2009年4月30日木曜日

ブライダルビデオを作りました


そして明日,DVDに焼きます.

私の友人同士の結婚式でもあるのですが,その花嫁の学生から “ビデオレター” という形で作成依頼があったのです.
ビデオレター作るんで編集してほしい,って.

それにしても,DVDから映像を取り出して編集するのがこんなに大変だったとは思いませんでした.

「このDVDと,このDVテープをもとにしてビデオレターを作ってください」 という依頼.が,このDVDがけっこうな曲者.
MacとWindowsをアレコレ駆使してやっとこさ完成.
できたビデオにも愛着が沸くというものです.

昨日なんか夜の3時まで編集作業.今日はダルくて仕事に手がつきませんでした.
「できる」 と言った手前,「できませんでした」 ではプライドが許しません.
男の約束ですから.

さっきも言いましたが,意外とDVDの映像って おいそれ と編集できんのですよ.
DVDからの映像を読み取る特別なソフトが必要なんですけど,凝るわけでもなくサッサと終わらせたい作業なので本腰を入れて勉強もしたくないし.

けどそこは職場と職権を乱用するわけでして, “映像分析室” なるところのパソコンを拝借し,DVDから映像を吸い出しました.
(あっ,これ違法コピーじゃないですよ.)

でもそのDVD,ちょっと特殊なオーディオ技術を使っているらしく,どんなに頑張ってもそこのコンピューターとソフトじゃ映像しか吸い出せず,音声が消えちまう.
なので,DVDから音声を取り出す専門のソフトをダウンロードして音声を別に録音.その後,Macのビデオ編集ソフトであるiMovie HDで映像と再合成,という作業をしました.

あの手この手で作ったこともあり,かなりビデオ編集の知識が身につきました.
なかなかいい経験です.


今日,依頼してきた学生に確認してもらったところ,かなり気に入ってもらいました.苦労した甲斐があったというものです.
花嫁にも確認してもらいました (!?).気になったらしく,つい見せてしまいました.これは依頼してきた学生には内緒です.

私は披露宴には行かないので,どんなお披露目になるのか見れませんが,無事上映されることを祈っています.

2009年4月26日日曜日

こんな世の中ですから

最近は北の国から飛翔体が落ちて来る心配もするようになりました.

といっても,それは今に始まったことではなくて,過日の騒ぎにしても少し時代がズレた騒ぎでして,
というのも,まともなメディアであれば冷静に以前から報じていることですが,そもそもテポドン・タイプのミサイルは日本向けではなく(おそらくはアメリカ他),ノドンこそが日本が注意しなければならないミサイルなのです.
そりゃ,日本を通過する東方向を狙うなんてナメた真似をするのもいかがとは思いますが.

で,そのノドンですが,すでに日本に照準を合わせており,いつでも発射できる状態にあります.真の脅威はノドンであり,テポドンではありません.

日本の弾道ミサイルの脅威は北朝鮮のノドンだけじゃなく,もちろんあの中国も日本を狙っています.確認できているだけでも150基が狙っているそうです.


そんな世の中ですから,私も少しは軍事に通じておかないとと考え,松村劭 著『戦術と指揮』を買って読んでみました.
とは言うものの,軍事については前からチョコチョコ知るようにはしていたのですが,この度コレを買った理由は, “戦略的な軍事の視点ではなく,泥臭い現場の軍事の視点を知りたかったから” です.

拝見してみると,なるほど現場上がりの人の視点で書かれており(著者は元自衛隊),よほど思い立たないと読まない本ようなですから貴重な内容が読めてよかったです.

こういう地形であれば,こういう作戦.相手の出方がこうであれば,ああいう作戦,と,いろいろな戦術を勉強できたのですが,特に印象深かったのは本論ではなくてコラムに載せてあった 「軍の階級は命令違反ができるためにある」 ということ.それが国際常識だそうです.

シビリアン・コントロールが絶対だと思っていた私には意外な事実.というか,まだコレに対する意見がまとまらない.

たしかに, “本営の命令では現場が成り立たないとなった時” に,本営の命令を違反できる者が必要になるわけで,その命令違反をしても大丈夫だという証を示しているのが「階級」なのだそうです.
つまり,本営の命令よりも本営のためになると判断できる人物に,より高位な階級が与えられているのだそうです.

こんなこと聞くと,左巻きの人達からは 「軍が暴走して罪もない市民が殺戮される」 という意見がありそうですが,
だからこそ,そうならないように階級が与えられているんだそうです.

逆に言えば,シビリアン・コントロールの重要性とその限界を理解している人物に階級が与えられているとも解釈できます.
なんとも眩しい話です.


今から14年前.阪神大震災では自衛隊の出動が大きく遅れました.被災地が自ら状況判断できる状態でなかったこともあり,本営の命令が 「待機」 だったからです.
もし自衛隊の各幕僚長に各国の軍と同じような “命令違反できる階級” があったなら,少なくとも何百人という命が助かっていたと言います.
あのような大災害では,過酷な環境に耐えられる人材と,重機や航空機,ヘリコプターの数がものをいうからです.

今ではだいぶ改善されて,各隊で判断できる部分が増えているんだそうです.

2009年4月23日木曜日

測定する


全然違うんですよ,握力計によって値が.

このたび,わけあって 「握力計が異なることによって測定値が違うか?」 を調査することになりました.

アナログ式 (針がバーッて回るやつ) を1種類と,デジタル式 (数字がパーって出るやつ) を2種類.計3種類の測定器を用意してその測定値を比べてみました.

違うわ違う.
測定器への相性もあるのでしょうが,けっこう機種によって値に差があります.
その幅が大きい人で13 kgくらい違います.

何を隠そう,私です.

しかも,自慢になりますけど測定器によっては握力が65 kgもありました.
たまたま学生と一緒に測ったんですけど自分でもビックリしました.この測定器は壊れてる と思ったほどです.
ラグビー選手以上,陸上部投擲並みです.

日頃,ずっと座ってパソコンをタイピングしてきた成果がここに集結です.
握力を鍛えるには無心に座ってパソコン.そしてネット.
これですよ.

……,思い返せば一念発起してブラインドタッチを始めたのが5年前.マウスのクリック数も,数えんとすれば砂粒の数よりも多いでしょう. 最近は高速タイピングの修羅場である医療事務も経験しました.
重い荷物や資料を担いで,明日の大学のためを想い,校内を駆けずり回ったのも良いトレーニングだったのかもしれません.

その甲斐あって,気がつけばアスリート越えを果たしていました.

・・・・・・・

でも感慨にふけっている場合じゃありません.
非常に由々しき状況です.

実は私の大学は握力測定を入学試験で実施します.
機器によって測定値が違うとなると大問題であることが誰にもわかるかと思います.

今年から採点方法を変えることになっており,その採点基準の見直しを迫られる状況になっているんですね.

で,どの握力計でやるのかも決断しなきゃならないし,どちらにせよ採点基準もそれに合わせて変更しなきゃならないし.
んでもってその仕事,例によってホントは無関係の職員である私達に回ってくるんじゃないかと考えられるんです.完全に無関係ではないから別にいいんですけど...

怖いのは,この大学.てーへんだー!って騒いでも,結局

ま,いっか.

ってことになりそうなんですが,良くないはずです.私は非常に気がかりです.
どうなることやら.


先日の科学を取り上げた記事でも,測定のことも取り上げました.
「測定」 できることが科学の条件の一つであると.

握力は科学じゃないんですね.めっちゃ適当だってことですもん.

この件で私が思い起こすのは,2年前に助手をさせていただき,今は退官されている某先生が,常日頃からおっしゃられていた,
「握力計が適当な測定器だと思われている.医学系の人達からはバカにされている.なんとかしたい」
という想いです.

その時は,へーそうなんですか.としか思っていませんでしたが,今となってはその髄を見たり といった感です.
まあ,ここで告白しますけど,その先生がそういう想いで握力計の信頼性を高めるための啓蒙活動として,握力計専用のキャリブレーション (較正作業) 装置を製作されていたのですが,

それ,先生が退官されるに当たり,捨てちゃいました.
ま,いっか. ってね.

今となっては後悔の念にかられています.
先生,すみません.我々が未熟でした.

測定値は正しいのか.測定方法は妥当なのか.信頼性は.だいたい,そもそも,それで何を測っているのか.その測定しているものの本質は何か.

やっぱり,身体運動科学の黎明期を支えてきた人の視点には唸らされます.

しょーもない身近な騒ぎから,
「測定する」 ということの哲学,
「科学的である」 ということのエッセンスを垣間見た気がします.

2009年4月22日水曜日

執筆中


学術論文じゃありません.

「ゼミ論文・卒業論文の書き方」というテキストを執筆中です.
お前,どんだけ論文のエキスパートなんだ,と思われかねないですが,全然ですよ.

論文を書くことはできなくても,論文の書き方は書くことができる.そう思っています.

なぜ書いているのかと言うと,ぶっちゃけ論文の指導が面倒だからです.

「これ読んで,そこに書いてること守って, “最低限の文章” を書いてきてから添削させろ」
というメッセージです.

執筆するのに数時間かかったとしても,学生に対する年末年始の十数時間分の指導時間が浮くと思ったらやる気がでます.

しょーもないところから指導しなきゃいけないのはしんどいので.まずはコレ読め,と.

自分自身の文章技術の再勉強にもなっていますし,一石二鳥の活動だと思います.


というわけで,今日は久しぶりに書籍紹介をと....
いくつか文章読本を紹介していきましょう.

木下是雄 著『理科系の作文技術』は名著です.
著者は是雄(これお)と読みます.珍しい名前ですね.ってそんなことはどーでもいい.大学生・院生は是非!.私は院生時代に購入したのですが,もっと早く出会っていれば良かったと思っています.レポート,仕事文,メモ書きなど,とにかく実用文のためのノウハウがしっかり載っています.
今執筆しているテキストも,氏の書籍を大いに参考にしています.

野口悠紀雄 著『「超」文章法』は,一般的な文章技術を高めるためには優れた本だと思います.“文章はメッセージが重要.むしろメッセージさえしっかりしていれば書き方はどうにでもなる” というのが氏の主張.うなずけます.

あと,山口文憲 著『読ませる技術』もためになります.これも一般的な文章術を高めるためのノウハウです.これを読めば自身の文章の幅が広がります.

以前にも取り上げましたが,中谷彰宏 著『短くて説得力のある文章の書き方』.短くて説得力のある文章が書けるようになります.ホントです.それしか言いようがありません.文章に対する意識改革が出来る本ですかね.不思議な文章読本です.

他にも,清水幾太郎 氏,澤田昭夫 氏あたりが実用文のための文章読本を出しています.が,似たり寄ったりです.上記4冊さえ読めば文章の書き方はなんとかなるような気がします.ちょっと志向を変えて,スティーブン・キングや三島由紀夫,ディーン・R・クーンツなんかが書いた小説を書く人向けの文章読本を読んでみるのも新鮮.決して自分自身のためにはならないけど(そうは言い切れないでしょうが)楽しく拝見しました.


学生もこれらの本を読むくらいの意識レベルを持ってくれれば最高なんですが...,って言いたくなりますが,じゃテメーは院生時代でやっと読んでるんじゃねーかよ.ってことで,自分のことを棚に上げて言いたくないので,そういう発言はよしときます..

人って,
自分がやっみて 「良かった」 と思ったことをそのまま勧めたい気持ちになりますが,それをダイレクトに伝えても “よけいなお世話” ということが多いんでしょうね.
後に続く者を信ず ってところでしょうか.

できるだけ自分なりに咀嚼して,自分なりの主観的表現に置き換えられるようになって,かつ,その情報を相手に対応させられるようになって.つまり,知見を自分のものにしてから,そのエッセンスをケース・バイ・ケースに伝えることが重要なんだと思います.

そういう意識を持って,この大学の学生向けにテキストを執筆したいと思います.

2009年4月20日月曜日

先日の「科学について」での言い漏らし


先日の記事で,触れなければいけなかったのに触れなかったことと,その他,言い残したことを書こうかと思います.

「科学とは?」 への回答として “科学的方法を用いた学問” としましたが,では
「科学的方法とは?」
ということに触れていませんでした.

さっさと言ってしまえば,
“科学者や分野によって,それぞれ”
というのが無難な答えなのでしょうが,それではあまりにも身も蓋も無いので,包括的に対応するものを紹介します.

科学的方法については,あのデカルトが示したものが有名です.
厳密に紹介するとなると,難しい用語や言い回しになってしまうので,私なりに咀嚼して示すと,

⑴ 明確に「間違いない」と判断可能な視点かどうか
⑵ 明確に「間違いない」と判断可能な対象であるかどうか
⑶ 単純な知見を解決してから複雑な知見に言及していく
⑷ 見落としがないことを確かめながら知見を構成していく

ということを網羅する営みを「科学」というのだそうです.
分かったような分からないような....

例えば ⑴ と ⑵ ですが,「幽霊」を科学したいなら,そもそも「幽霊」を科学として扱える対象かどうかを考えなければいけません.
「幽霊の体温を計りたい」 なら,これを科学することはできません.なぜなら,まず幽霊が存在することが “明確に「間違いない」” と判断できないからです.

どうしても幽霊を科学したいなら,

⑴ まず「幽霊が存在する可能性はあるか」を確かめ,
⑵ 「存在するならどういう状態か」,を定義し,
⑶ その存在はどのように確かめる(測定する)か,を模索し,
⑷ 測定したなら,その機器や測定値は妥当か,を検討する

といった具合に徐々に展開していくのです.
そうすれば,いつか「幽霊」についての科学的知見が得られるかもしれません.

実際に,「神は存在するか」といったようなことは議論されていますし,エーテルという謎の物質が空間には存在するかどうか(存在しないことが証明された)ということも議論されてきました.
身近な例では,病気とかのウイルスとか細菌とか.
目に見えない,存在が確かめられない物を,いかに 「存在するんだ」 ということを証明するか,といったことと概念としては大差ないのですから.

科学的方法について,ここでの重要なポイントは,「測定」 です.
上記から浮かび上がって来るのが,
科学が対象とできるもの,つまり,科学的方法を用いることができる対象というのは 「測定できる物」 なのです.
なんらかの方法で数値にできることが重要なのです.

話が前後して脱線しますが,,,.
幽霊の存在,ウイルスの存在 云々...と言ってきましたが,そもそも 「それ」 が存在するかどうか? っていうのは,実は非常に難しいテーマです.
では,このテーマに答えられますか?

ヒトは存在するか?

どうやって証明しますか?
できません.できないんです.
存在するということを当然として,というか無理矢理前提にして測定し,科学しているのです.いちいちそんなこと考えてたら,むしろバカかと思われるんで.

バカと天才は紙一重といいますが,幸いなことに天才だったデカルトさんは,このことについてこう考えました.

我思う 故に我あり

有名な一文ですが,ゴッツイ重要な一言なんです.

世の中のありとあらゆる物の存在を証明することはできない.だけど唯一証明できる物がある.それは自分自身の存在だ.なぜなら自分自身が存在するかどうかを考えている自分自身が存在しているからだ.という意味です.深いです.



では,小難しい話は置いといて,現代における科学的方法の具体的な手順はというと,

⑴ 先行研究の調査
⑵ 予備実験・調査,詳しい対象観察など
⑶ 仮説作り
⑷ 実験・調査
⑸ 分析・考察
⑹ 発表・査読

という流れ・方法を踏むことが科学だとされています.

実際の研究現場では,⑴ が ⑸ と一緒になってたり,⑵ や ⑶ については無意識にやってたりといったところ.
⑹ まで至らない研究も多いというのも現場を知っている人は分かってくれるかもしれません.



あと,先日の勉強会で口走ったことに,
「ニュートン力学は厳密には否定されている理論である」
ということについて.
これは物理学で言うところの “厳密には” ということであって,例えば科学の一知見としてはいまだに有用です.
でもこの 「有用」 というのがミソで,ニュートン力学を “利用” することで済まされる分野・研究(まぁ,ほとんどですが)では価値のある理論なわけです.

物理学は一切の矛盾や誤差を認めない分野です.
そういった意味では,現在では 相対性理論 に取って代わられていますが,相対性理論によってニュートン力学が全否定されたわけではありません.
ニュートン力学で十分説明できることであれば,使えば良いのです.

別に宇宙の果てを知りたいわけではないし,日常生活でブラックホールに遭遇しないよう気をつけているわけでもないですし.


また今週も勉強会がありますが,今回はどんな内容なのか楽しみですね.

2009年4月18日土曜日

科学について


昨日の大学院勉強会では 「物理学」 や 「エネルギー」 について,といった基礎的な話題をとりあげてくれました.

基礎的なことですので,話が 「科学とは!?」 みたいな方向に (なぜかハイテンションに) 進みました.
いつものことですが....

こういうことは高校生や学部ではテーマとして持ち上がることはないので新鮮です.


その 「科学とは」 というところで紹介したのですが,一般にこの 「科学 science」 という営みは,シンプルに言うと

科学的方法を使った学問

のことです.

さらに,“科学” と言われてイメージしやすい “自然科学” の場合,科学的方法を使って 「自然(世界・宇宙)」 を知ろうとする営みのことです.
間違われやすいのが,宇宙開発とかロボット作るとか.これは 「工学 engineering」 とか 「科学技術 technology」 という分野になります.

この科学の営みでは,極力,主観性を排除して数学的・統計学的に自然の普遍的法則性を説明しようとし,人間の恣意的な解釈を嫌います.

発表してくれている中でも紹介したのですが,この
「主観性を排除し・・・」
というのが結構な曲者です.

なぜか?
じっくり考えてみると,この科学という営みには 「自然には普遍的法則性がある」 というヒトの主観的考えが潜んでいるからです.

さらに,科学論文を作る過程で必要になる “査読” という作業があります.
査読というのは,科学論文を出す上で何名かの(たいていは3人くらい)査読者という判定員が,その論文を読んで科学的な知見かどうかを審査することを言います.

つまり科学とはヒトが理解できる範疇でのみ成り立つ営みであり,ドイツの社会学者であるマックス・ヴェーバーMax Weberは,「解釈を理解する学問」 と言っています.

どこまで行っても 「人が考えた知見」 を脱せないことが前提にあるわけです.

主観性を排除しようとする科学の出発点が主観性に満ちている....

「暴力はんたーい!!」 って言いながら暴徒化しているデモ隊みたいで,平和を訴えるためにバリケード作って武器持って東大キャンパスに立て篭もってた全共闘世代のような香ばしさを覚えます.


そんなわけで,科学自体が科学的でないことに気が付いた哲学者たちはこう考えました.

科学で自然は説明できない.とぶっちゃけた上で,
説明しようと日々研究するところに意義がある,と.

まるでオリンピックの参加意義みたいですが,これが非常に重要で,この考え方のおかけで科学が如何わしい存在にならなくて済んでいるのです.

科学的方法を使って 「こうだ!」 と発表した理論はいつか,科学的方法によって 「違う!」 と否定される運命を持っています.このおかけで科学は常に進化し続けることになるという寸法.

これが絶対に正しい.という理論を科学では導けません.これが絶対に正しいと思いたい(発表した本人が)理論を日々つくり続ける作業こそ科学です.

フランスの作家アンドレ・ジッドAndre Gideの言葉に,
真理を探究する者を信じよ.
それを見つけた,と言う者を疑え.

というのがありますが,科学の営みはこの言葉に要約されると思いますね.

だから,科学者の中には

 神が創り賜うし この “自然” を解明する

と本気で考えて研究している人もいます.
何を隠そう,あのアイザック・ニュートンもその一人だと言われています.

実はニュートンは科学者ではありません.
いわゆる 錬金術師 とか 魔術師 という人達の一人です.
錬金術や魔術を研究する上で数学とか物理学の知見を利用したに過ぎないとされています.
それだけの天才だったんですね.

神が創ったかもしれない自然.その神の設計図を理解しようなんて大変でしょうが,先にもあげたマックス・ウェーバーはこうも言っています.

シーザーCaesarを理解するためにシーザーである必要はない

いつか 「科学」 によって 「自然」 を理解できる日はくるのでしょうか?

2009年4月17日金曜日

引退


イチローが3086安打を達成しました.
スゴイ男です.

WBCと言い,安打製造と言い,どこまでスターダムを駆け上っていくのでしょうか?
引退するまで見届けたいものですね.

あ,引退と言えばなんですが,
私が勤めている大学の売店のおばあちゃんが引退するそうです.

まだ春の間は出てくるそうですが,ゴールデンウィーク明けからは本格的に退職.寂しい限りです.

私としても,思えば9年前からの付き合いで,おそらく学生たちが最もお世話になっている人のうちの一人.

入試の時,初めてこの大学にきた時も店頭に立っていたことも憶えています(なんかジュースを買ったんだっけか.っと言うことは10年前からか).

「ボケてしもうたらお釣り間違ごーてしまう」
とおっしゃっていますが,やめたら余計にボケてしまいますよ,と反してみました.

いやー,ホントにそれだけは心配.
ハキハキした人だけに,人前に出なくなったらガクッときてしまうんじゃないかと.

そう言えば,2年前に助手をさせていただいた教授の先生も,
「退官して何もしなくなったらボケるから,これまで以上に遊びまわらないといけませんねぇー」
とおっしゃっていました.

それを忠実に実行しているようで,ゴルフにカラオケ,トレーニングジムにと元気にやっています.
もちろん,講演会にも精力的に回っているそうです.
たしかに足取りは以前より軽くなっています.

「スポーツ科学の重要性を身をもって体感している」 とのこと.

私もこんなじーさんになりたいな,と 羨ましく思います.


その先生はこの大学に約35年間勤めましたが,おばあちゃんは45年務めたそうですよ.
なんつっても,大学が創立して以来だそうで.

大学と共に歩んで45年.歴史を感じます.

また一人,この大学を盛り立ててきた人物が去っていきます.


何はともあれ 長い間,お疲れ様でした.



「年寄りがいつまでも残ることは悪いこと.さっさと引かなアカン」

と言って笑っていましたが,その目はこころなしか赤くなっていました.

2009年4月12日日曜日

久しぶりにスポーツ観戦


今日は休日.天候にも恵まれましたので,久しぶりにスポーツ観戦に興じました.

私が学生時代に関わっていたことのある大学のクラブ(女子ソフトボール)の試合です.
試合を見に来るのは1年ぶりだと思います.

以前ブログにも書いた 「結婚する」 と言ってきた人と示し合わせて観に行ってきました.
実はその人は同級で,そのクラブの選手だった人.そう言えばこの人と会うのも1年ぶりなんですよね.

四国・愛媛の田舎の本家の長男の嫁(婿も私の知り合いですが…)になるんだと.

まぁ,その,なんだ,

御愁傷様です

大変な苦労が待っていることかと思いますが,めげずに一笑懸命 切磋琢磨してください.


天候に恵まれたのは良いのですが,恵まれ過ぎて,外での観戦だというのに,ただ観ているだけで体力が奪われる気がするほどの日射し.
これまでにも何度か日射しを甘く見て,「帰ってきたら顔真っ赤」 という状況になったことがあります.

しかし,そんなこともあろうかと今回は顔から首周りにかけてベッタリと日焼け止めクリームを塗りたくりました.
そのかいあって日焼けせずに済んだようです.

最近の日焼け止めは優秀ですね.
強力なのに白くならず,サラッとした付け心地.広告メッセージの通りです.
いやー,感心感心.化学の勝利です.
「塗ったところで大して変わらん」と思っていましたが,かなりの効果を体感しました.

にしても,同行した人とも話したのですが,うちの大学の選手たちはなんというか,ボテっとした雰囲気を持ち(また別の人曰く,“芋臭い”),エレガントでないところがあります.

それに比べて立命館とか龍谷の選手は試合中の立ち姿も “人目を意識したシルエット” になります.
別に悔しくはないけど,気にはなります.
大学の色が出るんでしょうね.


ところで,日焼けしなかったのはいいのですが,クリームの独特の臭いにやられて帰りの電車では気分が悪くなりました.
つけ過ぎるのも考えものです.

2009年4月11日土曜日

2009年度が始まりました

いよいよ2009年度が始まりました.

今年度もがんばっていきたいと思います.

第1回目の授業が昨日ありましたが,順調な滑り出しのような気がします.
でも問題はこれから,実技が始まったらまた別の大変さが襲ってきますので.

生徒だった時にはあまり気にしなかったのですが,やっぱり体育の授業は “命を預かっているんだな” と実感させられます.
生徒を信頼して任せることも大事でしょうが,安全に気を配ることの重要性をヒシヒシと感じた昨年度でした.

安全性ばかり気にしても,体育・スポーツが持つある種のスリル感やカタルシスを損なわないようにしなければいけないし,さじ加減が難しいところです.

今年もケガ人や事故を一人も出さないように気合いを入れてやっていきます.



本職現場では,なんだかよく分からないけど昨日・一昨日と,体力測定の手伝いもしました.
これまでの関係上の都合で参加しているのですが,たいそう疲れました.

でもまあ,毎年なにかしら得るものがあり,今回も今日を含めた3日間でいろいろと勉強になったことが沢山あります.大変だけれども私にとっては悪くないイベントです.

2009年4月9日木曜日

明日から授業開始


今年も高校の体育の授業をもちます.

明日からスタートです.
わけあって明日は実技ができないので,教室で漫談をしようかと思います.

昨年にはできなかったことや反省点などを踏まえて,よりよい授業を模索していきます.

受け持っている授業がちょっと特殊な授業でして,運動方法についての実技の色が強い授業なのですが,今年は身体運動だけでなく 「体育」 「運動」 「スポーツ」 というものに関する考え方を啓蒙できればと考えています.

毎度のことですが,とにかく事務連絡が遅い遅い.
今年はどうするのかヒヤヒヤしながら準備しています.

担当するクラス,時間,コマ数,つい最近知りました.
もう慣れっこですが,非常勤の身としてはどうしても気にします.


なんにしても,事務的にいろいろあったところで結局は実際に授業をやる先生の問題である部分が非常に大きいと思いますから,私がしっかり生徒と向き合えればいいだけのこと.
果たして,今年はどうなることやら...

2009年4月8日水曜日

葉桜もまた好し


私が住んでいる関西では,そろそろ桜は最盛期を過ぎてきました.

ちらほらと葉桜へと変わりつつあります.


ところで,私が桜が一番きれいだと思う期間がこの葉桜です.
それも花と葉が絶妙のバランスで混ざっている,ほんの僅かな期間.

たいていは一日だけ.
しかも太陽の光を目一杯浴びて,花,葉,樹皮の隅々に光が当たらなければいけないという条件付きで.
これが最も桜の木が輝く瞬間だと確信しています.


とにかくバランスです.
淡く輝く桜色,生き生きとした若葉色,落ち着いた樹皮の色.
それぞれが それぞれを引き立て合って 「春の色」 を最大限に表現しています.
シンプルで一見 地味かとも思えますが,贅沢で格調高い色使いにも感じられます.

上の画像コーナーには,それを象徴したものを作ってみました.
↑  こんな感じです.

分かってくれますかね.今のところ,
「う〜ん...」
と首を傾げる人の方が多いのですが.




今日はいつもより早めに自宅に帰ってきました.
大家さんがタケノコご飯を作って持ってきてくれたのです.

久しぶりにまともなご飯を食べた気がします.
あー,手作りだな〜...としみじみ.

目にも口にも春が訪れました.

2009年4月7日火曜日

ネコ発見


例の猫のことです.


今日,大家さん宅で発見しました.
家賃を渡すために伺ったところ,その庭で聞き覚えのある か細い鳴き声.
見覚えのある白と黒.

奴でした.

どうやらその後は大家さんが引き取っていたようです.

こっちのことを覚えているのかどうか,初めて下宿先の倉庫で会った時のように足に擦り寄ってきました.
だいぶ毛並みも良くなっていましたし,やつれた雰囲気はなくっていました.
元気にしているようです.


昨日は同僚の人と職場近くのダムまでジョギング&花見をしてきました.
通称 「ダムラン」 と言われる知る人ぞ知る有名なコース.ダムの沿岸に桜が植えられていて,この季節はちょっとした花見コースにもなります.

で,その桜はというと,
「たいしたことなかった」
というのな率直なところ.

迫力がなくなってきたような気がします.
以前はもう少しパーッと咲いていたような気もするんですが,気のせいでしょうか.

北の国からミサイルがパーッと打ち上げられた時も書きましたが,日本人は桜が好きです.
国花にもなっていますし(菊も),桜にまつわる歌も多い.100円玉の図柄にもなっています.
でも,桜をテーマにした歌はあまり好きではありません.「これ(桜)をテーマにすりゃ売れるだろ」 みたいな臭いがするからです.
もう少し捻ってくれたらいいのですが,それだけ私自身の心もまた捻くれているんです.


散る桜 残る桜も 散る桜
良寛(辞世の句とされている)

きれいに咲くだけでなく,潔く “散る” 姿に美しさを見いだす部分もあるのでしょう.
いわゆる “散り際の美しさ” というやつ.

桜の花は, しおれ 枯れて醜い姿を人に曝すことはありません.
パッと咲いて サッと散る.
その姿は日本人(だけ じゃないだろうけど)の人生観とシンクロします.

上記の句の意味は,
散っている桜がある.残っている桜も散り行く定めの桜である.
つまり,全ての命は等しく死が待っている ということを指します.


実は今,職場がギスギスしています.
なんとも言えない雰囲気に包まれています.まぁ,なんとかなるんでしょうけどね.
この私の性格ですから,ほぼ気にしていません.

ただ,昨日のジョギングは,ちょうどこの句を思い出すきっかけになりました.
どうせ一度きりの人生.死が等しく待っているのなら,好きなように生きようと改めて楽観的になりました.

2009年4月5日日曜日

言わんこっちゃない


いまいち盛り上がりに欠けましたね.
やっぱり昨日の内に撃っておけば良かったのです.


悲しいほど小さなニュースとして扱われました. おまけに打ち上げも失敗したようです.


今日は休日.世間はきっと花見の真っ最中. 日本人はミサイルよりも桜の方が重要です,

2009年4月4日土曜日

情けない


情熱が感じられません.
日本を火の海にするという情熱が.

北朝鮮にはガッカリです.

だいたいが,
「迎撃したら報復する」って,意味不明.朝鮮語では普通なのでしょうか?日本語ではコレ→,“迎撃したら報復” って意味がわかりません.道理がない気がする.

それに弾道ミサイルを撃ち込むのに天候もクソもあったもんじゃないでしょう.
風が吹いたら様子見で,雨が降ったら中止ですか?カメハメハ王国じゃあるまいし,気合を入れて発射してほしいものです.

各国は気合を入れていたのです.
「発射すればタダではおかない」とオバマ米国大統領.
「ギリギリまで説得する」と中国・胡錦涛国家主席.
「領空に飛来したら撃墜」
とロシア.

右往左往するのが日本と韓国.情けない.

でも,
最盛期を迎えた日本海の漁港では,
「おれらは上を見て仕事はしない」
と余裕の漢たち.


一方で,
東北自治体では 「ミサイルと言うと問題があるかもしれない.飛翔体と言うほうが無難」
だとか,どうでもいいことで悩み,
日本政府は「発射された」と大誤報.

「ミサイル発射の誤情報は海外メディアをも混乱させた」
と朝日新聞.海外メディアねぇ...,しっかりと海外メディア(=中国,韓国)にすり寄っております.

でもって社民党の福島瑞穂氏は
「政府の大失態ではないか。間違ってミサイル防衛で迎撃していたら、先制攻撃にもなりかねなかった」
と,バカ丸出し発言.
発射されてないミサイルをどうやって迎撃すんだ?知らないんだったら言及しない方がいいという良い例.

そんなこんなに 「どうなっているんだ!」 と東北住民.
翻弄され政府に不信を抱いている,というその頃,当の東北・青森では,美しすぎる市議会議員・藤川優里氏 (写真) が 「世界一美しい女性政治家」 第1位に輝いていました.
なんたる痴態.万死に値します.東北からは緊張感が感じられません.

その後,日本のニュースはビーチバレー・かおる姫の初勝利に沸いていました.スポーツに身を置く者としてはガッカリなニュースです.
ミサイルのことは無かったことのように扱われ,ビキニ姿に彩られるニュースサイト.
平和ですなぁ...

2009年4月2日木曜日

発射間近


テポドンがいよいよ発射されます.



不謹慎ながらも楽しみですね.


もし犠牲になった方がいたら,まことに無念かと思いますが,
「どっかに着弾してくれないかな~」
とも思います.

そうなってやっと日本も本気で “国家の安全” を考えるようになるのではないかと思うからです.

保守派とされている人達も,口では 「中止させろー!! でなきゃ迎撃だー!!」って言ってますが,腹の中では 「誰か犠牲になれ・・・,そうなれば我が理想が実現する・・・」 と考えているんじゃないですか.


見事に恥さらしな結果 (発射前に爆発.自国に着弾.発射してないのに発射したと言い張るetc...) となるのもオモシロイ.

先日紹介したの食堂なんかで,それこそ 「テポ丼」 とかいうメニューを作ってほしいものです.
鳥の唐揚げのキムチあんかけ丼 みたいな感じで.
そうしてくれたらこれまでの評価が一変します.見直します.

2009年4月1日水曜日

エイプリルフール・カフェ


年に一度のエイプリルフールなので大きなウソを書こうかと思いましたが,ありきたりで面白くないので普通に書きます.

でもウソにちなんだことを書こうかと思います.

私はコーヒーが趣味だとプロフィールに書いていますが,それが実はウソです.

趣味ではなく好物なのです.

この私の好物を 「趣味」 というカテゴリに入れたのは周りの人.

「趣味は?」
と聞かれて答えるものがない私は,「渡りに舟だ」 とばかりにそれを趣味として自称するようになったというのが経緯.
これで お見合い 対策はバッチリです.


趣味? だと言われるだけあって,まったくコーヒーに無頓着なわけじゃなく,よくある 「カフェインを入れる」 的な飲み方はしていません.
やっぱり味にはこだわりたいので淹れ方には工夫と一手間をかけます.

基本 インスタントはNG.
昔はどのインスタントにしようかこだわっていましたが,今ではインスタントを飲めないほどになってしまいました.
香りとさわやかさが違います.

以前は 「そんなもん変わらんやろ?」 と思っていましたが,やっぱりわかるようになります.コーヒー好きにはわかってもらえるところでしょう.

それこそ,違いが分かるようになった部分としては,
(1) 豆の産地.
これは結構わかる.ブラインド状態で飲んで産地を当てる.とまではいきませんが,“違うな” という区別はつくようになります.
今まで飲んだ中で個人的にNo.1なのは,某コーヒー豆屋が出しているキリマンジャロ産の豆です.
味はしつこいっちゃしつこいんですが,嫌味のないしつこさ.その個性的な風味が他の豆と差別化されています.もともとキリマンジャロ産は個性的な味ですし,それでいて刺々しくない豆でした.

逆にどの店で売っている豆でも一律でおいしくないのが,ハワイ産.コナという名で知られていますが,私はダメ.個性的過ぎる.世間じゃ人気豆ですが,私はNG.
個性的だったらいいんでしょ.個性的だったら人気出るんでしょ.みたいなオゴリが見えるようで好きになれません.
キリマンジャロは個性的な中にも世間擦れした大人の品格が漂いますが,ハワイは目立てばOKみたいなバカっぽさが漂います.

(2) 鮮度.
これは粉,つまり挽いた後でより強く感じるようになります.やっぱり挽きたてがおいしいですね.これも飲み慣れてきたら感じるところ.昔は気にしませんでしたが,分かるようになってくると気になります.

(3) 挽き方
短期間の内に飲み比べないとわからない程度ですが,同じ豆をカッター式とひき臼式のミルとで飲み比べると,やっぱり違います.安いカッター式だったからかもしれませんが,ひき臼式のミルと飲み比べると味が全然違ったので,以来ひき臼式のミルでしか淹れていません.


でも,基本はおいしければ良し.
この豆がどう,煎り方がどう,とかっていうこだわりはありません.
豆の味はマイスター(焙煎士)に因るところが大きいでしょうし,どういう焙煎が一番いいかなんて,ただのコーヒー好きが判別できるわけもなく.いろいろな店,いろいろな豆を買って比べて,その “違い” を楽しんでいます.

あと,コーヒーって体調や気分に応じて味がガラガラと変わるのも不思議で面白いところ.
嫌な気分の時はホントに不味い味だし,落ち着いている時はスーッと胃の中に入って後味もスッキリです.
「コーヒーを飲んで気分を変える」 っていうのは出来ないと悟りました.
コーヒーはその時の気分を映す “心の鏡” のようなものです.


で,
結局,コーヒーに対するこだわりと言うか気にしているのは鮮度だけ.豆や粉を冷蔵庫にいれるのは基本中の基本.でもそれだけ.
趣味とは言い切れないところだと思っています.

淹れ方は,ハリオ社から出てるネル形 (円錐形) ペーパードリップ:V60を使うことくらいでしょうか?
通常のペーパードリップよりあっさりで,そして優しい味になります.おススメです.

というわけで,今宵は(も)誰もいなくなった職場で “一人 コーヒーを飲みながら音楽を聴きつつネット” という至福の一時.

今年度ものんびりやります.