2009年10月30日金曜日

昨日の続きかもしれない2


今日は学生から誕生日祝いとしてリキュールをいただきました.
こうして祝ってくれる人がいること,幸せなことです.ありがとうございます.

「ゆずリキュール」
ゆずにはちょっとした思い入れがありまして,気分的にも味わい深いものがあります.
ちょうど今これを飲みながらブログを書かせてもらっています.


明日から福岡に行ってくるのですけど,昨日・一昨日とその県で起きた船舶衝突事件をテーマに記事を書いています.
ついでですから,もう少しこの件について触れておこうと思います.

昨日はメディアの腐敗を指摘させていただきました.
海上保安庁や自衛隊に落ち度が無いことがわかった瞬間,水を打ったように静かになるマスコミ.
静かになるならまだしも,いまだに一部メディアでは “なんとかして” 海自や海保にミスが無かったか,韓国船を擁護できるところはないか,と血眼(ちまなこ)になって探すという恥をさらしています.

これは日本の報道・マスコミといったメディアの性格であり,救いようのない欠陥です.
「真実を伝えよう」 というジャーナリズム精神が無いことが,日本のジャーナリズムの特徴なのです.
これは今に始まったことではないですし,むしろ最近はだいぶマシになってきたと言われています.しかし,ゴミ(マスコミならぬ,マスゴミ)は所詮ゴミでしかないので,これは自浄しようがないものだとも言われています.

「ゴミからはゴミしか出てこない」
統計学の世界の格言です.
ゴミが発する情報にはゴミしかないということと一致します.


では,そのゴミ達に共通するパターンとは何か? いくつか挙げてみましょう.
まず,韓国,中国に対する異常なまでのおもねり・偏り報道.
さすがに最近は北朝鮮には厳しくなりましたが,数年前までは拉致問題など取り上げもせず,むしろユートピアだと報道していました.

これはメディア関係者に共産主義・社会主義者が多いことに起因しています.
いい加減目を覚ませばいいのですが,いかんせんメディア関係者には間違いがわかっても頑固に主義を主張したがる人が多く,困ったことになっています.

アメリカやフランスの核武装についてはうるさいくせに,中国や北朝鮮が核武装することについては何も言いません.でしょ?不思議でしょ?
つい最近までは 「中国の核は良い核だ」 とぬかしていました.


次に公的機関への必要以上のバッシング.
論理的思考,法的根拠,状況把握といったところを一切おさえずに報じるという暴挙をよく行います.誤報と言っても差し支えないほどのウソ・妄想を平気で垂れ流す特徴があります.
今回の船舶衝突事件でもそれが顕著です.

国家,公,権力といったことに “とりあえず” たてつくことがカッコいい,と思っている節があり,このせいで政治,公務がうまくいかなくなっています.
「公務=悪務」 の図式でしか考えられず,元々頭が悪いからしょうがないかもしれませんが,まともな政治的思考に基づく報道ができません.
例えば税金について話をしようもんなら,発作を起こしたように時の政府を叩きます.なぜ税金を上げるような状況にあるのか,その説明なんて報じません.

そのくせ税金の使い道に関する “取材” を独自にしないので,税金が上がったら上がったでこの話題には一切触れなくなります.なのに「国民は税金の使い道に無頓着」 とか言い出す始末.もうね,アホかと.バカかと.
あの長妻議員(現厚労省大臣)が調べて公表するまで,自分たちでは何もしないのが日本のメディアです.日本のジャーナリストは面倒くさがりやです.

あと,靖国神社問題などで政治と宗教の分離について(例によって中国・韓国の話題を交えながら)報じるくせに,創価学会(公明党)については積極的に取り上げません.申し訳程度に話題にしますが,追求しません.
理由は簡単.メディア関係者には創価学会員が多いからです.自分たちの批判はできんのです.
他にも,アメリカの大統領就任時の宣誓で,大統領が聖書に手を置き牧師や神父に誓いの言葉を述べることには一切触れません.
理由は簡単.頭が悪いからです.そこまで頭が回らないのです.端的に言って末期のバカなのです.

そしてこのバカは事件を捏造します.
沖縄のサンゴにKYって文字を彫り,「サンゴに傷をつけるダイバーがいる」と報道します.
KYの意味は本来「朝日新聞」という意味でした.その後「空気読めない」に変わります.さらにその後,麻生総理を取り上げ「漢字読めない」という意味として広めましたが,これは最初のKYを隠すためにやっていることです.


ゆずリキュールのせいか,言葉が過ぎてしまいました.
まぁ,日本のメディアはこんなもんだ,ということが解ってくれたら幸いです.

2009年10月29日木曜日

この異常なメディアたち

一切しゃべらなくなったと思ったら案の定.
このザマですよ,日本のメディアは本当に腐っています.

昨日の自衛艦・コンテナ船衝突事件のことです.

調べてみたら,やっぱりコンテナ船の暴走操舵が事件の真相でした.
おまけに今日わかった事実が,コンテナ船が自衛艦の進行をほぼ横向きになって妨害していたこと.舵切り過ぎだっつーの.
やはり途方も無いバカだったのです.

でも,これと伝えるメディアがいない.
昨日は意気揚々と「自衛艦がー..」「海上保安庁がー..」とまくしたてていたTVや新聞も,今日はお通夜のように黙り・・・.
韓国側が絶対的不利な状況になったからでしょう.無視を決め込んでニュースにもしません.

これだから猛烈な勢いでメディアへの信頼が低下するのです.
まだ新聞やTVが真実を語っていると思っている人が多数を占めるからいいものを.あと数年もすれば日本の報道なんてすべてゴシップ記事だとバレちまいます.
NHKだけが信用できるニュースだと信じている爺さん婆さんはいますもんね.
残念!世界で一番信用できないメディアがNHKなんですよ,おじいちゃん.


今回の件で,そう言えばと思い出したので調べてみました.
「イージス艦衝突事件」
今から1年半前くらいのことです.
日本の最新鋭イージス艦「あたご」と漁船が衝突し,漁船乗組員である2人が死亡しています.
当時もイージス艦の不祥事をメディアが大々的に取り上げ,大臣をはじめ自衛隊幹部が何人か辞職した事件です.

で,あの事件,結局どうなったのか? メディアはやはり伝えていません.

事件は裁判となり,生きている自衛官側は 「監視不足による過失致死」 として裁かれましたが,最終的な解釈としてはイージス艦と漁船,双方の不注意による衝突とされています.
なんともメディアとしてはつまらない事件になってしまった,といったところでしょう.
船の常識で 「漁船側に回避する義務がある」 ということがメディア受けしなかったようです.

今回の衝突事件にしても,「海上保安庁の管制による指示が〜」 とかほざいてましたが,その “管制” の意味,そしてコンテナ船がとった行動の真相がどれだけ船舶関係者からバカにされる内容かに気づいたとき,これ以上 火に油を注いでも恥ずかしいだけだからと黙りを決め込んだのでしょうね.

せめて誠実に真実を伝えればいいだけだろうに.それすらできない今回の事件はメディアの腐敗を象徴するものです.

2009年10月28日水曜日

かんせん


インフルエンザが私の周りの人を襲っています.
この辺の地域でも感染が拡大していますが,皆様はいかがでしょうか?
気をつけないと大変なことになりますご自愛ください.

特にうがいと手洗いを徹底してください.
※しかし,インフルエンザに対する「うがい」について,その予防効果は懐疑的である.ただ,咳をしている人の前に立っていた等で唾液を吸い込んだ場合は至急(20分以内に)うがいをすると良い.それ以上は手遅れ.

アルコール消毒か30秒間の流水による手洗いが最も効果的です.
なぜかと言うと,インフルエンザ・ウィルスは飛沫感染経路なので,唾液などの体液を介して感染します.
どのように感染するかというと,ウィルスを含む唾液などが着いたドアノブやバーベル(?)を触ると,その手にウィルスが付着します.
で,このウィルスが手に着いた状態で目をこする.物を掴んで食べる等した際に口・目などの粘膜に入ってしまうからです.というか,インフルエンザの感染経路はこれによるものですから.

私はまったく感染する気配がありませんが,「かんせん」と言えば,自衛隊の艦船である護衛艦「くらま」と韓国のコンテナ船が正面衝突して大炎上したそうです.

事故ったところが,近々 出張予定である土地でもありまして,気になるところです.


どうやら,コンテナ船が幅600mの海峡で無理に追い越し操舵をしようとして引き起こした事故のようです.まったくの暴走行為と言えるでしょう.
が,今現在の最新ニュースでは海峡の管制をしている海上保安庁が暴走操舵を指示したとの報道もあります.

そのTVを見たら,キャスターが喜び勇んで 「海上保安庁のミスだ」 と報じていました.

バカ言っちゃいけない.指示があろうがなかろうが追い越し出来ない状況だったのだから,そこで追い越した奴が100%悪いに決まってる.
ニュースを見る限り,コンテナ船は当初,前の船の右側を追い越そうとしていたようですが,それを海上保安庁の管制は,右側は危険だから「左側で追い越せ」と指示しただけで,「すぐ追い越さないといけない」とは言っていない.

対向船がいるのに追い越そうとしたバカを棚に上げて,海保の管制官のミスだと騒ぐTVに呆れます.そろそろTVの報道も末期ガンのようです(合掌).

追い越すか追い越さないかは各船に任されているのですから,そこで事故ったかどうかは各船に責任があります.

だいたいが,関門海峡で追い越しをしようとする時点で相当なバカ.死ななかっただけ良かったと思った方がいい.


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産経新聞 2009.10.28 22:09
交信によると、事故直前、センターが船に「後ろから接近している船がある」と連絡。船から「左側を追い越して」と回答があった。センターはカリナ・スターに船の回答を伝え、「前方から護衛艦が接近している」とも連絡したところ、カリナ・スターは「了解」と応答した。 
カリナ・スターを運航する南星海運(ソウル市)によると、船長も「右側から追い越そうとしたが、左側から追い越すよう指示され、従ったところ(護衛艦と)正面から衝突した」と話しているという。
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なんてシュール.この記事読んで爆笑してしまったのは私だけでしょうか.
産経の記者が,笑いを誘うために無理矢理こんな記事にしたんじゃないかと思うほどです.
これ,事実なんでしょうか?
前から護衛艦が来てるよ.って言われたのに指示通り追い越したらぶつかった.とか話してるんだって.

バカの極み,ここに見たという感じ.
どうすればここまで圧倒的なバカになれるのか気になるところですが,その生い立ちはバカにしか解らない部分なのでしょう.
ここまで壮絶なバカだと,呆れを通り越してむしろ愛しさが溢れます.

指示を無視して右側を通って座礁してたら軽度のバカで済んだのですが,衝突して炎上してるんだから重度のバカです.救いようが無いのです.

それでもまぁ,賠償してくれりゃそれでいいのですが,かの国だけに賠償しない可能性もあったりで,バカな上に迷惑な事件となりそうです.

2009年10月25日日曜日

優先座席 再考


今日は電車に乗ってきたのですけど,「優先座席」なるものに座って帰ってきました.
自らのポリシーを自ら試す良い機会だと考え,思いきって座ってやりました.

座っている間,ずっと優先座席について再考.
以下にその考察を示します.


高齢者,身体障害者,ケガ人,妊婦を優先的に座らせるために設けられた座席,それが優先座席です.電車やバスに設置されています.
かつては “シルバーシート” と呼ばれていましたが,“高齢者専用座席” ととられかねないシルバーシートという呼び名は最近は改められています.そう言えばいつからか呼ばなくなりましたね.

私はこの座席システムに反対です.
座りたい人は言えばいいのです.「私,座らなければ大変なので譲ってくれますか?」と.

座らなければいけないほどの状況に追われている人は譲ってもらうようアクションをかけるでしょう.
「譲ってもらうのは気が引ける」などと,それができない時点で,座るほどのことではないのです.厳しいこと言うようですけど.立てる人は立ってればいいのですよ.

「あの人,大変そうだな..」と思えば譲も良し.「優先座席だから」と譲るのは気味が悪いですよ.

それにですね,
この優先座席,多くの場合,各車両に4〜6席ほど用意されていますが...,
7人以上高齢者や障害者が入ってきたらどーすんでしょう?

優先座席は6席しかないから残念!なんてことはないでしょう?
譲る時は譲るし,譲ってほしい時は優先座席に関係なく譲らせればいいのですから.

あとですね,
障害者 “だから” とか,ケガ人 “だから” 譲るという,この “だから” というのも私は気に入らんのです.
仕事に疲れ果てたサラリーマンと,馬鹿やって障害が残った “バカ障害者” や自爆した “バカケガ人”.
私なら前者を座らせたい.

結局は,「立てるなら立つ」「立ちたいなら立つ」 の精神がいいような気がします.

とにかく,私の目には欺瞞に満ちたシステムとしか映りません.
考えれば考えるほど破錠するんですから.
四の五の言わずに思いやりを持った社会をつくる方が先です.

2009年10月24日土曜日

特殊部隊


このまえ,大学院の特別演習にて米軍シールズ(Navy SEALs)のトレーニングをDVDで見る機会があり,その過酷な内容に, 「うちの大学のクラブもこれくらいやらんとな」 という,おバカな意見を交えつつ談笑したものです(授業しろって).

こういう威勢のいいDVDを見てしまうと面白がって指導してみたいと思うもんですが,やらされる側としてはたまったもんじゃありません.
サッカーとか野球をやりにきたのに,なんで浜辺を這いずり回ったり,放水されながら腕立てせにゃならんのだと.鬱になるでしょう.


ところで,シールズってのは米軍の特殊部隊ということで有名ですが,他にも “特殊部隊” と称する部隊はいっぱいあって,ざっと挙げても ・グリーンベレー,・レンジャー,・デルタ・フォース,・スワット(SWAT),・サット(SAT)などなど.

どれがどういう特殊部隊で,何がどう特殊なんでしょうか?
まず用語の定義ですが,特殊部隊というのは通常の歩兵部隊(小銃もってドンパチ騒ぐ部隊)には課されない特殊な任務を行う部隊のことです.
主にゲリラ戦,偵察,心理戦,隠密での水中や空挺,対テロ,破壊工作,人質救出といった特殊作戦を行います.たしかに普通の部隊では無理ですね.
よく似た用語にコマンド部隊というのがありますが,これは軍隊のなかで空挺や偵察,ゲリラ戦といった突撃作戦に特化した部隊のことをいい,一言で言い表せばシュワルツェネガーみたいな隊員がいっぱいいる部隊です.

そしてシールズですが,米海軍に属する特殊部隊で,正式にはNavy SEALsといい,SE(海),A(空),L(陸) をそれぞれ表しています.その名の通り陸海空問わず作戦行動がとれる部隊です.世界最強とも言われています.
もともとは,ベトナム戦争の時に苦戦した米軍が必要に迫られて作った部隊で,水中や隠密作戦が得意な人たちです.でも意外なことに通常の陸戦は得意ではないそうです.さすが海軍,陸には興味がありません.

よく似たのに米陸軍特殊部隊であるグリーンベレーがあります.シールズが陸戦が得意でないのに対し,グリーンベレーは陸戦が得意で,この部隊の有名人にジョン・ランボーという鬼神隊員がおります.ヘビを食べて石投げてヘリコプターを撃墜したりと,主にゲリラ戦を得意としています.
ほかにも米陸軍にはデルタフォースという特殊部隊があります.でもアメリカ政府は公式にはこの部隊の存在を認めず秘密にしています.秘密部隊という設定ですがバレバレです.対テロと人質救出を主任務とし,ヘビを食べたり弓矢を放つような任務はしません.

デルタフォースってのはイギリスのSAS(特殊空挺部隊)をお手本に作られました.SASは世界最初の特殊部隊でして,イギリスは他にもコマンドーというコマンド部隊も世界最初に作っています.第二次大戦のころです.

これら特殊部隊に言えるのは,「この任務にはこの部隊」 という指針がないということ. きっと各省庁で任務の取り合いという裏事情があんだろうな,と思います.

あと,レンジャーというのが自衛隊にありますが,実はレンジャー部隊と言う特殊部隊は存在しません.よく誤解されているそうですが(私も知りませんでした),レンジャーというのは特殊訓練に合格した隊員の資格のことで,日本の特殊部隊として有名どころは陸自のSFGp(特殊作戦群) と海自のSBU(特別警備隊)です.
以上が軍隊の特殊部隊.軍隊だけに,主に国外や外圧に対する仕事です.
一方,国内で起きる凶悪犯罪やテロ,ハイジャックなどへの対処は警察が管轄ですから,警察も特殊部隊をもっています.
日本はSAT(サット) ,アメリカではSWAT(スワット)が有名です.有名なこれらの部隊は警察管轄なのです.

北朝鮮の工作船は国外問題ですが,対処するのは海上保安庁のSSTという特殊部隊です,海自ではなくて.
ご苦労様です.

2009年10月20日火曜日

速読のこと


一時期,私も 「速読」 に興味を持ったことがあります.
「速読」 っていうのは読んで字のごとく,速く読む技術のことです.

今から6〜7年前くらいになるでしょうか,トレーニング指導などを大学のクラブチームを対象にやっていたのですが,提供するトレーニングのレベルアップであったり,それだけでなく 「知識の幅を広げなければいけないな」 と思い知る出来事があって,多方面の分野の知識を得なければいけないなと思うようになったのですが,なかなか勉強の時間がとれないものです.
「もっと多くの情報を速く処理しないと..」 と感じるようになり,そんな時に手に取ったのが速読を紹介する本の数々でした.

記念すべき最初の速読本は 中谷彰宏 著『超高速右脳読書法』.この本から私の人生が変わりました.
他には,西村晃 著『速読・速解の技術』,斉藤英治 著『べんり速読術』,寺田昌嗣 著『フォーカス・リーディング』,ポール・R・シーリィ 著『10倍速く本が読める』など.
速く勉強するためにと,栗田昌将 著『一夜づけ超スピード勉強法』,鷲田小彌太 著『スピードシンキング』,和田秀樹 著『受験は要領』,同『スキマ勉強法』,野口悠紀雄 著『超勉強法』とかに目を通してみたんですけど.

結局,身に付かなかったんじゃないでしょうか.

こういうHow to 本や解説書を読んでも身に付かないものなんじゃなかいと思うんです.
やっぱ実施あるのみ.

どこの誰だったか,雑誌か立ち読みした本だったかもしれませんが,「速読を身につける一番効果的な方法は,たくさんの本を読むこと,そうすれば嫌でも身に付く」 というのが印象的で,それ以来,手当り次第に本を手に取るようになり,今に至ります.


で,ある程度は読む速度が向上したんじゃないかと思っています.
「速読のコツは?」と言われるとなかなか「こうだ」とは言えないんですが.
でも,なんとなく掴んだものがある気もしますよ.

いつか学生から「速読って知ってますか?」 って聞かれたんでこう答えました.
「カップラーメンを作ったことあるやろ? 何度もカップ麺を作っていれば,新発売のカップ麺を作る時も,『お召し上がり方』の文の最初の “②かやくと粉末スープを...” の場所まで読んだだけで作れるようになるやろ? そういう感じや」

速読って,多分そんな感じです.

2009年10月18日日曜日

新幹線と疲労感


東京 2日目.

新宿に用事があったのですが,それは昼からなので時間が結構ありました.
こんなに暇なら今日の朝一で新幹線 or 飛行機で来た方がテキパキしてよかったかもとは思いましたが,たまにはゆっくりするのもいいものだと信じ込んでブラブラすることに.

とは言っても結局行く場所が思いつかず,駅前のビックカメラで家電をブラブラ見てまわることにしました.
研究に使えそうな機器とか,新しいPC,Macの展示とか,大型モニターとか,目ぼしをつけている携帯電話とか.
なかなか普段は見て回れないので一泊した甲斐はあったかも.
実際に見て触れる機会は貴重ですから.特に私のようにネットショッピングが主な者にとっては大事な行事です.

で,用事を適当に済ませて帰ることに.
ビックカメラでウィンドウ・ショッピングするために東京に来たようなものでした.


こういう日本縦断も慣れてきたもので,まったく疲れなくなりました.
以前は新幹線使ってホテル泊まって,ということをすると疲れていたのですが,慣れというのは凄いものです.
名古屋を通り過ぎても「あー,ここが名古屋か...」 なんて感慨にふけることもなくなりました.京都も今では普通の通過地点になっています.
けっこうな距離の往復のはずなんですけどね.

そもそも,この “大移動” の疲れって何なんでしょう?
考えてみれば,“ずっと座って,たまに歩いて” ,って,特に疲れる要素はゼロのはずですよね.むしろ疲れが取れそうなもんですから.
経路を間違えないように気を張っていたりだとか,大人数の前にずっといるだとか,そういうことが慣れていない間は疲れる要素なんでしょうか.
座り続けるよう強制されている感が原因の可能性もあります.


新幹線の車中では,行きは 村上春樹 著『パン屋再襲撃』を,帰りは 杉晴夫 著『現代医学に残された七つの謎』 を共にしました.
この2冊,かなり面白かったので時間が過ぎるのが早く感じました.この2冊が今回私が疲れなかった原因なのかも.
特に,杉氏の著書では生命科学への貴重な提言がなされており,また別の機会にとりあげようと思います.

あと忘れちゃいけないのが駅弁(車内弁).
行きも帰りも変に時間がなくて駅で買えなかったので車内販売を利用しましたが,どちらも当たりでして.
最近の駅弁は美味しいですね.昔と比べると,なんというか,ジューシー.パサつき感がなくなっています.

以前,大阪—岡山間の車内で神戸牛を使った 「すき焼き弁当」 なるものを食べたことがあります.
知ってますか? 発熱剤が弁当の底に入っていて,グツグツ湯気を出しながら食べることができたんですよ.
今でも売ってるんでしょうか.それを食べたのが10年くらい前ですからねぇ.
10年前ねぇ...
結構 昔の話になってしまいました.
あの日々が10年前だとは....


新幹線を楽しんだ東京出張でした.

2009年10月17日土曜日

東京へ

今日は大阪市内での仕事の後,わけあって東京へ出てきました.

新幹線で新大阪から東京へ.
夜の9時になるというのに活気のある街です.大阪もそうですけど.


この東京,ここ数年 何度か足を運ぶことも多く,街もだいぶ見慣れてきました.
ただ,少し思うところが一つ.

関西での生活が長くなってしまったからかもしれませんが,やっぱり東京の方が変な人が多いです.
電車に乗っていてもそう思います.見渡す限り奇人に見える人が多数を占めます.

目付きが異常です.普通じゃないような人がちらほら.というか,きっと普通じゃないんでしょう.
昔は “東京” と言えば田舎者が集まっているところと言われました.田舎から上京して一旗挙げようという人が多数を占めたからです.
今は異常者が集まっているところと言えるでしょう.異常者でも許されるような雰囲気が漂っているからです.さまざまな価値観が許される場所だとも考えられます.
能力のある人も多いけど,バカも多い街.それが東京です.


ホテルに着いてこれを書いています.
サービスでツインルームになりましたが,ベッドが二つになっても身は一つ.
あまり嬉しさはありません.

1階にあるコンビニでビールとリキュールを買って,わびしい夕食.
部屋のテレビで映画を見ています.VOD(ビデオ・オン・デマンド)なので好きなものが見れます.
こんなところでアダルトビデオを見るような趣味はないので,普段なかなか見れない洋画をお酒とともに楽しもうと思います.

やっぱり朝食付きがいいですね.
適当なレストランや喫茶店で食事と時間を潰すのが苦手な私としては,朝食付きのホテルが気楽でいいです.
明日はせっかくの休日.ゆっくり東京を楽しんでいきます.

で,明日はというと,新宿の近くで用事を済ませ,そそくさと帰る予定です.
ここは私にとっては,特に楽しめる街ではないですから.

2009年10月14日水曜日

銃について


借りて読んだので手元にありませんが,村上春樹 著『1Q84』に以下のような記述があります.
「物語に銃が出てきたら,そこからは弾が発射されなければならない」

たしかにね.

撃たれることがない銃がアイテムとして物語中に出てくる意味がないし,弾が発射されなきゃ銃としてのアイテムの価値がないというものです.
出てきたからにはどこで使われるんだろうという読者の期待もありますから,小説中では銃というアイテム,ギミックが出てきたら必ず発射されるシナリオにあるということです.

『1Q84』での銃の役割は結構大きいですし,その小説でも発射されたかどうかは実際に読んでみてください.


ということで,というわけではないですが,最近,星川武 編『図説 世界の銃』なるものを買って眺めてみました.
銃の歴史から,名銃,珍銃,未来の銃と,銃についての細かいところを解説した本(雑誌)です.

で,以下に銃のうんちくをいくつか...


印象深かったのはAK-47(通称・カラシニコフ)というアサルトライフルについての記述.世界で最もリーズナブルで性能の高い銃.史上,最も人を殺した銃でもあります.
AK-47ができるまでの開発秘話や開発者の想いが載っています.
これを全体的に読んでみて,“性能の高い銃” と言われているのは,破壊力や命中精度ではなく,「信頼性」 だということに気づかされます.

砂漠,寒冷地,ジャングルと,いかなる環境下でも弾詰まりや故障無く扱えることが重要な性能なのだそうです.

カタログスペックが通用しない世界.
野球で言えば,ブルペンエース(練習やW-UPでは最高の成績・パフォーマンスを発揮する投手)などではなく,内容はどうでもいいから,とにかくアウトを3つ獲れる投手が重要だということと一緒です.

拳銃で言えば,リボルバー(弾倉が回転する銃.お巡りさんが持っている銃)は弾数が少ないけど弾詰まり(ジャミング)を起こさないということで現在も重用されています.
あの世界最強の殺し屋・ゴルゴ13(架空の人物)やルパン三世の相棒・次元大介が携帯する銃もリボルバーです.信頼性が大切なのですね.

007ことジェームズ・ボンドが愛用する銃はワルサー・PPK(消音付き)が有名ですが,実は最近の作品ではワルサー・P99(上の写真)に変わってるそうです.
ワルサー社は人間工学的に扱いやすい銃を開発しているそうで,スパイであるボンドが愛用する銃としてふさわしいコンセプトです.
ちなみに,007はダブルオーセブンと読みます.ゼロゼロセブンは間違いです.

ダーティー・ハリーで有名になった銃にマグナム銃というのがありますが,“マグナム” というのは正式には銃の名前ではないそうです.てっきりマグナムという銃があるのかと思いきや,「マグナム」という弾(火薬量が多く,破壊力が高められた弾)を使用できる銃のことをマグナム銃というのだそうで,本来は弾の名前のこと.
ちなみにダーティー・ハリーが使っている銃はS&W・M29という銃です.

ちなみに,そのマグナム弾の中でも最強のマグナム弾(.50AE)を専用に使用できる銃ということで,実質世界最強の銃の名をほしいままにしているのがイスラエル製「デザートイーグル」.
気持ちよくぶっ放せるのでアメリカでは愛好家も多いんだそうです.アメリカ人は狂っているようです.

ワルサー,S&W,ベレッタ,H&K,コルトといった有名な銃の製造会社は全て海外.
では,日本製の銃の性能はと言うと,お世辞でも最低なんだそうです.
戦前の日本製の拳銃には「自殺銃」という,撃って殺した数より暴発で自爆死した数の方が多いという劣悪な銃も開発されていました.敗戦に一役かったようです.
戦後はだいぶマシになりましたが,それでもまともに撃てる銃はなく,自衛隊の訓練では弾詰まりが激しいからってんで,口で「ダダダダダダッ」で言いながら撃ち合っているそうです.マジです.
そんな訓練したくねー!
悲しくなってしまいます.

2009年10月13日火曜日

アイデアのしっぽ

両・手根部を負傷してしまい,パソコンのタイピングに影響が出ています.
昨日,自転車で回転・転倒し,大根おろしのように手を擦りおろしてしまいました.もみじおろし状態です.


夕方頃にいい研究のアイデアを思いついたんです.
これは結構いけるといい気になっていました.同僚の人と話し合ってみると,さっそく明日に予備実験をして,結果がどんな傾向になるか確認してみようということに.

ところが,よくよく調べてみると先に同じこと考えてる人がいて論文としても出ており,オリジナリティの高い発想だとは言えないことが発覚.
面白い内容だっただけに残念です.

が,ここで諦めたらもったいないのでデータ解釈の視点を変えてみるつもりです.
似たようなことであっても,視点が変われば別物になることだってありうるのですから.

わけあって実験&データ整理を今週の金曜日までにまとめようということになっていますので,ぐずぐずしてられません.

良いアイデアはなかなか生まれるもんじゃないですから,そのしっぽを掴んだら放さないようにしないと.


手が痛くてタイピングがしんどいので今日はここまで.

2009年10月11日日曜日

誕生日


本日・11日,横田めぐみさんが45回目の誕生日を迎えたそうです.


北朝鮮による拉致被害者横田めぐみさん(拉致当時13歳)の45歳の誕生会が11日、新潟市内のホテルで開かれ、両親の滋さん(76)、早紀江さん(73)がめぐみさんの同級生や当時の教諭ら約50人とともに、一日も早い帰国を願った。
新潟での誕生会は、めぐみさんが卒業した市立新潟小の当時の校長で、「救う会新潟」会長の馬場吉衛さん(88)らが主催し2回目。5日の誕生日から初めての日曜日に開かれた。
中学の同級生でプロバイオリニストの吉田直矢さん(45)が生演奏を披露。
滋さん、早紀江さんはケーキのろうそくに火をともし、めぐみさんの代わりに吹き消した。
早紀江さんは「めぐみは45歳になり、考えられない年月が過ぎてしまった」と振り返り、滋さんは「来年こそは(帰国した)お祝いの会を開かせていただきたい」と力を込めた。
2009年10月11日 読売新聞



13歳からですか...32年ですね.
たしかに考えられない年月が過ぎてしまったのでしょう.


32年ほどではありませんが,かくゆう私も今日,考えられない年月が経ってしまいました.
ホテルも生演奏もケーキもろうそくもありませんが,これからも元気に生きて行きます.

2009年10月10日土曜日

ハッブル宇宙望遠鏡


渡部潤一 監修『ハッブル望遠鏡で見る宇宙の驚異Solar System Simulator Project 著『太陽系シミュレーター』,そして,国立天文台4次元デジタル宇宙プロジェクト 著『宇宙旅行シミュレーション』 という3作品をまとめ買いしてみました.

いずれもCDやDVDが付属している本でして,ちょっと値が張りますけど,それを補ってあまりある価値あるものだと感じました.

左上の写真はハッブル宇宙望遠鏡による「ハッブル・ウルトラ・ディープ・フィールド」という作品.
尋常じゃない美しさ.
宇宙の広大さと神秘を一枚で語ることができます.どれだけの文字数を使っても,この一枚から得られる天文学への興味の喚起にはかないません.
思わず画面をボーッと見つめてしまいます.

ちなみに,ハッブル宇宙望遠鏡というのは人工衛星みたいに大気圏外にある望遠鏡でして,地球の外にあるので大気の影響を受けずに撮影することができる優れものです.
地球からは絶対に撮影できないような写真を撮ることができ,これまでにも上記のような想像を絶する高画質写真をたくさん撮ってきました.


やっぱり,小難しい活字を眺めるよりも,きれいな写真や映像を眺めている方が面白いですね.
スポーツ科学にも同じことが言えますけど,こういったきれいな映像で勝負する科学本がドンドン出るべきです.

以前,工藤光子 著『見てわかるDNAのしくみ』 というのを買ってみたところ,その映像による解りやすさに感銘を受けました.
ふとそのことを思い出したので,気になっていた宇宙についての解説本に手を出してみたのです.

買って損はありませんでした.同じように楽しむなら,活字だけより断然 映像・写真付きがお得だと思います.


スポーツ関係であれば,下手な解説本よりも映像付きの解説本を売り出してもらえると嬉しいですね.
高速度カメラとか多次元動作解析などが昔よりも格段に簡単になっていますし.
ヒトの動きの素晴らしさを映像やビデオ,シミュレーターをいじりながら解説する書籍が出ると面白いと思います.
サッカーとかのフォーメーションをシミュレートしたり,野球のピッチャーの配球を映像付きで分析したり.

こういうのがたくさん出回れば,生半可な解説・主観的な解説ではボロが出ますから,スポーツ科学の質を上げるためにも一役買ってくれそうな気がします.
やっぱりスポーツ科学は実際のスポーツ場面を対象にするのが一番楽しいですから.

何年後か...,どうしても出そうにないなら私が出版社と相談して書き(作り)ましょうか.

2009年10月9日金曜日

暗号解読


上巻ほどの面白さはなくなっていましたけど,それはどちらかというと私の側にこの本を読む熱がなくなってしまった面があるのでしょう.
サイモン・シン 著『暗号解読(下)』

以前この本を記事にしたのが3月のことです.
だいぶ経ちましたけど,やっと下巻に手をつけて読み終えました.
というか,時間かけるのが面倒なのでパーッと流し見たという方が適切かもしれません.

それより,この本を読んでいて思い出したのが岡嶋裕史 著『セキュリティはなぜ破られるのか』
本当に単に思い出しただけなので詳細なことを考えながら書いているわけではないですが,『暗号解読』で書かれていることをもっと具体的かつ日常的にしたような内容です.

中でもよく覚えていることが,「セキュリティは必ず破られるものである」,「“パスワード” という利用者にとって理不尽なシステム」,「セキュリティ突破は地味でアナログな作業」といったようなこと.

どんなことかというと,「セキュリティ」というのはそもそも,その気になればいつかは破られるものであり,なぜなら「セキュリティ」というのは価値のあるものを守ろうとする人の行為から成る営みであるからです.だから,セキュリティを高くするのはコンピュータでも金庫でもなく人の行動のとりかた次第なんだということだそうです.

その最たる例が,「パスワード」というシステム.
これだけ利用者に安全レベルを丸投げするシステムが最も普及している,というかこのシステムしか普及していないという事実を直視するべき.
覚えられるパスワードしか覚えられない(?),という文章になっていない状況でしかセキュリティを構成できない状態なのです.

故に,セキュリティを破ろうと思ったら高度なコンピュータの知識なんかではなく,ひらめきや地道な単純作業,そして盗撮カメラや手鏡を使ってパスワードを盗み取る作業が主になります.
もちろん,高度な仕掛けを使ってキーボードのタイピング箇所を記録したり,ネットに罠をはることもあるのでしょうが,なんといってもセキュリティ突破は地味でアナログな作業がメインになのだそうですよ.


最近,私の勤めている大学では新型インフルエンザが猛威を奮っています.
中には受講者の半数が倒れている授業もあるそうです.
なのにクラブ活動は続けているようです.

マスクを義務づけているクラブもあるようですが,肝心のクラブ活動中(つまり練習,トレーニング中)は外しているとのことです.
彼らマスクの意味知ってるの?バカなの?死ぬの?


非常勤講師をしている高校ではこの一週間,学級閉鎖で授業がなくなっています.学園祭などと重なったりもしていて,もう3週間近く生徒と会っていません.

ヒトの免疫(セキュリティ)を突破するのも簡単なようです.
私たちが出来ることと言えば,マスク使う前に消毒を徹底することでしょう.
所詮 他人は信用できないのですから,自分だけでも感染しないように心がけることが大事です.

2009年10月7日水曜日

寒い


先日まで暑かったのに.
地球の奴が調子に乗って気温下げやがったせいで,あっという間に震えながら過ごす日々になってしまいました.
しかも今日は台風直撃の影響を受け,さらなる寒気が漂っています.

低血圧,冷え性の私としては苦痛以外のなにものでもありません.
この恨みはCO2排出しまくって晴らしたいと思います.

そのために最近は自動車の購入を検討していまして.
以前お世話になった町の自動車ショップの方を訪ねようと計画中.
ダイハツのムーブあたりを視野に入れております.

高速道路も無料化になることですし,寒い気候におさらばする日も近いというものです.
さすが民主党,冷え性対策はマニフェストに入っていませんがお金だけでなくCO2もバラマキまくっていただきたいですね.


政治学者である浅井信雄 著『日本の本当の順位』に興味深い一節がありました.

ブログ投稿数は日本語が第1位なんだそうです.
2位は英語なんですけど,言語使用者数の割合から言っても日本人が書くブログ数が圧倒的であることがわかります.
日本語使用者は世界に1億5000万人,一方の英語は5億人を超えると言いますからね.

しかも,その日本人のブログにはある特徴があるようでして,それは世界の多くのブログが「発信型」であるのに対して,日本人の書くブログは「独り言型」であるというもの.

たしかに,この私のブログも独り言ばっかりです.「これを伝えたいのだ」 という使命感があるわけではありません.
最近の気温とか自動車を買う予定とか,他人からすればどうでもいいことを記事にします.

そんなこと言われたら何か発信するようなことを書きたくなるという天の邪鬼の私ですから,たまには発信型の記事も書いてみようかと思います.

2009年10月6日火曜日

日本の最高神


米原万里 著『打ちのめされるようなすごい本』 を読んだのですが,打ちのめされませんでした.

いろいろな本のレビュー本です.米原氏がそれらの本を読んで打ちのめされたということでしょう.実際にそれらの本を読んでみんことにはわかりません.

でも,考えてみれば本を読んで “打ちのめされる” と形容されるほどの経験は私にはありませんから,打ちのめされたと言えるだけ幸せ(?)なのかもしれませんね.


さて,先日はカルト教団をネタにしましたので,今日は伝統的な神様について取り上げます.

世界にはいろいろな神話があります.日本神話を含め,北欧神話,ギリシャ神話,ローマ神話,エジプト神話などなど.
そしてキリスト教やイスラム教,ユダヤ教といった一神教.
神話にはさまざまな神様が描かれています.

でもそれら世界の神々の中でも,特に異質な神様がいます.
それというのが実は日本の神様でして.
「天照大神」
世界広しと言えどなかなか「最高神」が女神というのも珍しいのです.

その他,世界の最高神と言えば,ギリシャは「ゼウス」,ローマは「ユピテル」,エジプトは「ラー」,北欧神話では「オーディン」,インドでは「シヴァ」,世界最古の神であるメソポタミア神話では「ギルガメッシュ」.皆,例外無く男神です.
それに,キリスト教やイスラム教の一神教も男の神様です(男でも女でもないとされることもあるが,「神は自分の姿に似せてヒト(男)を作った」の節からして男であったとする説がある).

やっぱり古代の人々の間では男尊女卑の影響が強いのか,主神・最高神,唯一神は男をモデルとして描かれています.
しかし,日本では一転,最高神は 「天照大神(アマテラスオオミカミ)」 と呼ばれる女神で,エジプトのラーと同様,太陽を司る神様です.

彼女の住所は伊勢神宮です.
かなりガードが固い武闘派で,弟の須佐乃袁尊(スサノオ)といえど自宅前に来たからって剣とか弓矢を持って追い返そうとします.
でもすぐにふてくされる性格のようで,その弟に自宅をメチャクチャにされたからって 「もーいいし..」 ってな感じで岩穴にひきこもって下界を真っ暗にして困らせたこともあります.
そのうえ,鏡に映った自分の顔を見て「誰?この美人」と言ってみたりするナルシスト.

かなり やな感じの女です.


とは言え,よくよく考えてみれば日本人らしいじゃありませんか.
太陽のような暖かいものに女性を当てはめるとは.

季節豊かな地域に住む日本人にとって,太陽は恵みをもたらす象徴だったでしょうし,今でもそれを感じる日本人は多いでしょう.
冬のツーリングでの極寒キャンプ.死にそうな思いで朝起きて浴びる太陽は格別のものがあります.思わず手を合わせたくなるのもうなずけます.
さまざまな局面において,慈母の存在として女性の神格が与えられることには納得です.

それに,日本はなんだかんだ言って女性に権力を与えるというか象徴的存在になってもらう場面が少なくありません.
日本国の黎明期を支えた存在として,すぐに卑弥呼が思いつきますし.

ある説によれば,日本人が男性優位になってきたのは奈良時代以降,中国・朝鮮半島から儒教が伝来して以降だということで,特にその傾向が強まったのは江戸時代・明治時代以降からだとのことです.

ということで,それまでの日本の文化というのは物理的・肉体的優位性から男性が権力を握ることが多いながらも,女性を神聖視する(巫女や預言者は女性である)という,今の日本からすれば,さながらエキゾチックな文化を持っていたのかもしれません.

2009年10月4日日曜日

約束された場所などない


最近,村上春樹の著作で小説以外のものを読んでみました.
『アンダーグラウンド』『約束された場所で』という,オウム真理教が引き起こした地下鉄サリン事件にまつわるノンフィクションのインタビュー本です.

『アンダーグラウンド』では地下鉄サリン事件の被害者を,『約束された場所で』では当時のオウム信者を,それぞれ氏がインタビューしています.

大ヒットとなった氏の小説,『1Q84』は,オウム真理教がらみの裁判を氏が傍聴した後に世界観を構想して描いたもです.
村上氏はオウム事件に強い関心を持っているようで,『1Q84』に先立ち上記の2作を刊行していました.
『1Q84』については以前にも記事にしましたが,これだけ関心を寄せていたとは知りませんでした.
とにかく「真実が知りたい.生の状況をダイレクトに感じ取りたい」という一心で企画したのだそうです.


ところで,特に私の印象に残った一文は『アンダーグラウンド』にある次のようなもの.
“自分の置かれている立場は,好むと好まざるとに関わらず,発生的にある種の傲慢さを含んでいるものなのだ”
氏がインタビューという行為によって,対象である “インタビュイー” を傷つけてしまっているのではないかという危惧を告白するところの一文なのですが...

これ..,私の中にある天の邪鬼な感性をうずかせる言葉です.
“人は存在しているだけで迷惑を与えているものなのだ”
というのが私の持論ですので.だから上記の氏の言葉にもとても共感できます.

別に自虐的になっているわけではなくて,そういう気持ちで常に生きて行くんだという私の心構えのようなものでして.
このように考えれば,ある種の達観した物の見方が出来て,少しだけ生きるのが楽になります.

仏教について身の丈以上の御託を並べた記事も何本か書いたことがありますが,「諸法無我」ではないですけど,それを逆説的に意味するような概念だと考えています.
「諸法無我」 なんて言葉,聞き慣れないと思いますので以下にWikipediaから引用しておきます.


***********
一切のものには我としてとらえられるものはないという考え方を徹底して自己について深め,目に見えるもの見えないものを含めて一切の縁起によって生かされてある現実を生きることを教えている.
このような共々に生かされて生きているという自覚の中にこそ,他者に対する慈悲の働きがありうるとする.
***********(諸法無我)


話をオウム事件に戻します.
オウム真理教に入信した人には高学歴で聡明だったはずのエリートが多かったようで,それが当時は「なぜエリートである彼らが...」 という謎として扱われていました.

これについて私はこういう見方をしています.
“エリートだったからこそ入信したのだ” ,と.

これも氏が 『約束された場所で』 の “あとがき” で同じようなことを述べています.
氏の見解では,エリートが入信したのは自分の能力を簡単に活かせる場所をオウムが提供したからだとしています.氏がインタビューによって感じたのは,信者の多くが理想主義者であり,純粋だということ.それを,オウム真理教は解決してくれるものとして存在したのではないかというのです.

賛同できる見解です.
しかし,私はさらにこう付け加えましょう.
彼らは “真の意味でエリートではなかった” から簡単に入信という行為に走ったのだと.
彼らには意識できている・できていないに関わらず,不安と焦りがあったのではないでしょうか.自分の能力というものに.

本当に頭が良くて理想主義で聡明なら,オウム真理教のような教団に,少なくとも社会的にあの手の “イタい教団” に入信するという行為には至らないはず.

自分の能力に一抹の不安があったからこそ,それでも能力を買ってくれる・認めてくれる組織に安易に身を委ねたのではないのでしょうか.
宗教であれば断定的な物言いが安易に許されます.科学者の端くれであれば,言いたくても言えない,ある種のシンパシーを感じる 「断定的表現」 というものを宗教は可能にしてくれるからです.自分の価値を簡単に高めることができるのです.


これは宗教に限ったことではないし,オウム真理教に限ったことではありません.
故に,作品の最後で村上氏が語る,
“我々の社会において本当に怖いのはオウム真理教ではなく「オウム的なもの」だと言ってもいいかもしれない”.
という見解も考えさせられます.

2009年10月3日土曜日

続 トレーニングの研究

昨日の記事をまとめますと,
⑴ トレーニングの研究として 「役立つ研究」 というのは受取手次第であるということ.
⑵ トレーニングの研究が目指すべき方向性というのはトレーニングをする者の満足 (納得) を得る知見を示すこと.
の2点です.

トレーニングという行為は人類のみが有する特殊な文化であり営みです.
ゆえにその行為にはトレーニング(訓練:Training)されるべき営みが必然的に平行しています.
トレーニングは手段であって目的ではありません.つまり,トレーニング研究というのは手段の研究をしているのです.

トレーニングには常に意思があり目標があります.
その目標は個々人によって違い,その目標達成に至るまでに選ぶ道も異なります.
さらにそれはトレーニングする者が満足(納得)することに意味があります.
繰り返しになりますが,トレーニングは最終的な目標を達成するための 「手段」 だからです.

ですから,誤解を恐れずに言えばトレーニング研究は客観的な情報としてまとめられているものであれば,後は受取手次第なので,どのようなものであってもいいとも言えます.

しかし,どのようなものであっても良いとは言え,理解し,納得させることができなければトレーニング研究としては価値が低いということになります.

通常,科学では理論の解釈を 「理解」 することが至上となっていますが,トレーニングの科学研究ではさらに 「満足(納得)」 させることが必要です.
別の言い方をすれば,トレーニング研究というのは 『トレーニングのスタイル』 を開発し売り込む行為にほかなりません.

つまり,新しいトレーニング方法を提案したり,クラシックな方法を再評価したり,またはトレーニング・スタイルのニューウェーブを創造することが トレーニング研究 の本質なのではないでしょうか.

主観が客観に先行することもトレーニング研究の特徴です.
「なんか良い感じがする」といった,トレーニングする者の満足(納得)さえ得られれば科学的データの了解を待たずして成り立つ分野でもあります.

最後に,トレーニング研究としての評価と価値について書いておきます.
昨日書いたことと重複しますが,トレーニング研究だからといって臨床,つまり現場が絶対と言うわけではありません.そういう視点は大切でしょうが,それだけではないのです.

例えば,戦場を知らない者であっても,優れた銃を開発した研究者は評価されます.
しかし,その銃のトリガーを戦場で引いた者が評価されるわけではありません.その銃のトリガーを引いて評価されようと思えば,戦果を挙げなければならないのです.でもこれは “銃の研究” とは違います.
これについて別の角度からもう少し付け加えるなら,その銃を使った新戦術を考案すれば,それは研究結果として評価されます.しかし,新戦術を戦場で実践したからと言って “戦術の研究として” 評価されるわけではないのです.
これらの違いはわかってもらえたでしょうか.いずれも戦場における「手段」を研究したものです.トレーニングと同じです.

「手段」 を研究するのですから,「新しい方法」や「効果の検証」 を主張したり,「運用方法」 を主張をすることが基本になるでしょう.
もっと大事なこととしては,目的達成の手段として成り立っているかどうかを検証することです.
昨日の話に戻れば,『体力を高めれば競技力が高まるか?』『そのトレーニングで生活水準が高まるか?』 ということの検証です.

繰り返しますが,こうした主張,言い換えれば研究を 「役に立つ」 と判断するかどうかは別問題です.体力を高めることが競技力の向上に必要だと考えている人には,両者の関係性を検証する研究は役立ちません.具体的なトレーニング方法が役立つわけです.

旧日本帝国軍では優れた戦闘機を開発・研究していましたが,実戦では役に立たないとして自信のあった艦船に資源を注ぎました.
古代中国大陸では火薬・銃の研究が盛んであったにもかかわらず,役に立たないとして利用価値を低く見積もっていました.
旧日本帝国はアメリカの戦闘機によって艦船を沈められ,中国は優れた銃を開発した日本に圧されるという歴史を踏んでいます.

「役に立つ」ということにこだわった話をすれば,トレーニング研究といった「手段」の研究としては,提示された研究がどのような場面や状況で役立つのかを再研究することも重要なことなのかもしれません.


まだまだ私としても主張がまとまっておらず散文で申し訳ないのですが,参考になれば幸いです.

2009年10月2日金曜日

トレーニングの研究


今日は大学院生の一人と
「トレーニングの研究とはなんぞや?」
ということについて,それこそトレーニングルームで論議をしてきました.
・・が,私がトレーニング中だったということもあって,流すように応えてしまっているので詳しい解答をしていません.
この場を借りて,そのことについて私なりの考えを述べてみようと思います.


スポーツやトレーニングといった分野に限らず,現実的な場面で利用できる研究,つまり役に立つ研究というのは 「制約が緩い研究」,別の言い方をすれば 「何にでも言い換えられる研究」 なんだと思います.

そういう意味においては,「体力トレーニングをすれば競技力が上がる」 という研究の主張があったとすれば,漠然としていますが役に立つ知見でしょう.なぜなら,スポーツ選手は押し並べて体力が高いものだからです.

ところが,ここに落とし穴もあります.体力と競技力について以前記事にしたことがありましたが,競技力が優れている人が体力も優れているとは言えないのです.
ガリガリで虚弱な人が,競技力が優れた選手になれるかと言えば望み薄でしょうが,それも程度の問題でして.
競技をするうえで最低限の身体能力さえあれば,あとはその身体能力を活かしたプレーをいかに磨くかで競技力が決定されます.

体力水準が低い人が体力トレーニングをすれば競技力が上がる,しかし,競技力が高い人がさらなる高みを目指すのであれば,また違ったアプローチを考える必要がある.というところです.
でもここで重要なのは,「体力トレーニングをすれば競技力が上がる」ということが否定されたわけではないということです.体力と競技力の関係が詳細には解っていない以上,体力の向上を目指すことはマイナスを生むことではないからです.

ところで,体力を調査すると言いますけど,体力テスト自体が疫学的な目的で行われるものですので,それで個人の競技力を評価することは不可能です.
そんなに競技力を測定したいなら,サッカー選手ならサッカーの試合をやらせてみればいいわけですから.

これは同時に,体力トレーニングの意義の限界を意味しており,何をどこまでトレーニングすればいいのかが解明されていない現在では,指導者やトレーナーの勘と手探りになっている部分でもあります.

では,トレーニング研究が向かうべき方向性は何か? ということになりますが,そこはやはり,「自己満足(納得)の追求」 というところに落ち着くでしょう.

トレーニングの最終的な目標は「競技力の向上」,または 「生活水準の向上」 です.しかし,その手段や道のりは人それぞれです.
競技力を高めるために効率的なトレーニング計画をすることも自己満足でしょうし,同様に非効率的なトレーニングをすることも自己満足です.
また,トレーニングをすること自体が自己満足になっているのであれば,それは生活水準の向上につながっています.アマチュア・ランナーなどに多く見られる現象です.

役に立つ研究の話に戻りますと,結局,「役に立つ」という表現自体がその人の「自己満足の追求」に沿うかどうかで判断されているものであると言えます.
役に立つ立たないの評価は個々人が決めることであって,価値のある研究であるかどうかということとは切り離して考えなくてはなりません.

研究者が 「役に立つ研究」 という価値観で研究に取り組むことは一つのモチベーションとしては意味をなすのかもしれませんが,その研究の価値や影響度を高める要素にはなり得ないのではないかということです.

ややもすると,現場に生きる研究というのは 「臨床研究」,つまり 「実際の現場での研究」 ということと同義に捉えられていますが,それは違うはずです.

逆に,臨床であればあるほど,現場から得られた研究ほど,現場に生きる知見や役立つ結果は得られません.
なぜなら,この手の研究は普遍性や法則性を追ったものではなく,目の前で起きたことの観察や記録をまとめたものだからです.
こういう研究を「実践研究」や「ケーススタディ」と言いますが,これは積み重ねがモノを言います.

<続く・・・>