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田舎暮らしへの失望に失望

昨日,こんなニュースを見ました.
昨日に限らず,この手のニュースはしょっちゅう目にします.
田舎育ちの都会生活中の私ですから,この手のニュースには感慨深いのでコメントしておこうと思いました.
以下,お暇だったら読んでください.

恐怖の実話!悪夢と化した「夢の田舎暮らし」(Yahoo!ニュース 2018.7.7)
子どもが産まれたら、人も土地も開放的なところで育てたい──。
東京生まれの東京育ちだった石沢友美さん(仮名)は、子どもを身籠もったと同時に、東京・吉祥寺から山梨県峡北地域のある集落に移住を決めた。3年前、32歳のことだった。
(中略)
だが住み始めてほどなく、最初の“事件”に直面する。ゴミが出せないのだ。
移住に当たっては役所の窓口にも何度か足を運び、生活の仕方などをいろいろと聞いたつもりだった。だが、ゴミが出せない、というのはまさかの展開だった。
「高さは人の背丈ほどもあって、幅はそれこそプレハブ小屋並みの長さの立派なゴミ集積所があるのは知っていたんです。市の有料のゴミ袋を買ってそこに出せばいいものと、頭から考えてしまっていて……」
移住して間もなく、ゴミ出しに出向いたとき、目の合った人から「あんた、名前は?」と訊かれ、丁重にあいさつを返した。
するとほどなく、自宅に地元集落の役員だという初老の男性が現れたのだ。
「あれ(ゴミ集積所)は組(集落)のもんだから、組に入っておらんもんはあそこには出せん」
友美さんはこう応じた。
「では、ちゃんと会費をお支払いして組に参加させていただけませんか」
だが、組長(町内会長)と相談してきたという男性が再び自宅を訪れ、こう告げた。
「悪いけんど、組長がうちの組にはよそから来たもんは入れんっちゅうとるから」
「じゃあ、ゴミを出せないの?  そんなバカなことって……」
バカはお前だ.と言いたい.
都会だって,ゴミ集積所は指定の場所にしか出せないでしょう?
お金を払ったからって,誰でも捨てられるゴミ捨場なんて怪しい要求が成り立つわけがない.都市部でもゴミの集積・処分問題は深刻な課題だというのに.
それと一緒だということが分からないのですね.
(こういう「社会的課題」に対する無頓着が「都会VS田舎」問題の本質にあるのですが,それは後述します)

生粋の田舎育ちである私には,そこに書かれている内容が手に取るようイメージできます.どういう「ゴミ集積所」なのかも明瞭に察しがつく.
鮮明にイメージできるからこそ,この「石沢友美さん(仮名)」のやっていることがどれだけ非常識なのかも分かります.
まあ,都会育ちの人たちの多くにはチンプンカンプンなのでしょうけど.

上記記事のリンク先に行って読んでもらうといいのですが,他の事でもあたかも「田舎の慣習に振り回されて困っている」ような書きぶりになっていますが,それってのは,人と人とが作り出す「社会」を構成・運営していく上で当然のことを要求されているだけのこと.
都会ではそれらが公営サービスとしてオートマチック化されていて,この都会育ちの人間たちには見えていなかった,それだけのことです.

細かいこと抜きにして,結論から言いますよ.
結局のところ,移住してきた都会育ちの人が田舎の人に嫌われるパターンとは,自分自身がその社会を構成する一部になろうとせず,なんでも「金」で解決しようとするからです.
言い換えるならば,それまでその地域の人々が長い年月をかけて培ってきた「関係性」によるバランスを,金銭という虚構の価値によってイコライズできると考えている.
そのくせ,「田舎は排他的」だとか言い出す.
本当に排他的なのは自分自身であることに気づきもしない.
社会的サービスを享受するためには,その地域社会への貢献が必要なのに,その貢献を金銭的なもので済ませられると考えているんです.
(これは「ふるさと納税」がうまくいかない理由の一端ではありますが,今回は割愛します)

そのゴミ集積所だって公営のものではなく私的な場所なのだから,普段から管理やメンテナンスをしてくれている人がいるわけです.
つまり,ここはあくまで私有地を使って,その地区の知り合い同士で私的に共有している「ゴミ箱」なんですよ.
さらに言えば,これは記事中には書かれていないので推察するしかないことですけど,そこに捨てられたゴミの中でも,公共のゴミ回収車が持っていかないゴミを処分場に運搬しているのは,その地区の誰かが担当している可能性大ですね.たいてい,大型トラックを持っている若手のオッチャンがやっているものです.私がもし地元・実家で生活していたら,その担当は私だと思います.

ようするに,このゴミ集積所というのは都市部のように回収ルールが決まっているところではなく,ゴミ処分場に自分たちで持っていくために用意しているスペースであると考えられます.
公共サービスが行き届かない地域の場合,そういうスペースがよくあります.
そんなところを,どこの馬の骨とも知らない人に使わせるわけないでしょう.勝手に出してる輩がいたらキレるわ.

さらには「お金を払うからゴミを出させてくれ」って,人を舐めてんでしょうか.
これはちょうど,宅配ボックスが無いマンションで「アマゾンとかの荷物を受け取りたいけどいつも部屋にいないから,お金を払うので貴方の部屋で受け取ってくれ」って見知らぬ部屋の住人から言われているようなもの.
それってお金の問題じゃないし,お金もらってもやりたくない.っていうかお前,誰? ってなるでしょ.

都会人が田舎に移り住んできて言う「排他的」とか「古臭い慣習に縛られている」というお定まりの文句は,たいてい,一歩引いて考えてみたら理不尽でぶっ飛んだ文句である可能性が極めて高い.
(ちなみに,田舎の宅配便は,不在の場合には隣の家が受け取ります.宅配業者もそのあたりの事情は知ってる場合が多いですから)

実際,それを匂わすように,上記記事の続きにはこうあります.
地域に住んでいる者が、有料のゴミ袋を購入しながら、ゴミ収集のサービスを受けられない。この状況に異議を唱えた友美さんに、役所の言い分はこうだった。
「集落のゴミ集積所は集落の私有地にある私有財産で、公共財ではないのでどうしようもできません。もし、移住の方が何世帯か集まって新たにゴミ集積所を作ってもらえれば、そこに回収には行きます。新たにゴミ集積所を作るに当たっては補助金も出しています」
「移住者こいこい、と謳う一方で地元でゴミひとつ出せない状況を変えられないのは役所の怠慢、不作為ではないのか。この時代に『あそこの組長は頑固だから……』で行政指導ひとつできない場所が、日本の移住人気ナンバーワンだなんてふざけたことを謳わないで欲しい」
ふざけてんのはどちらでしょうか.
基本的なところに立ち戻りましょう.ゴミは,自分で処分するものです.
いくら都会人であっても,これは子供の頃に教えられたはず.

だから田舎では自動車が必須と言われます.
その足が無いお年寄りは,隣近所の人が対応します.どうしても無理な場合は役所が対応する.
で,その人的資源が足りていないから困っている,っていうのが昨今ニュースなっているわけですね.

さんざん文句つけて,結局この記事の人は別の場所へと移り住んで落ち着きます.
集落で数々の恐怖体験をした末に、友美さんはやはり移住者夫婦の紹介で、わずかな距離にある、移住者が多い別荘地域に転住したのだ。そこには大阪や東京から来て子育て、田舎暮らしを満喫する多くの移住者が集まって住んでいる。
ゴミ出しはもちろん大丈夫だし、なにより「もの申す」などと称して人気の少ない神社の境内や公園に呼び出されることもなく、「厄介者」などという時代錯誤の暗い表現などとも無縁の新天地だ。
最初からそうすれば良かったのです.
公共サービスが行き届くような人口密度があって,伝統文化や慣習がなく,新しく開発している地域の方が移住者にとって心的ストレスが低いことは常識的に考えて分かるはず.
むしろ,どうして最初に伝統集落に住むことを選んだのか?

記事にあるこの人は実在する個人なのかどうか不明ですが,破天荒なキャラクタであることが察せられます.きっと周囲からは「周りの人のこと考えないよね」って言われてるんじゃないかな.
記事を読む限りでも,最初の移住理由が「土地や人が開放的」ということで,展望の良いところを選んでるわけです.そこには「社会」に対する考慮がないんですね.
「土地や人が開放的」っていう理由も,都会での人間関係が嫌になって,田舎であればそれが開放されるとでも考えていたんじゃないか?
つまり,この人にとっては田舎の「土地」も「人」も,自身の生活を満足させるための備品や風景でしかなかったんですよ.

長期の観光旅行みたいなもの.
「ホームステイで現地の生活を満喫する」って勢いよくやってきたものの,やっぱり辛くなったのでホテルで滞在することにしました.ここなら周囲の人たちも皆「観光客」だから気楽だね,って.
それと同じことを言っているわけですから.

もっと言えば,記事中の人が落ち着いたという地域にしたって,あと30年くらいすれば立派な「新規入居者に厳しい田舎の集落」になるであろうことは容易に想像できます.
こういう人間模様を描いた文学作品やSF小説などは山ほどあるのでイメージしやすいでしょう.

もちろんこれは,「空き家バンク」なる制度でこの人にこの家を紹介した役所の責任とも言えます.ちゃんと移住理由を確認しておくべきでした.
超ド田舎育ちの私からすれば,田舎の伝統集落になんの縁も知人もなく移住するなんて自殺行為だと考えます.
こういうところは,都会人でも分かるようにマンションで例えれば「ルームシェアリング」しているようなものです.まして,伝統的な所であれば,新規入居者は「居候」のような立場と思ったほうがいい.っていうか,それくらい想像できなくて人間は務まらんだろ.

人間は古来,土地を拓いてきたし,そのために他者と関係性を結んできました.
生活空間だけがぽっかりと断絶された状態で存在することなどないのです.
しかし,都市部ではそうした「土地」や「人」への意識が極めて希薄になります.
それは,超ド田舎育ちの私が,大学生時代から都市部で生活するようになって身に沁みて感じていることでもあります.
なかなか言語化できないものですけど,自分が社会に対し何も関与しなくても,その生活空間が成り立ってしまう空虚さであり,言い換えれば「気楽さ」です.

そもそも,当たり前ですが田舎の人たちにしたって「新規入居者に厳しくしたい」と思っているわけではありません.
その土地の生活に馴染んでもらって,同じ土地の同居人として助け合って暮らしていきたいと考えています.
だって,「移住者VS田舎人」のトラブルとは,どれも「その地域にとってのトラブル」を回避するために起きていることだからです.

もっと言えば,メディアで「移住者VS田舎人」という構図でのトラブルが取り沙汰されることが多いだけで,もともと田舎ではこうした人間関係のトラブルは発生しており,別に移住してきた人だけを目の敵にしているわけではないんです.
複数の人間が集まって定住するためには,社会を形成する必要があります.そのためには「排他的な人間関係」を築いていては成り立ちません.だから田舎では積極的にコミュニケーションが図られるし,要望や要求がストレートです.
それに対し「田舎は排他的」だと感じている人が多いのは,自分の生活空間や生活パターンを侵されたくないという思いが強すぎる,すなわち,「本当に排他的なのは自分自身」であり,「他者に無頓着で無関心」であることに気づいていないのですよ.

画して,都市部では「排他的な個人」と「他者への無関心」がミックスされて,社会は田舎よりも混沌としてきます.
その例は数多.
小池百合子とか橋下徹みたいな人間がトップに座ったり,そうかと思えば蓮舫とか辻元清美みたいな人間が支持を集める.
これが都市部の怖いところです.あんなキチ○イじみた政治家は田舎では当選できません.

例えば,このブログでも結構取り上げていた「築地市場・豊洲移転問題」なんかが典型です.
騙された? いえ,判断力の問題でしょ
築地市場土壌汚染問題今更何故報道
あんなの,当事者(漁業,小売店)の人たちに判断を任せればいいじゃないか.と田舎の人間は考えますが,なぜかそれがニュースになる.しかも全国ニュースにもなる.

え? それは一つの問題について社会全体で捉えようとしているから,都市部が「排他的」「無関心」ではないことを意味しているのではないか,って?
違いますよ.排他的で無関心だから,あんなバカバカしいことに大騒ぎできるんです.

当事者の方々のことを思えば,こんな話は「市場の皆さんで落とし所をつくってください.私達は美味しいお魚が食べられればOKですので」となる.
より新鮮で安全な魚を扱いたいと考えるのが市場の関係者というものです.それが仕事ですから.だったら,そうした彼らの要望や利益を考えるのが大事でしょう.
ところが,そうした当事者の方々のことなんか考えもせず,「自分自身」に降り掛かってくる可能性があるとなったら,言いたい放題になるのが都市部の政治です.
事情を無視して専門的知識もないのに「安全ではあるが安心ではない」などと言い出したり,そういう煽り立てることが上手い政治家が当選しちゃったりする.
田舎なら「あいつは口先だけで周りの人間のことを考えないから,投票しないように」などと口コミが広がって嫌われます.
それもこれも,田舎において人間関係のトラブルが多いことと,都市部においては他者に無関心で排他的であることの裏返しです.

「田舎を飛び出す」という表現がありますね.
独創的なアイデアを受け入れてくれない,凝り固まった慣習に縛られた田舎を見限る若者を示唆する言葉です.
たしかに,田舎にはそのような部分があることは否めません.
一方,都市部では独創的な人間を受け入れるキャパシティもありますが,そのトレードオフとして「バカが許される」という部分があることも否めません.

都市部では,手に負えないバカがいても警察が逮捕してくれるし,大人しいバカは施設で対応してくれます.
田舎ではそうはいきませんので,皆でバカがのさばらないようお互いを注視しています.
田舎に移住してきた人が言う,「新参者は監視される」というのはそのためです.総人口が圧倒的に少ないのですから,一人のバカが現れるとその地域を破壊することにつながります.

危険なのは,都市部は人口密度が高いから,バカが少々いても埋没することです.
ちょっとバカな奴がいても,それを上回る大バカが近所に住んでたりする.
その大バカも周囲に似たようなバカが(絶対数として)たくさんいるから,「実は俺はたいしたバカではないのかもしれない」などと考え出す.
問題なのは,そうしたバカの自覚がない人間が繁殖していくことで,少しのバカはご愛嬌となっていくことです.
こうして「ただのバカ」だったはずのバカは,「愛嬌のあるバカ」とか「馬鹿にできないバカ」という評価を得て,社会のいたる所に蔓延します.

このような独創的なアイデアを持ったバカが蔓延した社会では,
安全な魚市場を安心ではないと煽ったり,
自国民にカジノをやらせようとしたり,
18歳のガキに媚を売ったり,
TPPに加入して自国の農業を破壊しようとしたり,
謎の伝統エチケットを流布したり,
電車に整列乗車したり,
ラーメン屋に行列をつくったり,
安倍晋三を国のトップに据えたままにします.

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もうちょっと本気で農業のこと(農家が農業をしないわけ)
恐怖!TOKYO GOOD MUSEUMとかいう謎のプロジェクト
整列乗車はマナーではない
じゃあ,どのラーメンが一番旨いのか?
「じゃあ,代わりは誰かいるのか?」の愚

というわけで,ここまで読んでくれた方は,その上で他の「田舎暮らしに失望した」系統のネット記事も読んでみてください.
その著者たちの,傲慢で無知蒙昧な傍若無人ぶりが手に取るように分かるでしょう.
耐えられない! 田舎は排他的だと実感したエピソード3つ(タイケン団 2017.8.17)
田舎に住みたくない理由8つ(今より少し良い生活 )
田舎が廃れていく理由は田舎者の陰湿さが原因(The Gizmosquito 2017.6.18)
お前バカか? って言いたくなるような理由やエピソードばかりです.