2013年4月30日火曜日

学生とのやり取り その3

昨日,前任校の学生よりメールをいただきました.
がんばって勉強しているようです.飽きずに続けてください.
で,そのメールで「敬語」についてお尋ねがありましたので,私なりの「敬語に対するうんちく話」としてお返事しました.
えらく長文になりましたので,せっかくですから今回もブログに焼き直して載せちゃいます.
「敬語」が無い英語などの文化では,発言が積極的ではないだろうか?
日本も敬語の文化が弱くなれば,発言が積極的になるのではないか?自分の意見をしっかりと表明できるようになるのではないか?
と汲み取れるようなご質問でした.


この手の話を考える上で大事なのは,「敬語」がなぜ存在するのか?という点だと思います.
「敬語がある文化だから〜〜」というように,現状の文化を観察して考察することも大事なことですが,そもそもなぜそのような文化が出来上がっているのか,という視点も大事だと思うのです.

私の理解では,「敬語」という文化は日本語だけではなく,世界中にあるものです.※返信後,ウィキペディアとかで調べときました.
例えば,英語にしても目上の人相手や丁寧にお願いする際は「Please〜」を入れます.
朝鮮語やフランス語,ドイツ語では,目上の人用の単語が敬語としてあります.
ただ,日本語が世界的に特殊なのは,その構造や使用方法が極端に複雑なところです.

ではなぜ日本語は「敬語」がこんなにも複雑なのか?という点が不思議なんですよね.
一説には,意外に思えるかもしれませんが「日本は“上下関係の垣根が低い” から敬語が発達した」というものがあります.

コレ,どこで仕入れた情報なのかと思い出していたんですけど,やっと本棚の奥で見つけました.
浅田秀子 著『敬語で解く日本の平等・不平等』

浅田氏いわく,
日本では言いたいことを立場を越えて議論する文化が歴史的にも受け継がれてきている.
そのため,目上の人に言いにくいことでも物申す場合がある.
物申すと言えど,目上の人であることに違いはないのだから,失礼にならないように言い回す言葉が必要になった.
それが日本で複雑多様な発展をとげた敬語である.
ということです.

一方の欧米や中国大陸の文化は,上下関係(支配階級・奴隷階級)が明確な歴史であり,実は,その階級同士での対話しかない文化なのです.
つまり,敬語はあるものの,あまり使用しないし機能しない文化なのです.
話し合う相手は同じ階級だけであり,下の者が上の者に言葉をかける状況が非常に少ないわけです.

件の学生が言うように,欧米人は言いたいことを積極的に言う,ということをよく聞きます.
しかし,その一方で欧米人(と,一緒くたにするのも良くないけど)は,自分の立場を悪くする事柄や相手には絶対に何も言わない,ということも聞きますよね.

例えば,欧米には貴族・セレブ・平民・労働者などといった厳然たる身分・文化があり(特にイギリスやアメリカで顕著と言われる),自分が所属する階級同士での交流しかないというのは(住む地域とかパーティーとか),これまた知る人ぞ知るところです.

日本みたいに社長やセレブが「たまには赤ちょうちんの居酒屋で一杯やりたいよね」なんていう文化はありません.
もちろん,部長が平社員を相手にビール飲みながら,「俺が若かったときはなぁ・・」というのもありせん.
部長は部長同士で,部長らしいレストランやバーに行くものなのだそうです.だって,平社員を相手にいつも飲んでたら,部長としての威厳がなくなるからです.

こういう日本らしい文化は,時として面倒くさい文化として捉えられることもありますが,実はよくよく考えてみれば上下・身分の垣根が低いとも言えるのです.
貴族や上司,目上の人が身近に存在する,生活している,という状況のただ中にあって,「敬語」が洗練されたわけです.

以前の記事「■・・・その2」でも取り上げましたが,「和をもって尊しとなす」という独特の精神性が,敬語をこれほど複雑多様なものとしたと言えなくはないでしょうか.
和をもつためには,立場を越えた議論が必要なのであり,そういう文化が日本の根底に流れているわけです.

ちなみに,「武士道というは死ぬことと見つけたり」という言葉がありますが,この言葉が日本の上下関係を端的に示していると思います.

この言葉が持つ物騒な雰囲気と気合いの入りようから,安直に解釈されて,特に大東亜戦争では特攻精神を喚起させるために使われたというところがあります.
しかし,この言葉が収められている『葉隠』全体を読んだら,そんなに簡単なものではありません.
この言葉の意味するところを私なりに解釈すれば,
武士は,世のため人のため,主君のために仕えているのである.そのためには常に “死ぬ気” で取り組まねばならない.もし,世のため人のためにならないことを主君がやろうとしていれば,それこそ “必死” で止め,言うべきことは言う.たとえ反逆者として死罪になろうと,それが主君への真の忠義であり,“武士道” なのである.
というものです.
「和をもって尊しとなす」からは縁遠い感じがするかもしれませんが,国家運営や組織運営のための「精神」は同じなのではないかと.
つまり,天下の安寧を任されている “公務員” である武士としての心構え,みたいのものではないか.

また,『武士道』を著した新渡戸稲造は, “武士道とは何か” と問われたら,それは「“義を見てせざるは勇なきなり” に収斂される」ということを述べております.
下町風に言えば “男気” っていうものでしょうかね.

垣根の低い上限関係と,「恐れながら申し上げます」という精神性によって,敬語は磨かれていったのかもしれません.

話すとどこまでも続くので,以上.

まぁそんなわけで,たまには敬語について難しく考えることもいいのではないでしょうか.
正しい敬語を使って目上の人とも円滑なコミュニケーションをとれるといいですね.