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議事録

昨日は大学院の後輩たちと久しぶりに梅田周辺でミーティング. 会場は餃子をメインにした居酒屋です. 教育系の大学院博士課程に進学する人がいるということで,彼を囲んで(といっても3人だが) 「教育」 と 「筋力トレーニング」 について熱く語り合った夜でした. その議事録を以下に示します. 1.日本の諸悪の根源は「野球」 全会一致で採決された. 会の出席者全員が元球児であることが強い説得力を持つ. 日本社会の根底にはびこる 「パフォーマンスよりもプロセスだ!」 を重んじるくせに,「最終的にはパフォーマンスが大事なんだよね」という理不尽な空気をつくっている根源である. 特に「高校野球」がそれに加担している割合が非常に高いという意見が多かった. 誰も高校球児が「爽やか」で「一生懸命」で「ひたむき」だなんて思っていないくせに,なぜか “それ” を期待していること. そして,高校球児たちもそれを “演じている” ことが痛々しい. あの最終回での測ったような 「内野ゴロ,そしてファーストベースへのヘッドスライディング,アウト!」 は,ハリウッド映画における 「あれだけ銃を乱射してたくせに結局最後は殴り合いで決着がつく」 に匹敵するほどのお決まり演出である. 2.教育は本当に大事なのだろうか?を問う 「私の教育論」 を展開する人は多いが,そういった教育がそもそも必要かどうかを問う人は少ない. 大いにこれを博士課程で研究してくれ,との強い応援があった. “教育は必要” なのだろうが,そのあり方や必要性は常に問い続けるべき. 現代社会とこれからの社会を切り開いていく者にとって “教え,育むべきもの” は何か? 勉強(読み書きソロバンのこと)と教育は別物(のはず)だが,この両者が同質のものとして議論されていることに強い違和感がある. 教育に携わる者たちは文部科学省からの通達をそのまま垂れ流すのではなく,プロとしての自覚を持って,自ら「教育」を考えるべき. 「ゆとり教育」 の崩壊は,文部科学省からの “お言葉を頂戴する” という姿勢の学校教員が招いたものである. 自律(自立)した教員の育成が先にあり,そのあとに「ゆとり教育」を実施すべきであった. ※かなりの酩酊状態で実施された議論であったため支離滅裂に終わる. 3.守・

神戸マラソン

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なんの捻りもないベタなタイトルをつけてみました. 今日は記念すべき第1回神戸マラソン. うちの大学の学生達がボランティア・スタッフとして参加させてもらっているということもあり,その挨拶回りに朝から出かけていたのです. 実は珍しく朝寝坊してしまい,スタート地点の市役所前に着いたのがスタート時刻のギリギリ9時ちょうど. 三宮駅から神戸市役所までマラソンのごとく駆け抜けます. 関係者や学生が作業している場所はスタート地点の市役所前. ところが,当たり前ではありますけどスタート地点である「市役所前」という所(交差点)の,それこそ市役所前は関係者以外立入禁止なんです. スタート時刻のだいぶ前(昨日の予定では7時半くらいに現地到着予定だった)なら事情を説明し,お世話になっている関係者に一言お礼を言ったり学生の様子をスムーズに見れたのでしょうけど. 遅刻した自分が悪いわけで. そんでも,諦め切れないのでここは思い切って突入することにしました. 悪気があったわけではないんですけど,スーツに手持ちカバン,それに持ち前のマジメそうな姿に警備員の人もすっかり騙されたようで,難なく通してくれました. ダメだったんですよね.本当は入っちゃ. 「学生の引率にぃ・・・,」って言ったら「どうぞ」って. そのエリアに入ったら,みなさん色分けされた「許可証」をぶら下げてて,私だけポツンと関係者外. まぁ,関係者といえば関係者なのでしょうけど. 地下道から出て市役所の玄関へ.そして学生や知ってる人を探そうとしましたが,ちょうどランナーがスタートしたところでした. せっかくなので,「どれどれ,ここがスタート地点か」とスタート地点の真横にズケズケと向かいますと,気がつけばそこは来賓者席.周りは要人の皆さんばかりだったようで. どおりで人がポツリポツリとしかいなかったわけだ. スタートのセレモニーが終わりますと,私の方に向かって「あ!」と叫んで向かってくる人達が. 「ゲッ,やっぱここに来ちゃまずかった?」と心配しておりますと, 「そこにおられましたか!」と私の隣のオッサンに駆け寄ります. 「ん?誰この人?」と思っていたら井戸敏三知事でした. 向こうからすりゃ,知事の隣に立ってる奴こそ「誰この人?」でしょうが. TVとかでスタート・セレモニーなん

質問させる

前回の記事では, 毎回の授業で学生に一つだけ質問させ(授業にまつわることが主),それを出席カードの扱いとして回収. 次の週の授業にて,その質問&私の回答をA3両面コピーという形式で返す, という授業を展開していることを紹介しました. 質問の内容や質で点数をつけています. 主観的な採点ですが,感想とかレポートも同じようなものですから構わないと考えています. A3両面コピーも私なりのこだわりというか.実技の授業という事情もあって,A3用紙1枚であれば学生も紙を持ち帰るのが楽かな,という配慮です. こちらとしても配るのも楽だし. この「学生に質問させ,それに点数をつける」というのは大学教員であり作家の 森博嗣 氏もやっており,氏のやり方は著書である 『臨機応答・変問自在』 に詳しいです. 今回はこの「学生に質問させ,それに点数をつける」という授業をなぜやっているのか?というところを取り上げましょう. それは前任の大学で研究員(「助手」という名前だった)をやっていた時から感じていた, 大学生に “授業” をしても意味がない そして,自分自身が大学生だった時に感じていた, 授業を聴くより自習した方が効率が良い ということが原点です. そんなわけで,自分が大学教員になってしまった時に考え込みました. 「意味のない授業をどうしようか」 と. 大学教員は授業をしなきゃいけないことになっていますから,仕方ありません. 学生はお金を払って授業を受けているわけですから,それに見合ったものを提供しなければならないとも思いますしね. 大学の授業に意味を見出せないとは言え,全く無価値かと言えばそういうわけじゃないとも思います. 強いて言えば「きっかけ作り」という価値はあります. と同時に,「きっかけ作り」にしかならないかな,と. 意味のない大学の授業に意味を持たせようと考え尽くした結果, 「学生の質問に回答する機会を提供する」 という授業に至りました. 理想としては,授業中に学生からドシドシ質問が出て,それに私が回答しながら「そういう時はこうするんだ」と実技する授業ができたらいいのでしょうけど,遠慮深い学生たちはそんなことしません. そう

私も「臨機応答・変問自在」

ちょっとブログの更新が遅くなりましたね. 科学研究費補助金の申請に手間取っており,ブログの方に意識が向きませんでした. 久しぶりです. 「スカイ・クロラ」 の作者で有名な森博嗣氏が出している新書に  『臨機応答・変問自在』  というのがあります. 大学教員でもある氏は,学生に質問させることで出席をとり,その質問への回答を書いたプリントを返すという授業を展開しているとのこと. この本は,そういった質問・回答のやり取りの一部を載せたものです. 実は,私も以前からこの形式の授業をやっております. 別に森氏がやっていると知ったから始めたわけではなく,このやり方の方が学生のためにもなるし,面白いだろうと考えているからです. 氏の教育哲学には全面的には賛成できないものの,いろいろと同意できる部分があるわけで. 重要なことは答えることではない,問うことである. 同感です. というわけで,私の授業での質問・回答もここでご紹介しておきましょう. 授業はというと,保健体育の教員になるための実技です.科目名は伏せときます. 教員を目指す授業なので,そういった観点からの質問が多いですね. 回答文の最後にある数字は,その質問の点数です.1~4点で採点しています. 学生は「質問するのは大変」だと言っておりますが,回答する方は意外と楽しいものです.1クラス30人くらいなので,忙しい時にはちょっと大変ですけど. 授業の1~5週目くらいまでは意味不明な質問が散見されますが,少しずつわかってくるようで,後半になると鋭い質問も頻発するようになります. この変化する学生を見るのが楽しみのひとつです. では以下よりどうぞ. Q.静かにしなくてはいけない状況で うるさい生徒に対してどう対応すればよいですか? A.静かにしなくてはいけない状況なのですから,静かにさせてください.① Q.バランスボールは,教員になった時,子どもに教えることってありますか? A.文部科学省からの通達にはありませんが,指導してあげたら喜ばれると思います.② Q.バランスボールが家にないときはどうしたらいいのですか? A.家で購入してください.① Q.私は背骨が1mずれているのですが,ストレッチポールを続けていれば,そのずれもな