2015年12月31日木曜日

学生の成長をみる

大晦日ですね.
今年最後の記事ですが,ゆるい記事をひとつ書いていこうと思います.
ゆるい軽い短い記事を増やすつもりだったのに,結局記事数は増やせませんでした.
来年への課題です.

さて.今年の帰省は新幹線でした.
本当なら飛行機での移動が楽なのですけど,今年の帰省は年末の予定が読めなかったので12月まで引っぱっていたこともありチケットをとれず,昨年に味をしめた新幹線「グリーン車」も予約が間に合わず,最初から最後まで自由席ということに.
安いには安いのですけど,案の定,新幹線は立ち乗りということになってしまいまして.
ところがそこは長距離移動については百戦錬磨の私です.
うまいこと位置取りをして,キャリーケースに座って読書しての東京・岡山.それほど疲労せずの到着です.
そこからは四国方面に特急列車で向かうのですが,愛媛で仕事をしている弟の自動車と合流するため松山行の特急「しおかぜ」に乗ります.

そこで偶然にも前任校の卒業生と一緒になりました.
メールに「先生,今,しおかぜ乗ってません?」って.で,慌てて辺りを見回したらその卒業生がいたのです.
聞けば「私も帰省です」とのこと.彼女は実家が松山なので,同じ特急しおかぜに乗っていたのですね.

感慨深いものです.
彼女は私が大学教員を始めて最初の学生です.
18歳の学生ってこんなものかなぁ,って思いながら暗中模索していた頃を思い出します.

当時のブログ記事を読み返してみました.
但馬國:ローアングルで写真を撮る日々
に出てくる,ローアングルでの写真を依頼してきたのがその卒業生です.当時1年生.懐かしいですね.
もう6年になるのかぁ.

この人には学内のいろいろなイベントの学生スタッフをお願いすることも多かったので,よく知る間です.
いやいやながらも引き受けてくれる頼れる人でした.

いやぁ~,いい女になったなぁ,って.ホントそう思います.
決して厭らしい意味ではありませんよ.
たしかにエロい雰囲気は当時のまま保っていたものの,大人になったし,話し方もすっかり社会人です.こうやって成長していくんだなぁって微笑ましくなります.

いい男になった奴もいます.
今年,私の研究室で卒業論文を書いている学生です.

3年生までは目立たなかったし,成績も悪いし単位もギリギリ,体育会だけ頑張ってます的な学生だったのですが,「単位が危ないから」という理由をつけて卒業論文を書くことにしたのです(本学は卒業論文は選択制なので).

「単位が危ないから」と言いながら履修してきましたが,私はこれでも「卒業論文学生」,つまりは「3・4年生」を見るのも10年になりますから,そうした言動の真意を推し量ることができるようになっています.
彼の場合も,他の少なくない学生のように「研究をする楽しみ」を見出したのです.
「単位が危ないから」というのは彼なりの照れ隠しです.

この手の学生に多いのは,周りの友人は面倒臭がって「卒論」を履修しない奴が多いので(たいてい体育会系),そんな中でもあえて「卒論」を履修しようとする自分が恥ずかしいのですよ.「えっ,お前なんで卒論なんか書くんだよ.めんどいじゃん!」って言われるから.
だから「単位が危ないから」などと履修理由をこじつけようとするんです.
(私自身も素直に「卒論がやりたい」と言えずに始めていた一人なので余計に分かります)

こういう学生は,本人は至って苦労して論文を書きますが,意義や楽しみを見出しているので,そのプロセスや出来栄えの質が違います.
実験・調査で良い結果(「きれいな結果」とも言う)が出なくとも「良い論文」を書きます.
面白くない論文が出来るかもしれません.けど,本人の力は確実にアップしているものです.
卒業論文とは,華やかな出来栄えのものを作ることが目的ではなく,学術的なモノの見方を鍛えることにその意義があります.

実際,彼の卒論研究は山あり谷ありでしたが,彼の「モノの見方」を鍛えることにはつながったと思います.
※これについての細かいことは,
これが身につけば大学卒業
を読んでください.

そんな彼は「本学らしい学生」の一人に選ばれてしまい,来年の大学パンフレットに載ることになりました.体育会活動も研究活動もこなし,就職も「本学らしいところ」だったということが採用理由とのことです.
「僕,勉強やる気ありませんよ」っていうオーラを出していた3年生の頃からすると見違えるようです.
こういうのがあるから大学は面白いのです.

では,2015年も残すところ僅かとなりました.
良いお年をお迎えください.

2015年12月23日水曜日

そう言えば,自転車取り締まり強化の影響はどうなった?

今年の6月1日から自転車運転の取り締まりが強化されていました.
その時の動きはコチラを参照→警察庁:自転車運転者講習制度(PDF)

なのでその影響について記事にしたこともあります.
自転車の取り締まり強化後,一週間
そこでの話を要約すれば,
「道路整備をせずにルールだけ強化しても無意味だし,むしろ,自動車・バイク側の意識が変わっていないのに自転車を車道に出すよう指示したら,逆に重大な死亡事故が増えるのではないか?」
ということを書いておりました.

先日12月21日に,平成27年11月末時点での交通事故統計が出たこともありますので,ここらへんで一度自転車の取り締まり強化の影響を見てみたいと思います.
その統計資料があるページはこちら→警察庁:交通事故統計(平成27年11月末)

この11月末時点での統計を見てみますと,やっぱり6月の記事で気にしていた結果となっていましたので図表を見てもらいながら説明していきます.

まずは全体像から.
以下は今年の11月末時点での各月の交通事故統計です.


自転車取り締まりを強化した6月以降を青字にしています.
これは交通事故全体の統計ですので,ここから自転車事故のことを推測することは難しいことを差し引いて見ることになるのですけど.
上図を見て真っ先に目に留まるのは「6月の死者数の大幅低下」であり,続く「8月の死者数の大幅増加」ですね.なんだか6月に始まった取り締まり強化の影響のようにも思えます.

ですが,実は死者数が前年同期比で±30くらいするのは通常の揺れ幅のようで,例えば昨年の交通事故統計から作った以下の図を見ても分かるように(青字のところが26年度データと,その前年同期比),


これは特別な増減ではないことがうかがえます.
逆に,今年は交通事故における死者数は全体的には前年と同じように推移している年と言えるでしょう.

さて,では今年の死亡事故の内訳ですが,以下のようになっています.


「状態別」というのは,死亡した人が「◯◯している状態の時の」という意味です.
このデータはここ数年ずっと変化ありません.死者数のほとんどが自動車乗車中か歩行中かなのです.

今回気にしているのは「自転車に乗っている時」なのですから,そこに焦点を当てたデータがこちら.
自転車乗用中の年齢層別死者数について,各年で比較したものです.


ご覧のとおり,自転車事故のほとんどは「高齢者」でして,その傾向はずっと変わっていません.
そして気になるのは,今年はその高齢者が前年と比べて増加していること.
もちろん平成18年〜19年の時のような前例があるので一概に言えないのですが,ここ10年間ずっと減少傾向にあったところからの反転というのは気になるところです.他の年齢層にはそのような傾向はみられないのですから.

これはもしかすると,以前の記事でも危惧していた,
「道路整備をせずにルールだけ強化しても無意味だし,むしろ,自動車・バイク側の意識が変わっていないのに自転車を車道に出すよう指示したら,逆に重大な死亡事故が増えるのではないか?
ということが現実になったのではないかと考えさせられます.

たまたま高齢者の事故が増えただけで,取り締まり強化の影響ではないのでは?
ということも考えられますので,その点を詳しく知りたいところですが,残念ながら年度途中の統計データでは詳細なところまでは考察できません.

そこで,それを類推するためにこちらのデータを見てみましょう.
以下は,死亡事故における「第1当事者別の事故件数」をグラフにしたものです.
第1当事者というのは「事故の責任が重い方」のことです.
当たり前ですが,自動車が圧倒的多数になります.事故を起こしても,相手が地球か建造物,もしくは同じ自動車でない限り自分が死ぬことはないので,第1当事者は免許も必要な自動車が多くなるわけです(同じように免許が必要な二輪車ですが,利用者数が少ないのでこういう結果になります).

そもそも交通事故全体が減少しているので,推移を見るには生データでは難しいようです.なので,生データについてはグラフではなく表にしてみました.


おや? 前年同期比で気になる動きがありますね.自転車と歩行者です.
そこにスポットを当てるため,比率で比較することにします.
平成17年を基準にして,そこからの変化の様子を表したのが以下のグラフ.

ご覧のように,交通事故全般が減少傾向にあることが分かりますが,歩行者もさることながら,自転車事故が今年は飛び抜けて増加しているように見えます.

歩行者は平成24年から増減にバラつきがある中での今年ですが,自転車はここ数年安定している中からの急増です.

つまり,自転車事故において「自転車側に過失が大きい死亡事故」が今年は急増していると考えることができるのです.

これってようするに,
自転車運転の取り締まりを強化した結果,
自転車が違反したことによる死亡事故が増えた
ってことですよね.
それってどうなの?というところですが.

その一方で,こういう見方をすることもできるでしょう.
取り締まりを強化したのだから,つまりは自転車側に責任が重くなるような事故が増えたんだろ?ということです.

ですが,そうはなりません.
なぜなら,今年6月から始まった自転車運転の取り締まり強化というのは,取り締まりを強化したのであって,運転の仕方やルールを強化したわけではないからです.
いわゆる「危険運転者に対する安全講習の義務化と,その違反者への罰金」というやつですね.交通事故における自転車側の責任が重くなったわけではないのです.

ということで,自転車運転の取り締まりを強化したのに自転車運転違反による死亡事故が増えたというのは,かなり気になる話なのです.
気になるっていうか,やっぱり現実に即していない取り締まり強化指示だったのではないかと思えてなりません.

これまでの話をまとめると,つまりこういうこと.
「自転車運転の取り締まり強化」という社会的な動きによって,自転車を運転する者(なかでも特に「高齢者」)の行動変化を促し,それが結果的に死亡事故を増加させることにつながった」
何がどういう行動を促したのか? といった憶測については,過去記事で述べているので,そちらをどうぞ.

とは言え,より詳細なデータ分析をしないと憶測でしかないので,今年の交通事故統計が出た時にまた記事にしたいと思います.


上記の「憶測」に至る細かい話については過去記事をどうぞ.
自転車の取り締まり強化後,一週間
追記:自転車の取り締まり強化後,一週間
「自転車は車道を走らない方が安全だろう」


2015年12月12日土曜日

俗物が俗物から遠ざかるには

前回の記事
俗物が俗物らしくしちゃダメ
に対し,反論したい人もいるでしょう.
「お前,何様のつもりだ.そう言うお前だって,福田恆存を引いて俗物を語ってるんだから,立派な俗物じゃないか」
と,そんな声も聞こえてきそうです.

そうです.そうなんです.
が,その記事でも書いたし福田恆存も「俗物論(国家とは何か)」で言っているのですが,「人は皆,俗物」なんですよ.
あとは,どれだけ自分が俗物であることに素直か,そこが問われるのです.

これはちょうど,「男は皆浮気するもんだ」という主張に対し,「お前,何様のつもりだ.そう言うお前だって男だろ」と反論したい人が現れるようなものなのですが,そんな反論に意味がないのと一緒です.

男は皆(女もかもしれないけど),何かしら浮気心があるものです.そこで問題となるのは,どんな浮気をしてしまうのか,どこまで浮気してしまうのか,といったことに醜さや劣悪さがあるということでして.
前回の記事で言いたかったことに戻れば,俗物にも「素直な俗物」と「醜い俗物」があって,昨今の様子を眺めてみれば,保守派,ネトウヨとされる人々に散見されるのは「醜い俗物」だということなのです.

奥さんや彼女がいるのに,他の色っぽい女性や艶のある素振りをする女性を前に,クラクラっときたり遊び心が芽生えることがあります.「あぁ,俺って浮気もんだなぁ」と感じながらも,しかし(私のように)実際には何もしない男もいるでしょう.これは素直な浮気者です.
自分に浮気心があることを認めつつ,それをコントロールしているわけです.

その一方で,そんな女性を前にしたら我慢できずに途中下車,だけならまだしも人生の終着駅まで向かう浮気者もいます.これが醜い浮気者です.
しかもこういう浮気者はえてして「そもそも男は浮気するもんだ.その武勇伝が男の勲章なんだよ」なんて言い出すこともあります.そういう居直った態度の恥知らずな男が,昨今の保守派,ネトウヨだと言ってよいでしょう.
俗物であることを恥じず,俗物であることに居直るというのはこのことを指します.

これはちょうど,『大衆の反逆』でオルテガが述べている,
愚か者は,自分を疑ってみない.自分が極めて分別があるように思う.ばかが自分の愚かさのなかであぐらをかくあの羨むべき平静さは,ここから生まれるのである.
という文言を思い出させます.
福田氏は「俗物論」によって大衆論を展開しているのかもしれません.

さて,ここまで読んできて,
「で? いろいろ偉そうに言ってるけど,結局,俗物から遠ざかるにはどうするんだ?」
って聞きたくなった人は,明白なる「醜い俗物」です.ご愁傷様です.

でも敢えて言うなら,こういうこと.
人は皆,どこかしらに俗物根性を持っています.それが思わず表出することもあるでしょう.
けれど,素直な俗物であればそれを「あぁ,俺って俗物なんだなぁ」と受け入れて,なんとか俗物ではないようにと自らの俗物根性を抑えこむ努力をするでしょう.
次々と現れる自身の俗物根性に対し,それに負けじと我慢し続けることが俗物から遠ざかることになるのです.

そして,自身の俗物性を認めることができる人というのは,
自分の劣弱性をよく知っていて,すなおにそれに寄りかかっている.じつは,その「すなおさ」こそ俗物根性からもっとも遠いものなのである.「すなおさ」とは,つまり,自分がいるべき処にいるということ以外のなにものでもない(俗物論:福田恆存)
ということのようです.
さらに福田恆存は『人間・この劇的なるもの』でこうも述べています.
真の意味における自由とは,全体の中にあって,適切な位置を占める能力のことである.
と.

PS.
こういった理屈からすれば,たぶん,酷い浮気をする奴,女遊びが派手な奴やそれを自慢したがる奴に,まともな保守思想を持った「素直な俗物」はいないということをも意味します.
たぶん,これは当たっているはずです.


福田恆存の「俗物論」が掲載されているのはこちら.


その他


2015年12月10日木曜日

俗物が俗物らしくしちゃダメ

最近出た本に,適菜収 著『ミシマの警告 保守を偽装するB層の害毒』というのあるんですけど,その第一章が「なぜ保守派はバカが多いのか」なんです.

思わず声を出して笑いました.
私も最近そんな記事を書いていたからです.
なぜ右翼・保守的な言動をする人にバカが多いのか

なんというシンクロ.
さすがに適菜氏は丁寧に考察されていて,なぜ右翼・保守的な言動をする人がバカなのか詳細に論じられています.

で,なぜ保守にバカが多いのかというところですが,それは逆なんです.
適菜氏も論じているところですが,保守にバカが多いのではなく,バカだから保守になるのです.
私はこれについて,「バカだから保守を“選ぶ”」という表現を使わせてもらいたいと思います.
“選ぶ”とはどういうことか,ってのを書いた記事が,
コピペ・レポートの行き着く先は
なので,そっちも暇だったら読み返してみてください.

もちろんちゃんとした「保守」の思想を抱いている人もいるのですが,街角でよく目につく保守,「この人は保守だ」と評価される人,そうして保守派から持ち上げられる人の大多数には「残念な人」が多いというのが現状です.
その大ボスが現在の日本国首相です.

さて,この「バカだから保守を選ぶ」という点について,非常に興味深い考察をされている本を見つけました.
福田恆存 著『国家とは何か』の冒頭に「俗物論」というのがあります.
「あ〜,これこれ.これが言いたかったんだよ」って感じでめっぽう面白く,何度も読み返している今日このごろです.

これを読んでいて思うのは,現在の日本の保守派っていうのは,つまりは「俗物」なんだな,ということです.それも酷く劣悪な俗物です(福田氏によれば,ほとんどの人は俗物であり,あとはどれだけ俗物であることに「素直」なのかが問われるのだという).
なので,「現在の日本の保守派にはバカが多い」というのは下品な言い方になりますので,もっとやさしく,「現在の日本の保守派には俗物が多い」と表現したほうがいいのかもしれません.

結論から言えば,福田氏が言う俗物とは「世間に対する自己の関係に不安を感じ,その不安を解消するために,劣弱な自己を拡大修飾して現実の自己以上の見せかけをつくろうとする」人のことだそうです.

俗物は常に人の目を気にします.自分がどれほど特別で特徴的な存在であるかを他人に意識させたがるのです.
東京などの中央に住んでいる俗物は,田舎者に対して自分が優越的立場にあることを静かに宣言したがります.決して露骨に見下しませんが,「なんだかんだ言って,実は東京が一番田舎だったりすんですよ.ハハハ(笑)」などと愛想よく標準語で話すのが中央型俗物だそうです.

それに対し地方型俗物は,自分が旧名家とつながりがあることや家柄の良さ,住んでいるところの歴史的意義を誇ります.つまり過去の優位性で自己の威信を保とうとするのだそうです.
地方型俗物はお国自慢をしながらも,自分がどれだけ中央に近いかを自慢します.つまり,東京で仕事をしたことがある,東京の有名人,政治家,役人と会ったことがある,関係が有ることをその他の地方民に自慢したがります.

この地方型俗物を国際的にみれば,国際型俗物になります.
国際型俗物は,愛国心を大事にしてお国自慢に精を出している一方で,自分がどれほど国際的なのかを自慢します.海外で仕事をしたことがある,海外の有名人,政治家,役人と会ったことがある,関係が有ることを国内の者に自慢したがります.

趣味にも同じことが言えます.
誰もが認めるポピュラーな趣味に取り組むことで,誰もが認めるポピュラーな人間であることを他人に意識させたがるのが趣味俗物です.分かりもせず分かったようなふりをする俗物がはまるのが酢豆腐俗物.そうした酢豆腐俗物に嫌気が差して,「分からないものは分からなくていい」と居直って,それだけにしてればいいものを,「俺が分かるものが良いものだ」とポピュラーな趣味を嘲笑し,少数派である自分の趣味に優越感をもつのが没趣味俗物.

これが職業になれば,勤務先や職位・地位にこだわりをみせる俗物がいる一方で,そうしたものに一切興味がないことをわざわざ宣言する俗物など,いろいろな亜種が現れます.

こうしてみますと,現在の日本社会がおかれている状況というのは,それぞれの俗物が俗物であることを隠さず跋扈している状況であることがわかります.
ようするに,自分が俗物であることへの諦めを通り越して,別に俗物でいいじゃないか,むしろ俗物であることが良いことだ,というふんぞり返った態度をとっている奴が多いということです.

で,そんな態度で政治や評論した結果,保守派は俗物ばかりになってしまった,そう思うのです.
かつて,左翼的言論が一世を風靡していた頃があったそうです.これに対し,少なくない大衆や評論家が「アンチ左翼」という点で自己の優位性や特別性を見出すという俗物根性を発揮した結果,俗物保守が誕生しました.

それゆえ,俗物保守派は俗物らしい思考パターンにその特徴があります.
俗物は国旗国歌が好きです.なぜなら彼らが俗物だからです.
俗物はTPPや集団的自衛権が好きです.それは俗物だからです.
俗物は競争と淘汰が好きです.俗物だから仕方ありません.

地方を活性化させるとか言いながら,中央の都合で政策を進めたり.
愛国心を声高に唱えながら「もはや国境や国籍にこだわる時代は過ぎ去った」と言ってみたり.
デフレ脱却,一億総活躍を掲げながら労働力確保のため移民を入れようとしたり.
地方都市なのに都構想と言ってみたり.

いずれも,酷い俗物をこじらせた者ならではの着想です.
まあ,とにかく破茶目茶なことがまかり通るのも,俗物が俗物であることを恥じなくなったからではないか.
福田恆存の俗物論を読んでいると,そう思わされています.


今回の話題について,詳しくは以下の書籍をどうぞ.