2017年6月25日日曜日

大学体育実技の鍵は「女子」

高校でもそうなのかもしれませんが,大学における「体育実技」がより良い学びの場となるか否かの鍵をにぎっているのは女子学生です.
言い換えれば,女子学生をどのように導くかが,その授業の質を決めると言っても過言ではありません.
いえ,むしろこれは体育とか授業とかに限らず,社会全体にも言えるのかもしれないのです.

大学の体育実技系の授業は,たいてい男女混合クラス,しかも履修条件は自由ですので「男女比」といったバランスは考慮されることはありません.
私はこれまで,本務校と非常勤を合わせて7つの大学で「体育」「スポーツ実技」の授業をやってきましたが,いずれもそんな感じです.
そして,これらの経験から言えるのは,ある性質をもった女子学生にきちんと対処しなければ,そこでの授業は「体育」としての価値が危うくなるということです.

この話をするには,まず私にとっての「大学体育の意義」が大事になります.
詳細は過去記事に譲りますが,要点をまとめれば以下の通り.
(1)バカはまともにスポーツに取り組めません.故にスポーツを学ぶ必要があります.しかし,これは運動能力や競技スキルが高いこととは関係ありません.
(2)きちんと「スポーツできる」ようにするのが体育の意義です.しかし,これは「スポーツが上手くなる」のとは違います.
(3)「スポーツできる」ようになってこそ,ヒトは人間になれます.スポーツできることが人間の条件です.
(4)自身がスポーツを楽しむためには,まず周囲の者達が楽しめる状況になければなりません.これは仕事も人生も近所付き合いも一緒です.それに気づかせることが体育の授業を受けさせる目的です.

その過去記事
大学における体育授業の意義
大学における体育授業の意義2
大学における体育授業の意義3 危ない大学こそ体育が大事

口で言うのは簡単ですし,「言われなくても分かってるよ」という人もいましょうが,実際にこれをやれる人は少ないのです.
口では良いこと言ってても,実際の行動が伴わない人は多いですよね.スポーツや体育の場面では,そういう状況が頻繁に現れます.
体育,すなわち「身体教育」とは,そういう領域を扱う教育なのです.

私の大学生に対する授業展開は,出来る限り「ウォームアップ」や「練習」や「ゲーム進行」などを学生に決めさせます.
もちろん不適切なものがあれば,それとなく誘導するようにします.より効果的な練習方法があれば教えます.危険性のあることをやりそうになったら止めます.安全管理上のこともありますので.そのために「指導者」である私がいるのでしょうし.
最終的には,私が何もしなくてもチャイムが鳴ったら皆でアップを始めて,ゲームをして,「今日も楽しかったねぇ」とか言いながらダウンをしてロッカールームに帰るという状況ができるのが理想です.

そうした状況になるためには,学生たち各々が「このクラスにとって,私の存在とは何か」を問う必要があります.自身の立場を知り,そこで成すべきことを考えなければ,体育の授業は単なる暇潰しの時間になります.

このような中にあって,それを最も阻害するのが,上述した「ある特性をもった女子」です.どんなクラスにも,必ず1〜2名はいます.働きアリの法則みたいなもので,ゼロになることはありません.
働きアリの法則(wikipedia)
たいてい,ぶりっ子です.そして,一定水準以上のルックスを有している.
その上で,
「私ぃ,スポーツは好きなんだけどぉ,そんなにガンバって運動できなぁい.(*ノω・*)テヘ」
みたいな態度を終始とっています.
実際,皆がアップや練習をしているのに,その学生は女友達の誰か一人引き連れてキャピキャピ遊びはじめて浮いています.否,これはワザとです.甘えて構って欲しがっているのです.

結局,そのクラスの女子集団から嫌われます.表面的にはニコニコ接していても,顔を合わせていないところでの睨まれ方が半端ないことになっています.おぉ~コワ.

問題なのは,その女子に群がる男子がいることです.
バカっぽいので,故にチャラい男子が好んで寄ってきます.美人だったら更に強力です.
特に,私の授業では「協力してゲームを楽しめるようになること」を課題としていますから,「どうしたのぉ? 僕が練習相手になってあげようか?」といった感じでちょっかいを出す.そこだけバブル期の渋谷ハチ公前になっています.

試合中も「出来なぁい(*ノω・*)テヘ,」というオーラを全開にして,これにまたチャラい男子が「配慮している」ふりをしてベタベタする.
そして,これが余計にその他の女子の機嫌を悪くする,という負のサイクル.

さらに,そういう状態に大人しい男子が嫌悪感を抱いて「我関せず」になっていき,リーダー格の学生も見放してしまう.
こうした状態が一定水準を超えると,取り返しのつかない状況を作り出します.

このような女子学生は私が学生の頃にもいましたが,取り返しのつかない状況になる前に,たいてい潰されていました.
これは悪い意味ではなくて,「お前,ちょっと勘違いしてねぇか」ということを本人に直接言わないにしても,そういうプレッシャーをかけます.その女の相手をしているチャラい男子にも「あぁいう女子に構うなよ」といったことを,授業後のロッカールームで皆して笑い話にしながら喋るものです.
なぜなら,それによって来週からの授業が有意義なものになるであろうことが期待できるからです.

なお,こうしたアプローチが得意なのは「スポーツ系部活動」の経験が豊富な学生です.
「バカをおだてたり,放置すると碌なことがない」というのは,部活動経験がある人には直感的に分かります.
もちろんこの思考パターンはマイナスに作用することもありますが,就活や仕事等でスポーツ系部活動の経験がある人が一目置かれるのは,こうした隠れた背景があることも考えられます.

しかし,このような「自浄作用」とも言えるクラス内における学生間のコミュニケーションが機能しない,もしくは非常に弱いと,授業内の雰囲気はどんどん悪くなっていきます.

そして最後には,学生に「私はこの授業に出席することで,単位をとるんだ」という意識を強固にさせてしまい,「だから,とにかく出席だけはしておいて,皆と普通にスポーツをしている姿を教員に見せておけばいいんだ」という気持ちにさせます.普通の講義系授業と一緒ですね.
なんだか,この国の政治経済と似通ったところがあるようにも感じますが,ともかく,これでは体育実技を受けてもらう意義が薄れます.

「薄れる」と評するのは,「人間の集団がこういう状態になると,それは楽しくない,有意義ではないんだな」ということを逆説的に学んでいる学生も僅かながらいるであろうからです.
なので,それはそれで意義があるとも言える.
ですが,できることなら成功体験を感じてもらいたいものです.

私のようなやり方をしていなくても,この手の女子はどんな体育実技の授業でも問題になります.
ですが,それを教員から「君! ヘラヘラしてないで,ちゃんと授業を受けろ」と言ってしまってはダメだと思うんです.まして,大学においては尚の事.
これではそのクラスの学生たちのためにはなりません.自分たちでこのバカ女をコントロールすることが大事なのです.

冒頭,この女子学生は「働きアリの法則」のように存在するものだと述べました.言い換えれば,現代の女子学生とは,周囲にキャピキャピぶりっ子がいなければ,自然とその役割を当該集団内において自身が担おうとするのではないか,とも考えられます.
しかし,このキャピキャピぶりっ子が周囲にもたらす悪影響は計り知れません.
ですから,キャピキャピぶりっ子は意識的に抑制させる必要があります.
体育実技とはまさに,隙あらばキャピキャピぶりっ子になろうとする女子学生を,適切にコントロールする方略を訓練していると言っていい.
キャピキャピぶりっ子がダメだと言っているのではありません.女子にキャピキャピぶりっ子を演じられると「スポーツ」が成り立たないから,ここではそういう態度を是正してもらおうという,関わり方をトレーニングしているのです.

とは言うものの,先にも示したように,そこに居合わせた学生だけではコントロールできないこともあります.
そんな時は,こちらから「こうしてみろ」「あぁしてみろ」と指示を出すしかありません.
教員に協力的な,まじめでイケメンな男子学生がいるクラスは簡単です.当該女子はホイホイとキャピキャピぶりっ子をやめてくれます.
一番しんどいのは女子だけのクラスです.協力者の選定やタイミングを間違えると,もの凄いことになります.
いずれにせよ,「悪性のキャピキャピぶりっ子」をクラスをあげて抑制させることができた経験は,学生たちにとって重要な学びになるでしょう.

たまに,こういう女子が最初から1人もいないクラスがあるんです.
そういうクラスは,例外なく良いクラスです.こちらも全然苦労しません.


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