2013年7月27日土曜日

腰パン赤Tの本懐

 記事のネタがなくて困っているのですが,あんまり長いこと書かないのもなんなんで,とりとめのない話ですがしてみましょう.

ここ数日は大学がテスト期間なので,学生が緊張感に包まれているのとは裏腹に,私達としてはのんびりできる期間でもあります.

今日もゆっくり仕事を終えて帰っておりますと,ちょっと面白い状況に出くわしました.
狭い道路幅・交差点,歩行者信号付きの短い横断歩道,見通しの良い場所,案の定の通学路.
たいていの人が,車が来てなければ信号無視して渡るであろう,“よくあるポイント”です.

自転車でそこに差し掛かろうとする私,
赤信号,
車は来ていない.
さて,どうしたものか.


いかにもヤンキーな少年が横断歩道の前にいるではないですか.

今どき,これでもかというほど下げた腰パン,
そしてYシャツの下は赤Tシャツ,
茶髪のツンツン頭,
かったるそうにバッグを肩に掛け,
イヤフォンで音楽聞きながらガムを噛む.

・・・完璧である.
これ以上形容しようのない,まさしく不良少年(もう死語か?).

だがこの少年の様子がおかしい.

待っている・・,待っているぞ!
信号が青に変わるのを!

周りには私しかいない.
私と君とは縁もゆかりもない.私がガッコのセン公に言いつけるわけなんかない.

なのになぜだ!?なぜに信号を無視しない!?
君のような不良少年は,堂々と信号無視をするものである.むしろ,青信号で渡らず,赤でこそ渡るのが君達不良の本懐ではないのか?

君の腰パンと赤Tが泣いているぞ.
さしずめ銀行に目出し帽でショットガンを持って入店し,
「すみません.こちらの口座まで振込をお願いします.はい.私の名義で結構です.あっ,印鑑とかいるんですか?」
などと普通に手続きして帰るようなものである.

さあ,
なにをためらっている少年!渡れ,渡るのだ.その腰パンと赤Tの名誉にかけて!

でも・・・・,
しっかりと待っている.律儀である.
5mほどの空間をあけ,向き合う私と少年.
20秒ほどでありましょうか.長く感じます.

その間,1台の車も通らない.せめてピザ屋の原チャくらい通ってほしいものです.

思わず笑いそうになったので,顔をそむけてしまいました.
というか笑ってました完全に.

そして,交差点によくあるピヨちゃんの鳴き声と共に歩みを始める少年.
残念です.

2013年7月15日月曜日

続・英語教育について

以前の,
英語教育について
の続きです.

英語教育の強化と,大学の授業の英語化が喧しい昨今.
これについて,たまに知り合いの先生(前任大学の方)ともフェイスタイムでお話しさせてもらうことがあるのですが,そこでの議論をここでも書いとこうと思いました.

まず,上記の記事で書いたことをザックリまとめますと以下のようなものになります.
(1)英語教育の強化は,ダメ,ゼッタイ
(2)中途半端な英語教育になってしまうことは火を見るより明らか
(3)他教科の時間を喰ってしまい,悪影響が多い
(4)日本語での教育が疎かになると,思考力が低下する危険性がある
(5)日本語能力が疎かになることで,思考力が低下する危険性がある
というものです.

ついでに言うと,これだけグローバリズムとか,世界を相手に活躍がどーのとか騒がれ,それに乗じて英語・英会話ブームに湧いた十数年(数年ではない.十数年である.もうそろそろ数十年ではないだろうか).
それでも英語を十分に操れない人が多い時点で,英語を流暢に操り話せるようになるためには,教育上の「義務化」以外の何らかの「動機因子」が必要であることは容易に推測できます.

そうしたことをすっぽかしておいて,義務教育としての英語の強化とか,大学の授業を英語でやるとか,完全にイカれている,という主張がその記事でした.

今回の記事でも「大学の授業の英語化」を主なテーマにしてみます.

大前提として,日本の大学事情からしても「日本の大学は日本人のためにある」のです.
しかしながら,私も大学人の一人ですから,より詳細に言うと,「日本の大学は日本語を母語(乃至,第一言語)とする人のためにある」ということにしておきます.
日本人以外でも,第一言語が日本語という人はたくさんいますので.そういう人が高等教育を受けるために,日本の大学があるのです.

各国の「大学」は意識的にしろ無意識的にしろ,作為的にしろ無作為的にしろ,そのようになっていると考えられます.
なぜなら,その国(地域)の未来を背負って立つ人材の育成と陶冶が,大学教育の目的になっているはずだからです.
そうでなければ大学で学び,学ばせる意味が見出せません.

そのような大学の機能から考えてみると,「英語教育の強化」というのは無駄な労力にしか映らないのです.

そもそも,日本の高等教育の歴史を紐解くと,
「西洋の知識を日本語に訳すこと」
が主であったことがわかります.
明治維新の前後がその舞台で,日本の大学もこの頃(1873年:明治6年)に誕生しています.

ただこの「西洋の知識を日本語に訳すこと」なんですけど,「日本の大学教育は西洋学問の翻訳作業で,オリジナリティがない」と揶揄されるところでもあります.
が,それは大学教育を盛り立ててきた先人たちの努力を正統評価しないことになります.

翻訳作業をなめてはいけません.
翻訳作業というのは責任重大な作業であり,価値のある重要な作業なのです.
この翻訳作業において,現在では普通に使っている「科学」とか「経済」とか「自然」といった言葉に息が吹き込まれました.

たしかに,西洋の学問である,西洋哲学や科学,工学といった新しい学問は,それまでの日本にはない魅力的な学問でした.
この西洋学問を広く日本人の中に落としこむことで,日本を強国へと導く道があるはずだと考えた先人たちは,西洋学問を日本語で理解できるように粉骨砕身します.

つまり,海外の優れた学問を日本語で学べる状態へと日本の教育水準を高めることが,高等教育の黎明期であった先輩方の仕事だったのです.
翻訳することの目的とは,ひとえに「後の世の者達のために」だったはずです.
(そりゃ皆が皆とは言いませんけど,概ねそういう気概だったはずです)

※ちなみに当時も,難解で煩雑な翻訳作業をするよりも,
「グローバル化していく19世紀末の世界にあって,日本人に英語教育を施したほうが良いのではないか」
という現在と酷似した議論はもちろんありまして,これについては我らが土佐藩出身の馬場辰猪らが猛烈に反対して今に至ります.この時代,土佐藩は要所要所で良い事してくれています.

では,「後の世」である成熟してきた(一概にそうは言えないけど)現在の大学教育が目指すべきものは何か?
それは,日本語によって新たな学問や思想,科学技術を創出することではないでしょうか.日本語による日本語ならではの思想や技術を創り出していくことが,先輩方が夢見たところだったと考えられます.

もちろん,研究の場にいる我々のような者たちの多くは,日本語以外の言語を操れることは大きな武器になりますし,普遍性の高い学術的な発想をするために大事でしょう.
外国語を解することが仕事の一つとも言えるからです.でもこれは仕事だからであって,能力とは直接関係ありません.

学生にとっても,外国語を解読することが学術的な思考力を高めるための “行程” の一つであることも重々承知しています.それは過去記事でも書いてきました.
なぜなら,外国語の文献を読まなければ,外から見た日本のことも分からないわけで,最新の研究は英語論文ですから,それを把握しておくためにも重要です.
しかし,そうした語学力は行程であって “目標” ではないのです.
その目標とは「学術的な思考力を高めること」です.

間違っても「英語で学問できるようになること」ではありませんし,ましてや「英語を使って世界の舞台で活躍できる」ために英語教育を強化するなんぞ笑止千万と言えます.

むしろ私には,当時としては高等な外国語の学問を日本語で学べるように努力してきた方々の想いを踏み躙る行為にしか見えません.
これは先輩方への裏切りです.万死に値します.

日本語で思考し,日本語で解することすら困難な学問をすることが,日本の大学の使命です.
英語だか何だか知りませんが,薄っぺらい母語以外の言語でも解せる程度の学問をするために,日本の大学があるのではありません.
そんなもの,適当な自己啓発スクールでやってくれ,ということです.
※その手のスクールをバカにしているわけではないので念のため.

私の心の奥で湧き出る「反・英語教育強化論」の流れを辿っていくと,どうやらここが源流のようです.

細かい論点は,過去記事である
英語教育について
をご確認ください.

2013年7月11日木曜日

いじめアンケート調査の問題についてのあれこれ

「いじめについて関心が下がってきたのでは?」
という記事を先月書いていたとこですが,さっそく蒸し返すようなニュースが出て来ました.
ご存知かと思いますが,以下の記事です.

 栃木県栃木市の市立小学校で、いじめに関するアンケートを実施した際、3年生を担当する30歳代の女性教諭が、いじめの申告件数が多くならないように児童を指導したうえで、回答させていたことが分かった。
 アンケートは、市がいじめの実態を把握するために市内の全小中学生を対象に無記名で行った。同小では今月4日に実施された。
 同小によると、女性教諭は、アンケート記入に先だって、担当のクラス全員に「いじめは一方的なもの。みんながしているからかいなどはケンカ。いじめと書くと多くなるので書かないように」と指導したという。
 また、女子児童の一人が、今年4月に同級生に鉛筆で腕を刺されたとして、「いじめあり」の欄に丸印をつけていたが、女性教諭はアンケート回収後に女子児童を呼び出し、いじめにあたらないなどと説明。ペンで「いじめではない」に丸印をつけ、本人が納得済みである旨も加筆したという。(2013年7月10日08時15分 読売新聞)

たしかに問題です.
この教員は批判されて当然で,何かのっぴきならない理由があるんなら聞いてみたいものです.
ちなみに,「同級生に鉛筆で腕を刺されたとして「いじめあり」の欄に丸印をつけた生徒ということに対し,この教諭が「いじめにあたらない」という判断をした,ということが “間違いだったかどうか” は,この記事から「不明」としか言えない」というくらいの “情報リテラシー(笑)” は持っていてくださいね.

上記のこの一文は,一見,ニュースに深く関わるエピソードのような気がするんだけど,ニュースの本筋とは実は何も関係のない “つぶやき” のようなものでして.これはマスコミがよくやるニュースへの「味付け」です.
「うわぁ〜,この子かわいそう.えぇ?そんなかわいそうな子のアンケートを改ざんしてるんじゃないの?この先生.けしからん」という論調にしたい想いが滲み出ちゃっています.
でも,詳細には事実関係を洗っていないので「〜したという」と,ぼかした書き方にして “逃げ道” を用意しておく,という用意周到(卑怯)なものです.
もし世間が「学校の先生が “いじめがあったのに” アンケートを改ざんしている!」という受け取り方を大袈裟に持ってしまったとしても,「実はそんなこと私は書いてませんよーだ」と逃げれるようにしておきつつ,そのような空気に誘導するメソッドです.
よくマスコミが多用するメソッドですので,気をつけましょう.

まぁそれでも,この教員の一連の行動は褒められたものではありませんがね.

それよりも,やっぱり多くのメディアや世論の論調が,
「学校・教育現場は隠蔽体質だ」
という,お定まりの優等生(というか,短絡的)な反応にがっかり.

「隠蔽体質だ」と主張する人の特徴は以下の3通りです.
(1)「で?ならどうすりゃいいの?」に答えられない
(2)とりあえず「抜本的改革が必要」とだけ言う
(3)「だから◯◯すればいい」の◯◯が極めて非現実的

最後の(3)ですが,どうするかっていうと,「加害者を厳罰にする」とか「警察と連携する」とか「いじめ専門職員を任用する」とか「クラスを流動的にする」とか「学級制度を廃止する」とか「法を厳正に適用する」とか「一般社会との交わり」とか.
もうね...,君達はアメリカ人か?と.
よくもまぁ安直なことを次々と発案するものです.

厳罰化・管理化したら水面下に隠れるし,深く潜るようになっちゃう.というか,そういう管理教育,生徒監視はダメだって少し前まで言ってたじゃん.

学級制度廃止?流動化?田舎の学校はどうすんの.今でも十分に流動化しとるし,むしろ学級が十分に作れなくて困っています.都会人の発想ですな.

法を厳正に適用...,一般社会との交わりねぇ...これまで世界中の人が長い年月をかけて,子供を一般社会から守るという理念のもと作り上げてきたはずの「学校」を,水泡に帰すつもりですね.すごいわぁ.というか「学校」がどのようにして出来たものなのかくらいは勉強してください.

どうしてもというなら,私としては,
「世界中を調査し,『いじめの無い学校』とやらを見つけて,そこの制度を参考にする」
という,自分で言うのもなんですが,極めて建設的かつ有機的な意見を出したいと思います.
※一生かかっても見つからないでしょうけどね.

話を学校の隠蔽体質について戻します.
まず大前提として,誤解を恐れずに言うと学校というのは隠蔽することが多いところです.隠蔽しなければけいないことがたくさんあります.
隠蔽体質なのは当たり前です.
ある程度の透明化は必要かもしれませんが,ガラス張りな教育ほど怖いものはありません.残念ながらここでの詳細は割愛しますが,ガラス張りの教育って,考えるだけでも「いじめ」を頻発させそうですね.
どこからどこまでを公表・説明すればよいものか.生徒の一生に響くことかもしれないものを扱っているんですよ.そんなに簡単に判断できるものではありません.よって,「とりあえず伏せとく」という判断になるのは当然です.
多くの人が考えているほど,学校教育というのは明るく陽気な仕事ではありません.そういう組織です.これはご理解お願いします.

次に,こうした「いじめアンケート」という調査企画が持っている「作用」について.
「生徒に対するいじめアンケート」という妥当性と改善効果のほどが怪しい(つまり意味不明な)調査がブームとなっているようですが,まぁ,そこは突っ込まないにしても.
そもそも,いじめ把握のための調査をするとして,
「本校にいじめは存在しない」
という状態を作り出さなきゃいけないシステムになっていることが諸悪の根源ということを忘れてはいけません.

「いじめがあった」という調査結果が出たら,どうせ保護者や外野は大騒ぎするのです.
酔っ払いオヤジの如く,なんの建設的な意見もつむがない後ろ向きな批判を浴びせまくって,学校関係者にからみまくることは火を見るより明らかです.

だから学校としては「本校にいじめは存在しない」という結果をでっちあげる.これは当然の流れです.「おまえら,それでも教育者か!」と言われようが,教育者だって人間です.あなたと変わりはないのです.

それともなんですか.「学校の先生」というのは超人なのですか?
であれば,ぜひとも日本人全員を教員養成課程のある大学に「義務教育」として通学させましょう.素晴らしい世の中になりますね.ところでその際は,ぜひ本学に.

・・・冗談です.

「どんなところにも「いじめ」は存在する」というのは,学校現場では...,というか人間社会では当たり前なのですが,どうしても「無い」ことにしたい “空気” があります.
これは日本における一種の集団ヒステリーだと言ってもよいでしょう.異常ですよ.

「どんなところにも「いじめ」は存在する」という,ごくごく当たり前のことを認めるところからスタートしなければならないのではないでしょうか.
これについての細かいことは過去記事である,
いじめ問題は解決できるものでもない
を参照ください.

あと,ついでに文部科学省のサイトも.
「いじめ」理解のヒント
かなり細かく書いているのがシュール.

2013年7月1日月曜日

大学の学費と生活費のあれこれ

今日は先月のようなシリアスな内容とは打って変わって「金」の話をします.

さきほど,学生たちと話をしていたのですけど,
「学外セミナーに行きたいんですけどぉ,1回90分4,500円って高くないですかぁ?」
などと世間知らずなことを言っておりました.

おい!君等ちゃんと自分たちが払っている学費を計算したことあんのか?
そういう物言いだということは,きっと計算したこと無いんですよね.

では,大学の授業1回90分あたりに,学生たちがどれだけ払っているのか計算してみましょうか.
2013年現在の一般的な私立大学ということでお話しますと,

・入学金:約250,000円(入学年時のみ)
・授業料:約750,000円/1年
・その他施設使用料等々:約200,000円/1年

という感じでしょうか.
※うちの大学はもうチョイ高いけどね.

これを4年間分にすると,
「入学金」+「授業料×4年」+「その他×4年」の合算ですので,

250,000円+3,000,000円+800,000円=4,050,000円

ということで,学生たちが4年間に大学に支払っているお金は全部で約4百万円くらいになります.

まずは,1回90分の「授業料」だけ,つまり3百万円だけで計算してみます.

この金額を卒業所要単位数である124単位に照らし合わせましょう.
授業は1単位あたり11.25時間分ということになっています.

124単位ということは,1395時間です.

3,000,000円 ÷ 1395時間 = 約2,150円

ですから,授業は1時間あたり約2,150円です.
でもこれは1時間,つまり60分間の費用ですから,90分あたりにすると,

2,150円×1.5倍 = 約3,225円

ということになります.

あと,ギリギリ124単位履修するということはないですから,少し差し引いたとしても.
学生たちは,授業1回あたりに2,500円〜3,000円を支払っているということになります.

前任校で,上記のようなことを授業で話したら結構驚いてくれるとともにウケが良かったです.
同時に,この時間に約3,000円を支払っていると思うと,適当に受講してたらマズイんじゃねぇか,と感じてくれたら幸いです.

銭の話はすべりません.

さらに,実感を伴う計算をして行きましょう.
上記のような計算で,大学に支払う総額約4百万円を元にすると,1回あたりの授業料は,

4,050,000円 ÷ 1395時間 ×1.5 = 約4,355円

ということで,冒頭の学外セミナー1回分と同じになるでしょ.
約90分の学外セミナーが4千円〜5千円というのは,大学の授業と同額なのですよ.

さらに,教育的指導用の計算をしてみましょう.
大学に支払う額は4百万円かもしれません.しかし,学生とその保護者が当該の4年間において支払う額はそれ以上ですよね.大学生活のための生活費がかかります.

下宿していたとしましょう.例としては,

家賃:50,000円/月
食費・その他等々:40,000円/月

ちょっとリッチかな?
でも,たいてい大学生の生活費は年間100万円前後になるっていうので,割り振りはともあれ,こういう額なんではないでしょうか.
最近の学生は高い家賃のところに下宿したがるって言うし.

これを4年間分として考えてみますと,

家賃:2,400,000円
食費・その他等々:1,920,000円

になりますから,

4,050,000円 + 2,400,000 + 1,920,000円 = 8,370,000円

この金額で1回あたりの授業料を出すと,

8,370,000 ÷ 1395時間 × 1.5 = 9,000円

となります.

・・・・・
・・・・・
・・・,
9千円!
9千円ですぞ!学生諸君!

そんなところで寝てる場合じゃねぇ!
なんぼかビジネスホテルで寝るのほうが安いだろ!

君たちはこの4年間で,この1回の授業に9千円を払いながら過ごしているのです!

・・・と話せば,驚愕する学生が出ること間違いなし.
ただ,計算方法の妥当性を突っ込んでくる学生がいたら,それはそれで褒めるべきでしょうが...

それでもですね,一般的な学生モデルとして見積もっても,この4年間で8百万円を使っているのです.そこは感じてもらわねば.

ちなみに,ここからは大学を目指している「高校生」に聞いてほしいことです.

「お金がないからバイトする」
という学生がおります.

そんな学生には,マジでお金がなくて困っている学生もおり,本当にバイトしないとヤバイ人もいるんですけど.

しかしですね,こういう計算をしっかりやって学生生活をしてるんだろうかと疑問に思うことがあるわけでして.

私の場合,親が支払う総額に怖気づいて,とてもじゃないですけど大学生になったら “バイト・ライフ” をしてみよう,などとは思えませんでした(ちょっとやったけど,すぐヤメた).
とにかく金を使わないことが得策.
服買わない.
良いもの食べない.
電気使わない.
どこにも行かない(旅するとしても自転車のみ).

自宅→大学→自宅→大学
これの連続.

生活費ですが,私のように家賃を3万円,その他を3万円程度にしてみてください.
一般的なモデルと比べて,つまり月額3万円ほど安くした場合ですと,

節約学生モデル;4,050,000円 + 1,440,000 + 1,440,000円 = 6,930,000円
一般学生モデル;4,050,000円 + 2,400,000 + 1,920,000円 = 8,370,000円
その差,1,440,000円

ほっといても節約になるんですから,バイトとかして月に3万円稼ぐよりも簡単でしょ.
がんばれば,4年間で150万円も節約できるんです.
アルバイトすると時間が取られます.すごく無駄に思えるんですあの時間.体力や気力も使うし.

諸事情あるのは承知ですから,あとは個別の事案になっていくのでしょうけど.まぁそれでも.
良いとこに住んだり,良いもん食べたりするくらいなら,緊縮財政生活のほうが学生にとっては有益だと思います.
「米と玉子1パックがあれば安心できる」「財布に500円玉があると勇気が出る」
そんな生活もいいもんですよ.
と,未来の大学生には申し述べておきたいですね.
※解約金が安いとこに住んでる人や,大学1年生ならまだ間に合うかもよ.