2013年5月28日火曜日

どうしても教職課程の改善をしたいなら

前回の投稿中に以下の内容を盛り込むと長文になり過ぎると思いましたので,こちらに分けて書かせてもらいます.
教職課程や教員養成の改善についてのお話です.

「課程」や「研修」を充実させることが重視される流れに,「それだと学校や大学の負担が増えるだけで,効果は低い」ということを前回の記事で取り上げました.
事前に,
ようするに,余裕のない現場が大学に求めている
を読んどいてもらうと分かりやすいかと思います.

ザッとおさらいしておくと,
教育や教育改革の話題は,焦点がボヤけたまま議論されるので右往左往してしまいがちでして.
「教員の質が下がっている」とか,「養成や研修を充実させる」といった政策の話をするのであれば,教員に求められる能力と責任,そして権利・権力を明確にしなければなりません.

端的に言うと,今の学校の教員は,求められるものや責任が増えて複雑になっているのに,権利・権力が削がれてしまっているのです.それも尋常じゃないほどに.
それなのに,(教育職という)反論できない構造である教員サイドに甘えて,「求められる能力」とやらがドンドン積み上げられている.それが現状です.

何度か記事にしましたが,例えば「いじめ問題」にしても,誤解を恐れずに言えば,
「教員が関与できないシステムを大衆が望んで作り上げた」
にもかかわらず,いざ刺激的な事件が連続して報じられると
「教員が関与しなかったのは何故か?」
という議論がしゃーしゃーとまかり通ることです.

本当ならマスメディアがこうした議論に対し,
「しかし,生徒の間に教員が入っていくことを拒む教育環境や学校文化を,長年にわたってジワジワと作ってきたのは我々だとも言える」
と報じればよいものを,そうしないものだから大衆が求める嗜好に合わせて「悪者は誰か?」という不毛なドンチャン騒ぎに終始します.

そうは言っても,マスメディアという言葉の意味を辿れば,mass(大衆)のmedium(媒体)なのですから,マスメディアは大衆・世論が求めるものを広めるものとしての機能を“残念ながら”果たしてしまっているとも言えるわけで.

この話はこの話で長くなるので,
大津いじめ問題で大衆の愚かさに絶望しています
喫煙ルーム(黄柳野高校のこと)
を読んでもらうとして,本来のテーマに戻ります.
教職課程の改善について(本当に必要であればだが).

私が最も効果が高いと考えているのは,現政権も推している「インターン制度の導入」です.もちろん,これがちゃんと機能するように教育現場の構造を改善(「元に戻す」と言っても良い)することが条件ですが.
その理由を説明しましょう.

採用しようとする教員に “本当に” 指導力があるかどうか?そんなもの,誰もわかりゃしないのです.私の主張(そしてインターン制度の導入の理屈)は,この大前提からスタートするものです.

いくら高度な筆記試験でも面接でも,ましてや質の高い教職課程とやらを経ていたとしても,子供たちを相手にした際の「仕事としての教師」がどんなものか,採る側だって本人だって分かるはずもありません.
だったら,現場の先生たちと長期間一緒に仕事してもらい,その働きぶりで採用の可否を決めるのが当然の理屈ではないでしょうか?

自民党案のインターンはこういうものです.
まず学生は「准免許」を取得して卒業します.教採に合格した人は普通の教師と同じ扱いで,学級担任や部活動も受け持ちながらインターンとして学校に勤務(この期間は3年〜5年とのこと).
このインターン期間中に,校長が勤務態度や課題への対処能力を見極め,基準を満たしたと判断すれば,めでたく「本免許」が交付されて,いわゆる常勤講師になるというもの.

私はこれ以外に,いわゆる「教育実習」をもっと有効機能させるためにも,教育実習の長期間化(半期間化)も良いのではないかと考えています.つまり,大学の授業の「15週:半期」を教育実習としてのみ実施するというものです.でもまぁ実習期間は10週間くらいでもよいと思われます.あとの5週分は事前・事後指導として用意するということで.

当然,その半期は他の授業がとれません.学生にとっては卒業所要単位取得のピンチです.
しかしこれにより,
(1)実習希望学生は教員志望者&余裕をもって単位を取得している学生ばかりになる
(2)つまり教育実習希望学生が大幅に減ることにもなる
(3)実習校は長期の実習受け入れにはなるが,意欲の高い実習生を受け入れるわけだから,実は普段の業務の助力になってくれて,むしろ負担は減る
という寸法です.
オプションとして「教育実習の評価点が教員採用試験の採点に影響する」というのを盛り込むことも考えられますが,ちょっとこれは黒過ぎるのでペンディングです.

それに,こういう提案を続けると「フィンランド化」し過ぎるきらいもあるので,なんだか日本としてのプライドに傷がつきます(逆に言えば,それくらいフィンランド方式は合理的です).

もちろん,このようなインターン制度や教育実習の長期化に取り組むためには,学校や教師を守る制度も用意しなければいけません(フィンランドのようにね(笑)!).
というか,現状でも以下のことが必要とされています.
いちいち挙げていたらキリがないので,大きな事項を3点. 

(1)教員のやり方を尊重する.今は教員のやることに外野がいちいち口を出し過ぎです.聖域にしてしまえ,というくらい,つまりは教員の権力を元に戻しましょう.
(2)業務を減らす.いらない雑務や書類作成がありすぎです.授業以外の細かい学生対応(部活動とか)なんかは,それこそ教育実習の長期間化が実現したら,実習生にやらせてはどうでしょう.
(3)報酬の増額.公務員叩きに余念がないルサンチマンにまみれた大衆がウザいですが,気にせず報酬を上げることです.逆に言えば,大衆が酔っ払いオヤジの如く叩きまくるくらい責任ある業務をしてくれているのですから,それ相応の対価が必要なのでしょう.バカはほっといて増額です.

神は細部に宿るのですが,今回はそういう記事ではないので,上記のようなざっくりとした提案でご容赦ください.

ただここでどうしても楔を打っておきたいのは,上記の(1)について.
教員のやり方を尊重するといっても,好き勝手やらせるというわけにはいきません.
日本ならではの教育理念や,日本国民を象徴する強力な道徳に基づく教育が求められます.
 さっきからフィンランド化し過ぎるのを懸念して(ちゃかして?)いるのはそういう理由からです.

教育に限らないですが,こういうことを突き詰めていくと,理屈や正論だけではない「何か」を頼りに物事を判断しなければならないところに行き着きます.
日本であれば,それは何になるのでしょうか?

私としては,一言で言えば「義を見てせざるは勇なきなり」を教えるのが日本の教育だと考えています.
つまりは「武士道」
体育における武道の必修化,なんてチャラいことせずに,堂々とやればよろしい.
体育だけじゃなく,国語や数学を通して,これを教えることができれば教員としての御役目を果たしたと言ってよいわけです.

大津いじめ問題で大衆の愚かさに絶望しています
でも書きましたが,こういう部分が日本の教育に復活するべきことではないでしょうか.「机の上での勉強より大事なことがある」といったことを口先だけのものにしないためにもね.
敢えて言いましょう,「“いじめ問題”を教師が解決?ふざけるな」です.
むしろ,これを堂々とやれるような場にしなければいけないですし,目下,これが最大の課題だと私は考えております.

こういうのって,左翼系の人たちからするとムカツクんでしょうが,残念ながらこれを譲るわけにはいきません.公教育のことですから,それくらいの気概が必要です.

ここで前回の記事の話に触れておきます.「そもそも,なぜ教職課程を改善しようとする流れがあるのか?」そして,この流れを辿ったところにある「大学を改革すればなんとかなる」について,いささか愚痴めいた,しかし高等教育を考える上で大事な話を述べました. 

教員養成を本気で考えるなら,インターン制度の導入,そして教育実習に本気で取り組む学生しか行けないような仕組みにする,この理由を端的に言えば,「餅は餅屋」ということです.
「学校(での)教育の専門家ではない大学教育の専門家に,なぜ学校の教師が養成できましょう?」という当たり前のはずの議論がすっぽかされて,「学校の先生の親分は大学の先生」という図式を成り立たせてしまっていることが問題です.
いろいろと問題がある免許更新制がその典型です.

教育現場には教育現場なりの流儀があって,私立も含めれば様々な教育環境があります(黄柳野高校のようにね).
透明性や世間の要求に耳を傾けることも大事なことではありますが,それに右往左往することは教育現場としては良くない状態です.
まずは,教師が存分に活躍できる状態にもっていくことが先決ではないでしょうか.

さて,
途中でも話題にしたフィンランドの教育を,特に教員養成について知るためには,以下の増田ユリア 著『教育立国フィンランド流教師の育て方』が参考になります.
付け焼刃な日本の教職課程改革がダメな理由と,教員養成の頑張りどころがどこなのか考えるヒントになります.ご一読ください.

2013年5月25日土曜日

ようするに,余裕のない現場が大学に求めている

昨日,隣の研究室の先生からこんな話題を提供してもらいました.
「教員養成、6年じっくり 愛知教育大、修士まで一貫コース」
教員の質の向上をめざし、国立愛知教育大(愛知県刈谷市)が、全国唯一となる大学院修士課程までの「6年一貫コース(6一コース)」を開設している。大学院での研究と並行して、学校での長期間の授業実践を盛り込んでいるのが特徴だ。意欲の高い学生が集まるが、研究成果を教育にどう生かすかを模索している。
朝日新聞 2013年5月24日
私のところも教員養成をしているので,関係がない話題ではありません.

教育関係者や教育系大学の方々にとっては常識ですが,このニュースの背景には「教員の修士レベル化」というものがあります.教員のレベルを上げるために,免許取得条件に「修士以上の学位を有する」っていうのを必須にしてしまおう,というものです.
そういう潮流を見越して,またはこの理念に賛同して,大学4年間と修士課程2年間,計6年間かけて教員養成をする大学が出てくるのではないか,と思っていたら,早速そういう大学を見つけました.というニュースなのです.

隣の先生にもお話しましたが,この手の話に疎い人のために簡単に解説しておくと,
昨今,教育現場での事件・事故がクローズアップされることから,より質の高い教員が求められておりまして.
そんなわけで,教員の質を高めるにはどのような策が必要か?そして,教員養成をどのようにすれば効果的か?が議論されているのです.

さしあたって教員養成改革のメインストリームとしては,
(1)教職課程の修士レベル化 ←上記の流れ
(2)教職課程の質的向上
(3)研修の充実
(4)インターン期間の導入 ←第二次安倍内閣で浮上
(5)免許更新制 ←第一次安倍内閣から開始
といったところです.

上記のことについては,2006年の中央教育審議会(いわゆる中教審です)での議論が,
今後の教員養成・免許制度の在り方について(答申)
として文部科学省のHPに掲載されていますので,詳細が気になる人は参考にしてみてください.

なお,くだりの「教職課程の修士レベル化」は民主党が進めていたものです.当時(2012年8月)の資料として以下のものがあります.
教職生活の全体を通した教員の資質能力の総合的な向上方策について(答申)
独特な教育政策で有名なフィンランドの方法を,浅はかにも付け焼刃しようと目論んでいたのでしょうが,残念ながら「教職課程の修士レベル化」は保留(つまり却下)になる流れです.

さて,こうした教員の指導力向上や教職課程の改革については,掃いて捨てるほどニュースやブログで取り上げているでしょうから,私のブログでは,
「そもそも,なぜ教職課程を改善しようとする流れがあるのか?」
という部分に切り込もうと思います.
もっと言うと,「修士レベル化にせよ,教職課程の質的向上にせよ,そして免許更新制にせよ,なぜこんなにも大学側に仕事を振ってくるのか?」というところです.

「当たり前.だって,教職課程の質が問題視されているからだろ」と脊髄反射せず,どうか最後まで読んでください.

結論から言いますね.この記事のタイトルにもあるように,
“余裕のない教育現場が,新人教育を大学に求めている”,ということが事の発端であり,それに惑わされて本質が見えなくなっているのが残念,ということです.

教員の指導力を向上させようとして,大学の教職課程の質を向上させたり量を増やしたり,ましてや修士レベル化にしたところで,全くもって無意味です.

「大学が受け持つ仕事を減らしたいからだろ!サボるな!」という声も聞こえてきそうですが,私が目指しているのは,あくまでも「指導力の高い教員の養成」です.そして,この目標を達成するためには,大学の教職課程をいじったところで,なんの効果もないのですから,そもそもやる必要がないですよ,と言っているまでです.無意味な仕事を増やして,学校の先生や大学教員の負担が増えるだけで,誰も得しません.

どうもこの手の話は「大学が提供するもの(過程とか研修)の質を上げれば,出口(つまり教師)の質も上がる」という奇妙奇天烈な理屈が,なんの理論的根拠もなく通ってしまうので迷惑しています.

「学校の教師の指導力を上げる」がテーマなのですよね.であれば,それに効果があるであろう施策を検討すべきで,なんだかピンぼけした方法論ばかりが積み上げられているのが残念です.

大学が教職を目指す学生に授けられるのは,教育とは何か?学校とは何か?発育とは何か?といった「学術的な思考力」であって,教師として現場で使える指導力やスキルではないのです.そこを勘違いしている人が非常に多いわけで.
「私は授けられるぞ!」と憤る大学教員もいるかもしれません.ですが,仮にそれが事実だったとしても,そんなごく一部の先生の影響力が全国的に,そして政策的な効果として期待できるわけがないのですから.もっと冷静にこの国の教育問題を考えてください,とだけ申し述べておきます.

学校で勤務するにあたっての最低条件である学術的思考力は大学で授けましょう.しかし,学校の先生に必要とされる指導力や子供との接し方,保護者とのやり取りなんていうのは,学校教育に携わっている人しか分からないですし,その現場でこそ教えられるべきはずのものなのです.
そのための“ふるい(フィルター)”として採用試験があるわけで.

これを民間企業で例えれば,営業で求められる顧客とのコミュニケーションや,社員としての立ち居振る舞いなんてものは,そこの会社でしか学べないし教えられないはずで,これを大学が “胸を張って堂々と”,そして “公式に表立って” 教えてたら明らかに可笑しいというのは容易に分かってくれるはずです.

こうした事態は,世間や保護者から「あーだ,こーだ」と言われ続け,膨れ上がる生徒指導と家族相談,溢れかえる資料作成によって余裕がなくなった学校サイドが,それこそ余裕を持って新人教育ができないことから,あろうことか,
「えぇい,新人教育は大学に任せた!」
ってことにしたくて,果ては,
「もっとレベルの高い卒業生を出せよ!養成校としての責任を果たせ!」
と逆ギレしている,という流れです.

・・・・・,はい.

察しの良い方は分かってくれましたか?
実は途中でサラッと流した「企業」も同じ状況なのです.

民間である「企業」は「学校」よりも節操がないですから,堂々と大学にこれを求めちゃっています.
ググったら日本経団連の調査が出てきますので,そちらも参照ください.
そこには「コミュニケーション能力」とか「グローバルな視点」とか.
果ては,主体性とか実行力とか協調性や一般常識といった,「おいおい,それって新人教育でやることじゃねぇの?」というものが盛り沢山.

画面の前で腕を組んでシタリ顔をしている方々,
自分自身を学ぶ側(学生とか新人とか)に置き換えて考えてみてくださいよ.
語学(英語)力がその典型です.英語とか外国語っていうのは,それを話さなければどうしようもない状況に追い込まれなければ学習できないものでしょ?
今は話せている人自身もそうだったはずですし,未だに上達・学習できずに悩んでいる人も多いはずです.そうじゃないですか?

学生時代には朝が弱かった人も社会人になったら起きれるようになるし,会社の成り立ちやルールも1年くらいかけて慣れたんじゃないですか?

企業にしたって,社員に語学力をつけさせようと考えたら,
「おい,あのさぁ,おまえ来月からイギリスへ行って勉強してこい.なっ♪,がんばれ」
って渡航費・研修費を渡して送り出せる気概があるかどうかの問題です.

外国企業とのコミュニケーションが差し迫ったところなら,それくらいするでしょう.
必要も気概も野望もないのに,ただブームに乗って,見栄をはりたくて「グローバルな人材がいない」「語学力が高い人材が必要」などと回答する企業が多いのではないですか実際のところ.

我々のような大学関係者だって同じです.必要に迫られるから語学を習得する.そうじゃないと首切られるし,そもそも仕事にならないからです.
家族や生活を犠牲にしてでも海外経験に投資する教員もいますし,必要に迫られている大学は出張費用を出して研修させるわけで.
※よくイメージされる,のんびりした海外研修・経験というのは,ごく一部の人だけですよ.昨年ノーベル賞を受賞した山中伸弥先生の苦労エピソードなんかが典型的なものだと思います.ご参照ください(そんなわけで,この仕事は自殺者も多い...).

今は不況で業績不振だし,その渡航費や研修費を出すのが苦しいから.さらには,社内での一般常識とか意気込みといった新人教育を長期間かけてやれる時間や労力が惜しいから,それを大学でやってくれと甘えているだけなのです.
一昔前(90年代中頃)は「即戦力が欲しい!」と恥ずかしげもなく露骨に訴えてたでしょ.覚えてます?そう言えばあの頃から不況が本格化しましたよね.こういうのって,経済状況と符合します.

結局,現在は学校も企業も余裕が無いわけで.だからといって,それに大学が右往左往してたらヤバイんです.仕事にならないんです.
※ちなみに,この問題は大学論とか若者論とか時代といったカテゴリで特定できる問題じゃなくて,政治経済から派生する相互関係のある問題だと思われます.
先日の記事,■昔の記事を読みなおす「派遣に思うこと」をご参照ください.

ところが,体力のない大学ほど「世間の要求」を気にするから,そういう方向で学生指導をしてしまう.もちろん,短期的には世間ウケも学生ウケも良いから,「効果があった」とか「私たちのやっていることは正しかった」と錯覚してしまいます.

けど,それだと大学が本来果たすべき「学術的な思考力を高める」ことを弱めてしまい,長い目で見たら日本の,そして人類のためにはならないことは自明のことなのに.
面接官ウケとビジネスの才を高める大学教育がはびこる日本に,未来はないでしょう.

考えてもみてください.「世間の要求」とやらを丸々実践すれば評判が良くなるはずなのに,延々と「大学の格付け(と一応ここでは呼んでおく)」の大枠は変わらないではないですか.
いわゆる「危ない大学」ほど,この「世間の要求」をしっかりと実現しているんですよ,いやホントに.
ところが,実際には大学間の格差は広がる一方です.「世間の要求」を受け入れた大学が評価されたなんて聞いたことありません.不思議でしょ.って言うか当然なのだが.
※この相反,矛盾するメカニズムは,また後日記事にしましょう.
で,それを記事にしました.
危ない大学に奉職してしまったとき「本気の高校訪問対策への対策」

つまり,大学らしい大学を続けることこそが,大学が本当の意味で良い人材を育て,社会に貢献するための道なのです.

※後日,この記事で触れている「教職課程の改善」をテーマにした記事を書きました.
どうしても教職課程の改善をしたいなら

2013年5月22日水曜日

補足:エクセルの散布図にラベルを表示させる方法

前回の記事の補足です.

前回,標準得点を利用したテスト結果や測定データのフィードバック方法を紹介しましたが,
標準得点と散布図を用いた分析と評価方法
ここで以下のようなグラフ(散布図)を,

以下のように,プロットされた点のところにラベル(名前とか)を貼り付ける操作をしたものを示しました.

上記以外にも,かなり以前の記事
続・農業のこと
で,以下のような図もお示ししたことがあります.

こういう,散布図の「データポイント」に「ラベル」という文字を表示させているものを見る機会は多いのですが,いざ同じように作ろうとすると,初心者には難解な作業だったりします.
仕方なく,散布図上に「テキストボックス」で書き込んだりしてるのではないでしょうか.

“よく見る” わりに,実は難しい.
ということで,今回の記事ではこのグラフの作成方法に触れておきたいと思います.
他のサイトでも紹介されているのですが,これも縁だと思って見ていってください.

私がWindows版(Excel 2007)でもMac版(Excel 2011)でも同じ結果になることを確認している方法をご説明します.
それ以前や以降のバージョンでも,なんとかなるんじゃないでしょうか.

まず,散布図を作りたいデータが入ったエクセルのシートを準備してください.
例として,前回と同じエクセルデータを用意してみました.こんな感じです.
このデータで作成した散布図に,Aさん〜Kさんの名前,つまりラベルを貼り付けよう,というものです.

では,上記の用意ができたら以下のマイクロソフトのサポートページに行ってください.
http://support.microsoft.com/kb/213750/ja

こういう画面が出てくるかと思います(2013年5月22日現在).
ここに書かれていることを読んでもらえればOKなのですが,もう少し詳細に,“とりあえず作成するため” の最短コースを以下にお示しします.

ずずぃーっと,このページの下の方にスクロールしてもらいますと,こんな表示の部分が出てきます.

そしたら,この灰色背景部分の「コード」を,以下のように “選択” して “コピー” してください.
※お示ししている図はMacのSafariでの作業画面です.Windowsの方も基本は一緒です.
これをコピーしたら,エクセルに戻ります.

で,エクセルの「Visual Basic Editor」を起動させます.
MacのExcel2011では,こんな感じ.
「ツール」→「マクロ」「Visual Basic Editor」です.
※Windowsでも同じような雰囲気ですが,バージョンごとの詳細は上記のサポートページを御覧ください.

すると,以下のような画面になりますので(プロジェクトっていうのが出てくる),以下のように「挿入」のところで「標準モジュール」をクリックしてください.


お次は,こんなエクセルらしからぬ見慣れない画面が出てきます.

ビビらず,新しく現れた真っ白なやつに,さっきコピーしたものを以下のように貼り付けましょう.
こんな感じになります.
これで完了です.
あとはエクセルシートの画面に戻ります.
下の図であれば,シートのセルの部分(図中の左下あたり)をクリックすれば元の画面に戻れます.

ではいよいよラベル貼り付け作業です.

至って簡単で,以下のように目的の散布図を選択状態にして,

Excel 2011であれば,
「ツール」→「マクロ」→「マクロ」をクリック.

このような画面が出てくるので,「実行」をクリック.

というわけで,ラベルが貼り付けられました.

このラベルは,テキストボックスで作ったものとは違ってフォントの変更が手軽にでき,

グラフや目盛スケールのサイズ変更をしても,一緒についてきてくれるので便利です.

最後に注意点を一つ.
今回の例であれば,以下のような散布図を続けて作成することが多いかと思います.
ところが,こういう状態で今回のマクロを実行すると,
こんなふうに,「垂直跳び」の測定データがラベル(名前)としてふられるんです.
つまり,(半透明の)紫色で参照されたデータ列の左側の列がラベルになるわけですね.
ですから,この場合はラベルとしてふりたい文字がある列を,
こんなように作成してから再度マクロを実行すると上手くいきます.

ご参考になりましたら幸いです.

関連記事
エクセルで相関係数のp値を出す

2013年5月20日月曜日

標準得点と散布図を用いた分析と評価方法

今月の記事として,
点数・得点を段階評価するためのエクセルシートの作成
標準偏差を用いた段階評価の仕組み
四分位とパーセンタイルでの段階評価をエクセルで作成を紹介しました.
どちらもテストや測定結果を対象者(クライアントやチーム)に返却(フィードバック)する際に威力を発揮するエクセルの分析・評価方法です.

今回も平均値と標準偏差を使ったフィードバック方法として利用できるものをご紹介します.
「標準得点」を使った評価です.
後半で紹介する「散布図」との併用で,解釈が楽な上に視覚にも訴えることができる優れものです.参考にしてみてください.

では,
例として使うデータは以下のものです.
早速,このAさん〜Kさんのデータを標準得点化します.

標準得点(z得点という)の算出式ですが,
標準得点(z) = (測定値 − 平均値)÷ 標準偏差
で計算します.

 エクセルの例では以下のように入力します.
まずは垂直跳びの標準得点化のために,D列2行目に
=(B2-$B$13)/$B$14

を入力します.
その調子で,脚筋力の標準得点化,
E列2行目には
=(B2-$B$13)/$B$14

そんな感じで,この2つをオートフィルします.
これでAさん〜Kさんの垂直跳びと脚筋力のデータの標準得点を算出することができました.
以下の図では,桁数を小数点第一位に調整しています

ところで,この標準得点ですが,平均値と標準偏差を基にして,そのデータが平均値からどれだけの標準偏差のぶんだけ離れているかを算出したものです.

そんなわけで,この標準得点の平均値と標準偏差を算出してみると,
 上図のように,平均値は0,標準偏差は1になるという性質を持っています.

どうってこと無いように思うかもしれませんが,この標準得点は非常に便利な数値なのです.
代表的な利用例をを以下に紹介します.
それが冒頭でも述べた「散布図」によるものです.

では,算出した標準得点で散布図を作成しましょう.
 このようにして,
 散布図を作成しました.
 これを,きれいに正方形にしたのが以下のものです.
うるさく見える線も消して,スッキリさせています.
 察しの良い方は気づかれたかもしれませんが,こうすることで,
散布図中央「0,0」付近にプロットされているのが,垂直跳びと脚筋力が平均的なデータ,そこから離れたデータは特徴的なデータということになります.
それが非常に見やすいということなんです.

標準得点による散布図がいかに見やすくて便利か.
試しに,生のデータで散布図を作成してみましょう.
 こんな感じで出力されます.
同じように解釈できなくもないのですが,これだと「垂直跳び」と「脚筋力」でお互いの測定値のスケールが違いますから,なんだかボンヤリとしたものになります.
グラフの目盛やサイズを調整すれば,標準得点を使った評価と同じようなことができなくもないのですが,これがけっこう面倒です.

詳細はまた後日取り上げますが,以下に紹介する作業により散布図を改造することで,さらなる視覚化を実現できます.
まず,エクセルのデータを以下のようにしておきます.標準得点を算出したデータの左列にAさん〜Kさんの名前を挿入するんです.

そして,とある以下の様なサイトから散布図を改造するためのマクロをコピーしてきます(これはマイクロソフト社のHP).

そんでもって,エクセルのマクロとして貼り付け,

このマクロを採用して,
実行.

 すると,Aさん〜Kさんの名前が散布図に表示されるようになります.
これで,どこの点が誰なのか分かるっていう寸法です.

エクセルシート全体を俯瞰してみましょう.
ついでに,4つに区切られたマスにも名前をつけてみました.
今回は,垂直跳びと脚筋力で作ったものですから,適当ですが以下のような名前をつけております.

これで,誰がどんな体力的な特徴を持っているのか把握しやすいということです.
例えば,
Eさんは垂直跳びも脚筋力も優れているのに対し,Iさんはどちらも劣っている.
Hさんは筋力は平均以下だけど,非常に優れたパワーを持っている.
Gさんは筋力が優れているけどパワーは平均以下だから,もしジャンプ力を求めているのであれば筋力トレーニングよりもパワートレーニングをしよう.
なんていう評価ができますね.
それが,全てのデータ間でどのような関係性なのか,ひと目でわかります.

2つの関連するテスト結果や測定データがあれば,その関係性をみるのに重宝するかと思います.
持久力と瞬発力,国語と数学,価格と満足度...,いろいろあるでしょう.
何かの時にはこれを応用して使ってみてください.

この記事の参考文献は以下のものです.

   

2013年5月18日土曜日

昔の記事を読みなおす「デザインの勉強」

前回に続けて,昔の自分の投稿記事を自分で読みなおしてみる記事です.

今回は,深澤直人 著『デザインの輪郭』を引き合いにして,「たまご」を語っている記事.
デザインの勉強

工業デザイナーとして著名な深澤氏.その彼のデザインの源流といいますか,それが「たまご」の形なんだそうで.

あと,電子レンジで作れる「ゆでたまご器」も取り上げています.
以下にアマゾンで購入できるものを紹介しておきましたので,よかったら買ってみてください.
かなりの便利グッズです.

オススメする理由は以下の通り.
1)茹で湯を用意しなくて良い.
※つまり,その茹で湯を用意するための時間を節約できる.忙しい朝や,私のような無精独身男性には最強のツールとなります.

2)しかも湯で時間が短い
※2個用であれば,だいたい10分くらいです.

3)そんなに高くない
※以下をご覧の通り,2個用であれば1,000円を切ります.

4)電子レンジと少量の水があれば調理できるので,職場でも重宝する
※鍋やコンロを使わなくなった私の生活においても,数少ない温かい食事を得ることができます.塩の購入を忘れずに.

この「ゆでたまご器」のデメリットは,私や深澤氏もこだわる「湯で加減」の調節が,電子レンジの特性を熟知していないといけないし,難しい.という点でしょうか.
レンジと友達にならないと微妙なゆで加減は達成できません.

加える水の量と玉子の大きさ,レンジの出力などを考慮しながら取り出すタイミングを計る様子は,まるで「たたら製鉄」の職人のようです.
  

そうは言っても,
「茹で上がってくれればそれでいい」という場合には,そんなに気にすることではないでしょう.

この「ゆでたまご器」は,運動栄養学の実験の被験者をやるにあたって,タンパク質摂取量を信頼性のあるものでコントロールするために購入したのがきっかけで,そのまま使い続けています.

鍋無し,ガス無し,調理する気無し,という,食事状況のコントロールをするのが非常に面倒くさい被験者である私のために,実験担当者が提案した最後の砦.
その実験担当者の方に紹介してもらい,今に至ります.

この他にも便利なものがあれば紹介しようと思います.


あ,そうそう.
「デザイン」のことを放ったらかしではなんなんで,もう少し書いときます.
深澤氏の著書も含め,デザイン関係の書籍はちょいちょい読むようにしております.
なんでかというと,科学研究やスポーツを考える上で,「デザイン」という観点から何かヒントがないかなぁと直感的に感じておりまして.
門外漢ですが,視点や考え方をチェックするようにしているのです.

デザインの“これ”が,科学の“こういったこと”に役立ちます.
というようなものではありません.
物事の本質的な部分を引っ張り出してくるために,「デザイン」を考えることは大事なのではないかなぁと思っているのです.

例えば,原研哉 著『デザインのデザイン』の冒頭にも述べられていることを以下に引いてみます.

コップをデザインすると考えた場合に,「コップ」とは何かを考えることになります.
参考のため,たくさんのコップを眺めてみたとします.でも,たくさんのコップを見れば見るほど,「コップ」とは何かが分からなくなってしまうのです.
「コップ」の口を広げていくと,どんどん「皿」に見えてきます.でも,どこからが皿で,どこまでがコップなのか,その境界線は曖昧です.

つまり,コップをデザインしようと研究すればするほど,逆にコップとは何かが分からなくなってしまう.しかし,それこそがデザインを考えることなのだと.

機能美と言われますが,「機能」のことだけを考えたものが優れたものとは言えないわけで.
これについて工業デザイナーである深澤氏は『デザインの輪郭』で,
僕がこれを考えたように見えると言われますが,それは僕が考えたわけではなくて,そうなるべき姿であったということの結果だと思います.
と述べています.
機能 “させるため” にデザインしたのではなく,機能 “するため” にはこのデザインであった,ということでしょう.
一見同じように捉えられるかもしれませんが,違うのものです.
そもそも「機能」とは何か?ということも大事ですしね.

我々の分野であれば,「実験デザイン」とか「体力トレーニング・デザイン」といったものも,実はこのような観点から見ることはできないだろうか.そういうことを考えているわけで.

例えば,体力トレーニング・デザインなんかはその典型でして,体力づくりやスピードアップ,脂肪燃焼といったトレーニング目標を達成するために,それを “機能させるため” のトレーニングデザインにしてしまいがちです.
一週間当たりに何日,何回,何セット,コレとコレとコレをやりましょう....

これが世に言う「科学的トレーニング」.
でも,こうしたトレーニング科学に基づくトレーニングって,実はそれほど機能するわけではないのが現場の直感.
ハマる人と,そうでない人がいまして(そして,ハマらない人が多いから生活習慣病がこんなにも多いし,運動実施者がこんなにも少ない),ビジネスとして携わっている指導者やトレーナーからすれば,そこに悩んでいるのです.

ならば,機能させるトレーニングではなく,機能するトレーニングを研究してしまおう.
最近はそう考えることが多くなりました.
そのためのツールや視点も,ちょっとずつ揃ってきましたが,これについては知的財産なので内緒です.
公的に世に問うようになったら,またその時に.

 


2013年5月15日水曜日

昔の記事を読みなおす「派遣に思うこと」

今回,黄柳野高校の一件でブログを始めて間もない4年前の記事を読みなおす機会となりました.
「昔はこんなふうに物事を捉えていたんだなぁ」
と感慨にふけるとともに,自分で言うのもなんですが,勉強になる記事もあったりで.

今一度読みなおしてみながら,現在の私なりの考察も入れてみます.
手軽に昔の自分と向き合えるブログって,結構楽しいツールなのかもしれません. 4年前の私との対話です.

当時の私は20代半ば,某大学の助手をやっていましたね.
さて今回は,
派遣に思うこと
を取り上げます.

どういう記事だったかと言うと,「派遣労働」に関する新聞ニュースを引き合いにして,派遣労働について当時の感想を述べているものです.
秋葉原での通り魔殺人事件が発生した時でもあり,派遣労働者の扱いをめぐる議論が喧しい時期でした.

この記事全体の私の主張ですが,今の考えとさして変化はありません.
当時の私は,
派遣に関する問題点がいろいろと取り沙汰されていますが,そもそも「人材派遣」という雇用方法がここまで活発になった背景は,“必要な労働力を必要な分だけ安い給与で確保できる” という点が企業にとって美味しかったから,もっと言えば,そうでなければこの数年間の不況を乗越えられなかった企業がたくさんあることです.
なんてことを述べています.
続けて,
派遣切りに対する企業への批判が起こっています.不況を乗り切るために安い給与で雇い働いてもらった人達なのだから,苦しい時こそ派遣社員を守れと.
しかし切られなかったとしても,切らなきゃ沈む舟に乗っていては近々一緒に沈むことになるわけで,そこをどうこう言っても仕方がありません.企業としては法律の範囲内で自分が沈まないようにマネジメントしただけのことですから.
派遣を雇って儲けたあくどい企業なんてごく一部.今が不況でないのならその話も通用しますが,ずっとこのかた不況続きなのですから,正社員も一緒に切るような事態に派遣を守ることなんてできません.
ということで,
上記のニュースについて思うことは,派遣を禁止にしても失業者が増えるだけで意味無しかと.限られた業種以外というのがどこまでなのか詳しくは不明ですが(民主党案では製造業は禁止だそうです),こういう後先考えない政策よく出すなと.
その上で,
派遣という雇用形態が悪いのではなく,この問題の本質は景気の低迷 + 雇用の低下です.派遣に頼らざるを得ない経済状態では,派遣を禁止したところで別の形でこの不況を乗り切ろうとまた劣悪な雇用形態が生まれます.
と言っています.
今でもそうだと思います.つまり景気を回復しないことには,この「派遣労働」の問題を改善することはできないと考えられるのです.

そして2012年末.
アベノミクスによる景気回復が,やっと始まりました.

「バブルが起きる」だの「株価だけの現象」だの「給与が上がっていないではないか」などという,くだらない,質の低い批判がされていますが,どうか無事に景気が “元通り” になるよう頑張っていただきたいものです.バブルで結構.デフレよりはマシ.

そういえば,こんな事にも言及していました.
給与の低さが問題なのであれば,最低賃金の引き上げというのがありますが,私はあの政策によるメリットがどうもまだイメージできません.この経済状況で給与の増加は現実的とは思えないので,言うなれば働き先を増やす政策を打ち出してほしいのですが.でもそれが簡単に思いついたら苦労しないんでしょうね.
今の私の答えは,これも派遣労働問題と同様でして,
最低賃金を引き上げたところで,企業の業績が回復しないことには,“高くなった最低賃金が足かせになって” ,企業はそもそも労働者を雇いたくても雇えない状態に陥り,結果,失業率は高まり,生産力は下がり,景気は悪化する,というサイクルになると考えています.
最低賃金の引き上げは,ダメ,ゼッタイ.
が現在の私の答えです.

「働き先を増やす政策を・・・」の部分ですが,これはまさにアベノミクスで放たれる(はずの)3本の矢の一つ「機動的な財政出動」から導かれる,政府による雇用創出がこれに相当するのでしょうね.
私の他の記事でも散見されますが,とにかく,

「ドリルを持て〜!トラックに乗れ〜!突撃だー!」

ということで,公共事業の拡大です.
何かと叩かれる公務員採用の増加も効果的でしょう. 
ド田舎出身の私達には,どうしてもドーしても納得できない,都会人の「公共事業は悪だ」という論調.
しまいにゃ「あなた方は自然に囲まれていて良いのではないか」などと知ったような口をきく.
なら,お前がここに住め.

その精神性が如実に現れたのが,東日本大震災での復興の遅れと,驚くべき(当初の)復興予算の低さですよ.
ま,邪推の邪推ですがね,東北なんて「復興」させずに「新生」させればいい,などと考えてたんじゃねぇのか?と.
我が故郷,高知にしても明日は我が身.
都会人は信用出来ません.3.11後にみられた東北への仕打ち,絶対に忘れませんからね.

で,そんなこと言った後にどの口が言うか,ということではありますが.
誠に誠に不謹慎だと承知の上で申し上げますが,昨年の「笹子トンネル崩落事故」は,「公共事業のあり方を見直そう」などと言う,呑気な大衆の意識を変えるきっかけになったかと思います.
あれって都会人が使う中央自動車道で起きた事故だし.さすがに身近に感じたのではないですか.
その上で・・,合掌(犠牲になった方々の命,決して無駄にはしません・・・)

1ドル=100円を突破!などと騒いでいますが,不況が始まった時に比べれば,まだまだ円高状態.
平均株価が15,000円を突破!などと大げさなこと言っていますが,不況が始まった時に比べれば,まだまだ低迷状態と言えるのですよ.

Yahoo!ニュースでも散見されますけど...
景気が良くなることが,そんなに不安なのでしょうか?
派遣労働,低賃金労働バンザイのままで,本当にいいのでしょうか?

あぁ,この記事を書いていた2009年1月は麻生政権でしたね.
「まずは景気だ!」
と,麻生首相の勇ましくカッコいい顔のポスターが貼られていたのを思い出します.
その後の顛末については言わずもがな.

景気の良い時代を知らない私たちは「失われた世代(ロスト・ジェネレーション)」と呼ばれています.
しかし,2009年〜2012年も,それに負けず劣らずの「失われた3年」でした.

2013年5月9日木曜日

無事であればいいのですが...

既にこのブログを検索している人がいるように,昨日,黄柳野高等学校で火災が発生しました.

ショックです.
どうやら遺体も出た模様で,今現在,身元確認が急がれています.
行方不明の生徒でなければいいのですが.

この火事で燃えてる寮,私の住んでいた部屋ですし.
あぁ,こんな形で自分の第二の故郷が燃えるとは.

出火の原因はまだ分かっていません.
でも,例の件があるから世間では「喫煙」が疑われるんじゃないでしょうか?
喫煙ルーム(黄柳野高校のこと)

原因の特定がされていないのでなんとも言えないんですけど.

それでも...,
かなりデリケートな話ですが,(再度)この機会に敢えて申し述べたいと思います.
(以下,過去の記事の続きです.今回の出火原因を推測したりするわけじゃないので,誤解なきよう)

ニュースでこの校長先生の顔を見ると,いたたまれない気持ちになります.
「昨日の夜,校舎の裏でタバコの吸殻を拾った.君たちはタバコによる火事の恐ろしさを考えなければいけない.これは健康だとか,他人の迷惑だとか,そんなことより大事なことだ.火事になったら取り返しのつかないことになるんだ」
私が生徒だった十数年前,全校集会で烈火の如く怒っていた校長先生の姿を,今も鮮明に思い出せます.

まだ出火原因がわかりませんが,そのタバコによる取り返しのつかない状況と,同じ状況になってしまいました.

もし生徒による “隠れ喫煙” が原因の出火であれば,数年前に「喫煙室騒動」で黄柳野高校を叩きまくっていた人は,どの面下げて論じるんだろうと.

厳罰化すれば,事は潜伏し,不可視化する.
学校教育は,法律と生徒との信頼のギリギリのところでやり取りしている.
行儀の良い学校しか知らない人はどうだか分かりませんけど,多くの学校の普通の感覚なら,分かりそうなものです.

つまり,喫煙を厳罰化することで,隠れて吸う生徒が出てくるのは当たり前だし,それによって指導もしにくくなるわけです.
思い出してください.この高校が「禁煙指導室」を用意していたのは,禁煙指導と隠れ喫煙による火災を防ぐためのものだったのですから(上記の過去記事を参照のこと).

「そもそも,喫煙する方がおかしい!」
とでも言うのでしょうか?
あ,ちなみに私も高校生の時はそう言ってましたよ.
でもね,こういう物言いって自分のことしか考えていないガキなんです.

「憲法9条を守って,“私たちは戦争しない” と宣言すれば,日本に戦争は起きない」
と言ってる人たちと思考が同じなので腹が立つんです.
「優等生発言してる俺って,かっこいい」
と言っているに等しいからムカつくんです.今はね.

例外もあるだろう,学力や能力に差もあるだろう,どうにもできない状況もあるだろう.
そういった現実と全体を見通して,学校とはどういうところか?を考えてほしいんですよ.

例えば,
「現実に戦争が起きたらどうするの?」
(実際に喫煙している生徒が目の前にいるのはどうするの?)
と問えば,
「戦争をすること自体があり得ないのだ.そんな日本は滅亡した方がいい」
(子供が喫煙すること自体があり得ないのだ.そんな生徒は退学した方がいい)
というステレオタイプ.

世の中を見てください.
戦争したくなくても戦争は起きているし,隠れて喫煙する子供がどれほどいるか.
問題は,どうやってその状況に対処するかでしょう.

「憲法(法律)で決まっているんだ.あり得ない,あり得ない.え?起きたらどうするか?あり得ないんだから僕知らない.その時は滅亡(退学)すればいい」
じゃ困るんです.

「喫煙して退学になるんだ.その子の自己責任だろう」
などと無責任なことをおっしゃる方もいます.
「他の生徒への悪影響がある」
などと冷酷なことをおっしゃる方もいます.

本気でそう考えているのなら,何も言いません.
ただし,おおよそ上記のような物言いから「日本人」を育てるための教育哲学を引き出すことはできないと,私は思っております.
心の奥でつぶやけど,声に出すことではないでしょう.

繰り返しますが,目の前に起きている問題にどうやって対処するかに心血を注いでいるのが現場の教師です.
いじめ問題への対処にしたってそうなのですが,学校には表向き(世間向き)の顔と,生徒と向き合うための顔があります.

私自身が教員ということもありますので,敢えて教育現場を庇護する立場を取らせてもらいましょう.そうした上で申しますと,世論が納得するであろう対処だけで学生を指導することなどできません.
これも敢えて言えば「絶対」です.絶対にできません.

黄柳野高校は全寮制の高校だから,門を出たら学校としての指導責任は終了,というわけにはいかないのです.
喫煙する生徒であっても,全寮制の教育体制で頑張って指導しよう,というのが特徴の学校なのですから.

学校での喫煙問題にしても(いじめ問題も同様だが),水面下で生徒と教師が向かい合う方法が主になるのですが,これは「隠蔽」とか「アカハラ」などと世間の目が厳しすぎます.

だからと言って新しい方法があるわけじゃないので,学生指導の得意な先生が活きる状態を模索することが大事なのですが.
ただ,それって “説明責任” だの “透明性” だのといった,“水面上” での指導じゃないんですよ.

「いや,本当に有能なら出来るはずだ」とか世間は言うのかもしれませんが,そんな先生,そうそうたくさんいるわけじゃありません.
結局,対処できる先生の絶対数が減って,事はさらに悪化していくんじゃないかと.
で,世間は「無能な教師が増加している」などとボヤくんです.

優秀な先生が活きない職場環境にしたのは,その「世間の目」でしょ.今さら被害者・評論者ぶってなにを言うのか,と.
教師の側は「私の能力が足りなかったんです」としかコメントを残せない立場なのに.

学校の教師に,どこまで求めるのか?
これが放ったらかしなままだと,際限なく世間の要求を聞くことになってしまいます.
反論できる立場にない学校や教師に,どこまでも甘える構図になるのです.
その甘えを抑える役は誰かというと,「それは先生の仕事じゃないでしょう」という,それこそ世間の空気なわけで.

例えば
大津いじめ問題で大衆の愚かさに絶望しています
でも書きましたが,「いじめ問題」であれば,教師や学校だけじゃなくて,周りの生徒が対処すべき問題ではないですか?
いじめを目撃した周りの生徒が「おい,お前らやり過ぎだろが!」といって喧嘩になり,それを止めに入るのが「教師」ではないですか?
そういう生徒同士の喧嘩になる状況にもっていくことが大事で.
(「今の子供は喧嘩しない」の問題の本質はここにあると思うんです)

とにかく,現場の先生方を見たり話を聞いたりする中で思うのは,先生が生徒指導しやすい環境を取り戻す(もしくは新たに作る)ことです.
そして,今の流れは,そうではないと思います.


・・・,しかし,
同時にその限界が,黄柳野高等学校の限界も見えてきたところでもあります.

「世の中,理屈や正論だけじゃ通用しねぇよ」

という言葉自体が通用しなくなってきている流れです.
この時代の流れに逆らわない形をとることも,今は必要とされているのかもしれません.

難しいですね.

いろいろ書きましたが,なんにせよ今回の黄柳野高校の火事と犠牲は,それこそ取り返しのつかないことであり,どのような出火原因であったとしても責任は消えません.
自分の母校がこんな形でニュースになっていくのは悲しいことです.

2013年5月3日金曜日

四分位とパーセンタイルでの段階評価をエクセルで作成

これまでは標準偏差を用いた段階評価を作成する方法とその仕組みをご紹介してきました.
点数・得点を段階評価するためのエクセルシートの作成
標準偏差を用いた段階評価の仕組み

今回は,中央値やパーセンタイルを基準とした計算での段階評価方法を作成してみます.

例としてのデータは以下のようなものです.
分かりやすく,Aさんから順番にデータを降順にしております.

ところで,手っ取り早くパーセンタイルでの評価をしたいというのであれば,以下のように,
 「その対象が全体の中で上位・何%に位置しているか?」という表現もできます.
この評価は,「PERCENTRANK」という関数で,以下のようにすることで出来ます.
 ところが,この評価方法では,
「君はこのチームの中では上位61%に位置している.75%になるまで14%だ.がんばれ!」
と言われても,「お,おっ,おぅ..」
となってしまいます.

そこで,以下のように区切って評価することで分かりやすくなるかもしれませんね.
 どのようにすればいいか解る人は,手順を踏んでやれなくもないのですが,このように4つに段階評価する方法としては,四分位させる関数がエクセルに入っていますので,それが便利です.

エクセルでの四分位関数は「QUARTILE」という関数です.それを以下のように組んでいきます.
 最大値を算出するのは,
=QUARTILE(B:2B15,4)
です.
最後の数値「4」というのは「最大値」を算出するためのもの.
以下,この部分は「3」にすれば「75%」が,「2」にすれば「50%(中央値)」が,「1」にすれば「25%」が,「0」にすれば「最小値」が返ってきます.

そのようにしているのが以下の図です.



そんなわけで,ここで作成した基準値を使って,あとは前回までの記事のようにIF関数を使って判別させていきます.

なお,最大値と最小値の基準値は使いません.ま,四分位の関数の紹介ということで.

 今回は,4段階評価ということで,おしゃれに「◎◯△×」で表してみました.
これをオートフィルでコピーすれば,

以下のように,簡単に4段階評価を作成することができます.


さて,標準偏差を使った5段階評価にならって,こちらでも5段階評価を作成してみましょう.
つまり,以下のような判別にさせたいわけですね.
100%の5段階なわけですから,20%刻みにしてみましょうか.
四分位の関数では4分割しかできませんから,今回はアナログに「PERCENTILE」という関数を使って,希望のパーセンタイル値を算出します.

難しい話ではありません.
四分位を使った基準値を作成したように,以下のように組んでいきます.

今回の例では,20%刻みで対象者を分けていきますので,つまり,
「80%以上の者」「60%以上の者」「40%以上の者」「20%以上の者」「20%未満の者」
の5段階です.
H列2行目に入力しているのは,
=PERCENTILE(B:2B15,0.8)

最後の「0.8」というのが「80%」という意味です.
以降は,
=PERCENTILE(B:2B15,0.6)
=PERCENTILE(B:2B15,0.4)
=PERCENTILE(B:2B15,0.2)

図については以下略ということで.

で,これをIF関数を使ってオートフィルでコピーできるようにします.

そして完成.
何%で区切るかはお好みですから,かなり自由度が高いものになります.

「標準偏差を用いた段階評価」と「パーセンタイルによる段階評価」,それぞれに特徴がありますので,それを考慮しながら好みの評価シートを作成してください.


この記事の参考文献は以下のものです.