2015年1月31日土曜日

危ない大学に奉職してしまったとき「厄介な教員対策」

前回ご紹介した和田慎市先生の著書の中にも関連する部分があるのですが,大学においても,この
「厄介な教員・周囲に害を及ぼす教員への対策」
というのは非常に重要になってきます.

これについて学校教育における対策は和田先生の『すばらしきかな、教師人生 先生が元気になる本』を読んでもらうと良いのですが,この記事では「大学における厄介な教員・周囲に害を与える教員との付き合い方」について,この本を参考にしながらご紹介してみようという企画です.

最近,無能な教員や気に入らない教員を切っている大学に在籍している先生とお話をする機会がありました.
「気に入らない教員を切る」とはなんぞや?というところかもしれません.
切られる教員とは,大学運営に積極的でなかったり,積極的であったとしても何かズレてたり,おまけに学生からの評判も偏っていたり授業評価も高くない教員のことです.
こうした「厄介な教員」を「この大学には不要だ」と切り捨てたり干したりする大学が徐々に増えてきているのだそうですが・・.
「無能な教員を切るのは良いことじゃないか」と言いたい人もいましょうが,たとえ周囲に害を与える教員であっても,簡単に切り捨ててしまう大学は危ない大学と見做してよいと思います.
厄介な教員であっても,ある程度は共存していくのが大学という場所です.だから今回の記事の趣旨も「厄介な教員との付き合い方」なのです.

ところが,危ない大学というのは経営や運営に余裕がありませんから,なんとかして教職員を一手に統率しようと目論むものです.そんな中にあっては,学内で評判が良くない教員は切り捨ててしまった方が何かと安全で効率的と考えるのです.

その一方で・・・,
悲しいことに,危ない大学に奉職している教員というのは「危ない大学エキス」を浴びることによって,周りの人間の足を引っ張ってでも生き残ろうとするようになるので,結果的に「周囲に害を及ぼす教員」へと変身することがあります.
もしくは,もともと周囲に害を及ぼす教員が,この危ない大学から滲み出している「危ない大学エキス」を吸いたいがために,カブトムシやアリのように寄って来やすいという現象が見られます(なんでかって言うと,自分に能が無くても周りの足を引っ張れば生き残れる大学でもあるからです).

というわけで,不幸なことに危ない大学には「危ない教員」,つまり,周囲に害を及ぼす厄介な教員も必然的に増えてきちゃうのです.
大学運営側が気に入らない教員を切り捨てれば切り捨てる程に,そして,教職員を強引に統率しようとすればするほどに,その思惑から外れて周囲に害を及ぼす教員は逆に増えてしまうわけでして.
内部の人は分かってくれるかと思いますが,危ない大学の特徴として,
なにかっていうと学部学科・部署の垣根を越えて一致団結しようとするクセに,教職員間の仲は非常に悪い
という事態になります.

そうは言っても,危ない大学に奉職していても「まっとうな大学教育」を目指している皆様のような先生方におかれましては,こうした周囲に害を及ぼす教員とどのように付き合うかが重要になってきます.

まずは周囲に害を及ぼす厄介な教員の特徴やパターンを掴んでおきましょう.それらを整理・把握できれば,その対処法も見えてくるというものです.
その対処ですが,一人ではなく集団で当該教員を集中攻撃するようにします.かわいそうなような気もしますが,危ない大学からの脱却にもつながると考えて頑張りましょう.

(1)無能なのに,やたらと競争心むき出しで周りにつっかかる
こういう教員は後輩であれば可愛らしい存在ですが,同年代や先輩であれば厄介な存在になります.
有能であれば良きライバル,良き目標になるのですけど,無能(学術的にも教育者的にも)なんだから目も当てられません.めちゃくちゃ面倒な奴です.
張り合ってきているわけですので,本人としては「自分は張り合えている」と思っています.そこをストレートに否定するわけにもいかないですし,現実問題,そこを指摘したり文句を言うことは非常に困難です.
どんなことで張り合っているかというと,危ない大学においては「学生からの人気度」「授業評価アンケート」「授業内での盛り上がり」「ゼミ生の就職率」「委員会活動での活躍」「大学ホームページへの掲載率」などなど.研究業績である場合は極めて稀です.
その対策は?:大学はそういう低次元な競争をするところではない.ということを伝える必要があります.
危ない大学の中にあっては難しいミッションになるでしょうが,その大学を危ない大学から脱却させるためにも,教員間で競争する空気を薄めるように工作することが重要です.「はいはい,よかったですね」と乾いた対応を皆でしていれば,そのうち競争することをバカらしいと思ってくれるでしょう.

(2)私は本学の中でもキレ者の教員だ,と思い込んでいる
そう思っているのは本人だけで,まったくの無能である場合が多いです.だからこそ厄介な教員なのですが.
まず,自分をキレ者だと吹聴するクセに学内業務や委員会活動をサボります.仕事をやらせたらやらせたでトラブルやミスを連発し,その仕事の質も低いです.なんですけど,どういうアクロバティックな頭脳をしているのか分かりませんが,「私のお陰で上手くいった」とか「実質,私が裏で取り仕切ったんだ」という結論になります.
たいてい,何か自慢できる特技を持っています.でも問題なのは,その自慢できる特技一つを武器に,大学教育の在り方とか教員としての価値なんかを論じようとするところにあります.多くの場合,ウケが良いとか社会で役立つという次元で論じようとする傾向が強いです.
「いやそれ全然学術的じゃないから.しかも考え方も間違ってるし」と突っ込みたいところですが,本人はいたって「学生のためになっている」とご満悦です.
その対策は?:特技を否定してはいけません.それがその人の大学教員である心の拠り所なので.この場合,その特技について学術的な議論をふってみましょう.これを皆で何度も続けていきますと,その特技自体に学術的な価値がないと気づいてくれれば黙るようになるので今よりマシになります.上手くいけばその先生が学術研究に開眼するかもしれません.
その上で,そんな教員には「仕事は割り振るけどやらせない」という戦術をとります.先生は忙しそうですのでとか,これは我々でやっときます,などと言って沈黙させることが重要です.
「そんなことしたら奴が楽するだけじゃないか」と思われるかもしれませんが,そんな奴が表立って動かれた方が面倒になります.そっちの方が楽できると思って我慢です.

(3)大学運営について独自の理論を持っている
独自の理論とのことですが,実のところ経済界からの要求のコピペであり,文科省が出している資料を人より詳しく把握しているだけのことだったりします.
つまり,大学教育としての理念や使命が希薄なチャラい理論なわけで,こういった教員の口からは玄人の胸を打つ言葉は出てきません.でも,至って本人は「これからの大学は,こんなふうに変わらなければならない」という美学に似た主張を持っています.
そういう中において厄介な教員というのは,周囲から公然と,そして理路整然と批判されているのに主張をやめません.ペラッペラに薄い理論と,「いや,そんなの誰でも知ってるよ.しかも周回遅れで間違ってるし」という内容であるケースが多いのですが,本人はトップランナーでいるつもりです.
悲しいのは,大学経営陣がそんな教員を「この人が言うことも取り入れないと,我々の大学は生き残れない」などと少しだけ持ち上げようとするところです.
褒められたと思って調子に乗り,さらに大風呂敷を広げて話を展開するも,元々の頭の悪さが露呈してきて失脚,という顛末になるのがこのタイプです.
その対策は?:対策を講じなくとも,こういう教員は大学経営陣からハブられている可能性が高く,そんでもって「私のことを評価しない運営組織は無能だ」などと文句を垂れながら,大学運営組織の足を引っ張る工作(意地悪)をして日々を過ごしているのがステレオタイプです.
ですが,失脚してなお意地悪の程度が大きかったり,五月蠅く声を上げているようでしたら周囲に害をもたらしますから対処の必要があります.
何をするかというと,その大学の経営陣や幹部に関する悪口やトラブルをこの教員に情報提供してあげることです.すると,「やっぱりここの大学経営陣は無能なんだ」と喜んでくれるでしょう.
たいてい,この手の教員は悪口・陰口が大好きです.それに,自分以外の者が活躍したり出世するのを嫌っているのであって,大学経営それ自体が上手くいくことを願っているのではありません.
気も静まったところに「そのうち先生の時代が来ますよ」とヨイショしておけば満足してくれます.ちょっとアホらしいかもしれませんが,アホを相手にしているんですから我慢しましょう.

(4)大学運営陣のスパイをやっている
大学内部のスパイについては,
危ない大学に奉職してしまったとき「スパイ対策法」
が詳しいので,そちらもどうぞ.
なぜ大学運営陣が教職員をスパイとして雇い(囲い),放つのか? それはもちろん効率的な大学経営をしていくためです.スパイから得た情報によって経営方針と合わない教員を見つけて潰さないといけませんので.
もちろん「スパイ」を買って出る人たちにも利があるわけでして.諜報活動をすることで,雇い主である大学経営陣に忠誠を示しているわけです.
こういう教員は一応「スパイ」なので,学内では非常に幅広く交流をとっており,誰とも仲良くするキャラクターとして確立しています.本人曰く,「私って色々なポジションの人とコミュニケーションがとれる,フットワークの軽いクールでスマートな人材なんだよねぇ」って思っています.
でもたいていの場合ダブルオーセブンのごとくモロバレしており,「アイツは理事長のスパイだ.気をつけろ」などと陰口を叩かれています.
その対策は?:対策らしい対策が打てないのがスパイ対策です.この手の教員は教育者以前に人間のクズですから,いかに関わらないようにするかが重要です.
なんとかして更正させようなどと思ってはいけません.それが報告されたらあなたの教員生命が終わります.
なにより,私のブログに書いているようなことをスパイと一緒のところで話さないことです.
スパイと話をするときは「学生第一の大学を目指しましょう」という点と「学生と経営陣は神様です」というところを重視して話します.ひたすら媚びへつらう弱者・小者を装うことが肝要です.


関連記事
こんな挙動の教員がいる大学は危ない
反・大学改革論4(喜んでる教員)


参考文献
学校現場における「厄介な教師対策」は,こちらが詳しいです↓



その他の危ない大学での対策シリーズ
危ない大学に奉職してしまったとき「スパイ対策法」
危ない大学に奉職してしまったとき「イベント企画対策」
危ない大学に奉職してしまったとき「高校訪問対策」
危ない大学に奉職してしまったとき「教員評価制度対策」
危ない大学に奉職してしまったとき「新学部・学科名の候補を出せと言われたとき対策」
危ない大学に奉職してしまったとき「授業評価アンケート対策」
危ない大学に奉職してしまったとき「本気の高校訪問対策」
危ない大学に奉職してしまったとき「本気の高校訪問対策への対策」

2015年1月27日火曜日

先生が元気になる本

「先生が元気になる本」と題して,このブログでも以前ご紹介したことのある和田先生がご著書を出されました.
和田慎市 著『すばらしきかな、教師人生 先生が元気になる本』です.
以下にリンクを貼っておりますので,興味のある方はそちらからどうぞ.


年々と風当たりが強くなっていく教育現場において,疲弊していく教師に元気を出してもらおうという趣旨でお書きになったとのこと.
そして,「教育関係者」という世間に反論・抵抗しにくい立場を突いた学校・教師バッシングに堂々と正論で対向する必要があるとも説きます.

和田先生が著書の中で指摘されている文を引かせてもらいます.これでどのような本なのか分かっていただけると思いますし,学校の先生なら「あぁ,やっぱりそうだよな」と教師として働く者の琴線に触れるのではないでしょうか.
教師はまさに学校の閉鎖的な空間と人間関係の中に置かれていますから,世間知らずであるのは当たり前です.仮に事務処理能力が高く,合理的に職務をこなす優秀な民間企業の方が教師になったとしても,何年か働くうちに,やはりこの「教師の特性」が現れるようになるのは自明の理なのです.つまりこれらは個人の資質ではなく,教師の仕事上身につく後天的なものですから,皆さんは気にせず,教師として堂々と職務に励めばよいのです.
私はこれに付け加えて「世間知らずだからこそ教師ができるのである.世間擦れした者は教師になってはいけない」と言っても良いのではないかと思うほどです.
そして和田先生は,世間知らずであっても堂々とできるはずの立場である「教師」という人間だからこそ,堂々と人間としての理想の在り方を子供に示せる存在であることを訴えます.
おそらく私達は子供の時,人生経験の長い先生の生き方を無意識のうちに記憶し,自分の生きる糧としてきたのではないでしょうか.つまり「先生自身の生き様(軌跡)が,児童生徒への何よりの教えである」と私は思うのです.
マスコミや世論,クレーマーに怯えなければならなくなったのが昨今の教育現場です.
そこでは,事なかれ主義な教師が増えてしまうことは火を見るより明らかです.
それは児童生徒を本当の意味で教育していることになるのでしょうか.

そうした中にあっては,子供は教師から「事なかれな生き方」を学ぶことになるでしょう.
ですが考えてもみてください.たしかに事なかれな生き方を子供に示すことになるのは教師ではありますが,教師をそのように振る舞うよう追い込んだ一因が世間であることを・・・,っと,長くなるのでこれについて今回は割愛します.
詳細は■いじめ問題は解決できるものではないをどうぞ.

では,教師が堂々と人間としての理想の在り方で “在る” ためにはどうすれば良いか.
これについて本書は「現場で働いている教師のために」という視点で,思想・哲学的な観点や,具体的な事例から綴られていきます.

なかには,教育現場での「あるある」を示しながら対応策が述べられます.
・地位や名誉に固執し,出世欲が強い教師との働き方
・生徒に嫌われたくない教師との働き方
・アルバイトをしたい生徒がいた場合の対応
・生徒から惚れられた場合の対処
・共同記者会見への臨み方
などなど,現役の先生方にとって有益な示唆が得られるはずです.

私も和田先生とは昨年(2014年)の夏に
学校教育対談
でもご紹介したように,直接お会いしてお話をうかがう機会がありました.
そこで熱心にお話いただいた内容が,本という形で多くの方々の目に触れるようになったことは喜ばしいことです.

今回の出版を皮切りに,和田先生はホームページを立ち上げたそうです.
それがこちら↓
先生が元気になる部屋

ご著書を読めばたくさん出てきますが,和田先生はいわゆる指導困難校における様々なトラブル(いじめや暴力事件,訴訟,マスコミ対策等々)を,一教師として,また管理職としてくぐり抜けてこられた方です.
そんな経験を今の教育現場で悩んでいる教師に役立てられないだろうかということで,相談の窓口としてホームページを開設したとのこと.
もし教育現場でのトラブルで困っている方がおられるようでしたら,上記のホームページから問い合わせてみてはどうでしょうか.
懐が深く,義理人情にあつい先生です.きっと好転のきっかけが掴めることと思います.


和田先生のご著書はこちらもオススメです.



関連記事
学校教育対談
実際の学校教育現場:実録高校生事件ファイル
いじめ問題は解決できるものではない
いじめアンケート調査の問題についてのあれこれ
大津いじめ問題で大衆の愚かさに絶望しています

2015年1月26日月曜日

「じゃあ,代わりは誰かいるのか?」の愚

タイトルの事ですが,
以前から目についてイライラすることがあるので,私のブログでも本テーマについて取り上げてみることにしました.
『ニコニコ動画』とかで政治系の動画を見ておりますと,たまに目にするコメントが,
「じゃあ,代わりは誰かいるのか?」
「じゃあ,誰だったらいいんですか?」
「代わりの人が誰なのか言えないのに,批判だけなら楽ですよ」
なんていうものです.
Yahooニュースのコメントでもたまに見ることがあります.

こういうのって,今ならほぼ100%現総理大臣・安倍晋三についてのやり取りにおけるものなんですけど.

なかには,
「この人がダメだったら『はい,次の人』.これもダメだったら「はい,次の人』.今度もダメだったら『はい,次の人』という空気・メンタリティが日本の政治をダメにする」
なんていう,一見もっともらしい深みの有りそうな評論を耳にすることもあります.

が,この手の評論は聞いててウンザリするんです.
どう考えても間違っているからです.
あまりにもバカ過ぎるんで,これまでは頭抱えて失笑していたのですけど,この「じゃあ,代わりは誰だったらいいのか?」が幅を利かせて久しい上に,「いやいや,その発想自体がおかしいんですけど」っていうコメントが少ないなぁと感じますので,ここでその一つとして述べさせてもらおうかと思いキーボードを叩いている次第です.

代わりは誰かいるのか?
えぇ,いるでしょ山のように.
同じ党(現時点では自民党)にいっぱいいるじゃないですか.誰に代わっても大丈夫なように党を組んでいるわけで,そのための「政党」なんですから.

「いや!ア◯ちゃんしかいない!他の奴ではダメだ!」
って叫ぶ人もいるかもしれませんが・・,そういう人に聞きたいのは,
では,現総理大臣が事故や病気,トラブルなどで急死したり政治家をやれない状態になったらどうするんですか?
この国は終るのでしょうか?
そんなことは無いですよ.次を担当する総理大臣が粛々と引き継ぐだけです.

良きにつけ悪しきにつけ,この国の政治を民主主義で執り行っている以上,一般国民の意見が時の政治に反映されることになります.
つまり,現政権が行っている政治とは,現在の一般国民の多数派の意見が取り入れられているということです.
もっと言うなら,その時の一般国民の意見を集約して具現化する装置が政権ということになります.

であるならば,時の政権がやろうとしていることについて,一般国民は積極的にイチャモンをつけなければ民主主義が成り立たないのです.
もし時の政権に対して随時国民がイチャモンをつけて修正改善を要求しなければ,それは王様を多数決で決めているようなものになってしまいます.
皆で王様を決めたら,あとはその王様の意見に従おう,と,そういうことになります.

もちろん,そのやり方,その方式でやってもいいのでは?そっちの方が良い政治ができそう.という意見があって然りでしょうけど,それで怖いのは,皆で決めたはずの「王様」が実は結構バカだったり,頭が弱くてトンデモな政策を打ち出したりすると,亡国への道まっしぐらになっちゃうということ.
なので,少なくとも我が国では時の政権がトンチンカンな事をしていたら随時批判し,政策の修正改善を求める必要があります.また,それが出来るのがこの国のはずなのです.

現政権のやっていることについて私は,全て批判しているわけではありませんが賛同できるところは少ないです.逆に言えば,ほとんどの政策を評価してないですけど,賛同できるところもあるということです.
そんな私ができることは,現政権がやらかそうとしている一部のトンデモ政策に批判を加えることです.それが真っ当な民主主義政治の在り方だと思うんですよ.

そこに「◯◯信者」と言われる方々は思わず,
「賛同しているんなら,なんで批判するんだ!」「批判するだけじゃなく,対案を出せ!」
と言いたくなるのではないでしょうか.
う~~~ん・・・,これについて説明するのって面倒ですよね.あまりにもバカ過ぎて説明する気が失せるのが本音なんですけど.
・・・いえ,こういう場面で説明する気が失せていたりするからこそ,お互いに理解し合えないままなんじゃないかと思いまして,そこをきっちり説明するブログがあって然りだと思います.

簡単な方から先に書いていきます.まずは「対案を出せ」について.
「対案を出せ」という発想がそもそも間違っているのです.批判している側の多くは「そんな案を出してくるな」と言っている場合がほとんどなんです.つまり,「なんでそんな話を始めたんだ.まだそんなことやる時期じゃないから放ってろ」と言いたいわけです.
そういう批判に「対案を出せ」って,おかしいでしょ? 現状維持を望んでいるのですから.

どうしても対案を出してほしいなら,「何もするな」というのが対案だと捉えてもらうしかありません.
「でも,何もしないわけにはいかないだろ!」って言い出すかもしれませんが,これには「それでも何もするな!」って返すしかないですよ.
むしろ,わざわざ現状を変えようとする側にその政策のメリットや成果を説明する責任があるのでは?それに対する批判に耐えられない政策なのであれば,葬られて然りでしょう.
以前もどっかの記事で書きましたが,こういうのってウンコを食べようとしている人に,
「それを食べるな」
と批判したら,
「じゃあ,何を食べればいいんだ!対案を出せ!」
と言われているようなものです.
どんなに言われようと,こちらとしては「今まで食ってた物でいいだろ.それを食べるな」としか批判できません.

次に,支持している政治家・政党なのに批判するのはどういう事だ?という点.
支持者を通り越して「信者」と言われる方々の多くは,どうやら
「私は彼を信じる」だから「彼がやっていることは正しいはずだ」
この相互関係で論理が成り立っていて,それにより,
「もしネガティブな政策をやっていたとしても,それは彼に何か思惑があってのことだ」
などとドラマチックな展開を期待するが如く深読みをし,
「総体的にはこの国をより良い方向に導くための糸を張り巡らせているはず」
ということで,『ぷよぷよ』の連鎖みたいに,
「今は押し込められていても,ある時から一気に巻き返すドラマが起きるはず」
と考え,
「現在はそのための準備をしている段階なんだ」
と暗示をかけているようなものです.それ故,
「彼を批判することは正しくない.彼が力を失ったら劇的な展開にならないじゃないか」
という姿勢になっているように見えるわけです.

一時期のSTAP細胞研究の研究リーダーを見る目にも,似たようなものがありましたね.
実際の研究実績がどのようなものなのか?という点を検証せず,信じる信じないのレベルで科学研究の業績を判断しようという動きがありました.

先にも述べましたように,民主主義における政治家は国民から支持を受けて政策を執り行います.支持されるだろうと睨んだ政策を掲げて選挙をし,一般国民の支持を得てそれを実行しようとするのです.
ところが,一般国民だって万能ではありませんから,あとになって「まさかそんな政策をやろうとしているとは思わなかった」というものが出てきて当然です.政権が選挙後に打ち出す政策だってあるでしょう.

その政策がトンデモなものであった場合に,「きっと何か裏があってのことだ」などというドラマチックな期待をすることは危険です.
その政治家や政党がトンデモな政策を思いついた理由は,
「きっとこういうのを一般国民が望んでいるはず.これで次の選挙も当選間違いなし」
とか,もっとダイレクトに,
「私を信じて当選させてくれているのだから,私の考えた政策には賛同してくれるはず」
などと考えている可能性が高いからです.
政治家は選挙で当選しなければ政権を担えるチャンスがありません.当然,多くの有権者の支持を得ることが出来ると踏んだ政策を打ち出していることになります.
普通にバカだったから思いついたトンデモ政策もあるでしょうが,魔が差して作ったトンデモ政策だってあるかもしれません.

ですから,「私はこの人を信じる」とか「きっと何か裏があってのこと」など妙な深読みをして政権や政治家を評価してはいけません.
彼ら政治家に「国民は,こういう政策を良しとしている」と思わせてしまうことになるからです.国民自身にとっても「あぁ,俺達ってこんな政策を望んでるのかぁ〜」と自己暗示めいたものになりかねません.
故に,トンデモ政策にはその都度しっかりと批判する必要があるのです.

さらに言うなら,政治家と国民は対立するような役回りでも概念でもないわけで.
時の政権や政治家の行いとは,その時の国民の意向であると捉えるべきなのです.
国民の思想や哲学,教養のレベルがそのまま政治に反映されるのが民主主義による政治と言ってもよいのでしょう.


そんな国民のレベルを上げるための教育の役割について,
関連記事はこちら↓
大学について2
学校教育対談
ベビーシッター事件から考える保育
井戸端スポーツ会議 part 14「スポーツと資本論」

2015年1月22日木曜日

危ない大学に奉職してしまったとき「本気の高校訪問対策への対策」

前回の,
危ない大学に奉職してしまったとき「本気の高校訪問対策」
では,タイトル通り「本気の高校訪問」とはどのようなものか解説しました.

しかし,この「本気の高校訪問」というのは,実は考えものでして.
もしこの国の大多数を占めている「高校訪問が必要ない大学」ですら本気の高校訪問をしてしまうと,現時点で本気の高校訪問が必要な大学が高校訪問をしても学生が来なくなるという現象が起こるからです.

ですから,我が国の大学が採らねばならない方略としては,互いになんとか示し合わせて「学生募集」なる活動をしないことです.
そもそも学生募集なんかするから,学生が来なくなる大学が出てくるんです.

我が国の大学運営者がやるべきことはパイを奪い合う競争などではなく,国民の所得を上げる提言をしたり学費を抑えたり奨学金を充実させるロビー活動をするなどして,文字通りの「大学全入時代」をしっかり実現させることが「楽な道」なのではありませんか?

でも,それをしない.
という現実を見れば,そこには何か裏があると見るべきです.
どんな裏があるのかって?実は裏でもなんでもなくて,そりゃ「勝ち組大学」としては,こういう競争状態を維持したほうが自分たちにとって都合が良いからに決まっています.

自分たちは一切の競争努力をしなくても,学生募集の心配は全くありません.
周りが学生募集に必死になればなるほど,自身は安泰になるのです.
もっと言うと,学生募集を必死にやらねばならないような国内状態を作り出すことが,自身の大学経営が安泰になる方略だということなのです.

なので,いわゆる「勝ち組大学」の経営陣や先生方こそ社会の競争原理や自己責任の原則,弱肉強食の世界を好みます.
そうした世の中になるように政治・メディア向けの提言をしますし,学生に指導します.
なぜかって,そうした方が自身や所属する大学が安泰になるからです.
必ず勝てるゲームを前にしているのですから,そのゲームのルールや状況を変えようとするわけないじゃないですか.

間違っても
「どのような大学に入学しようと,学ぶべきことはモノの考え方であり,学術的な思考力と道徳倫理観を身につけることが優先されるのです」
などと言って,
「ですから,よほどの理由がない限り,その学生が通学するのに都合の良い大学に進学しさえすれば,それが実現できる高等教育システムを我が国は目指しましょう.それが国民の民度や技能を高めることになるのですから」
なんて提言をすることはありません.
それを目指してしまったら,自分たちの優位性が低下してしまうからです.

学生募集に必死の大学の皆様におかれましては,どうかそんな勝ち組大学の手のひらで踊るようなマネはしないでください.
そこから解脱することが「本気の高校訪問対策への対策」だと言えるでしょう.

現在の大学は,「入試倍率が高い奴ほど優秀ゲーム」というのをやっています.
そういうゲームにおける強者(勝ち組大学)の必勝パターンは,
1)大学に入学できる者が少ない社会のほうが良い
2)学歴で評価される社会のほうが良い
というものになります.
そうした社会が維持されていれば,現在の勝ち組大学が経営難大学に陥落することは絶対に有り得ませんし,経営難大学の経営が改善することも絶対に有り得ません.

大学に入学できる者を減らすにはどうすれば良いか?当然のことながら,国民の所得が上がってしまうと問題です.学生側に経済的な余裕が出てくると,何が何でも有名大を出とかなければいけない,なんて考える人は少なくなるからです.
そんなこんなで,経済的な格差が少なくなってしまうと,「有名大を出たって,そこら辺の大学を卒業した奴と変わりないじゃないか」という状況に直面することが多くなります.大学での教育というのは,元々そういうものだからです.

たしかに学力・偏差値が高い人のほうが有能であることが多いのですけど,人間的な深みとか職人的な技能という話になってくると,「どの大学を出たか?」ではなく,本人がどのような態度で高等教育を受けたのかによります.
学歴が重要視されない社会になることは,勝ち組大学としては避けたいですね.学歴で競争してもらっていないと困るんです.

それに,富裕層と貧困層ができてもらえれば勝ち組大学は得をします.富裕層を獲得できますし,その母集団のなかで勝負ができるからです.
貧困層から大学に通える数は少ないですし,なんせ貧困層の子供は全般的な教育全般も低下します.そんなこんなで「あぁ,やっぱり大学を卒業した人は違うなぁ」という状態が自動的に作られるのです.
つまり,学歴で評価される社会が維持されるわけですね.

もちろん,この状態を好むのは有名大の卒業生も含まれます.
あれだけ試験勉強に精進したんだから,その努力によって得られた地位は譲りたくないと考えるのが人の性ではないでしょうか.
有名大を卒業したことのアドバンテージを高めようとするのは,なにも大学だけではありません.卒業生もそれに加わります.
不況になればなるほど,格差社会になればなるほどに有名大学を卒業することのアドバンテージは高くなるのです.

「良い大学を出て,良い会社に就職する,という時代は終わった」などと言われることがありますが,本当にそうでしょうか?
たんに不況で「良い大学」を出ても「良い会社(目当ての会社)」に就職できる人の数が相対的に減っただけではありませんか?つまり,全体的に下方シフトしているだけではないかと思うんです.
実際,学生たちの就職状況(危険なのでデータとして示せませんけど)を見てみましても,有名大の卒業生の方が有利であることは変わっていませんし,むしろその学歴格差は大きくなっていると実感しています.
※学歴での所得格差についての調査データは,ググってもらえればいろいろ出てきますので悪しからずご容赦ください.

というわけで,多くの普通の大学が「危ない大学」へと変貌することを回避するためには,まず第一に我が国の経済状況が好転するように仕向けることと,
「どこの大学であろうとも,学生に学ばせるべきことは学術的な思考力ですよね」
という大学間での認識と,国民レベルでの共通理解が必要になるわけです.

ですから,危ない大学ほどではないけど,もうちょっとするとそっちに傾きそうな大学に奉職されている先生方におきましては,ぜひともポジティブな意味での「大学全入時代」を目指すことを願います.
それがご自身の大学教員としての幸せのためでもあると思うんです.

それに,これはつまり,強者が自分の地位に固執することを是としない社会をつくることも意味します.
大学教育とは,個人の欲望や感情,利益を優先することによって生じる社会の不安定性を回避するためのものです.

だからこそ,そんな人間・国民を教育する上で「体育」は重要な価値があるのだと思っているのですが,それについては以下の前々回の記事をご覧ください.
井戸端スポーツ会議 part 14「スポーツと資本論」



その他の危ない大学での対策シリーズ
危ない大学に奉職してしまったとき「スパイ対策法」
危ない大学に奉職してしまったとき「イベント企画対策」
危ない大学に奉職してしまったとき「高校訪問対策」
危ない大学に奉職してしまったとき「教員評価制度対策」
危ない大学に奉職してしまったとき「新学部・学科名の候補を出せと言われたとき対策」
危ない大学に奉職してしまったとき「授業評価アンケート対策」
危ない大学に奉職してしまったとき「本気の高校訪問対策」

2015年1月16日金曜日

危ない大学に奉職してしまったとき「本気の高校訪問対策」

以前の記事
危ない大学に奉職してしまったとき「高校訪問対策」
では,多くの大学ではそもそも高校訪問に行く価値なんかないんだから,という観点から,
1)どうやってサボるか
2)どうやって楽しむか
というところをご紹介しました.

ですが昨今の日本を見ておりますと,景気回復の見込みは無いなかで例の2018年を迎えることになりそうですので,本気の高校訪問対策が必要な大学が増えそうな予感です.

今回は,そんな背に腹は代えられない経営難になった大学に奉職している教職員に向けた記事です.
生き残りをかけた学生募集のためには,多くの大学が取り組んでいる甘っちょろい高校訪問ではなく,ガチの高校訪問が必要になってきますので,いよいよ「本気の高校訪問」をしなきゃいけなくなった大学は参考にしてください.
知ったかぶった人が示すような方法ではなく,ちゃんと学生募集の効果が確認された高校訪問とそのコツをご紹介したいと思います.

◎コンセプト
「他の大学よりこんなところが優れていますよアピール」は,ガチの高校訪問が必要な大学にとっては無意味です.
残念ながら,あなたの大学が他の大学より劣っていることは周知されておりますので.
ですから,
1)進学希望はあるが学力に難がある生徒をピンポイント攻撃
2)手取り足取り指導を徹底していることを印象づける
3)学術性ではなく,社会的な評価を受ける学生が多いことを印象づける
4)「生徒を送ってやるんだから,責任持って結果を出せよ」に応える信頼関係づくり
といったことを,いかに実現できるかが重要になってきます.
ようするに,学力が低くて進路指導で手の焼ける生徒を普通の大学に通わせてもダメなことは,高校の先生が一番良く知っていますから,そこを上手に突くことによって,持ちつ持たれつの関係を築く作業が高校訪問の本質と言っていいでしょう.


◎準備編
まずは高校訪問に向かうにあたっての事前準備です.
実のところ,ここで全てが決まると言っても過言ではありません.
常識中の常識も挙げていますが,再確認するつもりで読んでください.

(1)高校の偏差値を確認する
進学校に高校訪問したって意味はありません.高校訪問しなきゃ潰れるような大学に,進学校から生徒が来るわけないので.
できるだけ偏差値が低く,且つ,大学進学希望者がゼロではないような高校を調査しておきます.
現在入学してきている学生の偏差値からターゲット校は絞れます.って言っても,出来るだけ多くの高校に行きたいので,少し高めに見積もることになるでしょう.

(2)高校のテスト期間中は避ける
当たり前ですが,テスト期間に高校訪問してもウザがられます.対応されないことも多いです.この期間は避けましょう
逆に言うと,高校訪問を適当にやりたい人にとっては,こういう期間を狙えば「この時期にしか行けなかったから仕方ないけど,訪問したけどどこも忙しそうでした.この時期は避けた方がいいんですねぇ.ハハハ(笑)」と言い訳できるのですが.

(3)前回の記録を確認しておく
あとでもその記録方法を紹介しますが,前回その高校に訪問した人が記録した情報を確認しておきましょう.
例えば,学力は低いけどスポーツ,音楽,美術などに精を出している生徒がいる.そうした部活の顧問の先生の名前.その先生はどこに待機していることが多いか.なんてことが分かれば,ピンポイント攻撃ができます.って言うか,そこを攻めて学生を確保するんです.
他にも,前年に手応えがあった先生から生徒を送ってくれているようであれば,そこも攻めどころです.こういう先生は生徒たちに「あの大学に行けばいいぞぉ.合格しやすいからなぁ」って触れ回ってくれている可能性が高いですから,より強い信頼関係(白目)を築くのに適しています.
つまり,過去の本学への入学実績や部活への取り組み,どこのクラブが強いとか部員数が多いとか,前年の訪問時では2年生にどのような進路希望が多かったか,などの事前調査記録を確認しておくのです.それに合わせた行動をとることになります.
なので,この事前調査が重要になってきます.「訪問編」で詳細を述べます.

(4)戦略的なお土産を用意
高校訪問をしているような大学のDVDやパンフレットは,手に取って見てもらえる可能性はゼロです.
見てもらえない,目に触れないお土産を渡したって予算の無駄ですので,とにかく大学名と大学の強みが人目につく工夫が施されたお土産を作成することに邁進しましょう.
典型的なのは,大学名が派手にデザインにしたクリアファイルやメモ帳,ファイルケースなどでしょうか.奇抜なアイデア勝負になりますが,つまりここで言いたいのはパンフレットや大学案内で勝負してはいけないということです.

(5)訪問時の台本を兼ねる,A4・1枚ものの大学アピール資料を作成
訪問して営業トークをすることになるのですが,その時に大学案内やパンフレットを開きながらは面倒です.なので,トークの内容,つまりアピールポイントをA4・1枚にまとめておきましょう.そして,それをそのまま応接した先生に渡してしまえる資料にしておきます.
「A4・1枚にまとめる」っていうのは昨今の流行りですので,流行を気にする頭の弱い先生ならノッてくれる可能性があります.


◎訪問編
高校訪問にあたってアポを取る必要はありません.アポ取ったところで「丁寧な大学だなぁ」とは思われても,学生募集にはつながりません.逆の立場になって考えれば分かることです.
目標となる高校を定めたら,しらみ潰しに回ることになりますので.無駄な労力になります.
訪問販売がアポ取って営業しようが,賢い客は買いませんよね.それと一緒です.
釣れる高校を探すには事前調査が最重要ですが,やっぱり数もこなすことになります.訪問する目標数としては,1日15校でしょうか.それが可能なようにルートを計画します.
全体として,営業トークは以下のことを心がけます.
1)具体的に事例を挙げながら話す
2)比較評価できる数字はなるべく出さない(高校訪問が必要な大学に数字で誇れるものは無い)
3)その代わりに「量よりも質」を印象づける
4)ミクロな話でマクロを語る
これを基に,いろいろな話題を準備しましょう.

(1)進路指導の先生との対決
一般的な高校訪問では,進路指導室に通されて,その進路指導の先生に向けてトークを展開することになります.
ですが,進路指導の先生に高校訪問が必要なほどの大学が営業トークをしても無駄です.
熱心な相槌,冷めた相槌,朗らかな相槌,いろいろありますが,いずれにせよあなたの大学は「早く帰れ」と思われていることに変わりはありません.
ですから,こうした先生からは,
1)どのような大学(特に希望学科や希望職)に進学しているか,その数・比率など
2)2年生の動向(次年度につなげるため)
3)その高校に「進学希望はあるが普通の大学には厳しい生徒」が存在するか?
4)そんな生徒の面倒をみていることの多い,部活の顧問の先生は誰か?
という点を聞き出したり探ったりすることになります.

(2)進学希望はあるが普通の大学には厳しい生徒の見つけ方
「普通の大学に行くには厳しくても,本学なら受け入れますよ.誰かいませんか?」なんて直球で話すとドン引きする場合もあります(相手の反応が良かったら上手く転がって大量獲得できることもあるが).なので,言い回しが大事になってきます.
一つのパターンとしては以下の様な感じです.
あなた「生徒さんはどのような大学に行っているのですか?」
高校「◯大とか◯大,最近は◯大なんかに行きますねぇ」
あなた「ほぉー.かなり良いところですねぇ.そうなると,なかなか我々のような大学は先生のところの生徒さんからしたら候補には入らないですかねぇ」
高校「いやいや・・ハハハ(笑)」
あなた「先生のところは,最低でもそういう大学に行くんですね」
高校「うーん・・,いえ,中には難しい子もいますけどね」
あなた「そんな生徒さんはどういう大学に?」
高校「まぁ,本人と相談しながら,滑り止めを考えるんですが」
あなた「例えば本学は先ほど挙がっていた◯大の◯◯過程と同じような資格がとれるようになっていますし,実は内部事情としては希望職への就職率というのは,どの大学もさほど変わらないんですよ.本学は規模が小さい分,◯大よりもキメ細かい指導をしておりますし.大きい大学になりますと放任になりますから.◯大がちょっと難しい生徒さんなんかには,本学を勧めてもらえると喜ばれると思いますが」
・・・という調子で話を広げていきます.
上手くいけば「あっ,そう言えば◯組の子にそんなのがいたなぁ.◯組の先生に紹介してみますよ」って流れになります.

(3)部活の顧問の先生の見つけ方
予め部活動に力を入れている高校はチェックできているかと思いますので,そんな高校には4時〜5時半くらいに訪問しましょう.
「私,本学では◯◯部の顧問をやっておりまして」とか「本学では◯◯部に力を入れておりまして,せっかくなのでその様子をうかがえますか?」などと言って練習風景を見に行くのも有り.かなり強引に思えるくらいで丁度です.
そこで顧問の先生とコンタクトをとるわけです.
もちろん,県大会だとか何かのイベントにも顔を出して,大学を売っておくことは重要です.
部活の顧問の先生の名刺はもらっておきたいところですし,いつもはどこで待機しているのか,嗜好や行動パターンなど,可能な限りの情報を取得し,再度訪問するときのために記録しておくべきです.

(4)進学希望はあるが普通の大学には厳しい生徒の面倒をみていることの多い部活の顧問の先生との対決
前回訪問などで,そんな部活の顧問の先生が対応してくれているようでしたら,「以前,本学は◯◯先生とお話したのですが,今日はいらっしゃいますか?」と指名しましょう.
なんなら,その先生が待機してそうな部屋にダイレクトに乗り込みます(それくらいの図々しさは必要です).
とにかく活発で人当たりが良いところを見せて「信頼関係」を築くように努力することと,生徒の様子を聞き取ることに注力します.
そして,その先生から「レベルの低い大学だけど,あいつの面倒をしっかりみてくれそうだ」と思ってもらえるよう全力を尽くすのです.
部活の顧問の先生は,生徒への影響力が大きいのです.生徒は顧問の先生の勧めを聞いてくれやすいわけです.
あとは(2)のような感じで進めてもらえれば,高頻度で乗ってくれます.

(5)学内の都合やイベントを聞き出せたら,それを後続に伝える
学内で進路指導のイベントがあるとか,別の日時だったら生徒に直接話してもらえるとか,違う時間なら都合がいいという話題になることがあります.それはチャンスですので,自分が行けなくても別の人間が訪問できるかどうか,本部(入試課とか)に連絡を入れて統括してもらいます.

(6)その高校を卒業した学生の話題を提供する
でも「卒業生である◯◯さんは頑張っていらっしゃいますよぉ」なんて薄い話題ではダメです.授業の成績とか友人関係なんてのも無意味.
その代わりに「卒業生である◯◯さんは,1年生ですが将来の就職先が固まってきているようです.それに向けてインターンの準備を前倒しで進めているんですよ」とか,「先日,ボランティア・イベントがあったのですが,◯◯さんは評判が良くて,先方さんから就職の誘いがあったみたいですよ」なんてことを言います.
つまり,高校の先生からしたら「あんなに勉強ができなかった奴が,それなりに社会から評価を受けるような人材になっているんだなぁ.この大学は実践的だなぁ」と思わせる話題を作ることです.
はい.「作る」ことです.真実を語る必要はありません.バレない程度に誇張してください.

(7)生徒を前に話せる機会があったら,胡散臭くともオーバーに話す
最も効果的なのは「資格」です.とにかくいい加減な資格であっても価値が高そうに振れ回ります.
高校の先生からしたら,「おいおい,それってそんな価値無いでしょ」とバレるものもありますが,生徒には案外バレません.
あとはインターンシップ実習の充実度や,優秀な学生の話を可能な限りオーバーに話します.
なお,授業の内容については興味なんてないですから話す必要はありません.話すとしても,授業を受けたことによる「結果」についてオーバーに話してください.

(8)就職率のごまかし方
就職率はどの大学も自分とこが良く見えるように統計マジックを使ってアピールするところです.
あまりにも統計マジックを使うのが普通になり過ぎて,むしろ誰も信用していません.
だからこそ,「すみません,この数字ですが,ハハハ(笑),就職率というのはどの大学も良いように作るものですが,本学も・・,えぇ.ですので,内部事情をお話します」と切り出していきます.
鉄板なのはこういう言い方.
「こうした数字は卒業時点での就職率でして.ですが本学の学生は皆,卒業して後4月や5月には仕事が決まっているんです.しっかりと就職できるように,卒業後もケアしているのが本学です.なかには,就職課が頑張ってくれたお陰で5月に入ってから◯◯に勤めることが決まった子もいますよ.普通の就活よりも条件は良いんで,なんだか皮肉なものですね.ハハハ(笑)」
などとミクロな話を交えてアピールにします.他にもいくつかパターンを用意しておきましょう.


◎移動編
本気の高校訪問をする大学では,移動や宿泊方法も重要になってきます.
予算の都合上,基本的に移動は自動車,宿泊は車中泊です.
「そんなの嫌だ」なんて言ってられる大学は,高校訪問する必要のない大学だとも言えます.

(1)渋滞を起こしやすい道路と回避策は教職員間でシェアする
最近は渋滞回避システムも出てきましたが,そんなものを用意する予算がないのが高校訪問が必要な大学だったりします.
一県下の高校を一人で回ろうというミッションを遂行することになるでしょうから,移動時間の短縮や円滑さは重要です.
でもまぁ,これについてはテクノロジーの発達具合によりますかね.

(2)覆面パトカーを判別できるようになっておく
可能な限り超速で回りたいわけですが,スピード違反で捕まったら時間の大幅なロスになります.免許の点数が引かれることもさることながら,教員評価の点数が引かれることの方が問題ですので,なるべく捕まることは避けたいものです.
ですので,高速道路を徘徊している覆面パトカーを判別できるようになっておきましょう.
2車線での追い抜きをする際は,なるべく追い抜く車両の運転手を確認して警察官かどうかを確認します.
特に注意しておくべきは,軽自動車とトラック以外で,
1)大きめのアンテナが(複数)ついている車両
2)後部席の窓に黒フィルターがついている車両
3)その地域のナンバープレートがついている車両
は警戒を厳にしておきましょう.
怪しいけど運転手を確認できなかった場合は,その車両の前に出てルームミラーで確認します.場合によっては速度を落とし,追い越させると良いでしょう.その時にも確認できます.

(3)警察の動きを把握しておく
ネズミ捕りにかかるのも痛いです.ですから訪問する地域の警察の動きを可能な限り事前に把握しておく必要があります.
これは大学事務員がやってくれると助かるのですが,たいてい訪問担当者が自分でやることになります.

(4)アメニティが充実したサービスエリアやコンビニを把握しておく
車中泊をすることになりますので,次の日の英気を養う上でもどこに駐車するかは重要です.
シャワーが使えたり飲食店などのアメニティが充実したサービスエリアの駐車場で泊まるようにしましょう.片田舎のコンビニだと,駐車場で泊まれるところもあります.トラックのあんちゃんがよく利用するところだったりしますので,情報が回っているようでしたらチェックしときましょう.
寒い時期は安物でいいので寝袋などの睡眠グッズは必須です.翌日の疲れが全然違います.


では,お体に気を付けて,充実した高校訪問に励んでください.


その他の危ない大学対策は,
危ない大学に奉職してしまったとき「スパイ対策法」
危ない大学に奉職してしまったとき「イベント企画対策」
危ない大学に奉職してしまったとき「高校訪問対策」
危ない大学に奉職してしまったとき「教員評価制度対策」
危ない大学に奉職してしまったとき「新学部・学科名の候補を出せと言われたとき対策」
危ない大学に奉職してしまったとき「授業評価アンケート対策」

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危ない大学におけるバスの想ひ出

そんなフザけたことより大学教育とは何かを知りたい場合はこちら
大学について
大学について2

  



2015年1月12日月曜日

井戸端スポーツ会議 part 14「スポーツと資本論」

先日,大学院の後輩である一人と池袋で蕎麦を啜りながら昨今の政治経済について議論しておりましたら,
「資本主義を否定するんですか?◯◯さんは共産主義者ですか!?」
と言われました.
いえ.私は共産党員でもないし共産主義者ではありません.
例えばニコニコ動画の「志位和夫チャンネル」を,再生数が全く伸びない頃(今もだけど)から見てあげている一人ではありますし,共産党員やその支持者に知り合いが多いんですが,私は支持しておりません.

でも,どうやら私の話や主張は共産主義に聞こえるようです.
どんな内容なのかというと,
1)競争社会は大事だが行き過ぎると弊害があるため,競争状態にしたらそれでOKとはならない
2)社会が安定するには,貧富の格差が広がらない方が良い
3)一旦強者と弱者の関係(格差)が出来ると,これを自然に挽回することは非常に困難であるため,そのギャップを緩やかにする意図的なコントロールが必要
というものです.
資本主義を否定していないし共産主義でもありません.極めて常識的な発想に基づく政策を我が国も素直にやった方がいいのではないかと申したわけです.

で,その時に同時に話したのが,このブログでも度々お話ししている
人間はスポーツする存在である
というもの.
人間が行なっている多くの文化・営みは,実は「遊び」によって発展したものであり,そして近代社会は「遊び」を通り過ごして「スポーツ化」が過ぎているのではないか?というものです.

今回は,その蕎麦屋では頭が回らず話せなかったことをここに記します.
あと,この話は「体育」という教科が存在する理由の一つでもあると思いますので,そういう視点でも読んでもらえると幸いです.

まず,スポーツとは一言で言えば,
「なにかしらのルールを作って相手よりもスコアを稼ごうとする競争であり,できれば自分と相手のベースラインは同レベルであるほうが好ましい」
という考え方とそれに基づく活動です.
この要素を徹底的に濃縮させたものが,皆さんがよく知る野球やサッカーといった「近代スポーツ」であり,より広くみれば囲碁将棋やトランプもそうだと言われています.
他にも,例えばフェアプレー精神やスポーツマンシップという美徳は,この考え方から生まれたものです.

でも,この点取り合戦はなにも「近代スポーツ」だけに見られるものではなく,我々現代人の多くの活動領域に刷り込まれている考え方であるとも言えます.
特に近代の政治経済活動やそれを取り巻く法整備などは,まさにこのスポーツ的なものを浴びていると見做せるのではないでしょうか.
つまりここから,
近代社会と近代スポーツは相互関係にある.乃至,近代とは「近代スポーツ」の在り方を社会においても実現しようとするものである.
と考えられます.

ベースラインを同じにして,フェアなルールでスコア(お金)を稼ぐ.しかもそれを競争という形で行う.これはまさにスポーツなのですから,それに取り組むことは非常に面白い活動なわけです.
まして強者には大量スコア獲得者,ランキング上位者としての称号がもらえるわけですので,優越感にひたれるわけですね.

ですが,この「政治経済」という名の近代スポーツは,普通のスポーツと同様に一旦強者と弱者が生まれ,その差がある程度開くと強者の一方的なゲームになってしまいます.
これを挽回することは極めて難しいですよね.クラブ活動や体育の授業で誰しもが経験することだと思います.

これを挽回するにはどうすればいいか?
その方略やアイデア,忍耐力を養うところにスポーツ教育や体育の存在意義はあるでしょうし,スポーツ活動に積極的だった学生や,体育・スポーツ系の学部学科を卒業した学生の評判が良いのは,こうした背景もあるのだと思います.

ただ,それ以上に体育の存在意義,そしてスポーツの思想が重要なのは,「勝者が敗者をどう扱うのか?」であり,そこにこそ体育で教えるべき肝があるのです.

より具体的に言えば,あまりにも勝者と敗者で戦力差がついてしまう状態が続いたとき,特に勝者がこの状態をどのように捉えるのか?ということです.
もともとベースラインは一緒なんだし,練習での努力の違いが出たんじゃないのか.フェアなルールで俺達は戦っているんだから,今度もまた同じように戦って勝たせてもらうよ」
と考える人もいるかもしれません.
それに,上記のような物言いはスポーツの場だけでなく,政治経済においても類似したものが聞かれることがあります.

でも,これは本当に面白いスポーツでしょうか?それで皆が楽しめているでしょうか?と考えられることが,スポーツの場において,そして社会を形成する上で重要だと思うのです.

強者も弱者も楽しめるにはどうすればいいか?野球を例にしてみましょう.
弱者があまりにも打てないのであれば,ピッチャーというポジションを排してトスバッティングのようなものにしても良いかもしれません.それだと強者がホームランを連発できてしまうのであれば,外野フェンスを越えるものは全てファールという扱いにしても良いかもしれない.弱者もそのプライドが納得できるのであれば,予めハンディキャップのようなルールを施したり,いっそメンバーを交換するのもありでしょう.
つまり,強者と弱者のギャップを小さくして,ワンサイドゲームにならないように,且つ,野球としての面白さは残したままで真剣勝負できる「ゲーム」へと調整すること.それこそがスポーツ本来の楽しみ方であり,スポーツを通した教育で学ぶべき事なのです.

これは決して「弱者救済」という単純なものではありません.スポーツの底流には「いかにして相手よりもスコアを稼ぐか」という野心めいたものがあります.
まあ,たしかに弱者救済と言えなくもないですけど,それでも真剣勝負することに違いはないですし,それを「面白い」と感じ,楽しめるところに「人間らしさ」があるのです.
ワンサイドゲームを楽しいと思う勝者に「徳」や「品格」は感じませんし,讃えられるべき人間ではないことは納得してもらえることと思います.

ところが「近代スポーツ」はと言うと,ルールの統一がその存在意義の一つになっているほどにフェアで厳密な勝敗を求めます.ゆえに近代スポーツ的な思想からすれば,どんなにワンサイドゲームになろうと,そのルール下での勝敗が全てを物語る,ということになるわけですが・・・.

私が言いたいのは,「近代スポーツになり過ぎた近代社会」に,あらためてスポーツ本来の楽しみ方を取り戻そう,ということです.
参加している者や見ている者が,等しく競争の楽しみを享受できて勝敗に一喜一憂できる状態を作り出すこと,それこそがスポーツを知ることであり,体育という教科で生徒に伝えるべきスポーツの思想です.

これは政治経済にも同じことが言えるのです.
競争をすれば,当たり前ですが勝者と敗者が生まれます.それが抜きつ抜かれつのチェイスを演じていられるような関係であれば良いのですが,ある程度差がついてくるとそのルール下では差は埋まらなくなります.

この時,強者が弱者にどのような態度をとるのか?という点で,その社会(国民)のスポーツマンシップ(下町風に言えば「男気」)が問われると言えるでしょう.
「俺は勝ち組なんだ.この地位は絶対に譲らないぞ」
という人々が多ければ,その国の社会は完全に「近代スポーツ化した社会」と言えます.

そうした国では,極一部のトップアスリート(富裕層)と,その他大勢(貧困層)によって構成されるものと思います.
トップアスリートに勝てるその他大勢なんて極々々々...一部であり,「俺が弱いのは事実だし,そりゃそうだけどさぁ,・・・なんか面白くないよなぁ」という不満が積もっていく社会になります.

これまでのスポーツ教育では,「いかにして弱者が強者を倒すか」という着想で取り組まれてきたかと思いますし,そうした物語が好まれたと言えます.
それを否定する気はさらさらありません.ですが,「いかにして強者が弱者と共に楽しむか」という着想からのスポーツ教育,こと体育が望まれているのが現代なのではないかと思うのです.

弱者は決して強者になりたいわけではないのかもしれない.
弱者であっても,強者と共に戦える喜びを感じたい.
そうしたところに本当の意味で強者を称える心が生まれ,多くの人々が楽しみを分かち合える安定した社会があるのではないでしょうか.


「スポーツビジネスの理想郷」とされた某国の経済状態はこちら↓


近代スポーツ的(スコア獲得主義,ランキング主義)な経済を進めた先にあるものはこちら↓



井戸端スポーツ会議
■ 井戸端スポーツ会議 part 1「プロ野球16球団構想から」
■ 井戸端スポーツ会議 part 2「スポーツ庁の必要性」
■ 井戸端スポーツ会議 part 3「サッカー日本代表」
■ 井戸端スポーツ会議 part 4「自転車は車道を走らないほうが安全だろう」
井戸端スポーツ会議 part 5「グローバリズムはスポーツ」
井戸端スポーツ会議 part 6「スポーツとニーチェとドラゴンボール」
井戸端スポーツ会議 part 7「ジュニア世代の育成」
井戸端スポーツ会議 part 8「スポーツ観戦のような政治観戦」
井戸端スポーツ会議 part 9「スポーツ分析のような選挙分析」
井戸端スポーツ会議 part 10「スポーツをすると勉強ができるようになる」
井戸端スポーツ会議 part 11「人間は身体を通して理解する」
井戸端スポーツ会議 part 12「なぜ障害者スポーツへの関心が低いのか」
井戸端スポーツ会議 part 13「私が嫌いなら見なければいい」

2015年1月7日水曜日

「学生用」あなたの大学は “危ない” のかもしれない

これまでに教職員用として,
「教職員用」危ない大学とはこういうところだ
「教職員用」危ない大学とはこういうところだ 其の二
「教職員用」危ない大学とはこういうところだ 其の三
を書いてきましたが,もうちょっと学生目線で,もしかすると高校生のためにもなる視点で危ない大学の特徴を紹介してみることにしました.

以下で紹介する事項への適合度が高いほど,危ない大学である可能性も高くなります.
真っ当な大学,有名大学に通っている学生だったら「そんなこと考えられない」「ウソだ.信じられない」という事項でしょうけど,危ない大学ですと有り得る話なんです.

てっきり普通の大学だと思って通っている学生諸君,以下をチェックしてみてください.

(1)運営している寮の家賃が周りの相場と一緒
大学が運営・経営している「寮」というのがあります.
その大学の学生のためを思って用意しているはずの寮ですが,その家賃とサービスが周りのアパートの相場と一緒である場合,そこは危ない大学である可能性が高くなります.
※もちろん,相応の事情があることもあるので,全てに当てはまるわけじゃないですよ.

普通,家賃が高くてもセキュリティがしっかりしているとか食事が出るとか,あとはボロボロだけど激しく家賃が安いとか,そんな感じなのが「学生寮」なんですけど・・.
その地域の相場とほとんど違いが見られない,という場合は普通に寮で儲けようとしている証拠です.

寮経営でも一儲けを企んでいる,もっと言えば,寮からでも収入を期待したいほど苦しい大学であることを示しています.

大学に近くて,管理人もいて,知り合い友達に囲まれるから,っていう理由で学生寮を選ぶ人も多いんでしょうけど,そもそも大学受験に先立って,
「その大学が運営・経営している寮を,周りの相場と比較してみる」
ことをオススメします.
その他の事項と複合的に考慮することで,危ない大学が炙り出せる可能性があります.


(2)「掃除の時間」がある
「んなアホな」と思う学生が多数派かと思いますが,危ない大学では校内で「掃除の時間」みたいなイベントが催されます.
定期的な「掃除の時間」だと当番グループを決めてたり,時には年末大掃除だとかリフレッシュなんちゃらとか言って,学生たちを巻き込んでの清掃業務が繰り広げられます.

その大学しか知らない学生たちは,他の大学での様子は知る由もないわけで.
なので,小中高の学校教育の時と同じ気分なもんだから「掃除の時間」があっても怪しまないわけです.
「自分たちの学び舎は自分たちで掃除しよう」とかなんとか言って,教育的意義があるということにしてやっています.

何の事はない.清掃業者を雇うお金を浮かすためです.

普通の大学ですと,その他の教育研究業務に忙しいので,自分たちで清掃したりすることはありません.
学生に対して清掃の指導をやってる暇があったら,もっと他にやることがあるだろ,っていう話です.
でも「実はそれが“無い”から掃除でもさせれば,もしかして教育的価値があったりするんじゃないか」という自己弁護に似た何かで誤魔化しながらやってたりします.


(3)比較的よく知っている教職員が年に5人以上辞める
5人っていうのは目安です.学生目線からすれば,大学全体を把握することは難しいでしょうから,当然,知っている教職員の数もしれたことになりますよね.
だけど,それでも約5名くらいの人たちが「あの人も今年で辞めるんだぁ」ってことになっている大学は危ない大学の可能性が高くなります.

とにかく結構な数の教職員がポンポン辞めていきます.
比較的辞めやすいのは若手(20代〜40歳くらい)の教職員ですが,ここで注目すべきは50歳〜60歳くらいの先生であっても「別の大学に移る」ということで辞めていたら要注意です.
50〜60歳くらいの先生が高頻度で辞めるということは考えにくいんですけど,こういうのって学内で干されていたり,いじめられて辞めさせられている可能性があります.

意にそぐわない教員には圧力がかかる.そういう大学であることを示しており,そういう経営を志向している大学で,まともな学術的研鑽ができるとは思えません.
結果,学生(卒業生)の質にも影響するであろうことは容易に察することができます.


(4)土曜や長期休暇中に補講のある科目が4つ以上ある
最近の大学は授業をきっちり15週やりなさい,っていうことになっています.まぁ,そりゃ当たり前なんですけど,以前の大学は比較的ここらへんがルーズだったんですよ.いえ,そのルーズさが良かったりしたんです.
ところが,今はそうではありません.15週できなかった,つまり,休講が多くなってしまった場合は「補講」をしなさいっていう文科省からのお達しがあります.

普通の大学でも「補講」はあるんですけど,危ない大学では,この「補講」がやたらと多い傾向にあります.
その目安が半期に約4つ,といったところでしょうか.

なぜ補講が多くなるのかというと,そこの教員に授業以外の業務が多い,もっと言うと,授業よりも重要と位置づけられる業務に出ていかなければならない大学だからです.
代表的なものとしては,高校訪問とか強化クラブ業務とか.つまり大学の営業です.

端的に言えば,人前ではことさら教育の重要性を説いておきながら,その実,飯の種のためにその教育を軽んじている大学だということですね.


(5)教職員がきぐるみを着て走り回っている
そんなことをしてる大学で,真っ当な大学は極めて少数です.
あっ,もちろん,きぐるみを着て走り回っている教職員本人が,好きでやってるんなら話は別ですよ.
だけど,どうも乗り気でやっているようには見えないという場合は,やらされている可能性が高いのですけど.

きぐるみを着るのは,例えばオープンキャンパスとか学園祭,その他の運動会などのスポーツイベントなどです.
とにかく「イベント」は盛り上げなければいけない.それも「ドッひゃ~」って感じのバカ騒ぎに近しい,つまりアホっぽい盛り上がりこそが良いものだ.そしてそういうのが「ウケてる」「評判が良いのだ」というおおよそ学術性の欠片もない認識から発生した現象と言えるでしょう.

ここから類推できることは,すなわち高校生や学生をバカにしているということです.
こういう盛り上がり方が皆好きなんでしょう?っていう邪な心が見えるわけです.
でも,至って “中の人” は分かっててやってることも多いのですけどね.

キャンパス内を悲痛な思いを隠しながら走り回っているきぐるみを見かけたら,その大学は危ないと言えるでしょう.


この他にも「危ない大学」についてのネタはいっぱいあるんですけど,どうしても大学を特定できてしまうことになるので,なかなか紹介するのが難しいんです.
うまいことボカせて示せるものがあれば,またご紹介したいと思います.

過去記事でも紹介したものの中から,学生でも確認しやすいものとしては,
・教職員がバスを運転している
・脈略無く様々な授業を受け持っている教員がいる(先生たちが「なんでもできる」を自慢している)
・学生にやたらと「資格」「免許」を取らせたがる
・比較的よく知っている教員を学園祭で5人以上見かける
・教職員が皆,ネクタイや校章バッジをつけている
などがあります.

もし気になるようでしたら以下をどうぞ.

こんなホームページの大学は危ない
こんな挙動の教員がいる大学は危ない
こんなパンフレットの大学は危ない
「教職員用」危ない大学とはこういうところだ
「教職員用」危ない大学とはこういうところだ 其の二
「教職員用」危ない大学とはこういうところだ 其の三

危ない大学に入学している可能性が高い場合はコレ↓
危ない大学に入学してしまったとき

危ない大学における卒論の書き方はコレ↓
危ない大学でもちゃんと卒論を書きたいとき

高校生のための記事はこちら↓
偏差値45の大学選び パート1
※パート2はまだありません.

2015年1月2日金曜日

井戸端スポーツ会議 part 13「私が嫌いなら見なければいい」

明けましておめでとうございます.
新年一発目,皆様の関心が高いスポーツニュースはなんでしょね?と思いながらYahoo!ニュースを覗いてみましたら,箱根駅伝とかラグビーよりもアクセス数を稼いでいる記事がありました.それがこれ↓

安藤美姫 3ショット公開への批判に反論「嫌いなら見なければいい」

フィギュアスケートの元日本代表・安藤美姫選手の身辺についてのニュースでした.
何かと世間を騒がせる安藤選手ですが,この度は自分の娘と交際中の男性の3ショットをネットに自身のSNSへ掲載.それがいろいろと反響を呼んでいるとのことです.

今回の写真掲載についてネットでは賛否両論だということだそうですが,なにをどう賛えたり否んだりして論じる必要があるのか私にはサッパリわかりません.
これについては彼女の気持ちも分からんでもないですがね.

ですが,澄ました顔をする者を叩いて,自分のレベルまで引っ張りたいのが世間の大多数を占める大衆というものです.
安藤選手もそれが分かっていないわけではないでしょうに,それを承知のうえで掲載するというのもまた,その判断には疑問符がついてしまいます.

その安藤選手は世間の反応に対して,こんなコメントをつけています.
「こんな風にコメントするという事は、どこかで気になっているから。そしてあなたが何か幸せではないからだと思います。“HateとLove”って実は同じ」

そりゃそうなんですけど,それを当事者である本人が言ってはいけないでしょう.図星である相手の気分を逆撫でするだけです.
どうでもいい存在だったら,たかが一女性のプライベートな話題にこんなにも騒がれることはありませんから.やっぱり皆さん,彼女のことが気になって気になってしょうがないのですよ.それが「好き」「Love」だというのは実際のところ本当なんだと思いますね.

でも,これをズバリ指摘された方は楽しくありません.
まあ,それで「だったら見てやんねぇーよ!」ってことになったら,お互いに楽になるのでしょうけどね.そうはならないですよね,やっぱり.

だからといって私は安藤選手の言動に強いシンパシーがあるわけではありません.
むしろ,どちらかと言うと「そんなことすんのは勘弁してくれ」と言いたいくらいです.

以前,
でも書きましたが,スポーツ選手は「英雄」であるべきなのです.
国を代表する選手ともなれば,その国の英雄であると言えます.そういう選手は英雄らしい振る舞いをしなければなりません.

なぜなら,そもそもスポーツとは人間が「英雄」を輩出するためのシステムであるとも言えるからです(詳しくは上記記事をどうぞ).
人々が手放しにスポーツに魅せられる理由,また,スポーツ選手にことさら「徳」を求めるところには,こうした点もあるのでしょう.

そうした観点からすると,今回のような安藤選手の言動はそのようには見えないわけですけど・・.
これは安藤選手の気持ちがどーのこーの,世間の見方がどーのこーの,そして,どちらの言い分に筋が通っているのだろうか?などという話ではないのです.

才能に恵まれた安藤選手は,英雄の一人であると言ってよいと思われます.
人は才能ある人間を愛します.英雄は愛されるべき存在です.
それ故に,こうした才能ある人間がどのような態度をとるのか,それは社会や所属集団にとって非常に重要なことになります.それはその国の人々(特に次世代を担う子供)が目指すべき象徴だからです.
ですから国を代表するスポーツ選手である安藤選手のような人物は,それ相応の振る舞いをするべきなのです.

と同時に,このような一流スポーツ選手を社会がどのように見るのか? という点も同時に重要になってくることを意味します.

そこで彼女のあのコメントに戻りましょう.
「こんな風にコメントするという事は、どこかで気になっているから。そしてあなたが何か幸せではないからだと思います。“HateとLove”って実は同じ」

どうでもいい存在であれば,つまり嫌いなスポーツ選手であれば,バッシングもせず葬るはずです.
ところがそうではない.
彼女自身が言うように,こうしてコメントを寄せている人は安藤選手のことが気になって気になって仕方ない人です.つまり安藤選手のことを愛しているとも言えなくない.屈折した愛ですね.ストーカーみたいなものです.
少なくない数の人が彼女の私生活をあれこれ知りたがっていて,その一挙手一投足に注目してしまう.この国の人々にとっては,安藤選手のような人物が愛すべきスポーツ選手(英雄)の一人になっているのです.

そんなことを言うと,
「ネットに掲載したから見ただけ」「ニュースにするから見てるだけ」
などと返す人もいましょうが,本当に気にしていなればクリックすらしていないはずです.
実際,私は件に関する元ニュースをスルーしていましたし,今回の記事用に意識して読まなきゃ無視しているものでした.
無視できない話題だから,気になって仕方がないニュースだから,そして,我らが愛する英雄に関する記事だから読まれているのです.

私はこの点にこそ本当の問題点があるように見えます.
申し訳ないのですが,安藤選手の置かれている状況やその言動は誉められたものではありませんし,誇るべき行動でもありません.
そういう安藤選手の状況や言動の数々をほじくり返して,注意深く気にしているのがこの国の人々の「スポーツ」に対する目だとも言えましょう.

繰り返しますが,才能あるスポーツ選手はこの国の英雄とも言える存在です.だからこそスポーツには魅力があるのですし,そこに莫大なお金とエネルギーが動きます.
そこから誕生したトップ選手をどのように扱うのか?という事は,その国の人々がどのような英雄を望んでいるのか?という点を炙り出す事にもなるのではないか,そう思うのです.

なので私としては,心の底から「放っとけばいいのに」と思います.
それが彼女を英雄のまま幕引きさせる “周りの配慮” です.ところが少なくない人々は彼女を我々一般の目線まで降ろしてきて,そこで対等に「在るべき姿」を論じようとします.
これは英雄を相手にした振る舞いとは言えないでしょう.
(これは「負けたのに楽しかったはダメ」ということを論じた人と同じです)

では結局何が言いたいのかというと・・,
現在のこの国の少なくない人々は,心の奥底で彼女のような態度をとるスポーツ選手を愛しているのであり,彼女のような振る舞いをする者を「英雄」と見做しているのではないか?ということです.

そして私は,そういう状況をあまり快く思っていないということです.

つまり,スポーツ選手をどのように報道するのか? どのようなスポーツ選手に関心を持つのか? という事は,その国の “次代の” 民度や道徳性を映すことに繋がるとも言えるのではないでしょうか.

井戸端スポーツ会議
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井戸端スポーツ会議 part 5「グローバリズムはスポーツ」
井戸端スポーツ会議 part 6「スポーツとニーチェとドラゴンボール」
井戸端スポーツ会議 part 7「ジュニア世代の育成」
井戸端スポーツ会議 part 8「スポーツ観戦のような政治観戦」
井戸端スポーツ会議 part 9「スポーツ分析のような選挙分析」
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井戸端スポーツ会議 part12「なぜ障害者スポーツへの関心が低いのか」