2016年11月29日火曜日

大学教員を目指す研究者がやめるべき習慣

先日,こんな本が出ていたので買いました.
適菜収 著『男が30代でやめるべき習慣』


このブログでは何度か取り上げている適菜収氏.
この本に限らず,氏の著書には共感できることがたくさん登場します.

さっそく読んでみたら,過去の私の記事でお話してきたことと重なるところが結構多いんです.
せっかくなので今日は,適菜氏の言葉を私の過去記事と共に並べてみました.


適菜氏)本当のところ「何をやるべきか」なんて誰にもわからないのです.―― 「やるべきこと」ばかり考えていると,つらいどころか,現在を無駄にします.―― やらなくていいこと,やめるべきことを見極めるのが大切です.

過去記事)■オープンキャンパスの来場者数を想うより 「やったほうがいい」よりも「やってはいけない」を選別することのほうが重要.これは人生何事においても同様です.


適菜氏)「英語の勉強」をやめる
英語が話せても,ダメなやつはダメ.―― 急に英会話教室に通いだすやつは,布団を売りつけられる老人と同じです.―― 日本人が英会話できない理由は必要ないからです.

過去記事)■英語教育は国をあげて取り組むことか?より 他の国々が英語教育に時間を割いているのは,海外に職を求めなければならないほど国内が不安定であり,さらには自国の言語では教育コンテンツが乏しいからです.―― 日本はこれに対し明治初期において,「翻訳」という作業に勤しむことで日本語の語彙を増やし,高等教育に耐える言語にしました.―― 昨今の英語教育を推進する動きというのは,その先人たちの努力を踏みにじるものと言ってもよいでしょう.


適菜氏)「テレビ」を捨てる
テレビを捨てて自由を得よ.―― テレビは手っ取り早くバカになる道具です.

過去記事)■テレビのない生活のすゝめより よくよく考えてみたら,テレビって一方的な情報提供ですよね.実は,自分が面白いと思っているものだけ愉しみたい,というワガママを叶えるものではないのです.妙な話です.本能の赴くまま,己の欲望を満たすための行動を取る上では,テレビは障害にしかなっていないのですよ.―― テレビのない生活がどうのこうのというよりも,むしろ「実は,テレビのある生活は苦行ではないか?」というところで検討したほうが興味深いのかもしれません.

適菜氏)「新聞」を捨てる
テレビと同様,数百万部も新聞を売るためには,下のレベルに合わせるしかない.上に合わせたら,売れなくなってしまうわけですから.

過去記事)■そんなに大事じゃない,大学教員が言うこんな指導より 「新聞を読め」という指導をする大学教員は少なくありませんが,その一方で,新聞をほとんど読まない人種が多いのもまた大学教員です.「どうせ新聞なんか大衆迎合商売の権化だろ.僕には関係ない」というスタンスです.しかもそれで困ることはありません.―― 毎日熱心に新聞を読んでいるのに「ナントカ都構想」に賛成する人もいれば,まったく新聞を読まなくても「ナントカ都構想」の危険性を察知できる人もます.ようするに,新聞を読んで社会に関心を寄せておくことが大事なのではなくて,目の前にした課題の中身をどのように吟味し,いかに振る舞えるかが大事なのです.


適菜氏)「行列」に並ばない
要するに行列に並ぶバカと,行列を売りにするバカが,スパイラルを起こしている.30を超えたら,行列ができる店には絶対に行かないというくらいの見識は持ちましょう.

過去記事)■じゃあ,どのラーメンが一番旨いのか?より 誤解しないで下さい.ラーメンは下劣な料理だと言っているわけではありません.マクドのハンバーガーと同じような階級と位置付けをもった料理だということです.どれだけ多様で予算と時間をかけようと,やっぱりラーメンはラーメンです.酒を飲んだ帰りに,よせばいいのに食べてしまう料理がラーメンなのです.マクドのハンバーガーに行列を作ったり,「照り焼きチキンこそ至高の味わい」などと言う奴はいないでしょ,ということです.


適菜氏)「スポーツ観戦」をやめる
「見るな」と言っているのではなくて,「隠れて見ろ」という話です.贔屓のチームが負けたら機嫌が悪くなるやつもいますが,ただの迷惑です.―― 人のことはどうでもいいんです.まずは自分のことをやりましょう.

過去記事)■井戸端スポーツ会議 part 19「スポーツ観戦のような政治観戦 その2」より 「政治が『ショー(見世物)』になった」と言われて久しいのですが,これも,議会制政治が一つのスポーツであることを目指す傾向にある近代,そして現代の有り様を示していものと言えます.―― 近代スポーツ,現代スポーツの魅力を全面否定するつもりはありませんが,それによってこの社会が近代スポーツ,現代スポーツのようになっていくのであれば,この麻薬のような思想をもう少し腰を据えて解明してく必要があるのかも知れません.


適菜氏)「グローバリスト」をやめる
「グローバリズム」は,基本的に「世界人類皆兄弟」みたいな話です.昔の左翼の理想と同じです.―― 安倍は危険なグローバリストです.

過去記事)■わざわざカタカナ語を使おうとする人より 「グローバリズム」,これを日本語にすれば「地球一体化思想」とか「地球共同体主義」です.より分かりやすくするため,「宇宙船地球号」と言われることもあるそうです.おそらく,「グローバル」という言葉を喜んで使っている人たちの多くは,これを「国際化の推進」だと思っています.もしくは,経済とかビジネスの領域でしか見ていない.―― 人類みな兄弟,今後世界は統一される,国境や民族にこだわる時代はなくなるんだ,などと地球を一つの共同体とする思想を進めたい人が,この機に「グローバル,グローバル」と言っている可能性があります.


適菜氏)「答えを出せ」と言わない
自分の意見に合わないことがあれば,「対案を出せ」「答えがない」「分かりやすく言え」などと騒ぎ出す人がいます.彼らは世の中にはわかりやすい「答え」があると信じているわけです.

過去記事)■コピペ・レポートの行き着く先はより 私を含めて少なくない教員は,学生に「優れたレポート」なんてものを求めてはいません.そりゃ優れたものを出してもらえるのは嬉しいことですが,「レポート課題」という指導で学生に得てほしいのは,より良い答えではなく,より良い答えを出そうとする手順を踏んでもらうこと,それ自体にあります.―― コピペ・レポートの何が問題なのかといえば,ひとえに「議論そのものをコピペしてしまっている」という点にあります.―― 「この問題については,こういう回答が適切なんでしょ?」というのは,世の多くの大学教員なら烈火のごとく怒りたくなる「学生の意識」です.そしてコピペは,「こういう回答が適切なんでしょ?」という学問に対する意識・態度を是正するどころか,それを助長します.


適菜氏)節約のために発泡酒を飲むやつがいます.あれは本当に嫌ですね.発泡酒をバカにしているのではありません.発泡酒が好きで,「ビールより断然うまい」と思って飲んでいるなら,それでいい.―― でも,「カネがないからビールを我慢して発泡酒を飲んでいる」と公言するようなやつには反吐が出ます.

過去記事)都知事選と抹茶ビールの間にあるものより 面白いですね.高知は酒にかける費用はぶっちぎりの1位ですが,消費量は東北や九州,そしてなんと東京の方が高知よりも多いんですよ.実際,ビール消費量の絶大なシェアをほこる「アサヒスーパードライ」ですが,高知県民はこれをほとんど飲みません.―― そんな高知県民である私が思いますに,東京は余計なことをせず「ホッピー」のレベルを上げるべきなのです.それと同じことが都知事選にも言えると思うのです.


とても面白いのでオススメします.
特に,これから大学教員を目指そうかという若手研究者は必読です.

私の過去記事もオススメです.


2016年11月28日月曜日

豊洲移転問題みたいな問題を考える

先日,自転車がパンクしたので近所の自転車屋に修理に出したんです.
「チューブだけじゃなくタイヤも替えなきゃいけないので,3,500円くらいですかね」
という見積りをしてもらい,自転車を預けてしばらく時間潰し.

予定していた時間に取りに行くと,
「チェーンが弛んでいたので調整しました.硬めのオイルを付けているので最初は動きがぎこちないかもしれません.あと,ブレーキパッドがズレていて,ワイヤーも緩んでいたので,これも調整しています.キーロックの動きが不安定になっていたので錆取りをしてオイルを入れています」
ということで,本来ならこれ全部注文するだけでも3,500円以上するメンテナンスなのに,
「こちらで勝手にやったことなので,料金はいいですよ」
とのこと.
自転車への愛情が感じられる仕事です.
こういう仕事人にはお金を出さねばなりません.4,000円払ってお釣りは受け取らないことにしました(って,なんとケチくさい自慢でしょう).

さて,このような自転車屋に,
「なんで勝手にチェーンを調整したんだ.ブレーキパッドは本当に直っているのか」
と文句言って,
「明らかに約束と違う.なんなら金は払わないぞ.責任を取れ」
とクレームをつけるのが東京人です.

豊洲移転問題みたいですね.

朝日新聞社のウェブサイトに,豊洲移転問題の推移をまとめたものがありました.
築地市場の豊洲移転問題(朝日新聞)
これまでの一連の流れを確認することができます.

で,結局のところ最大の争点は何かというと,
「盛り土で建設する予定だったのに,いつの間にか地下ピットとして計画され建設されている」
ということ,つまり当初の計画と実際の建設状況が異なるということです.
たしかに小池都知事が指摘するように,「都の職員に手続き違反と説明不足があった」ことは事実.それにより結構な人数の職員が責任をとらされて減給処分になっているようです.

いやいや,それより「土壌汚染」と「安全性」が最大の問題なんだよ!
と言い出す人もいますが,この点について「本気」で争点化されることはありません.
なぜかと言うと,そもそも現時点で築地市場よりも豊洲市場予定地の方が清潔であり,安全性が高い可能性があるからです.築地市場は元・毒ガス兵器工場跡地ですし,地下には第5福竜丸で汚染された被爆マグロが埋められていますよね.

基準値がどうのこうのと言っていますが,これを本気で争点化したいのであれば,築地やその他東京の食品関係を扱っている清潔なところで同じように測定し,比較してみればいいことです.
でも,これを実施することはありません.測定してみて豊洲よりも悪い値が出たら,様々な人々の気分が悪くなるからです.やるせない雰囲気に満ち満ちてしまう.問題が複雑化します.
どんな場所であろうと,何回も測ってりゃそのうち悪い値が出るものです.健康診断の血液検査と同じようなものですよ.どんなに健康な人であっても,何回か測れば病的な数値が出ます.それが「自然」です.
だから小池都知事としても,「都職員の手続き違反」に焦点を絞って攻めるしかないのです.そこでしか勝負できないんだから.

しかし,この問題を前にした「東京人」が反省しなければいけないのは,豊洲市場をより良いものにしようと努力,配慮したかもしれない都職員を,「手続き違反」だとか「説明が足りていない」という理由を作って,白昼堂々と責任を取らせたことにあります.
おまけに,引っ掻き回し過ぎて結局移転が延期になっている.
バカですね.

以下,豊洲移転問題に触発されて考えたことを述べます.
断っておきますが,豊洲移転問題そのものとは一切関係がありません.それを念頭にお読みください.
公的機関で仕事をしてる人であれば,豊洲移転問題をみて「あぁ,きっとこういうことじゃないのかなぁ・・・」って思ったであろうことをお話します.
これはちょうど,■「教職員用」危ない大学とはこういうところだみたいな話です.

通常,豊洲移転問題で見られたような職員の手続き違反には理由があります.彼らにしても,いい加減に仕事をしているわけではありません.
そして,こういう「手続き違反」は,トップ(この場合,都知事)の判断でもってウヤムヤにされます.
こんなこと言うと,一般の方々は「公務員がそんなことして良いのか!」と不満そうにするでしょうが,そういう話ではありません.

例えば,何かのプロジェクトを議論していく中にあって,プロジェクト・メンバー間で何かしらの齟齬やコミュニケーション不足,勘違いなどが発生する場合があります.
その結果,その道の専門家であれば常識であるものが,重要な採決をとる会議でデタラメな計画として決定されることがあります.

これに対し,一応専門的知識を有する担当職員は「これじゃマズい」と考え,あの手この手で適切な計画へと会議や手続きを誘導しようとすることがあります.
これが最近よく槍玉に挙げられる「官僚(職員)が勝手に政策(プロジェクト)を計画してしまう.けしからん!」というやつですね.

でも,官僚や職員が能動的に手を加えるのにも理由があります.
どうして彼らはそんな事をするのかというと,往々にしてこの手の委員会や会議では「重鎮」だとか「面倒くさい人」なんかが適当なこと言って引っ掻き回して,碌な提案や決定をしないことがあるのです.政治的パワーをもって会議メンバーとして発言してるけど,なにもかもが素人発想.
だけど,こうした人達の機嫌を損ねないように,そして,この人達が主体的に物事を計画しているように仕立てることが彼ら官僚・職員の大事な任務になってきます.

例えば,耐震・土壌汚染対策としては地下ピット構造にするのが常識なのに,集まったメンバーは何を思ったか,土を盛ろうとすることがあります.そしてそれが「決定」となる.
そんな時は,後付で担当職員が可能な限りの範囲で適切なものに変更(捏造)することがあるのです.

これが有能な官僚であり,職員なのです.いやマジでホントに.

大学でも似たようなことはあります.
ひとまず会議をやったことにして,一応の決定はするんだけど,でもそれって明らかに間違ってるよねって場合は,後日,担当職員が議長や委員長のところに行って,「この部分ですが,規定に反しますから」とか「より経済的なのはこちらのプランです」などと言って変更を具申することがあるのです.

会議に出席している大学教員にしたって,その会議に出たくて出ているわけでも,その委員会に参加したくて参加してるわけでもありません.
委員会として形にするため,頭数を揃えるために出席している人がほとんどで,資料や提案書を碌に見ることはありません.
だから適当に賛成の手を上げたり,無難な発言をすることによって,あたかも丁寧に審議が進んでいるかのような状況を演出します.
民間の方々にすれば「バカバカしい」と思うかもしれませんが,それが公的機関の審議の進め方です.
有能な事務職員さんはそんなこと百も承知ですから,これを踏まえた上で物事が適切に進むように仕立てるのです.

明らかに「決定」の変更が必要だと考えられる場合は,例えばメンバーへの資料回覧とかメール会議といった方法で決定変更の手続きをとるのが普通なのですが,時間的に間に合わないと言う場合は,議長や委員長の判断でウヤムヤにするという場合があります.
だって,どうせ皆「OK」って言うんだから.
私も以前,大学で職員をやっていましたので,似たような境遇を何度も経験しています.
責任者である教授と打ち合わせて,「ま,いいよね」ってことで黙って改変する部分はあるものです.

でも,もちろんこれは違反です.
どこかでバレて指摘されたら,ぐうの音も出ません.
けど,それを指摘する人なんていません.普通は.
なぜって,たとえ違反手続きで変更されたプランであっても,そっちの方が正しく適切であれば,皆「あぁ,そういうことね」ってことで流すものだからです.


えーっと,もともと何の話でしたっけ.
そうそう,自転車の修理の話でした.

つまり,その道の専門家が気を利かせてくれたものにイチャモンつけるのは野暮ってものです.
むしろ,それに見合った対価を与えるのが筋ってものでしょう.

あんまりイチャモンつけたり罰則を与えたりすると,そのうち「ホントはこっちの方がいいのにな」って気づいてくれていても,適切な方向に誘導してくれなくなりますよ.


関連記事
東京ラーメン再考
続・東京人と中国人はよく似ている
都知事選と抹茶ビールの間にあるもの

2016年11月27日日曜日

エアコンはつけっぱなしでも問題ない

そういえば,
男子教員と女子学生
の記事で,「欧米の大学(に限らずマンションやビル)では建物内全体を暖房(いわゆるセントラルヒーティング)しているので,冬季でも “学生と二人っきりにならないようドアを開けっ放しにする” ということができるが,日本ではそれが困難」という話をしました.

これについて,去年こういう噂がネットに挙がったので,今夏,私の生活をかけてテストしてみたのを思い出したんです.

「エアコン(冷暖房)は,つけっぱなしの方が電気代がお得」

え? そうなの?
って思ったので,おそらく専門家と称してよいであろう私の弟に聞いてみたんです.
彼は学術博士(工学)なので.

「世間では知られていないけど,それは本当.気密性の高い建築物ではつけっぱなしにすることが本来の使い方.ちなみに,日本らしい建築物と扱い方をする環境下でエアコンを取り付けることは極めて非効率.日本に限らず前時代の建築物はエアコンがなくても自然空調されることを狙って作られている.また,日本は部屋の窓を全開にして空気を入れ替える文化がある.あれには何の意味もないけど,おまじないとしてやりたがる人が多い.キッチン,トイレ,風呂場の換気扇やドアや窓の隙間など,ほっといても生活をしていれば空気は循環する.都市部や工場地帯で部屋の空気を盛大に入れ替える人がいるが,あれはバカだと思う.内部の空気のほうがきれいなのに.一方,エアコンは気密性の高い建築物において最大の恩恵を得られるような哲学から誕生している.むしろ,密閉状態を作れないところに取り付けるべきではない.24時間換気設備とエアコンを稼働させることのほうが,シックハウス症候群やカビ,虫対策としても有益.というか,繰り返すけどそれが本来の使い方」
とのことでした.

換気設備は24時間回しっぱなしが良いというのは以前コイツに聞いたことがあったのでやっていましたが,エアコンもそうなのですね.

だから私もこの夏やってみました,「8月全日エアコンつけっぱなし実験」を.
本当は7月からやりたかったのですが,エアコンをつけるほどの日がなかったので,本格的な暑さがくる8月からにしました.

結果です.
24時間31日つけっぱなしていても,電気代は高くなりませんでした.
以下の通り,
7月:3,500円
8月:4,000円
9月:3,000円
というものでした.

ちなみに,昨年の8月は5,000円でしたので,私のような条件下で生活している者にとっては「つけっぱなしの方が安い」という結果になるようです.

今回の条件を以下に示します.図示しましたので,そちらも参照ください.

・エアコンの設定は「ドライ:25〜27度」
 ※暑い時には25度まで下げました.
・鉄筋コンクリートのワンルームタイプ(築20年)
・6帖の居間
・居間と玄関&キッチンとの間に遮蔽ドアがある
・エアコン(ダイキン社 2016年製)
 ※今年の春に故障したので,新しく取り替えてもらった
・トイレの換気扇は,24時間365日稼働
・浴室の換気扇は,毎日風呂上がりの4時間タイマー稼働
・窓の開け閉めはほとんど無し.週に何度かだけ.
・たいてい朝7時〜夜9時は自宅にいない
というものです.

値段もお得ですが,なにより快適性が非常に高いのが嬉しかったです.
「暑っ〜〜」って帰ってきても,部屋が最初から涼しくなっています.
しかもカラッカラに乾燥しているので心地よい.ジメジメ感とおさらばできます.

とは言え,あとで莫大な電気代を払わされるのではないかと怯えていた側面もあるので,そこまで気持ちよく過ごせていたわけではありませんが.
来年からは気分良く過ごせます.

あと,これは今後の調べが必要ですが,電気代が安くなってるということは,使用電力量も小さくなっているということです.もしかして消費電力量も少なくなるということでしょうか.
だとすれば,気密性の高い建築物においてはエアコンはつけっぱなしの方が「エコ」だということになりますよね.
これはちょっと重大事じゃないかと思うので,「エアコンはこまめに切りましょう」という啓蒙がどういった影響があるのか検討すべきだと思います.
もちろん,一人暮らしの家庭用電力と,その他の電力使用を一緒くたにはできませんので,慎重に吟味しなければいけませんが,場合によっては電力生産に大きく影響する話かもしれません.

さて,これから冬ですね.
そんなわけで,冬も試してみたいと思います.
でも,冬は乾燥しすぎるので快適性は下がるかもしれません.
なるべく洗濯を頻繁に行ない,部屋干しすると良いのかもしれません.

2016年11月26日土曜日

エクセルで大量のデータを等分割して統計処理したいとき

卒業論文,場合によっては修士論文などのデータ処理でも使えるエクセル・スキルをご紹介します.

大量のデータ群を等分割し,それぞれで平均値や合算値を算出して分析したい場合があります.
例えば以下のようなデータです.
想定されるのは,条件Aと条件B(被験者A,被験者Bなど)において,ある課題をやらせた際の時系列によるパフォーマンス・スコアや心拍数データなどを分析するといった場合です.

ところが,ここで困ってしまうのはサンプリングされたデータの数です.
条件Aと条件Bで比較したいんだけど,素直に上図のように並べてしまうと,まるで両者が異なる結果のように見えてしまう・・・.
つまり,そこで「困ってしまっている」こととは,「本当はこの両者に「違いが無い」ということを言いたいのに,グラフや表にすると「条件間でデータが異なる」と見えてしまうことです.

たしかに,例えば「課題をこなすために要した時間が異なる」ため,その時系列データは条件間で違ってきてしまう.でも,ここで気にしたいのは「課題達成時間」はもちろんですが,その課題を達成する中にあって「変動したデータのパターン」である,という人は少なくありません.

これをなんとかしようと,以下を試みる人がいるでしょう.

このように,例えばデータを5等分して,それぞれの平均値を算出しようというものです.
条件Aは上図のように,そして条件Bはこんな感じで↓

条件Bはデータ数が12個ですので,5等分することができません.
そこで,ちょっとずつズラしながら平均値を算出.
(最後は飛ぶことになりますが↓)

こうして平均値を算出し,グラフを作成してみると,こうなります↓

目論見どおり,条件間で当該データの変動パターンは同じであることが分かります.

今回例示しているデータは分かりやすくするため15個と12個のデータにしていますが,実際こうしたものを前にして困っている状況というのは,データが何百何千とある,そして,被験者や条件がたくさんあるという場合です.
しかも,とりあえず5等分してみたけど,やっぱり10等分にした方がいいとか,20等分の方が都合が良かった,なんてことで分析方法を変更しなければならないこともよくあります.
つまり,これをいちいち手作業していたら,冗談じゃなく本当に日が暮れてしまうという状況ですね.

それを,エクセル関数を使って自動化してしまおうというのが今回ご紹介するものです.
さっそく以下より手順を示しましょう.

条件Aの5等分平均値をF列2行目以降に算出しようとしています.
長いので,この図の下に関数と式を示しました.


=AVERAGE(OFFSET(B$2,COUNTA(B$2:B$16)/5*$E2,0,COUNTA(B$2:B$16)/5+1,1))

解説していきます.
AVERAGE関数の中身に「OFFSET関数」を使うことで,データの等分処理が容易になります.

OFFSET関数に関する説明は他のサイトに譲るとして,ここで何をしているのかというと,
B列2行目を基準として,B列のデータ数の5分の1個のデータ数×範囲数の行と列を参照しています.
等分するためのデータ数を数えなければいけませんので,COUNTA関数でデータ個数をカウントしています.それを「5」で割っているのです.
その後ろで,E列に用意した区間番号を参照して掛け算しています.

これで,基準セル(B列2行目)からデータの何等分離れたところを選択するのか指示しているのです.「0」のところは,基準値から0区間目,つまりB列2行目から参照開始しますよ,ということです.

OFFSET関数の後半部分である[高さ]の部分ですが,ここが参照範囲を選ぶところです.ここもCOUNTA関数でデータ個数を出し,それを「5」で割って5等分します.
そして,その後ろに「+1」を付けています.これは何かと言うと,データ個数が等分したい数字では割り切れない場合,OFFSET関数では余ったセルを自動的に省いてしまいますので,そうならないようにするためです.詳細はこの下で述べます

これをオートフィルすれば↓

一発で条件Aの5等分データが出来上がります.

さらにこれを右へオートフィルすれば↓

一瞬にして条件Bの5等分データも出来上がるのです.
グラフにしてみればこうなります↓

え? さっきとグラフや算出値が違うじゃないかって?
そりゃそうです.OFFSET関数の後半部分を思い出してください.
【 COUNTA(B$2:B$16)/5+1 】
というように,平均値を参照する範囲を手作業と違い1つ増やしているからです.
だからセル1個分のデータの影響を受けることになります.

これについての解釈はデータの質にもよりますけど,このような15個や12個のデータでは影響が表出しやすいですが,何十何百というデータになれば誤差範囲になると考えられます.
(そもそも,例に示したようなデータ数なら手作業でやったほうが早い)
それを言い出したら,「+1」を付けなくてもいいんじゃないか? と考えられなくもないのですが,これは分析上の好みの問題かもしれません.

いずれにせよ,こちらが提示したいのは「抽出された範囲全体を100%として,それを等分するとこうなります」ということですから,その分析目的にかなっていればOKです.
つまり,生データであれば違いがあるように見えるが,相対的なデータに加工すると類似パターンが現れてきた,という統計処理と示し方ができるようになるのです(もちろん,その逆も然り)↓

この方法を用いれば,データ処理の変更も容易です.
5等分じゃなくて3等分にしたいと思えば↓


=AVERAGE(OFFSET(B$2,COUNTA(B$2:B$16)/3*$E2,0,COUNTA(B$2:B$16)/3+1,1))

このように,先ほどのセルで5等分を指示した部分を「3」にすればいいのです.

そうすれば,オートフィルを繰り返して↓

あっという間に3等分にしたデータ処理が出来上がります.

上述してきた例ではデータ数が少ないので無理がありますが,以下のように大量データと大量処理を前にすれば,この方法の真価が発揮されます.
4条件で最大1999個のデータを20等分したのがこちら↓

H列2行目のところに,こんなものを入れてオートフィルしています.

=AVERAGE(OFFSET(B$2,COUNTA(B$2:B$2000)/20*$G2,0,COUNTA(B$2:B$2000)/20+1,1))

さすがにこういうデータは手作業ではできませんが,この手法を用いれば,条件間でデータ数が異なる場合の処理も容易です.


最近の測定器やデータ処理ソフトでは,上述してきた相対的な加工・処理を施したものを出力してくれるものもありますので,このような作業をすることは少なくなっています.
しかし,どうしても自力でやらなければならない場合も当然あるわけで.
「面倒だからそういう処理をするのはやめよう」と諦めないためにも,知っていおいて損はないでしょう.


その後の統計処理については,こういう記事を参考にしてください.

関連記事
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ノンパラメトリック検定で多重比較したいとき
ノンパラメトリック版Tukey法による多重比較「Steel-Dwass法」
エクセルExcelでの簡単統計(対応のあるt検定と多重比較)

ちょっとした統計処理上のエクセル小技はこちら
エクセルで相関係数のp値を出す
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エクセルで大量のデータを処理したいとき
エクセルだけで統計処理する卒論・ゼミ論用アンケート調査のオススメ方法 part1
点数・得点を段階評価するためのエクセルシートの作成

その他,こういう怪しいブログ記事よりも,ちゃんと勉強になる書籍もご紹介しておきます.
詳しくは,
独学で統計処理作業をスキルアップさせるための本
を御覧ください.

2016年11月25日金曜日

セクハラ教員と被害学生

さて,前回の続きです.
男子教員と女子学生
大学における教員と学生の艶っぽい事情について,具体例を挙げてご紹介してきましたが,これが何かのトラブルになると艶っぽいなんて言ってられない泥沼な話になっていきます.

教育現場での出来事ですから,たいていニュースとして,少なくとも週刊誌のネタとして世間様を騒がせます.
学校や大学は世間体を大事にしますので,教員と学生による男女関係のもつれは極力避けようとするものです.

教員と学生の間には「採点評価」を伴う力関係が働きますし,なによりその採点評価に「公平性」が求められますので,同じような主従関係と考えられる「上司と部下」「雇用主と雇用者」「依頼人と請負人」といったものとは質的に大きく違います.
例えば,「この授業で彼女の成績が良いのは,先生が彼女の彼氏だからだ」という目で見られてしまうのは避けられませんからね.
これは,「あの政治家が日本の国益を損なうことを提案し,中国に甘いのは,その政治家が中国国籍だからだ」という目で見られてしまうのと同様です.
教育や政治というのは非常にデリケートなのです.

「教員にセクハラなどの性犯罪が多い」という話があります.
これは間違いです.
「そんなバカな! 教員が生徒に手を出した.盗撮したっていうニュースがたくさん出てるじゃないか」などと本気で言ってる人は,もう手遅れでしょうが,まともな学術教育を受けることを強くお勧めします.

このブログでも紹介させていただいている和田慎市先生の著書でも「教員の犯罪率の低さ」は取り上げられていますし,毎年発行されている犯罪統計でも,教員は職業人口を分母とした比率でみても性犯罪(わいせつ)は低い職業であることが知られています.
平成24年の犯罪(警察庁)

もっと言えば,毎日大量の女子生徒や女子大生と濃密に接しているにも関わらず,これだけの性犯罪の低さを保っている事自体が凄いことだと思っていただきたい.
現在,教員を担う者の多くには,教育者としての資質が備わっていると考えるのが自然です.

ここで言う資質というのは,「性欲を我慢することができる」ということだけを指すのではありません.
私の場合は「色恋沙汰に極度に鈍感」という資質を持っているようですが,それ以外にもよく見られるパターンとしては,
1)女好きのくせに世間体をメチャクチャ気にする
2)マジでまじめに女子生徒を「教育対象」として見ている
3)栄誉や勝利よりも,地味で目立たないことを好む
という人達です.
これに,大学教員なら.
4)知識欲を前にすれば,性欲は二の次
が加わります.
一般人の感覚とはかけ離れた人達がホントにたくさんいるのです.
元来,学校の教師や大学教員というのはそういう人種が揃っています.
ようするに「民間感覚」ではないし社会経験も少ないから,ちょっと変わった人が多いのですね.

しかし,この「社会経験に乏しく民間感覚に欠ける」という評価には注意が必要です.
これをまるで悪しきことのように捉える節がありますが,私はそうは思いません.
学校教育や大学教育を民間感覚でやられたらたまったものではないからです.

事実,民間あがりの教員は,元来の教員よりもトラブルや犯罪を頻発させます.

驚異的な打率で不祥事を量産したことで有名なのが,大阪・橋下市政下での「民間出身校長」です.これはネットを調べればたくさんニュースが出てきます.
民間から教師を登用するからこんなことになる.当然の帰結です.

自己利益を最大化しようとする大人の論理,我田引水を是とする民間感覚にまみれた人間が,大量の「女子生徒」や「女子大生」,のみならず,母親や女性教員に溢れた場所で仕事を始めるのです.
それで問題が起きないわけがない.

彼らは自己利益を最大化し,巧妙に我田引水することに長けています.社会経験豊富で,民間感覚に優れるというのはそういうことです.
そんな彼らが,「教員と学生という絶対的な主従関係(©世間様)」を手中に入れる.
資質のない人間に,この「力」は危険です.

力に溺れ,暴力的で威圧的な態度をとり,卑猥な欲望をさらけ出すのは目に見えています.なぜなら,それが民間感覚だからです.
教師はたいていのことは許されるし,その気になれば生徒や保護者に圧力をかけて操ることもできます.けど,それをやらないのが一般的な教員です.
ところが,民間感覚の人間はこの状況で「自己利益の最大化」と「我田引水」をやってのけてしまいます.彼らの常識の中ではそうなのでしょう.

結果,気づいた時には問題教員,もしくは犯罪者になっている.
彼らの合言葉は「社会に出たらそれは通用しない」ですが,教育界という社会で自分が通用していないことは認めようとしません.

そもそも,彼らの言う「社会経験」というのも妙な話です.彼らにしたって今まで自分が生きてきた社会しか知らないのですから.お互い様でしょう.
だから民間出身の教師は,教育現場という社会に適合できずトラブルや犯罪を頻発させるのです.
これはちょうど,「俺は体力もあってスポーツ万能だぜ」と意気がってる野球少年が,卓球少女にコテンパンに負けるのと似ています.もちろんサッカーをやればサッカー少年にもボロ負けします.
野球で優秀な選手,イコール,全てのスポーツでも優秀である,とはなりません.これと同じことが教育業界の「民間出身教員」にも言えます.

もういい加減「教師は世間知らず」だとか「社会不適合者だ」とかいう侮辱はやめるべきです.
民間出身の教師を積極登用するという社会実験の結果,むしろ,これらの文句が壮大なブーメランであったことが実証されています.

大学教員にしてもそうです.
民間で働いていたことを理由に大学教員として採用することが,昨今のブームなんです.民間感覚を教育現場に入れなければいけない,みたいな風潮は大学が先駆けて取り組みました.
こうして大学業界に入ってきた人たちは,もちろん,皆が皆と言うつもりはありませんが,たいていタチが悪い.

私の知る限り,やっぱり女子学生とそっちの話でトラブルを起こすことが多いし,事務職員さんとも上手くいかない.
でも本人は至って有能なつもりでいて,「民間ではそれは通用しない」などと言い出し,職員をいじめます.
じゃあ肝心の教育・研究業績の評判はいいのかっていうと,全然ダメ.

これらのことは,元民間の教員に限った話ではありません.
むしろ,民間感覚に憧れている「普通の教員」はもっと危険です.
こういう教員は,自分が民間出身ではないというコンプレックスがあります.その代わりに,どうでもいい小規模な産学連携とか,企業との合同事業の経験を痛々しく誇ってみせたがるので判別が容易です.
そしてやっぱりセクハラオヤジとして学内で名を馳せており,セクハラするくせに本人は「学生目線」を大事にしています.で,それをこじらせ,己の手に余る大学改革プロジェクトに体をねじ込んで楽しんでいるのがこの手の教員の法則です.

おや? まるで東京と大阪の歴代首長を見ているようですね.
・・そう.教育界で起こっている問題とは,この国の中心で起こっている問題が投影されているものです.
都市部に溜まった膿が,「教育」を通じて地域に拡散していきます.

「この国を立て直すには教育が大事なんだ」
と声高に叫ぶ人がいます.
たしかにそういう側面もあるでしょう.
でも,「だから教育はこんなふうに改革すればいい」などと口出しするメンタリティが国民にある限り,教育は絶対改善しないでしょう.


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2016年11月24日木曜日

男子教員と女子学生

「男の先生と女子学生との間で,怪しい関係になることってあるんですか?」
という質問を良く受けます.
そうならないよう日々配慮しているのが大学内部ではあるのですが,どうしても人間らしい一面は出てきてしまいます.

「女性の先生も,男子学生と何かあったりしないんですか?」
などということで,同僚の中でもこの手の話題で盛り上がることがあります.

映画やドラマの設定や展開としても,「男子教員と女子学生の恋愛関係」というのは頻出します.それが基で結婚まで向かうという噂も耳にしますね.
では実際はどうなのかというと,結構あります
あるから,予防と火消しが慎重に行われるのです.

これは教員と学生に限らず,医師と患者,弁護士と依頼人なんかもそうだと思います.
目指すべき目標を共有する関係では,自然と信頼感が宿って親密になっていくものです.
かく言う私も,自覚はないけどそんな状況に陥っていたことがあるらしい.

前任校を出る際,卒業生の一人からこんな話を聞きました.

「先生って,その後◯◯さんとはどうなんですか? これからは遠距離なんですか? めっちゃ気になります!」
◯◯さんというのは,その学生と所属ゼミが同じだった女子学生で,友人というほどでもないけど知った仲だったわけです.
その後? 遠距離?どうなんですかって言われも,どういうこと? って聞き返したら,
「だって,◯◯さんは先生のこと狙ってたでしょ.学生の間では有名でしたよ.だから,あの後どうなったんかなぁって」
ですって.
ぜんぜん身に覚えがない話だったのでパニクりつつ驚いていると,
「先生,それはいくらなんでも鈍感すぎます」

当時,◯◯さんとその学生は,卒業論文のテーマの都合で私が指導することになっていたのです.
必ずしも所属ゼミの担当教員が論文指導するわけではない,というのは大学内部ではよくあることです.
そんなわけで,この2人は研究計画,データ分析,論文執筆といったことをするため,私がいつも仕事をしている研究室に頻繁に出入りしていました.

「◯◯さん,先生の研究室にいつも行ってましたよね.しかもずっといるし.私が来たときには既にいて,私が帰ったあとも残ってる」
でもね,こちらに言わせればそれは「勉強熱心なまじめな学生」という評価でしかないのです.むしろ,君のほうに対しては「もっとちゃんと取り組めよ.◯◯を見習え」と思ってたくらい.

でも,言われてみればたしかに,ということはあって,例えばデータ分析を私のデスクトップPCでやった際,「出来たよ」って画面を指し示したら,私が座ってる椅子の肘掛けに手をつき,めちゃめちゃ接近して覗き込んできたことがありました.
私としては「パーソナルスペースが狭い子だなぁ・・・」って思てただけなのですけど.
パーソナルスペース(wikipedia)
「こっちはそれを後ろで見てて,笑いを堪えるの必至だったんですから.あの時先生,◯◯さんに『データは送ってるから,そっちのパソコンで見て』って冷たく言い放ちましたよね」
そりゃそうでしょ.卒論指導なんだから.
彗星じゃあるまいし,たまに異常接近してきたぐらいじゃ気づかないですよ.
でも,彼女曰く,他にもいろいろ「狙ってる」ことを示す行動があったとのこと.

「◯◯さん,ほぼ毎日お弁当を持ってきて研究室で食べていましたよね」
でも,そこでは卒論の話が多かったし,第一,その場には君も一緒にいることが多かったたし.それに,私がいない時も入って食べていたわけだし.
私も学生の頃はそんな感じだったから,これを不思議だとは思わなかったんです.
※事情を説明しましょう.
教員が不在の研究室に学生が入る,っていう風習は本当はダメなので(機密書類等があるから)是正するような勧告が出ています.でも,データ分析とか資料利用のために研究室の「隠し鍵」を用意し,学生に利用させている大学教員は多いものです.私もやってたという元・学生の読者も多いのではないでしょうか.それに,大学によっては落ち着いてランチを食べるための場所探しが大変なところも多く,こうした「ゼミ生」の特権を行使する3・4年生は少なくないんです.

「◯◯さんが先に研究室にいる時は,いつもドアが閉まってますよね.先生はドアを開けっ放しにする人なのに.開ける時,今日は何かが始まってるんじゃないかといつもドキドキしてました」
あぁ,これはたしかに問題だなぁと思っていたことです.件の彼女は,研究室に来るといつも決まって研究室のドアを閉めるんです.これに改めて「開けといて」っていうのも変だから,閉めっぱなしにしてはいたのですけど.
※事情を説明しましょう.
特に,研究室で学生と二人っきりになる状況では,ドアを閉めないようにとの勧告が我々には出ています.ところが,ドアを開けっ放しにして学生と面談するなんてことできないし,教員への相談事の場合は学生がそれを嫌がる場合もあります.それに,夏はまだしも冬は寒いのでドアを開けっ放しにすることはできません.実際,「学生が求めればドアは閉めても良い」「暑い/寒い場合は閉めても良い」という,かなり適当な勧告なのです.研究室のドアを開けておくというのは欧米で実施されているようですが,それは廊下を含めた建物内全体が冷暖房されている所で可能な話です.日本のように節電意識が高い所でそれはできませんし,教育において師弟関係意識が高い日本では難しいですね.

「◯◯さん,4年になってヒラヒラの服を着るようになりましたよね」
知らんがな.

「メイクも派手になった」
分かりません.

そんな前任校での逸話を,仕事の合間に教職員でしておりました.
そしたら,その中の女性職員さんが笑いながら言うんです.「でも先生って,ホントに鈍感なんですね」って.
あらためて言うほどでもないのに,と言い返したら,
「だって,その卒業生の女の子も,きっと先生に気があったんでしょ.だから卒業後も訪問してきて,そんなことをわざわざ聞いてきたんですよ.なんかそんな気がします」
ですって.

あ,なるほど・・・.その瞬間,それまでバラバラだった事象が,一気に統合されます.新しい学術的考察を思いついたときのような,あの高揚感が迫る.
言われてみれば,そのあと彼女とは「せっかくだからドライブしましょう」ってことになって遠出したんです.思い出してみれば,あれもこれも,もしかしたら.
でも,完全ノーマークでしたね.やっぱり鈍感なんですかね.

とは言え,それくらい鈍感な方が「問題」を起こさないから良いと思われます.
我が道を行きましょう.

※以上の前置きをふまえ,続編がこちら
セクハラ教員と被害学生

2016年11月23日水曜日

テレビのない生活の音楽

私の自宅にはテレビがありません.
テレビを見なくなって,かれこれ15年になります.
そんな話を先日しました.
テレビのない生活を15年送ると
テレビのない生活のすゝめ

そして,テレビのない生活に特段のメリットや恩恵があるわけではないことも,そこで述べてきた通りです.
テレビのない生活とは,不便なわけでも自慢できるものでもない,実際のところどうでもいいものです.まだまだ珍しい存在なので,レアキャラとしての価値があるくらいでしょうか.
珍しい話題なので,せっかくですからもう一つ記事を書いておこうと思いました.
似たような境遇の人,これからそうなる人にとって参考になるかもしれません.

「テレビも新聞も見ずに.どうやって世間のニュースを知るんですか?」
という疑問を持つ人もいるようですが,これについては上述した過去記事でも述べたように,
「特に問題を感じない」
ですし,そもそも,
「いち早くニュースを知ったところで,正しい判断ができなければ意味がない」
ということをお話しましたね.

さて,この “ニュース” 以外によく聞かれるのが,
「最近のブームとか音楽とかどうやって知るんですか?」
というものです.

たしかにこれは「知りません」.知るつもりもないし.
テレビやラジオを中心としたコマーシャルを展開する分野からは,完全に取り残されます.
「AKB48」というアイドルがいることを最近知りました.私の中でアイドルと認知しているのは「安室奈美恵」とか「華原朋美」あたりが最後になります.
あぁ,他にもそう言えば「モーニング娘」ってのがいたな,って感じです.でも,彼女たちについては高校の同級生が熱心なファンでしたが,ちょっと気持ち悪くてついていけませんでした.

そう・・.
ついていけませんでした,テレビに映っている世界に.
今思えば,テレビが故障したのも僥倖だったのです.

テレビがなくなると,流行りの音楽,すなわちテレビから流れてくる音楽が無くなります.途端に「最近ブームの◯◯」っていうものへの関心もなくなるんです.
不思議なものです.

なので,音楽への興味も足かせが取れたように自由になりました.
なんというか,本当の意味で「気の向くままに音楽を聞けるようになった」のです.

最初のうちは,映画を見ることが多い手前,映画音楽とか,あとは「イージー・リスニング」っていう分野に手を出していました.
イージー・リスニング(wikipedia)
どっかで聞いたことがあるなぁって思うけど聞き流せる音楽っていうんでしょうか.
本を読んだりネットをしながら聞ける音楽として役立てていました.

ところが,そのうち “イージー” じゃない重厚なものにも手を出したくなるのが人間というものです.最初は釣り堀で魚釣っていても,そのうち海や川で釣りたくなるのと一緒です.

私は学生時代にTSUTAYAでひたすら映画を借りていた,というお話をしたことがありますが,実は同時に音楽CDも借りていました.
始めのうちはイージー・リスニング系統を借りていましたが,そうこうするうち「この曲の元になったクラシック音楽やジャズを聞いてみたい」ということになります.

そんなこんなで,今ではクラシックかジャズしか聞きません.
クラシックとかジャズって,高校生の頃までは嫌いだったのに.人の好みは自分自身でも分かりませんね.
これもテレビを見なくなったことの作用だと思います.

その転機となった曲,当時の私に影響を与えた曲を3点紹介させてください.

ベートーヴェン:交響曲第6番「田園」第一楽章
いまだによく聞きます.まさに「田園」って感じの曲です.
なんかのCDにこの部分だけ入っていて,それを聞いたのが最初です.
この曲がどれだけ凄いのか,ってことではなく,20歳の私にとって「これがクラシック音楽の魅力だ」ということを強烈に印象づけた曲なのです.
一般人である私にとって,ベートーヴェンなんて「運命」くらいしか知らないですし,聞いたこともなかった曲なだけに「クラシックって意外と凄いじゃないか」と感じさせた思い出深い曲なんです.
ご存知ない方はぜひ.

パッヘルベル:カノン
パッヘルベルのカノンというやつです.
これもクラシックを知らなかった私にとっては印象深い曲でして,ミロのヴィーナスの如きパーフェクトボディな曲ですから,一時期ハマりました.で,いろいろな人がいろいろアレンジしているのをたくさん聞いてきましたが,やっぱり普通のもので丁寧に演奏されたものが良いと思います.
マンネリ気味な曲ですが,気が向いたときには聞きたくなる曲です.

ホルスト:木星
木星以外の「惑星」全体も良い曲です.
こういう壮大で物語性の強い曲が「スターウォーズ」なんかの映画音楽に影響を与えたんだろうなって,ちょっと評論家じみた生意気な意見を持つようになるきっかけになりました.
さらに,ちょうどその頃,平原綾香が「ジュピター」っていう歌を出していましたね.テレビを持っていない私は平原綾香のジュピターなんて知りませんでしたが,オリジナルである「木星」は知っていたので,図らずも大学でドヤ顔できたことが懐かしい思い出です.
ちなみに,その後すぐキャサリン・ジェンキンスが「我が祖国よ,汝に誓う」っていうネトウヨが泣いて喜びそうなナショナリズム満載のイギリス聖歌を出しています.
いかにもイギリスらしい曲と歌詞ですが,平原綾香のジュピターが霞んで見えるほど魂と気合が入った一曲です.


上に挙げたのは,私にとって記念すべき思いました位置づけとなっている曲です.「これが最強の◯◯」というものではありません.
ラーメンの話題でも述べましたが,人の嗜好というのはそういうものではないと思うのです.
じゃあ,どのラーメンが一番旨いのか?

その人の生活に合った音楽というのがあるのだろうし,聞く音楽に合った生活になっていくものだろうし.
ラーメンも音楽も何事も,「因果関係」は見出だせなくとも相関関係が成り立つのではないかと思えてきます.

そう言えば,最近はプロの「演奏家」の方との共同研究をしています.身体活動という意味ではスポーツも演奏も同じことですから.
研究がてら目の前で演奏してもらったり歌ってもらうことも多いのですが,やっぱり生演奏と録音では違いが大き過ぎます.別物です.
カップラーメンと店で食べるラーメンの違いとでも言いましょうか.

なのでここ最近は,録音された音楽を聞いて「これは良い曲だ」「良い演奏だ」などと評価・判断するのもバカらしくなってきました.
録音された音楽は,あれはあれで独自の鑑賞対象と見做した方がいいですね.

2016年11月21日月曜日

卒業論文と統計学と大学教員と

このブログの読者は,大きく分けて3タイプ.
(1)大学おもしろネタ記事を読む人
(2)教育関係の記事を読む人
(3)統計学の記事を読む人
です.

(1)の代表的記事
【やってはいけない】卒論・ゼミ論を1日で書く方法
こんなホームページの大学は危ない

(2)の代表的記事
反・大学改革論
大学改革論を考える上での良書

(3)の代表的記事
エクセルで相関係数のp値を出す
エクセルExcelでΧ二乗検定を


熱心なご意見をくれるのは(2).匿名で新聞の取材を受けたのも(2)です.
(1)は自分自身も厭世的に楽しんでいる感じです.
一方,閲覧数が一番多いのは,実は(3)です
メールのお問い合わせもこれが一番多い.

本ブログは,実のところ「エクセルだけで無理やり統計解析する手法を紹介しているブログ」として日本ではちょっとだけ有名です.
極めてニッチではあるものの,『エクセル』というアプリケーションが衰退しない限り,このブログも需要があるものと推測されます.

大学教育において参考にされている節もあるようでして,短期間に集中的に(数百回単位で)某大学名を冠したサーバーからのアクセスが見られたりします.
きっと授業などで「このブログ記事を参考にしながら課題をこなしなさい」などと学生に指示されている可能性があります.
日本の大学教育のお役に立てているようでしたら望外の喜びでございます.

最近,リアル界で同僚の大学教員から「統計学」に関する質問を受けました.
卒業論文を指導している上で,統計処理でよく分からない点があるとのこと.
で,こんなことを聞いてくるんです.「このWebサイトに書かれていることを,そのまま使って良いものかどうか?」ということで,

というブログ記事を見せられました.

・・ん? これ,どっかで見たことあるぞ.と思ったら,私の記事でした.

「私が書いたブログなので」って言いたくなりましたが,「いやぁ〜,そうですねぇ.パッと見じゃわからないんで,ちょっと詳しく読んでみますね・・・,・・・うん,先生,この記事は大丈夫だと思いますよ!」と演技して答えておきました.

先般,統計処理上の手順や解釈に関する質問がメールで来たところでもあります.
本当なら「統計学」に関する書籍にあたってほしいのですが,ネットで済ましてしまいたいというのが多くの皆様の本音でもあるかもしれません.

私のブログ記事をきっかけに,より詳しく調べるようになるかもしれません.
今後は統計学の記事として「エクセルで◯◯する」以外に,基礎的な解説を加えていこうかと思います.


2016年11月18日金曜日

入学試験クツこれ

大学教員と靴の話です.

別に入学試験に限った話ではありませんが,大学教員の仕事には「足音」のしない靴が求められます.
受験生の迷惑にならないよう,足音のしない靴を要求されるからです.
センター試験の割当作業も始まった今日この頃.足音のしない靴の準備も始まります.

足音もしないし,履き心地が非常に良いので長年愛用している革靴のシリーズがあります.かれこれ3足くらいリピートしています.
それがこちら↓

「スニーカーの履き心地」という商品コンセプトは伊達ではありません.
革靴なのに全力ダッシュや反復横跳びもできます.これなら10kmくらい走っても大丈夫でしょう.
安価で高性能,且つ,そこそこ見た目も安っぽくないのがいいですね.
欠点はそのクッション性の高さからくる「靴底の消耗の早さ」くらいのものです.
でも,これは履き心地とのトレードオフになっているかと思います.

大学教員のなかには,革靴なんてたまにしか履かないという人もいるかと存じます.
そんな人にもオススメします.履きなれていなくても疲れません.
実は私も,あらたまった状況がない日はランニングシューズなどのスポーツシューズで出勤しています.研究室内では基本サンダルですし.授業にだってサンダルで行くときもある.

最近,同じアシックス系列が出している「ランウォーク」っていう革靴を買いました.
それがこれ↓


靴にこだわりのない私のような者としては,目ン玉が飛び出るような価格ですが,ずっとテクシーリュクスを買っていて,いつかこれを履いてみたいと思っていたので奮発しました.
これがまた非常に履き心地がいい.あと,足音も小さいので満足しています.

今は,ブラックの「ランウォーク」,それにブラウンの「テクシーリュクス」を履き分けています.


お高い革靴はメンテナンスも大変ですが,このタイプの革靴ならそんなに難しくありません.
とは言え,それなりのお手入れをしていれば,こういう1万円未満の革靴でも高級感が出てきます.
お手入れにも一工夫入れることを推奨します.

学生の頃は「革靴」なんて縁がなかったのですが,高校時代には野球をやっていたので「本革製のスパイクシューズ」を使っていました.これも一つの革靴です.
用具にお金をかけたくないと思っていましたが,スポーツ店のオッサンが「本革は合皮とは比べ物にならないほど良いよ」とゴリ押しするので,そんなに言うならと買ったことを思い出します.
いや,ホントに全然違いました.本革のスパイクは別次元.これはサッカーをやっていた人も分かるかと思います.
足に吸い付くような感覚.「あぁ,これが本革か・・・」と,一人の野球少年は本革の靴の素晴らしさを思い知ったわけです.

「手入れがちょっと大変だけどね」とも言われ,クリーナーやクリームも一緒に購入.
練習するたび手入れをしなければいけないし,雨の日は使えないのですが,使い心地の良さはそれを補って余りあるものです.
これはビジネスシューズも同じです.

一時期,革靴の「簡単お手入れグッズ」を使っていました.
こういうの↓
 
はっきり言って全然ダメです.
こういうのは,使っているうちにスルメみたいな靴になっていきます.

やっぱりクリームやクリーナーを使わないと貧相な靴になってしまいます.
私が今使っているのはこれ↓
 

ボロ布で拭くだけでなく,ちゃんとブラシも使ったほうがいいです.


塗るだけ,拭くだけ,っていうお手入れグッズよりも一手間かかりますが,それに見合った効果は得られます.
特に,革靴に履きなれていない人(私も)は,どうしてもシューズのつま先に傷をつけがちです.この傷が「簡単お手入れ」ではどうにもならない.
でも,きちんとしたクリームでブラシを使って磨けば,かなり補修・補整ができます.

高級な靴を買わなくても,手入れをしっかりしていれば使い勝手の良いものになっていきますし,見た目も十分なものになります.
特に茶色の靴はそれが顕著です.

なんだか商品紹介みたいな記事になりましたが,慣れない靴選びに困っている人は参考にしてみてください.

2016年11月15日火曜日

入学試験あれこれ

この仕事してますので,大学入試の試験監督をやることがあります.センター試験とかも.
ずっと座っているのも退屈なので,巡回監視がてら受験生の解答用紙を覗き込んで見て回ることがあるんです.

以前,「歴史」の試験監督をしていたら,「聖徳太子の十七条憲法にも示された『三宝』をそれぞれ述べよ」という問題がありました.
そんなに難しい問題じゃないし,漢字1字で回答する指示があるので,受験生のほとんどは「仏・法・僧」と書いていたのですけど,中には珍解答があったりする.
例えば,以下のようなもの.
「金・銀・銅」
オリンピックですね.思わず吹き出して笑いました.咳払いで誤魔化しましたが,こういう回答をする人はむしろ将来有望です.
他にも,
「父・母・子」
きっとこの受験生は心の優しい人です.三宝が解らなかったということで,その子なりに3つの宝を挙げてみたのでしょう.成績が悪くたって,特別枠でぜひ入学生させたい.

「米・麦・魚」
食いしん坊ですね.それにしても,どうして最後が「魚」なのか.「米」「麦」ときてるんだから,あとは「豆」とか「粟」とかになるんじゃないかと.
もしかすると,栄養バランスを考えて動物性食品を選んだのかもしれない.だとすれば気配り調整のできる人物です.
試験中ずっと気になって仕方ありませんでした.終わったらその受験生に「どうして最後が魚なの?」って尋ねようかと思ったくらいです.

「人・物・金」
何人かいましたよコレ.ポピュラーな間違いです.
近代社会に毒された若者をみているようで,なんだか切なくなりました.

「心・技・体」
切羽詰まってなんとなく思いついた三文字熟語を書いたのでしょうか.
とは言え,どうしてこれを「三宝」だと思ったのか.書くにしても想像力を働かせてほしいものです.

でも,最近の大学も学生募集に切羽詰まって「なんとなくの思いつき」で始めたんじゃないかという入試がたくさんあります.
その結果,毎月のように入試です.
一昔前に大学生だった人で,それでいて現在まで教育関係に触れていない人は驚くと思いますが,大学によっては8月〜3月まで毎月のように「◯◯入試」って感じで色々な名称の入試が展開されているんです.

大学が取り組んでいる「一般入試」以外の入試方式を眺めていますと,なんだか感慨深いものがあります.

推薦入試
一般的に推薦入試と言うと,その受験生の高校や予備校の先生(通常,学校長)から「この受験生は本校を代表する生徒です」っていうお墨付きをもらう,つまり推薦してもらうことで受けられる入試です.
基準や条件はいろいろですが,たいていは学業成績や課外活動などが用いられます.
現在の大学は,推薦入試で入学者の大半を,場合によってはほぼ全てを占めるようになりました.ようするに,一部の優良大学以外の大学受験の主戦場はここにあるのです.
今となっては,高校に “推薦してもらっている” のは受験生である「生徒」の側ではなく,大学側であるとも言えます.推薦入試でどれほどの学生数を確保できるかが勝負となります.

指定校推薦入試
知らない人は全然知らない.知ってる人は知っている.そんな推薦入試がこの「指定校」と呼ばれる入試です.
これは,大学が高校に対して「貴校がオススメできる生徒を,本学は◯人まで受け入れますよ」と予め指定しておき,簡単な面談等を経て受け入れる方式です.
かつては「指定校の学生は学力が低い」と目の敵にされていましたが,どうやら最近は潮流が変わってきました.
実は,指定校推薦で入ってきた学生の入学後の成績がけっこう高い,もしくは何かの技能に飛び抜けて存在感を示す学生が多いようなのです.
私の大学でその傾向があったので,他大学の先生にもこの話題をしてみたら,「実は,うちもそうなんですよ.成績はそんなでも無いんですけど,何事にも積極的に取り組む印象です」というパターンは結構多いんです.
こうした変化の要因や理由は分かりません.でも,高校の先生としても生徒のことを考えた選択をしているのかもしれません.
指定校の学生ってだけで色眼鏡で見る教員は多いのですが,私は彼らに期待したいですね.

スポーツ推薦入試
最もポピュラーな推薦入試です.クラブ活動も大学での重要な学びの一つだという理由をつけて始めたものです.
もちろん,実際のところは優秀なスポーツ選手を入学させることで「クラブ強化」をしてメディアに登場する機会を増やし,彼らを大学の広告塔にしようという魂胆だったものです.でも,最近は「高校時代にスポーツしか取り柄がなかった高校生」を大量に釣り上げる撒き餌のようなものになっている大学もたくさんあります.

AO入試
アドミッション・オフィス入試のことで,一般的にエーオー入試と呼ばれています.
その大学・学部学科の教育理念に沿った,何か特別な取り柄のある学生を獲得するという目的で,学力よりも資質で評価しようという入試.
そうは言っても,どの大学もどうやって評価するのか曖昧なままで始めた感があるため,結局は受験者に特技とか自己アピールを披露をさせて評価するというお粗末なものになっています.
でも,ちゃんと評価すれば優れた入試であることはたしかです.比較的偏差値の高い大学では,一般入試の学生よりもAOで入ってきた学生の方が優秀である場合が多い.これは指定校推薦と似ています.
たまに科学界を騒がせる世界的大事件を起こす卒業生もいますが,それを言い出したら一般入試も一緒です.

自己推薦入試
自分の特技や勉学への想いをアピールする,つまり,「自分を自分で推薦する」という趣旨の入試です.広末涼子がこれで早稲田に入学したことで有名になりました.これをスポーツ推薦入試にしている大学も多いです.
AO入試の理念と運営が難しかったので,以前はこういう名称で実施していました.
一芸入試と揶揄されることが多かったので,今ではAO入試に吸収されていることが多いと思います.
AO入試との差別化が難しいのですけど,本来は全く違うものです.とは言え,その差別化と区別に最も手を焼いているのは,試験する側である大学だという笑えない冗談があります.

身内入試(家族推薦入試)
そのままズバリの名称では行われていませんが,ようするに受験生の保護者がその大学の卒業生であれば受けられる入試です.
そんなバカな,そんな入試があるわけないだろう.と思う人もいるかもしれませんが,こうでもして学生募集をしたいのが現在の大学です.
そうは言いましても.実はこれ,入試の理念としては間違っていないんです.なぜって,自分たちが教育した卒業生が親となって育てた子供なのですから,きっとその子も優秀なはずだし,大学の理念や方針と親和しているはずだという考え方だからです.
自分たちが自信を持って「卒業」させたはずの卒業生の子供なのですから,入学させるだけの価値があるだろうという建前は,意外と強力なロジックです.

◯◯日程入試
たいてい,3月中旬から下旬にかけて行われる,非常に遅い時期の入試です.
一般入試の延長線上にあるように思えて,実はこれ,「浪人狩り」と呼ばれる入試方式です.
以前にも「3月上旬日程」という,主要大学の合格通知が出終わる3月上旬に入試をすることが内々では話題になっていましたが,その「3月上旬日程」ですら落ちた受験生を獲得しようとすることで,ジワジワ日程を下げた結果がこの入試方式です.
チキンレースみたいですね.
そのうち「3月31日日程」とか始まるんじゃないかと期待しています.入試会場に採点者も同席し,試験直後にその場で評価して合否を出す,みたいな.

◯◯会場入試
その大学で受験させるのではなく,遠方の受験生用に出張サービスすることです.
一人でも多くの学生と受験生を確保することが,現在の大学の(生き残る)使命ですから,野を越え山を越えて向かいます.
私も以前やってましたが,なんだかピザのデリバリー,もしくは宅配業者の気分になれます.
知り合いの先生と話したことがあるんですが,これ,そのうち「自宅会場入試」とか始める大学が出てくるんじゃないかとワクワクしています.
で,入試会場(自宅)に採点者も同席することで,試験直後にその場で合格通知まで渡しちゃう,みたいな.

2016年11月13日日曜日

テレビのない生活のすゝめ

前回の記事は,私がここ15年間にわたりテレビのない生活をしていたという話でした.
そこで今回は,テレビのない生活をしてみたいんだけど,その一歩をなかなか踏み出せないという人のために一つ記事を書いておこうというものです.

まず,テレビのない生活を私は奨励しません.
本記事の趣旨の根幹を切ってくるようで申し訳ないのですけど,これは本当です.

別にテレビのない生活だからといって良い事があるわけでなく,メリットもデメリットもないので好きにすればいいというのが実際のところ.
その上で以下をお読み下さい.
私の実体験に基づいた「テレビを放棄するための手順」です.

テレビのない生活:第1段階
テレビの話題をせずに1ヶ月過ごしてみる
テレビから得た情報を基にした世間話やトークをしないようにしてみましょう.
意外と問題なく過ごせるものです.
ニュースなんてネットや携帯・スマホのアプリから得られるし,ドラマとかバラエティの話題になったら「あ,私その番組見てないんですよ」と言えばいい.
そんなことが1ヶ月ほど続けば,周りの人もあなたのことをテレビの話題を好まない人だと認識するようになります.
人の適応能力は優れていますので,あなたにはテレビ以外の話題をふってくるようになるでしょう.

私の場合は,先にテレビが故障したので見れない状態にあり,なのでテレビの話題を避けるようにしていました.最初のうちは「テレビ見てないの?」っていう反応でしたが,そのうち周囲の方も慣れてくるものです.
テレビの話題なんてどうでもよくなります.

「営業トークや雑談に影響が出るのではないか?」という懸念もあるかもしれません.
でも,それは杞憂というものです.
テレビでしか得られない情報なんてほとんどありませんし,テレビ独自の情報なんてカスみたいなものです.
考えてもみてください.テレビで扱っているものを,あたかも世間の一般常識であるかの如く振りかざす奴に,まともな奴はいませんよね.テレビの話題を前面に押し出してくる奴は,たいていバカと相場が決まっています.
営業トークにしたって,賢い人であれば指向性が高いテレビの話題なんかは避け,普遍性の高い話題で勝負します.まっとうな社会人なら,この意味をご理解いただけるかと思います.
バカをフィルタリングできるという意味において,むしろポジティブに働くのかもしれません.

先にテレビを捨ててしまってからでもいいのですが,ちょっと不安だという人はこの第1段階を踏んでからテレビを捨てましょう.

テレビのない生活:第2段階
テレビを捨てる
不法投棄はしないように.各地域の指定の方法に従って下さい.

テレビのない生活:第3段階
世間のニュースに対する独自の見解を持つ
ニュースやなんかの話題をする際,どんなことを話すでしょうか.
テレビを持っていた時には,テレビ番組のキャスターやコメンテーターがしゃべっていたことを自分の意見として使ったりすることもあるでしょう.
でも,テレビを捨てるとこれができなくなりますから,それこそ「雑談用」のためにも独自に見解を用意しなけれならなくなります.

私の場合,学生の頃には新聞の社説を読むようにしていました.思想的立場の異なる新聞(朝日・毎日と,読売・産経)を跨いで読むことで,ニュースを複眼的に捉えようと頑張っていたものです.
所属していたゼミの先生も同じようなことをしているということで親近感もあり,そこから自分なりの見解をつくるよう努力していたのですけど,大学4年生くらいからは新聞も読まないようになりました.
2年ほど読んでみて,各社,結論ありきで書いていることが分かってきたからです.朝日だからこう書いているんだ,産経だからこんな見解なんだ,って.つまり,ニュースに対する各社の記事の姿勢が予想できるようになってきたんですね.
なんだかバカバカしくなったので,もう新聞もやめようということにしたのです.

だからこう考えるようにしました.
報道されている情報を整理・分析するのではなく,ニュースになっている出来事それ自体に目を向けて,それに対する自分の考えを出すようにしようと.
つまり,賛否両論を聞いて,そこから自分の意見を選ぶというのではなく,賛否そのものを自分で紡ぎ出すようにするのです.

今はネットを使えば公的資料や一次資料も簡単に見れますので,事実を知った上で自分自身の中にある価値判断の基準に任せればいい.そういうことにしています.
独自の見解の作り方は,以下の記事を参考にしてください.大学生向けのものです.
超便利:授業内レポート(小レポート,リアクションペーパー)作成のコツ
【最終奥義】超便利:授業内レポート(小レポート,リアクションペーパー)作成のコツ

テレビのない生活:第4段階
スポーツの話題は意識的に取り込まないと分からない
前回の記事でも取り上げましたが,テレビを見ないようになると「スポーツ」の話題が全くできなくなります.
それだけ,「スポーツ」がテレビや新聞などに依存したものであることが分かります.

私は体育・スポーツ系の研究者ですが,スポーツの話題についていけません.
職場で「昨日,日本代表が勝ちましたね」って言われても,「はい,そうですねぇ」って愛想笑いで返すものの,一体なんのスポーツでどういう試合だったのか実は分からないという状況はよくあります.
そのあと,急ぎネットで確認するっていう流れが日常茶飯事.
スポーツの話題は意識的にチェックしておかないと,見事なまでに浦島太郎になるので注意が必要かもしれませんね.

以前はプロ野球も見ていたのですが,今ではどこのチームにどんな選手がいるのかも知りません.
今年の日本シリーズは盛り上がったようなので,広島カープと日本ハムだったことは知っていますが,去年や2年前の日本一のチームは調べないと分かりません.
そう言えば,大谷翔平っていう選手も今回初めて知りました.有名選手なんですってね.そんな感じになってしまいます.

Jリーグや大相撲なんて悲惨なものです.何も分からない.
両国国技館に職場の人達と相撲を見に行ったことがありましたが,知っている力士が一人もいませんでした.
人気力士がどうのこうのと話題になっていましたが,さすがに私も場の空気を読んで「知らない」ということはカミングアウトしませんでした.そこで遠藤っていう力士を初めて知ったというのもウソではありません.
Jリーグは・・,Jリーグはもういいや.

仕事柄,スポーツが嫌いなわけではありません.むしろ研究対象なわけですから.
試合展開や選手のパフォーマンスやコンディションについて分析するとなれば,それはそれで本気出せます.
そんな私でもスポーツニュースには疎くなるので,スポーツ好きが多い職場や取引先でお仕事されている方は,ちょっと注意が必要です.

テレビのない生活:第5段階
映画や音楽,読書といった好きなものに興じよう
テレビのない生活が始まると,世間のことなんてどうでもよくなってきます.
上の方では「世間話」だとか「ニュース」だとか「スポーツ」だとかの話をしてきましたが,肝っ玉が座ってくると我が道を行くことができるようになります.
こうなるとテレビのある生活には戻れません.

テレビのない生活が始まると,テレビを見る時間分の余裕が生まれます.
この時間で映画や音楽,読書などができるようになります.ブログも書ける.
一昔前なら映画もレンタルしなければいけませんでしたが,今ではネットで見れます.
音楽も無料で聞けちゃったりする.

よくよく考えてみたら,テレビって一方的な情報提供ですよね.実は,自分が面白いと思っているものだけ愉しみたい,というワガママを叶えるものではないのです.
妙な話です.本能の赴くまま,己の欲望を満たすための行動を取る上では,テレビは障害にしかなっていないのですよ.

前回の記事で,「盆正月に実家に返ったらテレビを見ることがある」っていう話をしましたが,実際のところほとんど見ません.
動画であればニコニコ動画やYouTubeのほうが好きな時に好きなだけ見れるし,音楽や読書のほうが場所も時間も制約されない.
まさに「物珍しさ」のためにテレビのスイッチをつける感じです.出張先のホテルでもそう.地方のテレビ放送に興味があるからつけてみるだけで,ものの数分で消しますから.

ここまで,「テレビのない生活のすゝめ」としてお話してきましたが,テレビのない生活がどうのこうのというよりも,むしろ「実は,テレビのある生活は苦行ではないか?」というところで検討したほうが興味深いのかもしれません.


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テレビのない生活を15年送ると

2016年11月11日金曜日

テレビのない生活を15年送ると

学生時代からテレビのない生活を送っています.
もうそろそろ15年になります.

2005年くらいから「最近の若者の中には “テレビ” を持っていない人が増えてきた」なんてことが言われるようになっていましたが,まさにその時「そうそう,僕もその中の一人」と思っていました.
とは言え,そんなに言うほど周囲に「テレビを持っていない」同世代の人がいたわけでなく.なんだかんだで,レアキャラとして認知されていたのもたしかです.

学生生活を始めた頃は持っていたんですよ.でも,途中でテレビ受信機能が故障してしまい,修理するのも買い換えるのも面倒だし,なによりお金がもったいないので放置し,今に至ります.
それに,テレビを見るって言っても,そのほとんどが映画を見るくらいだったので,それだったらTSUTAYAとかでDVD借りてパソコンで見たほうがいいなって.思い起こせば,DVDレンタルが本格化したのもこの2000年頃からですね.時代を感じます.
その後は映画漬けの学生生活を送ることになったので,私の中では転機だったと思います.

さて,テレビを見ずに15年生活するとどうなるのでしょうか.
以下,2000年初頭から約15年間テレビを廃棄した人間の実体験からお話しましょう.

(1)テレビドラマと縁が切れる
最近は「Hulu」などの動画配信サイトが充実しているので見る機会も出てきましたが,この15年間はテレビドラマとは無縁でした.
だからこの手の話は友人たちとも噛み合いません.どうせ噛み合わないんだから話題になりません.それで損も苦労も一切ないので,特に気になりませんが.

(2)芸能人が分からない
以前もネタにしたことがありますが,4年前,前任校の学生たちの前で「AKB48」を「エーケービーよんじゅうはち」って読んでしまい,「フォーティーエイトですよ先生」って指摘されたことがあります.文字で見ることはあっても,音では聞かないですから.それだけ芸能人のことが分からなくなります.
ジャニーズだと,最近解散することになったSMAPとかTOKIOが限界です.V6っていう人達がいるのは知ってますが,どんな人達で構成されているのか分かりません.
当然のことながらAKB48もどういう団体なのか知りません.未だに分かりません.最近,AKBが「秋葉原」を指すということを教えてもらいました.
あと,以前知ってたはずの芸能人も忘れてしまうようになりました.15年ですから,そりゃそうです.

(3)プロスポーツから離れた
テレビがないわけですから,スポーツ観戦にもかなり制限がかかります.
特に興業スポーツ,いわゆる「プロスポーツ」は全く見なくなります.プロ野球,Jリーグ,大相撲,そんなところでしょうか.
プロスポーツが,いかに「テレビ」に依存した存在なのか,スポーツを専門とする者として身をもって知りました.
ところで,ワールドカップとかWBCといった日本代表戦,あとはビッグイベント(有馬記念とか)は,大学研究室の談話室に置いてあるテレビで皆して見ることになるので,特に不自由しません.

(4)流行しているものの名前が分からない
2年前くらいから女子学生の口紅が明るく派手になったなと思って,仕事でご一緒した女性事務員さんに「最近の女子学生の口紅,変な色じゃないですか? あれって何ですか?」って話題をふってみたんです.
案の定,「え? あれ,知らないんですか?」っていう反応が返ってきて,どうやらナントカっていうのが流行っているんだそうです.名前は忘れました.
とは言え,名称を知らないだけで,どんなものが流行しているのか認識できないわけではないのです.なので,これで困ることもありません.むしろ,世の移ろいに敏感になるんじゃなかろうか,と思っています.
ところで,自分自身のファッションに何か影響があるのではないかと考える人もいるかもしれません.でも,案外それもないんですよ.それに私の場合,服はずっとAOKIで買うことにしていて,そのAOKIの店員に予算と年齢を告げて私に合うように選んでもらっています.店員のセンスで買っているのが実情です.

(5)ニュースには困りませんよ
「テレビを持っていない.新聞もとっていない」という私に対して一番多い反応が,「じゃあ,世間のニュースとかどうやって知るんですか?」っていうものです.
ネットでYahoo!ニュースみたいなものさえ見ていれば,特に生活する上で困ることはありません.っていうか,ニュースなんて一切見なくても困らないんじゃないかと思います.
考えてもみてください.今「ニュース」として流れているものを知らなかったとして,何の問題があるのでしょう.
こんな私でも昨日ドナルド・トランプが大統領に選出されたことくらい知っています.嫌でも知ります.でも,仮に知らなかったとしても全然問題ない.アメリカ大統領が誰なのか知らなければいけない人達なんて,極々限られた人達じゃないですか?
ましてや芸能人の不倫とか魚市場の移転問題とか,こんなもの,大多数の人間にとってはどうでもいいニュースでしょう.
むしろ,ニュースは仕入れることよりも判断することのほうが大事です.仕入れるだけ仕入れて,誤った判断をしている人間が多いのではないかと危惧しています.

(6)NHKの集金を本当に追い返せている
NHKの集金取り立て人を,「本当にテレビを持っていないので」ってことで追い返しています.
4年前にここに引っ越してから去年まで,彼らも毎年取り立てにきていました.今年はまだ来ていません.
去年来た時は,ちょっと語気を荒げて返しました.お酒も少し入っていましたので.それが影響しているのかもしれませんね.
携帯電話もiPhoneを使っていますので,本当にテレビを見れない生活を送っているわけですから後ろめたい気持ちは全くありません.
っていうか,あれって明らかに不適切な取り立てですよね.普通に考えて,テレビや携帯電話(厳密には受信装置)を買うときに契約させるようなシステムにすればいいのに.
誤解しないで下さい.私はNHKが不要だと言っているわけではありません.災害等,有事の際には重要な連絡網になる存在ですから,社会的インフラとして整っておくべき存在だとは思っています.

(7)テレビ番組が面白くないらしい
「最近,面白いテレビ番組がない」とのことです.
盆正月に実家に帰った際には,私もテレビ番組を見ることがあります.あと,飲食店に入ったその店内で映っていることもある.たしかに面白くありません.でも,私にとっては物珍しさが先に来ます.
せっかくですから,じゃあ,どういうテレビ番組だったら面白いのか? ってことを考えてみたんです.意外と難しい話ですね.
ただ,テレビ制作をしている方々に言えるとすれば,もう少し肩の力を抜いて取り組んだほうが,自身のためにも,視聴者のためにも,そして社会のためにもなるんじゃないかという直感めいたものを感じるんです.

2016年11月8日火曜日

井戸端スポーツ会議 part 39「日本のスポーツの定義に物申す」

いまさら感満載ですが,この手の話がなかなか我々の業界でも話題に上らないので,私ではちょっと畑違い(領域外)なところもありますが,一応スポーツの専門家の一人ですのでこのブログを使って発言しておきたいと思います.

2011年にスポーツ基本法という法律ができました.
スポーツ基本法(wikipedia)

この法律が作られたことによる影響は一般に考えている以上に大きく,これにより「スポーツ」という我々にとって身近な文化的営みを「法律」によって取り扱うようになったわけです.
それまでにも「スポーツ振興法(1961年)」という法律がありましたが,これは1964年開催を控えた東京オリンピックに乗じて「オリンピックも開催されることだし,とにかく日本にスポーツを振興していきましょう」という,ある種の “ノリ” で始めた経緯があったものです.

こういった法律を作る上で,当然のことながら問題になるのは「スポーツとは何か」という点です.
「スポーツ振興法」では,「こまけぇことはいいんだ」とばかりに,皆がなんとなく「これってスポーツだよね」って捉えていることを振興すれば良かった.でも,今回のスポーツ基本法では,「基本」って言っているくらいですから,スポーツとは何か明確にしておく必要があります.
ところが,過去記事でも事ある毎に触れていますが,この「スポーツとは何か」という問いは非常に難問なのです.

ましてや「スポーツ sport」という用語は輸入品ですので,日本人にとってのスポーツとは何かと考え始めたら,一筋縄ではいきません.
勢い,「そもそも日本にスポーツなんて無いんだ!」などと言い出す青臭い学生,もしくはトンチンカンもいます.でも,これはこれで間違いです.
例えば「科学(サイエンス)science」という用語も輸入品ですが,では日本に科学という営みは無かったのかと問われれば,そういうわけではありません.これと一緒.

スポーツ基本法においても「スポーツとは何か」に関する記述がありますが,「これが日本のスポーツです」と明記することは(巧妙に)避けられています.
とは言え,それらしい記述はスポーツ基本法の「前文」に出てきます.それがこれ↓

スポーツは、世界共通の人類の文化である。スポーツは、心身の健全な発達、健康及び体力の保持増進、精神的な充足感の獲得、自律心その他の精神の涵(かん)養等のために個人又は集団で行われる運動競技その他の身体活動であり、今日、国民が生涯にわたり心身ともに健康で文化的な生活を営む上で不可欠のものとなっている。
この文章,私としては非常によく出来たものだと思います.
幅広いスポーツ学者が一応納得できるよう,各方面に配慮して丁寧に作られています.

ですが,普通にこの文章を読んだ一般人はどう思うでしょうか.
おそらくこう読みます.

スポーツとは,人々が健康の維持増進や楽しみのために行っている活動のことを言うんだ.
例えばフィットネスクラブやジョギング,登山やスキーなどのレジャー.学校では体育や部活動でスポーツを扱っているし,プロスポーツ選手の活躍を見て,みんな楽しんでいるよね.
これが「スポーツ」ってことなんだね.

って.
これはスポーツ科学研究やスポーツビジネスをやる上では問題ありませんが,しかし「スポーツ」そのものを考える上では極めて重大な問題を孕んでいます.

事実,スポーツ基本法の前文の最後はこう結ばれています.
このような国民生活における多面にわたるスポーツの果たす役割の重要性に鑑み、スポーツ立国を実現することは、二十一世紀の我が国の発展のために不可欠な重要課題である。
ここに、スポーツ立国の実現を目指し、国家戦略として、スポーツに関する施策を総合的かつ計画的に推進するため、この法律を制定する。
つまり,「スポーツの果たす役割」が重要だから,「国家戦略」としてスポーツに関する施策を推進するためにこの法律を用意したんです,ってことを言っています.

しかし,これには誰かがクレームをつけなければいけない.
スポーツは役立っているものではありません.スポーツは,何かの「ため」に行っている活動ではないのです.
スポーツは,ヒトが「人間」であることを示す重要な営みです.
何かのためにやっているのではなく,ヒトが人間である以上,人はどうしても「スポーツをしてしまう」ものなのです.

過去記事で何度もご紹介しているものですが,このスポーツという営みを私なりに無理やり短くまとめると以下のようになります.


なにかしらのルールを作って,そのルールのなかでスコア(順位・得点)の獲得を目指し,それ自体に活動の価値を見出す営みのこと.

これがスポーツです.
そこには善悪や要不要,損得といったものはありません.
不健康になってでもスポーツをするだろうし,誰かを傷つけてでもスポーツをするだろうし,それによって本人や関係者が損をすることになっても人はスポーツをします.
だからこそ,スポーツは尊いのです.

上記の定義からすると,多くの日本人が「これぞスポーツ」と認識していること以外もスポーツと呼ばれるようになります.事実,日本人の多くが「スポーツ」と捉えていない囲碁将棋やトランプ,テレビゲームなども,「sport」の本家である欧米ではスポーツとして捉えられています.
さらに広げて言うなら,戦争や外交,政治や議会,商売やボランティアもスポーツと言えなくもない.
いえ,それらも「スポーツ」なのです.

人間だけがスポーツをします.スポーツをするから人間なのです.

しかし,スポーツ基本法にある「スポーツ」とは,どうしても政治的な色が強く,スポーツをどのように役立たせるか(乃至,役立ってもらうか)と捉えています.
それは教育であり,共同体形成であり,「サーカス」です.

これは仕方ない面もあるでしょう.政治家が作ったんだから.
でも,どこかで誰かが「これじゃダメだ」と言わなければいけない時が来るはずです.このまま放っとくと,いつか大惨事になると直感的に感じます.スポーツをなめてはいけません.人間の根幹を形作っているものなのだから.
とは言え,私としてはその分野の研究者・学者の方々の検討をお祈りするだけですが.


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井戸端スポーツ会議 part 20「プロレスはスポーツである」

2016年11月7日月曜日

体育学的映画論「ローマの休日」

先日,『デスノート Light up the new world』っていう酷い駄作を,こともあろうに映画館で大金をはたいて見てしまいました.
体育学的映画論「デスノート Light up the new world」

駄作にも駄作なりの「見方」があるというのがその記事の趣旨でしたが,それでも駄作は駄作です.あれほどの駄作,作ろうと思ってもなかなか難しいんじゃないかと思ったりします.
なので,今度は口直しに名作映画を見ることにしたのです.

動画配信サイトであるHuluに,名作として有名な『ローマの休日』があります.
ローマの休日(wikipedia)
なんだかんだで,実はまだ一度も見たことがない映画でした.
不朽の名作と呼ばれるからには,それなりの見どころがあるものと期待して,この際に見ることにしました.

で,感想ですけど,ビックリするぐらいの名作でした.
いろいろな現代映画を見てきたつもりですが,ようするに “映画” って1953年の『ローマの休日』で完成していたんですね,ってことを思い知らされます.
その後に作られた映画というのは,結局のところ『ローマの休日』の派生作品と言っても過言ではありません.
ありとあらゆる映画らしい演出や展開が,既にこの作品で出来上がっているのです.

20代後半くらいになって,クラシック映画と呼ばれる作品を見るようになりました.
それまでは,古い映画を見ても「退屈だなぁ」と思えど,面白いとは思えなかったからです.
まあ,自分で言うものなんですが,若いうちはそんなものではないでしょうか.子供だったり二十歳そこそこの奴が,「クラシック映画が好きだ」なんて気味が悪いですしね.

そうは言いましても,昔からクラシック映画の良さを全く知らなかったわけではありません.
大学2年生の頃,英語の授業で『風と共に去りぬ』を教材として見せられたことがあります.
担当教員としては,体育しか知らないバカで勉強へのモチベーション・ゼロであった我々のため,少しでも「英語」に親しんでもらおうという苦肉の策だったのでしょう.
私たちとしても,とてもじゃないですが授業で取り上げてもらわなければ「風と共に去りぬ」なんて映画を自発的に見るような連中じゃないし,長い目で見たら非常に有益な教育だったと思います.
お陰で,少なくとも私はこの時「へぇ〜,これが名作って言われる映画なのかぁ.ほぇ〜」って間抜け面しながら見ていたものの,何かのスイッチが入った気がします.

なかなか説明が難しいんですけど,なんというか「映画を見るための物差しのバリエーションが増えた」というのでしょうか.

その先生が映画好きでアメリカ文学がご専門だったというのもあるのでしょうけど,映画を途中で止めながら,作品の歴史的背景や日本との文化の違いなど,適宜解説を入れてくれたのも作品を楽しむ上で助かりました.たんに映画を見ていただけじゃないんです.ちゃんと授業をしていました.

じゃあその後「不朽の名作映画」を好んで見たのかと言われればそうではなく.
でも,上述したように何年か前からクラシック映画とか不朽の名作と呼ばれる作品を見るようになったわけです.あの授業で『風と共に去りぬ』を見てなかったら,いまだに普通の映画ばっかり見ていたと思います.

勘違いされてはいけないので念のため言っておくと,私は別に「クラシック映画こそが至高」と言っているわけではありません.
さまざまな作品に,それなりの魅力があります.身の丈にあった見方をすればいい.
このあたりの話は,最近では,
じゃあ,どのラーメンが一番うまいのか?
で論じたので,お暇だったら読んでみてください.

ちなみに,現時点でHuluで見れる邦画では『羅生門』や『切腹』なんかがお気に入りです.どっしりとした時代劇っていいですね.

クラシック映画を食わず嫌いにしている人って多いと思います.
思い切って何本か見てみることをオススメします.映画の見方が変わるかもしれませんよ.

2016年11月5日土曜日

山本有二:鳥無き島の蝙蝠にノミネート

私の地元の方々が推した国会議員の一人が,最近のニュースを賑わせています.
現・農林水産大臣 山本有二氏です.

山本有二農林水産相「冗談」発言を謝罪し撤回。野党は委員会強行に反発し「何度謝っても冗談だ。けじめを」(産経新聞2016.11.4)
山本有二農林水産相は4日の衆院環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)特別委員会の冒頭で、強行採決に言及した自身の発言を「冗談」と述べたことについて「私の不用意な発言で、再び皆様に大変ご迷惑をおかけしたことを心からおわび申し上げる」と述べ、発言を撤回した。「農業関係者のみなさまに心からおわびする」とも述べた。
山本氏の失言に端を発する混乱から,TPP承認・関連法案採決が延期されております.
そんな一連の流れをみて,案の定,こういう推測をする人も現れました.


ひょっとして山本有二農水相はTPP反対派ではないのか。(佐藤健志氏ブログ)

はい.私もそう思います.
が,その前に地元での話を先にしたいと思います.
山本有二は高知でどのような人物として認識されているのか.

彼の選挙区は高知2区(西部).
私の地元です.地元と言っても高知に選挙区は東西の2区しかないので,高知県西部の声がどれほど反映されているかは怪しいものですが.

ともかく,高知は全国的にも極めて「保守」が強いところです.実際のところ,日本で最も保守的と言っていい.
現在は,1区から中谷元氏が,2区から山本有二氏が国政へ出ることが確定になっています.

たまにしか高知に帰らない私ですが,どう考えてもこの地域でリベラル色のある議員は当選できません.維新とか日本の心がなんとかって言ってる党も一緒です.
とにかく “新しい考え方” に懐疑的な人達が多く,何処の馬の骨とも知らない奴を当選させるくらいなら,日本共産党の方がいいと考えるのが高知県民です.「かつて坂本龍馬など幕末の志士を多数輩出した地域とは思えない」などと揶揄されることもあります.

山本有二氏について,私の両親は良く思っていません.
以前,山本氏のことについて話題になった時,
父「結局は中央に媚びる奴.信用できない」
母「肝っ玉が座っていない.もっとシャキッとしてほしい」
とのことでした.
他の地元民の方々も同じような感じです.でも彼ぐらいしか力のある政治家はいないから,仕方なく出しているといったところです.

それを如実に表すのが,彼の立場である「TPP賛成派」.
ところが高知県民の多くは第一次産業です.高知県民から票を取りたければ,TPPには反対の姿勢を示した方がいいのです.
事実,高知県は県をあげてTPPに反対しています.
TPPについて(高知県庁ホームページ)

でも山本氏は,地元民から「中央に媚びる奴」と罵られながらもTPP賛成の立場を取っています.
TPPに賛成を表明していたほうが,安倍総理に近づきやすいのだろうし,要職にもつきやすい.そう考えているのかもしれません.
で,今回実際に農林水産大臣になれました.

その上で,彼は一連の失言騒ぎを,これでもかこれでもかと引き起こしています.
まるで「わざとやってるんじゃないか」と思われるくらいに.

わざとの可能性があります.
だって,考えてもみて下さい.山本氏が今回の失言騒動によって選挙区民からそっぽを向かれることはないからです.彼が失言すればするほど,高知県民のためになっています.
むしろ喜ばれているのです.山本よ,もっと失言しろと.

「政治は結果です」と言ったのは,安倍総理です.
その通りだと思います.
どのような政策や指針を表明しているかではなく,結果となって表出していることに政治家は責任をもたなければならない.
デフレ脱却,瑞穂の国などと口では言っても,実際には消費増税し,TPPを目指し,移民を推進のため動いている政治家は,その結果を招くための政治をしていることになります.
そういう意味において,結果として今国会でのTPP承認を不可能なものにしている山本氏は,TPP反対派と言ってもいいかもしれない.

実際のところ,本人以外誰も知りようがない話です.
今,農林水産大臣である山本氏には,TPPに関し各方面からたくさんの陳情や箴言が届いていることと思います.
彼の言動は,そうしたたくさんの人々の思いが入り乱れた中から紡がれているものと考えられましょう.

今年になって,四国出身の偉人を紹介する記事のシリーズをはじめました.
「鳥無き島の蝙蝠たち」のシリーズです.

もし山本氏が大臣更迭をも辞さない覚悟でTPPを引っ掻き回しているのであれば,彼を鳥無き島の蝙蝠の一人として取り上げても良いでしょう.
本当にそうならカッコ良すぎる話ですが.どうなんでしょうね.

でもこれだけは言える.
山本氏が失言を続けてTPP承認が不可能になったとしても,一連の騒動の責任をとって大臣を辞職しても,選挙区民は次の選挙で彼をまた国政に送り出すでしょう.

2016年11月4日金曜日

体育学的映画論「デスノート Light up the new world」

雨雲レーダーを見る必要もないほどの快晴.
朝一番.体育の授業をするため非常勤講師先の大学に到着したら,その大学,今日は全学休講日でした.

たまにこういうことをやらかします.あまりスケジュールを管理しない質なのです.

でも,午後からその大学の近くで研究会がありまして,今から一度帰るってのも面倒だと思いましたので,なんとか時間つぶしをしなければいけません.
その大学の近くの駅前に映画館があったので入ることにしました.

ゼミの学生たちが『君の名は』っていうアニメ映画の話をしていました.かなり繁盛している作品のようで,この際,せっかくなのでそれを見たかったのですが,なんせ “時間つぶし” のためにと思って見る映画です.選ぶこと自体が面倒なので,適当に入ったところでやっていた『デスノート Light up the new world』のチケットを買いました.
でもこれ,先週末から上映が始まった新作らしい.

原作である漫画は,大学院の頃に友人から勧められて読んだことがあります.実写ドラマだった『デスノート』も,去年Huluで見たことがあります.知ってる作品の続編を選択するのが吉だと思ったわけです.
そして平日の朝一.全然お客さんがいない中で見れました.

【以降,盛大にネタバレしますので,楽しみにしている人は要注意】

事前知識もなく,期待もせず,時間つぶしに見た映画です.
健康診断の日に,朝飯を食ってコーヒーもガブ飲みした血液検査の結果みたいなものと思って読んで下さい.

まずは総評.
とっても面白くありませんでした.

でも,私はただケチをつけるだけの評価で終わらしたくはありません.どんな作品であろうと,何かしら良いところや考察すべき点があるはずだと思って見るものです.
心の底から不快感を禁じ得なかった映画は,ハリウッド版『ドラゴンボール』くらいのものです.
スポーツとニーチェとドラゴンボール

ところで,卒論発表会とか修論発表会の場で「質問」をしてあげることが多い私ですが,聞くところによると,以前助手をしていた大学の学生同士では「発表会で◯◯(私)さんの手が挙がると戦慄」ということになっていたそうです.

私は怖がらせるつもりは全くありませんでした.せっかく学生が研究と発表を頑張ったんですから,少しでも実りあるディスカッションを起こしたほうが良いし,大学最後の記念にもなると思い,精一杯の優しさを振り絞ってあげていたつもりでした.いや,ホントに.
どんなに杜撰な研究であろうと,そこから何かしらの意義や価値を見出そうとすることに使命感を,否,天命感をもって臨んでいます.
というのも,私の時の卒論発表会では,ほとんど質問が出なかったんですよ.それがちょっぴり切なくて.

ですから,『デスノート Light up the new world』も「面白くない」で済ますのもかわいそうです.
せめて私なりの本作の楽しみ方をネタバレしながら考えてみたいと思います.

でもまずは,面白くない,つまらないと感じる理由から.
(1)クライマックスの大ドンデン返しが予測可能
実は物語の主人公・彼自身が「キラ」なのですけど,それが容易に想定できる状態でストーリーが進んでいます.バレバレってことではありません.なんたって “デスノート” ですから.こちらも「もしかするとそうじゃないか」と構えて見てるわけで.
なので,「へぇ〜,そうなんだぁ」っていうリアクションしか起こせません.とても困ります.

(2)説明が多い
デスノートって複雑で膨大な設定が用意されています.その続編なのだから仕方ありませんが,物語全体を通して「デスノート」におけるルールや掟に関する説明が多いです.
映画にする題材ではなかったのかもしれません.連続ドラマとかの方が良かったかも.

(3)デスノートらしさがない
いわゆる頭脳戦っていうんですか.裏の裏をかくような策略合戦が見せ場のデスノートだったと思っていたのですが,それが全く出てきません.
ひたすらデスノートを使った殺人事件と,それにまつわる脅迫事件が展開されているだけの印象です.

(4)世界が震撼していない
「デスノート型犯罪」とでも呼ぶのでしょうか.そういう犯罪が「あれから10年経って」また始まったというのに,まるで世界が震撼していません.
秋葉原通り魔事件よりも小規模な扱いのようです.これならまだ地下鉄サリン事件の方が世界を震撼させました.
警察の対応もいい加減.もっと真剣に取り組むべきです.

(5)L・竜崎がイタい
これは役者さんか演出家か監督か,誰に責任があるのか分かりませんが,とにかく竜崎のキャラが空回りしています.一見,たんなるアホです.
大学にも,こういう意味不明な意識高い系の男子学生が必ずいます.そういうのに見えました.

(6)海砂の存在が雑
この映画のキーマンだと思っていたのに,えらく雑な扱いです.
もうちょっとエピソードに絡んでほしかった.


この作品,普通に見ていたら駄作です.午後11時以降に見ると眠くなります.
ですが,何度も言うようにどんな作品にも見るべきところがあるはずで,「ここを掘り下げれば感慨深く見れたかも」と考えられるところがあると思うんです.
週末のデートで勇んで見て2人してガッカリするよりも,以下を参考に話を盛り上げた方が有益かもしれません.

すなわち,
『デスノート Light up the new world』は,ここに着目して脳内補完しろ!
(1)竜崎は真性のアホだった
彼は天才的な頭脳を持った探偵ではない.ただのアホだった.アホだけど「ひらめき」とか「ノリの良さ」とかで運良くのし上がってきてしまい,でもそれが社会的害悪を及ぼすようになる,っていう存在のメタファーではないか.
そう考えると辻褄が合います.
クライマックスにて,全てのデスノートが揃ったところに日本政府の命令を受けた(?)強襲部隊が突入してくるんですけど,それを見て彼は,「国がノートを欲しがっている」と吐き捨てます.
当たり前です.終始,徹頭徹尾,この映画は「日本国とその警察がノートを確保するため必死で捜査している物語」だったはずです.いまさら何を言ってんだこのモジャモジャ頭は.
っていうか,なんでお前はそこから逃げてんだ? せっかくの騎兵隊の到着じゃないか.一刻も早くノートを突入部隊に渡すべきシーンのはずです.
つまり,彼は自分が何のためにそこに存在しているのか理解できていない.会社や組織にいると一番困る奴の典型です.
会議の場で激しく責め立てられたら,グレて誰の利益にもならないメチャクチャな事言いだす奴がいます.あれです.
TPP問題や,豊洲移転問題の暗喩として描かれているのかもしれない.
そういう象徴として彼は描かれているのではないか,そう思えば合点がいきます.

(2)海砂の性格の変容
20歳くらいの頃にキャピキャピ(←死語!?)していた女が,30近くになったら途端に地に足の着いた言動をするようになることがあります.
今作の戸田恵梨香さん演じる弥海砂は,それを厳然と見せつける存在だったのだと思うのです.
あんまり詳細は覚えていませんが,前作で彼女は(ある意味)かなり厳しいキャラでした.それがどうでしょう.今作で彼女はすっかり様変わりです.
ブリッ子だったかと思いきや,今じゃクールビューティーを演じている.そんな女性,私の身の回りにもいます.あれって女性は意識的にやってるんですかね.怖いですね.

(3)ロシア人医師のこと,時々でいいから,思い出してください
映画の冒頭に出てきたロシア人医師.名前は知りませんが,このオッサンの行動に「もしかしてこの映画,良作かも」って期待させられました.
デスノートの1冊がロシア人医師の手に落ちるんです.彼は患者である死にかけの爺さんを前に,思わずデスノートに爺さんの名前と,彼の静かなる死を書き込んでみる.すると病気に苦しむ爺さんは,安らかな眠りについたのです.
彼はその後,多くの自殺願望者に安らかな眠りを提供しました.これはデスノートでしかできないこと.ある意味,デスノートの正しい使い方です.
「人は人生をどのようにして終わらせるか」という考察が,本作の裏テーマではないでしょうか.デスノートは人の死に際を操れるわけですからね.これはノートの非常に重大な機能です.
実際,海砂はデスノートに自分の名前と,不可能だと分かっていながらも「夜神月の腕の中で死ぬ」と書いた.自己の死の演出.とても感慨深い話です.でも,上述しましたが,彼女の扱いが全般的に雑でした.
昔,『王様のレストラン』というドラマがありました.そこで松本幸四郎さん演じる一流のギャルソンと呼ばれる人物がこんなことを言います.
「一流のレストランには,超一流のパティシエがいる.料理の最後に登場するデザートが,客にそのレストランの印象を決めさせるからだ」
私はこの言葉が子供ながらに強烈な印象として残っています.
今作でも死神の一人が「人間を助ける」というルール違反を犯して消滅,砂になってしまいます.過酷な掟のようですが,実はそうではない.
死神にとっての死とは,すなわち自らが納得した行動によるものに限られることを意味します.これは,考えようによっては最も幸せな最後だと思います.

2016年11月3日木曜日

雨雲レーダーの精度が優秀で便利です

昨日,帰宅しようと思って研究棟から外に出たら,土砂降りの雨でした.
まさかこんなに降るとは思ってなかったので,カッパも用意しておらず.
私,いつもは自転車通勤なのですけど,自転車を諦めて傘を指して帰る気にもなれず.
ひとまず自分の研究室に戻ってパソコンを付け直したんです.
時間つぶしと,雨雲レーダーを見るためです.

最近,雨雲レーダーが非常に優秀なんだそうです.
雨雲ズームレーダー(Yahoo!天気)
雨雲の動き(日本気象協会)

大学の授業でも,体育を屋外で行なう際に威力を発揮してくれています.
授業開始時に雨が降っていても,雨雲レーダーを確認して「あと20分もすれば晴れるな」と分かったら,かなり自信をもって準備ができます.
授業の途中で降ってきても,スマホを見て「この雨はあと10分でやむから・・」とか,「もうこれはやまないから屋内に移動します」という指示が明瞭に出せるようになりました.
以前はこうはいきませんでしたから,かなり便利になったものです.

研究室に戻ってPCでYahoo!天気から雨雲レーダーを見てみると,どうやら現在頭上を覆っている雨雲は30分後に切れ目に入り,15分間だけの晴れが見込めることが分かりました.
自宅まで自転車で約10分ですから,この15分間で帰れる算段がついたわけです.

雲が切れるまでの30分間,適当な作業をして時間をつぶし,満を持して外に出ます.
見事,雨はやんでいました.
そして自転車で自宅まで戻った途端,雨がまた降り出します.予報どおり.

ここまで正確に天気を予報できるようになったんだなと感心しています.
なんでも,コンピューターの性能が昔より高くなっているので,気象という複雑な対象の計算が以前とは比べ物にならないほど正確・高速にできるのだそうです.

スマホの天気予報アプリのなかには,ゲリラ豪雨の警報を出してくれるものもあります.
これも高確率で的中します.便利です.
ご存知なかった方は,ぜひ.

私が大学院生の頃,やっぱりその時も自転車通学だったんですけど,天気を予想することは難しかったですからね.
当時のネット天気予報は1時間毎に降水確率を出してくれていましたので,「あっ,1時間後の降水確率が他より低くなっている.ここがチャンスかも!」なんて感じで動いていました.
あとは雨雲の薄さを衛星写真から評価し,「この感じだと,あと40分後がチャンス」なんてことしてたり.これが意外にも結構当たった記憶があります.
懐かしいですね.

この調子でいくと,そのうち天気をほぼ完璧に予報することができるようになるのかもしれません.
もちろん「明日の天気」とか「3日後の天気」という長期は難しくても,2時間後とか6時間後の天気が正確に分かることの恩恵は半端ないですから.

屋外で仕事をすることが多い我々には,必須の情報源になってきています.