2012年11月30日金曜日

危ない大学に入学してしまったとき

これまで,危ない(ブラックな)大学がどのような特徴を有しているのか述べてきました.
こんなホームページの大学は危ない
こんな挙動の教員がいる大学は危ない

巷にも「危ない大学論」があります.
しかし,この手の理屈が不親切なのは,では,そういった危ない大学に入学しちゃっていた場合,どうすればいいのか?が述べられていないことです.

そういうわけで,このブログでは「危ない大学に入学してしまったとき」にどうすればいいのか,どのような対策があるのかを紹介します.

まず,最も効果的な対処としては「転学」です.
しかし,「それができるんなら苦労はしない」「今更じゃないですか?」というところでしょうから,そういった人達に向けた提案です.

コンセプトとしては,
ブラック大学とはいえ,それでも大学らしい学びを得てやろう
といったところです.

腐っても大学.
カラカラに乾いた雑巾に見えても,思いっきり絞れば水滴の一つや二つが落ちてくるものです.
その貴重な水滴を拾うための方法を以下に示しましょう.

まずは,学生である,あなた自身の心構えから.
1.先生に教えてもらおうと思うな
2.積極的に質問する
3.とにかく本を読め
4.まずは自分一人で考える習慣を持て

特に2〜4については,事あるごとに私も学生に向けて説くことです.
「問う,読む,考える」が大学での学びの基本です.
さすがに1を堂々と説くことはありませんでしたが,ついに先日,多くの学生を前に封切りしてしまいました.
※というのも,私のところの大学も若干のブラックが入っている大学ですので,学生の将来を考えると我慢できず...

どんな大学であっても通じることですが,ことブラック大学ですと,上記の4項目が徹底されていませんし,徹底どころか排除しようとすらされています.
なぜなら,この4項目の逆のことをすればアホは(..,オッと失礼),知的水準の低い学生は喜びますので,それに騙された人達が入学してくれるという寸法です.
つまり,
1.教えてもらえる
2.答えを先取り
3.読まなくてもいい
4.簡単にわかる
そんな大学,ありえないでしょう?

ゆえに,まっとうな大学教育を得たい学生は,まずは自分自身に先に紹介した4項目を擦り込んでください.話はそれからです.


というわけで,その話の続きです.
次は,「教員探し」です.
どんなにブラック大学であっても,まっとうな大学教員はいるものです.
そういう大学教員らしい教員に師事できてしまえれば,普通の大学での学生生活と大差なくなると言っても過言ではありません.

学部や学科が違っていたり,内部の条件などで,ゼミや専門演習(卒論担当など)の教員として配属できなかったとしても,気にせずガッつくことが重要です.

このブログでも繰り返し述べていることですが,大学は学問をするところです.
学問とは「問う」て「学ぶ」ことです.
問う相手がどのような師であるか,それは決定的な問題なのです.
対話の中で,その教員の「考え方」を学ぶわけです.

何度も言いますが,教えてもらおうとしてはいけません.
ましてや「分かりやすさ」を第一に求めるのは笑止千万です.
結果的に「分かりやすかった」というのであれば良いのですが,分かりやすいことと「正しい」ことは同義ではありません.
どうしてもブラック大学の学生の傾向として「分かりやすい=正しい」という図式が強いように感じます.
「分かりやすく伝えることができる人は,正しいことを言っている」というのは,何を隠そう,この日本を大衆世論社会に堕落させた図式に他ならないではありませんか.


話を戻しましょう.
では,ブラック大学における「絶滅危惧教員」を高確率で見つける方法を説明します.

まずは比較的ビンゴしやすい「若手教員」です.
ブラック大学であっても,20代〜30代で大学教員をしている人というのは,いわゆる「大学教員らしい教員」である確率が高いのです.
さらに,30代なのに学科長とかコース主任をやってる人は,かなり匂います.
別の大学に異動する前に(そういう若手教員は,その大学に居続ける可能性は低い),いろいろと「問答」しておくべきです.

年配の教員であれば,ウェブで検索してみましょう.
ブラック大学であっても,基盤となる教員が必要という理由で,高名な先生を呼んでいることがあります.
Amazonとかに著書が出ていたりしたら,その可能性があります.

そんな人を学内で見つけたら,すかさず以下のような質問をしてみましょう.
あなたと馬が合えば,大学らしい教育を受けられるかもしれません.

第一問,
「先生が研究していることは,どんなことに役に立つのですか?」とか,そんな内容です.もちろん,その教員の研究課題を事前に調べてから聞きましょう.
すると,水を得たように猛烈に持論をまくしたてるか,反対に,冷めたように「“役に立つ”の定義によります」とか,とにかく,あなたにとって意味不明・解読不能な回答が返ってきたら脈ありです.

数日が経ったら,第二問,
「先日のお話,実はあまりよく分からなかったのですが,勉強の参考になるものなど紹介してくれませんか?」みたいなことを聞きます.
学生との対話をうっとうしく思わない教員であれば,適当な資料をもらえたり,図書を紹介してくれます.もらった資料や図書も,あなたがほとんど読めない代物であれば,ビンゴです.
こういう教員であれば,ブラック大学でも師事するに値するでしょう.

そもそも,ブラック大学では学生が教員と対話しようとすることが少ないですから,学生から積極的に議論をふれば,まともな大学教員であれば喜んで対応してくれるはずです(もちろん,学術,思想,哲学的な議論です.飲み会とかテスト問題の話ではありません).

最初は先生が何を言っているのか分からないでしょう.
というか,これを言ったら身も蓋もないですが,あなたがブラック大学に入学している時点で「何を言っているのか分からない」のは仕方ありません.

とにかく,自分の頭で考え抜くためのトレーニングをするのです.
大学教育というのは,それに尽きます.
大変苦労しますから,意志が強くなければなりません.
「議論するテーマに興味がないから」などという不満を口にするバカ学生もいますが,そんなことは関係ありません.
テーマは何でもいいわけで,要はとことん考え抜くための題材なのです.

ブラック大学では,こういう教育をする教員の学生ウケは必ずしも良くありません.
逆に,ブラック大学の危ない教員というのは,クレープやたこ焼きを焼いて学生の気を引こうとします.
就職先を頻繁に紹介したりします.
これまた,そういう教員は「学生目線」だの「面白い」とかいって人気が出ちゃうんでやりきれません.

さて,
おわかりでしょうか.
大学教育というのは,大学教員の資質の部分もありますが,学生の学ぶ姿勢というのも多分にあるわけです.
むしろ,学問するためには,学生の「問う」姿勢が最低条件と言えます.

まぁ,言うのは簡単ですが,
「がんばってください」
      

2012年11月26日月曜日

こんな挙動の教員がいる大学は危ない

前回の記事では,ホームページから大学の危険度を判別する方法を紹介しました.
こんなホームページの大学は危ない

今回は,そういった大学を「教員」を通して判別できないか思案したものです.
当然,普通(むしろ優秀)な教員にも関わらず,以下にあてはまる場合もありますが,それはそれ.
あくまで参考程度にお願いします.

「こんな挙動の教員・・・」ということですが,いわゆる「挙動不審」という意味ではありません.あくまで「振る舞い」「行動」としての挙動であります.
大学教員なのに,こんなことをしている教員が “多数いる” 大学は先が無いと考えてよいでしょう.

誤解してほしくないのは,教員本人は至って良心的な場合もありますが,大学としての状況が “そのような挙動” を生んでいることが多々あります.
嫌々ながらにも,やらねばならぬ状況というものがある.これまでにも,そういう大学の先生をいろいろ見てきました.

以下のような教員は,どの大学にも極少数は生息しているものですが,その数が多い場合は危険な大学です.
だいたい10名当たりに1名くらいは,以下のような教員がいても良いのかもしれません.
ところが,5名当たりに1名くらいになってくると,だいぶ黄色信号です.
場合によっては,過半数を以下のような教員が占める大学もあります.
そうなるとブラック大学を通り過ぎて,もはや大学ではありません.

今回は,大学生に向けて書いております.
自分とこの大学については,内部にいたら分からないものです.
これから大学を目指している高校生が,先輩の大学生に聞いてみるのもいいかもしれません.ブラック大学を判別できるかもしれませんね.
自分とこの大学の先生,以下のような人が多くないですか?

では,
チェックリストは以下のようなものです.
(1) 就職斡旋が積極的
(2) やたら「実践!」「現場!」と叫んでる
(3) 「コミュニケーション能力」をつけさせようとしている
(4) オープンキャンパスによく出る
(5) 高校訪問(営業)によく行く
(6) バスを運転している
(7) 学生寮の巡回に出ている
(8) 1〜2年生の学生にウケが良い


(1) 就職斡旋が積極的
前回の記事でも紹介しましたが,弱い危ない大学ほど就職率を気にします.
そんなわけで,就職率を高めるために教員も介入して来ることになるのですが,それが行き過ぎて「仕事を紹介してやるから」と口走っていたらアウトです.
場合によっては,「ゼミ選び(専門演習選び)」の際にも「オレのところに来たら就職に有利だよ」なんて言い出す教員もいたりします.
これは,ゼミの人気(配属学生の人数)が「教員評価」につながっている大学であるパターンが考えられます.
ゼミの人気度で教員が評価されているような大学は終わっています.

(2) やたら「実践!」「現場!」と叫んでる
上記の続きとして,就職させたいもんだから,「実践が大事」というパターン.
もしくは,そもそも学術的な教育ができないからってんで,仕方なく自分の取り柄である「実践」を叫んでいたり,「現場ではこんなんじゃ通用しないぞ」と言うしか能がない教員のパターンです.
なら大学教員をやらなきゃいいのですが,そういう大味で声がデカイ教員を雇ってなきゃいけない大学である,という意味で危険なのです.

(3) 「コミュニケーション能力」をつけさせようとしている
これも就職につながっていますね.
以前の記事でも紹介しておりますが,「コミュニケーション能力」などという,「教えられないもの」を教えようとする教員です.
最近は学生の側からもこの「コミュニケーション能力」を教えてくれという雰囲気も出てきているから世も末です.この国はどうしちゃったんでしょうか?
オルテガも言う
与えることも,要求することもできないものを,与えるふりをし,要求するふりをするがごとき制度は,虚偽の道徳を乱す制度である.
という,大学がやってはいけないことの一つだと私は考えています.
教員としても教えられないわけですから,「言うだけ」です.
あとは勝手に学生が成長してくれるのですが,それをもって「教えた」ってことにするからタチの悪い教員です.

(4) オープンキャンパスによく出る
これは高校生でも判別できるチャンスがあるかと思います.
普通,オープンキャンパスに教員はあまり出ません.出たがりません.
世間の人が思うほど大学教員という仕事は暇じゃないので,本来なら,そんなところに出て営業活動している時間はないのです.ところが “いる”.
オープンキャンパスの様子を眺めてみましょう.
もし,ゾロゾロとたくさんの教員が「出陣」しているとしたら,その大学はオープンキャンパスに “懸けています”.
きっと入試課や学長あたりから,各教員に向けて「大学の興廃,この一戦にあり」との入電がある大学です.もしくは,「大学は各員がその義務を尽くすことを期待する」とか.
開場前には,一堂に会して「挨拶」と称する「結束式」をやっているかもしれません.よく見るとZ旗を揚げているかもしれませんよ.
オープンキャンパスで教員らしき人を10人以上見かけたら,結構な力の入れ具合ですので,目安にしてください.

(5) 高校訪問(営業)によく行く
オープンキャンパスと似ていますが,最近の危ない大学はよく「営業」に行きます.
特に,直接高校に出向いて大学を売り込みます.
通常であれば,入試課や広報などの職員が担当する仕事なのですが,最近は人海戦術ということで,教員も駆出して営業する大学も増えてきました.
「教員も力を入れております」というアピールも含んでいるつもりですが,逆に言えば危ない大学であることを示しているわけです.
ところによっては,学長がまわっている大学もあります.
年に1回行くっていうのであれば,外回り体験程度なのかもしれません.
ところが,自分とこの先生が年に何回も高校訪問にまわっているとしたら,少し疑いましょう.

(6) バスを運転している
内部の学生からすると,高校の延長の気分だからってんで,こういう状態であっても気にしないのかもしれませんね.
でも,大学教員が行事やクラブ活動等でバスを運転しているとすれば,そこは大いにブラックな大学です.
普通ありえませんから.
明日から,その先生を労ってあげましょう.きっと喜ばれます.

(7) 学生寮の巡回に出ている
これもバスの運転と似たようなものです.
「教育だから」とか理由をつけて,教員が学生寮の管理や巡回もやっている大学は危険極まりない状態にあります.
内部の学生からしたら普通のことになっているのでしょうが,そこで行なわれている教育は大学の教育,すなわち「高等教育」ではないかもしれませんよ.
すっかり大学に来たつもりになっているのであれば,一念発起して “なにか” した方が良いと思います.

(8) 1〜2年生の学生にウケが良い
要は,上記で紹介した教員の総合版といったところでしょうか.
やたらと調子の良い事をいったり,分かりやすく授業をやったり,大学生活のアドバイスをしてくれたり.
学園祭にも積極的に介入してくるというパターンもあります.
つまり,教員本人は至ってコミュニケーション能力があり,アクティブで学生目線なわけですね.
学生生活に不安をかかえる1年生や,まだ学生生活とはなんたるかを感じ取れていない2年生からはウケが良いわけです.
ところが,こういう教員は幼稚園や小学校ならまだしも,大学にはたくさん必要ありません.
各大学に1〜2名でいい.名物教員として転がっといてもらうだけで良いんです.害は少なくて済みます.
ところが,こういう教員がたくさんいる大学が増えてきました.
なぜかと言うと,そういう「学生ウケが良い教員」を求める大学が増えてきたからです.
反・大学改革論
とそのシリーズでも書きましたが,高等教育とか学問の探求よりも,学生の評判で大学経営をするようになってしまったからです.
「学生からの評判が良い」というのは,かなり強力な武器になります.
「教育」ですからね.世間では “これこそが大事” だとも思われている評価対象です.
しかしながら,こういう学生ウケの良い教員ですが,特に注意してみて頂きたいのは,「1〜2年生の学生に」というところです.全学年(プラス院生にも)に人気なのであれば,それはそれで優れた教員ですのでご注意を.
この教員は3〜4年生と,年を追うごとに評判が下がって来るのが特徴であります.
なぜなら,さすがにその年次になってくると,「学問」に目覚めてくる学生が多くなってくるからです.
その時になっても,「現場!」「コミュニケーション!」「就職!」と叫ぶしかない教員は,徐々に学生からは見放されていきます.
※もちろん,そういうところが大事だと考えている学生は付いてきますが.
こういうのは,3・4年生の話を聞いていると分かってくることです.
先輩の話はしっかり聞くものです.


そんなわけで,上記のような教員を学内で探してみましょう.
私の感覚でつくった勝手な目安ですが,だいたい教員5名当たりに1名くらい存在していると,その大学からは危険な香りがしております.
過半数を占めてくると,あなたの思っている以上に,その大学では大学教育がされていない可能性もあります.

そんな時は,他大学に通っている友達と勉強の話をしてみましょう.
至って勉強は頑張っているつもりだった.
面白い授業をしてくれる教員がいて幸運だった.
将来の希望を指し示してくれる教員が側にいてくれる.
そんなこれまでの学生生活の印象が,一気に変わるかもしれません.

愕然とした場合はどうすればいいのか?
諦めるしかないのか?
それについてはまた後日記事にします.

ということで,記事にしました.
危ない大学に入学してしまったとき

※さらに後日,
こんなパンフレットの大学は危ない
というのを書きました.

※そのあと,奉職した大学が「危ない大学」だった場合の対策も書きました.
危ない大学に奉職してしまったとき「スパイ対策法」
危ない大学に奉職してしまったとき「イベント企画対策」
危ない大学に奉職してしまったとき「高校訪問対策」
危ない大学に奉職してしまったとき「教員評価制度対策」
危ない大学に奉職してしまったとき「新学部・学科名の候補を出せと言われたとき対策」
危ない大学に奉職してしまったとき「授業評価アンケート対策」
危ない大学に奉職してしまったとき「本気の高校訪問対策」

    

2012年11月24日土曜日

こんなホームページの大学は危ない

いろいろと大学のことについて記事にしてきたのですが,もっと具体的に「目で見てわかる」大学論をしてみようと思います.

ホームページについてです.

心当たりのある大学のホームページを参照しながら楽しんでもらえたらと思います.

私も様々な大学の先生方とお話をする機会が増え,その内部情報なども知るようになりました.
いろいろな大学を渡り歩いている先生からは,それぞれの大学でどのような事が行われているのか?どのような教育が為されているのか?とても興味深いお話をお聞きすることができます.
特に “ブラックな大学” のお話は刺激的です.

そんなわけで今回は,
大学の内部状況をホームページから推察できないか?
という,ある意味実践的な調査をお届けします.

これを論じるにあたって,【大学サイトランキング】なるものがあることを知りました.
そういうサイトがあるようですので見てみましたが,結局,有名大学が上位にランクされているだけで,面白味に欠けます.

ここで論じたいのは,有名大学ではなく中・小規模の大学でして,その中でも,
一見,普通そうな大学なんだけど,実は内部はドロドロでダーク...
という,受験者,採用者にとって可能な限り避けたい大学を炙り出すことを目的としています.

つまり,これまでの記事で紹介したような,「大学らしい教育」,「学問の探求」といったものを放棄,乃至,手を抜いている大学を推察?予測?推測?するものです.

かなり主観的なものですが,判別率といいますか,感度には自信がありますので参考にしてみてください.
以下の項目に該当するものが多いホームページの大学は,ブラック大学とみてよいでしょう.
※当然,判別率と感度には個人差がありますので,ご了承ください.
特に「大学」というものを詳しく把握しようがない高校生やその保護者,高校教員の方々に向けて書いております.
※あと,同業者(大学人)であれば,「あー,それあるある!」ということで楽しめます.

では,先に項目一覧です.
◆構成
(1) やたら派手
(2) 非常に見やすい
(3) 入試情報がたくさんある
(4) 教員紹介がない(非常に簡略)

◆使用写真
(1) 写真が多い
(2) 学生がジャンプしている写真がある
(3) 学生の顔をアップで写した写真がある
(4) 写真がやたらと(フラッシュなどで)動く

◆アピールポイント
(1) 夢を叶える
(2) 面倒見の良さ
(3) 社会で役立つ知識
(4) 大学へのアクセス
(5) オープンキャンパス情報満載
(6) 学内イベント(公開講座や発表会)の「事後報告」が多い
(7) ローカルな行事開催や受賞について取り上げている
(8) 就職率の高さ
(9) 就職先について具体的な企業名をあげている

◆その他
(1) 「採用情報」の内容が不可解
(2) 大学名を変更する(変更している)

いろいろなカテゴリに分けることができるのでしょうが,まぁ,とりあえず上記のようにしてみました.
それぞれどのような理由によるか,解説していきましょう.
※★の数は,判別のための重要度を表しています.

まずはHPの構成について
(1) やたら派手★★
(2) 非常に見やすい
これを言ったら身も蓋もないのですが,そもそも中・小規模の大学なのにホームページに力を入れている時点で問題なのです.
ホームページで引っ掛かる学生を取りたい.そんな想いがあるからです.
だいたい,ホームページなんかを見て 「この大学いいかも」 と考えるような受験生をターゲットにしなきゃいけないことの証左ですから,そんな大学は危ないのです.
ためしに東京大学や京都大学のホームページを覗いてみてください.その適当っぷりには清々しさがあります.小さい文字がズラズラ並んでおり,お年寄りには厳しいホームページです.
実際にグーグルかなんかで「京都大学」と打ってみましょう.検索結果に,
【 ホーム ― 京都大学 】
と表示されます.ホームページを作成したことがある人なら分かってくれると思いますが,このように表示されるのはホームページに手を抜いている証拠です.

(3) 入試情報がたくさんある★★★
これはもちろん,受験者数を増やすための目論見です.
中には,張り切りすぎて入試情報によってトップページが埋め尽くされる大学もあります.
こういうのを見ると,いたたまれない気持ちになります.

(4) 教員紹介がない(非常に簡略)★★★
そういう大学は,ブラック過ぎて教員がすぐ辞めるからです.よって,そもそも教員紹介のページを作っていないことがあります.
もしくは,氏名の一覧を出すだけで,どんな略歴なのか書いていない場合もあります.
ちなみに,教員紹介のとこに教員の「趣味」なんてものを紹介しているのも「アットホームさ」を狙っているので怪しいです.

次はHPに使用している写真について
(1) 写真が多い
「やたら派手」とも関連しますし,下で紹介することとも通じますが,特に自分とこの学生を被写体として使いまくっている場合は要注意ですね.

(2) 学生がジャンプしている写真がある★★★
“絵になる写真” が無いもんだから,思わずやっちゃった.そんなところです.
ブラック大学ほど学生がジャンプしている写真は多いものです.
そんな大学の広報担当は落ち着いていられないんです.だから「躍動感」に突破口を見出そうとしてしまう.その結果です.
バリエーションとして「意味もなく学生がバンザイしてる」とか「どこかに向かって走ってる」というのもあります.

(3) 学生の顔をアップで写した写真がある★★
その顔が満面の笑みだったり,フォーカス効果をかけてたりすると,なお危険です.
アップの写真には「幸せそうな学生でしょ」ということを訴えたい思いが詰まっています.
ということは,そんなに幸せな学生は多くないということの証左でもあります.

(4) 写真がやたらと動く
要は「やたら派手」ということと一緒です.ただ,有名大学にもホームページに凝るところがありますので,そこんとこ気をつけといてください.あくまで中・小規模の大学で,という意味です.

アピールポイントの判定は重要です.

(1) 夢を叶える★★
(2) 面倒見の良さ★★
(3) 社会で役立つ知識★★
この手の「学生中心主義」なアピールは危険だと思って間違いないでしょう.
変種として,「資格取得のためのバックアップ体制」などという,入学した学生なら誰でも思い知る「結局それって自分の頑張り次第じゃん」というアピールを全面に押し出す大学は危険ですね.

(4) 大学へのアクセス★★
「◯◯駅から何分で通える」とか,「県外からのアクセスも良好」といったことを威風堂々とアピールしているものです.
ついでに学生寮の素晴らしさについて紹介していることも多いです.
とにかく入学者を増やしたい,そんな想いの結晶です.

(5) オープンキャンパス情報満載★★
これは「大学に一度足を運んでもらったらこっちのもの」,そんな想いの結晶です.
年間,やたらとオープンキャンパスを開催しています.そんなにオープンにしたいのなら,普段から来学OKってことにしたらいいのに,でもそれは諸事情あって困るんです.

(6) 学内イベント(公開講座や発表会)の「事後報告」が多い★★★
トップページによくある「お知らせ」とか「ニュース」みたいなところに掲載されることが多い内容です.
学内イベントをやたらと掲載しますが,ここで特に注目して頂きたいのは,それが「事後報告」であることです.
「こんなに大盛況でした」「学生たちのためになりました」といったことをアピールしたいことによります.
こういうのは,学内イベントを “実は営業活動です” と白状しているようなものなのです.
普通の大学なら「仕事だ」「使命だ」 と思ってやっていますから,「事後報告」なんてする必要ないわけで,「事前案内」としてのお知らせしかしません.

(7) ローカルな行事開催や受賞について取り上げている★★★
上記と同様,「お知らせ」とか「ニュース」みたいなところに掲載されています.
全国的で学術的なものではなく,よく言えば地域密着,悪く言えばどうでもいい行事や受賞について取り上げているものです.
普通の大学の感性なら,とてもじゃないけど恥ずかしくて載せないのですが,「とりあえずアピールになるんじゃないか」という思惑が働いて載せちゃったのです.

(8) 就職率の高さ
強い大学なら気にしていません.

(9) 就職先について具体的な企業名をあげている★★
「本学は就職に弱いと思ってるでしょ?でもね,こんな有名企業に就職した学生もいるんですよ」ということです.
その時点ですでに自分でゲロってるわけで.
「ほら,◯◯銀行,◯◯研究所,◯◯学校,ねッ!どうですか?」って言っても,実はパートだったり非常勤だったり.

その他,ちょっと捻った内容を紹介しておきます.
(1) 「採用情報」の内容が不可解★★★
大学のホームページには教員や職員の採用情報が載っています.一般のホームページ利用者は全くといっていいほど見ないところですが,そこにヒントが隠されていることもあります.
教員採用条件で笑わせてもらったのが,学位について「修士が望ましい」と堂々と載せているもの.
これの何が面白いかというと,普通,大学教員の採用条件は「修士以上が望ましい」とか,「博士の学位を有すること.またはそれに準ずる研究業績を有する」とするものです.
つまりその大学は,「博士を持っていたり,研究業績が多い人が来てもらっては困る」ということなのです.すなわち,その大学の「教員」は「大学教員」ではなく,営業マンであることを意味します.
あとは,担当科目が幅広く,脈略がない場合です.一体何の専門家を呼びたいのか分からない.とりあえず動ける奴を確保したい.そんな大学は学問をする気がありません.
でもこれは一般の人には判別しづらいですかね.

(2) 大学名を変更する(変更している)★★
ホームページの内容とはズレるかもしれませんが,これは業界では結構有名です.
「大学の歴史」みたいなページで調べてみてください.
名前を変えている大学,これから変える大学というのは,逆に「変えることができる」というわけですから,そんなに大学名に影響力がないということの証左です.
そして,その大学名の変更に乗じ,学内の様々なシステムも変更していることの表顕でもあります.
内部のシステムをコロコロ変えるというのは,危ない組織の典型です.そこらへんは企業の方々も分かってくれるかと思いますが.

※後日,危ない大学による「ヤケクソ戦術」の展望を解説した記事を書きました.
崖っぷちの大学が生きる茨の道
合わせてご覧ください.

というわけで,上記のことを参考に,いろいろな大学のホームページをご覧になってみて下さい.
各大学の頑張り具合が手に取るように分かる..,かもしれません.

※すべての大学のホームページが,上記で述べた内容と符合するわけではありません.どんな大学のホームページも,いずれかの項目は当てはまるものです.
問題なのは,その適合具合と範囲です.
あくまで個人的に楽しむ程度にしておいてください.

※後日,続編として
こんなパンフレットの大学は危ない
を書きました.

※さらに,もし奉職した大学が「危ない大学」だった場合の対策を書いています.
危ない大学に奉職してしまったとき「スパイ対策法」
危ない大学に奉職してしまったとき「イベント企画対策」
危ない大学に奉職してしまったとき「高校訪問対策」
危ない大学に奉職してしまったとき「教員評価制度対策」
危ない大学に奉職してしまったとき「新学部・学科名の候補を出せと言われたとき対策」
危ない大学に奉職してしまったとき「授業評価アンケート対策」
危ない大学に奉職してしまったとき「本気の高校訪問対策」

    

2012年11月21日水曜日

大学について2

前回はカール・ヤスパースが説いた大学論を取り上げました.
大学について

今回は,ホセ・オルテガ・イ・ガセットによる大学論です.

オルテガ 著『大学の使命』

ヤスパースと同様,著者は『大衆の反逆』で有名な保守論者で,その件についてはまた別の機会にしたいと思います.

両者の大学論は比較されることも多いようですが(実際,『大学の使命』の付録として井上先生が論じている),今回は私なりに2人の大学論を解釈してみたいと思います.
なかでも,大学教育がどのように為されるべきか?といったことに焦点をあててみましょう.

オルテガとヤスパースの大学論で,よく比較されるのは以下のことです.

オルテガ = 教養教育,平均人の教育
ヤスパース = 研究教育,エリート教育

実際,本文中にこのような記述があります.
オルテガは,
与えることも,要求することもできないものを,与えるふりをし,要求するふりをするがごとき制度は,虚偽の道徳を乱す制度である.
それゆえに,
われわれは平均学生から出発しなければならない.
というのです.

一方のヤスパースは,
学生がおいそれとはついてこれないながら,しかしそこで向上しようとする労作を通じて追いかけてみようとする刺激を獲得するということは,教授学的に簡易化された万人に理解されやすいということよりも意味の有ることなのです.
真っ向から対立しているように見えますね.
2人が討論したら,喧嘩になるんじゃないかと思われますが,実際にヤスパースの大学観を受け継ぐドイツの大学人からは,オルテガの大学論について反論があったようです.

ただ,ヤスパースも 「平均的な学生は切り捨てるべし」 「ついてこれる学生だけ教育すべし」 という主張をしているわけではないのです.
ヤスパースは,上記の主張にこう続けます.
最優良の人々の標準が授業の進み具合を決定する時,平均人も,その力に従ってついてくるのです.全ての人が,誰も完全には充足させることのできない要求の下に活動することになるのです.精神的な地位に対する尊敬が,全ての人を向上させる推進力とならなくてはいけないのです.
大学教員をやっている者からすると,この考え方にはうなずけるんですけどね.
学生や一般の人からすれば,オルテガの主張の方が納得できるのかもしれませんが.

つまりこういうことです.
一部のエリート層(そう呼んでおく)を鍛える教育をすれば,残りの平均的な学生も,それに吊られて学習するようになる.それは,結果的に平均的な学生を育てる上でも有益なことなのだ.
ということです.

私はよくこれを,
「学部,学科,専攻・コース,ゼミなど,それぞれの集団・グループにおいてフラッグシップとなる学生を育てるべき」
というふうに論じています.

モデル,手本となる学生を育てるということです.
そうすれば,
「ヤバい.あいつ,いつの間にかめっちゃ賢くなってるやん.俺もウカウカしてられへん!」
という感じで,切磋琢磨していくようになるのです.

私の学生時代の経験でもあるのですが,やはり「天才的なやつ」とか「粉骨砕身するやつ」を身近にみると,ダラダラとした学生生活を送る気持ちは鈍りますよ.

それとは逆に,
反・大学改革論3(学生はお客様じゃない)
でも述べましたが,学生が求めるものを重視した大学教育に舵を切ると,実は社会のためにも,ひいては学生のためにもならないのです.

学生の学問へのモチベーションとでもいいましょうか.
そういったものが,「平均人の教育」にしてしまうと,最初は良くても,ズルズルと時間をかけて凋落してゆくのです.

むしろ私は,「なぜオルテガが「平均人の教育」にこだわるのか?」に着目します.
平均人を何よりもまず,教養ある人間にすること,すなわち,その時代の高さへと導くことが必要である.
オルテガはその主著『大衆の反逆』で,伝統の価値や教養を見失った者,自分自身への疑いを持たない者たちを「大衆」と呼び,
邪悪な人間はときどき邪悪でなくなるが,愚か者は死ぬまで治らない.
と手厳しく批判しています.
そして,こうした大衆が権力を持っていく現代を諦観するかのごとく眺めているのです.

日本においてもこの「大衆」は権力をふるっています.
それが顕著に現れた最近の出来事として,あの大津いじめ問題を語る日本の「大衆」が代表的です.
大津いじめ問題で大衆の愚かさに絶望しています

オルテガは説きます.
まえもって一つの意見を作りあげようという努力をしないで,その問題に関して意見をもつ権利があると考えるのは,私が《反逆する大衆》と呼んだ人間のばかげた生き方で,その人が生きていることを明らかに示している.(中略)愚か者は,自分を疑ってみない.自分が極めて分別があるように思う.ばかが自分の愚かさのなかであぐらをかくあの羨むべき平静さは,ここから生まれるのである.
こうした大衆を「どげんかせんといかん」と考え,オルテガは大学教育にその解決(緩和)を求めたのでしょう.
それゆえ,オルテガは大学教育を「平均学生から出発しなければならない」とし,教養教育に重きをおいたのではないでしょうか.

しかし,今日の日本の大学がおかれている立場からすれば,オルテガに何の文句もないとは言え,そうした「伝統の価値」や「教養」を学ばせるための大学教育では,まさに「大衆受け」しないという残念な状況が広がっているのです.

「大衆受け」しなければならない中で,そうは言っても大学らしさを取り戻さなければ,日本の大学に未来はない.
そういう思いで書いた記事が,
大学設置不認可について,大学教員として言いたいこと
です.

オルテガは「大衆」の切削を「大学の使命」とします.
しかし,大衆を切削させるための実際的な方法としては,ヤスパースが説く研究教育を重視する大学教育の方が,“まずは” 効果的なのではないでしょうか.
前回の記事でも紹介した,ヤスパースの言葉です.
最高の訓練とは,完結した知識を習得することではなく,むしろ学問的な思考へと諸器官を発展させることであり,また教育することなのです.そうすることによって,生涯を通して,更なる精神的・学問的訓練が可能となるのです.
このヤスパースが育てたい学生像とは,まさにオルテガが求めるそれとも一致します.

今の日本人,もっと具体的に言うと,今の高校生と保護者,そして文部科学省の顔色をうかがう大学改革では,大学としての機能を果たし得なくなる.
大学が持っている本来の機能を,大学人が,そして社会が再確認すべきなのです.

あれこれ改革論を振り回す前に,もう一度,大学の使命や理念を考えてみる必要があるのではないでしょうか?
  

2012年11月15日木曜日

大学について

前回の記事でも取り上げましたが,もう少し大学の本質について考えてみようと思います.

自身,大学教員になったということもあり,「そもそも大学とは何か」と自分の中で問う日が多くなりました.
学生のころから考えていたことではありますが,この “そもそも論” を蔑ろににして「新しい大学教育の展望」みたいな話がされるのは由々しき事態です.

「そもそも大学とは何をするところか?」
をしっかり論じていないで,あれこれ改革しても,学生や社会のためにはなりません.

反・大学改革論
で私の見解の断片は述べていますから,その繰り返しになってしまうのもアレなので,今回は私の大学観の基になっている書籍を紹介したいと思います.
私の思いつきをダラダラと垂れ流しているブログではダメだと思いますし.
大学という教育機関を考えてもらう上で,参考になれば幸いです.


今日は,
ヤスパース 著『大学の理念』

まさに1手詰の詰み将棋.
ドイツの哲学者カール・ヤスパースが,大学のあり方について論じた本であります.
古典ですが,非常に明快かつ説得力のある文章で(訳者の福井先生の力でしょうけど),他を圧倒しております.

大学改革を声高に唱える人に読ませたい本No1.
ダラダラと学生生活を送る学生に読ませたい本No1.
自信を持って授業ができない大学教員に読ませたい本No1.
そんなところです.

ヤスパースの言葉を,いくつか引用してみましょう.
大学は,移ろいゆくことのない理念,つまり教会のそれと同じような,国家を超越した,世界に広汎に通用する性格の理念に基づいて自ら固有の生命をもつのです.
なぜなら,大学は「学問」をするところだからです.
そして,
学問は,欺瞞を暴くものです.(中略)学問は,無批判的な思惟を生み出し,これを無限の探求可能性の代わりにしてしまおうとする固定化を解消するのです.
これだけでも市場原理的な大学改革をしてはいけない理由が汲み取れます.
私が過去の記事でも述べた,「大学とは “王様は裸だ” と叫ぶ場所」というのに通じています.

ヤスパースは学生の様子についても考察しています.
彼は,試験のために学び,全てを試験のために意味があるということによってのみ判断してしまうのです.勉学の期間を就職までの辛い移行期間と感じ,今から実務に救いを求めようとしてしまうのです.
いやぁ,結局,昔も今も変わらないんですね(この本は1945年に書かれた).
さらには,
彼は,いくつかの好みの書物を読むことが学問的な仕事であると思い,果ては学問に代わって教義を求め,講義を祭壇と思うようにして,努力を転倒させてしまうのです.
まさに,就職予備校と化している日本の大学の姿ではないですか.
ヤスパースは,学生はこういう態度で大学に入ってくるから,“そうではない” ということを学生に伝えなければいけないと説きます.
いくつかの日本の大学は手遅れですが.

ではヤスパースの大学教育のあり方とは,
研究と授業の統合は,大学の高い,捨て去ってはならない原則なのです.
ということで,これがこの本でヤスパースが打ち出した,最も印象深いテーマです.
つまり,研究現場こそが,最も有意義な教育現場
なぜヤスパースが研究を通した教育にこだわるのかというと,
自ら研究する人だけが,本質的に教えることが出来るのです.そうでない人は,固定したものを伝えるに過ぎず,教授法的に並べ立てるに過ぎません.大学は,単なる学校というものではなく,高等教育機関なのです.
耳が痛い.
たしかにその通りです.
だから私なんかが意味不明な専門外の授業をやってはいけないのです(コマ数を減らして楽をしたいからではありません!).
最高の訓練とは,完結した知識を習得することではなく,むしろ学問的な思考へと諸器官を発展させることであり,また教育することなのです.そうすることによって,生涯を通して,更なる精神的・学問的訓練が可能となるのです.
ですよねー.
これを学生に伝えたいのですが...,なかなか難しいのです.
やっぱり,就職に有利な事柄に目がいっちゃうよね.
威厳のない私みたいな教員では説得力が足りないです.

さて,最後はこの言葉で締めます.
大学は,民族の表現なのです.しかし,大学は,真理を追求し,人類に奉仕することを願い,人間性を端的に表出しようとするものです.(中略)それ故,なるほどそれぞれの大学は,一つの民族に属しているのではあるのですが,しかし民族を越えるものを把握し,実現しようと努めるのです.
後日,ヤスパースとオルテガの大学論を比較してみました.
大学について2
ご参照ください.

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本日,政治評論家の三宅久之さんがお亡くなりになられたそうです.
この方には私も強く影響されたということもあり,今回のニュースは非常に残念であります.
お悔やみ申し上げます.
    

2012年11月12日月曜日

大学設置不認可について,大学教員として言いたいこと

タイトルにあるようなことを記事にするべく,本件のバカバカしさを語ってやろうと意気込んでいたら,内田樹先生のブログに先をこされていました.
全くと言っていいほど同様の見解なだけに,誠に残念であります.
田中大臣の不認可問題の影にあるもの(内田先生のブログ記事)
大学を減らすために何ができるのか?(これも内田先生の記事)
一歩遅かった.

今日の朝,Yahooニュースを見ていたら,『政治クローズアップ 大学設置不認可 問題の本質は』とかいう記事があって,その中で見つけてしまいました.

チクショウ.悔しい.
こんなことなら先週は仕事を適当にやってブログ書いとけばよかった.と不埒な考えも出たり.
ちょうどこういうのって,実験をやろうと企画している途中で,実は先行研究に全く同じ実験デザインの研究があるのを見つけちゃった,というのに似ています.


まぁそれでも,私なりの記事も書いておこうということで,一筆したためましょう.

9月の記事では,『反・大学改革論』を展開しておりますので,その続きということにもしときます.
以下の4つは私の記事です.
暇でしょうがなかったら,合わせて読んどいてください.
反・大学改革論
反・大学改革論2(学生からの評価アンケート)
反・大学改革論3(学生はお客様じゃない)
反・大学改革論4(喜んでる教員)


大学設置不認可については,適当にググったら出てくるので,ご自身で詳細は調べといてください.

本件を語る上で重要なくせにニュースとして取り上げられない課題があります.
(1) 本当に大学生の学力は下がっているのか?
(2) そもそも大学は多いのか?
(3) 大学を減らせば「良く」なるのか?
(4) 認可手続きは本当に「不自然」なのか?
(5) 本当に大学の質は下がっているのか?
(6) 淘汰されるべき大学とは,どんな大学か?

この問題の本質を本当に問いたいのであれば,上記の課題に答えなければならないはずですが,「なんか多分そんな感じだから」ということで語られているので始末に終えないのです.

(1)については,かなり以前に記事にしたことがあります.
学力低下
大学の数が増えて,大学生の数が増えているのであれば,当然ながら「大学生」という身分の人間の平均的な学力は下がります.
でも,これは「日本人の学力が低下している」ということにはなりません.
今まで大学に入学できるような学力ではなかった高校生も大学に入学できるようになった.
それだけのことなわけですから,これは単純な統計的な問題です.

内田先生もブログで述べているように,たくさんの若者が大学教育を受けるようになったのだから,“誠に幸いなことに”,日本人の若者が高等教育を受ける機会が増えていることを意味しているわけです.

(2)と(3)については,考えようでしょう.
上で述べたように,日本人の学力(と言うよりも,高等教育,正確に言えば “学術力”)を高めたいのであれば,大学は多いほうがいいわけですから.
そのぶん,教育予算を増やさなければならないのですが,それは次代を担う日本人を育てる気概の問題のような気がします.
それでもなぜ世論が 「なんとなく大学を減らしたい」 という方向に向かっているのか?,については内田先生が述べているところです.

教育問題には首を突っ込みたい.
「だから最近の◯◯はダメなんだ」と言いたい.
でも,本当に日本の若者の学力・学術力が高まってもらったら,自身の立場が危うくなるから困る.
そういうことです.
まぁ,皮肉を言えば,日本人の多くが教育問題を適当に考えていることを汲み取れるわけですね.


さて,内田先生のブログには載っていないことに突入していきます.
(4)の認可手続きについてですが,これは一般に流れている(Yahooニュースでも池田信夫氏などが述べている)「不自然」な手続きではないことを主張しておきたいと思います.

たしかに,一般の感覚では認可途中で
「建物が出来上がっている」や,
「教職員の採用が決まっている」,そして
「学生募集が済んでいる」
といったことを「不自然」と捉える向きもわからんでもないのですが.

これこそ,「知らないんなら口出すな」と言いたくなることでして(少なくとも,ちゃんとメディアは認可手続きの意味を国民に広く正確に伝えるべき).

では,「不自然だ」と主張する人に聞きますが,
建物も教職員も学生の集まり具合も全く分からないままに,書類だけで認可するのか?
ということに同意するのでしょうか.

会社を立ち上げることとはわけが違うんですよ.
例えば,書類だけで認可させることを考えるんなら,申請時に以下のような文言を放り込んどけばいいんですよ.
「東京駅前に200万平方mの敷地を用意する予定」
「ノーベル賞受賞者を中心として,各界で活躍する教員を採用予定」
「そんなスゲぇ大学ですから,定員を大幅に上回る受験生を見込んでいる」
そして認可後に,
「あれは予定だったから,結局こんな大学になっちゃいました」
で構わないことになってしまうんです.

それでいいと思います?
ダメでしょ.

だから新設大学は,コツコツと文科省と進捗状況を協議しながら認可の内定をもらい,最後のこの時期に大臣からの最終認可を“儀式として”受けるようなシステムになっているのです.


さて,次は(5)の問題ですが,これは私も「大学改革」の余地ありと考えているところです.
9月の一連の「反・大学改革論」シリーズでも少し述べていますが,私なりの大学改革.

それはつまり,「やっぱり本来の大学に戻ろう」です.

大学改革というのは以下の2点を担保しなければいけないと考えています.
(1) 大学の研究レベル
(2) 卒業生の学術レベル

最低でも,どちらか1点は担保すべきです.
ところが,これまでの大学改革は上記の2点とも無視したビジネスライクな改革になっていました.

「いや,だからそれを担保するために市場原理を持込み,グローバル時代に対応する“教育力”を大学に求めて・・・」
と反論してくるのかもしれませんが,結果としてダメだったのだし,現在進行形でダメになっていっているわけですから,考えなおさなければなりません.

現状,大学の数が多いことを認めるとしましょう.
では,その「数が多すぎる大学」という現状から,大学改革するには何をすればいいのか?
しかも,上記で示した2点を担保しながら.
かつ,抜本的でハードランディングな改革にならないもの.

今のところ,私にはこれしか思いつきません.

(1) 卒業基準を各大学で呼応して厳しくする
(2) 卒業基準に各大学の “らしさ” を求める
(3) 卒業基準の甘い大学への行政指導
(4) その代わり,改革移行期に発生するであろう「卒業しにくい大学を敬遠」という現象を文科省はフォローする

「大学は質の高い学生を世に出すべき」
というなら,これが必要です.
改革には混乱がつきものです.
ゆえに,(4)のような,大学をフォローする仕組みも用意しなければ,ただの大学いじめにしかなりません.
だって,卒業生の学術レベルを高めようと頑張れば頑張るほど,おそらく今の高校生・保護者の感覚では,その大学への入学者数が減ることになるのですから.
つまり,何を学ぶか?ではなく,卒業することに価値を置いている今の価値観で上記の改革をすると,きっとそんな動きになるはずです.

だいたい20年ほどのスパンでやる必要があると思います.
20回くらい卒業生を出せば,どの大学が良い卒業生を出しているのか,その社会的な評価も出るでしょう.

とは言え,大学の評価に,そんなに大きな変化があるとは考えていません.
なぜなら,私の感覚的なものですけど,現在でも「良い」とされている大学は,そのまま「大学の研究レベル」と「卒業生の学術レベル」の高さを保有しているからです.

ただし,この私の改革論だと,どうしても拭えない危惧があります.
それは,「教育のマニュアル化」です.
楽して数値を示したい大学が,学問ではなく勉強を,学術力ではなく学力を高めることを是とする動きが予想されます.
そこをどうするのか?考えものですが.

最後に(6)についてですが,内田先生もおっしゃられるように,ビジネスライクな大学が消えていくのではないですか.
結局,社会に役立つ知識だとか,教育力(学術的な意味ではない)だとかを謳う大学っていうのは,淘汰されてしまうんだと思います.

2012年11月8日木曜日

秋の思想

今日は書籍の紹介です.
河原宏 著『秋の思想』

著者の河原宏先生は本書を執筆中に亡くなられており,その遺稿をまとめる形で出版されたものです.
その遺稿をまとめた一人である中野剛志氏が,とあるインターネットの動画で紹介していたので購入してみました.

販売直後に購入したのですけど,急ぎ読むタイプの本ではないようで,ゆっくりと今日までかけて読み進めてきました.

10人の歴史的人物を取り上げ,河原先生なりの視点で人物像を解説するというもの.
特に参考になったのは「三島由紀夫」の章です.
他の人物をあまり知らないから,というところもありますが.

以前に読んでいた小説,三島由紀夫『豊饒の海』シリーズの完結編である『天人五衰』の解釈について,本書が大変参考になったのです.

普通に読んだだけでしたら,そのストーリーとクライマックスにただ衝撃を受けてポカーンとなっていただけでしたが.
三島由紀夫が「天人五衰」に込めた想い,というところが垣間見えたような気がします.

この「天人五衰」を書き終わったあと,三島由紀夫は有名な「三島事件」を起こし,自殺します.
それだけに,この「天人五衰」で表現していることは,三島由紀夫が自殺に至るまでの「考え」を汲み取るヒントがあるとされています.


「豊饒の海:天人五衰」のネタバレ部分もあるので,以下,注意して読んでください.

「天人五衰」の舞台となったのは戦後日本(1970年~1975年),高度経済成長に向かうまっただ中.
ちょうど,三島由紀夫が自殺した時代です.

河原先生は述べます.

第四巻「天人五衰」は表題もそうだが,中身も偽物の孤児安永透と,財力にまかせて彼を養子とし,なんとか転生した本物の主人公に仕立てようとする本多繁邦の目をそむけるような情態に,腐食した現実を表意している.金の力で,どこまでも偽を真に,ホンネをタテマエに作り変えようとするのがその現実だった.

ただ何も考えず小説を読んでいた時には気づかなかったのですが.
つまり,戦後日本の正体を,三島由紀夫はこのように表現したのですね.

第一巻から第三巻までを読んでいれば,登場人物と出来事やテーマの連続性に気づかされ,小説それ自体にある連続性以上の衝撃を受けます.

戦後,日本は「本物」や「当然あるべき姿」を見失っている.
戦後復興を遂げ,世界をリードする経済力はつけたかもしれない.
しかし,「国としてのあるべき姿」を金の力で無理やり取り繕っているのが,戦後日本.
それは「本当のあるべき日本の姿」ではない.

そういうヒントを得た時,物語のラストで綾倉聡子が松枝清顕について,
「その松枝清顕さんという方は,どういうお人やした?」
と主人公(本多繁邦)と読者の両方を混乱させるところの意味が,なんとなくですが伝わってきました.

つまり,こういうことではないでしょうか.

あの時代(明治~大正)のことを,日本人はすでに忘れている.
あれだけ正統で,皆が愛してやまなかった戦前の日本について,日本人は無視を決めこんでいる.
それは私(三島由紀夫,そして分かっている人)にしてみれば,
「何をトボけているんだ,知ってるはずじゃないか!あの日本のことだ!」
と言いたくなるようなこと.
でも,どうやら多くの日本人は本当に知らないようだ(もしくは,知らないふりしかできないのか).

そんな戦後日本の姿に,三島由紀夫が選んだのは,市ヶ谷駐屯地における憲法改正とクーデターを促す演説.
そして割腹自殺だったのでしょう.

2012年11月2日金曜日

フリードマンの検定をエクセルでなんとかする

前回に続けて,3群以上のデータをエクセルを使ってノンパラメトリック検定する方法です.
少し前に紹介した,対応のある2群間の検定である,
ウィルコクソンの符号付順位和検定(エクセルでp値を出す)
のような検定方法です.

フリードマンFriedmanの検定.
対応のある一元配置分散分析のノンパラメトリック版として利用されています.

以下のようなデータを使ってみます.
あとで利用しますので,各群のN数である「5」,群数である「3」も表記しておきます.

まずはノンパラメトリック検定ではおなじみの順位付けです.
フリードマンの検定では,以下のように
各被験者内で順位づけします.
図のように,
条件ごとに順位付けです.
オートフィルで一気にやってしまいましょう.

これまたノンパラメトリックではおなじみですが,同順位値(タイ値)が出たら,それ用の処理をしてください.

Steel-Dwass法をExcelで計算する方法について,もう少し詳細に
ウィルコクソンの符号付順位和検定(エクセルでp値を出す)

を参照してもらえるとOKかと思います.

そして,以下のように
それぞれの順位を合計していきます.

次に,ウィルコクソンの符号付き順位和検定でもやりましたが,
このように順位を2乗していきます.
これもオートフィルで一気にやってしまいましょう.
そして合計します.

では,いよいよ統計量の計算です.
一気に計算式を書いてもいいのですが,かなり長いので分けて示します.

まずは「T1」ということで,

=((E7^2+F7^2+G7^2)-B8^2*B9*(B9+1)^2/4)

という計算をしておきます.

次に,「T2」ということにして,

=(H7+I7+J7)-B8*B9*(B9+1)^2/4

という計算です.

それぞれの計算をさらに,

=(B9-1)*B11/B12

ということで,統計量の計算終了です.

あとはこれを,「CHIDIST」関数を使ってp値の算出を行ないます.
自由度は「群数-1」ということで,今回であれば「2」です.
そんなわけで,このデータの群間には有意性が認められました.

ちなみに,SPSSの算出結果は,
ということになっています.
同じ値ですね.

あとの多重比較については,
ウィルコクソンの符号付順位和検定(エクセルでp値を出す)
をやってもらった後,

ノンパラメトリック検定で多重比較したいとき
Excelで多重比較まとめ
を参考にしてもらえるとOKです.



参考文献:
池田央 著『統計ガイドブック』


※こんな怪しいブログよりも信頼性が高いものに触れてもらうよう,
独学で統計処理作業をスキルアップさせるための本
という記事を書いています.参照してください.
    

2012年11月1日木曜日

クラスカル・ウォリスの検定をエクセルでやる

ノンパラメトリック検定の多重比較をするということであれば,パラメトリック検定の多重比較の際に行う「分散分析」に相当するものを紹介しておかないといけないなということで,今回はクラスカル・ウォリスKruskal Wallisの検定を取り上げます.

以前,
ノンパラメトリック版Tukey法による多重比較「Steel-Dwass法
Steel-Dwass法をExcelで計算する方法について,もう少し詳細に
という記事を書いていますが.
こちらではなく,どうしてもマン・ホイットニーのU検定での多重比較をエクセルでやりたい場合に利用してもらえると良いかと思います.

クラスカル・ウォリスKruskal Wallis(クラスカル・ワリスとも表記される)の検定.
対応のない3群以上のデータ間に有意性があるかどうか検定するものです.
パラメトリック検定である「一元配置分散分析」のノンパラメトリック版といったところです.

では,使用するデータの紹介です.
マン・ホイットニーのU検定(エクセルでp値を出す
でも紹介したように,群を立てに並べておくと,少しだけ作業が楽です.

上から順に,A群(赤セル),B群(青セル),C群(緑セル)です.
あと,A列のところにある数字は,各群のN数と「A14」に全N数を表示させています.
後ほど使用しますので.

次に,このデータの順位付け作業です.
RANK関数を使用し,昇順で
一気に順位付けします.
※同順位値(タイ値)がある場合の処理については,
Steel-Dwass法をExcelで計算する方法について,もう少し詳細に
ウィルコクソンの符号付順位和検定(エクセルでp値を出す)
を参考にしてください.

で,
今度は,図のようにそれぞれの群の「順位の値」を平均させます.
そして,全部のデータの順位の平均値も算出します.
これで準備完了です.

これを基に,クラスカル・ウォリスの統計量を計算します.
かなり長いので,参照しているところを図で確認してもらって,間違えないように入力してください.

=12/(A14*(A14+1))*((A3*((D6-C14)^2))+(A8*((D10-C14)^2))+(A12*((D13-C14)^2)))

この式の最初の「12」っていうのは,どんなデータであっても「12」です.どこかの参照値ではありません.

例では,統計量は「6.3949」になっています.

そして,p値を出すのですが,今回はエクセルのχ二乗検定の関数を利用します.
=CHIDIST(B16,2)

ということで,自由度を「2」にしてT(統計量)を参照します.
今回のデータ例であれば,0.0409という値が出ましたので,この3群間には有意性が認められました.

ちなみに,同データでのSPSSの算出結果は以下の通り.

このように,このデータについて群間に有意性が認められたということになりましたが,ではどことどこの群間に差があるのか?という点については,2群間のノンパラメトリック検定を行なわなければなりません.
今回のような対応のない2群間の検定としては,マン・ホイットニーのU検定などを使います.
マン・ホイットニーのU検定(エクセルでp値を出す

その後の多重比較には,
ノンパラメトリック検定で多重比較したいとき
Excelで多重比較まとめ
を参考にしてもらえるとOKです.

Steel-Dwass法を紹介していますので,あまり利用することは少ないかもしれませんが,何かの時に使ってください.

この記事の参考文献:
石村貞夫 著『すぐわかる統計処理』
池田央 著『統計ガイドブック』


※その他,こんな怪しいブログよりも信頼性が高いものに触れてもらうよう,
独学で統計処理作業をスキルアップさせるための本
という記事を書いています.参照してください.