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「ぶらぶら歩き」興国論

昨年の3月に,
「ぶらぶら歩き」亡国論
という記事を書きました.

そこで言いたかったのは,
「「ぶらぶら歩き」などという活動でもって,“私の運動・スポーツだ” という認識では,日本のスポーツ振興はままならない」
ということでした.

しかし,先日の記事である,
スポーツによって災害に強い強靭な町をつくれる
のような視点からすると,“ぶらぶら歩き” であっても十分価値あるものであることが推測されます.

むしろ「ぶらぶら歩き」こそが,亡国などではなく,興国の可能性を秘めているかもしれません.
細かいことは上に示した記事を読んでもらうとして,とにかくヒトは「身体を通して本気で遊ぶ」ところに,人間らしさの本質があるように思えてなりません.

上の記事では「ぶらぶら歩き」が日本人の運動・スポーツの特徴であると指摘しましたが,逆に言えば,ぶらぶら歩ける国民性があるということです.
いえ,むしろヒトはアフリカに始まり,世界中を歩き回って繁栄してきたのです.
同じルートやテリトリーを走り回ったり,飛び回ったりする他の動物とは違うのです.

ぶらぶら歩くだけでもいいから,とにかく動け.
ぶらぶら歩ける町をつくれということです.
「ぶらぶら歩き」,なんと人間らしい活動であることか.

おいおい,以前の記事と主張が(タイトルも)180度ちがうじゃないか.というところですが,まぁ,物は言いようですから,のんびりと聞いてください.

とは言え,いずれの記事にせよ私が言いたいのは,国や社会にスポーツを振興させることは,「無形の文化の発展」「人の可能性の発露」「教育的意義」「感動」といった分かりやすくお定まりの主張だけでなく,本当の意味での経世済民(経済)と共同体づくりに貢献するという点です.

スポーツの振興を「趣味の範疇」「税金の無駄」と考える人もいるようですが,そうではありません.

ここで言う「スポーツsport」は外国(ヨーロッパ)の思想であるから,日本には馴染まないのではないかという意見もあって然りでしょう.
しかし,名称こそ違えど,日本にもスポーツのような活動は多く散見されますし,これは日本に限ったことではありません.
大相撲は日本最古の「プロスポーツ」として知られており,各地にみられる「祭り」はスポーツの様相を呈するものも多いのです.

本来「スポーツsport」が意味しているところは幅広いにも関わらず,むしろ日本では「競技スポーツ」という側面だけで捉えすぎているきらいがあります.

あと,なんだかんだでスポーツを価値の低いものとして捉える向きもあります.
例えばダニングは,エリアスとの共著である『スポーツと文明化』において,
スポーツは,それが「仕事」と「余暇」,「精神」と「肉体」,「真剣さ」と「楽しさ」,「経済的」と「非経済的」,などの諸現象間の二分法のように,伝統的に了解されている重なり合う二分法の複合体の否定的な評価を下される側に当たると見なされているがゆえに,社会学的な思考や研究の対象として無視されてきたように思われるのである.
と指摘しています.
そして,その一方でダニングは,人間が織りなす社会構造や社会行動を探求するうえで,スポーツが提示しているものを研究することは社会学的に重要であるとも述べています.



あと,スポーツの新興について,「ようするに,国民を健康にすることが目的でしょ」という指摘もありますが,それについては,
スポーツは健康になるためのツールではない
を御覧ください.

私も授業なんかでたまに言うのですが,
最近はトレーニング(体力づくり)の分野が成長しているので嬉しい限りですけど,トレーニングというのは,その活動自体が目的になると長続きしないし飽きがくるものです.

トレーニングとは,『トレーニングしたい目的』があってこそ成り立つものです.
その目的とは,計測可能な健康や体力といった「状態」ではなく,「もっと◯◯したいから」というものです.

もっと野球がうまくなりたい,もっと険しい山を登りたい,もっと飲み会を楽しみたい.さらには,孫を背負って遊びに行きたい,という目的を持っていた高齢の方にお会いしたことがあります.
これがトレーニングの目的です.そして,こういう目的であればトレーニングは長続きします.

無理矢理「飲み会」もその目的に含めていますが,つまりは,何かしら健康や高い体力といったものが必要とされる「事」に夢中になっている(ハマっている)ことが前提であり,それを維持・強化しようとするところにトレーニングの本質があるはずなのです.

では,手っ取り早く健康や体力が必要とされる人間の活動とは何でしょうか?スポーツですよね.
野球や登山はもちろんスポーツですし,飲み会もある意味スポーツです.高齢者にとっては,孫を背負って遊び相手をすることもスポーツに関わっていることになります.

そんなわけで,自分の身体を自在に操りたいと願うほどハマる「事」を普及することが,まずは優先事項となります.
そして,その「事」こそがスポーツです.

健康になりたいからスポーツをするわけではありません.
スポーツをしている状態こそが健康なのです.
もっと言うと,スポーツをするからこそ人間なのです.
スポーツをしていれば,勝手に健康になり,勝手に共同体がつくられ,勝手に住み良い町ができます.

以上のことをまとめれば,どうせスポーツを振興するにしても,いえ,行政レベルでやるからこそ,
なるべく多くの人が関わり,なるべく大きな投資と消費を生み,なるべく無形有形の遺産を残す企画が望ましい
ということになります.
なぜなら,スポーツは共同体形成,経済活性,町(都市)整備の起爆剤になりますし,歴史的にみても世界中の地域にみられる「スポーツらしい活動」というのは,そういう機能があるとしか思えないからです.