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スポーツ現場の体罰問題,無くせるものなのか?

農業問題の次は体罰問題を扱おうとしていた矢先に飛び込んできたニュースです.
今日は先にこの問題の方を扱います.

浜松日体高校男子バレーボール部の顧問が,部員に体罰

以前,大阪桜宮高校においてスポーツ(バスケットボール)指導中の体罰が原因とされる生徒の自殺がニュースとなり,大きな話題となりました.

これをうけ,体育・スポーツ系の我々が所属する学会でも,「スポーツ現場での暴力」が重要テーマとして位置づけられ,シンポジウムが開かれていたところであります.
以下のサイトを参考にしてください.
日本体育学会第64回大会「緊急シンポジウム」

そのすぐあとの出来事でもありますから驚いているところです.
(というか,この手の体罰は全国で日常的に発生していると思われる・・)

上記のシンポジウムに参加した感想も含めて述べさせていただきます.

まず,シンポジストは当然ながら「スポーツと暴力は相容れないもの」「体罰反対・暴力反対」を繰り返す発表と発言に終始します.
まぁ,しょうがないよね.
「暴力にも価値がある」なんてドライな発言をしたら,どんな扱いをうけるか知れませんから.
というのも,会場にはマスコミが入っていたのと,そのシンポジウムをDVDとして記録していたからです.
不用意な発言はマズイわけで・・.

ただそんな中で,急遽,演者としてお越しいただいた元ソフトボール女子日本代表監督の宇津木妙子氏は,
「私は体罰をしていました.暴言を吐いたこともあります」
と述べ,
「選手としっかり向き合っているか.それが大事です.失敗したこともあります.選手に深い傷を負わせたこともあります.でも,しっかりと向き合うこと,それが大事なんです」
と,けっこう勇気のいる発言をなさっていたのが印象的です.
体罰擁護とも違う,指導者論のようなものを私は汲み取りました.

さて,このスポーツ現場(に限らないが)の体罰や暴力ですが,今の日本のスポーツ環境のままでは絶対に無くなることはありません.
どんなに体罰・暴力反対の声を大きく上げても,です.

件のシンポジウムですが,シンポジストよりも来場席からのコメントのほうが鋭いものが多く(気が楽だから当然か),私と意見を同じにする発言もありました.

その一つが,
「暴力的な指導を無くそうにも,“暴力を使った指導によるメリット” が指導者側に存在する限り,根絶は難しいのではないか」
というものです.
同感であります.

例えば,「何が何でも勝たなければいけない」というプレッシャーを学校,特に保護者から感じている指導者は,生徒や選手をできる限り思いのままに操れるようにしたいと願うのは当然であります.
ベテランなら周りからの目やプライドがあるでしょうし,若手なら戦績次第によってクビを切られる場合もありますし.

ちなみに,「プライド?クビ?そんなことのために子供に暴力をふるうのか!?」と思われる方は,どうか「世の中は貴方のような良い人ばかりではないんです」ということを言葉を聞いて,落ち着いてください.
スポーツの指導者だって,皆が皆,暴力をふるう人たちではありませんから.むしろ極めて少数派だと思われます(調査がないから分からないが).
暴力をふるう指導者が有名校・強豪校に多いので余計に目立つわけで.
というか,暴力をふるうくらい気合の入った指導を求められることもあるので,いかんともしがたいわけで,はい.

そういった指導者にとって,クラブの指導は「たかがスポーツ」では無いのです.
その指導者を取り巻く状況たるや,凄まじいものがあります.
もう一度言います.
そりゃもう凄まじいですよ,マジで.
私はとてもじゃないけど強豪校の指導はしたくないですね(私からすれば,アレはスポーツ活動じゃない).

我が子のスポーツ活動に熱心な保護者というのは,本当に狂ってんじゃないかと思うくらいで,しかもそれが全国に数人なら「おもろいオッチャン」で済まされますが,強豪校ならウジャウジャいます.
「そんなクラブは見たことがない」という方,あなたは幸せですよ.

そうした環境というのは,熱狂的な盛り上がりを見せる学校スポーツ(高校野球は最たる例)の凄さでもありますが,同時に,私としては怖いと思うところでもあります.

体罰や暴力を利用する指導者というのは,こうした周りの環境の影響が多分にあるものです.
考えてもみてください.「なんとしてでも勝たなければ,私はバカにされる!笑いものだ!無能だと思われる!」という環境下と,「え?負けたの?いやぁ,残念だったね.来年また頑張ろうね」という環境下では,指導者の行動は違ってきます.

この「学校スポーツを見る目」を先にどうにかしないと,体罰問題は永遠に繰り返されるものです.
むしろ,例のニュースの教師が言うような「気合を入れる」というメリットが得られるものとして利用され続けるでしょう.

「ぶん殴ってでも分からせてやる!」という熱血ドラマ,
「なによ!バカぁ!」という恋愛ドラマ,
どちらも堂々と体罰・暴力を使っているのに,心惹かれる人間の奥深さでしょ.
時と場合によっては,暴力も許容される側面があるのですから,そこんとこ考慮した議論が必要です.

そうは言っても,暴力的な指導はネガティブな部分が大きいのですから,横行しないように何かしら手を打たなければいけないとは思います.
私自身,「手をあげたら負けだと思っている」という指導者の一人ですし.体罰をしたくてもできません.よくもまぁ引っ叩けるな,と感心するくらいです.いえ,これは皮肉ではありません.本当にそう思います.

「暴力的な指導」にしたって,そもそも「暴力」というものを,どこからどこまでの事として認識するかで違います.「指導」も突き詰めて考えなくてはなりません.
けっこう根が深い話なので,また機会を改めて書きますね.

まぁ,これは指導というものに対する主義・思想のようなものです.
全面的に何かが正しいというものではありませんから.

当面は,
『暴力(とここでは呼んでおく)』以外の教授法を適切に使用できない指導者は無能
というキャンペーンをするくらいでしょうか.