2015年6月17日水曜日

専門職大学に思うところ(4)

これまでの,
専門職大学に思うところ(1)(2)(3)の続き,のつもりですが,ちょっと視点が変わるかもしれません.

約2年前になります.私のブログを見ていただいた新聞記者の方から取材を受けたことがあります.
「大学は社会から外れたところにあらねばならない,世論とは逆のことをする必要がある」そういう主張をする私に対し,記者さんからこんな問いかけを受けました.

「大学も社会の要望を受け入れなければいけない部分があるのではないか?」

税金を受け取って活動している手前,学費を受け取って経営している立場であれば,大学に通った・通わせたことによる成果を説明しなければいけない,そういう部分があって然りでしょう,と.
たしかにそうです.

そういう “部分” がある必要は認めます.
ですが,その場でも回答したのですが,そういう “部分” があることは認めますが,それを堂々とやってはいけない,私はそう考えています.

ここ数日の一連の記事で扱っている「専門職大学」というのは,まさにその社会的な要望を正面から正々堂々と受け入れたことの権化だと思います.
大学の存在価値は,まさに「そこ」なんでしょう? と.

誤解を恐れずに言えば,大学の存在価値を世間・社会から誤解されずに理解してもらうことは不可能ではないか,そうも思うんです.

これまた約2年前に書いた記事,■彼女に言ってやりたかったのはでも触れたことですが,大学の存在価値とは,今まさにそこに存在している段階,通学して学んでいる段階では理解してもらえないものです.それが理解できているのであれば,(本質的な意味において)大学に通う必要もないでしょう.
もっと言うなら,全ての人には大学の存在価値は理解されない.さらに言うなら,大学の存在価値を正当に理解してもらえる人は極少数にならざるを得ない.
そう感じます.

人は,どうしても支払ったものの対価を要求したくなるものです.
その対価は,できれば分かりやすい利益であることを望むものです.
その分かりやすい利益とは,つまり世の人々の多くが羨むものです.
具体的にいうなら,自身の社会的地位を高めるものであり,金銭で測れるものであり,金銭そのものと言えましょう.

ですが,大学が提供しているもの/できるものは,残念ながらそういうものではありません.
その人の人生そのものを裕福にするものであり,そこで言う「裕福」とはもしかすると,その人が所属する社会や国,大袈裟に言うなら人類そのものへの貢献を指しているのかもしれません.

だからこそ,多くの大学がかかげる「建学の理念」にはそのような文言が並んでいます.
これは建前であると同時に,本当にそういう側面が大学という存在にあるからでしょう.

全ての卒業生に伝播できなくても構わないのです.
だけど,願わくば少しでも多くの卒業生に社会的地位や権力,金銭では測れない「人としての尊い価値」が存在するということを,理想論やロマンチシズムではなく本気で考え,これを血肉としてもらうことが大学の使命の一つなのです.

そうした哲学や学術的思考力をもった人々が社会に一定数存在し続ければ,その社会の衰退と崩壊を免れることができるのではないか,そこに大学の存在価値があります.
(逆に言えば,「世の中銭や」とか「金のある奴強い奴」の思考がこの社会で固定化してしまった時が,その社会の黄昏と言えるでしょう)

それゆえ,大学は(だけでなく,教育機関全般は),その社会と世論が要望するところから無縁の世界にあらねばならないのであり,場合によってはこれに抵抗する必要もあるのです.

もちろん,この民主主義国家にあっては社会の多数派の要望が公的機関の方針や活動に影響を及ぼせるわけですから,上述したような考え方は達成しにくいと言えるでしょう.
その点を冒頭の新聞記者さんも指摘されていました.

ですが,かといってそれにホイホイと追従することは,大学の存在意義に関わります.
物事の正しさを民主主義することはできません.
多くの人々に納得してもらえたかどうかと,それが正しいことかどうかは別ですから.

「だからこうすれば良い」という策が私にあるわけではないのですが,地道に大学の存在意義を問い続けることが大事なんだと思います.


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2015年6月15日月曜日

専門職大学に思うところ(3)

専門職大学に思うところ(1)(2)の続きです.

企業等で求められる能力を育成することを目的とした「専門職大学」を新設するという提言が,文部科学省の有識者会議から出てきたそうです.
それがどれだけ間違った発想であり,この社会に悪影響を及ぼし,さらに悪化させる可能性があるか知ってほしいという話をしてきました.

文部科学省のHPに以下の様なページがありますので,原典に当たりたい方はそちらもどうぞ.
実践的な職業教育を行う新たな高等教育機関の制度化に関する有識者会議(文部科学省)

いろいろ文句をつけてきましたが,勘違いしてほしくないのは,
「大学で職能を高める教育をしてはいけない」
と言っているわけではありません.

職能を高めることを第一とした教育を大学でやってはいけない.学術的思考力や論理的・科学的思考力を高める教育を第一とし,そのついでに職能も高まればいいな,という程度でいてほしいということです.

それもお気に召さないのであれば,たとえ職能を高めることを優先したとしても,それと同等の価値をもって思考力の強化に取り組むことが大事ということです.

なぜそんなに職能を高める教育を批判するのか,そこが気に入らないという人もいましょう.

大学で職能教育をすることが不毛であることを以下に列記します.
1)企業等の職場で一般的に求められる能力の多くは,短ければ数日,長くても1年程度で身に付き,鍛えられるものであり,わざわざ大学生活として何年もかけて学ぶ必要などないこと.
2)その一方で,重要な技術,独自性のある技能は,まさに「それを仕事にする」ようにしないと身に付かないこと.
3)さらには,その業界やフィールドならではの技能やルールが求められるものが多く,大学でどんなに訓練したところで,結局その職場に勤めなければ分からないこと.
4)長期的な視点で見た場合に,企業を成長させ,職場を発展させるためには,学術的思考力や論理的・科学的思考力が必要であるが,それは新卒段階では定量化,視覚化できないこと.

言い換えるなら,多くの企業や職場では,卒業生に「その仕事」を始めてもらうための,いわば「初期スペック」はそんなに高くなくても良いわけです.
これは毎度おなじみ就活関連情報として「企業が就活生に求める能力」の第一位に君臨し続ける「コミュニケーション能力」とか,あとは「責任感」「主体性」「協調性」といったものが挙がることがそれを裏付けています.

これはようするに,就職するだけなら現在の大学が教育している(つもりの)学術的思考力や研究能力なんてのは必要ないことを意味します
もっと言うなら,実は大学教員や研究者もこれは同じことが言えるんです.

言われた仕事や誰もが取り組んでいる作業をするだけなら,企業人だろうと研究者(院生も含む)だろうと,物事を深く洞察したり哲学的・統合的に思考する能力なんて必要ありません.
問題解決能力(という低次な能力)があれば,仕事はできるし,論文は書けるし,給料はもらえます.

しかし,その仕事を自分で責任を持って主体的に,さまざまな分野の関係者と協調しながら進めようとした時,そこに「哲学」や「思考力」が必要になってきます.
これは,革新的なアイデアを閃くとか,新しいテクノロジーを発明するといったことを指すわけではありません.

今まさに自分が取り組んでいる仕事が,自分自身や身の回りの人々,社会,国,人類にとってどういう価値や意味を持っているのか,それを考えられるということです.
私は別に博愛精神を礼賛しているわけでも,ロマンチックに仕事を語りたいわけでもありません.

こうしたことを考えながら取り組む仕事は,きっとその人の周りを幸せにすると思います.
こういう人々が増えてくれれば,きっとそのような社会や国は幸せになるのではないでしょうか.
大学の教育はその思考力を鍛えるためにあります.

さらに宗教じみた話になったと思われるかもしれませんが,実は体育会系な話ですので,詳しくは,
井戸端スポーツ会議 part 16「体育の授業で得てほしいこと(特に大学で)」
を御覧ください.

最後にもう一つ,職能教育を大学でやってはいけない理由を挙げておきます.
大学教育のことを,ビジネススキルや金儲けのアイデアを得るためのところだという認識が強まってしまうからです.
今でもそういう見方をする人が多いことと思いますが,それに加速がかかるのを避けたいのです.

専門職大学という位置付けの大学が設置されると,そうではない大学も,いらぬ危機感をもってこれに対応しようとします.これは間違いありません.
「うちは専門職大学じゃないけど,それに匹敵する人材を輩出できるんだぞぉ」って広報するに決まっています.広報だけじゃなくて,実際にカリキュラムを改変したり学生サポートにも取り組みます.
結果,この国の大学は共倒れになる.そんな危惧があるのです.

いくらなんでも危惧し過ぎじゃないかと思われるかもしれませんが,専門職大学を新設(もしくは現存する大学の一部がそれに移行)するということは,ただでさえ低下してきている学術的思考力を鍛える教育にトドメを刺すことになりかねません.

そうなると,大学が社会に果たすべき機能が失われてしまうのではないか,そんな絶望感が目の前に現れてくるのです.

「じゃあ,その大学の機能って何?」
と聞かれる人もいるでしょう.
詳しくは本文末のリンク先を覗いてほしいのですが,例えばドイツの哲学者であるカール・ヤスパースは,その著書『大学の理念』でこう述べています.
最高の訓練とは,完結した知識を習得することではなく,むしろ学問的な思考へと諸器官を発展させることであり,また教育することなのです.そうすることによって,生涯を通して,更なる精神的・学問的訓練が可能となるのです.
高等教育機関である大学が,目先の利益とも言える職能教育,もっと言うなら「就活教育」に注力することは,たとえ就職活動がスムーズにいったとしても,そんな彼らを量産してしまった日本社会と企業はやがてジワジワと錆びついていくのではないでしょうか.

続きはこちら→■専門職大学に思うところ(4)

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2015年6月14日日曜日

専門職大学に思うところ(2)

専門職大学に思うところ(1)の続きです.
職業に必要な知識や技能を育成する高等教育機関のあり方を検討している文部科学省の有識者会議は18日、「専門職業大学」などの名称で新たな大学の類型を設け、国の助成対象とする報告をまとめた。
日本経済新聞(2015/3/18)
ということで, “大卒一般就職活動” に特化した大学を設置しようという動きがあるわけです.

この発想が間違っているという話が前回の記事.
今回は,その専門職大学を求める姿勢が,現在の大学の在り方にも問題を起こしているという話をしてみます.

以下の文部科学省のページを見てみますと,
実践的な職業教育を行う新たな高等教育機関の制度化に関する有識者会議(文部科学省)
その中の資料にこんな文言があります.

実際に読みたい人はこちら↓
実践的な職業教育を行う 新たな高等教育機関の在り方について 「審議のまとめ」(←PDF)
その16ページ,「制度化に当たっての個別的主要論点」の「(1)目的」.
そこには,専門職大学の目的について,
◯主たる目的として「質の高い専門職業人養成のための教育」を位置付け.
とあり,その下に,
◯「研究」を主たる目的と位置付けずに,例えば,教育内容を学術の進展や技術革新に即応させるために行うもの等と位置付けることが妥当か等について今後検討
という,一見,何を言いたいのか分かりにくいメチャクチャな文章があります.
(マジで,この文章,どういう意味ですか?)
たぶん,これを書いた人は以下のようなことを書きたかったはずなんです.
学者や研究者が要求するような「研究能力」を習得させることを目的にはしない.
では代わりに何を教えるのかというと,例えばその教育内容としては,最近の研究動向や最新のテクノロジーを活用できるように「紹介する」というものにしたいのだが,それで本当にいいかどうか気になるので今後検討
ということでしょう.
会議の様子が想像できてしまいますね.きっとこんな会話があったはずです.
「大学ではすべての卒業生に「研究能力」はいらないでしょう」
「えぇ,そうですね.就職活動や職場で仕事をするためには,研究能力よりも,パソコンの使い方とか,各職業分野で最近注目されているものを知ることの方が大事ですよね」
「はい,そうですね.現在の大学4年生にしたって,就活では企業研究やPCスキルの向上といったことを必死にやっていますから.それに特化した教育が求められているのでしょう」
「でも,そういうのって,今の大学でもやってますよね.学生が自分たちでやっているんだったら,それはそれで放っといてもいいんじゃないかとも・・」
「あと,最新のテクノロジーや研究動向っていうのも,それを研究している研究室じゃないと有機的な学びにはならないですし」
「それに,現時点で注目されていることを知ったところで,将来のことが考えられるわけでもなく・・」
「じゃあ,そういう将来のことを考える力をつけさせればいいんじゃないですか」
「でもそれって,結局は今の大学が重視している研究能力のことじゃないですか?」
「あっ,・・・・」

つまり,「そこでは研究能力は重視しない!」と勢い良く言ってみたものの,話を進めるうちになんだか自分達の提言に自信がなくなってきたから “今後検討” にしとこう,と.

同ページ,その続きには「(2)教育内容・方法」というのがあって,そこには学生に学ばせる予定のものが並んでいます.まとめると,
1)コミュニケーション・スキル
2)ICT(情報通信技術のこと.いわゆるITのこと)のスキル
3)インターンシップ等を積極的に行い,協調性・責任感等を育成
4)実習,実技,演習,実験を重視
5)PBL(課題解決型学習のこと)の重視
とあります.
いやぁ〜・・・,すんげぇ香ばしいですなぁ.
寒気がします.
絶ッッッ対に失敗しますよこんな教育.間違いない!
今の大学でも「↑こういうの」が大事なんだと意気込んで取り組む教員がいるんですけど,猛烈に「イタい」ものが展開されているんですから.
そんな授業を見たら,なんていうんですか,お尻と太ももの辺りがゾワゾワァ〜ってします.

最後に,同ページの「(6)教員」にある「教員の資格要件」についてです.
これが一番おもしろ・・・,いえ,興味深いところです.

もちろん,最近の流行であるこの文言がしっかり入っています.
◯教員の資格は,教育上の指導能力の有無に最重点を置く
そして次はこれ↓
◯卓越した実績を伴う実務家教員を一定割合で配置(分野ごとの特性に配慮).企業等と兼任する教員も,一定条件の下,必要教員数に参入できる仕組みに.
キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!
最凶最悪の発想,ここに現る!
「職場・現場のノウハウを学ばせるために,実務家教員をたくさん入れる」という発想は,現在の少なくない大学を「ブラック化」させた元凶とも言える奴でして.
大学側としては手を出すと大変な目に遭うことが予想できたにもかかわらず,魔が差してやってしまった結果,やっぱりダメだったというものです.

何がダメだったかって?
まず,教育指導に期待できません.これはケースバイケースですし,真面目にやっている実務家教員もいるので詳しくは申しませんが,とにかく,教育現場においては実務経験の豊富さとか優劣というのは活きないことが多いのです.

次に,(大変失礼な物言いですが)そんな実務家教員であっても,いっちょ前の「先生」「大学教員」として扱わなければならないので,彼らの管理が大変です.
彼らはなぜか不思議な不祥事を多発させ,事務方を混乱に陥れます.不祥事を起こしていることを自覚できない人もいます.
自分の都合のいいように「実務家」と「教育者」を使い分けてくる確信犯もいるので,大学組織として疲弊します.学生からも見離される場合が多いです.

現在の大学においても,実務家教員というのは教育指導能力がテクニカルな面,道徳倫理的な面の双方から評判はよろしくありません.
(そんな調査結果もあったはずですが,出典を思い出せないので興味ある人は根気よく調べてください)

教育現場を知っている人たちからすれば,
「当たり前ぇだろ,ダメに決まってる.バカか?」
というところですが,どうしてもこういう発想になってしまうこの日本が悔しいです.

こういうのってつまり,国民の多くが将来はサラリーマンになる可能性が高いんだから,小学校から高校まで,その教員を「元サラリーマン」にしようという発想です.
別の言い方をするなら,タクシードライバーを養成するために,教習所の教官を「元タクシードライバー」にすればいいじゃないかという発想です.

そう言えば実際,「民間の感覚を教育現場に」との謳い文句で,民間から教員・校長を公募した事例もありましたね.あれも一種の実務家教員でしょうか.
その結果が惨憺たるものであったことは記憶に新しいかと思います.
民間感覚で教育をやられたらたまったもんじゃありません.

話がちょっと脱線しましたが,実はこうした「専門職大学を設置しよう!」という動きは突然現れたわけではなく,既に現在の大学において進行(or 侵攻 or 信仰)しているんです.
そして,現在の大学を機能不全に陥れつつあります.
とても困っていますが,今は規制もあるし,なんとか抵抗できている,というのが現状です.

そんなわけですから,現在の大学にはいろんな規制があるから,それに縛られず大学という肩書を付けつつ職業訓練に勤しみたい
そんな浅はかな企みが,「実践的な職業教育を行う新たな高等教育機関の制度化」の正体ではないでしょうか.

教育システムをいじる前に,まずは景気回復が先ではないか.景気が回復すれば,こんなバカみたいな構想をしなくても済むんじゃないか,そんなふうに思います.

続きはこちら→■専門職大学に思うところ(3)

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2015年6月13日土曜日

専門職大学に思うところ(1)

昨年度末に,こんな話が出ていました.

以下,記事の抜粋↓,太字のところだけでも読んでみてください.
職業に必要な知識や技能を育成する高等教育機関のあり方を検討している文部科学省の有識者会議は18日、「専門職業大学」などの名称で新たな大学の類型を設け、国の助成対象とする報告をまとめた。修業年限は2~4年とし、学位も授与する。教育課程の優れた専門学校などが移行することを想定している。
(中略)
専門学校は教育内容の自由度が高い一方で、質にバラつきもあることから学位を授与できず、国からの助成もない。企業からは各分野の専門人材の養成を求める声が多く、政府の教育再生実行会議は昨年6月、より高い水準で職業教育を行う教育機関を創設するよう提言した。日本経済新聞(2015/3/18)
で,これについての文部科学省の関連ページが以下のリンク先↓
実践的な職業教育を行う新たな高等教育機関の制度化に関する有識者会議(文部科学省)

当時はバカバカし過ぎて猛烈スルーしていた話題だったのですが,昨日,これについて他大学の先生と談笑したのでブログにも書くことにしました.

あと,本件に関連することは過去記事でも書いていたからスルーしたという側面もあるので,お暇でしたら本文末にリンクを貼っているのでどうぞ.

さて,
専門職の大学と言えば,「専門職大学院」という大失敗例がすぐに思い浮かぶわけですが,それについての反省は一切なく,同じ轍を踏むため邁進するようです.

どうしちゃったんでしょうね・・・.
なんでこんなにダイナミックに間違うのか,私には分かりませんよ.
もう,怒りを通り越して悲しいです.

ですが,悲しんでるわけにもいかないので,この流れを分析したいと思います.
なぜ有識者と言われる人たちが「専門職大学」なるものを望むようになったのか,そこが大事です.

これは以前,■ようするに,余裕のない現場が大学に求めているで教員養成をテーマに書きましたが,それの企業版が今回の「専門職大学」の発想です.

新人教育する余裕がなくなったから,その新人教育を大学でやってほしい.というのが根底にあるわけです.
もっと挑発的なことを言えば,この20年近く買い手市場だった就職氷河期にかこつけて,企業側に新人教育の手間を省こうという魂胆もあっただろうと推察しています.これは無自覚的かもしれませんけど.

「大学に行ったのに,職業能力が高まっていないのはおかしい」
という人もいるかもしれません.
ですが,そもそも大学は職業能力を高めるところではありません.誤解されやすいところですけど,これは何があっても譲ることができない大学の本質です.

そんな事言うと,少ないくない人がこんな返答をします.
「現実を見ろよ.大学は就職するために行くんだよ!学費に見合っただけのものを出せよ!」
ってね.

どうしてこれが間違っているのかということを話し始めると,かなり時間がかかります.
でも,時間がかかる話は聞きたがらない人が多いので,その話をすることもできません.改めて書くのも面倒なので書きません(ご興味がある場合は本文末のリンク先をどうぞ).

もっと根本的なことを言ってしまえば,普通,多くの一般的な人々は「現実見ろよ.大学は就職するために行くんだよ!学費に見合っただけのものを出せよ!」っていう認識になるものなんです.それは認めます.
それが人間というものなのです.

そして大学というのは,そういう認識をするに至ることが多い人間の,醜く,脆い思考力を鍛えるために存在しているのです.

「でも出来てないじゃーん」て言われることを覚悟で言っています.
はい.出来てません.
出来てないんですけど,なるだけそういう軽薄な思考をする人間を減らそうと努力しているのが,少なくない大学教員の本音です.

でもまぁ「出来てない」っていうのは自虐的過ぎるかもしれません.なんとかしてる自負はあります.
ですが,全ての学生の思考力を鍛えきるには至っていない,そういうことです.

話を戻しましょう.
では,専門職大学を新設すれば企業が求める人材確保ができるのでしょうか?
より専門性の高かった「専門職大学院」が大コケしたのに,です.

そもそも「専門職大学」と呼称していますが,実のところ「専門職」ではないんです.
上記の文科省のリンク先で閲覧できますが,これはようするに,「一般就職用の教育をする大学」ということのようです.
ではなおさら疑問なのが,
「東大,京大,慶応大の卒業生よりも,◯◯専門職大学の卒業生を採用した方がいいよネッ」
ってなるのでしょうか? かなり怪しいと思うんですけど.

いや,ならないでしょう.
大学の教育体制をいじくったからと言って,企業が喜ぶ人材を輩出することはできません.
企業で必要とされる能力は,その企業で身につくものです.
大学は企業の人事課のために存在しているわけではありません.大げさな話ではなく,人類のために存在しているんです.

もっと言うなら,そんな専門職大学が出来たとして,どんな授業をするというのでしょうか?
文科省の資料にはこうあります.
「産業界と連携しつつ,どのような職業人にも必要な基本的な知識・能力とともに,実務経験に基づく最新の専門的・実践的な知識や技術を教育する」
そんなもののために,わざわざ学費を払って進学するのですか?
“実務経験に基づく最新の専門的・実践的な知識や技術” が学べるなんてウソでしょ.完全に教育機関の説明として崩壊しています.どっかの怪しい何とかスクールみたいです.

というか,それに似たような教育は,現時点の大学でも「キャリアセミナー」とか「インターンシップ」なんかでやっています.
あぁいうのって,根気よくやっても学生の学びとしては天井が見えるんですよね.結局,その仕事において大事なところって,その仕事をしなきゃ分からないんです.
さらに言うなら,キャリアセミナーとかインターンに積極的でなくても社会に出て活躍している卒業生はたくさんいます.

だから大学としては,その学生がどのような職業,どのような役職,どのような人生を歩もうと,一人の立派な人間として生きるための思考力を授けることしかできませんし,それが最大の目標でもあるのです.

この話は長くなりそうなので,次回も続けます.

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2015年6月9日火曜日

追記:自転車の取り締まり強化後,一週間

前回,
「自転車の死亡事故の状況がどのようなものか,その統計データがあれば紹介します」
と言って記事を書き終わったそのすぐ後に「そのデータ」を見つけました.
その時に追記するのが面倒だったので,今回ご紹介します.

前回記事■自転車の取り締まり強化後,一週間の続きとして見てもらえればと思います.
※逆に言うと,前回記事を読まないとイマイチよく分からないかもしれません.

とは言え,前回の図表を見ながら少しおさらいすると,
(1)自転車事故を含め,交通事故件数は全体的に低下している
※というか,自転車事故はもともと多くない.

(2)自転車事故は圧倒的に「対自動車」である
※それにたぶん,自転車側が死んでるはず.

(3)自転車事故は「安全運転義務」違反によるもの
※違反なしでの死傷者も結構多い.

 (4)自転車事故は「出会い頭の衝突」と,「右左折時の衝突」事故が圧倒的に多い
※こういうのって,きっと車道で起きてるはず.
※図表の説明は省かせてもらいました. 
といったところです.

なので,自転車を車道で走らせるような指導を徹底してしまうと,実は自転車事故が多発するようになるんじゃないか?という危惧があるわけです.
特に死亡事故のような重大事故が.

この点について,もう少し詳細に分析してみたいと思います.

では,自転車事故と一口に言っても,どんなシチュエーションで重大事故(死亡事故)が起こっているのか?
それを示したのがこれ↓
交通死亡事故の特徴及び道路交通法違反取締り状況について(警察庁)
で,それを基にして作成したのが以下のもの.

まずは自転車事故における,対車両事故類型別の死亡事故と負傷事故を出してみました.
ようするに,どんな接触で事故っているのか?ということです.
水色のバーが死亡事故件数,青色の線が負傷事故件数です.ご覧のとおり,両者は相関関係にあると言っていいでしょう.

自転車事故の対車両事故の類型別死亡事故件数と負傷事故件数(警察庁2014年)

ついでに,対人事故も見ておきたいと思います.
それがこちら↓
昨年は死亡事故は2件と非常に少ないので,例年の傾向をみてみるために,2011年からの4年間も一緒に出してみました.
自転車事故の対人事故の類型別死亡事故件数と負傷事故件数(警察庁2014年)
統計データからはあんまり状況が読めないですね.各自,気をつけましょうとしか言えない気がします.

次に,どんな違反によって死亡事故が起こっているのか,それを示したのが以下.
対車両事故類型と同様,グラフにしてみました.
緑色のバーが死亡事故件数,オレンジ色の線が負傷事故件数です.これもほぼ全体的な事故件数と死亡事故件数は相関しているように見えます.
特に負傷事故と同様に「安全不確認」による死亡事故が多いのですが,他には「一時不停止」や「運転操作不適(ハンドル操作,ブレーキ操作ミス)」といったものが重大事故につながりやすいことがうかがえます.

こうして見ていきますと,自転車事故のなかでも重大事故につながる状況というのがイメージしやすくなります.
それは交差点や曲がり角での衝突であり,一言で言えば自転車側からすると「どうせ大丈夫だろう」という思い込みで駆け抜けようとした時に起きるのです.
ただ,それは自動車側にも同じことが言えますが.

逆に,意外と事故発生数が少なく,しかも重大事故につながっていない状況というのが,自動車等との「すれ違い衝突」や「追い越し,追い抜き時に引っ掛ける」というものです.
お互いが並進している時には事故は起こりにくいのでしょう.

しかしながら,だからと言って「じゃあ自転車は車道で自動車と一緒に走らせても大丈夫なんだ」と考えるのは危ないと思うのです.

前回記事の結論の繰り返しになりますが,自転車が車道を走ることが当たり前になってくると,ほぼ間違いなく自転車の走行速度は上がります.ということは,出会い頭や右左折時の衝突における運動エネルギーも高まるわけで,結果,重症・死亡事故へとつながる可能性も高くなると考えられます.

しかもこうした事故における責任は,なんだかんだで自動車ドライバーの皆さんがその多くを負わされることになるわけで.

それに,「追い越し,追い抜き」時の事故は現時点で少ないとは言え,今後の取り締まり強化の状況次第では変化があるやもしれません.車道で自転車を追い越し,追い抜く機会は今後増加するのですから.

“自転車に車道を走らせる” ことは結局,自動車側に一層の負担を強いることになることを意味するのです.
ここらへんのことを考慮した法整備と取り締まり,インフラ整備が求められるところです.


関連記事
海外(オランダ)の自転車事情と関連付けて論じてみた記事です↓
「自転車は車道を走らない方が安全だろう」

この記事の前編です↓
自転車の取り締まり強化後,一週間

2015年6月8日月曜日

自転車の取り締まり強化後,一週間

6月1日から自転車運転についての取り締まり強化が始まっています.
改正道路交通法によるもので,詳細は以下の
警察庁:自転車運転者講習制度(PDF)
あたりをみてください.

改正されたというより,取り締まりの強化が実際のところで,以前から違反運転だとされていたものについて,今後はちゃんと警察がパクリに行きますよと,そういうことです.

6月1日以降,しばらくネットニュースでも違反して「捕まった!」とか「注意された!」という類のエピソードが飛び回っていました.
イヤホン・携帯使用,無灯火,あとは歩道走行とか,そういうのが多かったでしょうか.

比較的ちゃんと自転車を運転している私としては,たいして影響のない話なのですが,これで自転車の安全運動が啓蒙されるのであれば良いことではないかと思っています.

が,「安全運転が啓蒙される」ことと「実際に安全になる」かどうかは別物です.
今回の取り締まり強化によって実際に自転車の安全が確保されるか,そしてこれは自動車・バイクにとっても良いことなのか,私はこれらについてかなり懐疑的です.

もちろん,今後2〜3年の事故統計が出てからじゃないと正確な事は論じられないのですが,今のうちからどうなるか推察するのも大事だと思います.
※その予想ですけど,たぶん今年1年は宣伝効果があって自転車事故数は減ると思いますが,来年からは怪しいです.

以前,そんな記事を書いたこともあります.
お暇でしたら,やや紙面を多くとって書いた約1年前の過去記事を御覧ください.
「自転車は車道を走らない方が安全だろう」

リンク先を読むのが面倒な人のためにまとめますと,
1)自転車用のインフラが整っていない中で交通法を厳格にしても,自動車ドライバーの意識が変わっていない車道に自転車を出すと事故(特に重症・死亡)が増えてしまうのでは?
2)自転車による重症・死亡事故は非常に少ない.自転車を車道に出すのであれば,圧倒的に重症・死亡事故を起こしている自動車の取り締まり強化が先では?

ということです.
当然のことながら,自転車でイヤホンつけたり携帯見てたり,無灯火,飲酒状態での運転は厳しく注意されなければいけないことは重々承知の上で,それでももっと大事なことがあるだろうという話をしたいのです.
野球で言えば,失点を防ぐために盗塁や送りバント対策を講じることも大事ですが,やっぱりバッターに長打を打たれないことに注力した方がいい,というのと同じです.
別に盗塁や送りバント対策をしなくてもいいと言っているわけではありません.失点を防ぐ対策の優先順位を考えましょうということです.

結論としては「やっぱり自転車は車道を走らない方が安全でしょ?」ということなのですが.
今回は2014年の統計データを見ながら考えてみたいと思います.

基本的なところからいきましょう.
まず,自転車は年間どれくらい事故っているのか?
それがこれ↓.自動車と二輪車(バイク,原付)と一緒にグラフにしてみました.
状態別負傷者数の推移(警察庁2014年)
約12万件です.
割合としては,自転車は交通事故の15%を占めています.
(自動車事故は66%,二輪車は11%です.ちなみに歩行者は8%)

いずれも発生件数は低下していることが分かります.
(たまに見聞きする「最近は自転車事故が増加しているから云々」というのはガセです)

で,次に自転車事故の内訳です.
死傷事故として記録されたなかで,相手は何だったかを示したデータがこれ↓.
自転車事故の相手当事者(警察庁2014年)
以前の記事(上記)でも述べたように,死傷事故としては圧倒的に自動車との事故が多いのです.と同時に,死亡事故も最多であることも分かります.

あと,こう言ってはなんですが,昨今かなり騒がれている「歩行者とぶつかって死亡させてしまう」という事故はかなり全国的にレアなものであることが分かります(近年で最多だった歩行者との死亡事故は2007年の8件.他の年はだいたい4〜5件).

歩行者や自転車同士の事故を無視しろとは言いませんが,上記のことから推測できることは,自転車事故は歩行者が多い歩道で発生しているのではなく,自動車と交わる車道で起きているということです.
自動車との接点が重要であることが考えられます.

では,死亡事故へと発展することが多い自動車との事故ですが,どのようなシチュエーションで発生しているのでしょうか.
自転車事故における対車両事故についてのデータ,それがこちらです↓.
自転車事故の対車両事故の類型別件数(警察庁2014年)
突出しているのが「出会い頭衝突」と「左折・右折時衝突」です.

自転車事故でどのような法令違反がされているかを調べたものもあります.
自転車事故の法令違反別件数(警察庁2014年)
これを見るに,「交差点安全進行」と,「安全運転義務」のなかの「安全不確認」が特に多いことが分かります.

死傷事故として出会い頭や右左折時の衝突が多く,その安全不確認の違反をしている割合が多いということになりますと,そこから推察できる状況というのはかなりイメージしやすいものですね.

おそらく,曲がり角やなんかで「ま,大丈夫でしょ」って思いながら自転車をスイスイと軽快にとばして方向転換したら,そこに現れた自動車やバイクとぶつかって死亡.
と,そういう感じではないでしょうか.

以前の記事ではこの事について,自転車専用レーンを設置しても重大な事故は減らせないし,むしろそれによって自転車のスピードが上がってしまい,出会い頭や左右折時の衝突事故が起きやすくなるのではないか,というものでした.

例えば今回の取り締まり強化にしても,携帯使用とかイヤホンについての注意を徹底することが大事なのは認めた上で,自転車に車道を走らせることをも徹底してしまうと,重大事故が発生しやすくなる可能性が高いのではないか,と考えさせられます.

思いつくのはこんな展開です.
車道を走る自転車は,歩道を走るよりも速度が上がります.今年は恐る恐る走る人もいるでしょうが,実は自転車は車道を走っていいんだ,自動車よりも優先度が高いところもあるんだという認識と,それに慣れてきた来年再来年はさらに速度は上がるでしょう.
そんな状態になったら,出会い頭や左右折時の衝突の危険性は今以上に高まるというものです.

車道を気を張って走行するのが大変だという人については,歩道であっても安全な速度で走ることを許容するほうが,自転車にとっても自動車にとっても “現段階では” メリットが大きいと考えられます.

ただ,この公表されている統計データを分析する上での問題としては,ではどういうシチュエーションで死亡事故が起きているのかは不明なままであることです.

この点は自転車の交通安全を考える上でかなり重要だと思いますので,警察としても可能であれば詳細な内訳を公開してほしいのですが.

※より詳細な自転車事故の統計データが手に入ったら,追って分析してみたいと思います.

※そのすぐ後,そのデータを見つけましたので追記しました.
追記:自転車の取り締まり強化後,一週間


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「自転車は車道を走らない方が安全だろう」

2015年6月3日水曜日

井戸端スポーツ会議 part 22「高知ファイティングドッグスの新戦力」

こんな日が来ようとは,
藤川球児投手が高知FD入団へ 短期スポット参戦か
以下,そのリンク先記事の抜粋.
米大リーグ・テキサス・レンジャーズを自由契約となった藤川球児投手(34)が独立リーグ、四国アイランドリーグplusの高知ファイティングドッグス(FD)に入団することが6月1日、分かった。1日、自身のブログで明らかにするとともにFDも発表した。8日に高知市内で記者会見する。FDによると正式契約はまだで、チームへの合流時期も未定。北古味鈴太郎オーナーによると、短期のスポット参戦になりそうだという。(高知新聞2015.6.2) 
同郷・同年代の者として,素直に応援したいです.
しかも彼にとっても故郷のチームである高知ファイティングドッグスですし.

藤川選手のような四国・高知ゆかりの一流選手が,コンディショニングがてら,もしくは引退の場として四国アイランドリーグに来てもらえたらいいなぁって妄想しておりましたので.
今回のニュースは嬉しい限りです.
(観戦する機会が無いのが残念!)

「コンディショニングや引退の場として入団するのはどうか? 同リーグのチーム,選手に失礼ではないか」
と思われる方がいるかもしれませんが,もともと四国アイランドリーグは「日本プロ野球」や「メジャーリーグ」での活躍を目指す選手のためのステップとして機能させたいという理念があって設立された経緯があります(詳細はwikiを→http://ja.wikipedia.org/wiki/四国アイランドリーグplus).

四国アイランドリーグというのは私が大学を卒業する頃に始まった独立リーグでして,プロの夢を捨てきれなかった大学の同級生の中にも,このリーグへとチャンスを掴みに向かった者がいます.大成しませんでしたけど.

今回の藤川選手の入団は,彼が日本プロ野球(はたまたメジャーリーグ)に復帰するための足掛かりとして使うという意味で理にかなっていると言っていいでしょう.

それに,日本プロ野球とメジャー経験がある藤川選手が身近にいることは,そこでの活躍を目指す四国アイランドリーグの選手にとっても貴重なものとなります.
ジュニア選手においては尚のことですが,パフォーマンスアップのためには一流選手との交流から得られるものは非常に大きいと実感しています.

たとえ高知ファイティングドッグスが彼にとって最後のチームになったとしても,僕らの高知だからいいかなって思ってたりします.阪神ファンには悪いですが.


ところでこの四国アイランドリーグですが・・・.
その経営が厳しいということで,発足当初から問題視されていました.徐々に改善されてきたとはいえ,今でも順風満帆とは言えない状態は変わっていません.

私が大学生の頃も,よく友人たちと「アレって大丈夫なんかなぁ」と話していたことを思い出します.
実際,まさか10年続くリーグになるとは思っておりませんでした.
経営陣の努力の結晶でしょう.

派手ではないですが一定の成果を出し続け,地道にスポーツの普及と発展に貢献しているのであれば,まぁ,こういうプロスポーツの在り方もいいかなと.
学生の頃よりも,スポーツ界全体を俯瞰して見れるようになって,そう思うようになりました.

ちなみに私の四国アイランドリーグについての夢はというと,四国アイランドリーグ・オールスターで日本プロ野球オールスターに勝つことです.
そんな企画がいつかあると面白いだろうなーって妄想しています.

3月か11月くらいに大学,社会人,独立リーグ,NPBの選抜チームを作ってトーナメントみたいなのをやるんです.日程としては厳しくなるでしょうけど,何年かに1回くらいの企画として出来ないですかね.WBCみたいに.
何が起こるか分からないのがスポーツですから,大学だろうと独立リーグだろうと,優勝のチャンスはあると思います.