2017年7月22日土曜日

加計学園問題は,どのように言い訳すればよかったのか

先日の記事の続きにします.
先の記事はこちら■今治・加計学園問題について

加計学園問題に揺れている安倍政権ですが,このブログでは事件発覚当時から何度も繰り返しているように,これはスキャンダルではありますが「うまいこと言い逃れできるはずの話」です.
ダメダメな言い訳に終始して,火に油を注いでいるのが現政権.

安倍支持者におかれましては,きっとヤキモキしながら次第を見つめていることでしょう.
では,どうすればいいのか?
安倍支持者としては,どのような情報を拡散すれば反安倍論者を黙らせることができるのか?
そのヒントをお話ししましょう.

まず,この事件は脱法ではありますが違法ではありません.
きちんと手続きを踏んで,今治市に獣医学部を持つ大学またはキャンパスを設置することになり,それに加計学園が正式な手順をもって決定した.全く問題ない話です.

唯一あるとすれば,渦中の人である前川前次官が言うように,「加計学園ありきで今治市に学部設置が進んだプロセス」ということになります.
つまり,「行政が歪められた」ということですが,これについて安倍支持者としてはこのように反論しましょう.

「それがどうした」と.

今治市に獣医学部を設置するという計画は,国家戦略特区です.
国家戦略特区については以下のサイトで確認できます.
国家戦略特区(首相官邸HP)

そこでは,国家戦略特区の会議運営規則や会議資料をPDFで見れます.
国家戦略特別区域諮問会議(首相官邸HP)

議長は内閣総理大臣:安倍晋三です.
そして,運営規則にはこうあります.
(議事)
第4条 会議は、議長が出席し、かつ、議員の過半数が出席しなければ、会議を開き、議決することはできない。
2 議事を決するに当たり、議長は出席議員全員の同意を得るよう努めなければならない。
3 前項の規定にかかわらず、全員の同意を得られない場合には、議長が会議の議論を踏まえた上で、議事を決する。
4 会議は、その決定するところにより、会議に付議される事項について直接の利害関係を有する議員を、審議及び議決に参加させないことができる。

(緊急時の特例)
第5条 議長は、会議を招集した場合において、議員の過半数が出席することが困難であり、かつ、緊急に会議の審議及び議決を経ることが、会議の目的 達成のために必要と認めるときには、前条第1項の規定にかかわらず、会議を招集し、会議は審議及び議決を行うことができる。
要するに,議長である総理大臣が「いい意味でも,そうでない意味でも,やりたい放題できる」ということです.もともと,そういう趣旨のもと作られた制度です.
事実,第1回諮問会議の議事録には,国家戦略特区に対する認識が以下のように述べられています.
岩盤規制の改革及びそれに相当する抜本的な税制改革に、総理主導で突破口を開き、経済成長を実現すること
ですから,総理大臣の好みがダイレクトに反映される制度なのです.
であるからして,そもそも「行政が歪められた」という指摘そのものが当てはまらないわけです.だって,この国家戦略特区というのは,それまでに行われてきた行政を「歪める」ことに意味があるのですから.
だからこそ,「行政が歪められた」としても,それへの反論は,
「それがどうした」
ということになります.

ところが現在,安倍支持者は本件をこのように擁護しています.
「四国・今治市に獣医学部が設置されるのは,1980年代からの長年にわたる陳情を総理が国家戦略特区として汲み取ったからであり,何の問題もない.事実,元愛媛県知事の加戸氏も参考人答弁として感動的な話をしてくれている.マスコミはそれを報道していない!」

ですが,これでは前川前次官が指摘している,
「私は,四国や今治市を特区として選ぶことを問題視しているのではありません.加計ありきで進んだプロセスを『行政が歪められた』と言っているのです」
ということへの反論としては弱いのです.
というか,的外れです.国会参考人招致でも,そんな的外れな質疑をしていた議員もいました.

安倍支持者には猪突猛進型が多いので,これらの何がどう問題なのか分からない方々も多いことかと思います.性懲りも無く「四国には獣医学部が必要だったんだ! 獣医学会は利権まみれだったんだ! だから安倍総理は問題ないんだ!」と叫び続ける人があとを絶ちません.

前回記事で詳細を述べたように,今回の「今治市に獣医学部を設置する」というプロセスが加計学園ありきであったことは,その道の人間であれば十中八九「真っ黒」であると読み取ります.
いえ,それが悪いと言っているわけではありません.よくあることですから.

むしろ問題なのは,安倍総理個人の好みが反映される国家戦略特区という制度の決定事項について,公平で慎重な議論を経た上で決定しているかのような擁護をする安倍支持者の姿勢です.

国家戦略特区の第1回諮問会議の議事録にはこうあります.竹中平蔵有識者議員の発言です.
第一点はやはりスピード感。そもそもなぜ特区をやるかというと、全国展開が難しいからとにかく先にやろうと。したがって、特区が遅ければ特区の意味がないということ にもなります。
考えるよりも行動しようというスタイル.
だからパパッと決めてしまったのでしょう.

でも,ここで気になるのは,そんなに「スピード感」を重視したいのであれば,なぜ学部新設を望む大学を誘致したのだろうか? という点です.

「四国に獣医師を充実させる」という目的のためにスピード感をもたせたいのであれば,既存大学の獣医学部の定員を増やし,四国での獣医開業を優遇すれば済むはずなんです.
学部新設したら,一期生が卒業するまでに最短で6年かかります.さらに,研究所や教育機関としてのノウハウを蓄積させるのに10年くらいは必要ですから,それが(申し訳ないけど,「危ない大学」の一角である加計学園グループの)岡山理科大学に期待できるとは思えません.
既存大学の卒業生を四国で働かせるように誘導する方が,最も早くて安全で確実です.

百歩譲って,一刻も早く四国に獣医学の拠点を作りたかったんだとしましょう.
ですが,そこでもやっぱり「なぜ獣医学のノウハウを持っていない加計学園だったのか?」という点が不可思議です.
1校のみの開学が条件だと言うならなおのこと,国家戦略特区としての権力を使って獣医学の有力大学を「今治キャンパス」として誘致するのが常識的な判断ではないかと思います.

千歩譲って,加計学園のようにノウハウの無い獣医学部でも,それを補うための「補助金を潤沢に注入し,優遇政策を施せばなんとかなる」とも言えます.
ですが,それってどうなの?って気になりませんか.なおさら,本当に加計学園でよかったのか? ということになりはしないか.

まとめると,
1)四国に獣医学部の大学が必要だった?: 仮に必要だったとしても,新規の学部設置を望む大学は好ましくない.やはり加計学園ありきだったのではないか?
2)一刻も早く四国に獣医学の拠点が必要だった?: 新規の大学である理由はなく,四国内での開業を優遇したり,研究所を設置した方が早い.わざわざ加計学園を採択したのは,やはり加計学園ありきだったのではないか?
3)加計学園は長年にわたり獣医学部を申請していた?: 長年にわたり申請していたからと言って採択されるものではない.1校のみ採択される希少な条件下で,ノウハウの無い加計学園が選ばれたのは,やはり加計学園ありきだったのではないか?
4)愛媛県は長年にわたり獣医学部を望んでいた?: 加計学園の採択決定には無関係のはずのこと.関係があったとすれば,それはそれで問題.

安倍支持者は,これらの疑問点を払拭する言い訳を考えなければならないことになります.
そしてその言い訳とは,「それがどうした」と相手を突き放すものであり,「国家戦略特区は,安倍総理の意図が反映されるものですから,結果が伴えばプロセスはどうでもいいのです」と毅然とした態度をとることにあります.

もちろん,「これにより結果が出なければ,私・安倍晋三は,国民の生命・財産を弄び,人生を愚弄した罪をその命に代えても償う所存です」とかなんとか言って大見得切ることも必要です.それなりに演出すればカッコよく映ると思います.

私としては,「スピード感」に焦点を絞って言い訳すればよかったのではないかと考えています.
「四国に獣医学の拠点を作る」とか,「長年にわたり地元からの陳情があった」などと言い出すから泥沼にはまったのです.これは最もダメな言い訳です.

どうしてダメかというと,これらの理由だと「きちんとした獣医学部」を作らなければならなくなります.でも,今回はそうではありません.かなり杜撰な獣医学部なのですから,杜撰な計画であることに目を瞑ってもらうような言い訳である必要があるのです.
見る人が見れば明らかな「脱法行為」なのですから,口元にご飯粒をくっつけて「僕食べてないよ.だって,お腹空いてないもん」などと摘み食いの言い訳をしてもダメなんです.そこはむしろ,どうしても摘み食いしなければならないほど切迫した空腹状態だったと言った方が,ねちっこく追及されることは避けられます.

つまり,国家戦略特区ではスピード感を重視しているから,そのためのスケジュールを組んで,そこに応募してきた大学を選んだだけだ.ということにすればよかった.
なんだったら,「早い者勝ちでした」ということにすればいい.
「んなアホな!」「それこそ杜撰だ!」と言われるのでしょうけど,それが追及を受けにくい言い訳です.

ところが,安倍総理や特区関係者,そして安倍支持者の多くは「公平で思慮深く計画した審議の結果だったのだ」という言い訳を最初にしてしまいました.これが問題だったのです.これで後に引けなくなりました.
公平性と計画性の高さで勝負したら負ける話なのですから,最初から「不公平で無計画なところがあったかもしれないが・・・」という方針で守れば,もっと善戦できたと思います.

「どんな事業者でもいいから,とにかく『大学』である必要があって,一刻も早い拠点づくりのため,開学するスピードを最も重視した」というものであれば,あとはなんとでも言い訳がつきます.

「加計学園ありきだったのではないか?」という指摘についても,
「はい,そうです.そういう側面があったのかもしれません.ですが,口蹄疫問題や鳥インフルエンザ対策などのため,拠点づくりのスピード感を重視し,2018年4月に今治市で開学できることを最重要として進めてきたところ,これに対応可能な事業者は加計学園だけでしたので,当該学園と事前に打ち合わせていた部分があることは確かです.国民に不信感を抱かせてしまい,申し訳ございません」
などと言い逃れできます.

「総理の友人が理事長だ」という指摘についても,
「事前打ち合わせする中で,加計学園には2018年4月開学に向けて急いでもらうことになり,かなり御無理をお願いいただく部分がありました.その点,理事長が総理の御友人でもあることから,そうした部分に目を瞑ってもらったところがあります」
とでも言っておけばいい.
スピード重視のために,行政を歪めたんだと言い訳する寸法です.
「スピード重視」というのは便利な言葉で,たいていのバカはこれで納得してくれます.政治に限らず,大学の新規事業計画においても頻出するキーワードですね.

もちろん,私はこういう形での大学学部設置は断固反対です.
でも,そこまで目くじら立てて長引かせる話でもありません.
まともな獣医学部のキャンパスとして成長するよう,優遇措置を講じてもらうこともやぶさかではないと思っています.
まあ,期待薄ですけど.

何度も言いますが,この問題の本質は「しょうもないスキャンダルを終息させられない政権」であり,そんな政権がまともに国家運営できるとは思えない,ということです.


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2017年7月17日月曜日

今治・加計学園問題について

そのうち無理やり闇に葬られるもんだと思いきや,全く終息する感じがないので,私なりにこの問題を取り上げてみます.

以前の記事でも書きましたが,この手の不祥事やスキャンダルは政治にはよくあることです.
私も教育関係者なので,学校や大学の設置に政治家や官僚の関与や忖度があることは知っています.
一般の方々には胸を張って公開できないことって,たくさんあるものなんです.
森友学園問題をまとめてみた
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リンク先の記事のひとつにも書きましたが,この問題の本質とは,
「しょうもないスキャンダルを,いつまでたっても終息させられない政権」
です.
上手く言い逃れればいいものを,ダメダメな言い訳に終始しています.
こんな政権が北朝鮮ミサイルへの対処とか,まともな憲法改正議論ができるわけがありません.
とっとと退陣してもらいたいものです.

総理の身内が運営に関与している!
総理の友人が経営しているところが優遇されている!
総理の意向を忖度した審査だったのではないのか!
なんていう話は,いつもあるものです.
これは「総理」や自民党に限らず,「政治家」であれば誰でも該当します.

もちろん,上述したことはスキャンダルですし,どれも「善い」ことではありません.
ですが,政治をやっている以上,どうしても偏った審査や優遇というものは起きるものです.
っていうか,これは政治に限った話ではありませんね.民間組織の中でもこんなことよくあるんでしょ?

言っておきますが,これは政治家や官僚,大学・学校経営者が望んでやっていることではありません.
過去記事でも繰り返し述べているように,こういう状態に誘導したのは誰あろう,あなた方「国民」です.

教育も民間と同じように「競争」させれば,生き残りをかけて安穏としていた教授陣は奮起し,熾烈な環境に適応できなかった弱者は淘汰されるだろう.そんな妄想を抱いていました.
ところが,弱者にしたってただでは死にません.なるべく生き残るように全力を尽くすものです.

生物の進化論的着想で取り組んだ政策ですから,当然,進化論的帰結を受け入れるべきです.
その結果,環境に適応すべく「弱者」は,政治家や官僚に取り入って,優遇してもらうようになりました.これも生き残りをかけた我々なりの努力です.
違法ではないのだから許されるんですよね.これについて,安倍信者なら許してくれそうです.

元来,教育活動というのは金儲けすることができません.儲けようとすると国民が怒るからです.「教育者が露骨な金儲けをするな!」って.
金儲けをする努力が表立ってできないのですから,どうしても「ブランドがある」とか,「既得権益業種の就職口になっている」ところに学生が集まります.
だから,金儲けに見えないようにお金を調達する必要が出てきます.それが政治家の口利きや,官僚との癒着,有力者の身内の取り込みです.
それによって,瞬間火力としての「ブランド」とか「既得権益(いわゆる補助金)」を得ようとするわけです.

大学や学校を新設する際,元・官僚や政治家の身内を「理事」とか「幹部」として招くのは,経営者側としても,そういうコネクションが欲しいからです.
過去記事でも書きましたが,「危ない大学」や「経営難の大学」ほど,官僚の天下りを歓迎し,元・役所の長を「教育者としては無能」なのにも関わらず招聘します.
これは,補助金獲得のために役立つからなんですよ.

ですから,■こんな大学は万事休すだでも書いたように,「自民党の息がかかっている」ような大学や教育機関は「危ない」のです.そして,そんなところは得てして「ブラック企業に大きな就職口を持っている」わけです.

この加計学園問題ですが,私はぜんぜんフォローしておらず,未だに騒がれているのは目にしていましたが,詳しい経過を知らなかったんです.
事ここに至って確認してみたのですが,そのなかに興味深いものを見つけました.
ネットで話題になっているの国会での参考人質疑の動画です.

なんでも,自民党の青山繁晴氏が,参考人である前川喜平前次官と加戸守行前愛媛県知事を中心に質疑をするというもので,それが「マスコミが報道しない重要な内容!」という評価を得ているんです.

見てみました.
で,私が思うに,この質疑応答をマスコミが報道しないのは,そんな価値が微塵もないからだと思います.
だって,青山繁晴氏の質疑はトンチンカンで的を外しまくっているからです.こんなもの報道する意味がありません.

冒頭,こんなやり取りがあります.
青山「(前川氏は)愛媛県には獣医師は不足していないから,加計学園が今治市に獣医師学部を新たに作ることは行政を歪めることである,という趣旨で発言をされているようだが,このような実態(獣医師が不足している)があることを知っていましたか?」

前川「違います.規制緩和をすべきかどうかという問題と,加計学園に新設を認めるかどうかという問題は次元の違うことです.私が『歪められた』と言ったのは,加計学園だけに獣医学部の新設が認められたプロセスです」

青山「今,前川参考人がおっしゃったことは,ボクの予想した通りです.これについては,もう少し後で詳しくお聞きします」
そう青山氏は言い残し,その後この件について聞くことはありませんでした.

この質疑は40分くらいあるのですが,もうね,見てるこっちが恥ずかしくなるんです.
実際,後ろの方で座っている何人かの議員は,青山氏の質疑に失笑しています.

質疑は続きます.
青山「では,加戸参考人にお聞きします.先程の前川参考人のお答えについて,どのようにお聞きになられましたか?」

加戸「先程の『歪められた』行政という発言ですが,私に言わせますと,獣医学部の問題で厚い岩盤規制が,国家戦略特区というドリルによって穴を開けていただいた.歪められた行政が正されたというのが正しいのではないかと思います」

青山「このように,前川参考人と加戸参考人の発言は,見事に食い違っているわけです」

当たり前です.しゃべっている内容の次元が全然違いますから.
私は別に加戸氏の発言が悪いと言っているわけではありません.むしろ,愛媛県に獣医学部を誘致するために尽力なさったんだなぁと尊敬します.
でも,今回の加計学園問題とは全くと言っていいほど無関係の参考人発言でした.

青山氏は大きな勘違いを持って質疑をしています.もしくは意図的なのか.
青山氏は,この疑惑の本質を「愛媛県に獣医学部を作ることの正当性」だと思っているフシがあります.
しかし,この疑惑の真の本質は,前川氏が言うように「加計学園だけが新設認可が降りたプロセス」です.皆が知りたいのも,その点です.

だからでしょう,青山氏は質疑の冒頭に前川氏から勘違いを指摘された時,「今,前川参考人がおっしゃったことは,ボクの予想した通りです.これについては,もう少し後で詳しくお聞きします」と言い返したくせに,その後,「加計学園ありきで手続きが進んだプロセス」について問うことはありませんでした.

青山氏は,あくまで「愛媛県に獣医学部を新設する必要性があること」と,「手続きそのものに違法性がなかった」ことを強調しています.
けど,そんなことは一部のモノ好きが盛り上がっているだけで,疑惑の中心ではありません.議論した上で愛媛県に獣医学部を作ることになったのであればそれでいいのだし,手続きは表向き問題がないことくらい,玄人であれば知っています.
ですが,今回指摘されている問題点というのは,その手続きの組み立て方に『忖度』があったのではないか?ということです.

どうやらこの自民党の青山繁晴氏にも「信者」がいるようでして,ニコニコ動画などでは,終始,画面に青山氏擁護のコメントが流れています.
でも,この加計学園問題における疑惑の本質を間違えてトンチンカンなことをしゃべっているのは青山氏です.見てて辛くなるくらいトンチンカン.
満員のコンサートホールで,音を外しまくって熱唱し,「サンキュー!!」とか言いながら20曲くらい歌っているオッサンを見ているようで,いたたまれない気持ちになります.

興味ない人は既に本件の何がどう問題だったのか忘れている人もいるかと思いますので,疑惑の元となっている部分を示しましょう.
流れは以下のとおりです.ウィキペディアを参照しました.

2007年〜:今治市は計15回にわたり獣医学部の新設を求めたが,文科省は獣医学部の新設を認めなかった(ここで尽力したのが,上述した加戸前愛媛県知事です)
2013年:国家戦略特区が安倍政権の下で制度化される
2015年6月:内閣府が「全国的見地」で獣医学部新設を募集2016年1月:今治市が国家戦略特区の指定を受け,獣医学部新設が可能となる
2017年1月4日:内閣府が,2018年4月に今治市で獣医学部を開設可能な1校を募集.これに対し,応募してきた事業者は加計学園だけだった
2017年1月20日:内閣府は,獣医学部を開設する事業者を加計学園に決定

ここで疑惑となっているのは2点.
1)2016年に愛媛県今治市のみ国家戦略特区としたのは,加計学園に獣医学部を作らせるためではないのか? 
2)2017年における1月4日募集開始,同月20日決定という異様にタイトなスケジュールは,加計学園ありきで進めていた,and/or,加計学園だけが申請できるように仕立てたからではないのか?

私としては,1月4日募集開始,同月20日決定というスケジュールからして,これは「加計学園ありき」なんだろうな,と察します.
全然不思議じゃありません.こういうの,よくあることですよ.上述しましたが,こういうのって民間組織の中でも似たようなことはあるんじゃないですか? 少なくとも,大学とか学会では頻発する「◯◯ありき」で進められる場合に見られる募集&選考スケジュールです.一応,公募して選考しましたよってことにするためのもの.
しかも学園の理事長が総理の御友人なんでしょ? 間違いないじゃん.
官僚の立場としても,自分の家族や出世を犠牲にしてまで止めるようなバカはしないし,普通に忖度しておくのが得策ってものでしょう.

そうなってくると,もしかしたら「今治市のみ設置を認める」という国家戦略特区の指定も,安倍総理の御友人である「加計学園ありき」だったのかのではないか,と疑われても不思議じゃありません.
つまり,安倍晋三は御友人に「国家戦略特区を今治市だけにするから,今治市で開学できるよう準備しといて」って言えば,その他の地域で開学したい事業者(例えば京都府と京都産業大学など)を排除し,加計学園だけに認可することができます.

「今治市が特区の指定を受けたのは2016年1月で,募集開始は2017年1月だから,1年も準備期間があるじゃないか.加計学園以外にもチャンスはあったのでは?」という意見を目にすることがありますが,それは大学・学部設置準備の大変さを知らない人の妄言です.

通常,大学が新しく学部を設置するには,最短でも2年かかります.
大学教員の募集サイトなんかを見ている人はご存知かと思いますが,新設学部で雇う教職員は,2年後に着任させる募集をかけているんです.
ましてや,今治・加計学園獣医学部に至っては2018年4月開学が決定しており,新しくキャンパスや施設を建設するのですから,2016年に特区を開示し,2018年4月に開学しろという香ばしい要求は,「既に見通しがついていて準備完了の事業者」しか応募できないスケジュールだったことになります.
もし本気で「公平な審査と設置準備」をしようというのであれば,特区決定後,広く周知してから4年くらいの募集期間が必要です.

そして,もし今回の「加計学園問題」という疑惑を本気で晴らしたいというのであれば,
1)加計学園における学部設置計画に関する資料を分析する
2)愛媛県今治市と加計学園の間で取り交わされた資料を分析する
ということが必要となってきます.
もしこれらの資料で,国家戦略特区が決定してないのに,それが “ありき” で動いている計画があればクロになります.

と思って,そんな資料がないかネットを調べてみたら,すぐにこんな記事が出てきました.
今治市、一転非開示 官邸訪問記録や開学スケジュール(東京新聞2017.7.15)
なんだ,やっぱり限りなくクロに近いクロじゃないか.

私は今治市に獣医学部を作ることに反対しているわけでも,安倍晋三が違法なことをしていると言っているわけでもありません.
今回のことは,99.9%,安倍晋三の意向を忖度した加計学園ありきで進められた事でしょう.だからこそ,そう思われないように配慮する必要がありましたね.
逆に,実現するはずのない獣医学部の設置準備をたまたま趣味でやっていたら,奇跡的にもそこが国家戦略特区の指定を受けたんだとしましょう.だとすればあまりにアフターフォローが杜撰です.ちゃんと資料を開示した方がいいです.

誤解してもらっては困るので繰り返しますが,私はこの『加計学園問題』というのはどうでもいいスキャンダルだと思っています.
冒頭に述べたように,私が考えるこの問題の本質とは,
「しょうもないスキャンダルを,いつまでたっても終息させられない政権」
なのです.

2017年7月15日土曜日

体力テストの実施方法を間違えていたそうです

こんなニュースがありました.
「大阪の子供は〝運動音痴〟」の汚名返上へ―全国体力テスト低迷、実は計測ミス? 重いソフトボールや数え方間違い…(産経新聞2017.7.14)

どんなミスかというと,
ある小学校では、ソフトボール投げで使用する1号ボール(周囲26・7センチ前後、141グラム前後)がなかったため、たまたま置いてあった3号ボール(周囲30・48センチ前後、190グラム前後)で代用。反復横とびでは本来、線を1本通過するごとに1回と数えるが、「1往復で1回」と計測している学校もあった。(産経新聞2017.7.14)
といったもののようです.
大阪は体力テストの結果が全国最下位であることから,その様子をみるために指導主事が学校に派遣されていたそうなのですが,そこで発覚したとのこと.
計測ミスについて,画像でも解説がありました.
画像:産経新聞より
これは「体力テスト」でよくあること.この計測ミスは大阪に限った話ではなく,全国的にこんな状態であることは予想に難くありません.
今頃,全国の学校では「おいおい!うちでやってる方法,間違ってるじゃんよ!」ということで,大騒ぎになっているものと思われます.

私達の研究グループでもよく文部科学省が示す「体力テスト(正式名称:新体力テスト)」を行なうのですが,学校の教師や部活の指導者の前で測定していると「え? 測定方法ってこういうふうにするのが正しいんですね」と,自分が勘違いしていたことに驚く人が結構います.
ちなみに,正式な測定方法は文部科学省のHPで見れます.
新体力テスト実施要項(文部科学省HP)

最も勘違いしている人が多いのが「反復横とび」の測定方法です.
画像:文部科学省HPより
3本のラインを越える毎にカウントするのではなく,左右両サイドのラインを越えた回数をカウントしている人がメチャクチャ多いんです.上記記事では「一往復で1回と計測している学校もあったと述べていますが,さすがにそういうのは稀ですね.
私見としては,左右両サイドのラインを越えた回数をカウントする方法の方が良いと思います.そっちの方が数えやすいので.

次に多いのが計測時間の間違い.20秒が正しいのですが,30秒でやっているところもあったりします.
あとは,サイドのラインを「踏むか越えるか」ではなく,「必ず越える」ことを課している場合もあります.「越えていなければやり直し」という指示が出されていて,これだけでもかなり記録は変わります.

最近は少なくなった間違いとしては,反復横とびに用いる3本のラインの間隔を120cmでやっているというもの.これは,1999年以降に行われている現在の「新体力テスト」より以前の体力テストで採用されていた方法です.11歳までは100cm,12歳以上は120cmでやっていました.懐かしいですね.
今は全て100cmで統一されているのですが,その変更を知らないまま120cmのラインを引いている教師や指導者がいます.微笑ましいことです.

実は私はこの間違いに思い入れがありまして,かく言う私もこのミスをしているんです.
今から10年以上前のこと.今となっては超有名な某プロスポーツ選手が当時14歳くらいの頃に,その体力テストを担当したことがあるのですけど,そこでてっきり「12歳以上なんだから・・」ってんで120cmでやっちゃったんですね.もう既にその時は100cmでやる時代だったのに.
「君は敏捷性が平均値より低いよ.もっと頑張らないと!」っていう評価になってしまい,その選手は「ハイ!がんばってフットワークを鍛えます!」と健気に返事をしていました.
その後も順調に強くなってプロになったので,まあ,いっか.

ところでこの反復横とびですが,もっとマニアックな計測ミスというのがあります.
計測ミスと言っても被験者側の問題なのですけど,それは,反復横とびはサイドステップを用いるのであって,「ジャンプをしてはいけない」というもの.これは運動能力に優れる人なら「ほぼ全員」が侵しているミス(反則技,チーティング)です.
スポーツ科学における,専門の中の専門の先生がよく指摘する屁理屈みたいなものなのですが,たしかに正論ではあるんです.
動画とかで示さないと難しいことなのですが,以下のようなものです.
運動能力に優れている人によくあるのですが,両足を同時に浮かせて身体(特に下半身)を横方向にスライドさせてサイドのラインを外足で踏み,その後,そのまま両足を同時踏切により中央のラインをまたぐ形に戻して,その勢いのまま,また両足踏切で反対側のラインを踏みに行く.というテクニックです.つまり,サイドステップじゃなくて,小刻みな超低空両足ジャンプ(スプリットジャンプみたいなもの)を繰り返すことで速く移動しようとするのです.
これは本来のルールではダメなんですけど,よく見逃されます.むしろ,これができる人は運動能力が高いのだからいいじゃないか,という感じで.

他にも体力テストでよくある計測ミスはあります.
「上体起こし(腹筋運動)」もそのひとつです.
画像:文部科学省HPより
上体起こしでは,仰向け状態から起き上がってきて,胸の前で組んでいる自分の肘を膝につくまで身体を起こすというものです.
ここで散見される計測方法の間違いが,「腕を胸の前で組む」のではなく,「手を頭の後ろで組む」というもの.首を痛める危険性が指摘され,現在では頭の後ろでは組みません.
そして,最も多い間違いがこちら.「背中を床面(マット)につける」のが正しい方法ですが,それをしない人が多いことです.これも反復横とびにおける「小刻みジャンプ」と同様,運動能力が優れている人こそ可能な反則技.
腹筋が弱い人は床面に背中をつけなきゃ起き上がってこれませんが,腹筋の強い人は床面ギリギリのところまで下ろしたところから,反動を使って起き上がってこれます.その方が素早い動作ができますので.
大学生(男子)における上体起こしの平均記録は25回くらいですが,速い人だと45回に及びます.でも,この回数を稼ぐためには反則技を使わないと現実的ではありません.

上記の新聞記事にも画像付きで指摘されている「立ち幅とび」の計測方法ですが,むしろこれは「間違っている方法」の方を採用したほうが現実的だと思うくらいです.
跳ぶたびにメジャーを使って計測するよりも,予め床面やマット上にメジャーを張っておいて,その横でジャンプして記録を読み取ったほうが楽に計測できます.それに,この方法にしたからと言って,そこまで大きく測定値がブレるわけでもありません.

私としては,もっと簡便で確実性の高い体力テストを普及させたほうがいいと考えています.
別に今の方法がダメだと言ってるわけではなく,新しい方法を考案しろっていうわけでもなくて,現行の測定方法をもっと簡単にできやしないか検討してはどうか,ということです.
例えば,上述した立ち幅とびもそうですし,持久力を測る20mシャトルランも,ドレミファソラシドの音源がないとできないというのは厄介です.しかもあれ,体育館の床面の性質で成績が結構変わるんですよ.

もっと言えば,体力テストで測られる「体力」などたかが知れています.
一般の人が思う以上に,体力テストの値に大きな意味などありません.
よく,「以前と比べて子供の体力が低下している」という指摘がありますが,それにしたって「じゃあ,どれくらいの体力があればいいのか?」とか,「ボール投げや疾走能力が低いことの何が問題なのか?」ということに容易に答えることはできないのです.

誤解を恐れずに言えば,体力テストを使ってその子供「個人」を評価することなどできません.これはあくまで疫学的調査のための価値しかないのです.
「体力分析」に長い間取り組んできた私としても,いつもそう感じます.体力をいくら分析したところで,何も分かりません.一般的なテスト方法で測定される「体力」は,その個人の身体パフォーマンスとは無関係と言ってもいいくらいです.

測定方法のミスや,やる気の無い被験者などが散在することは織り込み済みで,それでも全体的な傾向として解釈するためのものです.
体力テスト結果を並べて,どこの地域が低い高いといった議論もたしかに「面白い」のですが,それで何かが分かるわけではありません.

つまり,「体力」の高さを云々するよりも,スポーツや運動に取り組むことへの価値を啓蒙すことの方が大事なんです.これを履き違えてはいけない.
体力というのは,あくまで「身体運動」にまつわる生活と文化の反映の一部でしかありません.
必要とされれば高まり,不要であれば低下する.

さらに言えば,体力テストにしたってテクニックが必要とされる「身体動作」です.体力テストの成績を高めようとすれば,その動作を練習することで高められます.
でも,人は体力テストの成績を高めるために運動をしているのではありません.

体力の低下をクローズアップしていると,そのうち「体力を高めるためにも運動・スポーツに取り組むことが大事だ」などと倒錯したことを言い出す恐れがあります.
いや,もうその段階にきているのかもしれません.実際,上記の新聞記事ではそれが読み取れます.
世も末です.


2017年7月9日日曜日

SNSを使って「いじめ対策」をするらしい

昨年,こんな記事を書きました.
いじめ防止対策推進法のこと
まず,その記事の結論部分を以下に示します.
ですから,いじめを「防止」して「なくそう」とする思想哲学を持つこの法律では,絶対にいじめ問題に対処することはできません.
仮に「いじめ」を無くせたとしましょう.でもそこには,「いじめ」という名称ではない「いじめ 2.0」が発生したことを意味します
これはちょうど,「クリスマスで寂しい思いをしないために,クリスマスを禁止しよう」っていうのと同じです.恋人がいないことの寂しさは,クリスマスによって発生するものではありませんし,禁止したところで「クリスマスが寂しい」とは異なる別の「恋人がいない寂しい状況」が発生することと一緒です.
そうこうするうち,切羽詰まった人が「出合い系サイト」なんかに手を出すわけですけど.
ここで私の予言.この「いじめ防止対策推進法」,今その改正が検討されているようですが,
いじめ防止対策推進法も,出会い系サイトと同じ思想哲学のことをやり出すであろう・・(例えば,いじめの解決法が文科省の管理サイトとしてアップされるとか)」
この予言が当たらないことを切に祈っております.
どうやら予想が当たってしまうのかもしれません.
文部科学省では,こんな取り組みが始まったようです.
SNSを活用したいじめ等に関する相談体制の構築に係るワーキンググループ(第1回)の開催について(文部科学省HP,2017.7.6)

ほら見たことか,やっぱりこういうことをやり出すのです.
具体的な予想はできなくとも,この国の考え方と,そこから導き出される方向性はだいたい分かるようになりました.

最初はてっきり「SNSを使って行われている『いじめ』に対する相談体制を考える」ものかと思っていましたが,どうやら『いじめ相談』にSNSを活用しようというものらしい.
まだ話し合いが始まっているわけではないから,現段階であぁーだこぅーだと言えませんけど,十中八九,碌なことになりゃしないと諦観しております.

いじめ防止対策推進法にも同じことが言えるのですけど,「そんなこと現場では既にやってるよ.っていうか,邪魔になるから余計な条件付けや指針を作るのはやめてくれ」ということなんです.

ここで問われなければならないのは,
学校でSNSをどう活用するか?
ではなくて,
生徒との対話をどのように進めるか?
ということでしょう.

そうした「学校における生徒と教師のコミュニケーション」に関するヒントや,その抜本的な枠組みの転換(パラダイムシフト)を文部科学省としては話し合ってもらいたいですし,これに関する研究調査や議論から参考になる知見が現場に降りていくことが望ましい.
ところが,満を持して取り組みだしたのが「SNSの活用方法」なんです.参っちゃうよね.
まさに,「出会い系かよ!」

いえ,SNSを使うことがダメだと言っているわけじゃないんです.
もう既にSNSを使って生徒との対話を試みている先生方は現場にたくさんいるし,SNSをちょっと “違法的” に活用して生徒指導に役立てている人もいる(大学の後輩がそういう教師で,彼からいろいろ聞いています).
けど,それは生徒との関わりの中において有機的に発生しているコミュニケーション手段の模索なのであって,SNSをどうやって使うのか? ということとは理念や思想が異なります.

百歩譲って,これまでにSNSを使って「いじめ相談」をしてきた教師の体験談や成功/失敗事例をまとめ,それを全国に普及させるっていうのであれば分かります.願わくば,このワーキンググループもそういう方向で落ち着いてもらえると幸いです.期待できませんけど.

考えてみれば,今でも電話を使った「いじめ相談窓口」みたいなものはあって,これはちょうど「テレクラ(テレフォンクラブ)」に相当するものと言っていいでしょう.テレクラって今の学生は知りませんね.懐かしい響きです.
これは別に相談窓口を批判しているわけじゃありません.人間というのは,困った時はそういうところに救いを求めるという意味において,いじめも性欲も変わらないということです.
テレクラが出会い系サイトに変わってきたように,すなわち相談窓口も電話からネットに変わるわけですね.

ただ,指摘しておきたいのは,テレクラや出会い系サイトにより得られる「救い」が限られたものであるのと同様,SNSを活用したところで救われる「いじめ」も限られたものになるであろうことです.
そういうところからしても,SNSを相談窓口として活用する方法を検討する前に,現場の教師を活かせる改善策や,子供と向き合うために負担を減らす制度づくりに取り組むことが先ではないかと思うのです.



2017年7月8日土曜日

体育学的映画論「四月物語」

もう7月ですが,「四月物語」を見てみました.Huluでやっていたので.
四月物語(wikipedia)
ちょっとしたロマンス映画ですが,田舎から都会に出てきた大学生の姿をよく捉えていると思います.あと,ホントに4月だけを映した物語です.
主人公は女子学生ですが,境遇が似ていることもあって,私にも共感できるところが結構あります.

あと,松たか子が演じる主人公が「東京の大学」に進学した理由なんですけど,それってのが私の高校時代の社会科の先生と同じなんです.
その進学理由が劇中で明かされた時,妙に親近感(?)をおぼえました.
「あっ,これって◯◯先生と同じだ・・」ってね.

思い出してみると,その時もその先生がナントカっていう映画?小説?と同じだとか言ってたような気がします.時期的にもこの四月物語(1998年)だった可能性が高い.
「いやいや,そんな理由で大学進学なんかしないだろう」と思われる人は多いかもしれませんが,案外そういう女子学生はいるのかもしれませんね.
ちなみに,その先生は “成就” しなかったそうです.

私としては,たぶん数年前までなら嫌いな部類の映画だったんですけど,歳をとったのでしょうね.こういう映画が見れるようになった私自身に驚いています.

いえ,面白い映画ではないんです.強いて言えば興味深い映画です.
なんでもない場面を映し出すだけで,こんなに引き込めるものかと感心します.
と同時に,これってのは見る側が大学生生活を経験している人じゃないと難しいのかなぁとも思ったり.

これが制作された1998年っていうと,私はまだ高校生ですが「大学生といえばこんな感じ」と違和感なく見れます.その後すぐ私も大学生でしたから.
でも,この1998年というのは今年入学した大学1年生の多くが生まれた年なんですよね.
確認するまでもないですが,19年前です.

私達の年代が1980年頃に制作された映画を見て感じる古臭ささと同じものを,今の学生たちは2000年頃に制作された映画から感じ取っているのかもしれませんね.
今の学生にとって「四月物語」みたいな青春ものは,80年代生まれの私達にとっては「時をかける少女(1983年)」とか「Wの悲劇(1985年)」を見せられるようなものでしょう.たしかに時代を感じます.
松たか子がこの20年間で変わったように思えませんが,それは原田知世や薬師丸ひろ子が35年経っても変わらないと思う人と同じかもしれません.

最近,こういう時代感覚を面白く感じるようになりました.
「十年一昔」と言いますが,10年前と言えば第一次安倍政権でしたし,東京マラソンが初めて開催されたのもこの年です.
私もすでに大学院を卒業して研究者になっていて,あれよあれよという間に30歳を越えました.
でも,この10年で何か大きな変化があったようには思えないんです.そういうものです.

今年の1年生に聞いてみたら,この次の年の2008年に開催されたオリンピック北京大会は記憶にあるけど,その前の2004年アテネ大会は認識できていないのだそうです.
北京大会は9歳頃,アテネ大会は5歳頃だったのですから,そりゃそうでしょう.


2017年7月7日金曜日

鳥無き島の蝙蝠たち(17)マニー・ラミレス

反則みたいですが,彼も「鳥無き島の蝙蝠」のひとりに数えましょう.
メジャーリーグのレジェンド,マニー・ラミレスが高知ファイティングドッグスとの契約を延長したそうです.

マニー・ラミレス「興奮」高知と9月末まで契約延長(日刊スポーツ2017.7.7)
独立リーグの四国IL・高知は7日、当初7月末までとしていたマニー・ラミレス外野手(45=登録名マニー)との契約を9月末まで延長することで合意したと発表した。グランドチャンピオンシップに進出した場合は別途契約交渉となる。
 マニーは球団を通じて「後期シーズンを高知でプレーし、チームの優勝、日本一へ向けて貢献する準備はできている。日本の高知へ戻り、球場でプレーできることにとてつもなく興奮しているし、楽しみたいと思っています」と意欲満々にコメントしている。
 高知は、7月30日が後期シーズンの初戦(徳島戦)。マニーのチーム合流時期は調整中という。前期シーズンは18試合に出場し、打率4割6分、3本塁打、20打点だった。
かつては「鳥だらけの大陸の大鷲」だった彼ですが,今では立派な「鳥無き島の蝙蝠」です.

まだ高知にいたんですね.そっちの方が驚きです.
もっといい契約を出してくるチームがあるだろうし,そのための四国アイランドリーグですから,すぐにそちらに移るのかと思っていたのですが.
もう少し高知に居てくれるようです.しかも,メチャクチャ打って活躍してるし.ちょっと出来杉君ではないかとも思います.
というわけで,ファイティングドッグスの次は,マンダリンパイレーツあたりに行ってあげてほしいものです.

マニーについて取り上げた以前の記事では,こうしたレジェンドを間近に見る機会が得られることの価値について述べました.
マニーに限らず,三浦知良やイチローにも同じことが言えます.

その記事では「いくつになって現役でいること」の尊さに軽く触れただけですが,これを書いた時期が時期だっただけに,勘の良い人は気づいたことでしょう.

そうです.これは私なりの天皇論でした.

どうやら例の「生前退位」は実現する方向で話が進んでいるようです.
天皇陛下 譲位特例法成立(産経新聞)

私はこの手のことはあまり詳しくないのでペラペラしゃべるのは差し控えさせていただきますが,まぁ,なんだかなぁというのが正直なところ.

だからというわけではないのですけど,急ぎ「私的・日本論」を築くために勉強しているところです.
その一端として書いているのが,あの「古代日本」の記事だったりします.


関連記事

2017年6月25日日曜日

大学体育実技の鍵は「女子」

高校でもそうなのかもしれませんが,大学における「体育実技」がより良い学びの場となるか否かの鍵をにぎっているのは女子学生です.
言い換えれば,女子学生をどのように導くかが,その授業の質を決めると言っても過言ではありません.
いえ,むしろこれは体育とか授業とかに限らず,社会全体にも言えるのかもしれないのです.

大学の体育実技系の授業は,たいてい男女混合クラス,しかも履修条件は自由ですので「男女比」といったバランスは考慮されることはありません.
私はこれまで,本務校と非常勤を合わせて7つの大学で「体育」「スポーツ実技」の授業をやってきましたが,いずれもそんな感じです.
そして,これらの経験から言えるのは,ある性質をもった女子学生にきちんと対処しなければ,そこでの授業は「体育」としての価値が危うくなるということです.

この話をするには,まず私にとっての「大学体育の意義」が大事になります.
詳細は過去記事に譲りますが,要点をまとめれば以下の通り.
(1)バカはまともにスポーツに取り組めません.故にスポーツを学ぶ必要があります.しかし,これは運動能力や競技スキルが高いこととは関係ありません.
(2)きちんと「スポーツできる」ようにするのが体育の意義です.しかし,これは「スポーツが上手くなる」のとは違います.
(3)「スポーツできる」ようになってこそ,ヒトは人間になれます.スポーツできることが人間の条件です.
(4)自身がスポーツを楽しむためには,まず周囲の者達が楽しめる状況になければなりません.これは仕事も人生も近所付き合いも一緒です.それに気づかせることが体育の授業を受けさせる目的です.

その過去記事
大学における体育授業の意義
大学における体育授業の意義2
大学における体育授業の意義3 危ない大学こそ体育が大事

口で言うのは簡単ですし,「言われなくても分かってるよ」という人もいましょうが,実際にこれをやれる人は少ないのです.
口では良いこと言ってても,実際の行動が伴わない人は多いですよね.スポーツや体育の場面では,そういう状況が頻繁に現れます.
体育,すなわち「身体教育」とは,そういう領域を扱う教育なのです.

私の大学生に対する授業展開は,出来る限り「ウォームアップ」や「練習」や「ゲーム進行」などを学生に決めさせます.
もちろん不適切なものがあれば,それとなく誘導するようにします.より効果的な練習方法があれば教えます.危険性のあることをやりそうになったら止めます.安全管理上のこともありますので.そのために「指導者」である私がいるのでしょうし.
最終的には,私が何もしなくてもチャイムが鳴ったら皆でアップを始めて,ゲームをして,「今日も楽しかったねぇ」とか言いながらダウンをしてロッカールームに帰るという状況ができるのが理想です.

そうした状況になるためには,学生たち各々が「このクラスにとって,私の存在とは何か」を問う必要があります.自身の立場を知り,そこで成すべきことを考えなければ,体育の授業は単なる暇潰しの時間になります.

このような中にあって,それを最も阻害するのが,上述した「ある特性をもった女子」です.どんなクラスにも,必ず1〜2名はいます.働きアリの法則みたいなもので,ゼロになることはありません.
働きアリの法則(wikipedia)
たいてい,ぶりっ子です.そして,一定水準以上のルックスを有している.
その上で,
「私ぃ,スポーツは好きなんだけどぉ,そんなにガンバって運動できなぁい.(*ノω・*)テヘ」
みたいな態度を終始とっています.
実際,皆がアップや練習をしているのに,その学生は女友達の誰か一人引き連れてキャピキャピ遊びはじめて浮いています.否,これはワザとです.甘えて構って欲しがっているのです.

結局,そのクラスの女子集団から嫌われます.表面的にはニコニコ接していても,顔を合わせていないところでの睨まれ方が半端ないことになっています.おぉ~コワ.

問題なのは,その女子に群がる男子がいることです.
バカっぽいので,故にチャラい男子が好んで寄ってきます.美人だったら更に強力です.
特に,私の授業では「協力してゲームを楽しめるようになること」を課題としていますから,「どうしたのぉ? 僕が練習相手になってあげようか?」といった感じでちょっかいを出す.そこだけバブル期の渋谷ハチ公前になっています.

試合中も「出来なぁい(*ノω・*)テヘ,」というオーラを全開にして,これにまたチャラい男子が「配慮している」ふりをしてベタベタする.
そして,これが余計にその他の女子の機嫌を悪くする,という負のサイクル.

さらに,そういう状態に大人しい男子が嫌悪感を抱いて「我関せず」になっていき,リーダー格の学生も見放してしまう.
こうした状態が一定水準を超えると,取り返しのつかない状況を作り出します.

このような女子学生は私が学生の頃にもいましたが,取り返しのつかない状況になる前に,たいてい潰されていました.
これは悪い意味ではなくて,「お前,ちょっと勘違いしてねぇか」ということを本人に直接言わないにしても,そういうプレッシャーをかけます.その女の相手をしているチャラい男子にも「あぁいう女子に構うなよ」といったことを,授業後のロッカールームで皆して笑い話にしながら喋るものです.
なぜなら,それによって来週からの授業が有意義なものになるであろうことが期待できるからです.

なお,こうしたアプローチが得意なのは「スポーツ系部活動」の経験が豊富な学生です.
「バカをおだてたり,放置すると碌なことがない」というのは,部活動経験がある人には直感的に分かります.
もちろんこの思考パターンはマイナスに作用することもありますが,就活や仕事等でスポーツ系部活動の経験がある人が一目置かれるのは,こうした隠れた背景があることも考えられます.

しかし,このような「自浄作用」とも言えるクラス内における学生間のコミュニケーションが機能しない,もしくは非常に弱いと,授業内の雰囲気はどんどん悪くなっていきます.

そして最後には,学生に「私はこの授業に出席することで,単位をとるんだ」という意識を強固にさせてしまい,「だから,とにかく出席だけはしておいて,皆と普通にスポーツをしている姿を教員に見せておけばいいんだ」という気持ちにさせます.普通の講義系授業と一緒ですね.
なんだか,この国の政治経済と似通ったところがあるようにも感じますが,ともかく,これでは体育実技を受けてもらう意義が薄れます.

「薄れる」と評するのは,「人間の集団がこういう状態になると,それは楽しくない,有意義ではないんだな」ということを逆説的に学んでいる学生も僅かながらいるであろうからです.
なので,それはそれで意義があるとも言える.
ですが,できることなら成功体験を感じてもらいたいものです.

私のようなやり方をしていなくても,この手の女子はどんな体育実技の授業でも問題になります.
ですが,それを教員から「君! ヘラヘラしてないで,ちゃんと授業を受けろ」と言ってしまってはダメだと思うんです.まして,大学においては尚の事.
これではそのクラスの学生たちのためにはなりません.自分たちでこのバカ女をコントロールすることが大事なのです.

冒頭,この女子学生は「働きアリの法則」のように存在するものだと述べました.言い換えれば,現代の女子学生とは,周囲にキャピキャピぶりっ子がいなければ,自然とその役割を当該集団内において自身が担おうとするのではないか,とも考えられます.
しかし,このキャピキャピぶりっ子が周囲にもたらす悪影響は計り知れません.
ですから,キャピキャピぶりっ子は意識的に抑制させる必要があります.
体育実技とはまさに,隙あらばキャピキャピぶりっ子になろうとする女子学生を,適切にコントロールする方略を訓練していると言っていい.
キャピキャピぶりっ子がダメだと言っているのではありません.女子にキャピキャピぶりっ子を演じられると「スポーツ」が成り立たないから,ここではそういう態度を是正してもらおうという,関わり方をトレーニングしているのです.

とは言うものの,先にも示したように,そこに居合わせた学生だけではコントロールできないこともあります.
そんな時は,こちらから「こうしてみろ」「あぁしてみろ」と指示を出すしかありません.
教員に協力的な,まじめでイケメンな男子学生がいるクラスは簡単です.当該女子はホイホイとキャピキャピぶりっ子をやめてくれます.
一番しんどいのは女子だけのクラスです.協力者の選定やタイミングを間違えると,もの凄いことになります.
いずれにせよ,「悪性のキャピキャピぶりっ子」をクラスをあげて抑制させることができた経験は,学生たちにとって重要な学びになるでしょう.

たまに,こういう女子が最初から1人もいないクラスがあるんです.
そういうクラスは,例外なく良いクラスです.こちらも全然苦労しません.


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大学における体育授業の意義
大学における体育授業の意義2
大学における体育授業の意義3 危ない大学こそ体育が大事
井戸端スポーツ会議 part 39「日本のスポーツの定義に物申す」
海軍の学校での体育
体育学的映画論「ロッキー・ザ・ファイナル」

2017年6月18日日曜日

「熱意ある社員」6%のみ:大学も一緒

少し前,こんなニュースが出ていました.
■「熱意ある社員」6%のみ 日本132位、米ギャラップ調査(日本経済新聞:2017年5月26日)
世論調査や人材コンサルティングを手掛ける米ギャラップが世界各国の企業を対象に実施した従業員のエンゲージメント(仕事への熱意度)調査によると、日本は「熱意あふれる社員」の割合が6%しかないことが分かった。米国の32%と比べて大幅に低く、調査した139カ国中132位と最下位クラスだった。
(中略)
――日本ではなぜこれほど「熱意あふれる社員」の割合が低いのですか。
(ギャラップ社 クリフトンCEO談)「日本は1960~80年代に非常によい経営をしていた。コマンド&コントロール(指令と管理)という手法で他の国もこれを模倣していた。問題は(1980~2000年ごろに生まれた)ミレニアル世代が求めていることが全く違うことだ。ミレニアル世代は自分の成長に非常に重きを置いている」
 「それ以上に問題なのは『不満をまき散らしている無気力な社員』の割合が24%と高いこと。彼らは社員として価値が低いだけでなく周りに悪影響を及ぼす。事故や製品の欠陥、顧客の喪失など会社にとって何か問題が起きる場合、多くはそういう人が関与している」(日本経済新聞:2017年5月26日)
つまり,どうやら日本人のステレオタイプである「猛烈サラリーマン」は過去のものになっているとのことです.
「1980〜2000年頃に生まれた世代(ミレニアル世代)」というのに私も該当しますが,この世代が「自分の成長に非常に重きを置いている」というのはよく分かります.そういう人が多いのは実感できます.

どうしてそう “実感” できるのかと言うと,仕事へのモチベーションが「自分の成長」にしか見出だせないからです.
逆に言えば,会社のためとか,熱意を持って仕事をすることに価値がないのです.
もっと言えば,この「自分の成長」というのは決して「職業能力」を指すわけではないということ.それには,プライベートを充実させるスキルの成長も含まれるであろうことが察せられます.
事実,この世代は「仕事よりもプライベートを充実させたい」という調査結果が出ています.
20代の仕事に対する意識調査(転職エージェント評判.com)

本件について,こんなブログ記事も出ていました.私は概ね賛成です.
日本企業に「やる気のない社員」が多いのは、社員ではなく会社のせい(BLOGOS)

その理由についてですが,このブログの著者が紹介している「アンケート調査の内容」に考えるヒントがあります.
ギャラップ社が行ったアンケート調査の内容とは,以下の12個の質問に5段階評価で回答させるというものだったそうです.
Q1:職場で自分が何を期待されているのかを知っている
Q2:仕事を上手く行うために必要な、材料や道具を与えられている
Q3:職場でもっとも得意なことをする機会を毎日与えられている
Q4:この1週間で、よい仕事をしたと認められたり、褒められたりした
Q5:上司または職場の誰かが、自分を一人の人間として気にかけてくれている
Q6:職場の誰かが自分の成長を促してくれる
Q7:職場で自分の意見が尊重されている
Q8:会社の使命や目的が、自分の仕事は重要だと感じさせてくれる
Q9:職場の同僚が真剣に質の高い仕事をしようとしている
Q10:職場に仲の良い友達がいる
Q11:半年のうちに、職場の誰かが自分の進歩について話してくれた
Q12:この1年のうちに、仕事について学び、成長する機会があった
上記のブログ著者が述べるように,この質問内容に対し「低評価」「そう思わない」と回答する「職場」とはどんなところか? 想像してみてください.

容易に想像できることでしょう.つまり,「即戦力」が求められていて,「不安定」で,「共同体」の意識がなく,「責任」の所在が曖昧,ないし「自己責任」なところです.
継続して自分が求められるわけではない.
来年も同じ仕事をしているかどうか分からない.
関わっている部署が限定的.
誰が責任をとるのか分からない.
もしかすると全責任を負わされるかもしれない.

ネガティブな言い方をしてみましたが,それぞれ言い方を替えれば,これらは一昔前(90年代)に流行った理想の職場像です.
実力が求められる.
結果が出せない者は淘汰される.
人間関係があっさりしている.
スピード重視.
効率性重視.

そして,「仕事よりもプライベート」というのも,20年くらい前に流行した「理想の人生」だったはずではないでしょうか.50〜60代の皆さん,もうお忘れですか?
つまり,職場環境はしっかりと「理想の職場」になっているんですよ.そうなるように20年かけてやってきた.
結果,仕事に熱意のある社員は減ったわけです.当然の帰結.

大学の職場もそんな煽りを受けています.
「作業」として教育をしている人が増えているんです.これも当然の帰結です.
あと,以前と比べて,任期付の教員・職員,特任教職員といった不安定な雇用が増えていますので,皆が同じ立場で話すことがありません.
学部学科や部署が一緒でも,雇用形態に落差があるので,実際のところ腹を割って話すことなどないのです.

「専任の先生が優先です」「任期付なのでできません」「契約なので無理です」そんな会話がよく出ます.ピリピリした空気とともに.
そのうち,いちいち雇用形態の違いで気遣いするのも面倒になってきて,いっそのこと互いに無関係を決め込むようになります.
これにより,教育の作業化に拍車がかかります.

それを言い出したら,大学とは元々そういうところではあるのですが,ここに「実力主義」という大いなる欺瞞があります.結果を出そうと出せまいと,評価はメチャクチャなのが大学です.
現実,実力主義や結果主義になどならないので,それで不満を抱える人は多いんです.
もっとも,私としては実力主義を大学に持ち込んだら崩壊すると思っていますが.

その一方で,職場の人間関係を希薄にする力学を働かせているくせに,なぜか一致団結を強調するのも昨今の大学です.
なぜかっていうか,その理由は分かっていて,ズバリ,経営難だからです.大学でも教職員間の統率をとらないといけないと考えるわけですね.

で,そこにそれこそ「一昔前の会社員像」,つまり滅私奉公を是とする猛烈サラリーマンを持ち込もうとするわけです.これがまた軋轢を生む.
「ここはひとつ,学生のために皆で頑張りましょう」って言っても,「知らねぇよ.こちとら来年はここで働いてないんでね」とか,「学生の生活を心配する前に,自分の生活の方が心配です」ということになる.

そうやって人間関係が希薄になっているのに,学生の面倒見だけは良くしようとしているわけで.そこには巨大な偽善が渦巻いています.気持ち悪いですね.
典型的なのは,学生の面倒を見る要素の強い仕事(初年次教育,面談業務等)は,契約・任期付の教職員が担当していたりすることです.ようするに,学生の面倒見はそれこそ「面倒」なので,低賃金労働者にやらせておけばいいと考えているわけですよ.

なお,過去記事でも述べたように,私はこういう大学の状態を改善できるとは思っていません.諦めています.
詳しい理由はそれら過去記事に書きましたが,ようするに,こうした現状は国民が望んだものだからです.文科省が企てたわけでも,政治家が貶めたわけでもない.

もちろん理屈の上では政治家に責任があるのでしょうが,そもそも国民が教育の崩壊を望んでいる以上,これを改善することは絶望的と言っていいでしょう.
諦めましょう.その上で頑張りましょう.


関連記事
大学教育を諦める
なぜ大学改革をやってはダメなのか(2)
保育所問題はここまで来た
大学改革の凄惨さがニュースになっている

2017年6月15日木曜日

グローバルとイノベーションを蒸し返す

蒸し返すように書いていますが,今回はグローバルとイノベーションのことです.
詳しい話は過去記事で散々やっているので,今日は愚痴っぽくなります.

教育関係にご興味のない人は,昨今の大学が「スーパーグローバル大学」に取り組んでいたり,高校が「スーパーサイエンスハイスクール」だけでは飽き足らず,「スーパーグローバルハイスクール」に取り組んでいることもご存知ないかと思います.
なお,これらはいずれも日本の教育界での話です.
ちなみに,最近は「イノベーション」に熱心です.

私たちにとって身近なのは,スーパーグローバル大学です.
ですがこのスーパーグローバル大学,結局のところ尻切れトンボな飛行を続けております.
はっきり言って迷惑なんです.

さて,そんなスーパーグローバル大学も,今年度は中間評価の年.
スーパーグローバル大学創成支援事業(中間評価概要)(日本学術振興会)
各大学,どんな言い訳を用意してくるのか楽しみですね.
対する評価委員も,どんなお茶の濁し方をするのか注目です.

今回,中身についての細かい話をしたいのではありません.それらについては過去記事をどうぞ.

今日は,そもそもの話.もっと単純な話.
「スーパーグローバル大学」
文部科学省の役人の中に,誰か止める奴はいなかったのか? という話です.

「スーパーグローバル」ですよ.スーパーグローバル.
どこのバカがこんな名称でゴーサインを出したのか? 小一時間問い詰めたい.

明らかにキチガイじみた名称ですが,これは私の感覚でしかありません.
私は英語圏のネイティブではありませんので,本件についてネイティブの人に聞いたことがあります.「スーパーグローバル大学っていう名称,どう思いますか?」って.
同僚の英語圏のネイティブである先生は,「意味不明」と仰られていました.

この違和感について話をしてみますに,じゃあ,この英語の違和感を日本語で表してみたらだったらどんな感じなのか? ということで,いろいろディスカッションした上で出たものがこちら.
文科省版:あなたの英語,ネイティブにはこう聞こえます.
「スーパーグローバル大学 = 大盛り国際教育」

バカですね.シュールかもしれない.
ちなみに,このネイティブ教員はユーモアのセンスが強い人なので,そのへんは差し引く必要はありますが,それでもこんな感じに聞こえることは確からしい.
グローバル(global)にスーパー(super)をつけることの愚かさ.globalをsuperにするってどういうこと? という違和感.
なお,上述した日本学術振興会のサイトで確認できるのですが,そこでは英語表記は「Top Global University Project」になっています.盛大に後付であることが分かります.

私はなにも,政治家や官僚がなにかの拍子に「スーパーグローバル」と一切発言してはいけないと申しているわけではありません.思わず口に出してしまうこともあるでしょう.
私が言いたいのは,事業名称を決定する際に,なぜネイティブチェックや英語が堪能な人の意見を取り入れなかったのか? ということです.どうしてその一手間をかけなかったのか.

私のような者ですら「おかしい」と感じるのです.学力が高い人であれば尚の事,その場で気づいていたのではないでしょうか.
2014年から始まっているこの事業の名称が決まったのは2013年です.それまではまだ仮称でした.
スーパーグローバルにせよ,スーパーサイエンスにせよ,一体どんな政権がこんな名称を決めたんでしょうかね.恥ずかしい話です.

これと似たものに「革新的イノベーション」事業があります.
いえ,冗談ではありませんよ.本当にこういう名称の事業が文部科学省で行われているんです.
革新的イノベーション創成プログラム(文部科学省)

これもそう.
誰か止める奴はいなかったのか? ということです.

普通の会議ならこうなります.
「じゃあ,“革新的イノベーション” っていうのはどうかな?」
「いやいやいや,バカ過ぎでしょそれ.もっと真剣に考えてくださいよぉ」

だが,そうはならなかった.
案の定,これも2013年から始まったものです.

「革新的イノベーション」ということですので,我が国の文部を司る機関にお勤めなさっている方々の頭の中には,「革新的ではないイノベーション」もしくは「保守的イノベーション」というものがあるようです.
ぜひ教えていただきたいですね.

これについても,上述したネイティブの先生とお酒を飲みながら話したことがあります.
吹き出して笑っていました.
で,やっぱり英語表記は異なります.「Center of Innovation」になっていました.どうせ後付ですね.

革新的イノベーション.
日本語にはこれと似たような言葉が他にもあります.
チゲ鍋とか■ラム酒,■クーポン券などが代表的です.

小さな子供が,思いつきで似たようなことを口走ることがあります.
「よし行くぞぉ! スーパー・ハイパーキャノン砲,発射ぁ!」
とか言いながら,公園でヒーローごっこしている男の子がいますね.
革新的イノベーションとは,これと一緒です.

でも,これは文部科学省が企画する(たぶん)大事な事業のはずです.
適当な名称を付けられてはたまったものではありません.

けど,革新的イノベーションも「スーパー・ハイパーキャノン砲」と同じようなノリで付けられた名称かもしれません.
きっと,幼い子供のような自由な発想を期待してるのでしょう.


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2017年6月13日火曜日

ダイエット用晩酌術:野沢菜漬けにチーズ,これ最強

誤解無きよう.
これは宣伝用の記事ではありません.

私のアルコール論シリーズ,第?弾です.
よく覚えていないんですけど,過去記事を探して最後にまとめておきます.

私はよく晩酌をするのですが,晩飯をなるべく控えるようにしています.
その代わりに,酒に合うツマミの質を上げて「少数精鋭」で楽しむようにしています.
お陰様で10年以上,体重・体脂肪率をキープしています.

こんなことができるのも独り身だからです.
嫁さんをもらっている人からは,好き勝手出来ないことの嘆きをよく聞きます.

世の「お父さん」が肥満に悩んでいる原因の “約半分” は,彼に嫁がいて,その嫁が飯を出すからです.出されたからには食べねばならないという義務がある.それが肥満を招きます.
私のように好き勝手していれば肥満になることはありません.

私が晩酌をする際の,最強のコンビネーションが,
「野沢菜漬け」 + 「チーズ」
です.

野沢菜漬けにはこだわりがあります.
これです↓
 

スキー実習や練習などで長野県に出向いた際には,自分用として必ず買って帰るお土産です.
Amazonでも売ってるのかなぁって思って探したら,ありました.
最近は専ら通販で購入しています.

スーパーで売ってる野沢菜漬けとは雲泥の差です.
これ以外にも美味しくて手に入りやすい野沢菜漬けがあったら教えてほしいのですが,私はまだこれ以外を知りません.

実家に紹介したらやっぱり好評だったので,近年では「母の日」も「父の日」もこれを送ることにしています.さっき父の日用として購入したところでもあります.
なお,この商品のAmazonでの在庫数が少ないのは,私がいつも購入しているからです.すみませんね.

食べ方は至って簡単.
袋から取り出し,3〜4センチの長さに切って,お酒と一緒に食べるだけです.
私としては,これだけで晩飯はOKです.
故に太りません.

塩分の取り過ぎになっているのではないかと思いますが,この数年間は大丈夫そうです.

なお,この野沢菜漬けと一緒に食べると良いのが,チーズです.
チーズといっても,私には特段のこだわりがあるわけじゃなく,こんなのでOKです↓


あらかじめ切れてるのが便利ですね.
この安物チーズ単品でお酒を飲む気にはなりませんが,野沢菜漬けと一緒ならOKです.
野沢菜漬けとチーズの相性は抜群です.

近くのスーパーにはこんなのもあります.関西にいた頃からずっと定期購入しているのがこちら.


この『ジェラールセレクション・クリーミーウォッシュ』というのは,臭いが強いけどネットリしていてコクがあって旨いんです.
通販で購入するようなものではありません.高いし.
スーパーで購入しましょう.でも,どこのスーパーにもあるわけじゃないので,探す必要はあります.

こういうメニューを見て「あぁ,なるほど.炭水化物ダイエットになっているんですね」と思われるかもしれませんが,これは炭水化物ダイエットではありません.
朝昼は炭水化物ばっかり食べています.

お酒に炭水化物が合わないだけのことで,晩酌しない時は炭水化物を食べています.
それに,炭水化物ダイエットなんてバカバカしいものを信じる奴の気が知れません.

以前は『なとり帆立貝柱燻製』を大量購入していました.


でも,2年前頃からこの製品の質が急速劣化しているように思うのは私だけでしょうか.
材料である帆立貝柱の質が落ちているんでしょうかね.自然相手なので仕方ないのかもしれまんせんが,残念でなりません.
なので,最近は買わなくなりました.

さらに余談ですが,沢庵の醤油漬け(大根の醤油漬け)の美味しい奴を通販で購入できないかと探しています.
通販してないやつで美味しいのは知ってるんです.でも,現地に行かないと手に入らないというのは不便ですね.
でも,そういう方が有り難みがあるのかもしれません.


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2017年6月12日月曜日

幼女に興味はないですよ

先日の夕方のこと.
自宅アパートに帰るため,この近くの一軒家の前を通ったら幼い女の子が玄関のドアを何度も叩いているんです.年齢は5歳くらいでしょうか.「叩いている」というより殴りつけるような感じでした.

しばらくして私は,ラーメンでも食べに行こうかと思いたち,アパートを出ます.
で,その家の前を通ると,女の子はまだドアの前にいて,三角座りでしょんぼりしているのです.
この季節ですから,夕方とは言えまだ空は明るいし人通りも多い.だからそんなに気にも止めていなかったんです.

その後30分くらいでしょうか,私がラーメンを食べて戻ってきても,その子はまだドアの前にいる.
どうやら完全に泣き顔で,私以外にも道行く人を泣きながら見つめています.

「きっと躾かなにかで,親に叱られて外に出されているのだろう」
私にもそんな体験がありますから,そんなもんだと思いつつも,やっぱり時間が時間.
それに住宅地とは言え,否,住宅地だからこそ安全性に疑問が残る.
さっきまで明るかった空も急に暗くなっていますし,最初に見つけた時からだいぶ経っています.

とは言え,ここでもスルー.
アパートに戻りました.

さらに30分ほど経って,やっぱり気になったので「私はこれからコンビニに飲み物を買いに行くんだ」という理由を自分につけて外出.
そしたら,やっぱりまだいる.

「家にお父さんやお母さんはいるの?」と聞くと,泣きながら頷く女の子.
柄にもないことをしてるな,俺は.と自分一人で恥ずかしくなるも,ひとまず中に誰かいるのか知るため玄関のドアをノック.
すると,ドアが開き,似たような年齢の男の子が顔を出してきて,不思議そうに私を見つめます.そして女の子に「なんで入ってくるんだよぉ!」と文句をつけながら両肩をつかんで追い出そうとしつつ,「ねぇ!誰か来たよう!」って家の奥のほうに向かって声をかけるんです.
返事はないものの,テレビの音がするし,人のいる気配がする.

そうするうち,女の子は泣きつつ怒りながら,男の子の腕を払い除けて家に入っていきました.

う〜ん・・,事情がよく分かりませんな.

この子の親に私がここに来た事情を話すのも面倒だし,このまま退散しようということでコンビニにGo.
そうです,私はコンビニに飲み物を買いに出てきたはずだったので.早くお茶かビールを買いに行かないと.

今日もこんなニュースがありました.
男児連れ去り?疑われた親切心(Yahoo!ニュース)

気をつけないといけないですね.

2017年6月8日木曜日

テロと大学の海外研修プログラム

以前もそんな記事を書いたことがあったかと思いますが,最近またテロが頻発するようになってきたので,もう一度書いてみます.

グローバリズム推しが激しい昨今の文部科学省は,大学に「海外研修プログラム」を充実させることを要求しています.
“海外研修” という響きが好きな教員,そして学生・保護者もたくさんいるので,ある意味でウィン・ウィンなものとして捉えている人もいるようです.

ところが,ここにきて国際的なテロ事件が頻発するようになってきたので,何かあった時に大学がどこまで責任をとるのか喧しくなってきました.

大学側がどこまでサポートできるのか? とか,危険を予測できるのか? とか,発生した際に大学側が学生をどこまで守れるのか? といった話です.

結論的には,海外研修中や留学中の学生がテロに巻き込まれたところで,それは大学ではどうしようもありません.
日本という「国」ですら手をこまねいて何もしないのに,テロ対策なんぞ大学ができるわけないでしょう.

そもそも,テロリストの立場としては「まさかここで起きるとは!」と思わせるところにその活動の意義があります.
そういった恐怖(テロル)によって,混乱を引き起こすことが目的です.
だから「予測」することなどできません.ましてや大学ができることなんてしれている.

もっと言えば,海外研修や留学こそが,そういった「テロの危険性」をかいくぐって行くところに意義があるとも言えます.
以前,これと似たような状況である「登山」について記事を書いています.
井戸端スポーツ会議 part 43「小林秀雄が語るスポーツの精神」
井戸端スポーツ会議 part 44「スポーツの精神が大切なわけ」

こういった国際的に不安定な状況がニュースになってくると,学生の海外研修や留学でも犠牲者が出るものです.それに対し,
「危ない国に行く奴が悪い」「危ない地域に行かせた大学に責任がある」
ということになって,だったら,
「そういったところには,最初から行かせなければいい」
という話になりやすい.

今,大学に突きつけられている悩みは,まさにこれです.

たしかに私個人としては,こうした状況下では「海外研修には行かない」という選択をするかもしれませんが,でも,そうした危険を承知で海外研修や留学に行く他者を批判しようとは思いません.

「グローバルに学びたい」
無責任な世論や,それに突き上げられた文部科学省の方針に煽られてしまった学生もいるのでしょうが,そうは言ってもグローバリズムについて勉強したいという思いはたしかに存在します.

私はそういう学生を止めるつもりはありませんし,本人もそれでいいというなら送り出せばいいと思います.
もちろん,その中の何人かは大変な思いをするでしょう.死ぬことだってある.
でも,そうしたことを通して「グローバリズムとは何か?」をその身をもって学べるはずです.
テロを頻発させ,テロに怯え,テロに抗う国とはどういう社会なのか,その目で見てくればいい.それこそが有益な学習だと思います.そうしたことを通して,日本の特性や状況がわかるようになる.

誤解しないでください.
私はこういう状況下で海外研修や留学に行くことには反対です.でも,それはあくまで個人としての話.
海外研修や留学に行きたい人を止めるつもりはありません.

その上で,組織としての「大学」が海外研修や留学に躊躇している姿をみるのは滑稽です.
海外研修とは,日本とは異なる国に身を置くことそれ自体に学習の意義があるのではないのか?
私からすれば,彼らが海外研修や留学を学習の機会としてではなく,「観光」や「大学リゾート」と位置づけているからこそ,この「躊躇」が現れるのではないかと皮肉りたい.
日本国内の感覚をそのまま延長して「海外研修」や「留学」するなど,全くもって意味不明ではないか.

「研修生や留学生に対する大学側の手厚いサポート」を論じる人がいますが,私はむしろ反対です.
海外に出る者を大学という組織がサポートするのは無理があります.
出来ないのに「やれる」と言うことほど無責任なことはない.
端っから何もしてあげないことが優しさだし,混乱させずに済みます.

スポーツの精神で海外研修や留学を考えてみる.
そうした必要性がありそうです.


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2017年6月4日日曜日

学生との飲み会に関するお金のこと

前回もアルコールの話しでしたので,今回もそんな話です.

このたび,学生との飲み会を企画しています.
教員になってからというもの,どこに赴任しようと毎年あることです.

過去記事にこんなのがあります.
誕生日会

ところで,学生との飲み会で教員がいくら払うのか? という話題になったことがあります.ちょっと興味深い話ではないでしょうか.
いろいろな先生方は,
「私は完全割り勘だよ」
「1万円です」
「2万円が最大かなぁ」
などと仰られていたんで,私は思わず「はい,僕もそんな感じです」と言ったものの.

え? そんなに安いの?

これくらいが相場なんですかね.
不況ですね.

私は特別な事情を除き,基本的には学生は「千円」という方針です.
総額3〜4万円くらいだったら私がもつことにしています.
あとはどれだけ酔っ払っているか次第です.

過去最高出費額は,6万円でした.
あの時は人数が多かったし,良いもん開けてたし食ってたしで,一人当たり千円出させてからの残り金額がそれ.

別に学生の評価を上げよう,ってつもりは毛頭ありません.
私が学生の頃は先生がそうしてくれていたし,私の先輩方もそうしてくれていたから,自分の番が回ってきただけと思っています.

あと,家庭があるかどうかも重要でしょう.私はそんな心配はありません.
高給取りではありませんが,お金は好きなように使える立場です.

ただ,こういう「酒の席の費用」については,やっぱりさまざまな特色があるようです.

私は高知県民なんですけど・・・.
そして,何度か取り上げたことがありますが,こんなデータがあります.
飲酒費用 [ 2012年第一位 高知県 ]http://todo-ran.com/t/kiji/16678
飲酒費用 [ 2012年第一位 高知県 ]

偏差値がとんでもないことになっています.2位以下をぶっちぎってしまっている.
でも,このデータが興味深いのは,「アルコール消費量」との相関が弱いこと.

実際,アルコール消費量を示したランキングでは以下のようになります.
アルコール消費量 [ 2013年第一位 鹿児島県 ]http://todo-ran.com/t/kiji/14569
アルコール消費量 [ 2013年第一位 鹿児島県 ]


上記のデータにおける「飲酒費用」の定義とは,
「飲酒代及びこれに伴う料理代.飲酒を目的とした諸会費も含む」
というもの.
つまりですね,高知県は,言うほど量は飲まないけど,飲み会にかける金額がパネェということなんです.

学生との飲み会で出すお金が,「皆さんちょっと安いんじゃね?」と思ってしまう私は,やっぱり高知県民だからです.

そういえば,四国4県の県民性を示す小咄があります.
「もし,四国人に1万円を渡したら・・・」
というもの.

いろいろなバージョンがあるものの,概ね以下のような感じです.
徳島県民は,全て貯金する.
香川県民は,半分使って,半分貯金する.
愛媛県民は,飲み会で全部使ってしまう.
高知県民は,自分の財布からさらに1万円を足して,友人を誘って飲みに行く.
納得でございます.

学生の皆さんは,ぜひとも高知県出身の先生と飲みに行きましょう.


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日本のウイスキーが高いよ
大学生用:二十歳になったらお酒を飲もう


2017年5月30日火曜日

日本のウイスキーが高いよ

今,酔っ払って帰ってきたのですが,そう言えば,以前こんな記事を書きました.
大学生向けに,「学生のときに気をつけたほうがいい行動」シリーズの一つで,お酒の飲み方を取り上げたことがあります.
大学生用:二十歳になったらお酒を飲もう

できれば,大学の教員と一席を設ける機会を増やしたほうが,結果的に大学生活が充実するんです,という趣旨の話でした.
この記事の増補版として,以下を読んでもらえればと思います.
ウイスキーの話です.

学生の頃は「ウイスキーとかいう不味い酒,どうしてオッサンたちは好んで飲むんだろう?」と不思議でならなかったのですけど.
貧乏学生だった自分が飲んでいたのは「トリス」とか「富士山麓」とか,お店に行っても何が割られているのか分からない「ハイボール(たいていトリス)」だったから,そりゃ不味くて当然です.

ウイスキーってのは,“誠に残念ながら” 美味しさと値段はきれいに比例します.
高いやつは,やっぱり旨い.
ところが,ここ数年ほど日本製ウイスキーだけがアホみたいに高くなっていて驚いていたところです.
行きつけの酒屋のお姉さんに聞いてみたら,どうやらNHKのドラマの影響だかなんかで高騰しているとのこと.
響12年を買おうとしたら,8000円とかいう値段がついていまして.「え!これちょっと高いよ!」ってことで聞いたんです.今じゃもっと高くなってる.

ずっと「響12年」を愛飲していたのですが,何年か前からの高騰についていけず,そこまで払うくらいなら別のを買うよということで,今は「シーバスリーガル12年」に切り替えていました.
別に妥協しているわけじゃなくて,シーバスリーガルはシーバスリーガルで美味しいウイスキーです.実際,世界的に人気があります.

むしろ,最近になって出てきた「響Japanese Harmony」とかいう得体の知れないブレンデッドウイスキーが残念な味です.
まあ,好みは人それぞれなところがありますので,なんとも.

上述した記事でも書きましたが,「最も旨い酒」なんてものを語るほどバカな話はありません.自分が旨いと思ったものを飲めばいい話です.

ところで,なんだかチャラい感じがしていたので長らく避けていたのですが,一念発起して飲んでみたのが「シーバスリーガル・ミズナラ」
「日本を知ることで完成したウイスキー」とかいう触れ込みが,なんとも胡散臭かったんですよ.

意外といけました.飲まず嫌いはいけませんね.

もともと,私がウイスキーにはまりだしたのは,学会で行った先のスコットランドでスコッチを飲んだところからです.
入った店で「バランタイン」を頼んだんですけど,「トリス」とか「角瓶」しか飲んだことがない私にとっては衝撃的な煙臭さでして(でも,スコッチのなかではバランタインはあまりスモーキーではないですよ).それがまた旨い.

あの味が忘れられなかったので,日本でもバランタインを飲んでみたんです.でも,あの感動は無いんですね.
やっぱり,ご当地で飲むからいいのかなぁ,と思わされました.

その後,知り合いの先生から勧められたのがシーバスリーガルで,なんでも,この方の恩師が愛飲していたものとのこと.
スコッチを日本で飲んでもなぁ・・,と思って「山崎」とか「宮城峡」なんかに手を出していた私としては,「スコッチもいいじゃないか」と考えを改めさせられました.

とは言え,私の舌にしっくりくるのは「響12年」だったんです.だからずっとそればかり飲んでいました.

今じゃ考えられないんですけど,響12年って以前は6000円とかで飲めていたんです.良い時代でしたね.
高くなってからは,手を出していません.

そう言えば,私の恩師は「ジャックダニエル」がお気に入りでした.
学生だった当時の私は「ウイスキー = 不味い」という公式があったので手を出していませんでしたが,のちに「ジャンキーなつまみ(ポテトフライとかピザとか)と一緒に飲むならジャックダニエルのハイボール」という方程式になっていきます.
ソーダで割ると,あの独特なバナナの風味が引き立つんです.それがジャンキーなものによく合う.

というか,やっぱりこれって国柄が出るものなんですよ.
白州ハイボールでポテトフライは食べれないですから.

岩手県で学会があった時,ご当地の先生の行きつけの飲み屋につれていってもらったんです.
そこのマスター曰く,「アメリカ産のウイスキー(バーボンとか)は,ソーダで割るのが基本です」とのこと.
言われてみれば,ジャックダニエルをはじめ,アメリカのウイスキーはソーダで割ると丁度よい感じになります.

なお,こんなに語っておいてなんですが,私は普段はアメリカのウイスキーは飲みません.
美味しくないので.
たまに「ジャックダニエルのハイボール」しか選択肢がないメニューの居酒屋があります.ビールを頼んでみたけど,なんだか意味不明な味だったから,あぁどうしよう.そんなときぐらいです.

ウイスキーの飲み方は人の数だけあるのですが,私は「ウイスキー1」に「水1.3」による常温の水割りが好みです.体調と気分に合わせて水を「1」にしたり「1.5」にしたりします.けど,基本は「1.3」です.
お店で出てくる「水割り」は薄め過ぎです.なので最初から「ロック」と「チェイサー」を頼むことにして,自分で割ることにしています.

ちなみに,どうやらこの割合に近い「1:1」で割る常温の水割りは「トワイスアップ」という飲み方らしい.
サントリーのウェブサイトに載っていました.
トワイスアップ(サントリー)

でも,私としては水を「1.3」が大事です.

2017年5月26日金曜日

「キャリーバッグのマナー」とか言い出す傲慢さ

最近,キャリーバッグ(キャリーケース,キャスター付きバッグ)に関するマナーを叫ぶ声がうるさくなってきました.
例えば,こんなウェブ記事があります.
キャリーバッグ、絶えないトラブル…100万円の賠償例も(IZA)

マナーやエチケットを批判するわけではないのですが,それを声高に訴える奴には嫌悪を覚えます.
ここは一つ,「正義は我にあり」とファビョっていきり立つバカに冷水をかけておく必要があると思うのです.

繰り返しますが,キャリーバッグ利用者の側に明らかな非のあるトラブルを擁護するつもりはありません.
ですが,キャリーバッグ使用方法のマナーやエチケットを,「非利用者」の感情と都合に合わせて拡大解釈されることが蔓延ることは避けたいところです.

例えば,以下のような無茶苦茶な話が成されています.
いずれも,ネットで出回っている「キャリーバッグ利用者への注文」です.
1)人混みでキャリーバッグを引きずるな
2)持ち手を長くするな
3)狭い場所(電車等)での使用は自重しろ
4)小さいキャリーバッグは不要だろ.
5)ファッションで使う奴が多過ぎ
6)日本にキャリーバッグは相応しくない
7)周囲の不快感に気づいていないのでは?

キャリーバッグにつまづいて危ない思いをしたとか,存在が邪魔だという類のコメントが出回っています.

私はキャリーバッグが行き交う場所をいつも利用していますが,どうやら皆さんより洞察力や判断力,危険予測能力や運動能力が優れているようなので,キャリーバッグ利用者を危ないと思ったことがないし,それによって迷惑を被った覚えも一度もありません.

ちなみに,私自身,キャリーバッグはよく使います.
最近は私もその「役回り」から外れてきたのですが,仕事で大きな荷物を運搬することもあって,キャリーバッグがないとやってられないという状況です.
あと,スノーボードやスキーの運搬にも専用キャリーバッグを使っているという背景があることを開示した上で,以下,私の主張です.

皆さん,ちょっと不寛容過ぎやしないでしょうか.
もちろん,キャリーバッグを利用している人すべてがそうとは言いませんよ.でも,キャリーバッグじゃないと搬送が大変な労力になるから利用しているという人は多いものです.っていうか,それがキャリーバッグを使う主な理由です.

つまり,そんな大変な思いをしているキャリーバッグを使っている人に対する配慮があってもいいのではないかという話なのです.
これは別に「キャリーバッグを使っている人が優先されるべき」などと言っているわけではありません.
キャリーバッグを使うような人なのだから,むしろその周囲の人達が気を使ってあげればいいだけではないか? と言っているのです.
これと似たような話に,ベビーカーの利用もありますね.あれも周囲の人達こそが気を使えば済む話です.

気を使ってあげてさえいれば,別に「迷惑」なものではないでしょう.キャリーバッグに迷惑を感じる,その感覚が私には危なく感じます.
こんなことにガミガミ文句を言うくらいだから,きっとストレスフルで不幸な日々を送っていることとお察しします.でも,自分の不満のはけ口を他人に向けていけません.
試しに,キャリーバッグを転がしている人を見かけたら,「大変そうだなぁ」と思うようにしてみましょう.それだけで,きっと心に余裕ができるはずです.ぶつけたり,つまづくこともなくなります.

それに,失礼ですが「キャリーバッグにつまづく」とか,どんだけマヌケなんだよと.
っていうか,そんなマヌケが街をほっつき歩いていること自体が危険ではないか?
認知能力に障害があるならまだしも,普通にしてて「キャリーバッグにつまづく」なんて,どこ見て歩いてんですか?

特に,大きなキャリーバッグ持って歩いているような人や,その他にも大きな荷物を背負っているような人であれば,周りに目が行きにくい状況下の人だということくらい分かりそうなものでしょう.だったら,こっちが注意してあげて,距離をとったり道を譲れば済むことです.

もっと言えば,そのキャリーバッグにつまづいたのにしても,あなたが歩きスマホしてたり,ボケてたからじゃないのか? キャリーバッグが通っている近くで図々しく立っていたんじゃないのか?

こんなこと言ってると,「ふざけるな! キャリーバッグを使っている方が気をつけるべきだろ!」とか言われるかもしれない.
はい,私はそれを否定するつもりはありません.何度も言うようですが,キャリーバッグ利用者の側に非のあることまで擁護するつもりはありませんし,キャリーバッグ利用者が優先されるべきと言っているわけでもない.

でも,多角的な配慮を欠いた議論をもって,ふんぞり返った態度で「俺が普通なんだから,お前が合わせろ」と断罪することは戒められるべきだと思うのです.

2017年5月25日木曜日

井戸端スポーツ会議 part 47「森友・加計学園問題と野球特待生」

森友とか加計について,やや無理矢理感がありますが,この話題を「スポーツ」で論じてみます.

その前に,この件に関する本日のニュース.
加計文書、前次官が感じた圧力 「黒を白にしろと」(朝日新聞2017.5.25)
加計(かけ)学園の計画を巡る文部科学省の文書が発覚して1週間あまり。同省の官僚トップだった前川喜平・前事務次官(62)が25日、公の場で舞台裏を証言した。(中略)「文科省の中で作成され、幹部の間で共有された文書で間違いない」。冒頭の発言で真っ先に切り出したのは、「総理のご意向」などと伝えられたと記された文書の真偽だった。「あったことをなかったことにはできない」などと会見を開いた理由を述べた。
前川氏がどこまで本当のことをしゃべっているのか定かではありませんが, 政治家の圧力によって「黒いものを白にしろ」と言われること自体は普通のことのはずです.
一般的に,こういうのを「政治家の口利き」と呼び,「民主主義の裏技」とされています.

政治家が,ましてや総理大臣がなんらかの形で意向を示せば,官僚としてはそれに従わなければ自身の身の保障が危うくなりますから「忖度」するものです.
通常,これはバレないように行われます.というか,普通はバレるようなものではありません.関係者が口裏を合わせればバレようがないものだからです.実際,前川氏も上記記事ではこう述べています.
 「加計学園ありきだったのか」との質問に、前川氏は淡々と答えた。「暗黙の共通理解としてあったのは確か。内閣府でも文科省においても議論している対象は、加計学園のことだという共通認識のもとで仕事している」「口に出して加計学園という言葉を使ったかどうか、そこは使っていない場合が多いと思う」
安倍晋三が「私はそんなこと言っていない」と反論したとして,おそらくそれは事実でしょう.
言っていないことは事実,だけど,何か別の形で「示す」ことによって相手に忖度させることはできます.
繰り返しますが,それが政治家の口利きです.

私が問題にしたいのは,そんなこと,普通の大人なら誰でも知っている「民主主義の裏技」であるにも関わらず,まるで今まで知らなかったかのようにカマトトぶってる連中が多いことです.

これと同じことが展開されたのが,何年か前にニュースとなった「野球部員の特待生制度」です.
本当に知らない人はこちらをどうぞ→■特待生問題(コトバンク)

2007年まで,日本では野球部員の特待生制度は禁止されていました.
でも,それまでにも日常会話として「あいつは野球部の特待生なんだよ」「◯◯君は△△高校に特待生で入学した」というのは普通にありました.
むしろ,当時のニュースによって「え!?  野球部に特待生で行くのって本当はダメだったの?」と知れ渡ったほどです.

それなのに,あたかも野球部の特待生がそれまで存在していなかったかのように,
「なんと!  野球部に入部することを条件に,学費を割り引いて生徒を入学させている学校がたくさんあるようです! まるで人身売買です.信じられません!」
などと騒いでいたメディアが結構ありました.
オイオイ,お前ら・・・,って感じです.
(ちなみに,事件発覚後,野球部の特待生制度は条件付きで解禁になりました.なお,他の種目(サッカーとか)の特待生制度は以前からありました)

今回の森友とか加計の話もそうです.
政治家の口利きは普通の話です.存在していて別に不思議ではありません.
もっと言えば,社会を円滑に進める上で重要なことだと言ってもいいものです.

あとは,劣悪でデタラメな野球部特待生が許されないのと同様,劣悪でデタラメな口利きであれば問題になり,当事者はその罰を受けるべきだという話です.

安倍晋三が罰を受けるようなことをしているかどうかは未だ不明ですが,きちんと調査はしてほしいですね.
安倍晋三としても,「私は無関係」などと稚拙な態度をとらず,正々堂々と政治家をしてほしいものです.
もっとも,根本的な話として,こんな人間が国のトップにいること自体が大問題だと思います.

2017年5月24日水曜日

森友学園とか加計学園問題なんて議論している場合だ

なんか最近,こんな話題が続いているようです.

私は安倍晋三を信用していませんが,別にこの問題で安倍晋三に「違法性があるのではないか?」とか,「不道徳な形で関わっているのではないか?」という観点から問い詰めるつもりはありません.

安倍晋三の存在そのものが違法的だし不道徳だと思っているくらいなので,むしろ,(安倍晋三氏にとって)いい意味でも悪い意味でも,どうでもいいと思っています.
以前,そんな記事も書きました.
森友学園問題をまとめてみた

問題なのは,どうでもいい事件をいつまでも引っ張る「安倍晋三」のことです.
そういう意味では,やっぱり安倍晋三が問題なのです.

よく,「北朝鮮や原発事故,種子法廃止といった重大問題が山積する中,こんなしょうもないスキャンダルに時間を割いている野党やマスコミが悪い」などという意見を聞きますが,これこそ意味不明です.

安倍支持者に言わせれば「しょうもないスキャンダル」とのことですが.
これについては珍しく私も同意するのですけど,そんなしょうもない話をさっさと片付けられない政権や首相に,まともな国家運営理念や判断力・決断力があるとは思えません.
そもそも,そんな「しょうもないスキャンダル」が飛び出てくるような政治家に,国のトップを任せられると考える方がおかしい.
これは常識的感覚の問題です.

まともなバランス感覚がある政治家なら,幼稚園児に教育勅語を合唱させ,田んぼに園児を突き落とすような教育者と懇意にするわけがない.どう考えても異常ですから.
もちろん,必然的にコネクションが広くなってしまうのが政治家だ,というところは認めるとして,「知り合いでした」というだけなら言い逃れできるでしょうが,親密な関係ではないというのは通らないでしょう.寄付金渡したり講演会を引き受けたりするのは「親密な関係」と言わざるを得ません.

類は友を呼ぶと言います.
「異常な思想に共鳴しているのが安倍や稲田だ」と受け取られても仕方がないし,実際そうだったのでしょう.
ところが,安倍晋三やその夫人,そして稲田朋美などは「私はこの学園とは深い関係にはなかった」という言い訳をしていました.
けど,いくらなんでもそりゃ無理があります.

こんな言い逃れを考えるような政治家が,北朝鮮や原発事故とまともに向き合えるわけがないし,そりゃあ種子法も廃止したり,日韓合意も取り付けたりするわけです.
どうせなら,森友学園のやり方を大見得きって支持するくらいでいてほしかったですね.
でも,それができなかった.それがどうしてなのかは深く追求しませんけど.

以前からネットでは話題だった加計学園問題も,最近になって日の目を見るようになりました.
これにしたって,どうでもいい話題です.

森友学園にしても加計学園にしても,このような「個人ブログ」という媒体なので敢えて言えば,安倍晋三の「忖度的な関与」はあったでしょう.そうとしか思えない.
もっと言えば,それが政治家ですから.
なので,別にそのことを追求するつもりはありません.

それだけに,どうしてこんな稚拙な言い逃れをするのか,というところが問われるところです.
いいじゃないですか.
森友学園や加計学園の教育方針に共鳴していると言えばいいのです.
堂々と「贔屓にしていますが,何か?」と言えばいい.
もちろん,そんな学園を贔屓にしていることは非常識だし,思想的に狂ってると思いますが,それをきちんと主張できない時点で論外です.

畢竟,安倍や稲田は思想的におかしいんです.(私にとって)普通に考えて,狂ってます.
実際,それはかなり以前から指摘されていました.
私としては,NHKの番組内容とか映画への助成金にイチャモンをつけている頃から,こいつら頭おかしいんじゃないの? と捉えておりました.

イチャモンつけるにしても,やり方ってものがあるでしょう.
「内容が中立的ではない」とか言って,あんたらも“政治家” でしょ? って感じです.
ネトウヨ,バカウヨの類の主張を,大の大人が,ましてや政治家がやっている.やっぱりおかしいんです.
(そりゃ,ネトウヨやバカウヨは喜ぶでしょうけど)

森友とか加計の話,どんどん議論するべきです.
繰り返しになりますが,こんな話をズルズル引き伸ばしているような奴が,まともに政治家ができるとは到底思えません.
もっと言えば,こんな話をズルズル引き伸ばしているのも,他の話題,例えば北朝鮮ミサイルとか,種子法廃止とか,原発事故対応などについて触れられたくないから,という可能性が高い.姑息ですね.

いっそのこと,森友とか加計の話でレームダック(死に体)にしてほしいと願っているくらいです.
何も無いままで売国・亡国政策に加速をかけられるより幾分マシではないかと思います.

2017年5月23日火曜日

ミサイルを連射している件

2回続けてウンコとかキン◯マの話をしたので,今回はそういうの無しの話をしたいと思います.

北朝鮮がミサイル実験をたて続けに実施していますね.
おっかない話です.

北朝鮮が弾道ミサイル発射 中距離の新型か(朝日新聞2017.5.21)
北朝鮮は21日午後4時59分ごろ、西部の平安南道(ピョンアンナムド)・北倉(プクチャン)付近から東方向に向けて弾道ミサイル1発を発射した。高度約560キロまで上がって約500キロ飛行し、日本の排他的経済水域(EEZ)外の日本海に落下した
こうした情勢を受けて,こんな話も出ています.
首相は公邸に住むべき? 民進・野田氏と菅長官が応酬(朝日新聞2017.5.23)
相次ぐ北朝鮮のミサイル発射などに迅速に対応するため、安倍晋三首相は首相官邸に隣接する首相公邸に住むべきかどうか――。首相が東京・富ケ谷の自宅から官邸に通うことを民進党の野田佳彦幹事長が「危機管理上、あり得ない」と批判すれば、菅義偉官房長官は「政府の対応はまったく問題ない」と反論し、応酬を繰り広げた。
どっちでもいい話だとは思うのですが,野田議員の方にやや分があるかなと思います.
なぜなら,もし菅官房長官の言うことが正論だというのであれば,緊急時にも迅速な対応ができる設備が整っている首相官邸なんて,そもそもいらないじゃないか,という話になるからです.

もっとも,安倍首相がこういう状態であることをもって,日本政府としては「北朝鮮のミサイル実験は脅威ではない」と判断しているであろうことが分かります.
本当に危機感があるのであれば,いくら安倍晋三とは言え官邸に住むはずですから.

もっと言えば,そもそも本当にミサイルが飛んできたところで,現在の日本は何もできません.
何か主体的に動けるような状態ではないし,そんな肝の座った政権でもない.
官邸にいようがゴルフコースにいようが,できることなんてないのです.
総理大臣による迅速な対応なんて必要ありません.
やれることは地震の時と一緒,所轄・現場レベルでの被害確認と救助.
それだけです.

ちなみに,私としても北朝鮮のミサイルは脅威と感じていません.
否,脅威と感じたところで何もできないのですから,いっそのこと脅威と思わないようにしています.

むしろ,日本政府としても同じことを考えているのではないでしょうか.
つまり,「北朝鮮のミサイルを本当に『脅威』だと認識してしまったら,『脅威』だということで対処しなければならなくなるから,面倒くさいのでいっそのこと『まだ脅威じゃない』ことにしておこう」と,そんなところです.
こうすれば,仕事も増えないし.

気持ちは分からんでもない.
ただ,これって端的に言えば,「無責任」ということですよね.
国家とその政府としては落第点です.

じゃあ,どこまできたら「脅威」になるのか?
それを判別するための基準となる尺度がないことが,我が国における最大の「脅威」ではないかと思うのです.
つまり,どこまでいっても政府担当者の「主観的感覚」が基準となっている.

そう言えば,この国の中央都市では,たかが魚市場ひとつの移転で「安心(主観的感覚)」と「安全(客観的基準)」の違いについて,バカみたいな議論が展開されていますね.

もうダメかもしれません.

2017年5月21日日曜日

やっぱりこうなった農業のこと

最近,徐々にそのヤバさが知られるようになったニュースがあります.
種子法の廃止です.

どうやら日本人には自殺願望があるようなので,国家と民族,その最大の礎である「農業」を壊滅させようとしています.
その尖兵が現政権であり,安倍晋三です.

こんなネット記事もあります.
【TVで言わない!これはやばい】主要農作物種子法廃止について

農業に関する記事をシリーズで書いていたこともありますが,早いもので,もう4年前になってしまいましたね.
どうせいつか,こんなことになるだろうという諦めはありましたが.

2013年の記事はこちら↓
もうちょっと本気で農業のこと(問題の本質は農業をバカにしていること)
もうちょっと本気で農業のこと(農家が農業をしないわけ)
ほんのちょっと本気で農業のこと(農協:JAは悪の組織なのか?)
やっぱり本気で農業のこと(PL480 通称,残飯処理法)

もっと前の記事はこちら↓

でも,実は今回の件で完全に「日本」は万事休すです.
はっきり言えば終了です.
いやマジで.

今までならなんとかなる可能性が僅かでもありましたが,今回の件で完全にダメになってしまいました.
本当に諦めましょう.

今回話題になっている(まだまだ話題になっていないけど)種子法ですが,■主要農作物種子法(日本国)を見るとこうあります.
この法律は、主要農作物の優良な種子の生産及び普及を促進するため、種子の生産についてほ場審査その他の措置を行うことを目的とする。
というものでして,
この法律で「主要農作物」とは、稲、大麦、はだか麦、小麦及び大豆をいう。
文字通り,日本文化と国体を形成する農作物の種子を管轄するものです.
ではどのような法律なのかと言えば,
この法律で「ほ場審査」とは、都道府県が、種子生産ほ場において栽培中の主要農作物の出穂、穂ぞろい、成熟状況等について審査することをいい、「生産物審査」とは、都道府県が、種子生産ほ場において生産された主要農作物の種子の発芽の良否、不良な種子及び異物の混入状況等について審査することをいう。
というわけで,つまりは都道府県を通じて,日本に出回っている「種子」の良・不良の審査をすることを規定しているんです.

では,この種子法を廃止するとどうなるのかというと,
同法の廃止は国民の基礎的食料である米、麦、大豆の種子を国が守るという政策を放棄するもので、種子の供給不安、外資系企業の参入による種子の支配などの懸念(日本農業新聞2017.3.30
というものです.

なかでも「外資系企業(モンサント社,デュポン社など)の参入による種子の支配」については,それこそ,4年以上前から農業に危機感を持っていた人々の界隈では「このままだと,あのバカならやりかねない」と言われていた最悪のシナリオです.
で,最悪になったんです.

では今後どうなるのかというと,最も可能性の高い流れは,「アメリカ・モンサント社製種子および,パッケージ商品である除草剤『ラウンドアップ』」が導入されるというもの.

モンサントの種子とは,いわゆる「遺伝子組換え作物」で,高い生産性を持っています.
しかし,この種子は1回限りしか生産できないようデザインされており,普通の種子のように生産物から再利用することができません.つまり,次の年にもモンサント社から種子を購入しなければならないのです.

さらに,その生産のためにはパッケージ商品である除草剤『ラウンドアップ』を使用せねばならず,しかも,一度でもモンサント種子を利用したら最後,その土壌ではモンサント種子しか耕作できなくなってしまうという「悪魔の種」として有名なのです.
まるで覚醒剤や麻薬みたいですね.

もっと厄介なのが,モンサント製の作物の花粉が飛び回ることで周囲の土壌に影響を及ぼし,その上,除草剤『ラウンドアップ』はモンサント製の作物は枯らしませんが,それ以外の植物はきれいサッパリ「除草」してしまうという代物.
つまり,日本のような農地では「一部だけでモンサント種子を使う」ということができないんです.一部の農家が使い始めたら,徐々に全国で使わなければならなくなるという未来が待っています.
より簡単に言ってしまえば,今後,日本で現在食べられている農作物が作れなくなるんです.

恐ろしいまでの利益回収能力を持ったパッケージ商品で,それゆえ,モンサントから種子が購入できなくなった農家の自殺が世界中で発生しています.
参考サイト:巷で話題のモンサント社についてまとめてみた

ようするに,今回の「種子法廃止」によって発生するのは,日本が持っている農作物の種子をアメリカ製の種子に入れ替えて,しかも日本の国土を未来永劫1つの「製品」しか作れない土地にしようというものです.

そもそも,現在の種子法で問題が発生しているわけではありません.
それゆえ,今回の種子法廃止は「モンサントを入れるために改正したとしか考えられない」と評されているくらいです.

例えば,自分のキン◯マを取り替えようとする男っていませんよね.
種子法を廃止することとは,「どのようなキン◯マにするかは自由するべきだ」「より優れたキン◯マをぶら下げるほうが将来のため」だととかなんとか言って,「事実上のキン◯マであれば誰のものでもOKということにしよう」などと言っているようなもです.
他人の「種」の源を自分のものと付け替えるようなことをするのは,人間として,男としてイカれています.国家も一緒.
それをやったのが安倍晋三です.
棒さえあれば玉はどうでもいい,と言っているに等しい.
実際,諸々の政策を見れば,そんな国家を目指しているとしか思えません.

どういう精神状態だったら,「よしっ,種子法を廃止しよう」などと言い出せるのか?
仮に,官僚や有識者に「騙された」んだとして,どんな騙され方をしたら「じゃあ,廃止」と言い出せるのか?
本気で頭の中を心配してあげたほうがいいかもしれません.
マジで御病気なのかもしれませんよ.

もしかすると,アメリカからのもの凄い圧力があるのかもしれません.
でも,種子法を廃止するくらいなら死ぬ気で阻止すべきです.
例えば,談話中にトランプと刺し違えるとか.それくらいの話です.

とは言え,最近知ったのですが,この首相,「日本のために死ぬ」ことは考えていないんだそうです.
安倍首相が「国のために死ねるか」の質問に「△」と答えた事が判明! それで国民には命を捨てさせるのか(リテラ)
なるほど,この政権がここまで売国政策をする理由が分かりました.
安全保障にかこつけて,自衛隊も「駒」のように扱ってきたし.

やっぱり,徹頭徹尾,保身なのですね.


代わりはいなくていいから,替わってくれ

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2017年5月18日木曜日

井戸端スポーツ会議 part46「禁煙とオリンピックとウンコの話」

東京オリンピックに向けて「禁煙」の話が喧しくなっています.
本件については,いろいろな人がいろいろな意見を述べているので,私もひとつコメントしておこうと思いました.
オリンピックというスポーツの話題でもあるので.

まずはニュースを確認.
東京五輪は原則、全面禁煙 分煙論外 初の制度案(毎日新聞)
2020年の東京五輪・パラリンピックに向けて、厚生労働省がたばこの全面禁煙を原則とする初の制度案をまとめた。たばこを吸わない人が喫煙者の煙にさらされる受動喫煙を防ぐため、近年の五輪開催都市はすべて罰則付きの対策を講じており、原則禁煙は世界標準。日本の緩い「分煙」は許されそうにない。(毎日新聞2016.12.9)
でも,最近はこんな感じになってきました.
「たばこのない五輪」に黄信号-全面禁煙なしに2020年迎える可能性も(ブルームバーグ)
自民党のたばこ議員連盟は、分煙を掲げた対案の基本理念として、受動喫煙を避けたい人の権利を侵害してはいけないが、合法な嗜好(しこう)品であるたばこ喫煙者を社会的悪者として排除することはあってはならないと主張。議連の野田毅会長はホームページで「吸わない人の権利とともに、吸う人の権利も考えて、禁煙より分煙、目指せ分煙先進国になれるよう議連で考えていく」と述べている。(ブルームバーグ2017.4.25)
1964年の東京オリンピックでも,日本に世界基準のマナーとエチケットを浸透させようという動きがあったことはご案内の通りです.
そもそもこの「近代オリンピック」には,そういう「グローバリズム」の役割があるとあると言っても過言ではありません.もちろん,良くも悪くもですが.
もっと言えば,元来,スポーツという文化にはグローバリズムの機能が内包されています.
昔にそんな記事を書いたことがあります.
井戸端スポーツ会議 part 5「スポーツはグローバリズム」

結論から申しますと,私としては行き過ぎた「禁煙」圧力には反対ですが,だからといって喫煙を野放しにすることは現代文明としていかがなものか,と考えています.
ここはひとつ喫煙者には人間としての在り方を見つめてもらいたい.そんなところです.

喫煙者がどのような経緯でタバコを吸い始めたのか,それについては脇に置きましょう.
確認しておきたいことは,喫煙者は容易にはタバコをやめられないということです.つまり,喫煙者にとってタバコを吸うことは生理的欲求と言えるわけです.
そんな生理的欲求を抑えることは難しいでしょう.心中お察しします.

自動車の排気ガスやハウスダストなどには寛容なのに,どうしてタバコに対してはヒステリックに反応するのか?
という不満が喫煙者にあることも認めます.たしかにそうですね.

しかしこの「タバコ」.やっぱり不衛生ですし,臭いですし,汚らしい.
「タバコによって健康を害するというのはウソ」という話もありますが,あれも結局は程度の問題で,タバコの煙の吸入が人体にとって「不健康」な方向を向いているものであることに変わりはありません.
タバコとは,「周囲の人の健康を害する」ということ以上に,「吸い方」に歯止めをかけねばならない理由があるのです.

そういう意味では,タバコと同様のことが「ウンコ(排便)」や「オシッコ(排尿)」と言えます.
どちらも「する」のを我慢できません.
喫煙をウンコやオシッコと同じものと考えたら,今後どのようにすればいいのか分かりやすくなります.

タバコを吸うことについて私は問題視しません.
それは,ウンコやオシッコをしたいという人を咎めるつもりがないことと一緒です.
我慢できないというのであれば,すればいい.

でも,今時ウンコはトイレでするもので,人前でするものではありません.
同様に,タバコも喫煙所でするもので,人前では吸わないようにしましょう,という理解をしてくれたらいいのです.

「誰がなんと言おうと,俺は堂々とタバコを吸うぞ」
という主張をする人を叩くつもりはありません.
そんな人が少しくらいいたっていい.

人間も,かつてはウンコを人前でしていました.
考えてみれば,ウンコは別に他人に生命を脅かすような迷惑をかけるわけでもないし,するのは人の勝手とも言える.
でも,文明や文化が高まってくることで,衛生,臭い,エチケットといった観点から「ウンコはトイレでするもの」という文化が定着します.
もちろん,「ウンコは人前ではしない」は国際的に自明のことではありません.トイレが整備されていない国もあるし,人前でウンコをする国だってまだまだある.

タバコはウンコみたいなものです.
本人は気持ちよくなっていますが,周囲の人には不快感を与えます.
危害を与えているとは言えないにしても,「害悪」であることに違いはありません.

「ウンコする権利も認めてほしい」
お気持ちは十分に受け取れますが,だからといって好き放題していいことにはなりません.
なんせ臭いし,汚いし.その上みっともない.
中には「目の前でされると殺意が湧く」と言い出す人がいることも分かっていただきたいものです.

昔は街中でもウンコやオシッコをする人がいました.今でもたまにいます.
けれど,それを迷惑に思う人がたくさん出てきたので,エチケットとして,そして法律として「人前でしない」「公共の場でしない」ということが定着したのです.

そう言えば,ちょっと前のオリンピック・北京大会では,国際的なマナーを周知するために「路上でウンコをしないこと」が国民に啓蒙されたそうです.
以前,私も上海に行ったことがありますが,上海でもそんな立て看板を見たことがあります.過去のフォルダを探したんですけど,残念ながら写真が見つかりませんでした.
禁止したい行為はルールを作って啓蒙しないと抑制できません.
路上ウンコも禁煙も同じと考えるべきです.
東京大会では,人前でのウンコは当然のこととして,人前での喫煙も禁止することを目指す方がいいと思います.

他にも,マンションのベランダでタバコを吸って,これが近隣とのトラブルになることがあります.
ウンコも一緒でしょう.
リビングでウンコしたら家族に怒られるからって,ベランダでウンコしたら隣人に怒られるのは当たり前です.

じゃあ,ってことで,ウンコと同様,トイレで吸えばいいと思ったら,家族から「トイレに臭いが染みつく」と怒られる,ということも聞きますね.
この時点で,タバコがウンコ以上に臭いということを認識するべきです.

歩きタバコは,歩きながらウンコしているようなもの.
喫煙者はもとより,非喫煙者にも自覚が薄いことですが,「歩きタバコ」が非喫煙者から嫌われている本当の理由は,「煙い」「臭い」「危ない」ということ以上に,そのみっともなさに対する怒りを買っているからです.
快楽抑制のネジが外れた,ぶっ壊れ状態.
歩きタバコには,歩きウンコと似た理性の崩壊が観察されます.

野糞も立ちションも,タバコのポイ捨てにしても,どうせ土に返るんだからいいじゃないか.自然のものを自然に返しているんだ.
それはウンコもタバコも一緒ですが,今は同じように扱えないということは理解してもらうしかない.

「他人の臭いや振る舞いを,気にしすぎるのもいかがなものか」という話があるのも分かります.
でも,臭いものは臭い.
タバコやウンコの臭いを漂わせることは,とりあえず避ける方針が望ましいのではないでしょうか.

「実際のところ,不潔でも健康を損なうわけでもない.それに俺は自分のだけでなく,他人のも食べたり飲んだりすることだってできる.焼き鳥屋の匂いだって不快だろ?」
などと言い出したところで,それは完全に個人の嗜好の問題です.
個人の嗜好を周囲に求めるのにも限界があります.