとサポートセンターにかけ直し,真実を確かめるべく事のいきさつを話そうとすると,落ち着いた声の男性職員が「では,お客様番号を」って聞いてくるので答えたら,「わかりました.では担当者にまわします」,と,なんか嫌な予感.
で,しばらくしたら「はい,お電話ありがとうございます.カスタマーサポートセンターのわたくし,リンゴちゃんです」って,お前かー!
一番怪しんでた奴が担当者として出てこられても.

「今日はなんでしょう?」と聴いてくるからって,
「今なにしてる~?」と言うわけにもいかず,
「う~ん,なんでしょう?」と,どうしていいかわからず困っていると,
「あ!,もしかしてXXXの増設ですかぁ?」って,チゲーよ!

電話対応って大事ですね.会社のイメージを大きく左右します.

2009年2月21日土曜日

ついでに書こうと思ったこと


昨日は須藤元気・森沢明夫 著『風の谷のあの人と結婚する方法』を取り上げたのですが,その出版社が “幻冬舎” であることが目についたので,思い出話も含めて書こうと思うことがあります.

幻冬舎
設立から15年ほどしか経っていないこの新参出版社で私が思い出すのは,
小林よしのり 著『新・ゴーマニズム宣言Special 戦争論』シリーズ
です.

初めてこの本の存在を知ったのが高校1年の冬だったことを鮮明に覚えています.あの例の高校です.
なんで知ったかというと,先生が「こんなことを書く極右漫画家がいる.問題だ!」という趣旨の紹介をしようとして用意していたものを,たまたま職員室を訪れていた私が勝手にページめくって盗み見したのですね.

第一印象は,
「なんて普通のことを書いているのだろう」
でした.
右翼だ!国粋主義者だ!戦争肯定論者だ!
という意見が,出版された1995年当時に多数派だったというのはその本で知ったのです.私自身,この本に書かれていることが一般庶民の意見だと思っていました.
なんてったって小学校・中学校で歴史の勉強していませんから.

私にとって1940~1990年にかけての歴史というのは,両親と祖母,祖父及びその戦友から聞かされたことが全てでした.特に第二次世界大戦,大東亜戦争については祖父とその戦友たちの昔話が主で,教科書の歴史を知らない私はカルチャーショック.
「えー!!日本人のほとんどが先の大戦を “間違いだった” と思っているだと!?」
信じらーんなーい.世も末だ.
(これでだいぶ私の思想・スタンスが分かってきてくれたと思います)

海軍将校として太平洋全域で戦った母方祖父,陸軍一般兵としてあの地獄のソロモン諸島で戦った父方祖父.それぞれ階級が違うこともあり,戦争で感じたことのニュアンスは若干違いますが,戦いに赴く思いは一緒です.

以前,アニメ『起動戦士ガンダム0083 ジオンの残光』を紹介しました.そのストーリーは大東亜戦争や旧日本軍を意識しているのではないかという推測をしましたが,私がすぐさまそのように感じたのは,祖父たちの昔話を聞いていたからかもしれません.
前にも紹介したこのセリフ,
「多くの英霊が無駄死にでなかったことの証のために・・・ソロモンよ!私は帰ってきた!」
ソロモン諸島の戦いを祖父から聞かされた私としては,劇中で敵役が放つこのセリフには心震わされるものがあります.他にもこんなセリフが.

「我々はスペースノイド(宇宙コロニー市民)の真の開放を掴み取るのだ.地球からの悪しき呪縛を我が正義の剣によってな!」これって宇宙を日本に,地球をアメリカに,そして剣をペン(言論)に置き換えたら,今の保守・右翼系の論者が言ってることと一緒じゃないですか?
悪しき呪縛,つまりアメリカ依存の国防と外交,そしてその象徴たるものが 「憲法第9条」 でしょう.

敗者は歴史へ口出しする資格はない.という祖父たちの美徳が,今日まで真実が公になってこなかった原因だと思っています.
最近はだいぶ日本人も “右傾化” してきているようで,小林よしのり氏や「(新しい歴史教科書を)つくる会」,また,櫻井よしこ氏や三宅久之氏,金美齢氏の活躍もあって,戦前戦後の歴史を見直すようになっています.


「え?普通じゃん...」
意見を求められてそう返したのを皮切りに,そこにいた先生・友人から猛口撃をくらい,血の気が多かった時期ですから私も負けじと反論してその時は大激論した覚えがあります.

その友人とは以後,ことあるごとに国旗国家,自衛隊,領土問題,憲法9条などについて論争しました.若かりし頃の懐かしい思い出です.
その友人は今なにをしているのでしょうか.

2009年2月20日金曜日

エッセイを読んだ

須藤元気・森沢明夫 著『風の谷のあの人と結婚する方法』というのがその本です.
以前,後輩から借りていた本を早く読んで返さないと,と言ってたやつです.
「なかなか面白いことを書いているので・・・」と勧められて貸してもらいました.

著者の一人,須藤元気氏は元格闘家です.今は引退しているそうですが,素性については詳しくは調べませんでした.
著者紹介の欄による情報では,格闘家から現在はモデルや作家業をやっているのだそうです.

私にとっての格闘技というのは,紅白歌合戦の裏番組として見るくらいで,興味はかなり薄く,同世代の話についていくために仕入れるネタ程度ですので.
ボブ・サップが大学時代は薬学部を専攻し,100 m走のタイムがかなり優れている,事ぐらいしか知りません.

内容はというと,著者2人のメールのやり取りを編集したもの.たしかに面白い.
でも前半で語っていることのほとんどが,どっかの本でで読んだことがあるような内容っだたのがチョッと残念でもあり.
彼自身が最初の章で語っている,

「学ぶは真似る」と言いますが,人間というのは,まったく無の状態から何かを生み出すことはそうそうできないものです。
ということを自ら示している結果に.
その後続けて,

勉強したものも成熟期間を設けると「活性化」されて自分のものになる。
と言っています.
まさにこの本がそれを表しています.

この本で述べられていることの多くは,中谷彰宏氏の著作物に見られるメッセージと類似していますし,稲盛和夫氏や松下幸之助氏ら,偉大な企業家が著作物で述べていることの影響が垣間見えます.

でもたしかにそれらを自分の言葉にして出すことは大変なことで,これは須藤氏も言う ,
「勉強は実践して初めて意味を成す」
ということにつながるのでしょう.
「勉強だけでは意味が無い.実践することに意味がある」 というメッセージはブッダの教えにもあります.真理は体験し,実践するものであり,理屈ではない,と.

とりまく環境に不満があったら,周りの他人を変えようとせず,まず自分を変えること。
については,私自身思い入れのあるフレーズ.

社会に不満があるなら自分を変えろ.それが嫌なら耳と目を閉じ口をつぐんで孤独に暮らせ・・・.
以前紹介したことのあるアニメ,士郎正宗 原作『Ghost in the shell』で劇中のキャラクターが口にするセリフですが,この原典は,J・D・サリンジャー 著『ライ麦畑でつかまえて』 でして,主人公が終盤,「こういう生活がしたい」 という理想を語った場面へのオマージュです.

「教えることは最大の喜び」 勉強というインプットはアウトプットすることによって効果を上げる。
というのも納得します.これは,受験勉強対策の神様として崇められている,精神科医であり評論家の和田秀樹氏も『大人のための勉強法』の中で述べています.
“失敗してもいいからやってみる” ということですよね.これは “実践あるのみ” ということにもつながると思います.

それに,私自身このブログを書くことの理由として,このアウトプットによって自分の “考え” を定着,整理することを狙っているのです.

ということで,読み始めたら一気に読んでしまったこのエッセイ.なかなか楽しかったです.
普段なら手にとらない本ですので,いい機会になりました.

2009年2月18日水曜日

故あって

故あって某診療所の仕事を手伝っています.

電子カルテに保険者番号などを打ち込む作業でして,私にもできるものなので,そんなに大した作業ではありません.
今のところは患者さんでごった返すこともないのでのんびりできますが,忙しくなると大変だろうなとは察しがつきます.私で手に負えるかどうか.

この手伝いが意外と勉強になるのです.
医療の事務作業なんてなかなか経験できるものではないですし.

患者情報の打ち込みですから,保険のことやカルテの仕組みなど,「へー,そうだったんだー」 と思うことが満載です.保険ってあんなに種類があるんですね.知りませんでした.
医療の 「点数」 にしても,いろいろと分かってきました.どうやって点数取るかが,それこそいろいろあるわけです.

にしても複雑であることには違いない.点数の取り方を間違えたら大変なことになります.
この仕事は本気にならないとやってけないですよ.

どうやら最近は胸焼けを伴う風邪が流行っているそうですよ.吐き気をもよおすのが特徴です.
皆さんはいかがでしょうか?
吐き気がきたら我慢せず吐いちまうのが良いのだそうです.バイ菌が繁殖している物を出すという意味で.
ホントかね?と思いますが,医師がそうだというんですからそうなんでしょう.

守秘義務もありますしナイーブなことなので,これ以上あーだこーだとは言えませんが,結構楽しく作業させてもらっています.
医療従事者扱いになっているので,今年はインフルエンザ・ワクチンをタダで打てました.

いったい私の仕事はなんなんでしょう?
最近は何でも屋がさらに加速かかっています.

今日は別に本職(?)の学生の研究活動補佐をしまして,今後のためのチョッとしたミーティングを開きました.
今年卒業する4回生とはエライ違いで,今後のアイデアを真剣に悩む悩む.おまけに来年度の目標を “学会発表” と位置づけてやる気満々.
なんでこんなに食いつきが良いんだ? と変なギャップを感じました.

この意気も最初だけかもしれませんが,これを継続させるのが私の仕事のような気もします.
いい水先案内人になれればいいのですが.

2009年2月17日火曜日

学力について


加藤幸次・高浦勝義 編『学力低下論批判』 なるものがありまして,例の宮崎哲也氏が著書の『1冊で1000冊読めるスーパー・ブックガイド 』 で紹介・絶賛していましたので購入してみました.

これによく似た内容の本に,以前取り上げた諏訪哲二 著『学力とは何か』があります.
が,諏訪氏のスタンスは「現在の子ども達に学力低下はある」とした上で,では 「学力を向上させるにはどうすればいいのか」 といった時に, 「ゆとり教育にその可能性があった」 というものです.

『学力低下論批判』 の著者の中にもこのスタンスをとる人がいたりして,なかなか
学力低下論者 vs 学力停滞論者
という単純な図式にはならないのでしょう.これ以外にも,
ゆとり教育推進派 vs 基礎学力徹底派というのもあり,事はかなり複雑.

学力低下・基礎学力徹底論者の一人が書いたものを以前読んだことがあります.戸瀬信之 著『数学力をどうつけるか』 .この度読み返してみて,覚えていなかったのですが “『学力低下論批判』批判” の章がありました.
『学力低下論批判』 のまえがきで,数学の勉強について 「分数や少数の意味を理解することであって,計算は計算機の方が・・・」 と述べる著者ら.私も「おいおい,そこまで言うか」 と思った箇所ではありましたが,これを戸瀬氏は「このグループは日本の将来を危うくしている」言い放ちます.


上記の著者ら自身も述べていますが,この話題は各々の 「学力」 というものに対する捉え方が違うので,いつまでたっても議論は平行線になるのです.

私思うんですけど,学力が低下していようがいまいが,結局は 「どのような学力をつけさせることが日本の将来にとって有益か」 ということを明確にする議論をしないと,お互いが自分の意見を通すために都合のいい資料・データを持ち寄るだけになりますね.

例えば戸瀬氏だけでなく他の論者も出すものに,「分数のできない大学生が増加している.大学生の基礎学力が低下している」 というやつ.
これ,当たり前でしょう.
誰でも大学に進学できるような時代になっているのですから.しかも大学の数が増えているのに少子化.18歳以上のほとんどが大学に行っているのです.量が増えたら質は低下するのが世の習い.
大学としても経営上,入試のレベルを下げて学生を入学させるわけですから 「日本の大学生」 の学力平均値が下がるのは当たり前であることが導けますね.一部の志し高き若人だけが入学するのではないのです.
これは学力対策とは全然関係ない話です.日本人の学力が低下していることは縁もゆかりもありません.単なる大学経営の話.

これがいけない.というなら,それは義務教育や高校教育といったレベルでの教育の話ではなく,大学における教育サービスの水準を上げよう,という話になります.
案の定,戸瀬氏は大学でも基礎学力を上げる時間を設ける必要が出てきた,と述べますが,どうかなぁ~.

子ども(この場合高校生以下)の学力が低下しているという前提に立つのであったとしても,今現在の私の意見としては,基礎学力を徹底することが現代社会における教育として適切なものだとは考えられません.

何を隠そう私,分数のできない大学生でした.今でもできません.でも今は理科系の科学研究をやっている身です.前述にある 「数学は意味だけ理解すればいい.計算は計算機が・・・」 という理論を地で行く男がここに一人います.
て言うか,一般社会ではそんな人がほとんどじゃないですか?それならパソコン,特にEXCELとかプログラミングを教えた方がよっぽど社会に出て役に立つはず.数学できるくせにEXCEL使えなくてゼミ論教えるのに苦労する学生いますもん.学生が1週間かけてやってきた作業を1分で終わらせてみせることもしばしば.優越感と虚しさが漂います.

今売られているカメラを使うのに “レンズのしくみ” や “フィルムの原料” といった基礎を知らなくてもカメラは使えます(今じゃフィルムですらない).昔は必要だっただろうけど.
つまり,時代によって “必要な学力の構成” が変わる気がするのです.

学力って基礎学力を徹底してきた結果として得られるものではなく,得られる場合がある・多い.という程度のではないでしょうか.
基礎学力が悪いと言っているわけではないのです.基礎学力は大事.でも,その使い方について学ぶ機会が別に必要です.
『学力低下論批判』 の著者の一人である市川伸一氏が述べる 「基礎から積み上げる学びと,基礎へ降りていく学び」 というのには共感します.
学びは一方向ではない,基礎から応用だけではなく,応用を先にやって,その際に得た疑問をモチベーションに基礎を学ぶことがあってもいい,ということではないでしょうか.

実際,私も研究活動をはじめてから必要に迫られて,数学・統計,理科(中学・高校の)を勉強しています.

研究もそうですが,他の仕事もそうじゃないですか?
教師の立場になってからも,目の前に現れた課題を解決するために基礎を勉強しなおす,新たな基礎を勉強するっていう機会も多かった.そうした時の方が意欲を持って勉強します.そりゃ “その基礎” を最初から頭に入れておけば効率はいいのだろうけど,人の頭は,特に私のはそんなに高性能じゃないです.

“生きる学力” なんてのがありましたが,それより “活きる学力” を身につけることが先のような気がします.
なんせ現代で “生きる” だけなら生活保護がありますし,ホントに “生きる学力” ならサバイバル・テクを教えたらいい.
そうして生活保護を得てでも “生きる” には国家について言及しなければいけないから,経済・内省・外交・軍事の勉強が必要であることを知るのです.こういうサイクルが “活きる学力” だと思うんですけどね.

2009年2月15日日曜日

暖かくなってきました

地球温暖化が嘘のように寒さ厳しい日が続いていましたが,ようやく春の気配が近づいてきました.

この2日ほど眼が痒く,花粉症の恐怖も近づいています.
これ花粉なんだろうか.やだなぁ~.


さて,昨日今日と堺屋太一 著『日本とは何か』 を読んでみました.20年近く前の1991年に出版されたものですが,内容はとても新鮮です.

特に目を引いたのが,『日本は「顔」のない国である』 というところ.
例えば,「アメリカと言えば」とか「フランスと言えば」 と問われて,皆さんはなんと答えるか?

アメリカなら今ならさしずめ「オバマ大統領」とか,フランスなら「ナポレオン」 とか答えるでしょう.
それを外国人に問うてみると,「日本と言えば」 と聞いても人物を挙げてくれないのだそうです.
多いのは 「トヨタ」 「ホンダ」 「パナソニック」 「ソニー」 「寿司」「天ぷら」など.企業名や料理は簡単に並ぶのですが,人の名前が出てこない.

これを著者は日本人というものが,個人を隠し,企業や組織などの内部・内輪での評価を気にすることが多いからだとしています.
学会や文壇など,その分野の中では重鎮として知られても,その他世間ではてんで知られていない.というケースが多いのも特徴.“その道ではけっこう有名です” というやつ.
外部評価よりも,内部評価を気にし,外部評価は所属する組織,団体として受ける.

このような特徴が現れたのが,“日本と言えば” と問われた際に個人名が出てこないという現象なのだとしています.

これ以外にも宗教観や軍事意識についてなど,なるほど,と納得できることが満載.

実は4年ほど前に古本屋で買っていたのですが,ずっと本棚にしまってあったものです.
引っ張り出してきたら意外と面白かったので,いい発見ができました.

読まずにほったらかしてる本は他にもあるので,気が向いたら開いてみようかと思います.

そういえば後輩の学生に 「面白いからぜひ」 と貸してもらっているのもあります.そろそろ返さないといけないので,それも読まないといけません.

2009年2月13日金曜日

そう思っていた矢先に

出鼻をくじかれるように,以前出していた論文が 【却下】 であるとの連絡を受けました.

結果を首を長くして待っていただけに残念.

まさか通るとも思っていなかったのですが,まさかが重なって通るかもと期待していた部分もあり,却下されたら却下されたでショックです.査読結果を読んでいたら変に心拍数が上がるし.

初めての一発 reject.
あぁ,これが世に言う “一発 reject”ってやつかー...,と嬉しくもあり,悲しくもあり複雑な気分.

なかなか経験できませんからねぇ.格調高い雑誌だからこそ受ける処置でもありますし,これまでみたいに “載って当然” みたいなところでは味わえません.よかったよかった.

とは言え,ひたすらドコがダメだったか羅列したものを受け取るんだから,いい気分にはなりませんわな.

今度は高望みせず,ユニークな論文を好むところにでも出そうかなと.
指導してくれた先生と相談してみます.


さて,明日は大学院の入学試験です.
知り合いも受験します.

どうやら定員割れしているようなので,そろそろこの大学の終わりの始まりかと受け止めています.

受験生の皆様,適当に頑張ってください.
明日は我々がサポートのフリをして周りにたむろしていますので.

2009年2月12日木曜日

いよいよ卒論発表

卒論発表を2週間後に控え,いよいよ発表練習を始める学生が出てきました.
今日はその中の一組が,パワーポイントとプロジェクターを使って私達の前で練習です.
どれだけできているかを確認する意味でやってもらいます.

で,結果ですが,
なかなかよくできていました.
そりゃ初めてのことですから,修正ポイントが山のようにあるのはしょうがないですが,初めてにしてはよくできているというのが率直なところ.
昨年はとんでもないグループがいまして,今年もどうなるかと思っていましたので,これで一安心です.

ただ,もう一人が何も言ってこないのが不気味.根は真面目そうなので大丈夫だとは思いますが,早め早めに準備をしてもらいたいものですね.

といいつつ,私の卒論発表はギリギリまで先生にスライドを見せず,一通り出来上がったものを見せたのがたしか発表2日前.当然内容については修正山積みだから,そこからなんとかかんとか見れるものにして発表へもっていった経緯があります.
今思えばかなりヤンチャなことしてたんだなぁ,と.

それに比べれば学生達はよくやっています.

他の職場ではとても忙しい状況になっているのですが,私自身は結構のんびりしていまして,やらなきゃいけないこと,それはつまり論文書く作業のことなんですが,そのペースが急降下.アイデアがなくってホトホト困り果てています.
この部分つっこまれたら反せねぇなあ...,と,なんとか事実隠蔽できるもっていき方を考えているのですが難しい.かれこれ半月くらい手についていません.そろそろ諦めておもいきって出しちまうのも手かなと.

そんなこんなで,ずっと悩んでてもしょうがないので,こういう時は別のことするのが一番と,この一週間は時間を見つけてはファンタジーな世界に没頭していました.ちょうど 「ファンタジスタの会」 があったのが一週間前ですしね.

結構売れてるらしいんですよ,「XXXX」がよくわかる本 シリーズ.
「世界の神々」がよくわかる本を筆頭に,神獣,モンスター,天使,悪魔,伝説の武具,聖人,魔人,魔法,アイテム,美女,悪女と,いろいろまわってみました.ファンタジーでしょう?

面白かったのが美女を取り上げたやつ.この人美女か?と疑問なところもありますが,有名人(セレブ)としてみればそれで良しか.
どうだろう.どの人が魅力的でしょうか.この中で選べってなったら個人的にはアンケセナーメン(古代エジプト・ツタンカーメン王の妃)に落ち着きます.だって “まとも” そうだもの.
ジャンヌ・ダルクとか精神がイッちゃってる気がするし,清少納言とかプライドが高そうだし,サッフォーとかエロ過ぎるし.
ちなみに私,ファンタジスタな美女なら知ってますよ.

ウケたのが 「魔人」 としてヒトラーを紹介してたやつ.魔人ねぇ...まあ,ある意味.
ちなみに私,ファンタジスタな魔人も知ってますけど.スサノオ(仮名)っていいます.

とりあえずここら辺でファンタジーな世界とは決別して,明日から悩み多き論文パズルの世界に戻ります.
全然アイデア浮かばないけど,それもまた人生.なるようになります.

2009年2月11日水曜日

秘密なのだそうな


ロンダ・バーン 著『ザ・シークレット』

アマゾンのレビューでやたら評価が高かったので試しに買ったのが1年前.ふと思いついたので私なりのコメントを.


てっきり装丁の雰囲気からダン・ブラウン 著『ダ・ヴィンチ・コード』 のバッタもんだと思っていましたが,内容はいたって如何わしい自己啓発本でした.
本の印象としては,きれいな装丁だという点以外は特に感じるところはありませんでした.
強いてあげれば,新興宗教ってこういうもんかな,と.こういうのに絶賛レビューを書いている人が “宗教” に引っかかりやすい人なんだな,と思ったぐらいでしょうか.

当時,「引き寄せの法則」 とかいうのが流行っていたそうで,それをこの本で初めて知って,「へ~」.
“引き寄せ” っつっても,「あなたが願えば,それが叶う」 とか,そんなむちゃな,という感じのことが延々と書き綴られています.

偉人たちが実践していた “秘密” をあなたも実行することで,人生が豊かになる,という趣旨ですが,偉人たちの “秘密” って言ってもよくある名言集と変わりなく,偉人達の生き方を紹介しているに過ぎないと私は受けとめたのですが.特別な秘密ではないかなと.

この本に書いていることをまとめると,

ポジティブシンキングで人生が豊かに!

といったところでしょう.


私なりに興味深かったのは,著者が 「プラシーボ(疑似薬)効果」 について言及している箇所.
本物ではない薬(プラシーボ)で本物の薬と同様の効果が現れる,とし,これを 「引き寄せの法則」 が発揮されたいい例,だと言ってのけています.

これについて,よく分からん博士とか先生がいろいろコメントを寄せています.
治ると願えば叶うのだそうな.健康を引き寄せてるんだって.
なんという新解釈.

宇宙に心を開けとか,自分は完璧だと思えとか,笑えば難病が治るとか...
ダメだこいつら.なんとかしないと.

プラシーボをそう解釈するとはなかなか.
ものは言いよう.これ,ちょっといただきですね.

なんつってもこの本,べらぼうに売れてますから.世間の人々は信じるんでしょう.
覚悟を決めれば,いろいろと “ある意味” 勉強になりますから,ためになる本ではあるのかも.

でも最悪の読後感が襲ってきますので,理系の人は読まない方が無難です.

2009年2月10日火曜日

模擬試験づくり

資格試験を控えた学生のため,模擬試験をつくっています.

正直言って,こっちが勉強になっているのではないかと思うほど苦心しています.
“模擬試験づくり” こそ最高の勉強法だということに至りました.

4~5択問題なのですが,それゆえにテキストのどういった部分から出題されるのか,その傾向がおのずと決まってきます.こういう問題は出やすいとか出にくいとか.

問題作りのなにが難しいって,“間違い回答” です.
正解回答はテキストから抜き出せばいいので簡単なのですが,間違い回答はちゃんと間違ってなきゃいけない上に 「明らかに間違い」 というのでは問題として簡単になってしまいます.
“ちゃんと間違っているのかどうか”,が意外と曲者で,それを調べるために試験テキスト以外の書籍にあたって調べなおす,みたいなことして,そんな調子で30~50問. 「どんだけ勉強してんだよ,俺」 という気持ちにさいなまれます.

その試験テキストにも模擬試験集が付録されているのですが,そのヒドイことヒドイこと.かなりの作成ミスがあり,こんな問題は作りたくないという反面教師になっています.

資格試験までいよいよ2週間となりました.
学生諸君は気合を入れて望んでほしいものです.

2009年2月8日日曜日

第二回 ファンタジスタの会

第一回を凌駕する会でした.
私は今回も大満足です.

気になるのは第一回とファンタジスタの面子が一緒であったこと.しかし,前回と一緒であるにも関わらず破壊力が増したことは評価に値します.
凡人会員のみなさま,ご満足いただけたでしょうか?

死ぬほど笑った,と思えるのはここんとこ少ないですので,とても有意義な時間を過ごせました.

この歳で何やってんだと自問することもありますが,素直に人生を楽しく生きる方法として受け入れましょう.
私の尊敬しない先輩が言っておりました.人生は,
「楽しまなあ!」
と.

笑っていられるだけ幸せだと,心の底から思える今日この頃です.
ブッダの教えがなんぼのもんじゃい.

私は私なりの “苦から解脱する” という最大の目標を実践しているわけですから,仏道に外れているわけではないし,その方法を他の者達にも布教しているわけですから.
そんなわけで,自分なりの解釈をしているわけで,納得しているわけです.

そろそろ新しい宗派を創ろうかと思い,
ファンタジスタの会,その名を改めて
真言仏教 幻想空想般若教

私の宗派においては,悟りを開いた者・仏陀,すなわち阿羅漢とはファンタジスタ,つまり人々に笑いと共に幸福を呼ぶ者で,それでいて本人にはその自覚が無い者のことをいいます.
この者は,なんぴとたりとも侵されない聖なる不動の心を持ち,常に吾が道を行きます.

我々が信仰する仏陀は強力です.
一人はバラモンならぬバカボンで,一人はスサノオ,一人はダンサーです.
バカボンとスサノオはとても仲が良く,二人の間から新たな神が産まれるかもしれません.
ダンサーは占星術師である私の怪しい神託を聞き,次なるファンタジーに向けて準備中です.
一人一人に神話みたいなものを作ってもいいですね.時間あったら勝手に歴史を紡いでおきます.

ブッダの言葉にならって,私の言葉を作りました.       

一切の人々から畏れられ,
一切の人々の眼をくぎ付け,
常人の心を欲さず
常人の心を躍らせる
人はその者をファンタジスタと呼ぶ


また機会があったら第三回をやりたいと思います.
次回もぜひご参加ください.

2009年2月5日木曜日

ニュースは恐い

要するにスポーツに焦点を当てたメディアリテラシーを説いたものです.とても読み応えがありました.

森田浩之 著『スポーツニュースは恐い』.長くスポーツ・体育に携わっている身になると,いわゆる “一般人視点” のスポーツに違和感を覚えるようになってくるものでして,氏はその “違和感” の正体が何なのかをスポーツニュースにまつわる具体例を示しながら説明しています.

多くのメディアリテラシーを説いた本や,先日取り上げた数学の本などでも示される例としては,どうしても政治・経済が多くなってしまいますが,これはスポーツという視点からメディア報道への批判を繰り広げています.

スポーツはそんなに特殊な営みではない,スポーツ選手も特殊な人種ではない.という,当たり前の視点でスポーツニュースを見てみるとおかしなことばかり.

メディアリテラシーという視点を離れても,スポーツでは報じることをタブーとするものもあります.
例えば,スポーツ選手が, “スポーツ選手” を演じているという点.
よく目にするものとしてはサッカー選手が試合終了のホイッスルが鳴った瞬間にピッチにうずくまり,うなだれるシーン.あんなこと普通ならやらないでしょう?

負ける → うなだれる選手に駆け寄る仲間 → 手を差し伸べ起き上がる → とぼとぼとセンターサークルに集まり礼をする.

お決まりの 「負けたチーム」 を皆で演じているわけです.
視聴者・観客もそれを薄々気づいているはず.「いくら重要な試合でも,そんなにあからさまな “ガッカリ” な態度とらんだろう」 と.
でもそれを誰も指摘しません.そうしてほしい,と期待しているのです.そういう “態度” を,そういう “しぐさ” を演じてほしいのです.
スポーツ選手だってそれを期待されていることを感づいている(視聴者側だった時に期待していた)わけで,知らず知らずにそのような行動をとるのでしょう.

それをスポーツニュースはホントのことのように報じます.
はっきり言ってどうでもいいことを感動の出来事のように報じるわけで,それが商売なわけで.
政治・経済では 「んなこたぁあるめ~」 と一蹴されるようなことでもニュースにします.

体力測定していないのに「アフリカ系選手は身体能力が高い」と報じてみたり,深く取材していないのに「固い師弟関係に結ばれている」とぶちあげてみたり.
デタラメだと,適当な情報源だと感づいているはずなのに,スポーツニュースだとそれを追求されません.

スポーツニュースも他のニュースと同様,いえ,それ以上にバイアスがかかった情報なのです.
これだけ適当,デタラメ,ウソ,捏造がまかり通るわけですが,「スポーツニュースってそんなもん」 と思われている節もあるのではないでしょうか?
報じる側にとって,ステレオタイプが気持ちよく当てはめられる媒体,それがスポーツニュースであることが考えられます.
それはつまり,受け取る側のほうがステレオタイプであってほしい媒体とも言え,さらにはアスリートもステレオタイプを演じる衝動にかられる媒体.それがスポーツニュースなのです.
すべて “わかっている” はずなのに.わかっている上で,それぞれの建前と思惑が交錯しながらも,絶妙のバランスで成り立っているスポーツと報道.

そのくせスポーツに教育的価値があると本気で信じている人がいるわけですから,まったくスポーツっていうものの正体がわかりません.
それだけに人類にとっての現代スポーツという営みの深さを感じます.

2009年2月3日火曜日

新型車両

JR東日本は3日、平成23年春から東北新幹線にデビューし、青森と首都圏を結ぶ新型新幹線「E5系」(10両編成)の車両デザインを公開した。上部が鮮やかな緑、下部が白を配して中央にピンクの細帯が入る。未来を感じさせる先進的イメージとスピード感を表現したという。
今年夏から耐久試験走行を実施。23年春から3編成を営業運転に投入し、最終的に計59編成を製造する予定。飛行機のファーストクラスに対抗した超豪華なスーパーグリーン車(仮称)を導入する。
デビュー後は時速300キロから段階的に運行速度を上げていき、25年春にはフランス国鉄のTGVと並ぶ320キロで走行し、新青森と東京を約3時間5分で結ぶ計画だ。東北新幹線は22年12月に新青森駅まで延伸する予定。
清野智社長は「当社で時速300キロを超す車両は初めて。かわいがっていただきたい」と述べた。2009年2月3日 産経新聞

新幹線には昔からお世話になっていますので,少し目にとまったニュースです.

さらに鼻が高くなったご様子.
前から思っているのですが,本当にこんなフォルムである必要があるのでしょうか?ルックスばかり重視したフォルムじゃないかと疑いたくなります.

とは言え,日本の技術力を示す一つの例です.320km/hで運営する予定だそうで,運営速度の底上げを狙えるスーパーエキスプレス.素直に喜びましょう.

この調子で東海道,山陽新幹線にもさらなる新幹線を.と思っていましたが,そう言えばこの地域は 「リニアモーター」 という計画がありました.昨年末に国交省がJRに対しリニア建設着工へ向けた調査を指示したそうです.平成37年開業を目指しているそうですので,生きているうちに十分その姿を拝めそうです.病気,事故,自殺,殺人事件等に巻き込まれないように注意して生きて行きたいと思います.

リニアになったら 「ギィーーーン!!」 というあの轟音も無くなるのでしょうか.だとすればそれは実にスマートな列車ですね.都市部にも気兼ねなく通せます.
このリニアのルートについては,
(1) 長野県内の茅野から伊那を通る南アルプスの迂回ルート
(2) さらに北西を回り茅野から岐阜県中津川に抜けるルート
(3) 南アルプス直下を貫通する直線ルート
の3つが検討されているようです.
JRとしては最短ルートとなる (3) を想定しているそうですが,長野県が反発しており,調整・交渉次第なのだそうです.

東京・品川→名古屋→大阪→岡山→広島→福岡という感じでしょうか?途中の地域は新幹線「のぞみ」「ひかり」で,という位置づけになるのでしょう.
一つの懸念は,幹線工事に長野県が反発していることに配慮して,田んぼのド真ん中にリニアが停まるという超ウルトラC.ありえないと言い切れないから怖い.余計な駅で時間を食うことにならなきゃいいのですが.
そこは国鉄から民営化されたJRの腕の見せ所.

郵便屋さんも民営化されましたよね.ひと時一大問題になっていましたが,なんだかんだで問題なく動いているようですし.ニュースでも大騒ぎしていたわりには何も報道しなくなりましたね.
次の機会に 「いまさら郵政民営化を問う」 と題してその後の動向を考察してみますか.

2009年2月2日月曜日

数学的思考力?

久しぶりの名著です.
細野真宏 著『数学嫌いでも数学的思考力が飛躍的に身につく本』

著者は『経済のニュースがよくわかる本/日本経済編・世界経済編』(この本もタイトル通り非常にわかりやすい)というミリオンセラーを書いた人でもあり,数学専門の予備校を経営するほどの数学指導のエキスパートです.

そんな氏が満を持して出版したとも言える「数学教育」の書.今日手に入ったのですが,読み始めたら止まらない.全部読んでしまいました.

「数学」を扱っているのですが,数式が全く出てこない.これは出さないように意識して書かれていますね.多分.それだけ “数学”っぽくない内容に感じます.
私自身,数学が全くダメなのですが,そんな私がスラスラ読めて,著者の前書き/宣言通りに読後は数学に対する意識が変わり,数学アレルギーがなくなっているような気がします.

“数学” と “計算” は違うと言ったところでしょうか.計算できなくても数学的思考があれば/身につけば,数学を学んだ価値はある.むしろ,数学はそのように学ばなければならない,というのが著者の主張.
そんなステレオタイプの主張は他の誰かもしてそうですが,著者はさらにそれを身近な生活や社会的出来事を取り上げて具体的,かつ論理的に示します.

例えば社会現象,経済ニュースや世論調査.どれだけマスコミが適当な報道をしているのかを,クイズ形式で数学的思考によって解説します.記者やキャスターのいい加減なデータ解釈やコメントに対し,数学的思考があればそれがウソ・デタラメであることがわかるとし,それら情報のバイアス(先入観,偏り)を抜けだし情報の本質を見ぬくことが重要だと説きます.

特に感心した例題が, “デフレがなぜ悪いのか” ということについて.さすが経済の専門家です.デフレがなぜ悪いのか,その本質は “企業の借金が増えること” が正解.物価が上がることでも給料が下がることでもないそうです.なぜなら,給料が減っても物価が下がっているのですから,こういうデフレという現象自体それだけでは悪いことにはなりません.
物価が下がることによって縦断的・絶対的な売り上げが低下し,これによって企業の借金返済が滞ることで不況へとつながる.
こういうことが分かっていれば,政治・経済ニュースの視点が変わります.どこにどのような政策を打つことがいいのかを判断することができます.


数学嫌いが和らいだところで,自分の専門を鑑みると,そう言えば体育科に関する書籍って少ないですよね.体育の授業方法に関するものもいくつか購入しましたがイマイチ...

これは,保健体育科に対する教育業界や世間の関心の度合いを表しているのかもしれません...というバイアスを取り払って考えなきゃいけませんね.

2009年2月1日日曜日

いい奴でした

4日目.

ついにいなくなりました.
いなくなったらいなくなったで,チョッと寂しい気もします.