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体育学的映画論「レディ・プレイヤー1」

うわ! やっちまった映画だろコレ!
って思ったんですが,意外とヒットしている次第です.

なので,ヒットしてる割には感想・レビューが悪いのでは?
って思ったんですけど,これまた意外と好評価みたいですね.

前回の「ペンタゴン・ペーパーズ」に引き続き,スティーヴン・スピルバーグ監督作品の「レディ・プレイヤー1」です.
レディ・プレイヤー1(wikipedia)
スピルバーグは仕事早いですね.脱帽します.

ただ,この「レディ・プレイヤー1」の出来は良くありません.
私と同じ感想を持ってるネットの「低評価レビュワー」はいるのかな?って思って探してみたんですけど,ザッと眺めた限りでは見つからなかったのでココに書きたいと思います.

低評価しているレビュワーの多くが,「話の流れが分からない」「オタク向けで私には合わなかった」「出演キャラに魅力がない」といったもののようですが,私の感想は「SF映画作品として,解釈できるテーマが余りにも薄っぺら過ぎだろう」といったところ.「ペンタゴン・ペーパーズ」と同じ監督の作品とは思えません.

「やっぱ,現実での人間関係が大事だし,現実ではお金持ちになったら権力を行使できるんだよね」
っていう,旧世代のサクセス・パターンが展開されていて,いかにも俗物なオッサンやオバサンたちが喜びそうな道徳的で下衆な映画になっております.

途中で眠くなったこと数回.
そしてクライマックスまで我慢したけど,その終わり方が酷くて退席したくなるも,両サイドに観客が並んでて出るに出れず.まあ,エンドクレジットになって無理やり出たけど.

映像が派手なので,それを見に行くくらいでしょうか.3Dとかでもやってるようなので,きっとそっちがオススメ.
時間つぶしに,コーラ飲んでポップコーン食べながら,トイレに立つのも気にせずのんびり見るタイプの映画です.

では・・,
【以下,ネタバレを含みつつ書いていきます】
ネタバレが気になる人は,映画を観てから読んで下さい.


80年代以降の映画やポップカルチャー,サブカルチャーへのオマージュが満載で,そうした「オマージュの渦」に巻き込まれたいオタクな人にとっては楽しい時間になると思います.
でも,私はそういう「ウォーリーを探せ」みたいなところに喜びを見出すタイプではないので,どうしても低評価になってしまうんです.

他にも,クライマックスでは日本のサブカルチャーであるメカゴジラとガンダムが登場し,両者が戦うシーンがあることが話題ですが,私は全然ワクワクしませんでした.
別に思い入れもないし,唐突だし,シーンとしての出来栄えもそんなに良くない.
どうしてここでこの両者なの?って疑問に思い,その疑問も疑問のまま.

SF映画としては,「VR方式のゲームが発展した末に,学校や仕事,ショッピングやカフェの時間といったことも仮想現実の中で済ませられる時代になった」ということを,もっと強調してほしかった.

なぜかって?
だって,この映画のストーリーだと,わざわざ仮想現実を舞台にする必要がないからです.
どっかの巨大複合企業の社長さんが死んだところ,遺言でその会社の経営権を「謎解き」できた人に譲るってことになって,その莫大な資産を目指して民間人やブラック企業が奪い合う.結果として,悪そうなブラック企業ではなく,無垢な少年少女たちが莫大な資産を手に入れましたとさ.
という「グーニーズ」タイプの物語.
眠たいでしょ?

せっかくVRゲームと仮想現実に浸った人間社会を題材にするのですから,以下の2点を深掘りしてほしかった.

1)主人公の男女のルックスや正体
VRゲームですから,ユーザーはゲーム内ではアバター(仮の姿)を使って自分の姿格好を表示させています.
途中,「オフライン(現実)で直接会ってみたい」という話になるのですが,そこで「アバターとは全く違う顔や体だったらどうする?」「若い女だと思っていたら,実は中年の男かも」という話題が出てくるんです.
ところが,どのキャラも想定通りなんですよ.
せめて主演の男か女のどちらかが,物凄いブサイクだったら物語に深みが出たというものです.

だってこの映画,現実でもアバターでもイケメンと美女の組み合わせで,結局,大金をせしめてラブラブのハッピーエンドという都合のいい話なのです.
そんなベタな展開,それこそ80年代の映画で腐るほど観てきました.

お互いの顔や正体が分からない中で,どのように信頼関係を築けるか.
「現実のルックスや正体」とは異なる,VRを舞台とした人間模様を描ける余地はあったと思うんです.
・・って考えながらウィキペディアを漁っていたら.
なんと! 本作の原作小説である「ゲームウォーズ」では,主人公の男女は肥満のブサイクという設定のようです.
ゲームウォーズ(wikipedia)
ほれみろ! こっちのほうが断然テーマとして深かったはず.
そのために仮想現実を舞台にしているはずなんだから.

2)仮想現実の可能性
VRゲームで教育や就職もできちゃうという時代背景は面白いので,もっとこの点を掘り下げてほしかったですね.
前述した,「お互いの顔や正体が分からない中で,どのように信頼関係を築けるか」ということと関連するテーマです.

実際,主人公の男女が肥満のブサイクだったというのが原作ですが,であるならば,これだけ仮想現実が人間社会へ密接に入り込んでいるわけですから,「仮想現実の中だけで築く恋愛や友人の可能性」を模索しても良かったのではないでしょうか.
もちろん,それでもやっぱり現実の姿を愛することが大事という結論にしたっていい.でも,私としては「仮想現実における人間関係の可能性」を模索してほしかった.

実のところ,スピルバーグ監督としては「仮想現実の可能性」は断ちたかったものと考えられます.
それは本作のラストシーンが物語っています.
経営権を手に入れた主人公の男女は,イチャつきながら「VRゲーム『オアシス』を,週に何日間かはログイン不可に設定した.なぜなら,みんなも僕たちみたいに現実の人間関係を大事にしてほしいからさ」とリア充満載のコメントを吐き捨てて,エンディングを迎えます.
全然おもしろくない.

こいつらは美男美女のカップルです.しかも莫大な資産を手に入れた超セレブ.そんな2人がオフィスチェアで抱き合って乳繰り合いながら「現実の世界を大事にしろ」と訴えるのは,もはや犯罪行為ではないか.
だってコイツらは,これからはもう仮想現実に入らなくても裕福で気楽な生活を謳歌できる身分になったからです.

仮想現実のなかで生きていたい人達もいるだろう.
仮想現実のなかでなら輝く人達もいるだろう.
この世に化粧やエステ,美容整形がなくならないのは,そうした身体的な「美」に対するコンプレックスや絶望感を持っている人が必ずいるからです.
ところが,そんな人々の仮想現実に託す希望と夢を,主人公の2人は「ログイン不可」という措置を講じることで打ち砕いてエンディング.

すなわち,現実であっても仮想現実であっても,人は「自分にとって都合のいい世界」を押し付けたがるものだという話になっている.
主人公の男女は,自分たちが「現実」の世界で恵まれたのを良いことに,ルックスや才能,経済的ステータスに恵まれていない人達が拠り所としている「仮想現実」を取り去って満足しているわけです.

いえ,別にそれでもいいんですけど.
であれば,SF映画としては,仮想現実のなかで生きていくよりも大事なものを提示すべきだし,仮想現実のなかで生きることの危険性や絶望を描くべきでした.
でも,そんなものは本作では一切出てきません.
(「旨い食い物は現実でしか味わえない」という気の利いたメッセージもありましたけど,実際はこれこそ仮想現実でなんとでもなります)

「仮想現実に閉じ籠もるって,なんだかイケてないよね」っていう偏見からスタートしたストーリーのような気がしてならないのが残念です.