2016年3月9日水曜日

大学のこれから(6)

「こういう大学組織・教員連中がはびこる大学に将来はない」というテーマで進めている第6回目.

今回のツボはこれ,
「これからの大学は」という話が好き

こんな大学の教員は危ない part 2
において紹介したものを,もう少し詳細にしたいと思います.

「まさにこれまでの一連の記事そのものじゃないか.そういうお前が「これからの大学の話が好きな教員だろ」と捉えられるかもしれませんが,これは明確に違います.

私は「大学のこれからは,こんな感じになってしまうでしょう・・」という厭世的な捉え方をしているのですが,一方の「これから大学は・・」という話が好きな人というのは,私が「こんな感じになってしまうでしょう」と批判していることを現在進行形で邁進している人達のことです.

「こんな大学の教員は危ない part 2」の抜粋を以下に示します.
(4)「これからの大学は」という話が好き
これからの大学はグローバル,これからの大学は企業の要望とのマッチング,これからの大学は新しい顧客を創造する,などとテーマを用意して好き放題に話したがります.
とてもじゃないですが,一個人が「これからの大学」について論じられるとは考えられません.が,それをやろうとする身の程知らずな教員がいます.
案の定,「これからの大学は・・」というその実,自分が定年を迎えるまでの限られた時間内において,自分にとって都合のいい状況を作り出そうという魂胆からの発言でしかなかったりします.
もしかすると企業や役所などでもそうなのかもしれませんが,こういう手合には意外と御高齢な方々が多いもので.
定年の見えてきた自分たちが,この組織に対し何かをやったという満足感を得るために発言したり取り組んでいるように思えてなりません.迷惑な話です.
「これからの大学はこうあるべき」そんなことを威風堂々と語れるほど,人間は優れた生き物ではありません.
彼らが言う「こうあるべき」という主張とは,所詮は語り手である己の都合なのですから.

前回の■大学のこれから(5)で取り上げた「大学のグローバル化」にしたってそうです.
これについては,■スーパーグローバル大学という舞台を斜め下から覗いてみると でも解説しておりますので,そちらからも引用しておきましょう.
結局は自分の首を絞めることになるのに,なぜ「これからの大学はグローバル化を推進しなければ」と思っている教員が存在するのか.以下が上記記事からの抜粋.
1)それを正しい大学改革の方向性だと信じたい研究肌教員の「頼みの瀬」
これまでの大学改革は「教育に力を入れる」という点を強調して各大学粉骨砕身しておりました.とは言え.何をもって教育に力が入れられているのかという判断は難しいものです.
勢い,授業評価アンケートや就職率とか,つまり学生の満足度などというものを優先する経営方針が実践されておりました.それは特に「研究肌教員」からすると我慢ならない,お子様ランチ的な大学運営だったのです.
大学はそんなところじゃない.研究が大事なんだ.大学はもっと研究者を優遇するべきなんだ.という不満が研究肌教員には募ります.
そこに現れたのが,「俺達は国際的に活躍しているんだ」と自負する彼らの自尊心をくすぐる「スーパーグローバル」です.
(中略)
2)教育研究に自信はないけどオーラル英語に自信のある教員の「最後のバッターボックス」
(中略)
教育をやらせればチャランポランで学生からの評判も悪く,おまけに研究もろくなことをしていない.そんな感じで無常にも時は経ち,箸にも棒にもかからない人物になってしまって学内では肩身が狭い思いをしている教員というのが一定数いるんです.
(中略)
難しい話ではありません.ようするに世間と大学が「スーパーグローバル」という舞台を用意してくれたおかげで,それまで彼らを「無能」と嘲笑していた研究肌教員に対しては,
「読む英語,書く英語ではグローバル人材は育てられないぞ.グローバルに活躍するためにはコミュニケーション能力が大事なんだ(ドヤァ」
と反論できるようになります. また,これまで彼らを「無能」と見下していた教育力ある教員に対しては,「英語力がこれからの時代は大事なんだ.それが新しい時代の教育力なんだ(ドヤァ」
と逆に見下せるようになった,ということなのです.
少なくない大学教員は,大学教員とは言え「大学とは何か」ということを考えずに“就職”してサラリーマンをしています.
そんな彼らを否定するつもりはありません.
政治家にしたって僧侶にしたって,誰もが「政治とは何か」とか「宗教とは何か」と考えているわけではないのと同様です.
もちろん己の仕事の存在意義を哲学することは重要なことですが,それを全ての者に期待することはできません.

ではどうすればいいのか?
どうもしないことです.
「大学とは何か」ということに思惟が及べば,大学の存在意義や使命を壊すようなことはできません.
大学とは何かに思惟が及ばないのであれば,そんなことに口出しするべきではありません.大学とは何かを考えもせず,「これからの大学はかくあるべき」などと言うのは害悪でしかない.
それは自分の都合で「大学」というところをかき回すことになるのですから.

だから,どうもしないことが肝要です.
強いて言うなら,どうもできないような仕組み作りや啓蒙が大事なのでしょう.

これからの政治家は,芸能人であるべきだ.元俳優,元歌手なら知名度があるから選挙に勝てる.実力なんて二の次.まずは選挙に勝つことが政治でしょ.選挙に勝てなきゃ政治ができないんだからね.

多くの方は,そんな政治はダメだと思うでしょう?
だけど,そうしたことを「たしかにそれも一理ある」なんていう世論が大勢を占めてくると政治の崩壊です.
むしろ,今そうなりつつあるからこれを例に出したのですけど,その仕事の存在意義や使命を壊すような「これからの◯◯」論は極めて危険なのです.何にしてもそう.

大学も一緒です.
「結局は自分の首を締めることになるのに・・・」と上では申しましたが,私はこの時の「自分」とは,「大学」のことを指したつもりです.
しかし,少なくない大学教員は,大学を「自分」だと考えていません.だから簡単に「自分(大学)の首を締めること」に賛同してしまいます.
どこまで行っても「大学を使って自分にとって都合の良い状態を作り出そう」とするのです.

大学の社会的役割,そこでの成績評価方法,教授方法,人事,そういった大学の根幹に関わるものに手をつけることは,極力避けなければなりません.
それに手をつけることを許すと,際限なく「誰か」の都合のために動くようになるからです.
それでもちょっとずつ変化していくでしょう.ですがそれは「変わってしまう」のであって「変える」のではありません.

なんのことはない.
既に,大学自体がこの国(政府)の都合のために動かされている状態にあるのですから.
それはもはや大学ではない.大学という名称のついた教育プログラム提供所です.

こんなこと言うと,
「以前の記事では,『大学はその国のために存在する』と言ってたじゃないか.大学はその国のために役立つべきだ.国の方針に従うべきなんだ」
とおっしゃられるかもしれませんが,これについては,
「バ〜カ!」
とだけ言っておきます.


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