2012年9月29日土曜日

反・大学改革論4(喜んでる教員)

ラーメン,ラーメンと連呼していたので,今日は実際に近所のラーメン屋でラーメンを食べてきました.
幸い,その店にマンゴープリンはありませんでしたよ.

ここは学生街なので,その店は学生が常連のようです.
今日は部活の試合の帰りであろう女子学生グループなどが,「ガハハハッ」と元気に笑って騒いでおり,勘定では「ちょい,あんた30円貸して」などと学生らしさを振りまきつつも,きっちり最後は可愛らしく「ごちそうサマでちたぁ」とイケメン店員に斜め45°のアゴ引き高速まばたきで愛想も振りまいておりました.

いいですね,さっきまで鼻クソほじりながらラーメン食べてたところからの変わり様.
その浅はかさが微笑ましい.

隣の席にいた男子学生はというと,ラーメンつつきながらのマックス・ウェーバー 著『社会科学と社会政策にかかわる認識の「客観性」』
えらく真剣にページをめくってんだけど.
ちゃんと読めてんのか,君.

でも,
こういうのが学生ですよね.
うちの大学の学生にこういうのはおらんなぁ.残念.


さて,大学改革論に反対する見解をずっと述べてきたわけですが,私も別に大学を改善していくこと自体は大事だと考えているわけで.

問題は,その改善・改革によってもたらされる様々な影響をしっかりと考慮した上で取り組まなければならない,という点が,あまりにも蔑ろになっているのではないかというところを憂慮しているのです.

先般の記事に書きましたように,大学改革の方向が,
学生(保護者・企業)をお客様扱いして市場原理に曝せば,大学の “悪い部分” は淘汰されるだろう,という極めて安直な思想のもと行なわれてしまうと,実は “悪い部分” だけじゃなくて,“大学全体” が機能不全に陥る状況になってしまった.
それが現在進行形の大学改革なのです.

そもそも大学改革というのは,国民(学生・保護者・企業)の要望に応えたものでした.
これに対し,大学はあまりにも無警戒だったと思います.

そして,この大学改革を最も喜んだのは,「研究ができない教員」です.

「別に研究ができなくても,教育ができるんならいいじゃないか」という意見があって然りですが,事はそんなに単純ではありません.

現在進行している大学改革には,巧妙に「研究よりも教育が大事」というコードが埋め込まれています.
故に,各大学は「教育力」を追うようになります.
しかし,この「教育力」というものが具体的に何なのかを示すことはできません.
つまり,大学が学生を教育したことで何に影響があるのか?が分からないのです.

というか,そもそもそんなもの「分からない」と正直に答えて済ませばいいのですが,“改革” の結果を示さなければならない大学は,何か具体的なものを打ち出さなければなりません.

そこで,大学はその教育による成果として見なせるであろう「就職率」というデータをつくりました.
こうして,大学教育というのは「就職率」を上げるためにあるのだ,就職できる学生を育てることが大学の使命なのだ,という,一見もっともらしい目標を得ます.

ところが,この「就職率」を高めるためには,高度な研究能力や学問,専門知識は必要ありません.
毎年,「企業が学生に求める能力第1位」でバカの一つ覚えのように出ている,
「コミュニケーション能力」
が必要とされます.

そして,この「コミュニケーション能力」ですが,大学や大学教員が教育できるもんじゃないんですよね.
ちょっと考えりゃ分かることですけど,結構な人々がスルーしてることでもあります.

ゆえに,教育力を掲げておきながら,実は大学の正規のカリキュラムとして教育することがない,できないのです.
すなわち,「研究できなくても教育が・・・」の論理が成り立たないわけです.

学生の「コミュニケーション能力」を高めるために最も貢献しているのはアルバイトやボランティアでしょうし,そういったことを斡旋するキャリア支援のイベントとかでしょうか.
まぁ,それもどれだけ効果があるか不明ですが.

もともとコミュニケーション能力が高い学生が,世間の風潮に合わせて立ち回ってる,ってのが実際のところだと思うんですよ.

ということで,研究ができない教員が喜ぶ理由がわかりましたでしょうか.
そうです.
研究ができなくても(しなくても),私には教育力があるんだ,ってことにしやすい構図なのです.
教育らしいこと何一つしてないのに,です.
だって,やってることは就活セミナーみたいなもんですよ.
それを教育だと言われたら,そんなん誰だって(誇張ではない)できる仕事です.

研究も教育にも注力しなくとも,少し大学改革にのっかってる態度をとっておけば,学内評価は安泰になるのです.

そして,学問とは何かを知らない学生が社会に放出されます.
就職の世話をしてくれなかった,とかいうおバカさんな不満が,なんと正論になるのです.

卒論なんて適当過ぎですよ.なんせ「就職」には役立たないからね.
というか,本当に驚愕したのが,「研究はできないけど私は教育が・・・」って言ってる教員の学問レベルの低さです.

全部が全部とは言いませんが,
「 教育力 ≒ 研究力 」
だと思うんですよ,大学教員は.
私もまだまだ青臭い20代の教員ですから,誠に誠に,誠に僭越ながら,ですが.
いやー,もうちょっと,えぇー,その,んー,なんとかならんのですかね.
ままっ,ねぇ,学生を就職させてあげてるんで,それはそれで,えぇ,いいんでしょうけどね,うん,いいんでしょうか?
ビックリします.絶句です.このままではゼック・ジャパンです.

マズい.
極めてマズい状況なのです,今の大学は.

大学とは何か?については,以下の記事を参照のこと.
大学について
大学について2
  

2012年9月24日月曜日

反・大学改革論3(学生はお客様じゃない)

引き続き,この大学改革の流れをラーメン屋で例えると,

1.お客さんが減ってきた
2.原因はメニューが悪いのだということになる
3.客にアンケートをとってみる
4.客は店のマンゴープリンが美味しいと回答
5.これからはマンゴープリンだと確信
6.でも本格マンゴープリンは簡単に手に入らない
7.とりあえず市販のマンゴープリンで間に合わせる
8.予算のない店はプッチンプリンで間に合わせてる ←今ここ
9.勘違いした店がプリンラーメンとかいうゲテモノを開発 ←近々これ
10.プリンラーメンで失敗した店に対し「正統な改革はマンゴーだ.マンゴーラーメンにするべきだ」と近所のオッサンがしゃしゃってくる

「いや,普通に醤油ラーメンの質を上げて勝負するとかさ,スープのとり方を変えるとか,そこが大事なんじゃないの?」と考えたあなたは常識人です.
「結局,マンゴープリンはどうなったの?」と考えたあなたは洞察力に優れています.
ラーメン屋なんだから,ちゃんとラーメンの開発に力を入れるべきなんですが,なんだか上記みたいなことになっているのが現在の大学改革なのです.

これはとにかく「学生からの満足度」を高め,「保護者からの要求」を解消しようという発想のもと邁進してきたことによります.
日本人は頑張り屋さんだし「お客様は神様です」の思想があるし,おまけに「学生が喜ぶ顔を見たくないのか?」という教育観は相当な“正義”として機能しているんですよね.
でも,この正義は疑ってかからなければなりません.

私見として,まずこの「学生はお客様」という考え方が根本的に間違いだと思っています.
アメリカ流の大学改革を推し進めるタイプの人に多い考え方です.

前々回の記事,■反・大学改革論 で,この「学生はお客様」という発想から生まれる「学生のため」の大学改革がダメだということを取り上げましたが,それをもう少し詳しくみていきましょう.

私が考える大学にとっての「客」というのは,しいて言えば「社会」です.学生ではありません.
学生という商品を,社会に納入しているという発想です.どうやら,アメリカ流大学を推す諸星氏(前々回の記事にリンク有)なんかは,この意見には賛同してくれないようです.
「学生を商品として扱うなんて,あなたは薄情者だ」と言ってくる人がいるかもしれませんが,そんな人こそ私に言わせれば「商品」を金儲けの元として軽んじて捉えているドライな人です.

大量生産のようなシステマティックな商品ではなく,手作り木彫り人形のような商品.手塩にかけて彫り,磨き上げた商品.それが私の考える「卒業生という商品」です.材料の木によって,彫り方や表情が変わってくるわけですし,それだけに作り手も商品に愛着があり,良いお客さんの手に渡って欲しいと願うものです.
あまりに良い出来だと,知り合いに譲ったり,自分の店に飾っておきたくなる.それが「コネ入社」であり「研究室や大学に残す」ということだと思うんですよ.

大学が持っている社会的機能をいい加減に解釈したまま,企業と同じ経営論理で改革してしまったことが最大の間違いです.
2年前に,
アインシュタインにタイピングさせるな
という記事で少しだけ匂わせ,燻らせていましたが,今ならはっきり断言します.
企業経営と大学経営を一緒にしてはいけません.

何度も言いますが,大学というのは「王様は裸だ」と叫ぶ場所です.
社会や人間のあり方そのものを憂い,その社会や人間が幸せになるために活躍する人材を育てる場所です.
「裸の王様」の言葉に従って,マンゴープリンを作っていてはいけません.

「学生はお客様」「顧客満足度第一主義」というのは個人の利益を追求する思想です.これに従えば,金になりやすい教育やアプローチが要求されます.
一般的に,こういう教育を目指した大学は「役に立つ知識」とか「夢を叶える」というキャッチフレーズを使いたがります.注意しましょう.

一方,文学や哲学といった教養は,長い目で見れば社会や人類を幸せにしますが,明日のお金になりません.
大学生き残りのため,こうした教養教育がぶった切られているのが,現在の大学改革.
え?マジ?って思った人.
マジです.
「学生はお客様」の論理でいくと,教養教育はつまらないし,満足度が高くなりにくい,切り捨てる.しょうがない.そういうことです.

こうした「顧客満足度第一主義」にかこつけて,「世の中銭や」の精神で大学改革を進めていくと,そこにいる教員の考え方をも蝕みます.

少し前に同じ大学の上司である教員と教育方針で喧嘩になりました.
この上司,とにかく「楽して儲ける術を授けたい(授けられる,ではない)」を絵に描いたような人で,短期的には学生も喜ぶんだけど(その学生たちも見る目ないわけで),1年以上付き合うと嫌われるという,バブリーな人.

そんな彼は,なにやら私を取り込もうと画策して「上司パワーで出世させてやるから,こーしろ,あーしろ,これやって」と言いたげで.
うんざりしてきたので私も,つい,
「お金のために大学教員やってるわけじゃないんでね」
って言ったら,その教員,思わず
「!?おまえ,金が欲しくないのか!?」
と口走ってました.

悪代官か越後屋くらいからしか聞いたことがないセリフ.
貴重な経験ができたと嬉しいくらいです.

かなり主観的ですが,こういう教員を重用しているのが大学改革の内部です.
純粋に学問と教育と研究をやる,ってのは,彼らにとっては“建前”であって,そんなものはこれからの大学教育に不要だとすら考えています.

就職支援と資格試験対策が大学の腕の見せ所.
社会人になるための即戦力と一般常識を教えるところ.
目を輝かせているから,かなり本気です.

でも,そんな彼らにしたって,たんに無知で,思慮が浅く,教養が無いわりに自己顕示欲が強いだけで,決して悪い人達ではないのです.
彼らなりに大学存続のためを思って血眼になっているわけで.
たとえ多くの大学が「大学ってのは・・・」と訴えても,「役に立つ知識」や「夢を叶える」と謳う大学が現れたら,そちらに学生は流れてしまう.

つまりこういうことです.
教育研究の質を下げないと,大学は淘汰されてしまう
凄い状況でしょ.

大学を改革するって言っても,実は誰もそんなことを望んでいなかったはずですよ.
ただ,
「あのどうしようもない授業をする教員をこらしめてやりたかった」
「小難しい話ばかりでなく,ほんの少し,学生の将来のことも気にしてほしかった」

するとどうでしょう.
そんなつもりで改革を始めたら,大学の社会的機能すら破壊してしまっている.
ダメ教員が生きづらい大学になりましたが,優れた教員も生きづらい大学になっちゃった.

大学は,というか日本は,教育における市場原理を甘く見ていたのです.
まさに,“産湯とともに赤子も捨てる” ようなことになっています.

あれ? どっかの国で似たような衆議院選挙があったような.たしか3年前だったか....

まぁ,
20代の教員がなんとかできるわけもなく,とにかく同じ轍を踏まないように,今は勉強するだけです.

2012年9月18日火曜日

反・大学改革論2(学生からの評価アンケート)

前回の続きです.
大学改革について,もう少し内部からの意見を出していこうと思います.

今回は「学生からの評価」という改革について取り上げます.

日本の大学も欧米を見習えということで,私が学生の頃から始まりだした,この「学生からの評価アンケート」.
もう,やってない大学は少ないんじゃないでしょうか,「授業評価アンケート」とかいうやつです.

ところがこのアンケート.
全く機能していないし意味もない.文字通り,本当に紙の無駄にしかなっていないものなんですよ.

私も学生の頃にこのアンケートに回答したことがありますが,友達同士で「こんなん意味ないよな」と笑い合いながらマークしていた(マーク方式が多い)覚えがあります.
同年代に学生だった人なら分かってくれるはず(最近の学生はどうなんでしょうか).

大学を知らない外部の人たちからすれば,
「お客さんである学生から評価をもらい,それを次に活かすのは当たり前.これをビジネスの世界では「PDCAサイクル」というのだ」
などとドヤ顔されるかもしれませんが,残念ながらそうはなりません.

なぜって,このアンケートでどんな結果が出ようと,教員の評価にはほとんど響かないからです.
教員の評価に響かないわけですから,教員もそのアンケート結果を気にするわけでもなく.
そんなこと学生だって知って(勘付いて)るのですから,適当につけるでしょ.
さながら人気度調査みたいなもんです.
私みたいに若い教員はポイントが高くなります.女子ばっかの授業なら相互作用もみられるでしょう.

そういうわけで,日本では『美人でセクシーで講義の質が低い上に成績が甘いんだけど頑張り屋さんに見える教員』というのがいたら,その人は最強ということになります.
実際,満足度調査でポイントが高い教員というのは,どうやらそういう教員なんだそうです.

でもそれって大学教員の評価として間違ってると思うんですけど.
まぁ,大学側もバカじゃないからそんなこと百も承知なので,各大学,気にしていないのですよ(気にする教員はいますけどね.人気度調査としては機能しているので).

まずもって,大学教員の評価の対象となりえないアンケートなんですから,そもそもやる価値がないのに,世間からのプレッシャーに押されてダラダラやってる,というのが実情.

もっと言うと,この授業評価アンケートの致命的な欠陥,皆それを分かってるはずなのに,誰も指摘しません.
面倒くさいからでしょうが,学外の人からは「大学のPDCAサイクル・システム」の一つだと勘違いされていることが多いと思われますので,丁寧に説明する機会があって然りです.

そもそもこのアンケートは “大学内部の学生” からサンプリングしています.
ということは,大学内部で授業やなんやらを学生が比較・評価しているわけです.
評価なので,比較対象が必要になります.評価するということは比較することですから.

でもちょっと待ってください.
例えば,「社会学」という授業を評価するとして,では学生はその授業をどのように評価するのでしょうか?
他大学の「社会学」という授業ではありません.学内の他の授業と比較することになります.
その “他の授業” っていうのは「教育学」だったり「経済学」だったり「スポーツ実技」だったりするわけです.

それっておかしくないですか.

例えば,ラーメン屋が自分とこのお店についてアンケート調査をしているとします.
お客さんに「うちのラーメンの味は?」と聞き,そのアンケートで「コクがない」「チャーシューが小さい」「麺は美味しい」という回答が得られたとすれば,それはフィードバックする価値があります.
なぜなら,そのアンケートに回答しているお客さんは,他店のラーメンと比較して,そのラーメンを評価しているからです.

でも,大学がやってる「授業評価アンケート」っていうのは,上記のラーメン屋で例えるなら, “生まれて初めてラーメンを食べた客” から取り,しかも「うちのメニューで美味しいのは?」と聞いているようなものです.
「ラーメンはまぁまぁ」「チャーハンは不味い」「マンゴープリンが美味しかった」なんていうアンケート結果だったらどうします?

「よし!やはり時代はマンゴーだ.マンゴープリンを大量購入だ!」と張り切る大将のラーメン屋に未来はありません.
でもそれを「やれ」って言われてるのが大学の授業評価アンケートなのです.

残念な事に,相当数の大学がマンゴープリンに力を入れ始めちゃってる,という危惧もあります.
さらには,外野である世間様も 「ラーメン屋も飲食店なんだから,マンゴープリンくらい出さなきゃね」 などと囃し立てるからタチが悪い.

そんなところに良心的な大学教員が「マンゴープリン食いたきゃ,ケーキ屋にでも行ってろ!」 と吐き捨てると,「時代の流れに逆らう白い巨塔」と揶揄される始末.
もうね...,

ふざけてばかりいないで真面目に論じると,アンケートに回答する学生側の事情を考慮する必要があるのです.
欧米の大学では,学生は質の高い授業を受けることに価値を見出しています.
だから,そのアンケート結果も信頼できるのです.

え?
日本にはないのか?
はい,ありません.

「ふざけるな!そんなんだから日本の大学の授業の質は低いんだ」と言われるかもしれませんが,それが真実です.

そもそも,授業の質っていうのは,教員の頑張りもですが,学生の頑張りも必要になります.
教員と学生による相互作用でつくられるものです.

ところが日本では,“大学の授業を真面目に受ける奴ほど出来の悪い学生” みたいな文化があります.いや別にそれで良いとも思ってます.
続けると話しが長くなるので,今回はこの件については割愛します.

そんなわけで,大学教育っていうのは,ラーメン屋で言えば「飽くなき大将のこだわり」なのです.

ラーメン屋なのですから,「客が喜ぶから」ってマンゴープリンに力を入れてはいけません.
たとえ客が固定客でも,です.

ラーメンとは何か?

それをひたすらこだわり続けることに,ラーメン屋としての価値があるのと同様,大学も社会や学生の流行に振り回されず,

大学教育(高等教育)とは何か?

と考え続けなければならないのです.

続きはこちら■反・大学改革論3(学生はお客様じゃない)
  

2012年9月17日月曜日

反・大学改革論

大学人になって6年.学生時代も含めると10年以上の大学生活を営んできました.

昨日は恩師と神戸・三宮の居酒屋で「これからの◯大を考える」と題して,いろいろ議論したところでもあります.
別に私は◯大に勤めているわけじゃないのですけど,3年前までお世話になっていた母校でもありますので,少し気になるのも確かで.

一昨日は学会があって岐阜に行っていましたが,そこでも恒例の飲み会で似たような話が出ました.
やっぱり皆さんも,卒業生や院生として関わったからには,◯大には何かしらの思い入れがあるようです.

今日のテーマは,その「◯大の今後」という小さい話ではなくて,日本の大学の今後を取り上げたいと思います.

大学改革の話です.

ここ十数年,「腐った大学(言い過ぎ?)を叩き直すのだ!」と言わんばかりの勢いで,推し進められてきた感のある日本の大学改革.
以前,
でも大学改革の話をしましたが,
就任1年目の当時は,
「もしこのブログが学内の人にバレても大丈夫なように...」
という思惑が入った文章でしたので,すべてが私の本意とは言えないものでした.

それにですね,上記の記事で紹介した本が,諸星裕 著『消える大学残る大学』 だったんですけど,本学はその著者・諸星氏を学内講演会に招いたりしてる,改革路線まっしぐらの大学でもありまして.
少しヨイショしといた方がいいのかな,という日和見な部分もありました.

あれから2年.
言いたいことがだいぶ言えるようになってきましたので,その記事の改訂版をここに出そうという趣旨です.

言いたいことが言えるようになってきた,というより,むしろ,これは声を大にしなければいけないと思っています.

端的に言うと,
「大学改革をやめよう」
です.

2年前の大人しい従順な記事でも,私の想いが少し滲み出てしまっているところがありますが.
ここ十数年ほど狂ったように取り組まれてきた「大学改革」というのは “百害あって一利なし” だったと言わざるを得ません.

「一利なし」というのは言い過ぎかもしれませんが,圧倒的に害の方が多かったと言えます.

いやむしろ,「大学改革」は必要だったのです.
問題はその改革の方向性でして.
これまでの大学改革の問題点を一言で言うと,「学校教育みたいな大学教育」にしちゃったことです.
別の言い方をすれば,「学生・保護者をお客様としてみる大学」を目指してしまった,と言ったところでしょうか.

ではどんな改革の方向だったら良かったのか?というと,「昔の大学への回帰」です.
新たな大学像を創ったり追いかけたりといった,革新的な改革は必要はなかった,というのが私の見解です.

前回の大学改革の記事で私は,諸星氏の主張を取り上げ,こう書いています.

著者は「“大学は教育機関であり,最大の受益者は学生”というスタンスを持つことが重要」という主張です.
当たり前のようですが,意外とできていないのが大学という組織でもあります.

はっきり言いましょう.
「意外とできていないのが大学」でいいのです.
この「当たり前のようですが...」というのは,「世間じゃそう思われてるんだろうけど,実際は違うよ」というところでもあります.

なぜなら,大学は 「学生のため」 に存在していてはダメだからです.
もう少し柔らかく言うと,学生のため “にもなっている” のが大学なのです.

そんなこと言うと,
「俺らは金払って授業受けてんだぞ!その料金に見合ったものを出せよ!」
と怒られそうですが,「でもそんなの関係ねぇ」 ということで終わらせればよいのです.

私が諸星氏の主張と異にする点は,この “大学は教育機関であり,最大の受益者は学生” の解釈です.
そうは言っても,私も別に「その大学の最大の受益者が学生 “だった”」 という “結果”であれば構わないのですが,その学生の受益を最大にすることを “目的” にしてしまうと,大学教育が崩壊する可能性がありますよ,ということを言いたいのです.

たまたまA大学は「最大の受益者が学生だった」でいいのだし,それとは別にB大学の学生はブツクサ言ってる,というのでも良いのです.

なぜかというと,「大学教育」というのは「学校教育」のような,誰もが納得して喜ぶコンテンツを使った教育をしているわけではないからです.

大雑把に言うと,「最先端」,「常識はずれ」,そして「真理の追求」という,“研究(探求・科学)と教育を同時並行に行なっている教育レベルにある大学” という教育機関では,学生の受益(と一般的に捉えられている事)と大学(研究者である教員たち)の受益が重ならない部分がどうしても出てくるんです.

において少し触れたことでもありますが,大学は「王様は裸だ」と問い続けなければいけません.
学生がどう思おうと,どう感じようと,不満が出ようと,それが大学の使命です.


私もこうした考え方は学生になってから思い知らされたことですけど,それは,
「学外の人には正直にぶちまけられないけど,大学関係者ならみんな知ってる大学の本音」
だと,心の底から信じていました.
周りの友人もそんな感じで大学生活やっていましたし.
まともな学生なら,直ぐに感じ取ってたはずなんですよ.十数年前なら.

例えて言うなら,「店じまい売り尽くしセール」を頻繁にやってる紳士服の◯山の店員とかが,
「本当に閉店するわけじゃないし,ただの在庫処分なんだけどな.でも,このセールって客の側も仕組みを知ってるでしょ.別に客を騙してるわけじゃないんだよね」
と思うのと似ています.

これに,「店じまいセールだなんて嘘だったんじゃないか!」とくってかかる客は野暮ってもんです.

ところが,この「学生のための大学論」ってのは,大学人の中でもかなり常識化してきているようです.
新任として入ってきた2年前,落ち着いてき始めたゴールデンウィーク頃に事務員さんと,
「学生第一の大学なんて,やっちゃいけないですよね.お客様は神様です,みたいで気持ち悪い」
っていう話をしたら,結構な勢いでドン引きされました.

「え!?これって大学側の本音じゃないの!?」
ということで,私は浦島太郎になりました.
以降,この手の話をこの大学で話すのは危険だと察知して,沈黙を守っています.

この3年間,「学生のため」を第一にする大学ほど,大学らしい教育ができなくなっている現状を見てきました.
少子化と大学乱立の影響もあって,学生獲得競争も激しさを増してきた今日この頃.

「学生のため」を第一にして,しかもこれに大学間の市場競争が煽られるとどうなるか.
大学での学びが,「簡単で」「分かりやすく」「口当たり良くって」「すぐに役立つ」「面白い」ものになってしまうのです.

これを聞いて「良い事じゃないか」と言うあなたは,気持ちがいい程のバカです.
悪いことは言いません.ちゃんとした大学に通い直すか,教育問題には口を出さない方が賢明です.

いいですか.
「簡単で」「分かりやすく」「口当たり良くって」「すぐに役立つ」「面白い」教育という土俵で教育機関が競争すると,それはつまり大衆迎合な教育コンテンツになっちゃうんですよ.

クズみたいな授業が喜ばれるようになります.
それは一見,熱意のあるカッコいい授業ですが,自己啓発セミナーと見分けがつかなくなってきます.

社会や人類のためになる知識や哲学を授けない授業が増えちゃうんです.
本当に大事なことって,難しい,分かりにくいものでしょ.
大学で学生というのは,じっくり考え込む必要があるのです.

「そんな高尚な教育を大学には期待していない.大学は研究者養成機関じゃないんだぞ!」
という意見,結構多いんですが・・・.
いえ,もの凄く多いんです,教授陣の内部にも.

訴えたい想いは伝わってくるんですけど,別にこちらとしても学生全員を研究者にしようってわけじゃないし.
我々としては「つべこべ言わずに黙って学問やれよ」と言ってるだけなんですけどね.
結局,「大学改革」ってのは,大学の教育レベルを下げることに他ならなかったわけです.
それって大局的に見たら「学生のため」にはなっていないんです.

続きはこちら■反・大学改革論2(学生からの評価アンケート)
  

2012年9月12日水曜日

対応のある相関係数の差の検定

先日,読者よりメールで質問をいただきました.
の記事で紹介しているやつの「対応のあるデータ版」を紹介してほしい,とのことでした.

統計学の本で比較的よく紹介されているのは上記の記事の方法です.
なかなか“対応のある”相関係数の差の検定は紹介されていません.

メール返信をしなきゃいけないという理由もできたし,これをいい機会にと一念発起.
Excelでなんとかできないものかと調べてみました.

というわけで,今回はその対応のある相関係数の差の検定をexcelでなんとかするというテーマです.


まず,例になるデータは以下のようなもの.
子供の給料と相関が高いのは「父親」と「母親」のどちらの給料なのか?を知りたい,という設定です.
その相関係数を出してみたところ,それが以下のようなものだったとします.
どうやら子供(A)と母親(C)の相関は0.73であり,父親(B)との相関である0.53よりも高いような気がしますね.
統計学的にもそう言えるかどうか,計算してみましょう.
※ちなみに,この対応のある検定のためには,「B(父親)とC(母親)」の相関係数も出しておく必要があります.

とういうわけで,先に分析結果を出します.
以下のような計算をしたところ,「AとB」の相関係数と「AとC」の相関係数には有意な差が認められました.

では,どんな計算をしているのか紹介していきます.
まずB列13行目の「行列式」のところ.
ここでは,
=(1-B7^2-B8^2-B9^2)+2*B7*B8*B9

という計算をしています.

次にB列14行目ではt値を算出しています.
=ABS(B7-B8)*SQRT((B6-1)*(1+B9))/SQRT(2*B13*(B6-1)/(B6-3)+(B7+B8)^2*(1-B9)^3/4)

かなり長いので,間違えずにコピーしてください.
まったく同じExcelシートを作ることをお勧めします.そうすれば,上記の関数をコピーすればOKということにできますので.

最後に,そのt値からp値を出す「TDIST」関数です.
=TDIST(B14,B12,2)

あと,自由度っていうのはN数から-3をした値でして,別に特殊なことをしているわけではないです.

そういうような感じで,対応のある相関係数の差の検定をしていただければと.

参考文献:池田央『統計ガイドブック』


子供の学歴や年収は,親のそれと相関する,というのはよく聞く話です.
なのでこんな例にしてみました.

内田樹 著『街場の現代思想』の冒頭でも紹介されていますが,子供の勉強時間やTVゲームやってる時間というのは,その「母親」の学歴と強い相関があるようで.
※その引用元は苅谷剛彦氏です.

銭の問題はどうにかなるにしても,教養については影響力が大とのこと.

教養深い母親の存在が,次代の礎となると言っても過言ではないのかもしれません.

※後日,基準値みたいな相関係数との比較をする方法
基準となる相関係数との差を検定する
を書きました.こちらもご参考ください.

そもそも,相関係数の有意性を算出したいという場合は,
エクセルで相関係数のp値を出す