2015年9月24日木曜日

僕らの時は野茂英雄っていう選手がいてだな・・・

ここ最近はしょうもない上に暗い話題の記事が続いており,「大学って大変だなぁ」とネガティブな感慨にふけっているのもなんなんで,別の話題で感慨にふけってみようと思います.

私も学生とは干支が一回りしたこともあり,だいぶ世代感を感じるようになってきました.
我々にとっては当たり前のことであっても,学生は知らない,分からない,興味がないという話は多いものです.
てっきり同じ「若い世代」だと思っていても,年は無情に過ぎていきます.

世代を跨いで「世間話」というのをするようになるのも大学生からでしょうし,徐々に話が通じなくなることを実感しやすいのも大学という場所ならではかもしれません.

まずはスポーツネタから.これはかなり世代感が現れやすいものです.
彼らはオリックスのイチローを知りません.なんせ,イチローが200本安打を打った時(1994年)に産声をあげたのですから.
彼らが野球を見るようになる頃には,メジャーリーガー:イチロー・スズキです.

彼らにとっての代表的な野球選手とはダルビッシュでありマー君です.そこですかさず「僕らの時には野茂英雄っていう選手がいてだな.日本人メジャーリーガーとして特別な存在なんだよ」という展開になるのが鉄板です.

また,若貴兄弟の現役も知らないですし,三浦知良の全盛期も知りません.でも逆に言えば,この期間ずっとプレーしているカズの凄さが分かります.

一方で,私達の世代が上の世代の方々にギャップを感じさせるのは,北の湖や千代の富士を知らないってとこでしょうか.そこらへんで「えぇ!」って顔されます.
ロサンゼルス五輪はセピア色の歴史的存在であり,山下泰裕って誰?って感じで,ソウル五輪あたりの記憶は曖昧だからベン・ジョンソンとか鈴木大地や小谷実可子の話にはついていけないというところです.
感覚的には,私達にとっての鈴木大地や小谷実可子あたりが,彼らにとっては高橋尚子とか谷亮子みないなものでしょうね.名前知ってるけど,よく知らないっていう.


そうこう話すうちに話題はスポーツから事件やイベントへと移っていくわけで.
私達の世代が「日航ジャンボ機墜落事故」のことを,なんで毎年あんなにニュースで取り上げるのかピンと来ないのと同じくらい,今の学生は「阪神淡路大震災」を知りません.ルミナリエってのは神戸のキラキライベントだと思っています.

飛行機の事件と言えば,9.11同時多発テロはギリギリ知っているけど覚えていない,という感じだそうです.当時は幼稚園児だったり小学1年生ですからね.
なんだかつい最近のように感じますが,もう14年経ちましたか.

昨今また話題に上がっている「酒鬼薔薇聖斗」事件も知りません.事件のこと知りたきゃググッてくれと言いますが,女子学生には特に「決して画像検索はしないように」と言っておきます.きっと検索するんでしょうけど.

オウム真理教とか地下鉄サリン事件も,学生たちにとっては「日本の現代史」.何かの拍子に「わぁーたぁーしぃーはぁー,やってないぃ〜」って歌っても,彼らの頭の上には「?」が浮かびます.
「ポアするぞ」とか,すでに通じません.

生まれた時にWindows95が登場し,物心ついた時には携帯電話があり,フィルムのカメラなんて扱ったことなくて,使い捨てカメラって何?って顔されるし,彼らにとっては写真とか動画は撮り放題で,それも紙やテレビで見るものじゃなくなってるんですよね.

もっと言うと,学生たちは日本が不況になっているところしか知らないわけで.
経済成長するってどういうことか分からないのです.だからなのかもしれませんが,とにかく慎重派が多いように思います.絶対失敗しないぞ,っていう.
あと,高望みしないし,自分が満足できればそれでいい,というようなところがあります.ステレオタイプな分析ですが,ホント,そう思います.
少なくない大学の先生方は,「ハングリー精神がない」とか「もっと積極的に新しいことに挑戦する人材を育てたい」と言いますが,世が世ですから,ちょっとそれは厳しい注文ではないかと思います.なんせ,ハングリー精神持って新しいことに挑戦して失敗した人たちを見てきているわけですので.

私達の世代は,バブル崩壊から不況に陥って様々な苦難を乗り越えられずに今に至る,というストーリーと同時進行に生きてきたことになりますので,何をやっても期待できないという考えが多いのかもしれません.
だからでしょうか,自分にとって都合のいいものを選ばないと生き残れない,そう考える下地があるように感じます.

「あぁ,あの事件をこいつは知らないのかぁ」などと感じ始めた今日このごろですから,自分もだいぶ歳をとってきたのだなと実感しております.
そして,映画とか小説にある「あの当時・・・」というストーリー展開が,これまでとは違った形で受け取るようにもなってきています.

2015年9月21日月曜日

危ない大学における万葉集

世間は連休に突入しましたね.ですが,我々にとっては関係ないという人も多いのではないでしょうか.
さて,前回まで危ない大学における格言集を書いてきましたが,今回は「万葉集」ということにして短歌を作ってみました.

短歌の調子に言葉を乗せると,不思議なことにその情景が活き活きと浮かび上がってくるものです.
危ない大学に奉職している方々にとっては,感慨深く聞いていただけることかと思います.

もし「危ない大学」なるものを知らない人が読んでも,これらの歌は伝わらないことでしょう.これは本当の万葉集とて同じことです.
そのような方は,本文末に危ない大学に関する記事を用意しておきましたので,そちらで事前勉強しておくと良いでしょう.


お題:学生募集
OCと 略してみればビズ用語 されど所詮は オープンキャンパス

OCの ためと諦め着ぐるみに 汗ばむ我が身を 笑う学生

あけぼのに 集う職員学び舎に 今日はOC満ちるリビドー

今だけと いつもクーポン発行し 持たぬ者でも結局割引

A4に 一枚まとめて並べても 余計に目立つ 本学の粗

パンフには 載せても見る者いないよと アカデミックな理念と思想

交通費 出せば来るはず来場者 来たら彼らにお土産を

大学の ことを真面目に考える 奴こそ見ないよウェブサイト

誰が見る クラブ情報最新ニュース 頻度上げろと無理矢理更新

これは何 入試のページに目がかすむ 数多の方式我も分からず

三月の 末に掻き込み浪人の 予備軍まとめて本学に囲え

来る所 避けるが身のため大学の 客引きすなわち高校訪問

無能ほど 誇る話術と営業手法 それを学術いかせば良いのに

ジャンケンに 負けて向かうは県外入試 喜ぶ相棒横目に車中


お題:バスの運転
バスゆかば 大事が小事に思いけり 我はこの地で果てる定めか

嵐でも バスに乗り込み学生を 送り届けて 虚しく誇る

エンジンが 性能アップだスピードが 坂になっても落ちず嬉しき

事故っても 全ての責任我にあり よく見りゃ書いてる契約書

ハンドルを 握るその手に学生の 命あるぞと言われ発狂

大橋に 向かえば高鳴る胸の内 風に吹かれてハンドルが逝く


お題:学習環境の充実
書き方を 教えたところで書かせれば 覚えていないと なぜか恨まれ

ラーニング コモンズ作れど学生は まどろみ充電 眠珀の雫

意味のない 資格の山を築き上げ 追われる業務も築き上げ

質問紙 授業を評価と奮発し残業疲労が蓄積し

役立つ知 それが大事と張り切る師 オススメ教材写メのクラウド

諦めて ビジネススタイル取り入れた 喜ぶ学生死ぬ未来

成果出ず 高額予算がドブの中 されども止まぬ改革の囃子

グローバル 蚊帳の外だと思いきや 我らも取り組め無茶ぶりの理事

改革は 強い大学いじめるために 始めたはずだと思っていたのに

FDが 必要なのはお前らだ FD担当浴びる視線は

現場肌 だったら来るなよ大学に 授ける場所が違うだろ


お題:日常
校訓を 声張る喜ぶ理事長を いつか◯すと横目に誓えば

異常なし そんなわけないもっと見ろ なんで異常が正常か

稟議書が こたびも止まった学会の 正規出張来るかその日は

繋がりが 強くなりけり職員室 代わりに失する研究の風

鳴る電話 今直ぐ出頭子の刻に 以後の方針謳う理事長

昼食えば 鐘が鳴るなり さあ掃除 今日は廊下で明日トイレ

研究が 禁止であれども論文は 書けと言われて書ける我

努めれど 望めぬ残念我が力 なれば高めよ間者の道を

金魚のフン 言われる時間は長くとも 最後に笑うぞ今は耐え時



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大学について2
反・大学改革論
反・大学改革論2(学生からの評価アンケート)
反・大学改革論3(学生はお客様じゃない)
反・大学改革論4(喜んでる教員)
こんな挙動の教員がいる大学は危ない
危ない大学に奉職してしまったとき「厄介な教員対策」
こんな大学の教員は危ない part 1

2015年9月14日月曜日

続・危ない大学における格言集

前回の■危ない大学における格言集の続きです.
思いつくままに書いておりますが,なんだか悲しくなってきます.
はやくまともな高等教育ができるようになりたいですね.

(1)バスに乗り遅れるな
危ない大学の教員にとっての “乗り遅れてはいけないバスの席” とは,「運転席」のことを指します.
詳細は■危ない大学におけるバスの想ひ出を参照のこと

(2)余力あるうちに楽な道を歩め
「余力ある今のうちに大学教員らしい生活を楽しんで引退しよう」という高齢大学教員の胸の内.
始末におえないのは,「どうせ近いうちに引退するんなら,思いっ切り大学改革に取り組んで,“私達が日本の大学を変えたんだ” という満足感を得てからがいいな」という思惑を持っている人もいることです.
彼らにとって大学改革とは「楽な道」ですらなく,「道楽」の一つに過ぎません.

(3)もし大学の経営者がドラッカーのマネジメントを読んだら
すると悲惨なことになってしまいました.という大学は数知れず.
というか,まともに読まずに雰囲気だけで斜め読みしていた奴が多かったはず.
せめてドラッカーの思想を正しく汲み取ってくれてさえいればと悔やまれます.

(4)ザ・シークレット〜おびき寄せの法則〜
ドラッカーの『マネジメント』を早々に諦めた大学が使う,ロンダ・バーンがやってるような手法.
とてもじゃないが保護者には知られてはいけないので,ゆえにシークレット.

(5)羊たちの親睦
危ない大学で酷使されている教職員が,経営陣や幹部に隠れて居酒屋で一杯やること.
自分自身は矢面に出る覚悟も根性もないのに,若手を焚き付けて「これからの大学は君たちが背負っていくんだ」とかなんとか言ってる中高年教員が主催することが多い.

(6)幹部らのリスト
これは現幹部や幹部候補者が羅列されたリストではありません.
大学幹部の間で回っている,「謀反の疑いがある教職員」を記したリストのことです.

(7)カマをかける少女
大学幹部や疑心暗鬼になっている教員の密命を受けて,ターゲットとなる男性教員に近づき「新しくできる◯号館って無駄じゃないですか?」「この資格,取っても意味ないってお母さんが言うんですけど」「◯◯先生と喧嘩してるんですか?」などと質問をする女子学生がいます.
飼い主に報告が行きます.気をつけましょう.

(8)ターミネーチャン
学園理事長・秘書のこと.
こちらは上述した小娘と違い,能動的にターゲットを探しだして抹殺しようとする.
少なくともマルサの女や歌舞伎町のネーチャンよりは怖い.
あくまで仕事でやっている人たちなので,普段はとてもいい人.だと思う.

(9)流刑島からの手紙
経営難ではないものの,規模が大きめの危ない大学では,謀反の疑いがある教職員は島流しの憂いを見ます.
都市伝説だと思っている人もいますが,実際にある話です.
そんな流刑島からの「早く大学に帰りたい」という訴えを含む手紙やメールのことを指します.

(10)鳴かぬなら,死ぬまで待とうホトトギス
現在の文科省と大学の関係性を指す.
逆に言えば,織田信長がどれだけ責任感あるリーダーだったか分かります.

(11)知を捨ててこそ,浮かぶ策もあれ
大学が生き残りのために,教育機関であることを諦めること.

(12)窮地の知
本当に危ない大学になると,驚くような作戦で学生募集が始まります.
類似語に,前回ご紹介した「キレる理事長,焦るきぐるみを走らす」があります.

(13)バカの考え,自爆に似たり
頑張って改革すれば大学が良くなる,と本気で考えている人がいます.
そういう人のことです.

(14)なにしたっていいじゃないか,要請だもの
自暴自棄になった大学教員の心中.
「社会的な要請ですからね〜.仕方ないですね〜」って,自分を皮肉りながら仕事しています.

(15)同情するなら人をくれ
願望.
学生募集の意味としても,人事的な意味としても.

(16)学生募集とは,99%のハズレと1%のヒットである
とにかく訪問校は多ければ多いほど良い.事前の巡回準備がモノを言います.

(17)大学ノ興廃此ノ一戦ニ在リ,各員一層奮励努力セヨ
オープンキャンパスとか高校訪問のときの経営陣の胸の内.
興廃もなにも,すでに荒れ果てているのですが.
「此ノ一戦」とか言いつつ,年中開催されるのも特徴.
ようは,常に120%の力を出し続けろという意味.

(18)動機明朗ナレドモ学高シ
本学のアドミッション・ポリシーに合致していて目的意識に富んでいるけど,どうやらペーパーの成績が良いから他校へ逃げられる可能性があるぞ,という志願者を指す.
危ない大学だと動機さえ明朗であれば(そうでなくても)合格できるから.

(19)あきらめたらそこで募集停止だよ
危ない大学関係者の耳元で囁くと発狂するので注意を要する.
いっそ,本当の意味で「危ない大学」なら募集停止してくれた方が世のためかもしれない.

(20)肉を切らせてそれを焼く
ようするに「大学ブランド」の切り売り,シュラスコ状態のことを指す.
「ね? おいしいでしょ?」とか言いながら豪快な焼肉パーティーを開催してるんですけど,でもそれって自分たちの身を切って与えているものでしょ,しかも誰も得してないし.っていう.
だけならまだしも,「肉が無くなりゃ骨を煮る」ってことで,スープを取ってたりする.

(21)案がなければ,景気よく動けばいいのに
って言われているのが危ない大学の教員.

(22)ゆく人の流れは絶えずして,しかも,もとに戻ることはあらず
危ない大学の教員は着任しても直ぐ辞めるし,再任したがる者はいないということ.

(23)正門の薄いトンネルを抜けると受付であった.頭の中が白くなった.記帳所に足が止まった.
受付の席からおばさんが寄って来て,私の前の応接窓を叩いた.心に冷気が流れこんだ.おばさんは窓いっぱいに寄りかかって,遠くへ叫ぶように,
「理事長さあん,理事長さあん.」
赤いネクタイをさげてゆっくり絨毯を踏んで来た男は,ポマードで頭の上をわずかに包み,襟に校章バッジを付けていた.
っていうのが典型的な危ない大学.

(24)校訓唱和の鐘の声,所業無情の響きあり.ソメイヨシノの花の色,人気度絶対の理をあらはす.おごれる金もありはせず,ただ春の夜の割り勘に哀し.熱き者も遂に諦め,ひとへに風の前の灯火に同じ.
危ない大学における年度初めの朝礼の様子を示したものです.


2015年9月11日金曜日

危ない大学における格言集

危ない大学によくある話を,格言集のような形で羅列してみました.
「さながら,ことわざを変えて言うところの「◯◯◯」って感じですよね」
などと使用されることがあるものです.

(1)能ある鷹は爪を隠せず
危ない大学においては,「のんびり教育研究をしてよ〜っと」なんて悠長なことはできません.
いびつな構造から生まれる虚しいシワ寄せ業務が発生するのですが,そこではどうしても無能/有能が目立ってきてしまうのです.
それでもなんとか効率よく仕事をこなしたい,という人々の思惑が交錯した結果,そんな大学では有能な人に業務が集中するという現象が多発します.
その一方で,「皆がセカセカと苦しんでいる中,俺は上手く立ちまわって仕事を回避しているんだ」ということを自慢気に話す教員もいますが,実はそういう人ってかなり無能な人で,本人に気付かれないように周りが仕事を回していないという場合がほとんどです.

(2)見切るべきか残るか,それが問題だ
いびつな構造から生まれる虚しいシワ寄せ業務に疲れた教員が考えること.
もっとも,実は既に見切りをつけていたりするのですが,かわいい学生の顔が頭に浮かんで思い切れずにいる.そんなところです.

(3)やってみせ,言って聞かせて,させてみせ,褒めたところで人は動かじ
なぜかそんな教職員がヌクヌクと生きているのも危ない大学の特徴です.
不思議です.
疲れます.

(4)笑って馬謖を切る
危ない大学においては有能過ぎても睨まれます.程よい能力の者が重宝されるのですが.
馬謖を蹴落とせたことを喜んでいる様を指します.

(5)人を見たらスパイと思え
泥棒もスパイも変わりないとも言えますが,そんな大学では人を信じてはいけません.
学生だって怪しいものです.特に男性教員は学生くノ一に気をつけましょう.
とにかく経営陣の意にそぐわないことや,「組織」に反発していると疑われる行動は厳に慎みます.

(6)電話に耳あり,ネットに目あり
そういう大学に奉職されていた先輩から,「やれるけどやっていないだけ」とお聞きしました.
それ以上詳しくは申しません.私も自分の身が可愛いので.

(7)疑わしきを罰しちゃった
そんなスパイや盗◯からの情報を得て,経営陣は自分たちに謀反を企てている「疑わしい教職員」を見つけ出そうとします.
腐っても教育機関ですから,疑わしいというだけで教員を処理することはありません.ところが,そんな大学では「罰する」ことへの閾値がとても低いんです.
何の事はない,自身が怯えていることの裏返しでもあります.
でも,なんだかんだ言って「疑わしいだけで罰した」という罪悪感のようなものは持っているようで.そんな切ない空気が漂うのが危ない大学でもあります.

(8)親の居ぬ間に洗脳
オープンキャンパスの戦術の一つです.
大人にとってはバカバカしい広告戦術も,子供だけの空間なら騙せるかも.ということで開始される作戦のことを指します.
「ご父兄の皆様を対象とした説明会はこちらで開催します」ということで親子を離してからが勝負となります.

(9)キレる理事長,焦るきぐるみを走らす
ある意味,オープンキャンパスの戦術の一つです.
「今回のオープンキャンパス,いまひとつ盛り上がってないねぇ」という理事長の一言に焦った教職員が,きぐるみを着て学内を走り回る様を指します.

(10)部室に入らずんば生徒を得ず
高校訪問における戦術の一つです.
進路指導の先生と話すだけでは生徒募集につながりにくいものです.よって,部活動をしている生徒をトロール漁業のごとく水揚げすることが「高校訪問」の真髄になります.
目当ての部室に押しかけ,部活の顧問や監督,生徒と直接話すことで生徒募集につなげようとするテクニックです.

(11)二兎追って四兎を得よ
高校訪問における戦術の一つです.
一人,二人と釣れたら,「お友達にもうちを紹介してみてよ.皆で一緒にキャンパスライフを送ろうよ」と言ってたりします.
マ◯チ商法みたいなものです.

(12)遠くの志望者より近くの高校
出願者・入学者募集活動におけるコスパ感覚のことです.
一般的には「地域に密着した大学」とか「親近感のある大学」ということを売りにしようとします.
何の事はない,そういう大学は周辺地域からの学生がメインターゲットにならざるを得ないだけのことです.

(13)触らぬ文科に祟りなし
危ない大学の教員が文科省にたてついたところでマイナスの作用しかありません.補助金を出すのは彼らですので.
文科省の依頼や通達がどれほどバカバカしいものであっても,生き残りのため素直に受け入れることが大事だという諦めを指します.
ただ気をつけなければいけないのは,「触らぬ文科に祟りなし」を合言葉にしながらも,実は文科省がやろうとしていることに賛同している教員もいることです.
「文科は我々のことを分かっていない」などと言っているその実,文科省の方針に従っておけば自分自身の身の安全が保障されるという教員が一定数います.

(14)笑う職場に鬼来たる
楽しく仕事ができたら幸せですよね.しかもそんな職場こそ高いパフォーマンスを発揮します.
ところが,危ない大学に限らず,少なくない組織では「なんで俺がツラい目にあっているのに,笑って仕事をしている部署があるんだ」という妬みが発生します.
その結果,快適な仕事をしている部署や教職員に「もっと仕事を増やして皆と一緒に苦労しろ」ということで無意味に仕事が舞い込むようになります.
で,全体のパフォーマンスはさらに下がる,という顛末.

(15)改革を恐れてはいけない.大学に必要なのは,勇気と想像力.そしてほんの少しのお金だ
そうやって高等教育をメチャクチャにしてきた尖兵が,危ない大学.

(16)バカがリスクをしょってくる
詳しく話し出したら長くなるので割愛しますが,ようは,自分とこの大学の規模に合わないプロジェクトや,どう考えても教育上の必要性が無く,流行りに乗っただけの企画を立てたがる経営・運営陣がいます.
それのことです.

(17)二度ある事はずっとある
「これは教員である◯◯先生にお願いするのは忍びないのですが」という業務が依頼されることがあります.
最近の若手教員なら尚の事,「いえいえ,構いませんよ.全く気にしませんから」ということで引き受けたりするのですが,そういうことが続くと,それからずっとその業務を任せられることになったりします.
そんなの続けると研究活動や授業計画に差し障りが出るぞ,という危惧を感じたら,なるべく引き受けないようにしましょう.中・長期的な目で見た場合,その大学を「見切る」時の足かせになったりもしますから.

(18)吾輩は先生である.専門はまだ無い.どうしてここに呼ばれたかとんと見当がつかぬ.昔は華やかなワイワイした所でバリバリ働いていた事だけは記憶している.吾輩はここにきて初めて学者というものを見た.
そんなのが大学教員として教鞭をとっていたら,危ない大学.


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2015年9月10日木曜日

井戸端スポーツ会議 part 24「映画:コーチ・カーターの感想」

ブログ記事のネタに困ってしまったので,映画レビューをしてみようと思いました.
せっかくなのでスポーツ系&教育系の映画で.
今回はこちら.
映画:「コーチ・カーター」(wikipedia)

ネット配信されているものをなんとなく観てみたら,意外と考えさせられることが多くて素直に面白かったです.
この映画,リッチモンド高校におけるケン・カーター氏の実話に基づく物語とのこと.
ネタバレを含みつつ楽しみを奪わない程度にストーリーをなぞると,
アメリカの教育困難校の一つであるリッチモンド高校のバスケットボール部の監督にケン・カーターが赴任する.
犯罪多発地域でもあるこの高校の生徒には問題を抱えた生徒が多く,バスケ部員もその例外ではない.
学力も低く,進路もままならないバスケ部員に対し,カーターは卓越した指導力で彼らを “とりあえず” 強豪チームに育て上げる.
しかし,カーターがバスケットボールのクラブ活動を通して彼らに伝えたかったのは「試合に勝つこと」だけではなく,より良い人間になるにはどうすればいいのかを考えさせることにあった.
試合後,勝利に沸きハメを外して怒られた部員の一人が言う.「監督,俺達は勝っただろ.それを望んでいたんじゃないのか?」
それを聞いたカーターはある行動に出る.それは保護者や市民からの苦情が殺到し,マスコミが押し寄せ,監督解任を迫る事態となってゆく.
というもの.
単純に学校スポーツにおけるサクセスストーリーというわけではなく,どちらかと言うとスポーツではなくて高校教育の方が主軸なんだろうと思います.

世間の(ネットの)映画評も「感動した」とか「考えさせられる」ということで概ね良好.
ただ,実話に基づくスポーツドラマですから,どうしてもクライマックスが「実話らしい結末」になるのは仕方ありません.・・というレビューも多いですね.

「スクール・ウォーズ」と「スライムダンク」を足して2で割ったようなこの映画,日本人の感性にも合うのではないでしょうか.
だからこそ,この映画を観て考えさせられたのは,アメリカの腐敗した学校(大学)スポーツ事情を立て直すには,カーター氏のような教育哲学を持った行動家が求められるのだろうな,という点です.

「スポーツを通した人間教育」
私たち日本人にとっては非常に親しみやすいスローガンですが,彼の国はそうではありません.

我々体育系の人間にとって「アメリカ」という国は,スポーツをビジネスとして活用できているモデル国のような存在です.
アメリカのようにスポーツでビジネスをしよう,高いエンターテイメント性を求めよう,効率良く競技力向上できるシステムを構築しよう.
そんな声が日本の体育・スポーツ界で大きかった時代もありました(今も大きめかもしれませんが).

ところが現実を見てみると,アメリカにおける学校・大学スポーツ界というのは華々しい表舞台とは裏腹に,ダークな部分も多くてですね.
それを今回紹介した映画と同じ「高校バスケットボール」で扱ったのが,
映画:「ラストゲーム
です.お時間があればこちらもどうぞ.

強い選手をリクルートするため,より良い環境を作るため,そこではコネ,買収,賄賂なんて当たり前.勝ち残れなかった者に未来はなく,勝ち残った者は広告塔として利用される世界.
日本の高校野球で問題視されているような “不祥事” がカワイイと思えるような世界.それがアメリカンスポーツなのです.

「勉強ができない子供はスポーツで輝けばいい」
そんな言葉を無責任に言い放つ人もいますが,現実,そんなに甘くはありません.
というか,そんな教育を目指したアメリカがどんな国になっているか,そこを考えてほしいのです.

たしかに日本の学校スポーツでは,その教員が専門(得意)としているスポーツ種目以外の部活動を担当しなければいけない,という事情もあって,質の高い指導ができていない部分もあるかもしれません.
それができるのは,一部の恵まれた学校,私立学校だという指摘もありましょう.
ですが,そもそも学校で展開されているスポーツ活動は,一体何のために存在しているのでしょうか.

それはスポーツを通じた人間教育をするためです.
スポーツが教育現場に取り入れられるのは,スポーツという場の中に人間教育をするための材料がたくさんあるからです.
残念なことにアメリカの教育現場では,そして日本の少なくない教育現場では,スポーツがそのように扱われていない.自己顕示手段の一つとして,ビジネスコンテンツの一つとして扱われてしまっている危惧があるのです.

劇中,カーター氏は部員を集めてこう言います.
「私が嫌いなのは,君たちを落ちこぼれにするこのシステムだ」

勉強ができない子供はスポーツで・・・
こういう考え方は魅力的ですが,そのエネルギーの矛先を間違えると取り返しのつかないことになっています.

関連記事はこちら↓
井戸端スポーツ会議 part 16「体育の授業で得てほしいこと(特に大学で)」
井戸端スポーツ会議 part 14「スポーツと資本論」

2015年9月1日火曜日

井戸端スポーツ会議 part 23『東京五輪エンブレム問題に見えるスポーツの危機』

スポーツに関する時事ネタを.
そう言えばスポーツの記事を長らく書いておりませんでしたので.

今回はこれ.「東京五輪エンブレム盗用疑惑」です.
そして案の定,東京五輪のエンブレム問題は以下のように進展したようです.

東京五輪エンブレム、使用中止の方針…組織委
2020年東京五輪の大会エンブレムがベルギーの劇場のロゴマークに似ていると指摘されている問題で、大会組織委員会は1日、五輪、パラリンピック両方のエンブレム使用を取りやめる方針を固めた。
組織委は7月24日、東京五輪とパラリンピックのエンブレムを発表。アートディレクターの佐野研二郎氏(43)のデザインが採用された。だが、五輪エンブレムについて、ベルギー東部リエージュの劇場のロゴマークに似ているとの指摘が出され、マークを手がけたデザイナーなどが国際オリンピック委員会(IOC)に対し、使用差し止めを求める訴訟を起こした。(読売新聞2015年9月1日)
このエンブレムのデザインが「盗用」されたものだったかどうかは不明ですが,ちょっとね・・.あまりに似すぎでしたよね.
そのまま採用していたら気持ちが悪かったので,この判断でよかったのではないかと思います.

一方で,ネットを見る限りではありますが,佐野氏が「盗用」していることが当然かのように糾弾するコメントもみかけます.
証拠があるわけでもないのに,これはこれで気持ちが悪いものです.

さてさて,今回の話の問題点はいろいろあるのですが,私見をいくつか述べてみましょう.
それに,この東京五輪エンブレム問題を掘り下げていくと,日本のスポーツ界に潜む問題が炙りだされるのではないか? と考えられる節もありますので.

まず,このエンブレムのデザイン自体,非常にチープですよね.
私自身,五輪エンブレムのデザインについて関心があるわけではないので,今回のように取り上げられずそのままスルーされていたら気にならなかったことでしょうが,それにしても映えないデザインであることには違いありません.
悪いと言っているわけではありません.良いデザインではないと言っているのです.

というか,逆にベルギーの劇場のロゴの渋さが際立ちます.
今回のエンブレムは・・,なんというか,ダサい.

実際のところ今回のエンブレムは,デザインに興味が強そうな中学生に頼んだら,一番候補として上がってきそうなものではないかと思います.
「かっこいいエンブレムを書いてこい」そう言われたらこれを書いてくるんじゃないかと.
それだけ,目新しさも意外性も親しみやすさもありません.
単純に「これは良いデザインではない」と,そう思わされました.

だから,佐野氏としても「盗用疑惑」が出てきた時点で,むしろそれを理由に「そこまで言われるのであればデザイナーとして恥ずかしい限り.盗用しているわけではないですが,今回は見送らせてもらいます」という感じにしておけば良かったのにと.
本当に盗用でなかったとしても,非常によく似たデザインのものが出てきた時点でデザイナー失格(と見做される)でしょうから.
ましてやオリンピックですからね.目立った批判を浴びないものにする必要はあると考えられます.

そんなこと言い出したら,これまでに “華やかで映えるデザインの五輪エンブレム” なるものがあるんだろうか? というところですが.
そういう「まとめサイト」があったのでご覧になってみてください.
まぁ・・,どれも特別なにかを感じるものはありませんね.ロゴなんてそんなものでしょうし,そんなもので良かったりするんだとも思います.

しいて挙げるとすると,個人的にはバルセロナ大会のデザインが好みなんです.
とは言え,その理由として考えられるのもこれまたチープなもので,
1)物心ついて初めて見たオリンピックがバルセロナ大会だった(つまり思い入れ)というのと,
2)現代スポーツらしいパワフルさやダイナミックさをシンプルに表していること,
3)それに,この大会以降(かどうか専門家でないので不案内ですが),スポーツ系のイベントではこのデザインに似たものをよく目にするようになったから
というものです.
(長野やシドニー,バンクーバーも似てるでしょ?)
当時は,子供ながらに「大きなスポーツ大会のロゴはこういうもの」っていう気がしていました.

私はデザインについて素人ですが,とある芸術評論の先生からお聞きしたのが,
「芸術を評価する基準の一つとして,その意匠が生まれるに至った経緯を顧みた上でその作品にどんな先進性があるか? というのがありますよ」
というものです.
そりゃそうだろという気もしますが,「そこに至った経緯」というのを評価するのってかなり難しいものだと思います.そこに見る者の教養や創造性が求められるのでしょうし.
先進性って言われても,新しくて奇抜だったら良いというものではないですからね.

その上で今回のエンブレムはと言うと.もう既に使い古されているシルエットに色を付けた,というものですね.よく知られているパターンを繰り返したということです.
それだけに,良くも悪くも何も感じるものがない作品なのです.

五輪エンブレムなんて適当なものでいいんじゃないか,そんなふうにも思っている私ですが,やっぱり世界に名だたるビッグイベントであるオリンピック大会のエンブレムには,それなりのものを求めたい気持ちもあります.

私見ではありますが,バルセロナ大会のエンブレムには現代スポーツを扱う近代オリンピックの華々しさを感じます.
そこに至るオリンピックの経緯が「近代スポーツの普及」と「国威発揚」のイベントだったのに対し,これからのオリンピックはスポーツそのものの魅力とダイナミズムを感じるものになるだろうという変化を願った象徴のように見えるからです.
実際,その後のスポーツは(良くも悪くも)そのような流れを生むに至っています.
(試しに上記のサイトで,バルセロナ大会以前のエンブレムを御覧ください.国家的スポーツイベントであるというメッセージが強いように見えませんか? )

では2020年の東京大会では何を願うのか,それがエンブレムにも現れてくるであろうことが予想されます.
それだけに,今回のエンブレムが「ありきたりのデザイン」だったのは,東京大会がそういう大会で構わないのではないかという人々の意識的/無意識的な願いが表出しているのではないかとも勘ぐりたくなります.
言い方を変えれば,現在のスポーツ界,特に日本のスポーツ界は東京大会で何をしたいのか決めかねている,とも考えられるのです.

盗用だとか出来レースだったという話もありますが,それでもデザインを作り選定する側としては,多くの人々から受け入れられるであろうものを用意しようとするものです.
東京大会ってこういうものでしょ? というメッセージをデザインとして形作られた可能性はあり得るのではないでしょうか.

いろいろ書きましたが,別にこれが採用になったからと言って文句を言うことはなかったのでしょうけど.
今回のエンブレムが使用中止になったというのは,素直に喜ぼうと思います.
んで,スポーツのこと,ちょっと本気で考えてみないといけない時期ですね.