2016年9月18日日曜日

「遅咲きのひまわり」っていうドラマがあったそうだ

今年のお盆に実家に帰省していた際,こんな話を聞いたんです.
「何年か前に中村(四万十市のこと)あたりでドラマを撮りよったけん,せっかくやきどんながか皆で見よったがよ」

え? そんな話聞いたことないんですけど...
ってことで,詳しく聞くところによると,どうやら田舎の「町おこし」をテーマとした若者の群像劇だったとのこと.
それがこれ↓
遅咲きのひまわり〜ボクの人生、リニューアル(Wikipedia)

ご案内の方もいらっしゃるかと思いますが,私は学生時代からテレビを廃棄した身です.
全然知りませんでした.2012年の作品とのことですけど,この4年間まったく話題にも出なかったし.

適当に作った地域アゲの簡単なドラマかと思いきや,フジテレビの連続ドラマ枠としてキャスティングを含め結構しっかり作っていたようです.
いや〜,知らんかった.

で,いつか時間ができたら一気に見てみようと思っておりましたので,昨日今日と実験の心拍データの周波数解析をしながら見てみたんです.

いや〜,身につまされる思いがします.
ちょうど主人公たちの年齢が私と近い設定になっていますし,彼ら彼女らが抱えてい悩みや不安が,私にもなんらかの形で全て当てはまる.ドラマの舞台が地元であるということも相まって,感情移入が強力.
性別は違うけど,特に真木よう子さん演じる人物へのシンクロは深い.

物語自体も,かなり良い出来だと思います.
訳わからん突飛な町おこしアイデアによるハッピーエンドではないのが良い.

あと,バランスがいいんですよ.
この時代の30歳前後の人間が抱いている言い知れぬジレンマ,トリレンマへの葛藤が丁寧に扱われています.
どういう生き方が理想的なのか,っていう確固としたメッセージがあるわけじゃないんですよね.

東京・大阪への憧れと,そんなこと言ってられない現実の生活があること.
「30歳なんてまだまだ若いんだから,今からでも一旗揚げればいいじゃないか」
と気安く言えない現状が地方にはあること.
そんなことが言えるのは,ヒト・モノ・カネの資源が豊富な都市部にいる者.

そんなこと言うと,「努力不足」「ルサンチマン」と罵られかねません.
メディアが伝えにくい,地域復興推進論では避けられるこうした問題について,人間模様を描いたドラマだからこそ正面から腰を据えて向き合えていると思います.
これについて多くの地方人は共感できるのではないでしょうか.

そして地方は衰退を続けます.
これに対してドラマでは一切の「希望」を見せていません.
このままではもうダメなんですよ,地方は.
これは厳然たる事実.

衰退していく町・四万十市の姿は,現状打破に急く若者の心を映しているようです.
でも,躍起になって張り切れば張り切るほどに,人としての善い生き方を踏み外すのではないかという葛藤が,このドラマには通底しています.

最終的に,主要登場人物たちが選んだ道はそれぞれ,「目の前に提示されていることに真摯に取り組むこと」でした.
劇中のセリフにもありますが,「やるべきことは目の前にある」んです.

これは,自分を押し殺して寡黙に努力するべきだ,ということではありません.自分が納得したことに邁進するべきだ,ということでもない.そんなに綺麗なことではないのです.
結局はバランスの問題.それは「はい,これです」と見せられるような簡単なことではないということを,ドラマ全体を通じて伝えているように思えます.

私も当事者だから余計に考えさせられたのですが,主人公が「短期の任期付契約」の仕事ばかりやってきていて,最後にあのような形に収まったのは象徴的です.
物語のクライマックス.米作りをしたいと考えた主人公は,DASH村の如く農家の老人に教えを請います.
すると老人は,
「使わなくなった田んぼを,もう一度米作りができるようにさせるには,最低3年,少なくとも5年が必要」
と言い,それに主人公はショックを受けるわけですが.
これにより主人公は「3年契約」だったその仕事を辞めて,四万十市民として定住することを決断します.

制作者がどれほど意図的だったかどうか分かりませんけど,この展開はもの凄く考えさせられたんですよ.いろいろと.
まず,「町おこし」という共同体再生の業務を「任期付職員」の待遇でできるわけないだろうというメッセージとして捉えることができます.「米作り」という題材は,そのアイコンだったとも考えられる.
そしてこれは,「町おこし」と似た「人と人とのつながり」が重要な仕事全般にも同じことが言えるとも考えられるのです.

今,失敗したくない,失敗できない状況にある企業や組織,役所がいっぱいあります.
そんな時,彼らはひとまず新しいことに着手した体を見せるため,「とりあえず」ということで任期付職員を雇うのが常套になっています.「もしダメだったら無しにできるから」という保険のつもりなのでしょう.
でも,そういう姿勢では本質的な改善も向上も期待できないないのではないか.そんな警鐘として受け取ることができるのです.


最後に,劇中に出ていたものについて地元民としての薀蓄をいくつか.

(1)遊泳禁止なのでご注意を
よく出てくる浜辺とその先にある海.ここは入野松原海岸だと思われます.
過去記事でも写真をお見せしたことがありますね.こういうところ↓
とっても綺麗な海岸ですが,注意が必要です.
劇中でも注意を呼びかける看板がほんのチョット映っていましたが,「遊泳禁止」のエリアが多いんです.
毎年,それを知らない観光客が感動のあまり浜辺を駆けてるうちに「ま,いっか」と入水してしまい,「離岸流」に流されてお亡くなりになっています.

(2)「ビールの貸し借り」は本当
むしろ,昨日観たこのドラマで「ビールの貸し借り」が全国標準ではないことに驚きました.「ビールがもうない」という主人公に,私もその場の登場人物と同じタイミングで「借りたらええやいか」とつぶやいてました.
たしかに都市部では近所付き合いが少ないですしね.私が今まで住んできたところでそんな事態になったことがないから忘れていました.
“ビールは天下の廻り物” です.借りてたビールは買って返せばいいのです.どうせ近いうちにその人の家で飲んだりするんだし.その時ビールを持っていけば済む話です.
っていう感覚が,たしかに県外では少ないのかもしれません.

(3)近所の爺さん婆さんが野菜や魚を持ってくるのは本当
これはこのドラマに限らず「田舎の慣習」としてよく描かれますが,これも本当です.
溜め込んでてても腐らせるだけですからね.だから近所に分けて周るんです.
単純に「もったいないから」という理由が多く,決して「お返し」を期待しているわけではないのですが,だからといって全く返さないのもそれはそれで問題,という非常に微妙な人間関係のなかで成り立っている現象です.
それほど気にしなくていい事なんですが,都市部から移り住んできた人は過剰に気にする傾向があります.

(4)高知は野球王国
高知というより,四国全体が野球王国です.
典型的なのが,クジ運もあったのでしょうけど2002年の甲子園ベスト8に四国4県代表校が入ったことがあります(ちなみに優勝校は高知・明徳義塾でした).
人口が少ない割に強豪校が多く,例えばドラマの舞台となっている四万十市は甲子園と縁が少ない高校が多いのですが,例の “明徳義塾高校” さえいなければ全国レベルだというところは多いのです.
出身プロ野球選手にも個性派が多く,「ベンチがアホやから」の江本孟紀,「火の玉ストレート」の藤川球児,「改名」の町田公二郎,「覚醒剤取締法違反」の野村貴仁などです.

(5)役者さん達の幡多弁に違和感
過去記事でも書いたことがありますが,ドラマの舞台である四万十市は「土佐弁」ではなく「幡多弁」を使う,四国南西部・幡多地域です.
で,仕方がないことですが,ネイティブとしてはすごく違和感があります.
「あっ,今のしゃべり方はOK」というシーンもあるにはあるのですが,どうしてもね.
比較的うまかったのは国仲涼子さんでしょうかね.ちょっとわざとらしいけど,こういうしゃべり方の女性もいるよなって思わされました.
逆に厳しかったのは嶋田久作さんです.名優なんでしょうけど,この人に幡多弁は難しかったのでしょう.
あと,主要人物の一人を演じた桐谷健太さんは大阪のご出身だそうで,だからでしょうか.とても流暢な「土佐弁」を使われていましたね.というのも,近畿地方のアクセントが強いのが土佐弁で,そうでないのが幡多弁という特徴があるんです.
幡多弁(Wikipedia)

2016年9月14日水曜日

オープンキャンパスとその準備とAVと

最近にしては,かなりブログ更新が遅くなりました.
料理したい話題があったのですが,上品にまとめることができずに放ったらかしていたのです.

どういう話題かというと,私がいつも「最近の大学は・・・」というテーマで談笑している某大学の先生がこんなふうに言うんですよ.
「最近のオープンキャンパスは,AVみたいになってるよ」
ってね.

AVっていうのは「オーディオ・ビジュアル」のことでも,「アニマルビデオ」のことでもありません.
アダルトビデオです.

難しいでしょ,これをブログで書くの.女性の読者もいましょうし.
だから,どうにかこの話題を上品かつ清楚で高尚に論じようかと思案にふけっていたのですが,もう面倒になったのでさっさと取り上げておくことにします.

以前,大学における広報活動がエロスに向かうという話をしたことがありますね.
大学のこれから(4)
以下,リンク先を読むのが面倒な人のために,抜粋.
先日,駅で見かけた看護系専門学校の広告は「それ」として見事なものでした.
10代後半に見えるかわいい女の子がナースの格好で微笑んでいる写真,それを前面に出しているポスターなんですけど,「◯◯看護専門学校」という文字がなければ,風俗店の前に貼ってあるものと同じです.その代わりに「今宵も貴方を “お大事に” 1時間 ¥25,000〜」って書かれててもおかしくない.
そしてこのポスターは,そういう嗜好センスのある女子,およびそれにむらがる男子学生を引っ張るために強力に機能するはずです.
狙ってやっているのかどうか定かではありませんが,もし私が経営難の専門学校の広報担当なら迷わずやります.背に腹は代えられない.
それと同じことが大学の広報でも見られるようになるでしょう,ということです.
そう遠くない将来,大学においてもナースやスチュワーデスの格好をさせた卒業生,はたまたチアリーディングや競泳水着姿の学生を,パンフやポスター,HPといったところにデカデカと掲載するようになるのです.
もちろん堂々と厭らしく載せるのではなく,それとなくエロく載せるはずです.
ちょっとビックリしたのは,この記事を書いたのは今年2月なんですけど,今年度に入って現れた「大学広報用ポスター」のなかに,ややエロっぽいものが散見されたことです.
やべぇ,予想が現実のものとなっている.っていうか早いよ.2018年度以降を想定してたのに.

やっぱり大学広報もエロスとセックスアピールをまとうようになってくるんですねぇ.とまぁ,そいういう話をしていたら,その知り合いの先生曰く,
「いや,もう既に最近のオープンキャンパスはAVみたいになってるよ」
ってことなんです.

別に性的に奔放なわけでも,参加者相手に「からみ」をやっているわけでもありません.
そういうことではなくて,オープンキャンパスという存在および,そこで用いられている手法がアダルトビデオみたいだということなのです.

まず,オープンキャンパス自体,大学の本当の姿を見せているわけではありません.
いや,そのことは少なくない参加者は知っています.
だけど,そこで展開されていることが,さも大学における学びの実態であるかのように仕立てられ,その場限りの楽しみを見せているのがオープンキャンパスです.
堂々と言い訳もします.「これは大学の本当の姿じゃないですよ」って.でも,そう言いつつ需要があるからってことで辞められない.辞めても大勢に影響しないのに.

ちなみに,「学生にスポットを当てる」という点に努力しているのが近年のオープンキャンパスです.もう10年くらいそんな感じです.

というのも,オープンキャンパスに参加した人から高評価を得ているポイント,そして入学を決める材料となったポイントというのが「在学生の雰囲気が良かった」「学生が親切で熱心だった」というものだからです.新入生アンケートの結果によると,どうやらそんな回答があります.

故に,大学としてはここを重点的に推しています.
で,最近はこの「在学生推し」がさらに酷くなってきて,在学生をまるで営業マンか広報戦士を育成している状態なんです.
もちろん,「こういう活動が,学生のキャリア教育やホスピタリティ・マインドの育成につながっている」などと巧妙に言い訳していることは言うまでもありません.
んで,やけくそ一蓮托生な気分になっている入試広報系の部署と担当教員は,オープンキャンパス当日に活躍する在学生の姿を思わずユーチューブにアップします.

挙句,当日の様子だけでは心の隙間が埋まらないからってんで,オープンキャンパスに向けて準備する在学生の様子までをもドキュメンタリー・タッチで映像に収めてしまい,「皆さんのお越しをお待ちしています!」というメッセージを感じさせるものにして,それをまたユーチューブにアップしちゃうのです.

え? アダルトビデオの話はどうなった?
まさにこれがアダルトビデオなんですよ.
上記の文章をそのまま「アダルトビデオ」にして以下に示してみましょう.

まず,アダルトビデオ自体,女や性行為の本当の姿を見せているわけではありません.
いや,そのことは少なくない閲覧者は知っています.
だけど,そこで展開されていることが,さもセックスにおける実態であるかのように仕立てられ,その場限りの楽しみを見せているのがアダルトビデオです.
堂々と言い訳もします.「これはセックスの本当の姿じゃないですよ」って.でも,そう言いつつ需要があるからってことで辞められない.

ちなみに,「AV女優の本当の姿にスポットを当てる」という点を映すようになっているのが近頃のアダルトビデオです.まぁ,ずっと以前からそうなんでしょうけどね.

というのも,アダルトビデオを見ている人から高評価を得ているポイントの一つに「女優の雰囲気が良かった」「女優の本来の姿が見れた」というものがあるからです.
演技である姿とは別に,本来の姿をみたいのがAV閲覧者の願望というもの.
故に,制作者としてはこの部分も推しますよね.

例えば,アダルトビデオの本編に入る前に,インタビュー形式の何だかよく分からないシークエンスが入ってるやつがあります.あれが代表的ですね.
これはおそらく,「本編」において女優の姿になる前に,女優さん本来のキャラクターを見せておこうという算段ではないでしょうか.

本編で映されている女優は既に彼女の本当の姿ではないという諦めが閲覧者にはありますから,少しでも女優さんの本当の姿を垣間見ておくことで,あの女優さんが今こんな状態になっている,という妄想を抱かせる効果があると考えられます.
だけど,これも含めて「AV女優」のはずなので,そのインタビューも彼女たちは演じているのだとは思いますけど.

つまりですね.オープンキャンパスが虚構であることが周知されるようになってきた現在,その虚構を虚構と認めつつ,そこで活躍する在学生の姿は現実なんですよ,というアピールを大学がするようになった.
そのアピールも怪しくなってきたと見るや,オープンキャンパス当日(つまりAVの本編)とは異なるシークエンスにおいて,ドキュメンタリー・タッチの「在学生の生の姿」を見せるようになっている.
というのがオープンキャンパスがアダルトビデオみたいになっているという意味です.
そして,私たちに言わせれば,そこに映っている「在学生の生の姿」にしても,多分に演じられている虚構という意味においては,AV女優のそれと変わらないではないか,そういうことなのです.

オープンキャンパスのAV化ですが,最終的には最近のアダルトビデオのように「演技すらしなくなる」「実利だけ提供するようになる」のではないかというのが我々の結論です.

え?「演技ではない」とか「実利だけ提供」って,それは具体的にどいういうこと? などと思われるかもしれませんが,それについて具体的に書いちゃうと「アダルトコンテンツ」として登録していない本ブログでは問題になりますので,皆様のご想像にお任せします.

そう言えば,最近のアダルトビデオ業界のことが立て続けにニュースになっていましたね.
今後のオープンキャンパスを考える上で参考になると密かに思っています.
<AV問題>有識者「もっと現場の知見を」(毎日新聞)


関連記事

2016年9月5日月曜日

鳥無き島の蝙蝠たち(13)児島明子

ミス・ユニバースにおいて,有色人種初となる優勝者なんですって.
児島明子(wikipedia)
あの名門・土佐女子高校の出身,と言っても高知以外の人は全く分からないのでしょうけど.
当時の映像も残っています.
日本人女性が初のミス・ユニバース(NHK)

私がこれまで関わってきた大学には,意外にもミス◯◯っていう人が多いんです.奇遇です.
在学中,全国的にも話題になった学生もいます.
体育の授業を教えてた学生の中にもミス◯◯を受賞したっていう人がいたりして,へぇ,彼女ってそんな感じの学生だったんだ,と思わされることも.
やっぱり独特の雰囲気が出ているものですよ.

で,私の授業って体育実技でしょ,だからこういう学生の扱いはやや慎重になるのもたしかです.
繊細な修飾を施した薄いシャンパングラスを持たされている気分.ちょっとしたことで砕けそうな危うい美しさ.
顔はもちろんのこと,体のどこかにボールぶつけたら大変なことになるんじゃないかと心配になります.そんなことを心配する自分も情けない.
その度,豪快に乾杯の音頭をとってカチ合わせても割れることのない,ビールジョッキのような女性の方が良いのではないかと思わされます.

ちなみに,ミス◯◯みたいな話題に私は全然興味がありません.
ミス・ユニバースってなんでしょうね.ウィキペディアで調べて読んでみても,いまいち頭に入ってこない.
ウィキペディアの説明にはこうあります.
選考基準として、単なる外見の美しさだけではなく、知性・感性・人間性・誠実さ・自信などの内面も重視される。また、社会に積極的に貢献したいという社会性を兼ね備え、世界80カ国以上から集まる各国の代表と対等に立てるグローバルな女性像が求められる。(wikipedia:ミス・ユニバース)
なんだか最近の大学教育に求められているものと似てやしないか?そんな気がします.
なんとも私が嫌いそうなタイプの思想です.

じゃあなんでこんな記事を書いたのか?
さっき,ミス・ワールドっていうイベントの日本代表が決まったとかいうニュースが有りました.それでふと思いつきました.
「象使い」の資格持つ日印ハーフの吉川プリアンカさんミス・ワールド日本代表に(Yahoo!ニュース2016.9.5)

「ミス・ワールド」っていうのも,ミス・ユニバースと同じような選考基準らしい.
各国代表が集結する世界決勝は1ヶ月もの長さに及ぶ。数回に及ぶさらなる選抜、その合間のパーティーやディナー、舞踏会、奉仕活動が続き、最後には各国代表は15人から20人まで絞られて世界に中継される決勝に臨む。(wikipedia:ミス・ワールド)
民族性が強い人よりも,どこの出身なのか分からない容姿や態度,特技を持っている人のほうが評価が高いのかもしれませんね.
一体何を目指しているんでしょう.

ミス◯◯っていう話題を耳にすると,なんだか大学改革の成れの果てを見せられているような気がする.もっと言えば,大学改革ってミスコンのノリでやってるんじゃないか,という危惧.
無理やりこじつけると,そんな感じです.

2016年9月3日土曜日

オープンキャンパスをやって想う

先日,オープンキャンパスで「模擬授業」というのをやりました.
準備中だった頃の記事はこちら.
オープンキャンパスの来場者数を想う

私の専門が体育ですので,実技をやってもらうのが本当の「模擬授業」なのでしょうけど,そういうわけにはいかないので講義形式のものをやっています.
この時点で「模擬授業」ではありません.

それに,模擬授業っていっても最終的には「・・というわけで,そんな授業が受けられる本学にどうぞお越しください」という広告メッセージを巧妙に入れるのがオープンキャンパスでの我々のミッションなのでしょうけど,近年は私はそういうことをしなくなりました.めんどくさいので.

どんな大学に行っても,結局は自分次第というところですし.
だから「質問コーナー」でも躊躇なく「であれば,本学ではなく◯◯大学をオススメします」と言うようになりました.
こんなこと言うと,特に保護者が「!?」って顔をするのですが,こちとら受験者数に苦労していないので大きく出られる面もあったりで.

よっぽどその大学に思い入れがない限り,近場の大学に行けばいいんじゃないかな,って思います.
近場の大学でいいんじゃないの.入れたところでいいんじゃないの.っていう価値観が普通になれば,大学間競争という名の,実質上の経営サバイバルは緩和されます.
大学間競争がどれほどの害悪をこの国にもたらしたのか,それについては過去記事で何度も書いていますのでそちらをどうぞ.

経営サバイバルから開放されれば,まともな教員がまともな大学教育をやれるようになります.結果,まともな大学教育を受けられる学生が増え,最終的にはまともな卒業生と国民が増えます.
ちょっと理想論が過ぎるところもありますが,それでも今よりはマシです.

それに,我々多くの大学教員は「競争」することにモチベーションをもって研究や教育をしているわけではありません.より良い理論を生み出すことに関心があるのです.
より良い理論の構築には「競争」はマイナスに作用することはあれど,プラスには作用しません.
え? 研究グループ間の競争が,新しい理論を作ることに貢献しただろ,って声も聞こえそうですが,これは明らかに間違いです.この間違った認識は,特に声のでかい素人に多い.

研究グループ間の競争は,たしかに新しい理論を作る「速度」には貢献したかもしれません.でも,そうした理論が正しいかどうか,有益かどうか,価値あるものかどうかは保証しません.理論を作る速度を高めたからといって,それが正しい理論,価値ある理論を作る速度を高めていることにはなりません.むしろ,逆に作用する.
これは,この近現代社会が抱えている大きな病の一つといえます.

「科学の進歩は人の生活を楽にしたが,決して幸福にはしていない」と言われるのはそのためです.科学が発展すればするほど,新たな不幸を生むことだってある.
優れた乗り物が誕生すれば,移動行為は楽になりますが,それだけ共同体や人間関係を複雑にします.新たな医療技術は目前の病気を治せても,新たな難病を示して人を絶望させる.理論を作る「速度」を高めることは,幸せを得ることと相関しないのです.
まともな大学教員なら,このあたりをしっかりわきまえて教育しています.

でも,全ての大学教員が皆まともだとは言いません.
どこの大学にも,まともな教員と,まともじゃない教員がいます.
「競争することでより良い教育が受けられる」などとぶっ飛んだこと言い出す教員は必ずいる.
でも,まともな教員に師事できれば,その人はまともな大学教育を受けられます.
けれど,まともな教員を選択できるか否かを保証するのは,学生自身の見る目です.

もっと言うなら,「馬が合う」というのもあります.
だから第三者が「あの人はまともな教員だ」と評価していても,あなた自身にとって価値ある教員かどうかは分かりません.

オープンキャンパスでそれが分かりますか?
判るわけがない.それを学ぶために大学に行こうとしているのだから.

より良い大学を選ぶことに優先着手するよりも,より良い大学を生かすことに注力したほうが,この国のためになると想うのです.
でもそれは,大学間の競争からは生まれません.
学校教育にも同じことが言えると思いますけど.