2016年5月31日火曜日

停戦命令が出た後で

これまでウヨクの話が続いていましたが,少し離れてみたいと思います.
ウヨクの人でもちょっと興味があるかもしれない,太平洋戦争(大東亜戦争)でのエピソードです.

私の母方の祖父は,生きていれば110歳になっています.
今から70年前の戦争中は海軍で各地を転戦していたそうです.
戦争の話はほとんどしない祖父でしたが,たまに思い出したように話すことがありました.
今回はその話の中の一つをしたいと思います.お暇でしたらお聞き下さい.
停戦命令,いわゆる8月15日の玉音放送が出た時のお話です.

祖父の家には海軍時代の写真が飾ってあります.30代半ばの頃でしょうか.
今の私にそっくりなんです.祖母もそう言います.
当時,祖父はめちゃくちゃモテたそうです.私も生まれた時代が違えばモテたのでしょうか,残念でなりません.

祖父は戦闘艦の魚雷を撃つ担当で,下士官をしていたそうです.
私もあまりその辺は詳しくないので確かなことは言えませんし,当時の状況をよく知らないのですが,たぶん「水雷士」っていうポジションでしょうかね.
詳細はこちらを参照下さい→■護衛艦(wikipedia)

巡洋艦とか駆逐艦とか,あと潜水艦.そんなのにいろいろ乗っていたそうです.
話を聞いてる中で唯一艦名を覚えているものとしては「衣笠」という巡洋艦です.
衣笠(重巡洋艦)(wikipedia)
元広島カープで野球解説者の衣笠祥雄と関連付けて覚えています.

いよいよ切羽詰まってきたことを感じる1945年・夏.
戦闘艦の乗組員も「もう自分の命は短いだろうな」という雰囲気が漂っていたそうですよ.
でも,そんな中でも九死に一生を得ることもあるわけで.

長崎の軍港に補給と修理に戻っていた時のことです.
修理が完了するまでまだ日があると思ってゆっくりしていたところ,あっという間に召集がかかります.すぐに出港とのこと.
なんでまたこんなに早くに出港するのかと港の者に問うと,「修理するための資材がないから,とりあえず港を出てほしい」ですって.
「あぁ,これが私の最後の出撃だ」と,そう思ったそうです.

で,祖父たちが港を出たすぐ後,その長崎を襲ったのがあの原子爆弾です.

これが最後の出撃だ・・・,それは別の形で本当になりました.
たしか,対馬に近い海域をうろちょろしていた時のこと,停戦命令が届いたんだそうです.これが8月15日.

もちろん,停戦命令が出たからといって,それにホイホイ従う人たちばかりではありません.
停戦命令が出た後も戦闘を続ける人たちは各地にいました.
これの詳細は→■日本の降伏(wikipedia)

有名どころとしては,
宇垣中将の特攻
■停戦後に参戦してきたソ連との占守島の戦い
などです.

とは言え,この時の日本軍は陸海ともに壊滅状態だったので,停戦命令はすんなり広がりました.とても戦闘を継続できる状況じゃない,というのが実情だったのでしょう.
なお,戦闘が終了し,日本が降伏したのは9月2日のことです.

さて,沖へ出ている戦闘艦内での人間模様は複雑で,停戦命令が出てもそれに「納得」して港へ引き返す艦長・乗組員ばかりではなかったようです.
祖父が乗っていた艦内も同様でした.

このまま港に帰還するか,戦闘を継続するかで艦長以下,士官の人たちは迷ったそうです.
艦内でも「いっそのこと,この船で特攻しよう」とか「まだ戦闘を続けている船もあるというのに,俺たちだけ帰っていいのか」といった意見がぞろぞろ出てきてしまう状態.

そこで艦長は,祖父を含む各部署の長を集めてこう聞いたそうです.
「この船をどうするか,もう一度集まって各自の意見を聞きたい.それまで部署に戻って船員たちの意見も聞いてきてほしい」

今になって思うとこの艦長,かなり弱腰(?)で優柔不断(?)だなぁと感じるのですが,それだけ悩ましい問題だったのかもしれません.
停戦命令が出たから,これで堂々と生きて帰れるけど,じゃあこれまで戦ってきたのはなんだったんだ.総玉砕を掲げて進んできたのに,このまま帰るのは許されるのだろうか?もしかすると,ノコノコと港に帰ってくるのは自分の船だけかもしれない.だとすれば,なんと恥晒しなことか.
そういう極限状況にあったのかもしれませんね.

祖父が戻ったのは「魚雷部署」っていうんでしょうか.そこでは議論がもめにもめたそうです.
で,結局結論は出ず.
そして再度,艦長や士官たちと向き合う時間になります.

祖父は「港に帰る」ことを勧めたそうです.
もちろん「それでも海軍人か!」などと文句を言う士官もいたそうですが,同じように「港に帰る」ことを勧める士官も他にいたし,そんな喧嘩腰の場でもない.
最終的には,「港に帰る」ことになりました.

むしろ,部署に戻ってからの部下の説得が一苦労だったとのこと.
「なぜそんな結論になったのか,やり直してください」「どうして帰ると言ったんですか」「これでは天皇陛下に申し訳が立ちません」と,いきり立って暴動が起きかねない状況.

だから祖父は,
「生き延びることができたお前が,天皇陛下をお支えしろ」
「復興に尽力することが,天皇陛下への忠義だ」
(正確ではありませんが,そういう趣旨のことだったはずです)
といって怒鳴りつけて幕引きをはかったそうです.

同じような話を,祖父を訪ねてきた戦友だという方からも聞きました.
その方いわく,当時は祖父のことを恨みながら帰還したけど,今となっては感謝していると話していました.

この話を聞いている私は,小学生ですよ.
子供にこんな話を聞かせて理解させるつもりはないのでしょう,独白だったのかもしれない.

今になってこの話を思い出してみますと,直接聞いていた頃に感じていたこととはだいぶ違った受け取り方になります.
あの戦闘艦内で悩みぬいた方々の想いを,今この国はどれだけ反映しているでしょうか.そんなふうに思うのです.


2016年5月30日月曜日

ウヨクの知能を諦める(愛国心教育編)

「ウヨク」シリーズの第3弾.
なぜ「ウヨク」とカタカナ表記しているのかについては,前回までの記事をご覧ください.
ウヨクの知能を諦める(移民政策編)

とは言え,ウヨクについて簡単に述べておくと,同じく左翼のカタカナ表記である「サヨク」の定義を参照し,私なりに以下のように定義しています.
一般的には右翼思想及び新自由主義体制または国粋主義にシンパシーを示すが、正面から右翼・保守思想を考察することはなく、「自己責任・愛国心・皇室・世界ランキング」といった俗物根性をくすぐる事象に乗っかって活動する思想・立場のこと。
より簡単にいえば,ウヨクとは「悪性の俗物」です.
なお,俗物に関する詳細は■俗物が俗物らしくしちゃダメをご覧ください.

今回は,「愛国心教育」についてお話します.
ご案内のとおり,ウヨクは愛国心教育を推奨します.
「学校とは愛国心を育てるところである」と考えるウヨクもいるくらいです.
愛国教育を学校で行って何が悪いのですか?(Yahoo!知恵袋)
微笑ましいですね.

ウヨクいわく,日本の学校は愛国心教育を怠ってきたため,日本人には愛国心がないのだそうです.
ではなぜ,愛国心教育を怠ってきたとされる現代の学校を卒業しているウヨクが「愛国心」なるものを持つに至ったのでしょうか?
考えられることは3つ.
1)愛国心教育を受けなくても愛国心は育つから
2)ウヨクはまじめに学校で勉強していないから
3)実はウヨクは愛国心を持っていない

全部正解ですが,当該設問において妥当なのは3番です.
ウヨクの言う「愛国心」とは,国を愛する心ではありません.

では,愛国心でなければ何なのか?
それは「俗物根性」です.

福田恆存 著『国家とは何か』の冒頭に「俗物論」というのがあります.
福田氏が言う俗物とは「世間に対する自己の関係に不安を感じ,その不安を解消するために,劣弱な自己を拡大修飾して現実の自己以上の見せかけをつくろうとする」人のことだそうです.
これは「ウヨク」のことを指しています.

俗物は常に人の目を気にします.自分がどれほど特別で特徴的な存在であるかを他人に意識させたがるのが俗物です.
俗物であるウヨクは,自身の俗物根性を「愛国心」だと偽って大見得きっているに過ぎません.

愛国心教育の典型が,学校での国旗国歌の扱いです.ウヨクは,愛国心を育てるために学校できちんと国旗国歌について教えるべきだと論じます.
いえ,このことを否定するわけではありません.日本人としての基礎知識,一般的行事としての振る舞い方,そして国際社会において「国旗国歌」がどのように扱われているのかを教えるためには必要でしょう.
ですがこれは教養であって愛国心とは関係ない.国旗国歌を教えたからといって,健全な愛国心が育つわけないじゃないですか

ではなぜウヨクは愛国心を育てるために国旗国歌を教えようとするのか.
それは,国旗国歌の存在が彼らの俗物根性をくすぐるからです.
「国」を象徴する国旗や国歌を奉ることによって,その「奉っているモノ」の一員である自分を特別な存在だと感じてほしいと願う.これがウヨクと国旗国歌の関係です.

若い女性とケーキ屋さんに行くと,彼女たちはショーウィンドウに入っているケーキを指さし「わぁ〜,ほらほら見て見て,カワイイぃ!」などと言い出します.
ケーキがカワイイわけがない.
これは,こんなケーキごときを「カワイイぃ!」と評している私のことがカワイイでしょ,という意識的ないし無意識的アピールです.
最近はオバサンもそんなことを言い出すようになりました.歳と顔を考えてもらいたいものですね.
ウヨクが国旗国歌を奉るのもこれと一緒です.

極端な話,国旗国歌に反対していようとも「愛国心」がある人はいるでしょう.彼らには彼らなりの「理想的な日本」があるからです.
愛国心があるゆえに,そして現状,理想的な日本じゃないがゆえに,いろいろと文句を言うのが「サヨク」や左翼です.
私はそんな彼らに一切のシンパシーを感じませんが,それはそれ.

国旗や国歌がどのような扱いを受けようと,国を愛する心とは関係ありません.

勤めている会社の社章や社訓・社歌が嫌いでも,そこでの仕事や組織まで嫌いになるわけではありませんよね.

さらに,ウヨクは「自虐史観に基づく教育」もダメだと言います.
ウヨクの脳内では,日本は自虐史観で教育するから愛国心が育たないのだそうです.
これも同じこと.自虐史観と愛国心,関係あるんでしょうか?

昔から私はこの「自虐史観はダメだ論」が嫌いでした.
知性の欠片も感じられません.ものすごく恥ずかしい気分になります.
自分たちの歴史を自虐的に見ようと自愛的に見ようと,自国の歴史を感情的に省みている時点で愛国心があると私は思います.
自分たちの国の歴史を知ろうとする.その歴史がどのようなものであったとしても,歴史から学ぼうとする姿勢は愛国心故です.

関東にはホッピーというアルコール飲料があります.
ホッピー(wikipedia)
地方出身者からすれば,全会一致で「まずい」酒です.
先日,ホッピーを飲んだこと無いですと言う岡山出身の先生に飲ませてみたら,露骨に不機嫌な顔をしました.また,九州出身の先生に言わせれば,ホッピーを「旨い」と言っている関東人を人間として信用出来ないそうです.
私もそう.これを飲料だと認める関東人の感性を疑います.
ホッピーとはそういうものです.
でも,関東の人々はこれを「旨い,旨い」と飲んでいます.青春の味なんだそうです.
その一方で,関東の人の中にもホッピーのことを「実際のところ,まずいんだけどね」と言っている人は少なくありません.自虐史観ですね.
けれども,関東人がホッピーを愛する気持ちに変わりはないのです.
これと同じことが愛国心教育にも言えます.

自国の歴史を自虐的に捉えることと,愛国心がないこととはイコールではありません.
ところが,ウヨクは歴史を自虐的に捉えると愛国心が育たないといいます.
ホッピーはまずいですが,これを愛する気持ちとは別です.愛するものが,旨いか不味いかは関係ありません.

自虐史観はダメだと言い,優れた歴史を教える教育を展開しようとするウヨクは,ホッピーの美味しさを無理やり語る関東人のようなものです.鬱陶しいことこの上ない.
地方出身者にとってはどうでもいいことですし,ホッピーがまずいことに変わりありません.まずいものを旨いという必要はない.

まずくても愛飲すればいいのです.なんなら「旨いホッピー」を開発すればいいではありませんか.
え? そんなことするくらいなら他の酒を飲むって? バカ言っちゃいけない.自郷の酒に誇りを持ちなさい.そんなことだから碌な奴が都知事に立候補しないのです.
ホッピーではなく,越乃寒梅や赤霧島を好んで飲む連中が舛添要一を生みました.

自国の歴史に誇りを持つことと,それが良い歴史であると認識することは同義ではありません.
これはなにも「日本の歴史は悪い歴史だった」と言っているわけではなく,自国の歴史観と愛国心に関係がない.もっと言えば,両者を相関させて教育することは,むしろバカを育てることになりはしないかと危惧するところでもあります.

そしてここに,自国の歴史を “誇りたい” というウヨクの俗物根性も垣間見えるのです.
自国の歴史を誇って見せさえすれば,その誇らしい歴史の国の一員である自分を拡大修飾できると考えています.

過去記事でも繰り返していますが,そもそもの話をすれば,その地に生を受けて居住し,生活をしている時点で,当該地を愛さないわけがない.
あとは,その愛し方がどのような形になるかの問題なのです.
わざわざ「愛国心教育」などと企画する時点で,こいつらこそ愛国心が無いのではないかと疑いたくなります.

事実,ウヨクは愛国心教育を推奨するくせに,
とエキセントリックな暴言を吐く首相を「愛国者だ」と礼賛します.
そう言えば,愛国心教育を盛り込んだ2006年の教育基本法改正は,この首相の仕事でした.

彼らにとって,「愛国心」とは心ではありません.
それは得点(スコア)であり,高いほうが優れていると評価されるものなのです.


関連記事
ウヨクの知能を諦める(移民政策編)
俗物が俗物らしくしちゃダメ

推薦図書


2016年5月28日土曜日

ウヨクの知能を諦める(移民政策編)

前回の記事,
ウヨクの知能を諦める(沖縄基地問題編)
でも書きましたが,ここで言う「ウヨク」というのは,「本来の意味での右翼・保守」ではなく,右翼・保守的な意見に寄り添うことが好きな人のことを指しています.
彼らは実質上,右翼や保守ではないのです.

なお,「ウヨク」をネットで調べると,こういう解説がありました.
ウヨク(はてなキーワード)
国家主義的、排外的、好戦的、人種差別的言動や、理想を理解せずに既得権にしがみつく反動的な思考停止状態を揶揄するためのレッテルとして用いられるが、反「サヨク」の立場の表明として自称する例もある。
概ねこれで説明できているとは思いますが,私なりにもう少しこの「ウヨク」について,典型例を交えながら考えてみたいのです.
前回は「沖縄基地問題」,今回は「移民政策」です.

ところで,一昔前からネットを中心として左翼のカタカナ表記「サヨク」が使われていました.
サヨク(ニコニコ大百科)
そこでの説明を引用してきますと,
明確な定義について見解は分かれるが、一般的には左翼思想及び共産主義体制の近隣国家にシンパシーを示すが、正面からマルクス主義的な社会革命を標榜することはなく、「平和・国際協調・人権・民主主義・環境保護」といった口当たりのよいスローガンを掲げて活動する思想・立場のことを言う。
とあります.
私の言う「ウヨク」というのは,その右翼・保守版と捉えてもらって良いかと思います.
つまり,
明確な定義ではないが,一般的には右翼思想及び新自由主義体制または国粋主義にシンパシーを示すが、正面から右翼・保守思想を考察することはなく、「自己責任・愛国心・皇室・世界ランキング」といった俗物根性をくすぐる事象に乗っかって活動する思想・立場のこと。
という説明で良いかと思います.

実のところ,サヨクとウヨクは同じもの.単に時代が彼らを「左翼的」「右翼的」にしているだけのことで,一般大衆の付和雷同する心の現れだという話もしたいのですが,それは今回脇に置きます.

でも,それが証拠に,彼らは中国人や朝鮮人の問題にアレルギー反応を起こすくせに,なぜか現政権が進めている「外国人労働者」の受け入れには寛容です.
受け入れる外国人労働者のほとんどは中国人になる予定なのに.

本来の右翼は,「より安定した社会を目指すための社会制度を支持する層(wikipediaより)」だとされていますから,外国人労働者を増やす移民政策を指示する彼らが右翼ではないことは明らか.

右翼ではない「ウヨク」である彼らにとって,「より安定した社会を目指すための社会制度」よりも重要なのが,ここでは「世界ランキング」と「自己責任」です.
移民を入れなければ世界ランキングが脅かされる.移民で苦労する奴がいるとしても,それは自己責任だ.
つまり,日本が世界ランキング上位にいられるためには,社会的弱者が発生したとしても,自己責任だから仕方ない.外国人労働者を受け入れることの方が,より安定した社会を目指すことになりはしないか?
という理屈を作ります.

だから,自分たちが支持しているリーダーが,
などと「サヨク」を通り過ぎて,ド真ん中直球の「左翼・革新」発言をしても,
「きっとこれが,これからの時代の右翼・保守の在り方なんだ」
「移民国家になることが,これからの時代の右翼・保守政治なんだ」
などと自己暗示をかけてしまいます.

ここに見えるのはウヨクの特性,悪質な俗物根性です.
安倍晋三も悪性の俗物です.
自分の俗物根性の捌け口を,「右翼・保守」という虚像に求めている.それがウヨクなのです.

ところで,俗物とは何かというと,「世間に対する自己の関係に不安を感じ,その不安を解消するために,劣弱な自己を拡大修飾して現実の自己以上の見せかけをつくろうとする」人のことです.
これは私の定義ではありません.福田恆存が言っていることです.
今回の記事との関連が強いので,ご一読ください.

より身近な例にすれば,だんだん体力がなくなってきた男が虚勢をはって「まだまだ俺はバリバリ動けるんだぜ」と言っているようなもの.
歳相応に体力がなくなるのは当然で,体力がないからといって誰もその人の価値を疑ったりなどしませんが,本人はそのことをやたらと気にしてドーピングにまで手を出す.
移民政策はドーピングと言っていいでしょう.

そういえば一昔前,右翼・保守のことを「マッチョ」などと称する左翼系オバサン達がいましたが,これは言い得て妙なのかもしれません.
でも,そういう左翼系オバサン達が求めていたものもまた,「マッチョ」が求めていた「男社会の権力や栄誉」だったのが皮肉でなりませんが.

関連記事

2016年5月26日木曜日

ウヨクの知能を諦める(沖縄基地問題編)

このブログを始めた当初から,何度か記事として取り上げているのが「右翼・保守系バカ」についてです.面と向かって「右翼・保守」を名指しするようになったのはここ数年のこと.
この『Deus ex machinaな日々』というブログに通底しているテーマと言ってもいいでしょう.

そもそも,彼らは右翼や保守ではありません.保守的な意見が好きなミーハーです.ちゃんとした保守思想を持っている人たちと同列にしてはいけません.それが,「右翼・保守」についていろいろな見解にあたった上での私なりの理解です.
毎回「右翼・保守系バカ」って書くのは冗長ですから,便宜上ここでは「右翼・保守系バカ」のことを「ウヨク」と呼称しておきます.

先日,
沖縄基地問題を諦める
と題して,ウヨクの不道徳性を指摘しました.
これについて,もうちょっと詳しく増補しておこうと思います.

よく,「実は,沖縄の在日米軍の犯罪数は少ないんだ」とか「以前よりも減っているんだ」などと言い出す人がいます.
そんなネット記事もあります.
沖縄の米軍属の犯罪の推移をグラフ化して驚く

米軍と沖縄県民の犯罪発生率を計算をしているものもありました.
米兵犯罪は本当に多いのか?統計による比較まとめ
・米軍
検挙数:42件(23年)
軍人人口(軍属含む):25,993(23年が見つからなかったので21年で代用)
・沖縄県民
検挙数:5,058件(23年)
県民人口:1,401,730人(23年)
犯罪発生率は以下の通り。
・米軍
42÷25993×100=0.16%
・沖縄県民
5058÷1401730×100=0.36%
どうやら気が狂っているようです.ご愁傷様です.
「日本人よりも検挙数が少ないから,米軍を沖縄に置いても大丈夫なんだ」などと,本気で言いたいのでしょうか? 耳を疑います.
こんなこと言っている時点で,彼らは「右翼・保守」ではない.ましてや愛国者からは程遠い存在です.

「数値」が問題ないなら外国人を受け入れてもOK.民族の理念や慣習なんて「理性」で考えたらなんとでもなるさ.だって,いつか世界は一つになるんだから.国境や民族なんて関係ない.一人びとりの人間として考えるべきだ.
ということでしょ? これは左翼の発想です.

容易に想像できるかと思いますが,人目を気にする地での駐留軍は規律を保とうとします.犯罪発生率が低くなるのは当たり前です.
それを言い出したら,自衛隊員の犯罪発生率も低いのです.それを紹介しているネット記事もあります.
自衛隊員の犯罪率って高いの? 低いの?

いえ,私はそこを気にしているのではありません.
犯罪発生率が低いんだったらOKじゃん.そんな問題では無いのです.
物事を考える出発点が堕落しています.だからこんな発想になる.

以前の記事でも書いていますが,この沖縄基地問題の本質は,
「外国の軍隊,わけても宗主国の駐留軍人が町を跋扈する中にあって,その地域の文化や経済はめちゃくちゃになる」
のであり,
「外国人が増えてくれば,当然その外国人による犯罪が発生してしまう」
わけであり,
「同胞(日本人)による犯罪よりも,外国人犯罪の方が感情的になりやすい」
ということです.

まともな保守思想,愛国思想を持っている人なら,
「沖縄は大変な状態ですね.日本国として,なんとか是正しなければいけませんね」
と思うのが普通です.
沖縄をアメリカがいいように使っているのを見て,なんとも思わないウヨクが不思議でなりません.

いや,なんとも思わないわけではない.むしろ,
「補助金漬けの沖縄」
「基地があるから成り立っている経済」
「たかり根性がある」
などと思っているようです.人間はここまで腐敗できます.

そのくせ,ウヨクは自分の身の周りの外国人(中国人,朝鮮人)の犯罪については烈火のごとく糾弾します.
極めつけは,日本人が犯罪を起こしても「実はあいつは在日じゃないのか?」などと言い出します.
その時点で「外国人」と「日本人」の違いを自覚しているはずなのに.
沖縄の外国人(アメリカ人)の犯罪については忘却の彼方です.
こういうのを「自分勝手」「外道」「悪魔」「ひとでなし」「人間のクズ」と言います.
決して「保守」とか「右翼」ではありません.

例えば,知りうる限りのデータでは,在日外国人犯罪は以下のとおり.
上述した米軍検挙件数の算出と同じように犯罪発生率(指数)を計算してみます.
データ元はこちら↓
来日外国人犯罪の検挙状況(警視庁刑事局)
平成27年版 犯罪白書()
【2014年外国人データ(一般刑法犯)】
・来日中国人
検挙件数:2,684件
在留者数:427,248人
犯罪発生率:2,684 ÷ 427,248 = 0.63

・来日韓国・朝鮮人
検挙件数:547件
在留者数:83,578人
犯罪発生率:83,578 ÷ 547 = 0.65

【2014年日本人データ(一般刑法犯)】
検挙件数:371,059件
人口:約127,083,000人
犯罪発生率:371,059 ÷ 127,083,000 = 0.29

このように,明らかに日本人の犯罪発生指数が低いということがわかります.
ここまではウヨクも納得してくれるでしょう.「それ見たことか,やっぱり中国人や朝鮮人の犯罪が多いのだ」と.

ですが,これについては様々な反論ができます.

まず,この犯罪発生指数で中国人や韓国人を叩くウヨクの思考パターンですが,以下のようなデータを見たらどうでしょう.
検挙件数を母数人口で割るこの計算方法で,都道府県別に比較してみます.
データ元はこちら↓
都道府県別人口(総務省統計局)
平成27年警察白書:都道府県別刑法犯の認知件数、検挙件数、検挙人員(警察庁)

すると,指数の高いベスト3は,
鳥取:0.48
群馬:0.42
福岡:0.41
(ちなみに,東京は0.35)
となります.
対して,低いのは,
青森:0.19
岩手:0.19
富山:0.19
ということになり,そこには約0.3ポイントの差があるわけですよ.
つまり,上述した中国人,朝鮮人の犯罪発生指数と同程度の差があるのです.

さてでは,「青森,岩手,富山」の人は,「鳥取,群馬,福岡」の人々に対し,
「それ見たことか,鳥取の奴らは犯罪者集団だ」「群馬は民度が低い」「福岡は日本の恥」
などと言うのでしょうか.
そんなことは言わないはずです.
なぜなら,それは同じ日本人だからです.

犯罪発生の指数が高いのには,それなりの訳がある.そう考えて不問に付します.もしくは,この状況をなんとか改善しようと真摯に努めます.
しかし,外国人に対してはそうではない.いえ,私はそれがダメだと言っているわけではありません.彼らは日本人ではないから,ちょっとでも犯罪があれば「日本人」と同じようには考えられないでしょう,ということです.

難しいことを言っているわけではありません.
日本人同士でなら気にならい程度の犯罪発生率の差は,外国人であれば気になってしまう.それは沖縄も本土も同じことなのです.
これは犯罪発生率で片付けられない問題です.
米軍は犯罪率が低いのだから,その駐留くらい我慢しろよという発想がそもそもおかしい.自分たちが左翼だというなら別ですけど.

あと,「近年は米軍による犯罪は減っているんだ」ということについても,それと同様,外国人犯罪も減っています.
「最近は外国人犯罪が増えている」というのは一昔前までの話で,今は減少しています.
来日外国人犯罪の検挙状況(警視庁刑事局)
にそれが示されています.
国籍別の刑法犯検挙件数 H21とH26の比較(警視庁刑事局)2015

でも,だからといって「じゃあ,外国人を国内にたくさん受け入れても大丈夫だよね」ってことにはならないでしょ?
何度も言いますが,外国人犯罪の問題点は,「外国人が犯罪を犯している」という点が一番問題なのです.だから別カテゴリにして集計してるんだし.
外国人は犯罪が多いから問題になるわけではない.これは量ではなく質の問題です.

ところが,まさにここがウヨクの知能を諦めたくなる点で,中国人や朝鮮人の犯罪にアレルギー反応を起こすくせに,なぜか現政権が進めている「外国人労働者」の受け入れには寛容なのです.外国人労働者のほとんどは中国人になる予定なのに.
移民政策は「中国人受け入れ」と同義 これだけある問題点
不思議でなりません.

いえ,彼らは教祖の言葉に従っているだけなのでしょう.
安倍晋三「もはや国境や国籍にこだわる時代は過ぎ去りました」(YouTube)
ウヨクにとって国境や民族なんてのは,「数値」を前にしたらどうでもいいことになってしまったのです.

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2016年5月25日水曜日

オリンピック・レガシーを諦める

スポーツの話題も「諦める」シリーズにしてみました.
オリンピックの話です.

オリンピック・レガシーというのをご存知でしょうか?
2020年東京オリンピック・レガシー(wikipedia)
オリンピック・パラリンピックによってもたらされるレガシー(東京都)

一部のスポーツ研究者にとっては非常に関心が高い事柄.
その一方で,その他多くのスポーツ研究者にとっては大した関心事ではないものです.
私もその一人.

なぜ少なくないスポーツ研究者の関心が低いのか.
それは,「レガシー(社会的遺産)」は人間の手でコントロールできるものではないからです.それくらいのこと,直感的にも分かります.
ところが,結構な勢いでこれに食いついちゃってる人が多いのです.

わざわざ「オリンピック・レガシー」などと騒がなくても,オリンピックを盛大に開催すればレガシーは生まれ,継承したほうがいいものは残り続けます.
レガシーを我々の手で操作しようとすることがおこがましい.
「オリンピック・レガシー」
これは壮大なる「後出しジャンケン」です.

オリンピック開催の価値は,オリンピックという大規模イベントに乗じてさまざまな公共投資をすることにあります.
ところがこの国が絶望的なのは,今回のオリンピックにかける予算支出をゴネるニュースがとても多いことです.例えばこんなの.
東京五輪費用、1兆8千億円 当初の6倍、大幅な公的資金投入避けられず 大会組織委試算(産経新聞: 2015.12.19)

とにかく,「低コストで開催しろ」「現状施設でやりくりしろ」といった声が大きい.
皆さん,いったいオリンピックに何を期待しているのでしょうか.

たんにスポーツ大会を開くだけなら私はオリンピックには反対です.
こんなスポーツ素人のバカ騒ぎ,日本国内で開催してほしくありません.
国外で開催されるオリンピックに出場していればそれでいい.

ではオリンピックに何を期待するのか.
例えば,オリンピックを契機に新しいテクノロジーを開発し,それを開催地東京に実装する.そうして実現化したものを地方にも組み込んでいく.といった機会にするのが望ましいのではないかと思うわけです.
ま,月次な意見ですけど.

1964年の東京オリンピックでは,高速道路,新幹線,テレビ,ピクトグラム標識などの新しいテクノロジーや社会システムの導入・発展が促されました.
これについてよく,「そんなの,オリンピックを機会に土建や放送・広告が潤うだけだろう」という話が出されますが,あまりに次元が低い.

新技術や新システムを導入する機会として,オリンピックの価値があるのです.
「自動翻訳装置」とか「チケット管理システム」の開発,あとは「リニアモーターカーの運営」なんかの予算を景気よくバラ撒いて,2020年をお披露目会とすべく各社で競争させればよかったのです.
こんなこと言うと,どうせ「資金獲得のための申請書で競争させて,開発の実現可能性が高いところに予算を配分しよう」などとケチくさいことを言い出します.いわゆる「選択と集中」ですね.これが最も開発が遅くなる手法なのに.

オリンピック・レガシーなどと気張らなくても,盛大にスポーツ大会を盛り上げればよかった.そうすれば,勝手に後の世のためになるレガシーは生まれたはずでした.

もう無理ですけどね.
2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会レガシーに関する提言(中間報告)
を見ると,それがよく分かります.

なんせ,新しい提言がほとんどありません.
一言で言えば,「ソフト重視」です.
本当に後世へレガシーを残す気があるのか疑問でなりません.
例えば,学校で「グローバル人材」を養成したり,街の爺さん婆さんを捕まえてきて「スーパーオモテナシニア」として養成するのだそうです.

「レガシー」
そう言えば,これもカタカナ語ですね.
日本は今,本当に腐っています.


関連記事


2016年5月22日日曜日

保育所問題を諦める

「諦める」シリーズを続けます.
ちょっと古い話題ですが,保育所問題についても触れておきたいと思います.

ココ最近,待機児童問題や保育士の待遇改善が話題になっていました.
それについて取り上げた記事も書いたことがあります.

上記記事では,
「そもそも保育所を増やしていることになっていないし,『増やした』という施設は保育所として満足できる水準じゃない」
ということ,そして,
「保育施設の増やし方に悪フザケが過ぎる」
ということです.

あまりにフザケた政策であることを指摘されまくったのか,安倍首相は保育士の待遇改善にも乗り出しました.
安倍首相、保育士の給与2%引き上げ方針を表明(JCASTニュース:2016.4.27)

もっとフザケているんじゃないかと思わされます.

ちなみに,「政府の試算では女性保育士の平均月給は26万8000円。」ということですが,そんなに高給取りな保育士,なかなかいないんじゃないですか? どういう集団で平均値をとったのでしょうか.

で,案の定それらを指摘されていました.

首相が表明した保育士給与2%引き上げ案に非難続出 「喧嘩売ってんの?」「たった2パーってそれだけ?!」(BLOGOS:2016.4.28)

いえ,私はここで安倍首相を糾弾したいわけではありません.彼がこんな感じなのは今に始まったことではありませんから.
ある意味,予想通り.
「保育士の給与を増やす」という手段は講じてくるだろうなと思っていましたし,それが「微増」であることも想定の範囲内でした.ただ,その微増っぷりが予想以上だったことには笑いましたが.

私が保育所問題を「諦めよう」というのは,どいつもこいつも「もっと保育所を増やせ」とか「保育士の待遇を良くしろ」という指摘ばかりだからです.

天下の朝日新聞が指摘している通り,今回の保育所問題の発端である待機児童というのは,「共働き家庭の増加」です.
朝日新聞:「待機児童問題」

保育所に預けなければならない「子供」が増えたのは,「家庭」の事情によるのです.
だから,この問題を改善しようとするなら,「家庭」にターゲットを当てなければなりません.
すなわち,一人あたりの所得拡大.具体的には,両親のいずれかの給与で子育てできるようになることが待機児童問題の改善目標となります.

そもそも,保育所は福祉施設ですから,本来なら無いほうがいいものです.のっぴきならない事情により仕方なく存在する施設と言ってもいいでしょう.
保育所に預けなければならない子供が増えちゃった.あぁそうか,だったら保育所を増やしましょう.ってのが,どんだけトンチンカンなのか気づくべきです.

ところが,「保育所を増やす」「保育士を厚遇する」という対処方法が大手を振って了解されている絶望的な状況がここにはあります.

これはつまり,「保育所に預けなければならない子供」を増やしたい勢力が存在するからです.具体的には,女性の社会進出を願う勢力と,保育ビジネスを狙う勢力に他なりません.

女性の社会進出と言えば,左翼・革新派の伝統芸です.その代表が現政権の安倍首相でしょう.
彼らは「嬰児は母親のもとで育てられるべきだ」という考えに否定的です.
女性の社会進出を妨げる「子育て」を回避するため,保育所を充実させることを望むのです.

一方,保育ビジネスを狙う勢力は,保育関連の規制緩和を望みます.安価な労働力として外国人労働者を求め,ベビーシッター業を展開できることを期待しています.
その代表が現政権の安倍首相です.
保育施設は足りなければ足りないほど嬉しいのが彼らです.「嬰児は母親のもとで育っては困る」と考えています.

あぁ,結局やっぱり安倍批判になってしまいました.
でも,そういう次第です.
ようするに,保育所をどんどん増やさなければならない流れを作りつつ,しかしそれは待機児童問題が解消されては困るという渦を形成しています.
絶望的でしょ?

そんな安倍政権・自民党の支持率が上がっていると報じられます.
政治意識月例調査 2016年(NHK2016.5)

保育所問題は諦めるしかありません.
そのうち,「保育士が自殺」とか「児童虐待が増加」といったニュースで本件は再燃するでしょう.
その時また取り上げたいと思います.


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2016年5月21日土曜日

沖縄基地問題を諦める

高校の時の修学旅行先が沖縄でした.
自然体験やリゾート気分を味わうのも楽しかったですが,やっぱり修学旅行ですので沖縄基地問題は外せません.
この問題について現地でいろいろと見聞きさせてもらったのも修学旅行の思い出です.

そのようなわけで,当時から「沖縄基地問題」についての関心はあったのですが,やっぱり専門的に勉強しているわけではないのでブログで取り上げることは避けておりました.
しかし,先日沖縄で起こったこのニュース,
元米兵「刺して殺害」供述 性的暴行認める 沖縄・女性遺棄容疑(朝日新聞)
に対する様々な方面からの意見・コメントが,どうも私にとって気に入らないレベルまで達したので本ブログでも取り上げたいと思います.

なんとも痛ましい事件であり,多くの人々が主張しているように,これにより沖縄の基地を減らす動きが活発になることは当然のことです.
此度の事件があらためて示したのは,他国のそれも宗主国の軍隊が駐屯する地域はこうした犠牲がつきものだということです.

今回の事件がきっかけとなって沖縄の基地負担軽減につながればいいのですが,残念ながらそういうわけにはいきません.
なぜって,こういう凶悪事件の発生率が高まるであろう米軍・海兵隊の駐留場所を提供しようなんて地域,そうそうあるもんじゃないからです.

米軍基地を置くことによって,沖縄は沖縄でなくなっています.
基地によって成り立つ経済,米軍人を相手にした商売.そういう環境に曝された地域は,やがて米軍基地と米軍人のための文化が発生します.
なんともやるせない.

ところで,いつからか  ”沖縄らしさ” を前面に出すキャンペーンが目立つようになって久しいですが,これは沖縄らしさを喪失しつつあることの反動ではないかと察したくなるものです.20年前の修学旅行中にも感じたのですが,痛々しいほどの「我々は沖縄人だ」という主張は,徐々に消えていくそれを失いたくない人々の叫びにも思えます.
そして,そんな沖縄県民を見ると私は,なんとも居たまれない気持ちになると同時に,それと類似した影が本土にも近づいていることを悲しく思うわけです.

こうした環境下にある沖縄に対し,日本政府はさまざまな補助金や優遇措置によって不満をそらしてきました.
ところが,こういう強姦殺人や暴力事件はあとを絶ちませんから,「基地があること自体が問題だ」という訴えが出るのは当然のこと.補助金や優遇措置と釣り合ってないだろうと,そういうことです.
しかし,結局日本政府は米軍基地を沖縄から減らしませんでした.これがそもそもの間違いでもあります.

そうこうするうちに,自称右翼・保守派のバカがこう言い出します.
「補助金漬けの沖縄」
「基地があるから成り立っている経済」
「たかり根性がある」
こういうネット動画やコメント書き込みで見ると,いつも「死ねばいいのに」と思うのです.

こいつら何様のつもりでしょう.恥を知るべきです.
「この地は日本のみならず極東安全保障の要なのだ」とのたまうくせに,どの面下げて「補助金漬け」だの「たかり」だの言うのか.
挙句,ドヤ顔で「沖縄は米軍基地がないと破綻する」ですって.
人間じゃありません.

これと同じ匂いを,グローバル化を推進する連中や,移民政策を推進する連中からも嗅ぎ取れるのですが,それはまた後述します.

この地が地理的に基地が集中してしまうことは認めます.敗戦国のツケを一身に払わされた歴史もある.であれば,政府や本土としてはもっと補助金を当てたり優遇措置をするべきです.
沖縄は極東安全保障の要なのでしょう? だったらそれなりの待遇で応えるのが筋ってものです.
相手から「そんなに厚遇されては困ります」と言われるくらいにするのが,日本人的な感覚ではないでしょうか.

いつものことですが,この点,左翼のほうがまだマシです.
しかし,左翼活動がダメなのは,ここから一気に飛躍して「基地をなくせ」「軍隊をなくせ」「戦争をなくせ」って言い出すことです.ウヨクより人間味があるだけ救いがありますが,ここがサヨクの残念なところでもあります.

繰り返しますが,この地が地理的に基地が集中するのは仕方ありません.地図で見ても理想的な基地候補地です.対米政治的に基地を沖縄で受け入れなければならない部分もありましょう.
であれば,極力沖縄県民の幸福を追求した政策をするべきでした.今からでもするべきです.

「基地が住宅地のど真ん中にあるから危険だと言うが,基地ができた後に周辺へ移り住んできた人が多いんだ」などと倒錯した意見をシタリ顔で言う人もいます.
戦後復興間もない状態なら,そういうことにもなるでしょう.そんなの沖縄に限った話ではない.
貧乏してたら,事故の危険性よりも所得獲得を優先するのが人間です.当たり前の話ではないですか.
そんなこと,修学旅行中の17歳の高校生でも分かる話です.

現地の裁量に任せていたら,人間関係や感情があるのでどうしても成り行き上そうなります.
だから,理想的には日本政府が主導して基地から遠い場所に住宅地を指定し,その近辺に商業地を誘致するべきだった.今更遅い話ですが,方向性としてはそういうことです.

これは沖縄,基地周辺住民に問題があったからではありません.彼らの多くが,そうせざるを得なかった環境下にあったのです.
それを今になって「米軍基地に依存した経済だ」とか「補助金にたかるな」とか,よく言えるなと思います.

さて,この辺で記事のタイトルに戻ります.
どうして沖縄基地問題を「諦める」のか?
それは,今回のニュースに対する意見・コメントにの中に
「大変痛ましい事件だったことは確かだが,日米同盟堅持のため沖縄の米軍駐留はやむを得ない」
という内容が結構多いことです.
ウヨク系の新聞の社説でも言ってます.
【主張】元米兵の凶行 怒りを悲劇根絶につなげ(産経新聞)
世も末です.

さらには,「今回事件を起こした犯人は,米軍とは関係ない」って言う意見もあります.
こいつら何なんでしょう,沖縄に巣食う外国人を何故にここまで擁護できるのか不思議でなりません.

上述しましたが,今回の事件が示したのは,その地域に外国人が多くなることによる治安悪化であり,それにより国民が犠牲になることの危険性です
ましてや宗主国の軍隊を数多く駐屯させているのが沖縄です.これは是正すべきことだと考えるのが通常の国民感覚のはずなのですが,どうやらこの国の中央はそう捉えていない.

ここで興味深いのは,最近の政府とその支持者が進める「移民」「外国人労働者」です.
沖縄基地問題と共通するのは,外国人を生活環境に受け入れることへの愚かしいまでの鈍感さです.

「仕方ないじゃないか」と言い訳し,同胞に犠牲を強いておきながら悠長に構えるこの国民.
加えて「米軍基地があるからお前らやっていけてるんだぞ.そのことを自覚しろよ」と言わんばかりの態度を示す自称「右翼・保守派」.
これが絶望でなくて何でしょうか.


日本ブランドを諦める

2016年5月20日金曜日

日本ブランドを諦める

この手のニュースが続きます.
港湾工事でも改ざん=14件受注、国交省に報告へ―東亜建設(時事通信)
三菱自動車の管理職が子会社の担当者に不正指示(NHKニュース)
新名神工事で支柱倒れる けが人なし 大阪・箕面(朝日新聞)

昨年も振り返ってみれば,東洋ゴムや旭化成の不正もありました.
こうした事態に,
「日本ブランドが見る影もない」
と評価されることもありますが,この手の問題というのは表に現れるよりずっと以前から爆弾を抱えているものです.
それが炸裂し始めてから「うわぁ〜,ここに爆弾があるぞぉ!」などと騒いだところで遅きに失するとはこのこと.

それを大学版で論じたのが前回の記事.
大学の場合は,大学改革がどーのこーのと言い始めてしばらくした2000年頃,既に絶命状態でした.
あの時以前ならまだ希望があったかもしれませんが,今はもう無理です.

最近は弱り切った体に鞭打つように,グローバル教育とかキャリア教育とか,あとは競争的な研究環境を用意することで “革新的イノベーション” という謎の事象に期待している次第.

これとそっくり同じことが産業界でも起きていると言っていいでしょう.
特に,公共事業に関する話題は大学問題と類似した性質を持っています.

何が似てるかと言えば,いずれの業界も「コストパフォーマンス」とか「市場」という価値観でやりくりしちゃいけないのに,残念ながら世間様からの要望はこの両者だったわけでして.
結果,
世間様の要望にお応えすることによって,世間様にご迷惑をおかけしている
という滑稽な状態なのです.

そして最も危険なことは,
世間様は決して反省しない
ということです.

企業が不正をするのはダメです.研究や教育を疎かにする大学もダメです.
それは当然のこととして,だけどそうした「捏造,不正で対処する」「本分を疎かにする」という状態を作り出したのも世間様です.

自分たちがそういう状況を作り出したことくらいは自覚した方がいいのですが,世間様は絶対に反省しませんので「言い訳」を考えて誤魔化します.

例えば公共事業については,談合して公的資金を湯水の如く使うことを妬んだ世間様が,「こいつらも競争に曝されなければいけない」とか言って,質の高さよりもコストパフォーマンスを重視するようになりました.
いえ,コストパフォーマンスは「言い訳」でした.つまりは単に「土建業を困らせたかった」だけです.楽して金稼いでるように見えたから.

公共事業費が削られ,競争に曝された土建業とその関連会社はコストパフォーマンスを重視するようになるわけですが,当然のことながら,コストパフォーマンスを重視するということは,絶対的なパフォーマンスは下がります.コストパフォーマンスとは相対的な評価です.そういう力が働きます.月々のお小遣いが5000円の酒好きは,シーバスリーガル18年を1本買うよりも,金麦とかモルツを毎日買おうとするでしょう.

そして昨今のごとく不正問題が発生するようになると,世間様は「もともとそんな企業体質だから」と言い訳を始め,だから「コーポレート・ガバナンスを重視せよ」と言い出しました.

コストパフォーマンスに加えてコーポレート・ガバナンスという “カタカナ語” の言い訳を手に入れたバカは,「コストはそのままに,不正を減らす」ということが  “出来るはずだ” と自己暗示をかけました.
そして「移民」を入れることにしたのです

まともな知能があれば,いくらなんでもバカ過ぎやしないかと思うのでしょうが,不幸なことにこの流れは止められません.無理です.
「移民を入れてコストはそのままに,不正を減らす努力を企業に求める」
これを推進しているのは,世間様から強い支持を得ている現政権です.
だから諦めるしかありません.

近い将来,日本はおそらく,
「企業が移民を受け入れて不正を減らす努力をしても,結局,雇用トラブルや社会問題,犯罪が多発してコストカットにはならず,さらに事故・不正・捏造が横行する」
という事態になります.

宗教とか,民族習慣とか,あとは国際結婚による家族問題なんかが次々と現れてきて,それにネトウヨなんかが「郷に入れば郷に従え.出来ない奴は本国に強制退去させればいい.なんで警察は毅然とした対応をしないんだ」などと非現実的なことを言い出すでしょう.自分たちが移民政策を支持していたことは忘却の彼方です.
世間様はその時,「警察とか公安がちゃんと働かない」という言い訳をするはずなのです.

ここには「土建業が妬ましかったから困らせたい」という当初の動機と,それによる顛末への反省は絶対にありません.

余談ですが,「コストパフォーマンス」,「コーポレート・ガバナンス」とカタカナ語を続けてきましたので,きっと「移民」もカタカナ語にするはずです.
例えば,フォーリンワーカーとか,Fレイバーとか.そんな感じの呼称を恥ずかしげもなく発表する可能性があります.
もし「スーパー外国人ワーカー」みたいな名前だったら,私,生きる気が失せます.


関連記事

2016年5月18日水曜日

大学教育を諦める

御察しの方もいるでしょうが,前回の■東京を諦めるは大学教育にも通じています.

一極集中,且つ,流動性が高いものは近いうちに黄昏を迎える.
東京がその典型だというお話しでしたが.
大学もそうなっているのです.

「安穏としている大学教育や大学経営にも,競争原理を働かせた方がいい」
などと言って始めた大学改革.
これにより,大学は取り返しのつかない状態になっています.

もうダメです.
諦めるしかありません.
これはちょうど,「風邪をひいて体調が悪い」と言っている人が,「体調が悪いのは体力がないからだ」ということで体力トレーニングをさせられているようなもの.これによって体調が良くなる可能性はゼロです.
トレーニングだと称して実際にはトレーニングしない人であれば回復の希望はあります.実はそんな大学もたまにあります.

競争原理に曝せば各大学が切磋琢磨するのではないかという理想論もありました.
それにより,それまで無名だった大学にスポットがあたり,改革に対し保守的な大学が落ちぶれるというストーリーが夢想されていたのです.

でも,その結果発生したのは元来の優良大学への一極集中化です.
しかも,改革に積極的な大学ほど,そこの教員が教育研究に割ける労力は減り,職員は病んでいます.
こんなに経営改革に尽力しているに,どうして上手い方向に転がらないんだろうって,その凋落原因が改革にあるとは思わないんですね.

それに,競争原理を働かせた方が,教育研究が活発になるというのも嘘であることが判明しました.
このことに警鐘を鳴らしていた大学の先生もいます.
あまりにも異常な日本の論文数のカーブ(「ある医療系大学長のつぼやき」内記事)
その関連記事→■Numbers of young scientists declining in Japan(nature誌)

さらに以下のネット記事にもあるように,日本の論文数は科学研究費助成事業(いわゆる科研費)が頼みの綱になっている上に,それでいて論文数は減少しているという凄惨な事態になっています.
日本の論文は科研費頼みの傾向へ、それでも世界に存在感を示せていない

でもこれは,素朴に考えれば当然の帰結です.
科研費による学術研究活動支援の根本思想は「選択と集中」です.選択と集中をしたら論文数が減るのは当たり前です.だって,「選択」して「集中」させているんだから,アウトプットは減る方向に向かいます.
何を今更というところですが,偉い先生方にとっては「異常事態」なのだそうです.

もっと言うなら,研究費助成のために選択と集中をしているのは日本国内です.世界中でやっているわけではありません.
選択され一極集中した一部の国内研究グループが発表するのですから,日本としての存在感を示せるわけがないでしょう.
むしろ,どうしてこれで活性化に向かうと考えたのか不思議でなりません.

そして,こういう「選択と集中」を目指す研究環境にあって,多くの大学教員が口にしているのは,
「優秀な学生が大学院に入学してくれなくなった」
というものです.

私は優秀な学生ではなかったので,むしろ棚ぼた的な形でそれを享受した者の一人ということになります.
たしかに,十数年くらい前から優秀な学生は大学院には行きたがらなくなっています.

でもこれも,何を今更というところです.
「選択と集中」が進む場に,優秀な人材が向かうわけがない.優秀な人ほど安定した仕事環境に行きたがるに決まっています.最近の公務員志向がそれを物語っています.
そんなこと,普通に考えたら分かりそうなものです.

ちょっとラリってる人は,「選択される就職先が公務員に集中しているということは,これは選択と集中によって良い人材が確保できているわけだ.だから選択と集中は活性化の起爆剤になるのでは?」などと言い出します.いや,ホントにいるんですよ,こういう人.
こういう手合は自分が何を言っているのか分かっていない人なので,生暖かい目で見てあげるに限ります.

今の大学・研究所を支えているのは,ブラック企業に勤める社員に類似した教員や研究員です.
一部の安定した役職に就けた人はいいでしょうが,その他大勢は来年の仕事も約束されていない状態になっています.

流動性の観点からしても,大学はここ十数年「任期制教員」の制度を厳密に運用するようになっています.以前は何年間か勤めれば自動的に任期を付さない教員に昇格することになっていましたが,最近はそれがなくなってきました.

これにより,以前にも増して同じ大学に勤め続ける教員が減っています
つまり,常に「来年はどこの大学・研究所に行けるかなぁ」と職探しをしている教員が山のようにいる状態なっています.
今は全体の半数,4割〜6割が常時職探し教員です.大学によっては8割くらいです.
ご存知でした?

こうした職場の状態を「プロスポーツ選手」と同じようなもので,そういう弱肉強食の環境下からより良い人材が育つんだ,などと言う人もいます.
大学に限らず,日本で「プロスポーツ選手」のような職場環境を求める力学が働いていることは容易に推察できます.
だから,「スポーツと社会の有り様は一致する」ということとも関連する話なのです.

でも,学生の身になって考えてもみてください.
自分の先生が常に職探しをしていて,来年,もしかすると後期(秋学期)から別の大学に移ろうとしている状態にあること.
就職活動の支援をしている教員や職員の方が,就職活動に苦戦しているという事情を知った時,彼らはそんな教職員をどのような目で見るのか.

そして,教員の身になって考えてもみてください.
来年は自分の学生ではない学生に対し,どのような教育ができるのか.単発の授業ならまだしも,進学や就職などの長期的視野を含む学生指導にどれだけ時間を割けるか.
自分の業績作りや職探しに全くプラスに働かないことをどれだけやれるか,かなり微妙な状況にありますよ.

これらの問題は,まだ顕在化していません.
学生も教員がそういう不安定な状態であることを知らないですし,教員もそこまでモラルハザードを起こしていません.

でも,近いうちにそうなります.
ある特異点を過ぎれば,一気に来るでしょう.
直感的には,2022年くらいでしょうかね.
乞うご期待.

その時,少なくない人が,
「今,大学教育が取り返しがつかないほど崩壊している.なぜなんだ!」
と憤ってみせるであろうことが容易に想像できます.

それは間違いです.
その時の「今」ではなく,現在,もう既に大学教育は取り返しのつかない状態にあります.
一般の皆様も認識できるほど顕在化するのに,あと5〜6年かかるでしょう,ということです.

大学教育を諦めようと思うに至ったのは3年くらい前ですが,なんとか突破口はないかと思案もしていました.
でも,どうやら無理だなと.そういう結論に達した今日此頃です.


関連記事
大学改革を考える上での良書
これが身につけば大学卒業
大学について
大学について2
反・大学改革論
大学教育の質が低下している?
井戸端スポーツ会議 part 16「体育の授業で得てほしいこと(特に大学で)」
大学をグローバルにするってどうするの?
英語教育について
続・英語教育について

2016年5月17日火曜日

東京を諦める

東京はダメな地域です.
それが如実に現れたのが舛添都知事問題でした.
舛添都知事、45万円分を返金へ「私的な支出誤り計上」

地方出身者には,この地が邪悪に満ちていることは直感的に分かります.
だから私も昔,こんな記事を書いてきました.

東京人だけが悪いということを言っているわけではありません.
「大阪市内」についても同様であること,これは人口過密と流動性にその問題がある可能性について批判しているつもりです.

あと,「中国人が悪い」という趣旨のことを述べたいわけでもありません.
東京人と中国人が「似ている」,それだけのこと.東京にいる人は,ご自身が中国的な人間であることを自覚した方がいい.そういうことです.
※詳細は上記記事を読んで下さい.

ところで.
興味深いのは,2014年の東京都知事選挙にまともな人物が誰一人立候補していなかったことです.
犯罪者か破壊者か泡沫か.誰に投票しても悪夢です.
しいて言えばマック赤坂が最もまともでした.
このことが示すのは,東京ではまともな為政者が現れなくなったことです.
少し前には山本太郎というタレントも政治家として当選しました.

都市部では人間関係が希薄になります.だから「個人」の意志が反映されやすくなります.
いわゆる,
「この人に投票するのが我が家の方針」とか「ここの住民の方針」
というのが少なくなってくるわけです.
家長の意見や,町で一番賢い人の意見よりも,個々人の意見が尊重されるようになるのです.

それゆえ,まともな人が立候補しなくなります.
まともな人だと当選できないからです.
選ぶ奴がまともじゃないんだから当然の帰結です.

代わりに,奇抜なことをいう人や,分かりやすい政策を訴える人が当選しやすくなります.
挙句の果てには,有名人だからという理由で票が入るようになります.
こうなったらお終いです.

そうなっているのが東京です.
だから東京は諦めるしかありません.
大阪はまだなんとかなるかもしれませんが,東京はもう無理です.
いずれ近いうちに大阪も取り返しのつかないところまでいきます.

例えば大阪では昨年,「大阪都構想住民投票」という碌でもないイベントがありました.
その住民投票の結果がこちら→■大阪市特別区設置住民投票
これをみると,やっぱり「中心部ほど賛成」「郊外ほど反対」の傾向があります.

せっかくなので,都構想の住民投票結果を人口の定着率・流動性の観点から分析しました.それが以下の表.
転出者数と賛成票率に相関があることが分かります.
wikipediaと大阪市住民基本台帳(H23年度)により作成
大都市大阪ですから,転出の裏には転入があるわけでして.
まとめるとつまり,人口が定着していない「よそ者」が多い市中心部に都構想賛成派が多い可能性が非常に高いのです

大阪都構想のデタラメっぷりは過去記事でも触れてきておりますので繰り返しませんが,ようするに,デタラメな政策にのっかる人間は流動性が高い人口過密地帯に発生する可能性があります.

その親玉が東京です.これは一種の病気.東京病と言ってもいいかもしれません.

舛添都知事に代表される「東京病」の問題は,
井戸端スポーツ会議 part 29「裏金くらいで騒ぐな:東京五輪について」
で書いたように,「スポーツ」と関連があります.
その国の社会の有り様は,その国のスポーツへの眼差しで解釈できます.
東京五輪と東京都政,なんともタイムリーだと思われるでしょうが,これは偶然ではないのです.

解決策は無いのか? 無いでしょう.
しいて言えば,各地方の皆さんが東京から発信されることに耳を傾けないことです.それでなんとか「東京病」の進行を抑えられます.

こういうのは「教育改革」とか「農業改革」などと同様,後戻りできない崩壊現象です.
今から良い状態に戻すことはできません.

ホクホクと塩焼きにされた鯛を見せられ,
「これを今から活け造りに変えてくれ」
と言われても困ります.
炊き込みご飯にするくらいならなんとかなりますが,活け造りは無理です.
それと一緒.

ただ一番困るのは,塩焼きでもそれを美味しく食べればいいものを,
炊き込みご飯に作り変えたボソボソの鯛を「うまい,うまい」と言いながら食べちゃうのが東京人でもあることです.

2016年5月13日金曜日

井戸端スポーツ会議 part 29「裏金くらいで騒ぐな:東京五輪について」

こんなニュースが飛び込んできました.
東京五輪招致巡り裏金報道 英紙「1.6億円支払い」

スポーツを専門とする身にもかかわらず,2013年に東京五輪招致が決まった際もこのブログでは完全スルーしていた私ですから,今回の裏金・賄賂問題もさほど気にしていません.

むしろ私は,招致決定後のエンブレム問題の方を興味深く眺めておりました.
井戸端スポーツ会議 part 23『東京五輪エンブレム問題に見えるスポーツの危機』
井戸端スポーツ会議 part 28「東京五輪のエンブレム」

実際のところ,五輪に興味無いんです.

たぶん我々の分野の仕事が増えるという恩恵はあるものの,それを言い出したらあらゆる領域に波及効果はあります.
むしろ,オリンピックはこれらの波及効果を主目的に行なうものです.

「オリンピックに乗じてバカな公共事業をやるんだろ!」などと熱り立っている連中をたまに見かけますが,バカはこつらの方です.
繰り返しますが,オリンピックなどの大規模スポーツイベントは,公共事業を円滑に進めるための大事なイベントです.
スポーツで土建国家を復活できる

今回ニュースになっている,裏金・賄賂についても,それを含めて「オリンピック」だというのが私の認識です.
あぁ,やっぱりやってるだろうな.って.

例えば,スポーツ選手のスカウトや勧誘には裏金・賄賂は当たり前です.
一時期大問題になりましたが,野球のドラフトでは選手やコーチ,親に裏金・賄賂を送るのは当たり前だった時代があります.
みんな知っていました.でも,「知らない」ってことにしてただけです.
高校野球にしても「特待生」という制度はありませんが,みんな公然と「彼は野球の特待生で入学してるから」などと話をしていました.

アイドルもオナラやウンコをします.脇毛も生える.
それを聞いて「うそ~.そんなこと初めて聞いた!」などと言う奴はよっぽどのアホです.それと一緒.

試合の勝敗にも裏金・賄賂はあります.
井戸端スポーツ会議 part 27「オープンスキル・スポーツ界での八百長」

こういうことは暗黙の了解です.
はっきり言って騒ぎ過ぎ.
ある程度「そういうもんだ」と思って見なければいけないのが現代のスポーツです.

むしろ,そこを割り切っている「プロレス」を尊敬してあげてください.もっと言うなら,カッコつけてるそこらのスポーツより,よっぽど「スポーツ」をしているのがプロレスだと思います.
井戸端スポーツ会議 part 20「プロレスはスポーツである」

誤解してほしくないのは,だから裏金・賄賂はOKなんだ.不正をするのがスポーツなんだ,と言っているわけではありません.
それはそれとして問題にしなければいけない.でも,この手の問題は当たり前のように起きます.人間のやることですから.

今回の件は,裏金や賄賂の証拠をおさえられるかどうか? が焦点です.
ですが,何かしらの形で裏金や賄賂はきっとあったはずです.無いほうがおかしい.
そして,ここで問題なのは,それがバレる工作だったかどうか.大多数の人から怒られる程度の工作だったかどうか.

例えば,スポーツ選手のスカウトでは,金銭を渡すと多くの人から怒られます.しかし,「食事に誘う」とか「物品を渡す」となるとどうでしょうか.
いずれも「お金を使っている」わけですし,当然ながらどれも違反なのですが,見逃されやすい,怒られにくいのは後者です.
そうやって指摘・糾弾の間隙を突くのが担当者の腕の見せどころ.

結局,今回の件も,そんな感じのことだと想像できます.
いろいろと前例を調べたり裏工作で理由をつけて「大丈夫だろう」という程度のことをしたつもりではないかと推察できます.

もちろん,証拠をおさえられなければ「裏金・賄賂があった」ことにはなりません.
ですが,スポーツ界もその他の人間の活動と同様,裏金・賄賂が当たり前です.
それは知っておいてほしいことですし,そういうもんだと思ってほしい.

その上で,スポーツをより良い形で扱う努力を我々はしなければいけません.

どこぞの記事でも書きましたが,スポーツはその社会の本質を映し出す鏡です.
スポーツに,その社会の縮図があります.もっと言えば,その時代のスポーツの有り様が社会に反映していくと言っても過言ではない.
東京五輪をめぐる騒動は,この日本社会の有り様を映していると私は思います.
むしろ,そっちを論考するほうがよっぽど興味深い話です.


その他の関連記事
人間はスポーツする存在である
井戸端スポーツ会議 part 8「スポーツ観戦のような政治観戦」
井戸端スポーツ会議 part 9「スポーツ分析のような選挙分析」
井戸端スポーツ会議 part 14「スポーツと資本論」

2016年5月12日木曜日

【最終奥義】超便利:授業内レポート(小レポート,リアクションペーパー)作成のコツ

一連の記事,
自分の意見への批判とその反論の書き方
のどれか一つでも読んできた学生に送る記事です.

それらを読んで,
「よし,これで大学でのレポートはOKだな」
などと思ってはいけません.

あくまでこれは「補助輪付き自転車」のようなものです.

レポートを書くことに慣れてきたら,さまざまな文章作成術を解説している書籍に当たりましょう.
こんな私の記事をネットで検索している君は知らないかもしれませんが,以下のような本が図書館にきっとあるはずです.ちゃんとこういうのを読んで下さい.
高い買い物ではありません,本屋でペラペラっとめくってみて,自分に合いそうなものは購入することをオススメします.
  

そして,今のうちから頭の片隅に置いといてほしいことが一つ.
一連記事ではレポート作成のコツとして以下のことを紹介し,その中でも太字にした,
1.問題意識の表明
2.自分の意見
3.自分の意見を裏付ける根拠
4.自分の意見を批判する意見
5.自分の意見を批判する意見への反論
6.再度,自分の意見または結論

「4」と「5」が大事であることを強調してきました.
すなわち,自分の意見を批判する意見を取り入れ,それに対する再反論を展開することで自分の主張をタフなものにする手法です.

しかし,これは最終的には間違いです.

「えぇっ!!! ここにきて何を言い出すんだテメェ!!」
と思われるかもしれませんが,大切なことです.
なんだか禅の修行のようでしょ?
たかがレポート,されどレポートです.

紹介してきた一連のレポートの展開方法ですが,これに慣れれば慣れるほど悪用者が増えます.
自分の意見を良く見せるために,安直に使う人が出てくるのです.
こういうのを「レトリック」と呼んだりします.

レトリックを使って相手を説得することも大事ではあるのですが,問題なのは,自分自身に対してレトリックを使って納得させている人がいることです.
具体例は別記事に譲るとして,これは真っ当な人間のやることではない.そして,大学教育から最も遠いことです.

だからいつか,これを捨て去らねばならぬ時が来ます.

捨てなければ,大学における「真の学び」には到達できません.
でなければ,「昔より説得力のある文章が書けるようになったね」程度で終わります.意見が対立する中にあって,自分の主張を押し通す人間になってしまうのです.
いるでしょ.討論だけしたい人.話し合っても話し合っても,結局は持論を曲げるつもりのない人.

「自分の意見を批判する意見」とは,「自分の意見」を良く見せるためのダシではなく,自分の意見を磨くためのブラシです.

自分の意見と対比してみせることで,自身の主張を良く見せるのではなく,
自分の意見にそれをぶつけて研磨させることで,自身の主張にある角や凹凸を削るのです.
当然のことながら,その研磨に用いるブラシは,より良いブラシであることが望ましい.すなわち,自分の意見をより良いものにするためには,より良い批判的意見を探すことが最重要課題となります.

ゆえに,この不埒な「超便利レポート作成術」を進めていく中でいつの日か,
「自分の意見を批判する意見に反論する」
から,
「自分の意見を批判する意見を取り込む」
へと読み替えるトレーニングをしなければなりません.

そこを目指すことが,このレポート作成術の最終奥義と言っていいでしょう.


一連の記事,

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2016年5月11日水曜日

危ない大学に奉職してしまったとき:レポートの書かせ方

読んでくれた人の中には気づいた方もいるかもしれませんが,前回までの一連記事である,
は,大学教員の皆様,そのなかでも特に「危ない大学」に奉職されている方々に書いています.

もちろん,学生に向けたつもりでもいます.
ですが,あんな長ったらしい記事,本当に真摯にレポートを書けるようになりたいと願う学生しか読みません.
読んでほしいことはやまやまなのですが.

さて,
の最後の部分にも書いていることですが,それをここでも改めて書いておきます.

このレポート作成術によって得られる効果です.
私が担当している初年次教育では,一連の記事で示したレポートの書き方を覚えてもらうようにしています.すなわち,以下の内容を含むように書かせるのです.
1.問題意識の表明
2.自分の意見
3.自分の意見を裏付ける根拠
4.自分の意見を批判する意見
5.自分の意見を批判する意見への反論
6.再度,自分の意見または結論

以前,「消費税増税問題」をテーマに1年生に練習用レポートを書かせたことがあります.
私がこのテーマを勧めたわけではありません.むしろ「難しいから別のにしたほうがいいよ」って言ったのですが,学生達自身が選んだのです.

そして,上記の「1」〜「6」の構成を指示して書かせたところ,当初は増税賛成派の学生が多かったのですが,【自分の意見を批判する意見】と【自分の意見を批判する意見への反論】の作業をしているうちに,最終的には反対派の方が多数派になりました.

多くの学生は,財務省の言う「消費税増税した方がいい理由」を「自分の意見」にしてその反対論を読み探しているうちに,
「いくらなんでも「特定の者に負担が集中しない」ってのは嘘だろ」
「反対論をいろいろ読んでいくと,これじゃ消費税増税を弁護しきれない」
ってことが分かってきたようです.
とても興味深い現象でしたし,これが大学生の学びの一歩だと思いました.

別に消費税増税に反対することが正しいと言っているわけではありません.
もちろん,当初「反対派」だった者が賛成に回るケースもあります.
大事なのは,「テレビや新聞を見てなんとなく」ではなく,賛否の議論を踏まえ,自分できちんと考えて判断するようになったことです.
なぜ自分がそう考えるのか,上記の「1」〜「6」の手順を踏むことで自覚できるようになります.

その一方で,一連の記事で紹介したレポート作成術は,ともすれば「自分の感覚に近しい意見に寄り添う学生」を育てるように思えます.ネットで自分の意見をコピペしているとも捉えられるからです.
以前の記事,■コピペ・レポートの行き着く先はでも紹介したような「ネトウヨ」や「バカウヨ」の態度を助長するように見えるでしょう.

しかし,このレポート作成術でポイントとなるのは「自分を批判する意見」も検索し,それに対する的確な反論をしなければいけないという点です.

私が学生に求めているのは,「自分の意見を批判する見方や考え方」が必ずあることと,それらの考え方を咀嚼した上で「最終的な自分の意見」を作る習慣をつけてほしいことです.
この習慣が身につけば,学生の学ぶ姿勢が変わります.

残念ですが,「危ない大学」に通う学生の多くはこういう思考習慣が根付いていません.
それはもちろん基礎学力もあるのでしょうが,それ以上に大学教員側にそれを求める人が少ないという現実があります.

そもそも大学教員は「自分の意見を批判する意見」を踏まえた上で文章を書くことが当たり前だと思っていますし,もっと言えば,そのトレーニングをした覚えがないほど元々 “才能” があった人が多いはずです.
それ故,学生を前にすると「最近の学生はレポートすらまともに書けない」と言い出します.

さらには,「うちの学生には基礎学力が足りない」「大学での学びをするための準備がない」と言い出した挙句,勢い,
面倒見の良い先生になる方法:初年次教育
みたいなことをやり出す教員もいます.

そんなことするくらいなら,
でお示ししたようなレポート作成術を学生に身につけさせてはいかがでしょうか?

たしかに全員の能力開花は難しい.全ての学生に届くわけではありません.
でも,これを初年次教育として根気強く指導すれば,危ない大学でもアカデミックな議論ができる学生は育つはずです.

そしてそれは,大学で「実践的なスキル」や「ビジネスに役立つ知識」を教えるよりも,この国の社会を安定的に発展させることに寄与することと思います.


このレポート作成術を公開した理由ですが,これは私が前任校にいた頃(6年前)から実験的に1年生を対象に指導していた手法で,ネット検索を駆使してもその効果が確認できたからです.
「なにを偉そうに.普通の指導じゃないか」と言いたくなるほど極めて基礎的な論文作成法ですが,大学の先生方はどうしても「正統な論文作成の手続き」だけ指導してしまい,ついてこれる学生しか指導できていないというジレンマがありました.
ご紹介したものは,その簡略化モデルだと考えてください.

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これにより,やや危ない大学でも,少なくない学生が成長します.
例えばこんな感じに.
彼女に言ってやりたかったのは
迷わず行けよ 行けばわかるさ

2016年5月10日火曜日

【自分の意見への批判とその反論の書き方】超便利:授業内レポート(小レポート,リアクションペーパー)作成のコツ

を読んだだけでは書けず,絶望に打ち震えるほどレポートを書くのが苦手な学生のために用意した記事です.

そんな君は,以下のフォーマットに合わせて書いてみることをオススメします.
※なお,普通にレポート文章を書くことができる人は,これを読んでもあまり得しません.あくまで「絶望にうち震えるほど苦手な学生用」です.

基本構成の詳細については,
の記事を読んでください.

授業内レポートで低評価されないための基本構成
1.問題意識の表明
2.自分の意見(仮説)
3.自分の意見を裏付ける根拠
4.自分の意見を批判する意見
5.自分の意見を批判する意見への反論
6.再度,自分の意見または結論

今回は「4」と「5」について焦点をあてましょう.

一連の記事である,
で用いられている具体例をここでも使用します.

その具体例では,以下のような展開にしてきました.基本構成の「1」〜「3」を書き終えるとこんな感じになりました.
《例》現在の学校教育は,子供たちの「生きる力」を育むという理念のもと進められている.しかし,この「生きる力」とは具体的にどのようなものを指すのか,その捉え方や評価は学校や教師に委ねられている部分が大きい.それゆえ,指導現場において「生きる力」が具体的にどのようなものか示される必要があるだろう.具体的に「生きる力」を示す指導例として,元気な挨拶の実施が考えられる.なぜなら,挨拶は人間が日常生活を営む上で最小限の生活規範とされ,コミュニケーションを始める上での重要な第一歩だからだ.
少なくない学生,なかでも大小・長短問わず「レポート課題」で悩んでいる学生の特徴は,「自分の意見を批判する意見」を書かないことです.だから,これに「4」と「5」を付け加えれば,君のレポートは劇的にレベルアップします.

この一連の記事で紹介しているのは「授業内レポート」の類です.
もっと自分の意見や論拠を付け加えたくなるかもしれませんが,そんな余裕は時間と紙面の都合上無いことが多い.だから自分の意見を示す文章は早々に切り上げて,今回紹介する【自分の意見を批判する意見】と【自分の意見を批判する意見への反論】を書くことに注力します.

では,今回の《例》も文章を使って,「自分の意見を批判する意見」を書いてみましょう.

自分の意見を批判するには,大きく分けて2つのパターンが考えられます.
1:その理屈の弱点や矛盾点を突く
2:大局的に見る
細かく腑分けすれば山ほど出てきますが,基本としてこれを覚えておいてください.

今回の《例》であれば,1のパターンなら,
挨拶が出来たからといって必ずしも良い人間になるとは言いがたい(挨拶の有無で人間の価値は決まらないのでは?)
とか,
挨拶を徹底したとしても,それは教師の指導によって「やらされている挨拶」だ(心のこもった挨拶ではないのでは?)
といったものが思いつきます.

え? それが思いつかないから困っている?
そうですね.そんな時は手元にあるスマホや携帯電話で「自分の意見の反対論」を探しましょう.
反対論を探す場合,自分の意見のキーワードに,
「デメリット」「批判」「無駄」「コスト」「無意味」
といったものを付けて検索すると良いでしょう.
今回は「挨拶指導 デメリット」で検索しました.すると,小学生が挨拶運動するメリットとデメリットを教えてください。 というYahoo!知恵袋が出てきました.
それを読んでもらえれば,「自分の意見」に対する反対論を書くヒントがみつかるでしょう.
例えば,上記で示したもの以外に「知らない大人に挨拶すると事件に巻き込まれる可能性」という考えもあることが分かります.

2つ目のパターンが「大局的に見る」というものです.
この批判方法は簡単ではありますが,言わばこじつけになるとろこもあります.しかし,視野を広くしてレポートを書いていることがアピールできるかもしれません.
例えば今回の《例》であれば,「挨拶指導」をより俯瞰的に見て,別の観点からの指導を挙げることでそれっぽくなります.例えば,
コミュニケーション能力を高めるため挨拶を徹底するよりも,挨拶ができない生徒の個性に目を向けた教育が大事
とか,
挨拶は人間のコミュニケーションの一つである以上,指導せずとも自然と身につく
なんてことを書くのです.
この批判をネットから検索してもいいですが,たいていは本人の屁理屈能力でなんとかなるものです.

さてさて,大仕事なのはこの次.【自分の意見を批判する意見への反論】です.
まずは屁理屈でもいいからと「自分の意見への反対論」を出したわけですが,その理論を批判し返すことで,君のレポートの見栄えは良くなります.
姑息であることを承知で言えば,再反論しやすいものを「4」で書いておくと良いかもしれません.

以下では,《例》となる「自分の意見への反対論」を,「指導された挨拶は,やらされている挨拶論」に対するものとして具体例を考えてみます.

例えばこんな感じにします.
「挨拶は人間が日常生活を営む上で最小限の生活規範とされ,コミュニケーションを始める上での重要な第一歩だからだ.
 その一方で,挨拶指導を徹底することによって生徒が挨拶するようになったとしても,それは「やらされている挨拶」だと捉えられることがある.しかし,挨拶を必要としない国や文化は非常に少なく,こうした礼儀作法を習慣づけることは人間社会における「生きる力」の一つと言えよう.
前回の記事で「生きる力の指導の一つが『挨拶』かよ・・・,なんだか陳腐だなぁ」と思った君もいるかもしれませんが,こういう「4」と「5」を加えただけで,「たかが挨拶指導」が「されど挨拶指導」と受け取られるようになるものです.

コツとしては,「2」と「3」のところで「自分の意見」全てを言い尽くさず,その余力をこの「5」,つまり「自分の意見への反対論への再反論」の部分に当てるといいでしょう.
そうすれば,時間と紙面(文字数)を節約して高評価を受けるレポートやリアクションペーパーが書けます.

今回の「しかし〜」から始まる「5」に相当する部分は,ウィキペディアなどで「挨拶」を調べることによって,挨拶の意義や教育的価値となる意見を探すことができます.


ところで,最後の「6」である【再度,自分の意見または結論】ですが・・・.
授業内レポートやリアクションペーパーでは,この部分は不要かもしれません.結論を書くほど長く論じていないからです.文章量の条件や,感覚的にあったほうがいいと思ったら書いてください.
しかし,「まとめ」や「結論」が必要なケースもあります.それは,「問題意識の表明」で「私はこれを問題だと考えて述べます」と宣言したことへの回答が「2」〜「5」の中で提示できていない場合です.

今回の例であれば,「指導現場において「生きる力」が具体的にどのようなものか示される必要がある」というものでしたので,それを「結論」として書きます.
この例文だと「まとめ」を入れるとクドくなってしまうようにも思いますが,パターンに則れば以下のようになります.
学校で生徒に元気な挨拶をさせるよう指導することは,「生きる力」を育む具体的な指導方法の一つと位置づけられる.
ようするに,「1」を踏まえた上で,形を変えて「2」の【自分の意見】をもう一回書くわけです.

これまで作ってきた《例》の文章を,全部まとめて以下に示しておきますね.
《例》現在の学校教育は,子供たちの「生きる力」を育むという理念のもと進められている.しかし,この「生きる力」とは具体的にどのようなものを指すのか,その捉え方や評価は学校や教師に委ねられている部分が大きい.それゆえ,指導現場において「生きる力」が具体的にどのようなものか示される必要があるだろう.
 具体的に「生きる力」を示す指導例として,元気な挨拶の実施が考えられる.なぜなら,挨拶は人間が日常生活を営む上で最小限の生活規範とされ,コミュニケーションを始める上での重要な第一歩だからだ.
 その一方で,挨拶指導を徹底することによって生徒が挨拶するようになったとしても,それは「やらされている挨拶」だと捉えられることがある.しかし,挨拶を必要としない国や文化は非常に少なく,こうした礼儀作法を習慣づけることは人間社会における「生きる力」の一つと言えよう.
 学校で生徒に元気な挨拶をさせるよう指導することは,「生きる力」を育む具体的な指導方法の一つと位置づけられる.
以上,430文字です.
これくらいの文字数が授業内レポートやリアクションペーパーの分量でしょう.
あとは,必要な文字数に応じて「2」〜「5」の部分を増やしたり,繰り返せばいいのです.
「繰り返す」というのは,例えば,
・・・・・・こうした礼儀作法を習慣づけることは人間社会における「生きる力」の一つと言えよう.
 二点目として,体を清潔に保つ習慣を指導することも,具体的な「生きる力」の指導例と言える.なぜなら・・・・
ということで,挨拶指導の次は「体を清潔に保つ指導」を挙げて「2」〜「5」を書いていくわけです.
え? それはさすがに分かります,って? 
でもそこに躓いてレポートに悩んでる学生もいるんです.


では最後に,一連の記事でテーマ例としてきたものも同様に示しましょう.
まずはテーマ例a〜cそれぞれ,「1」〜「3」までを書いたものです.

テーマ例a:「消費税増税について」
20XX年に増税予定とされている消費税の議論が活発だ.しかし,消費税を増税するための根拠については議論の余地がある.賛否両論に沸く消費税率の引き上げ根拠を明確にすることは,この問題を考える上で非常に重要である.
増税の根拠としては,社会保障財源の確保とされている.なぜなら,消費税の増税であれば,特定の者に負担が集中せず,高齢者を含めて国民全体で広く負担できるとされているからだ.


テーマ例b:「交通事故について」
近年,交通事故の発生件数は低下傾向にある.その一方で,高齢者の事故の割合増加が問題となっている.高齢者が起こす事故の背景を分析できれば,交通事故を減らす一助となるはずだ.
高齢者の自動車運転事故が多い要因としては,加齢による視野の縮小と判断力の低下,そして認知症が疑われている.このため,高齢者自らが運転しなくてもいい制度づくりが必要である.


テーマ例c:「身体運動と健康」
身体運動が心身の健康改善に効果的であることが知られている.しかし,定期的に運動を継続できる人は少ないという課題もある.運動を継続できなければ,せっかくの運動効果も期待できない.この課題を解決することは有益だと考えられる.
運動を継続するための戦略には様々あるが,そのうちの一つとして,具体的な目標設定がある.


テーマ例a「消費税増税について」の場合
このテーマ自体,「議論の余地がある」「賛否両論」なのですから,「自分の意見」という名の一般論(今回の場合は財務省の言い分)への反論という形をとることになります.
この手のレポートが課されるということは,たいてい授業内でその反対論が紹介されているはずですが,もし君がサボって寝ていた場合はネット検索しましょう.
素直に「消費税増税 反対」で検索すると,消費税増税反対のページ というサイトが出てきます.それを読むと,いろいろと反対意見が出ていますが,なるべく「自分の意見」に対する反対論を選んだほうがいいのです.そうじゃないとトンチンカンなレポートになりますので.
今回の「自分の意見」これでしたね.
なぜなら,消費税の増税であれば,特定の者に負担が集中せず,高齢者を含めて国民全体で広く負担できるとされているからだ.
つまり,「消費税は特定の者に負担が集中しない」の逆の意見が選択されます.だからこの部分を読むことになります.
低所得者ほど負担増
消費税は、収入のない子どもにもかかります。その負担は、低所得者ほど重く、高額所得者ほど軽い、逆進的な不公平税制です。まさに憲法の応能負担原則に反します。
次は,これに対する反論をつくるわけですが,授業ノートや配布資料がなく,自分でも思いつかない場合はやっぱりネット検索です.
「消費税 逆進性 対策」として検索すると,その名も消費税逆進性対策のウェブサイトが出てきました.
これを引用すれば,以下のような文章が書けるでしょう.
なぜなら,消費税の増税であれば,特定の者に負担が集中せず,高齢者を含めて国民全体で広く負担できるとされているからだ.
その一方で,消費税は収入のない者にも負担を強いることになるため,低所得者ほど負担増となる逆進性があるとされている.しかし,これについては食品には課税しないなどの軽減税率を導入したり,低所得者に給付金をつけることで対応できる.
そんな感じで書いていくわけです.

ところで,私が担当している初年次教育では,この「消費税増税問題」をテーマに練習用のレポートを書かせたことがあります.私がこのテーマを選んだんわけではありません.学生が選んだのです.
そして,上記の「1」〜「6」の構成を指示して書かせたところ,当初は増税賛成派の学生が多かったのですが,【自分の意見を批判する意見】と【自分の意見を批判する意見への反論】の作業をしているうちに,最終的にはなんと消費税増税反対派が増えてしまいました.
つまり,財務省の「消費税増税した方がいい理由」を自分の意見としてその反対論を探しているうちに,
「いくらなんでも「特定の者に負担が集中しない」ってのは嘘だろ」
「反対論をいろいろ読んでいくと,これじゃ消費税増税を弁護しきれない」
ってことが分かってきたようです.
とても興味深い現象でしたし,これが大学生の学びの一歩だと思いました.


テーマ例b「交通事故について」の場合
このテーマの場合,自分の意見は「高齢者自らが運転しなくてもいい制度づくりが必要」というものでしたので,その反対論を探すことになります.
ネット検索で「高齢者 運転させない デメリット」とやると,もし高齢者の運転を規制するとしたらデメリットは何ですか?というYahoo!知恵袋のページが見つかりました.
そこを読むと,
シルバーパスの無料化(減額)が必要になるかもしれない
地方山間部の高齢者の足を奪うことになる
というのが見つかります.
それに対する反論も入れて書くと,例えばこんな感じに.
このため,高齢者自らが運転しなくてもいい制度づくりが必要である.
しかし,制度として高齢者に運転させないようにすると,その対策が必要になる.バスや電車の使用を強制するため,シルバーパスなどの無料化を訴えられるであろうし,地方山間部の高齢者にとっては足を奪うことになる.しかし,シルバーパスにかかる費用で重大な交通事故が減るのであれば有意義な出費であろう.また,自動車運転を必要とする高齢者のための法律を別で用意することで対応すれば良いだろう.
より規模の大きなレポートや論文であれば,シルバーパス無料化の費用を計算する必要もあります.新しい法律を用意するっていうのであれば,具体例を示す必要もあるでしょう.でも,とりあえず授業内レポートではここまででしょうか.

レポートに【自分の意見への反対論】を探して書かせることを条件にするだけで,「ボクの考えた理想的な社会」がどれだけ難しいのか分かってくれます.
少なくない学生は,シルバーパスや地方の高齢者のことなんか考えもせず,自分が住んでいる世界,そして若者の世界から見た「理想論」をレポートしたがります.
それを諌める上でも「4」と「5」を書かせるレポート指導は重要なのです.


テーマ例c「身体運動と健康」の場合
このテーマ,実はとても面白い反応を学生から引き出す可能性を秘めているのですが・・・.
さて,自分の意見は「運動を継続するためには目標設定が効果的」というものでしたから,これに対する反対論を書くわけですね.
上述した「反対論を探すキーワード」を使ってネット検索してみましょう.すると,
そのサイトには効果的な目標設定についても書かれているので,これを使ったらこういう文章例ができます.
運動を継続するための戦略には様々あるが,そのうちの一つとして,具体的な目標設定がある.しかし,目標設定すればそれで解決するというわけではない.実現可能な目標を設定しなければ効果的ではないとされているため,最終目標を達成するために自身が努力できる範疇の目標を用意する必要があるとされる(参考資料1).
「先生,でもこれだと「目標設定するから運動が継続できるんじゃなくて,運動を継続できている人だから目標設定ができているんじゃないですか?」
などと言い出す学生が必ず現れます.

いや,実はとても重要な問いです.
プロ選手や必要に迫られたダイエット目的の人ならまだしも,運動を継続できている人の大多数の人は「運動をするための目標」なんて持っていませんよね.多種多様な理由がいろいろと作用しているのです.

こういうレポートを書かせると,人が何かの行為に及ぶまでにはたくさんのものが相互作用していることを分かってくれるようになります.
これを身につけておくことは,大学での学びを受ける上での必要条件です.


最後の最後に,
これまで適当にレポートを書いて提出していた君に告ぐ.
この長い記事を読みきったくらいだから,自分自身に対する問題意識,そしてやる気はあるのでしょう.そこは大事にしてください.

こうしたレポートを書く習慣をつけていれば,徐々に物事を見る思考回路が変わってくるはずです.授業で先生が何を言っているのか,その真意が分かってきます.
今まで,「コイツ,つまんねー」とバカにしていた先生が,とんでもなく重大な話をしていたのだと気づく瞬間が訪れます.
その時,知識の蓄積ではない,大学ならではの学びが君の身体に宿るのです.


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■自分の意見への批判とその反論の書き方 ←今ここ
最終奥義(読むことをオススメします)

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2016年5月9日月曜日

【自分の意見と根拠の書き方】超便利:授業内レポート(小レポート,リアクションペーパー)作成のコツ

を読んだだけでは書けず,悶え苦しむほどレポートを書くのが苦手な学生のために用意した記事です.

そんな君は,以下のフォーマットに合わせて書いてみることをオススメします.
※なお,普通にレポート文章を書くことができる人は,これを読んでもあまり得しません.あくまで「悶え苦しむほど苦手な学生用」です.

基本構成の詳細については,
の記事を読んでください.

授業内レポートで低評価されないための基本構成
1.問題意識の表明
2.自分の意見(仮説)
3.自分の意見を裏付ける根拠
4.自分の意見を批判する意見
5.自分の意見を批判する意見への反論
6.再度,自分の意見または結論

今回は「2」と「3」について焦点をあてましょう.

授業内レポートですので,自分の意見は1つ書くくらいで収まります.
それ以上になると2000字以上(A4・2枚以上)のレポートですから.

前回の,
に示した具体例と同じものを使用します.
その具体例として,問題意識をこのように書いたとしましょう.
《例》現在の学校教育は,子供たちの「生きる力」を育むという理念のもと進められている.しかし,この「生きる力」とは具体的にどのようなものを指すのか,その捉え方や評価は学校や教師に委ねられている部分が大きい.それゆえ,指導現場において「生きる力」が具体的にどのようなものか示される必要があるだろう.
では,そこから続けて「自分の意見」を書くにはどうすればいいのでしょうか.

もちろん,「授業ノートや配布資料,教科書などから引用して書きなさい」という指示やヒントが出されている場合にはそれに従います.
そのケースであれば簡単.科目担当教員が授業で述べていることを,そのまま書けばいいのです.上述した例であれば,教員が示した「生きる力」を素直に書けば良い.

でも,まさに「自分の意見を書きなさい」と手放しで言われた場合や,ずっと寝ててノートも配布資料も持っていないという場合は自分の意見を練り出す必要があります.

けど自分の意見が出せずに悶え苦しんでいる?
そんな時はスマホとか携帯電話を使ってネット検索するのです.
まず,大学教員に差し出す文章ですから,一般論を踏まえた意見を作ることが大事です

ゆえに今回の例であれば,教育関係ですから文部科学省から引っ張ってみました.
「生きる力」をネット検索してみましょう.すると,現行学指導要領・生きる力というページが見つかります.
そこには,
「生きる力」=知・徳・体のバランスのとれた力
変化の激しいこれからの社会を生きるために、確かな学力、豊かな心、健やかな体の知・徳・体をバランスよく育てることが大切です。
文部科学省HPより
と書かれています.
より詳細なものを調べてもOKですが,授業内レポートでは時間が限られます.
いつもサボってるんだから仕方ありません.無理矢理でもこれを使って「自分の意見」を考えます.

はい,その前にココ重要.
慌てずもう一度,出された問題文,または自分が書いた「問題意識の表明」の最後の部分を読み返します.
それゆえ,指導現場において「生きる力」が具体的にどのようなものか示される必要があるだろう.
そう問われている,または自分でそう宣言しているのですから,これに合うものにしなければいけません.
その上で・・・.「あっ,そうだっ」と閃いたもので結構です.それを書きます.

今回の例であれば,学校の指導現場で具体的に「生きる力」だと見做せる事を出すのですから,とりあえず適当に「元気な挨拶」としておきましょうか.

え? 「とりあえず適当に」で良いのかって?
それは普段からしっかり授業に取り組んでいる学生が言うセリフです.君は黙って最後まで読んでください.

ということで,とりあえず適当にこういう文章にしておきました.
「具体的に「生きる力」を示す指導例として,元気な挨拶の実施が考えられる.」
・・・,なんだか陳腐じゃないか? ですって? そう言わず,ここから自分の意見をねじ込んでいくのです.

「こんなんで大丈夫かよ・・・,(TдT)」と思えるような【自分の意見】であっても,
それに続けて堂々と【自分の意見を裏付ける根拠】を書きます.
頑張って書くのです.
頑張っても思いつかなければ,自分の意見を裏付ける根拠もネットで調べてみましょう.
「学校 挨拶 指導」といったテーマで検索してみます.
すると,こんなネット記事がありました.挨拶指導の基礎資料.そこにこう書かれています.
挨拶は、人間が日常生活を営む上で最小限の生活規範であり、最も身近で簡単なコミュニケーションであると言えます。(上記サイトより)
これならさっき書いた文章に続けて書けそうですね.
他にも,こういうPDFのウェブページがありました.挨拶指導のアイデア(鳥取市公式ウェブサイト)
そこにはこう書かれています.
「挨拶」は人と人とが出会い、出会った人同士が互いに心を開いて相手にせまっていくために交わす最初の言葉であり、これから始まるコミュニケーションの重要な第 一歩なのである。
ということなので,これらの文章を引用してこう書くのです.
「具体的に「生きる力」を示す指導例として,元気な挨拶の実施が考えられる.なぜなら,挨拶は人間が日常生活を営む上で最小限の生活規範とされ,コミュニケーションを始める上での重要な第一歩だからだ.
さて,忘れちゃいけないのは,この引用したサイトのタイトルや著者です.
もしそれが授業の配布資料や教科書などからの引用であっても一緒です.
前者のサイトであれば,「学びの場.com,挨拶指導の基礎資料,大谷雅昭,2016年5月9日閲覧」
後者の「鳥取市公式ウェブサイト」は作者不明です.

そして,先ほどの文章の最後にこう書きます.
「なぜなら,挨拶は人間が日常生活を営む上で最小限の生活規範とされ,コミュニケーションを始める上での重要な第一歩だからだ(参考資料1, 2).
あとはレポートの最後のところに,
参考資料1:学びの場.com,挨拶指導の基礎資料,大谷雅昭,2016年5月9日閲覧
参考資料2:鳥取市公式ウェブサイトより,2016年5月9日閲覧
と並べておきます.
授業内レポート,中でもリアクションペーパーや極簡単なレポートであれば,ここまで求められることはありません.
実際のところは,文章だけ作っておけばOKかと思います.

そして次は,
4.自分の意見を批判する意見 & 5.自分の意見を批判する意見への反論 の書き方
へと移ってくわけです.


参考までに,以下に「生きる力」以外の例も示しておきます.
これも前回記事からテーマ例a〜cをそのまま転用します.

ひとまず,前回記事で作成した【問題意識の表明】の部分は以下のとおり.

テーマ例a:「消費税増税について」
20XX年に増税予定とされている消費税の議論が活発だ.しかし,消費税を増税するための根拠については議論の余地がある.賛否両論に沸く消費税率の引き上げ根拠を明確にすることは,この問題を考える上で非常に重要である.

テーマ例b:「交通事故について」
近年,交通事故の発生件数は低下傾向にある.その一方で,高齢者の事故の割合増加が問題となっている.高齢者が起こす事故の背景を分析できれば,交通事故を減らす一助となるはずだ.

テーマ例c:「身体運動と健康」
身体運動が心身の健康改善に効果的であることが知られている.しかし,定期的に運動を継続できる人は少ないという課題もある.運動を継続できなければ,せっかくの運動効果も期待できない.この課題を解決することは有益だと考えられる


テーマ例a「消費税増税について」の場合
消費税率を引き上げるための根拠や理由を一つ上げることが目的となります.
「消費税増税 理由」とスマホで調べると,財務省のページが見つかりました.「消費税引き上げの理由」.そこにはこう書かれています.
社会保険料など、現役世代の負担が既に年々高まりつつある中で、社会保障財源のために所得税や法人税の引上げを行えば、一層現役世代に負担が集中することとなります。特定の者に負担が集中せず、高齢者を含めて国民全体で広く負担する消費税が、高齢化社会における社会保障の財源にふさわしいと考えられます。
へぇー,そうなんだぁ.と納得(笑)できたら,ここから「自分の意見」を出しましょう.例えば,
「増税の根拠としては,社会保障財源の確保とされている.」
とでも書きましょう.
しかも嬉しいことに,この場合は財務省がその理由の根拠も示してくれていますので,そのままこう書き続けてもいいでしょう.あと,参考資料の表示もこんな感じに.
「増税の根拠としては,社会保障財源の確保とされている.なぜなら,消費税の増税であれば,特定の者に負担が集中せず,高齢者を含めて国民全体で広く負担できるとされているからだ(参考資料1).
参考資料1:財務省ホームページ,消費税引き上げの理由,2016年5月9日閲覧

テーマ例b「交通事故について」の場合
高齢者が起こす交通事故を減らす提言が目的となります.
「交通事故 高齢者 減らす」とネット検索すれば,NHKのページがトップにきます.どう減らす?高齢者の交通事故.その中で自分が「いいね!」と思うアイデアがあったら,それを選んで書きます.こんな感じに.
「高齢者の自動車運転事故が多い要因としては,加齢による視野の縮小と判断力の低下,そして認知症が疑われている.このため,高齢者自らが運転しなくてもいい制度づくりが必要である」
このテーマ例の場合,その前段で「高齢者事故の背景を分析して,交通事故を減らす」と宣言しているので,このような文章の順序が適切かと思います.
これまで紹介してきた基本に則って,
「高齢者自らが運転しなくてもいい制度づくりが必要だと考えられる.なぜなら,高齢者の自動車運転事故が多い要因としては,加齢による視野の縮小と判断力の低下,そして認知症が疑われているからだ.」
という文章でもOKです.


テーマ例c「身体運動と健康」の場合
運動を継続させる方法を提案することが目的となります.
自力で思いつかないようでしたら,ネットで「運動 継続」として検索してみます.すると,運動を継続するために効果的な5つのポイントとかいうページが見つかりました.
それを見て,良さそうなものを自分の意見として示しましょう.「5つのポイント」などと書かれているものだと目移りしそうですが,自分が論じやすいものに絞るのです.例えばこうです.
「運動を継続するための戦略の一つとして,他の人と一緒に運動する方法がある」
ではその根拠は? と思ってそのサイトを読んでも,実はそこまで詳しく書かれていませんね.ここは一つ,その根拠を別に調べる必要がありそうです.
・・・,と思って調べてみたのですが,なかなか見つからない.ということでこの「他の人と一緒に運動する」を撤回.代わりに,別のものにします.
「運動を継続するための戦略の一つとして,具体的な目標を設定する方法がある」
よし,これなら・・・,ところが「目標設定によって,なぜ運動が継続できるようになるのか」を書いたものに出会えません.どれもこれも「目標の立て方」ばかりです.

そう・・・,実は他の人と一緒に取り組んだり,目標設定するくらいで運動が継続できるようになんかなりません.当然です.それができたら誰も苦労しないでしょ.
ゆえに,運動の継続実施を促す研究がスポーツ科学の領域で進行中です.
(ちなみに,運動を「何かのための運動」として継続しようとするからダメなのです,って言いたいのですが,それはまた別の話.ここでは割愛します)

これ以外にも,根拠や理由を書くのが簡単そうに思えて難しいテーマはたくさんあります.
そんな場合は,いっそ書かない.これに尽きます.授業内レポートなんですから,考えにふける時間は用意されていません.
この例の場合なら,
「運動を継続するための戦略には様々あるが,そのうちの一つとして,具体的な目標設定がある.」
などとして,その根拠や理由を示さず,それで終わらせるのです.
本気で考えて学術書をあされば出てきますが,それは今回のようなレポートでは出来ませんから.


《おまけ》
参考までに,今回扱った《例》とその他のテーマ例a〜cの文章をまとめて示します.

《例》現在の学校教育は,子供たちの「生きる力」を育むという理念のもと進められている.しかし,この「生きる力」とは具体的にどのようなものを指すのか,その捉え方や評価は学校や教師に委ねられている部分が大きい.それゆえ,指導現場において「生きる力」が具体的にどのようなものか示される必要があるだろう.
具体的に「生きる力」を示す指導例として,元気な挨拶の実施が考えられる.なぜなら,挨拶は人間が日常生活を営む上で最小限の生活規範とされ,コミュニケーションを始める上での重要な第一歩だからだ(参考資料1, 2).
参考資料1:学びの場.com,挨拶指導の基礎資料,大谷雅昭,2016年5月9日閲覧
参考資料2:鳥取市公式ウェブサイトより,2016年5月9日閲覧

テーマ例a:「消費税増税について」
20XX年に増税予定とされている消費税の議論が活発だ.しかし,消費税を増税するための根拠については議論の余地がある.賛否両論に沸く消費税率の引き上げ根拠を明確にすることは,この問題を考える上で非常に重要である.
増税の根拠としては,社会保障財源の確保とされている.なぜなら,消費税の増税であれば,特定の者に負担が集中せず,高齢者を含めて国民全体で広く負担できるとされているからだ(参考資料1).」
参考資料1:財務省ホームページ,消費税引き上げの理由,2016年5月9日閲覧

テーマ例b:「交通事故について」
近年,交通事故の発生件数は低下傾向にある.その一方で,高齢者の事故の割合増加が問題となっている.高齢者が起こす事故の背景を分析できれば,交通事故を減らす一助となるはずだ.
高齢者の自動車運転事故が多い要因としては,加齢による視野の縮小と判断力の低下,そして認知症が疑われている.このため,高齢者自らが運転しなくてもいい制度づくりが必要である.

テーマ例c:「身体運動と健康」
身体運動が心身の健康改善に効果的であることが知られている.しかし,定期的に運動を継続できる人は少ないという課題もある.運動を継続できなければ,せっかくの運動効果も期待できない.この課題を解決することは有益だと考えられる.
運動を継続するための戦略には様々あるが,そのうちの一つとして,具体的な目標設定がある.


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問題意識の表明の書き方
■自分の意見と根拠の書き方 ←今ここ
自分の意見への批判とその反論の書き方
最終奥義(読むことをオススメします)

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2016年5月8日日曜日

【問題意識の表明の書き方】超便利:授業内レポート(小レポート,リアクションペーパー)作成のコツ

前回の,
超便利:授業内レポート(小レポート,リアクションペーパー)作成のコツ
を読んだだけでは書けない.という学生もいるでしょう.

泣きそうになるくらいレポートを書くのが苦手で困っている学生もいるでしょうから,この記事はそういう人のために用意しました.

そんな君は,以下のフォーマットに合わせて書いてみることをオススメします.
※なお,普通にレポート文章を書くことができる人は,これを読んでもあまり得しません.あくまで「泣きそうになるくらい苦手な学生用」です.

基本構成の詳細は前回の記事を読んでください.

1.問題意識の表明
2.自分の意見(仮説)
3.自分の意見を裏付ける根拠
4.自分の意見を批判する意見
5.自分の意見を批判する意見への反論
6.再度,自分の意見または結論

今回は「1」の問題意識の表明について焦点をあてましょう.

では早速.

『問題意識の表明の書き方』
その前に留意しておくこと.
前回も述べましたが,授業内レポートではこの部分が「問題」「設問」となっていて不要の場合もあります.
例えば,こんな感じ.
《例1》現在の学校教育は,子供たちの「生きる力」を育むという理念のもと進められている.しかし,この「生きる力」とは具体的にどのようなものを指すのか,その捉え方や評価は学校や教師に委ねられている部分が大きい.「生きる力」とはどのようなものか述べなさい.
こういうレポート課題であれば,既に問題意識が明確にされているため,「2.自分の意見」から書き始めるのもOKです.
もちろん,あえて自分独自の見解を述べたいのであれば別ですが.

逆に,こうしたものが教員から提示されなかった場合は,自分で用意する必要があります.
例えば,上記の例で言えば,
《例2》「生きる力」とはなんだろうか.授業で紹介したものを踏まえながら,あなたの考えを述べなさい.
こういうレポート課題では,自分なりにいろいろと問題意識を表明する必要があります.
授業内レポートに限らず,授業で課されるレポートは,たいてい授業で紹介したものや配布資料・教科書,指示のあったものから引っ張ってこれるようになっているはずです.

ですが,さらに自由度が高い設問であったりすると,なかなか問題意識が明確にできないという場合もあるでしょう.

では,自力で問題意識を表明するためにはどうすればいいのでしょうか.

以下のような文章構成にすれば問題意識をいろいろと表明しやすくなります.
ちなみに,《例1》の設問もこの文章構成になっていますね.

1.そのレポート課題にとっての親玉的な大テーマについて軽く触れる
2.「しかし,〜〜については議論の余地がある/〜〜が問題となっている」と書く
3.「だから〜〜について述べる必要がある」と締める

このパターンに合うように課題問題を読み,その文章を作るのです.

まずは,
1:そのレポート課題にとっての親玉的な大テーマについて軽く触れる
《例1》の文章では,
「現在の学校教育は,子供たちの「生きる力」を育むという理念のもと進められている.」
の部分がそれに相当します.

そのレポート課題の学問的な位置付けや背景をまず示すのです,って言っても難しいかと思います.
簡単に言えば,「その授業の科目名にとっての位置付け」や「この話題が現在に至ってきた背景」を書くのです.

その他の例も示してみましょう.
テーマ例a:「消費税増税について」
 →「20XX年に増税予定とされている消費税の議論が活発だ.」

テーマ例b:「交通事故について」
 →「近年,交通事故の発生件数は低下傾向にある.」

テーマ例c:「身体運動と健康」
 →「身体運動が心身の健康改善に効果的であることが知られている.」 

え? さらに泣きそうになってきた?
自分で思いつかなければ,手元のスマホとか携帯電話で調べるのです.

例えば「消費税増税」であれば,そのようにネット検索をかければ出てきます.
そして,そのニュース記事は,
「2017年4月に予定される消費税率10%への引き上げについて、安倍晋三首相が先送りも含む検討に入ったとの報道が相次いでいる。」 
という文章で書き始めているでしょ.それを自分のレポートに合うよう参考にして書くのです.


それが書き終わったら,これに続けて,
2.「しかし,〜〜については議論の余地がある/〜〜が問題となっている」と書く
レポートや論文を書くためには,目的や理由を書く必要があります.その要となるのが,この,
「しかし,〜〜については議論の余地がある/〜〜が問題となっている」
という文章の展開です.

《例1》であれば,
「しかし,この「生きる力」とは具体的にどのようなものを指すのか,その捉え方や評価は学校や教師に委ねられている部分が大きい.」
がその部分です.
ちょっと乱暴な言い方をすれば,この部分がなければレポートを作成する意味がないのです.とても重要な部分ですから覚えておいてください.

その他のテーマ例についても示します.
テーマ例a:「消費税増税について」
 →「しかし,消費税を増税するための根拠については議論の余地がある.」

テーマ例b:「交通事故について」
 →「その一方で,高齢者の事故の割合増加が問題となっている.」

テーマ例c:「身体運動と健康」
 →「しかし,定期的に運動を継続できる人は少ないという課題もある.」

え? 意味不明でまた泣きそうになってきた?
そんな時は手元のスマホとか携帯電話で調べましょう.

例えば「交通事故について」であれば,どのようにネット検索をかければ良いかというと,「1」のところで「近年,交通事故の発生件数は低下傾向にある.」と書いていますので,逆に「近年になって増えてきた交通事故」をネット検索すればいいのです.「交通事故 要因 近年」などのキーワードを入れると,内閣府:平成25年度交通事故の状況及び交通安全施策の現況なんかがヒットします.そこで問題とされているものを引き抜くのです.


そして最後は,
3.「だから〜〜について述べる必要がある」という趣旨で締める
非常に重要な部分ですので,考えれば考える程時間が足りなくなるのですが,授業時間内に収めなければならないレポートの場合は,素直に「2」で書いたことを繰り返すだけでもいいでしょう.
もっと言えば,この部分は「2」のところと連動しておくほうがいいです.さきに「3」を思いついているのであれば,それに合わせて「2」のところを書くと良いでしょう.

例えば,《例1》であれば,「2」に相当する部分が
「しかし,この「生きる力」とは具体的にどのようなものを指すのか,その捉え方や評価は学校や教師に委ねられている部分が大きい.」
というものでしたので,「生きる力」とはどのようなものか述べなさい.」の部分を以下のようにします.
「そこで,私が考える「生きる力」を示す具体例を述べたい.」

もしくは,事前知識と文章力に余裕があるなら,
「それゆえ,指導現場において「生きる力」が具体的にどのようなものか示される必要があるだろう.(その具体例について述べてみたい.)」
などと書きます.

その他のテーマ例だとこんな感じです.
テーマ例a:「消費税増税について」
 簡易版→「このことから,消費税増税の根拠を明確にする必要がある.」
 上位版→「賛否両論に沸く消費税率の引き上げ根拠を明確にすることは,この問題を考える上で非常に重要である.」

テーマ例b:「交通事故について」
 簡易版→「このことから,近年の高齢者事故の詳細を分析する必要がある.」
 上位版→「高齢者が起こす事故の背景を分析できれば,交通事故を減らす一助となるはずだ.」

テーマ例c:「身体運動と健康」
 簡易版→「運動を継続できない理由を考える必要があるだろう.」
 上位版→「運動を継続できなければ,せっかくの運動効果も期待できない.この課題を解決することは有益だと考えられる.」

え? 書いたはいいけど,それから先の文章が書けず泣きそうになってきた?
実はこの部分,この次に書かなければいけない「自分の意見(仮説)」とも強く連動しているので,それを意識しておかねばなりません.
例えば「身体運動と健康」についてであれば,「この課題を解決することは有益だと考えられる」って書いているわけですから,次に書くはずの「自分の意見」は “運動を継続できない理由とその解決策” を書くことになります.それが思いついていないのにここの文章は書けませんからね.

だから「2.自分の意見(仮説)の書き方」も一緒に読んでください.(現時点で未作成)


《おまけ》
参考までに,それぞれのテーマ例a〜cの文章をまとめて示します.

テーマ例a:「消費税増税について」
20XX年に増税予定とされている消費税の議論が活発だ.しかし,消費税を増税するための根拠については議論の余地がある.賛否両論に沸く消費税率の引き上げ根拠を明確にすることは,この問題を考える上で非常に重要である.

テーマ例b:「交通事故について」
近年,交通事故の発生件数は低下傾向にある.その一方で,高齢者の事故の割合増加が問題となっている.高齢者が起こす事故の背景を分析できれば,交通事故を減らす一助となるはずだ.

テーマ例c:「身体運動と健康」
身体運動が心身の健康改善に効果的であることが知られている.しかし,定期的に運動を継続できる人は少ないという課題もある.運動を継続できなければ,せっかくの運動効果も期待できない.この課題を解決することは有益だと考えられる.


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