2014年3月19日水曜日

ベビーシッター事件から考える保育

やっぱりというか,なんでこうなるのかというか.
前回の■慎重な待機児童対策を でも取り上げたベビーシッター事件に関する(確認できる範囲で)ネットの反応がヤバイです.悪い意味で予想通り過ぎて気分が滅入ります.

この事件のニュースは以下の様なもの.
男児死亡事件で注目、「ベビーシッター」紹介サイト なぜ母親たちは利用せざるをえないのか(Yahoo!ニュースより)

被害者となった母親の境遇や,預ける理由について憶測が飛び交い,
「こんな危険なところになぜ預けたのか」「母親の方にも落ち度があるのではないか」「遊ぶために預けてたんじゃないのか」
などとコメントが溢れております.

コメントしている方々としては「正義は我にあり」とドヤ顔できる楽しい話題なのでしょうけど,この事件を無駄にせず今後の教訓にしていくためには,こうした反応とは別の考察をしていかねばなりません.
ここは一つ,慎重に議論していきましょう.

この事件は,「保育」について真摯に議論すべきエッセンスがたくさんあります.
ただ,上記のようなネットのコメントが氾濫し始めたようですので,ちょっと整理が必要です.

一つの文章にすると,本件はこういうミスリードになりつつありるので注意が必要です.
安かろう悪かろうのネット紹介型ベビーシッターに預けてしまったことにより痛ましい事件になってしまったが,その一方で,このような危険なベビーシッターに預ける親にも落ち度があるのではないかと考えられ,さらには,この親の境遇からしてこのようなベビーシッターに預けてしまう行動が生起された疑いがある.
もしこのように事件が捉えられつつあるのであれば,非常に問題だと考えられます.
なぜなら,上記のような捉え方から導き出されるのは,
「事件を起こした犯人が悪いのは当たり前なんだけど,ダメな親のもとに生まれた子供もかわいそう」
という極めて薄っぺらな,小学生の読書感想文のようなものに終わってしまうからです.

先に結論から言いますと,本件で私が主張したいことは以下のことです.
今回の被害者となった親の境遇がどのようなものであれ,そのようなことに関係なく,安かろう悪かろうの保育産業が跋扈することを防がなければならないことが直視された事件なのであり,そうした劣悪な保育産業・子供ビジネスがのさばる状況を是正するための指針が紡ぎだされるべきである.
というものです.

まず,大前提として(今回はベビーシッターだったが)保育施設に預けなければならない理由がある親というのは,どうしても存在するものです.
そりゃ,小さい子供は親がみれるのが一番なのでしょうが,そういうことができない境遇にある親もいます.

自業自得な境遇や,不埒な理由で保育施設に預ける親もいるでしょう.残念な人ってやっぱりいるもので.
しかし,「どこからが自業自得で,どこまでが不埒な理由なのか」といったことの判断評価というのは,その社会全体の平均的価値観が決めるものです.
とまぁ,そこは割愛するにしても,,,

保育士を目指している人や学生は勉強していることでもありますが,こうした “問題を抱えている親” とどのように向き合うのか,という勉強(科目)は結構重要なところでもあります.
そして,問題を抱えている親というのも,時代や地域によってその中身が変わってくることは自明のことと理解してもらえるかと思います.
保育士を目指す学生というのは得てして「ちっちゃい子供が好きだから」という理由なのですが,現場に出た保育士さんたちが直面する問題というのは,まさにこの点にあります.

今回の件でも,母親の行動を批判する人は,たしかに正しいことを言っているのかもしれません.
そういう行動をとる母親が日本からいなくなれば,たしかにより良い子育て社会ができるのかもしれません.
こうした道徳観を否定するつもりはありませんし,維持されるべきものであることに異論はありません.

その一方で,そうした道徳観を推進していくことで,物事が綺麗さっぱり解決するということもないのです.機械やロボットではないのですから,人間の社会には必ず恵まれない境遇,自業自得の境遇におかれる人々が存在します.
そうした親から生まれた子供も,やはりその運命とも言える境遇から抜け出すことは困難であることは予想できます.

それを「自己責任だ」と言って切ってしまってもいいでしょう.そういう考え方が必要な場面があるやもしれません.
しかし,私としてはこれを「自己責任」だから,「自業自得」だから,「その親のもとに生まれた運命を呪え」と野放しにすることは日本人のやるべきことではないと思います.

そりゃたしかに,ダメな親に育てられた「不憫な子供が社会に一定数存在する」ことによって,それだけ自分の子供,乃至「身内」の社会的アドバンテージが高まるという構造が究極的には成り立つわけですから,これを改善しようとすることは人としての欲望に反することなのかもしれません.
※ですから,こうした事件にただひたすら批判しかしない連中というのは,こうした「不憫な子供」の数を増加させることで,自身の地位を相対的に高めようとする “無意識的・本能的行動” なのではないかと考えられます.
※もっと言うと,こういう態度が「いじめ問題」を明後日の方向で論評する人々と酷似するので..(以下略

しかし,どのような理由があるにせよ,目の前に産み落とされた子供を真っ当な教育環境に近づけるべく努力するのが,保育という福祉教育の存在意義であり,そこから長期的には日本社会を安定したものにすることを目指すわけです.

あらためて問い直されるべきタイミングにあると思うのですが,保育園というのは「3歳未満の子供でも預けられる幼稚園」ではありません.あそこは福祉施設です.

もちろん入園している子供たちとその親の境遇に合わせて「ほぼ幼稚園状態」ということもあり得るのでしょうし,各園の方針も違ってきて当然ですが,この前提は外すべきではありません.
なによりも,待機児童問題や保育士不足を補うために安易なビジネスや業者が跋扈するようになることは避けねばなりません.

危険な保育ビジネスに手を出した親が悪い,そんなとろこに預ける発想が情弱,という批判が親に向けられることは仕方がありませんが,次代を担う子供の福祉を「親の責任」「親の判断力」という観点から論評することは酷です.

止むに止まれずどうしても劣悪な保育に手を出してしまう親,そうした保育に手を出したがる問題を抱えた親が出てくることは避けられません.
これを「親の責任」「親の判断力」というところから議論してしまうと,堂々巡りになることは火を見るより明らかです.
問題を抱えた親に,親としての自覚を促すきっかけが必要でしょう.そうした親のもとで育つ子供であっても,真っ当な国民としての教育の下地が必要ではないですか.

ならば,そうしたきっかけや下地を奪う可能性が高い劣悪な保育ビジネスの芽を潰し,問題を抱えた親ともしっかり向き合える,質の高い保育園とはどのようなものか考えることが建設的な議論ではないでしょうか.


関連記事
幼保一体化とか,子ども・子育て新システムとか
慎重な待機児童対策を

あと,途中でも書きましたが,本件の「ネットの反応」はデジャヴでして,これとよく似た議論が「いじめ問題」だと考えております.
以下を参照ください.本質的にはやっぱ似てますよ.
大津いじめ問題で大衆の愚かさに絶望しています
いじめ問題は解決できるものではない
笑ってはいけない「いじめ防止対策推進法」
ちなみに何が似てるかって言うと,こうした「公共性の強い領域で起きた事件の原因を特定の誰か(組織)の倫理性」として問い,それに対しては「誰からも批判されないフレーズを振りまき,模範解答的な道徳観を掲げさえすれば,世の中が良くなると信じちゃってる」というものです.

そういう意味では,
でも書いたことが影響してるんじゃないかと思われます.

2014年3月18日火曜日

慎重な待機児童対策を

待機児童問題を始めとして,子育て改革,幼保一元化(幼保一体化)といったことにスポットが当たっていましたが,その改革に一石を投じる事件が発生しました.
ベビーシッター:20代男を逮捕へ 男児遺体で神奈川県警
横浜市磯子区の20代女性が2歳の長男と8カ月の次男を預けたベビーシッターと連絡が取れなくなる事件があり、神奈川県警は17日、埼玉県富士見市東みずほ台のベビーシッターの関係先のマンション一室で、長男の遺体を見つけた。次男も一緒で病院に運ばれ入院したが、命に別条はない。県警はベビーシッターの20代の男に任意同行を求めて事情を聴いており、容疑が固まり次第、死体遺棄容疑で逮捕する方針。
関係者によると、男はこの一室を保育室として使用していたとみられる。県警の任意聴取に対し、「14日に2人を部屋に連れてきた。帰す予定の16日昼に薬を飲んで寝てしまった。翌朝、目覚めると亡くなっていた」などと説明しているという。
毎日新聞 2014年03月17日 20時58分
ついでに,同じ毎日新聞の記事で,
ベビーシッター:届け出義務なく玉石混交ベビーシッターは一般的に利用者の自宅などに業者が訪ねて子どもの世話をするサービスだが、国家資格ではなく、国や自治体に対する届け出の義務もない。独自の資格認定事業を行う公益社団法人「全国保育サービス協会」の鈴村忠則副会長は、「加盟業者は全国に約100社あるが、未加盟だけで400社弱はあるのでは」とみる。
厚生労働省は2015年4月から市町村が認可したベビーシッター業者に国と自治体が給付金を出し、利用者の負担を減らすよう仕組みを改める方針だ。しかし裏を返せば、現状は玉石混交だ。
厚労省などによると事件のようにマンションの一室で子どもを預かる形態は「認可外保育施設」に近い。同施設は児童福祉法に基づく行政の指導下に入るが、預かる人数が5人以下であれば、県や政令市などへの届け出は不要で、規制の事実上の「盲点」になっているという。
毎日新聞 2014年03月17日 23時47分

こういう記事もあるので参考に.
母投稿、男が連絡か 安さ売り、利用拡大

以前からこのブログでは「幼保」に関することについて,近い将来に上記のような条件と環境が整ってしまうこと(むしろ,既に整っていること),そして,そうした条件と環境によって正にこの種の事件が発生することは確実視しておりましたので,
幼保一体化とか,子ども・子育て新システムとか
当たってほしくない予言が的中してしまったところでありまして.

特に今回の事件は,規制緩和の合言葉のもとに,3歳未満の子供を保育ビジネスとして扱えるようになることの恐ろしさを具現化したようなものです.

今回の事件の詳細は警察の捜査を待たなければならないのでしょうが,何か手を打たなければ,この種の事件は今後も発生し続けることと思います.

どうしてそんなことが言えるのか,については上でも紹介している■幼保一体化とか,子ども・子育て新システムとか という記事を御覧ください.

その記事でも書いておりますが,ここでももう一度.
保育をはじめとして,幼稚園や学校といった福祉教育を市場原理でビジネスしたら,そりゃもう恐ろしい結果しか待っていないわけでして.
保育を市場原理でビジネスすると,その「保育者」は以下の様な方略を採ることは自明です.

親の満足度を高めるためのサービス
小さい敷地で大量に子供を預かる
それでいて少ない人数でカバーしようとする
しかも非正規雇用の保育士,未熟な保育士を雇ってコスト削減
利便性とコスト削減の関係から,子供が悪環境下に曝される
親のクレームや要求には教育的対処をせず,お客様として対応する

こうしたことは,預ける親の側にとっては,安価で便利で気持ちのいい保育です.
そんな保育所にとって,預けてくる「親」は「お客様」になります.そうした「お客様」を獲得するためのサービスを売りにしますし,そして当然,ビジネスですから利益も同時に追求します.

これについて,「福祉・教育の分野なのだから,まさか子供の命にかかわるような・・・」と思われるかもしれませんが,それは「今(むしろ過去)」の「保育」を知っている我々の価値観からくるものです.
そうではない,ビジネスライクな福祉・教育には,これまでの価値観は当てはまりません.

たしかに,福祉や教育業界にも市場の考え方を取り入れるべき部分はあるのでしょう.
しかし,それはバランスの問題であって,もっと言うなら,放っといても何事をもビジネスしたくなる人間の性に,どれだけ抗うことができるか,という点が議論されるべきなのではないでしょうか.
※この点については■人間はスポーツする存在である という記事が参考になるかと思います.

利益を追求する者に向かって,社会福祉や修身・教育の重要性を説いても,そこにはやはり限界があります.
早とちりしてもらっては困るのですが,説くべきではない,無意味だと言っているのではありません.
その必要性はどのような状況であれ「ある」のですが,「保育」という福祉教育を専門職として生業にし,その在り方を追求しているプロフェッショナルには到底かなわないものです.

たかが保育,少し慣れれば誰でもできる,なんていう職や領域ではありません.

今回の事件は,あらためて保育や子育て問題について考えるニュースとして受け止めてもらいたいものです.

※次の日,悪い意味で案の定の展開となったので,
ベビーシッター事件から考える保育
を書きました.

参考記事:教育のビジネス化
幼保一体化とか,子ども・子育て新システムとか
英語教育について
反・大学改革論(学生はお客様じゃない)
こんな挙動の教員がいる大学は危ない
こんなパンフレットの大学は危ない

保育関係の方や興味のある方は,ご一読をオススメします.

  

2014年3月17日月曜日

近場だったところに足を運んでみました

春の朗らかな風が邪悪な花粉を運んでくる憎たらしい季節となりました.

そして,私も関東に移り住んでちょうど1年が経とうとしています.

このたび,関西に用事が重なったことを利用して,それまで住んでいたところの近場の観光地を訪ねてみました.

「いつでも簡単に行ける」と思っていたところは意外と行かないものです.
結局,これらは今回が初めてのところばかりです.

せっかくなので,「神戸空港」とやらを利用しました.
いつもは新幹線を使うのですが,このさい,料金もさほど変わらないのですから“今後は使わない可能性が高い”神戸空港をチョイス.
前日に予約しても余裕で航空券がとれるとは,さすが神戸空港.
余裕かまし過ぎて電車が遅れるアクシデントに見舞われ,滑り込みセーフだった羽田空港78番搭乗口.息を整えながらのフライト.
やっぱり飛行機は性に合いません.

以下は長野県南アルプス上空あたりかな?
思わず撮ってしまいましたが,実は撮影禁止時間だったと思い返した着陸体制の時間.
毎度利用していた明石海峡大橋の上空です(右端が淡路島).
これが神戸空港とやらです.
悲しいほどにガラガラなのですよね.高知空港と張り合えますよ.今後の活躍に期待したいところです.
三宮の人にはお馴染みの「サンキタ通り」と,
その近くにある生田ロードからの「生田神社」でございます(奥にチョット見えてる).
この近くでは何度も呑んだり食ったりしていたのですが,今回が初めての参拝となりました.これが「生田神社」です.
先を急ぐ旅です.
今回は “神戸の名立たる神社仏閣巡りをすること” と位置づけ(いつもだけど),すぐさま電車でGO!

次は「湊川神社」です.
ここの近くの体育館(神戸市中央体育館)には大学の大々先輩や知り合いもおり,仕事でしょっちゅう来てたくせに,今回が初めての参拝です.
「あぁ,ここが忠臣・楠木正成公の最期の場所かぁ・・」と感慨に短くふけって次へ.

西に足を運んで,今度は「須磨寺」.真言宗のお寺でございます.
一の谷の合戦の舞台であり,青葉の笛で有名な平敦盛の首塚があることで有名です.

ここで東方にUターン.
長田神社」に足を運んでみます.
神戸市長田区と言えば,阪神淡路大震災で壊滅的なダメージを受けた場所としても知られています.
木造建造物が多く,道路の幅も狭いことから延焼の被害が著しいところだったのですが,今は整備がなされ,以下の様な町並みになっております.

さらに東へ進んで,大阪です.
大阪城」ここも一度も行ったことがない場所です.
その大阪城にある梅林.
まだ満開ではないようでしたが,かなり綺麗に咲いておりました.
大阪で梅林といえばそりゃあ...,って,やめときます.

ところで,やっぱり大阪は水の都市ですな.

次は大阪天満宮に向かうのですが,その門の前にあるのが「川端康成生誕の地」です.
趣きのある玄関です.中には入らず,大阪天満宮へ行きます.

大阪天満宮」です.
ちょうど結婚式をやっておりましたし,
ここの梅もきれいでした.やっぱり大阪は梅の街ですな.
そのまま地下鉄へダッシュ.

次は「四天王寺」.ここも行ったことがなかった名所.
建物の配置に趣きがある,The 寺.
見まわる所が多い四天王寺ですので,時間がどんどん過ぎていく.
しっかり見るのはまたの機会として,次へ.

四天王寺のすぐ近くにあるのが,「一心寺」.
この特徴的な阿吽像を有する現代建築による山門が有名なようです.
「危ないですから,線香は刺さずぅ〜,そのまま香炉に放り込んでくださ〜い」 という警備員の指示が印象深いところです.放り込めって,まぁ,なんて情緒のない指示よ.

では次.
その四天王寺と一心寺の近くに,小さな神社があります.
それが真田幸村戦死の地である「安居神社」です.
大阪城とセットで来るべきところですね. 

そこから少し北へ足を向けると,「生國魂神社」があります.
境内には井原西鶴の銅像があるのですが,これがまた結構いい味が出ている銅像です.
写真を載せときますが,でもこれは実物を見るべき.

そろそろ疲れてきたころですが,これが最後ということで「法善寺」です.
通り過ぎることは多々あれど,行ったことはなかった法善寺.
これが一部の学生(卒業生)の間で噂の賽銭箱でございます.

あとは新大阪駅までの道すがら.
通れど撮ったことがなかった大阪なんばの町並み

この街に,次はいつ来るのかなぁ〜.って・・,
そう言えば友達の結婚式がすぐあるじゃないか!
やべぇ,ホテルとっとかな.忘れとった!

ということで,また極めて近いうちに来れるでしょう・・・.


わたくし,カメラにはニコン1 V1を使っているのですが,V2の使いやすさが気になっていて購入を検討していたところ,なんとV3が発売されるとのこと.
レンズ交換式アドバンストカメラ「Nikon 1 V3」発表(ニコンHP)

現在,店頭で触れる日が来ることを楽しみにする日々です.

2014年3月8日土曜日

偏差値45の大学選び パート1

昨日の記事もそうでしたけど,「こんな大学は危ない」ということを紹介することがありますが,では,どういう大学なら良いのか?その判断基準はあるのか?というところが気になるかと思います.

そこで今回は,ホームページやパンフレット,可能であればオープンキャンパスに行って調べたい大学選びのポイントをご紹介することにします.
まず第一弾として,
(1)自宅からのアクセス
(2)図書館(パソコン室)まわり
(3)貸出備品
(4)ゆるさ
の4点です.

まず最初に,重要な点を1つ.「あなたが目指している大学のレベル」についてです.
身も蓋もないことを言いますと,国立大や超難関大学,MARCH,関関同立といったレベルの大学(学部学科)であれば,はっきり言ってどこへ行っても同じです.
こういうレベルの大学であれば,ぶっちゃけ「入れたところで頑張るのみ」としか言いようがありません.
問題になるのは,何を専攻するのか?師事する先生は誰か?といったことになります.

今回ご紹介するのは,そしてこの記事で対象としているのは,こうしたトップレベルの大学を目指している受験生ではありません.
だいたい偏差値が40〜50くらいの枠の中で「大学のこと,あんま知らないし.どうしようかなぁ」「滑り止めとは言え,もしものために」と悩んでいる受験生の参考になるかと思います.

「W大の◯学部より,C大の◯学部のほうがぁ〜」などとドヤ顔で話している人たちに嫌悪感を抱きつつも,自分の学力の天井が見えていて,それでも大学という場所で自分の可能性を広げてみたいと考えている受験生のための記事と捉えておいてください.
こういう観点での情報って案外少ないものですから,ここに著しておきたいと考えました.

(1)自宅からのアクセス
よく言われるものの一つですが.特に3〜4年生にかけて,もしくは大学でがっつり喰いつける活動ができた時に最重要になってきますので,妥協しないほうがいいです.
大学というのは授業やクラブ活動をするためだけに通学するのではありません.受験する時や入学時にはそのように考えてしまう人が多いですが,実は違います.
時間の都合をつけて,授業や課外活動を越えた/包括した勉強をする必要が出てくるものです.それが何かはその人次第なので具体的には表現できません.
けど,例えば典型的なのがレポート課題でしょうか.自宅でやってもいいのですが,できれば大学図書館の方がいいんです.そうした時,大学や図書館に簡単に行くことができるかどうか,かなり重要な要素になってきます.
学生の時って,なんだかんだと「忙しい」とか「面倒くさい」と考えてしまうものです.「せっかくだから大学に行ってやるかぁ」という気分になる距離にあることは,かなりポイントが高いものになります.
さらに言うと,この場合であればたかがレポートではないんです.たしかにレポート作成のために図書館に通ったのかもしれませんが,「ついでに」とか「おや?」というきっかけで,レポート以外の勉強に “手が出てしまう” ということがあります.これが大事なんです.そういったものの積み重ねが,大学での学びの深さなんですよ.

⇒調査したいポイント
ですから,大学の敷地内や近くに学生寮がある大学というのは高ポイントです.最近は学生募集用として寮を売りにする大学も増えてきていますが,これは結構あなどれない部分なんです.
下宿を考えているなら,家賃との相談ではありますが,可能な限り大学に近いことですね.ちなみに,大学生用の下宿先斡旋をしている大学もあります.
私の友人には,実家通い(通学時間1時間)であっても,大学3年次から大学の近くに下宿を始めた友人もいます.専攻する学問分野にもよりますが,大学での勉強のなんたるかが分かり,気合が入ったらそういう気になるものです.

※ちなみに,学生気分が抜けない私は,自転車で10分のところに住んでいます.やっぱ便利っすよ.

(2)図書館(パソコン室を含む)まわり
上記の続きみたいなものですが,図書館に注力している大学かどうかも重要なポイントになってきます.
図書館を機能させるために尽力しているか,ただの「飾り」としてみているかどうかは,大学の姿勢や,教員が学生をどのように勉強させているのかが透けて見えるものです.
大学によっては,高校の図書館とは次元が違うことを実感することと思います.なるべく規模が大きく,利用しやすい図書館であることが望ましいものです.
友達を誘ったりしてもいいですから,思い切って難関大学の “通常営業中” の図書館を見学してみてください(たいてい,事情を説明すれば入れてくれる).充実している図書館とはどのようなものか,それを見ておくことです.

⇒調査したいポイント
蔵書量も大事ではあるんですが,これは財力によるところが大きいので・・・.
「席の数(学習空間の広さ)」が最重要になってきます.
受験生としては「へ?」って思った人もいましょうが,これは最重要なんです.というのも,期末テストの期間やレポート作成に追われる期間は,大学によっては図書館やパソコン室が修羅場と化します.十分な席や学習空間が確保されているかどうか,これが「機能させているかどうか」という意味なのです.
自分だけでは確認しようがないので,その旨をオープンキャンパスなんかで聞いてみてもいいでしょう.可能であれば,7月中旬または1月中旬頃の “通常授業中の” 大学を見学してみると一目瞭然です.
ちなみに,その時期になっても図書館やパソコン室がガラガラである場合,その大学の授業は適当にやられている可能性が高いと言えます.もしくは,学生の学習意欲が極端に低いか.いずれにしても,図書館が機能していないことを物語っています.
なお,席の数が豊富にあれば,繁忙期以外の時は静かに余裕をもって使えるわけですから,少ないより多いほうがいいことに違いはありません.

次に,図書館の営業時間や利用方法(規則),設備・周辺施設です.
日曜でも営業している.24時まで営業している.早朝から営業している.内部に購買コーナーがある.パソコン室と併設されているなんてことはトップレベルの大学では当たり前になってきました.
そうしたものに近しいことができているかどうか,という点です.
ちなみに,本学の図書館は各席に電源コンセントがあり,しかもなんと「談笑・飲食可能(区分けされてるけど)」です.
理由は,とにかく学生を「図書館にはべらせる」ことを目的としています.私はこれを良い方針だと思っています.大学図書館は昔から飲食厳禁ですが,それでも隠れて飲食していました.でも,最近は本当に厳禁になっちゃったんです.これにより「図書館は居心地が悪い」なんてことになり,足が遠のいてしまう.清水に魚棲まずといいますが,まさにそれです.
そこまで求めることはないですが.本気で勉強するなら缶詰になる可能性が高い場所ですから,自習用の特別席があるとか,購買コーナーが近いとか,アクセスがいいとか,そういう使いやすさは見ておいて損はないですよ.

※ただし,図書館は改修される可能性も高い場所です.オープンキャンパスなどでは,改修計画があるかどうかも聞いてみていいかもしれないです.

(3)貸出可能備品・PCソフト
これが充実している大学/そうでない大学があります.トップレベルの大学では,これを充実させようと力を入れているところです.
上記2つを読んで気がついた人もいるでしょうが,結局,トップレベルの大学が何に力を入れているかというと,「自習のしやすさ」なんです.
でも,そうでない大学,特に「危ない大学」ほど,こういう部分には力を入れません.なぜなら,セールスポイントにならないと考えているからです.むしろ,「大規模大学は学生が放ったらかしだ.でも,私どもの大学では手厚いサポートがあります」なんて言い出します.サポートってなんだよ.と思いますが,なんのことはない,自己啓発セミナーみたいなことや,実りのないどうしょーもない発表会をやってるだけです.
というか,多くの受験生だって「自習のしやすさ」なんかに目が向かないでしょ?だから大学側もここを広報しにくいんです.でも,いざ大学生活を送ってみると,こここそ大事であることに気がついちゃう,という部分であります.

⇒調査したいポイント
ノートパソコンやPCソフトのライセンスといったものが貸し出されているかどうか.その充実度といった点ですね.
本学のノートパソコンの貸出はかなり長期で,故に自宅に持ち帰ってもOKだったりします.これは私も結構ビックリでした.と同時に,そんな今の学生が羨ましかったりします.
さらにビックリしたのは,PCソフトのライセンスが貸し出されていること.Office(エクセルとかパワポとか)やSPSS(統計処理ソフト)です.期間内なら,自分のPCに入れちゃえるってことのようですが,どんだけ羨ましいんだコンチキショー!
もちろん,貸出可能数がどれくらいなのか?とか,混雑や順番待ちがあるんじゃないか,といったことはオープンキャンパスで聞いてみていいでしょう.

それ以外にも,体育スポーツや音楽・芸術系の大学等であれば,そうした関連施設・備品の貸出や自由に使用できるシステムがあるかどうかも重要な部分になるかと思います.例えば,資格・免許のためにピアノの練習がしたいんだけど,いつも混んでで利用できない,なんてことがあります.
パンフやHPの広報用としては立派なものが揃っていても,実は特定のクラブや授業以外では一切利用できません.なんてことは普通ですので.
こういうのはオープンキャンパスに手伝いとして参加してる在学生を捕まえて聞いてみると内実が分かります.

※これも,「今はやってないけど,来年からやります」なんてことが考えられるものですので,そういう計画があるかどうか聞いてみるといいでしょう.

(4)ゆるさ
猛烈に主観的なことでありますが,最強に重要な点です.
上記3点の総合版のような感じですが,つまりは学生が何をしようと,鼻クソほじりながら「別にいいじゃねぇ〜,大学なんだしぃ」という態度で教職員が涅槃状態でいるかどうか?という点です.
ガッチガチに学生をコントロールしようとする大学があります.これは,力のない大学ほどそうしたがります.なぜかというと,学生がトラブルを起こすことを極度に嫌っているからです.
でも,大学っていうのは,学生の若さゆえの思い上がりや失敗,イタい空回りっぷり,つまりその「無思慮な情熱」といいましょうか,そういうものを許容した上で,そこにこそ芽生える学術的好奇心を育てることだと思うんですね.
こうしたことが実現するための土壌というのは,ある程度「遊び」がないといけません,つまり「ゆるく」ないとダメなんです.
これ以上は難しい話になるので,とりあえず以下の「調査したいポイント」を参照ください.

⇒調査したいポイント
とにかくこれは在学生に聞くしかありません.でもじゃあ,どういう問いかけをすれば「ゆるさ」を判別できるような回答を得られるのか?ということなんですが.
「この大学って,ゆるいですか?」とダイレクトに聞いて答えてくれるんならいいですけど,そりゃなかなか難しいものです.
ですから,以下に質問リストを挙げときますので,参考にしてください.
該当する項目が多いほど,ゆるい,つまり良い大学です.
1)学内でお酒が呑めるか?ゼミ中や研究室で呑んでる先生がいるか?飲み会が開かれたりしてるか?
2)開門時間以外でも入校可能か?つまり,事実上24時間営業か?
3)軽い暴力(身体的・精神的)をふるう教員がいるか?で,その教員は,ちょっとした名物教員(つまり,解雇されずに済んでいる)か?
4)図書館の隅や未使用教室などで寝ている学生がいるか?
5)なんでもない時期に,2日以上連続で(さも当たり前のように)学内に宿泊している学生(または教職員)がいるか?
6)購買コーナーのおっちゃん・おばちゃんが,「えぇよ,えぇよ,なんとかしといたるから」っていう感じの融通がきくところか?(この場合,「お金がない時にツケがきいたりしますか?」なんていう質問で切り出してもいいでしょう)
7)大学職員が怖いか?学生を怒鳴りつける職員がいるか?
8)受講者の99%が寝てる授業があるか?
9)授業に行ったら先生が来なくて,そのまま何事も無く休講になることがあるか?
10)テストが全然できていないと思ったのに,高得点で単位が取れたことがあるか?

上記のリストを見て「そんないい加減な大学,ダメじゃん!」って思った人は,まだまだ青いですね.そんなことでは大物にはなれませんぞ.
たしかにこれらは「ダメ」なことですよ.けど,こうしたことを「ま,いいんじゃねぇ」ってことで流してるという点に「遊び」があるわけです.
上記のようなことについて,徹底して改善したり,公平になるよう規制することによって「善くなった」という話は聞きません.むしろ,つまらなくなった,不便になった,深みがなくなった,そして,別の形で弊害が出てきてしまったという事例は知っていますが.


まぁ,そんなところでしょうか.これ以外にも思いついたら,それは「偏差値45の大学選びパート2」でご紹介します.
※というわけで,パート2を書きました.
偏差値45の大学選び パート2


なお,「危ない大学」を判別したい場合は,以下の記事をご参考に.

2014年3月7日金曜日

こんなパンフレットの大学は危ない

これまでにも,
こんなホームページの大学は危ない
こんな挙動の教員がいる大学は危ない
といった記事を書いておりまして,結構な閲覧数を稼いでもおりますし,また,その内容が皆様の参考になっているようでしたら幸いです.

さて今回は,以前ご紹介した『こんなホームページの・・』の続編として,「パンフレット」を取り上げることにしました.
とは言え,ホームページとパンフレットは掲載内容が似通っているということもありますので,タイトルとしては「続・こんなホームページの・・」と捉えてもらってもよいかと思われます.

この手の記事では繰り返しておりますが,「こんな◯◯の大学だから,そこにいる人たちが一致団結して悪人」というわけではないことを申し添えておきたいと思います.
こんなホームページやパンフレットになってしまうのは,
 学生募集のためにその大学の教職員さんが粉骨砕身,努力を積み重ねた結果 
だからなのでございます.だからこそシュールに映るのですけどね.

ちょうど,美人とはとても言えない人がお見合い写真や釣書に全力を尽くしてしまい,かえってそれがなんとも “痛い” という状態とよく似ています.

「アピールすべきはそこじゃないだろ」というツッコミを入れたくなるのと同時に,そもそも “そのアピールすべきところ” が,大学としての存在意義を問われるポイントであるにもかかわらず,そここそアピール不可能な大学である,という痛ましい状況を類推することができてしまうことを物語っているとも言えるからです.

あと以下を読んでもらう上で注意事項をいくつか.
某掲示板において「こんなホームページの・・」の記事が紹介された際に,そこでのコメントにあったのですが,
「どんな大学も,このうちのどれかには当てはまるだろ」
というもの.
ちゃんと記事の全文を読めよと思いましたが,改めて申しておきますと,
以下の項目に当てはまる数が多いほど「危ない大学」ということです.
どれか1つが当てはまれば陽性ということではありません.
あと,★の数は影響力の強さを示しています.★の数が多い項目であれば,少数であっても “危ない” 確率は高くなります.
※なお,「危ない大学」というのはどんな大学なのか?については,
反・大学改革論のシリーズ
をご確認ください.

前置きはこれくらいにしておいて,では早速.

(1)学科長が若い★★★
(2)学科長が准教授や講師★★★

「俺,学科長をやらされるかもしれない」という知り合いの先生がおりまして.その方,30代半ばの准教授にして学科長をやることになるかもしれないわけですね.
これの何が問題なのか?ですが,通常,大学ではそんなに若い人が学科長をやることはありません.
ところが,その人(危ない大学を渡り歩いている)とも話しているのですが,危ない大学というのは高い確率で若い教員でも学科長を任せたりします.

さすがに学部長や副学長なんかになると,「学部」とか全学という大きな枠の中で検討されるので人材として間に合うのですが,学科長というのは限られた「学科」という中での採用になるわけで,その大学(学科)の教員の層の薄さが見て取れるわけです.

しかも(というか以下のことが最重要なのだが),学科長選定というのはその大学や学部学科の政治的な背景が反映されやすく,そんなとこに「30代の教員」とか「准教授や講師」といった教授ではない教員が務めるということは,きな臭い何かがあるとみてとるのが業界の常識でして.
パンフレットやホームページで確認できないようであれば,オープンキャンパスで確認してみましょう.

それでも,本人たちはこうした事態を「普通じゃない」ということは認識できているので,なんかの際にはきっと「若々しい風を吹き込むことで,学生の学びに貢献(とか,その他いろいろ)」などと“言い訳” するかと思いますが,その時点でイレギュラーな事態であることをゲロってるとも言えます.


(3)スポーツを売りにする★
非常にポピュラーですし,これこそ最近の大学はどこもやってるというところですし.
場合によっては真面目に本気で売りにしたい大学もあったりするので,他の項目との抱合せでみるべき項目でしょうか.
ただ,そんなに強くも認知度もないのに大学のスポーツ・体育会系のクラブを売りにするところというのは危ないとみて間違いありません.

見るべきポイントとしては,例えば危なくない大学というのは課外活動は課外活動として “ついで” に紹介する程度の扱いになっているのに対し,危ない大学ではメインディッシュのように紹介している点にあります.もっと言えば,戦績が優れているとか,どんな特徴的な活動をしているか?ではなく,楽しいキャンパスライフでしょ?という点を強調していると感じ取ったら怪しいと見ていいでしょう.

さらには,パンフレットに戦績とか選手の出身高校はどこそこだとか,まるでプロ野球の選手名鑑のようなページを用意している大学もあったりします.

そんなわけで,これは以下のこととも重複します.
(4)写真として使った学生について,その出身高校も記載している★
これもよくあるものの1つですが...
なぜ出身高校を載せるのかというと,高校訪問(いわゆる学生募集の営業活動)の際に,
「うちには御校の卒業生の学生がおりますねぇ.いやぁ,御校の「だれそれ」は元気にやっておりますよ.えーと,ほら,例えばこのパンフレットにも掲載されておりまして...」
などと話のネタをつくるのにピッタリなのです.

実際,私も営業活動をしていた時にやったことがあります.あれって便利なんですよ.「あぁ!この子知ってますよ.元気ですか?」と,高校の先生の食いつきもいいし.

ちなみに,パンフレットに使う写真の学生を選定する際,この「出身高校」というのは重要な判断材料になりますので,上記のような視点で学科会議や広報委員会会議では話し合われます.
「学業成績が良い」というのもあるのですが,それ以上に,なるべく学生募集で訪問することの多い高校の出身学生と,毎年受験生が多い高校の出身学生,および,最も偏差値の高い高校の出身学生が選ばれることが多いですね.


(5)「学生の一日のスケジュール」を全力でアピールしてる★★
どの大学のパンフレットにも必ずと言っていいほどある「学生の一日のスケジュール」.
これを全力でアピールしているほど危ない大学です.
はっきり言って自慢になりますけど,国内では名門になる本学においても「学生の一日のスケジュール」を扱ったパンフレットのページはあります.でも,これは,
「載せるものがないね.なんかないかなぁ.あっ,そうだ.学生の一日のスケジュールでも載せときましょう.他の大学もやってるし」
という,(自分達で言うのもなんだが)極めていい加減な理由でやってるものです.学生の一日のスケジュールなんか載せて何になるんだ,という認識しかありません.いえ,これが健全な認識なんです.これはちょうど,学生が卒論やレポートのページ数を稼ぐために意味もないグラフや写真を載せてるようなものです.

ところが,危ない大学というのは「学生の一日のスケジュール」を本気で魅力的に作成します.1ページまるごと,場合によっては見開き全てをそれに使う場合もあります.
吹き出しとか矢印をふんだんに使って,
「今から授業!(・ω<)テヘペロ」
「仲間とサークル活動(・ω<)テヘペロ」
「これからバイトだ大変だぁ!(・ω<)テヘペロ」
と,私からすりゃとても大学・教員側が作成したとは思えないフザけたページになっている場合もあります.

これは,「見てくださいよ.どうですこのキャンパスライフ.楽しそうでしょう?面白そうでしょう?大学っていうのは堅苦しいところじゃないんです.専門学校とかも検討しているかもしれませんが,大学っていうのは昔から言われるように,楽しいところなんですよ.これがいわゆるThe Campus Lifeなのです.ぜひ受験してください」という意図があるからです.


(6)他愛もないアメニティをゴリ押ししてる★★
以前の「ホームページ編」では大学までのアクセスの良さや学生寮について取り上げましたが,それに似ています.
食堂とか体育館とか購買コーナーとか.そんな他愛もない,つまり入学したら普通に常時当たり前のように使い,かつ,その質が問われるものではないアメニティを売りにする.というものです.
そんなアメニティによって大学を選んでいるのは,はっきり言ってそれは勉強する気がない受験生ですし,ちょっとイタい受験生です.

それに,そうしたアメニティのアピり方がゴリ押し過ぎる場合です.例えば,メニューのどれそれが美味しいとか,バスケとバレーが同時にできるだとか,そんなこと,未来の大学生として気にすべきポイントではないでしょう?それをアピールポイントにしているパンフレットの大学は,やっぱり危ないんです.

大学としてアピールするべきは,勉学・学問をするための地位を有しているアメニティ.例えば,どうせアピるにしても図書館の規模や営業時間,学生用PCおよびPCソフトのライセンス貸出(MS OfficeとかSPSS,PhotoShop等々)であるはずなのですが.

というか,こうした点は「それほど有名ではない大学でもいいから,大学に進学したい」という高校生にとっては重要な判断材料になるものですから,パンフレットだけでなくオープンキャンパスなどでも聞いておくとよいでしょう.
※この点については,後日あらためて記事にしたいと思います.
というわけで後日記事にしました.
偏差値45の大学選び パート1

(7)「〜しよう!」調の文章が並んでいる★
まぁ,これはこの記事の共著者とも言える先生と,「なんとなくそんな感じがする」ということで話題になったから挙げたものです.
たぶんこれは,以前の「ホームページ編」において,危ない大学がアピールするポイントとして,
(1) 夢を叶える
(2) 面倒見の良さ
(3) 社会で役立つ知識
というものを取り上げましたが,それと類似するのだと思います.

つまり,普通の大学では「学生諸君,とにかく勉強しろ.その出来によって評価してやるよ」という上から目線の態度であるのに対し,
「〜しよう!」調の文章からは,「いろいろな事ができるから,やってごらん(っていうか,お願いだから積極的に何事にも取り組んでくれぇ!).それをこちらは全力でサポートしてあげるから(でも結局は学生の頑張り次第だけどね)」という事情が透けて見えるわけでして.


今回はなるべく高校生や保護者,高校の先生方にとっても参考になる記事ということで記述してみました.
該当項目数が多ければ「危ない大学」である可能性が高いですし,より判別精度を高めようとするのであれば,複数の大学のパンフレットやホームページを比較してみてもよいでしょう.

他にも,入学してみてから分かることや,オープンキャンパスでわかることなどありますが,それはまた追って記事にしたいと思います.

とりあえず,危ない大学に入学していたことが分かったからどうしよう,という場合は,
危ない大学に入学してしまったとき
をご参考に.

今回の記事で取り上げたテーマを詳細に知りたいという場合は,以下の関連記事を.
こんなホームページの大学は危ない
こんな挙動の教員がいる大学は危ない
大学について
大学について2
反・大学改革論
反・大学改革論2(学生からの評価アンケート)
反・大学改革論3(学生はお客様じゃない)
反・大学改革論4(喜んでる教員)

2014年3月3日月曜日

簡易版・負けたのに楽しかったはダメでしょうけど.けどね

ネットニュースを見ている限りでは,オリンピックなどの国際スポーツ大会における代表選手の言動に関する議論が思いのほか続きました.

事の発端は,大学教員である竹田恒泰氏がツイッターで,日本代表選手は「「メダルを噛むな」「国歌は歌え」,負けたのに「記念になった」「楽しかった」などの発言はありえない」という一連の主張をしたことです.
「負けたのにヘラヘラと『楽しかった』はあり得ない」 竹田恒泰氏の五輪選手への「注文」が賛否両論

私は当初このニュースのことを一般庶民の「スポーツ」を見る目に興味深い変化が見られるものとして眺めていたのですが,残念ながら予想以上に「スポーツ」が放ったらかしになったままの下品な形で続いているようです.
ですので,
前々回の記事である■「負けたのに『楽しかった』」はダメでしょうけど.けどね.の続編,というか内容をあっさりさせてみたところです.
長い記事になってしまった前回の記事では,
「うわっ,スポーツごときで回りくどい面倒な話するんだなぁ」
と思われてページを閉じられた人もいるかもしれませんので,その簡易版も出しとこうと思います.
以下の詳細は,■「負けたのに『楽しかった』」はダメでしょうけど.けどね.を読んでください.

まず,負けたのに「記念になった」とか「楽しかった」などと発言する選手についてですが,
『論外』です.
文字通り,『 論 外 』です.論ずるに値せず,まったくもってフザケている選手ですので,論じる必要はありません.世が世なら斬首です.
その選手の回りにいる方々(指導者や肉親,友人など)が,そっと「お前,ちょっとあの発言はないで」と教えてあげてください.
バッシングする必要はありません.
関係者以外は黙っておくべきです.論じるに値する話ではないからです.
論じれば論じるほどに,さほど考えもしないで,印象だけで,“なんとなく多分そんな感じ”っていう理由だけで語りだす人が出てきます.酔っ払いオヤジの芸能ニュースのような議論でスポーツの在り方が方向付けされる恐れがありますので.

竹田氏に対して反論した人が色々いますが,それに対するネットのコメントを見ていると,「やっぱりそうきたか」と虚しい気分になってしまいます.
とはいえ,私は竹田氏が今回のような発言をしたこと自体,あまり評価はしていません.繰り返しますが,外から「選手はこういう態度をとるべき」みたいなことは言うべきではないと思っています.

負けたのに「楽しかった」という選手の発言がダメな理由ですが,これは,竹田氏が言うような「参加にあたって国費を使っているから」とか,この点への反論である「選手は国のために参加しているのではないから云々..」ということではありません.

そう言えば,ネットニュースを見ていたら竹田氏に
頑張った選手なら(何を言っても)いいではないか
と言った人がいるようです.
では,人は頑張ったら何を言ってもいいのでしょうか?
「ダメ」です.

私はラーメンを食べるときは「替え玉」をするよう頑張ります.もの凄く頑張って美味しくいただきます.でもそんなふうに頑張ったからといっても,ラーメン屋やラーメン業界に対して失礼になる発言はしません.できません.
頑張ったことと,何を言ってもいいこととは関係がないからです.

「スポーツとラーメンを一緒にするな!」と怒られるかもしれませんが...
ラーメン業界に対してもの凄い上から目線なこと言ってるようですが,まぁそれは無視するとしても,少なくともスポーツは特別だと思っているのですね?
では,なぜスポーツは特別扱いされるのですか?そういう認識になる理由はなんですか?

でも,「スポーツは特別」そういう認識が心のどこかに引っかかるのであれば,それを大事にしてください.それはスポーツを考える上で非常に大事なものだからです.

もうちょっとネットニュースを見ていたら,竹田氏に
「ヘラヘラしたコメントがあるかもしないが,それはその人の人格である.否定することはない.選手が思ったことを言えることのほうが自由でいい
と言った人がいるようです.
まぁ,人が何を言おうと勝手なのはそりゃそうですけど.

でもね.
オリンピック選手は尚の事ですが,スポーツ選手が好き勝手な発言をしては「ダメ」です.「 ダ メ 」なんです.
選手の人格を否定などしませんし,どんな発言をしようとギャーギャー騒ぎ立てる必要はないのですが,スポーツ選手がいい加減でヘラヘラした発言をすることは避けられるべきです.
古いとか,戦前の日本みたいとか,トチ狂って批判してくる人もいましょうが,これはスポーツがスポーツであるために重要なことです.

スポーツというのは,分かりやすく言うと騎士道精神(武士道精神でも良い),もっと根源的には「勝利」と「名誉」というものを尊ぶための,人間固有の文化と言っていいでしょう.この両方を得るため,人間はさまざまなものをスポーツしてきました.
(この詳細は■人間はスポーツする存在である

相手は人間であろうと動物であろうと,自然であろうと,物であろうと関係ありません.
なるべく比較・評価するために公平な条件になるようルールを設定して挑み,闘い,そしてそれに勝利することで名誉を得る.そうしたことに価値を見出す不思議な活動です.
(例えば,マラソンやサッカー,馬上槍試合や剣道,登山や冒険,ポーカーやソリティアなどは,こうしたスポーツすることによって現れた活動です)
人間が何かに勝利すること,そしてそれが名誉なことだと位置づけられることの源泉は,スポーツすることにあると言っても過言ではありません.

そして更に言うと,スポーツによる勝利には必ず,本人の実力以上の「何か」が関わっていると見做されるからこそ名誉なことなのです.
「おいおい,それは勝った選手が練習やトレーニングを頑張ったからでは?」
というところでしょうが,頑張ったのは全ての選手が同じことです(竹田氏の発言を批判している人もこれは同意してくれるはずですね).人一倍頑張ったけど負けたということは茶飯事です.試合のために腕を磨いてきたことは皆一緒なのですから.

だからこそ,そうした(皆が全力を尽くした)中において勝利者となる者.それは勝つべくして勝った者,選ばれし者であるということを意味します.
(現代的な感覚で捉えないでください.これはそういう問題ではないのです)
つまり,スポーツにおける勝利者とは,俗人とは違う何か偉大なるものを持っている,もしくは,大いなる背景をもってこの場に立っているという,いわば「英雄」であることを示します.
例えばスポーツニュースでは,選手が現在に至るまでの「物語」が(必要以上と思われるほど)語られますが,これはまさに英雄叙事詩なわけです.
もっと言うと,スポーツとは,人間がこうした「英雄」を輩出するためのシステムであるとも言えます(「近代スポーツ」だけのことを指して言っているのではない.詳細は別記事を参照).
ですから,オリンピックなど大規模スポーツイベントというのは,まさに目の前で繰り広げられる「英雄叙事詩」なのです.
人々がスポーツに魅せられる理由というのは,こうした点もあるでしょう.

そのようなわけで,上記を踏まえた上で,オリンピックやワールドカップという場においてスポーツ選手に「とるべき態度がある」という理由を述べるとすると,以下のとおりです.

国を代表する選手は,少なくともその国での勝利者「国の英雄」であると言えます.
そういう選手は英雄らしい振る舞いをしなければなりません.理由は,「英雄」は徳が高く,上品で,誰もが憧れる人物であるべきだからです.
カッコつけてアウトローを演じることは馬鹿げていますし,本当にそんな選手なのであれば裏で厳重注意です.
ここで重要なのは,外(観客・視聴者)の人々も,彼らを英雄として扱わなければならないことです.ですから,その英雄に向かって「英雄らしい振る舞いをしろ」と言った(そう見えた)に等しい竹田氏の発言は,私は評価できないということです.

故に,冒頭お話したように,こうしたことは元々「論じられる」に相応しくありません.
スポーツ大会における選手の立ち居振る舞いとは「そういうもの」なのですから,あれこれ注文つけたり,逆に「いいじゃん,選手の自由にすれば」となど吐き捨てることではないのです.
スポーツ選手の立ち居振る舞いというのは,その国や集団の英雄像を投影するものです.
我々はどのような英雄を望んでいるのか?
それがスポーツ選手に現れるのであり,そしてまた後世に引き継がれていくものなのです.

もう少し詳細に,もしくは別角度からスポーツを考えたいという場合は,以下の記事を.
「負けたのに『楽しかった』」はダメでしょうけど.けどね.
人間はスポーツする存在である