2018年8月30日木曜日

井戸端スポーツ会議 part 56「始まったスポーツ界の内部告発」

ようやくスポーツ界に蔓延るハラスメントが告発されるようになりました.
昨日も,体操競技でそれがありましたね.
宮川、協会からパワハラ受けた 18歳「勇気」の主張(毎日新聞 2018.8.31)
なにか一つの象徴的事件から,一気に火が回る人間社会の典型とも言えるでしょう.
これからこういう話はドンドン増えてくるので,その世界にいる私としても気を引き締めておかねばなりません.

これは「日本大学アメリカンフットボール事件」に端を発した感のある流れですが,それまでにも日本のスポーツ界は『燃焼剤』を溜め込んでいました.
ハラスメントに関する内部告発を促進した直接的な事件といえば,レスリングの伊調馨選手周辺で起きたトラブルでしょう.
その後も,選手がコーチを訴える流れは,同じく日本大学のチアリーディング部のトラブルで促進されました.

もともと,「日本のスポーツ界」が碌でもない環境であることは,日本人皆が薄々感じていたことです.
学校の部活動をはじめとし,プロ野球,Jリーグ,大相撲といった世界を少し覗いたことがある人からすれば,この世界には表向きの顔と裏の顔があること.さしずめ芸能界とかアイドルと似たような世界だということは気が付きます.

マラソンの代表選考がいい加減だったとか,大相撲で暴力事件が起きてもうやむやになるとか,柔道で日常的にセクハラ・強姦が起きていたとか,たくさんの野球選手がやりたい放題してたけど揉み消されていたなどなど.
他にも,結構な数の元有名スポーツ選手が落ちぶれたり,犯罪に手を染めていたというのも定期的に聞く話ですね.

もっと言えば,日本のスポーツ界が(おおむね)碌でもない人間の集まりだからこそ,人々は安心して彼らをヨイショして持ち上げることができていたのです.
サーカスを見るようなものですね.

いえ,これは別にサーカスやスポーツ,芸能界が下賤なものだと差別したいわけではありません.
人間とは,そうやって華々しく映る者の光と影,その盛衰を見て楽しむ文化があるからです.良い悪いの話ではない.
もしスポーツ界が碌でもない人間の集まりじゃなかったら,人々は安心して彼らをヨイショなど出来ません.だって,スポーツ界がまともだったら,それを見ている自分が惨めで仕方ないじゃないですか.
つまり,自分よりも劣っている(と見える)部分がある者達が輝いているからこそ,平時においては余裕を持って彼らを称賛することができる
でなければ,「穀潰し」「生産性がない」「金の無駄」などと激しく罵倒して,そもそもスポーツ活動などできないでしょう.芸能界とかも同じことです.

だから,こうしたスキャンダルやトラブルは,スポーツ界にとって起きてくれなければならないものと言えますし,そこで語られている事とは,その社会がこれから向かうであろう倫理・道徳観の展望であるとも捉えることができるのです.

そういえば最近,『グレイテスト・ショーマン』というサーカスをテーマとした映画がありましたね.
それこそ「サーカス」は障害者や異人種を見世物とするスポーツ・芸能だったわけですけど,むしろこのサーカスが,その社会における障害者理解や地位向上につながる歴史的使命を帯びていたことを物語っています.

こうした論点については今回は割愛しますが,少し触れた過去記事はこちらです↓
井戸端スポーツ会議 part 54「やっぱりスポーツは社会を投影する」
ただ,日本スポーツ界で問題視されてきたこととは,スポーツ界のハラスメント体質と組織防衛体質,そして異職種への転職が難しい状況であり,これはそっくりそのまま日本社会の縮図と言えるわけです.

さて,スポーツ界におけるハラスメントの内部告発が始まったことは,いわゆる「日本らしいスポーツ活動」を展開している指導者や組織からすれば戦々恐々ものです.
特に,競技成績と同時に「教育効果」を謳っている学校スポーツ・クラブ活動などの指導者は,今後は槍玉に挙げられることも多くなることでしょう.

しかし,この意識変化の中にあっては,たくさんの冤罪を生むことも忘れてはなりません.

日大チア部における,学生がコーチを訴える一件をみて,多くの関係者が口を揃えて言ったのは,
「あんなのは全国の学校・大学における競技スポーツ活動で一般的にみられるものであり,これが訴えられるようになったら何百何千件と出てくる」
というもの.

私に言わせれば,理不尽でハラスメントと捉えれられるような指導をしていること自体が問題だと思っているので,こうした「自浄作用」は必要だとは思います.
ですが,もう既に「学生がコーチを訴える」という潮流を嗅ぎつけた人たちはたくさんいて,その対応に右往左往,だけならまだしも,混乱に陥っているところはあるんです.

例えば,これは私の知り合いの大学教員から聞いた話で,しかもまだ決着がついていない話なので詳細は語れないのですが,学生がコーチを訴えることに敏感になった大学運営部が,コーチの指導方法に不満を持つ学生がいないか “能動的” に調査し,トラブルの芽を潰そうとする動きもあるようです.

大学側が能動的に調査する,っていうのは聞こえは良いですが,実はかなり問題を抱えています.
察しの良い方はお分かりかと思いますけど,これは大学側に気に入らない教員やコーチがいたら,それを「学生の声」を使って辞めさせようというもの.
調査用紙に「○○コーチに対する不満を書いて下さい」などとして,かなり強引にネガティブ要素を引き出し,それを理由に失脚させたり,辞職に追い込もうとするのだそうです.
他にもいろいろと問題行為はあるんですけど,まだ言えません.あと3年くらい経ったらお話しますね.

要するに,今は「学生からの訴え」がブームだから,その形で進めれば世論を味方につけることができて,強引な経営手法の隠れ蓑にできる,という寸法です.

今後は「学生がコーチを訴える」ことが増えてくるでしょう.
ですが,その訴えは真摯に受け止め,慎重に判断し,健全に進めていくことを忘れてはなりません.


2018年8月21日火曜日

老兵は死なず

いろいろバタバタしていて,ちょっと時期を逸しましたが「この季節」らしい話題を一つ.
お盆といえば「終戦の日」ですので,先の大戦の話です.
今回,お盆で里帰りしていた際に父から祖父のことで話題になったことがありました.

祖父は10年近く前に亡くなったのですけど,その亡くなる直前,病床に際して父を含む何人かにそれまで話していなかった戦争体験を口にする機会があったそうです.
それが「ノモンハン事件」.

今年の8月15日は,NHKのテレビ番組で「ノモンハン事件」について取り上げていました.
NHKドキュメンタリー「ノモンハン 責任なき戦い」(NHK)
そしたらそこに,私の叔父から父に電話がかかってきて,「親父が派兵されていた所の事をやっている」と言うのです.
父たちにとっては,やっぱり重大な関心事なのですね.

祖父は先の大戦では,陸軍の一兵士として中国大陸と東南アジア地域に派兵されていたそうです.
南方での戦闘については,私も直接祖父から生前にいろいろと聞かされていました.
戦車を潰すことにかけては自信があったそうで,これについては以前このブログで記事にしたこともあります.
しかし,北方であるノモンハンの話は初めて.

実際,父たちも祖父がノモンハンに派兵されていたことは,ずっと聞かされておらず,亡くなる直前にようやく聞かされたとのこと.
私も今回,初めて父からこの話をきかされました.

ノモンハン事件というのは,満州国とモンゴルの国境線をめぐって起きた,日本とソビエト連邦による軍事衝突です.
ノモンハン事件(wikipedia)
そして,日本軍が惨敗し,「北進」を諦めて「南進」へと舵を切り,太平洋戦争へとつながるきっかけとなった重要な出来事でもあります.

その戦場の真っ只中にいたのが祖父でした.
祖父がずっとノモンハンの話をしなかったのは,日本軍の戦い方があまりにも杜撰で,地獄としか言えない戦場だったからだそうです.
「とにかく無謀な戦いだった」というのが祖父の評価であり,ここでの戦いは自分の家族に話せるものではないとして,ずっと控えていたとのこと.

ノモンハン事件については,特にウヨク系の人たちから「実は,損害は日本軍よりもソ連軍の方が大きかった」という解釈があります.
実際,ウィキペディアにも両軍の死者数について,
日本軍=7696名
ソ連軍=9703名
とあります.

しかし,戦争は相手をできるだけ多く殺傷することが目的で行われるものではありません.
今回の場合であれば,国境を維持拡大することにあります.
それが達成できなければ,どれだけ被害が少なくても敗戦なのです.

そして何より,日本軍がこの戦いで「惨敗した」と評価されているのは,兵士の命を無駄に失ったことにあります.
日本軍の人命軽視という特徴は,既にここから始まっていました.

現場の兵士としては,確実に負ける戦闘に駆り出される状態でした.
全滅するか,奇跡的に助かることを願って突撃するような戦い方をして,それでいて戦略的には負ける戦闘行為を続けさせられる.
これで「相手より死傷者数が少なかった」と言うのは慰めになどなりません.

日本軍としては,この戦いは「国境を維持する」ことが目的だったはずです.
そのためにソ連軍を威嚇できれば良いはずだったのに,なぜか消耗戦に突入しています.
その上,負けが確定的になってもなお,玉砕覚悟の徹底抗戦を選ぶという始末.
これが「無謀だった」と言わずしてなんというのでしょう.

上述したテレビ番組でもテーマになっていましたが,結局のところ「責任なき戦い」だったわけです.
ウィキペディアの「ノモンハン事件」の開戦に至るまでの解説文がそれを象徴しています.
この辻を中心とした関東軍参謀らによる関東軍の作戦計画は21日に参謀本部に伝えられ、陸軍省も交えて大論争となっていた。陸軍省の軍事課長岩畔豪雄大佐や西浦進中佐らは「事態が拡大した際、その収拾のための確固たる成算も実力もないのに、たいして意味もない紛争に大兵力を投じ、貴重な犠牲を生ぜしめる如き用兵には同意しがたい」と強硬に反対していたが、結局は板垣征四郎陸軍大臣の「一個師団ぐらい、いちいち、やかましく言わないで、現地に任せたらいいではないか」の鶴の一声で関東軍の作戦計画は認められた。
つまり,(暴走したことで有名な)関東軍を統括する参謀本部が,作戦に反対しながらも「関東軍に任せる」と突っぱねた形で認めているのです.
その結果,参謀本部としては「私達は反対した」と言うし,関東軍としては「許可してもらった」と言い出すことになります.
実際,戦後は喧嘩両成敗的に参謀本部と関東軍の両者が処分を受けていますが,こういう事態になることそれ自体が,軍事組織として極めて危険な状態です.

ちょっとソ連を脅かしてやりたくて,つい手を出してしまったら,思わぬ猛反撃を食らってビビってしまった.
でも,ビビってると思われたくないし,まともな戦略がないまま手を出しちゃいましたなどと釈明したくないから,とりあえず攻撃は続ける.無情にも損害は増えるけど,ここで引いたら失敗だったことを認めることになるから,なんとなく続けとく.というのが実情だったのではないでしょうか.
言い換えれば,意地を張るための戦い.
とてもじゃないですが,日本は近代的な戦争ができるような民度ではなかったのでしょう.
父が言うには,祖父曰く「戦国大名気取りで軍隊を動かしていた」.

命令系統はコネや人付き合いでメチャクチャになるし,戦争目的は「相手に勝つ」などとクラブ活動のスローガンの如き曖昧なもので押し通せるほど杜撰.
どうやって戦争したらいいのか,あまり考えずにやっていたことは事実のようです.

祖父は,ほぼ全滅状態の日本軍における奇跡的な生き残り兵ということになります.
このノモンハンでの戦闘では,脇腹を2発の銃弾が掠めて,それが歳をとってもずっと残っていたそうです.
上述したように,損害は日本軍よりソ連軍の方が多いわけですけど,これは日本軍が全滅覚悟で徹底抗戦したらからであって,人命を尊重した戦法をとっていれば,日ソ両軍とも損害はもっと小さくなったはず.
絶望的だったのは,銃だけ持って戦車部隊に突撃をかけさせられた事だと話していたそうですよ.だって,何もできないですもんね.ここで死を覚悟したとのこと.

その後,祖父は南方の作戦に就くことになりますが,ここではそれなりに戦果を上げた戦闘に参加してます.
おそらく,ノモンハンでの「銃だけ持って戦車に突撃」への反動からでしょうか,祖父はそこで「戦車狩り」に勤しむことになります.
その話は過去記事の■即席対戦車爆弾をどうぞ.

けど,それでも戦況は悪化してゆき,この南方も激戦地になりますが,最終的にはそこでも生き残って戻ってきます.
祖父が生きていた頃も話題になっていましたが,たくさん戦死したところの生き残りだったことから,強運の持ち主だと言われたそうですけど,祖父としては生き残ったことが逆に罪悪感になったそうです.
周りには,戦地から息子が帰ってこなかった家がたくさんあったわけですからね.


さて,平成の御代も今年で最後となりますので,あの “先の大戦” も元号が2つ前の出来事になります.
戦争を生きた当事者も少なくなってきました.
だからこそ,もうそろそろ先の大戦の呪縛から離れて,次の戦争の危険性について足元を見る必要があると思います.

2018年8月8日水曜日

体育学的映画論「夢」

前回は現在上映中の『カメラを止めるな!』の感想を少しだけ述べましたが,詳しく論評するのはネタバレを含むことになるので,もっと後になってからとします.
ひとまず,「カメラを止めるな!」は,私は好きな映画です.三谷幸喜の「大空港2013」とか,「ラヂオの時間」みたいな作品は嫌いではありません.
漂う空気も,実写版パトレイバーである「THE NEXT GENERATION パトレイバー」と類似性があったりするので,こっちも好き.
いずれも追って論評したいと思います.

で,全然作風が違う映画ですが,さっき,黒澤明『夢』を見たんです.
私は今,猛烈に感動しています.
(wikipedia)

ネットのレビューでは,結構賛否両論なんですね.
たしかに,そんな感じの映画ではある.
つまらないっちゃ,つまらないもん.

映画って,ある程度のクオリティを超えてくると,あとは好みの問題になってくるように思います.
万人受けする作品,映画通に受ける作品,熱狂的ファンに受ける作品などなど.そこからさらに細分化した後は,個人的嗜好になっていくものです.

今,物凄い人気を博している「カメラを止めるな!」にしたって,たぶん映画通にしてみれば「過去にもこういう作品はあった」とか言うんだろうけど,その時代との融和っていう要素もあると思うんです.いろいろ書きたいことはありますが,これについては,また別の機会に.

さて,「夢」ですが,これはその時代の空気との融和とは無関係な作品です.
黒澤明の映画は概ねそういう作品が多いとは思いますけど,これは特にそう.

黒澤明本人が見たとされる夢を映画化したものとされていますが,その映像は鳥肌が立つほど綺麗で,まさに「夢の中の出来事を映像化したらこうなりました」というもの.
8つのエピソードから成るオムニバス形式の映画です.

特に少年時代のエピソードとして出てくる映像は,「小さい子供にとっての自然や伝統慣習の見え方」が見事に現れています.
たしかに,私も子供の頃にはこういう夢を見ていた覚えがあります.
例えば「日照り雨」のラストシーンである「花畑と山にかかる虹」の映像は,田舎育ちの私にとっては背筋が凍るような既視感.それは懐かしさと怖ろしさが同時に込み上げてくる複雑な感情.
雨上がりの土と花と緑の匂いも同時に想起され,思わず唸ってしまった.

次のエピソード「桃畑」も映像が凄くきれい.
桃の段々畑を雛壇に見立てて演舞するシーンは圧巻の一言.
望遠レンズの圧縮効果を使って,段々畑をシームレスな「1枚」の舞台として撮影したものですが,こういう見せ方もまさに「夢」のような映像です.
ちなみに,私にとっても段々畑は幼少期の琴線に触れるものなので,これにも猛烈に感動しました.
難しいこと考えなくても,色使いがヤバいのでそれを堪能するだけで十分です.

あと,印象に残ったエピソードは「鴉」と「トンネル」.
「鴉」はゴッホの絵の中に迷い込んだ夢です.
この夢の中ではゴッホとも出会うのですが,そこでゴッホは名言を口にします.
「絵になる風景を探すな.よく見るとどんな自然でも美しい.僕はその中で自分を意識しなくなる.すると自然は夢のように絵になってゆく.いや,僕は自然をむさぼり食べ,待っている.すると,絵は出来上がって現れてくる.それを捉えておくのが難しい」
黒澤監督も,この言葉にシンパシーを感じていたのでしょうか.
というか,このエピソードの映像自体がそれを体現しています.
実際,このエピソードはゴッホの絵の中が舞台となっているんですけど,特に最初の「アルルの跳ね橋」のシーンに驚きました.
ゴッホの絵のタッチと色使いを,現実世界に再現するという離れ業をやってるんです.
文章じゃ伝わらないので実際に映画を見てもらうしかないんですけど,黒澤明は絵になる風景を探さない代わりに,「絵を風景にした」んですね.
CGも使わず,さすが黒澤明,ここまでやるんだ.

「トンネル」のエピソードは,戦争で失った部下たちの亡霊と対峙するもの.
第二次大戦で徴兵されていない黒澤明が「戦地での部下の夢をみる」というのも変な話ですが,このエピソードは「出兵しなかった自分への負い目」と捉える向きがあるようです.
亡霊たちに「いつまでも彷徨っていないで,静かに眠ってくれ」と訴え,暗闇(トンネル)に向かって「前進」の号令をかけたのは,「戦争に出兵しなかった」ことがどれだけ黒澤自身にとって深い傷になっているかを告白したものと考えられます.
あと,このエピソードで登場する「吠えかかってくる犬」の解釈ですが,ネットでもいろいろな意見が飛び交っているようです.
私が直感したのは,これは当時の(もしかするとずっと最後まで)黒澤が「『戦争の犠牲』というコンプレックスを振り払ったものの,まだ私(黒澤)が知らないだけで,忘れられている『戦争の犠牲』があるのではないか」という不安感を象徴していると受け取りました.

この「吠えかかってくる犬」は,軍用犬です.
そして,犬の体に巻き付けられている物は手榴弾であることが分かります.
つまり,この犬は爆弾を抱いて相手に飛び込み,自爆攻撃をさせられていた犬なんですよ.
黒澤としては,先の大戦で犠牲となった者は,個人的に名前を知っているものを含めて「共に出兵したかもしれない『軍人』」のことには頭が回ります.しかし,共に従軍したかもしれない「その他」への想像がは働かない.
例えばそれは何かとなった時,映像化できるものとして「自爆攻撃犬」を登場させたのかもしれません.
もっと言えば,寺尾聰演じる黒澤は,亡霊たちに「君たちは犬死だった!」と嘆くのですが,この「犬死」と,吠えかかってくる「犬」とが関連していると考えてしまうのは私だけでしょうか.

他にも,原発やテクノロジー過多に警鐘を鳴らすエピソードが入っていますが,どれも映像がすこぶる良くて飽きません.
これを面白い映画と捉える人は少ないかもしれませんが,私にとっては定期的に見ておきたい映画の一つに加わりました.


2018年8月7日火曜日

学校教育対談(5回目)

和田慎市先生との学校教育対談の季節になりました.
昨日,都内某所で開催.
これで5年目となります.

過去の対談はこちら↓
学校教育対談(2回目)
学校教育対談(3回目)
学校教育対談(4回目)

和田先生は,学校教育現場について現場目線での情報発信をしている方です.
著書はこちら↓
  

ホームページも作成されていますので,こちらも御覧ください.
先生が元気になる部屋(和田慎市ホームページ)

あと,先日はiRONNAにも記事を掲載されていました.
「ズボン脱がされてもイジメじゃない」それってどうなの?(iRONNA 2018.5.3)


この対談も5回目ですが,当初は和田先生との2人だけだったのが,次第に参加者も増えていきまして,さて今回はと言うと,なんと私のゼミ生までもが参加しました.
今年の教員採用試験を受けている学生で,一次試験を突破して次は二次という状況.
その学生も他大学の教採仲間を一人連れて来てくれたので,かなり広範囲の会となったわけです.

彼らとしては,教員採用試験の参考(特に面接など)になればという考えもあったのですが,教員の仕事を現場目線で,且つ,俯瞰的に捉えておきたいというのが参加を決めた動機.
楽しいことばかりではない職場だと分かってはいるものの,それをより詳しく聞いておきたいと考えたようです.
そんな彼らにとって,和田先生との対談はとても有意義な時間になったようです.

教員の仕事の大変さを知りたいということで,いろいろなトラブルや職場での「あるある」の話もしたのですが,そうはいってもこの仕事の魅力とは,そうしたネガティブな部分を含めたものと言えます.

「私はこの仕事を通して何をしたいのか?」
ということがしっかり見つめることが大事です.
それは他の仕事においても同じでしょうけど.

その時に和田先生もおっしゃっていましたが,トラブルを起こしたり反抗的な生徒は嫌いじゃない,ということ.私もこれには同感です.大学生にも同じことが言えます.
別にトラブルを起こしたり反抗的な態度をとる生徒こそが「良い生徒」だと言っているわけではありません.そのあたりを勘違いされることが多いので注意が必要です.

小説や映画,アニメなどでも「反抗的だけど,実は物事の本質的な部分を見ている人だった」とか,「トラブルメーカーだけど,実はそこに巣食う大問題を感じ取っている人だった」といったキャラクターは,古今東西,枚挙にいとまがありませんよね.典型例としては,黒澤明監督作品の『乱』における三男・三郎直虎がそれですし,最近のものでは庵野秀明作品の『シン・ゴジラ』における巨災対メンバーがそれです.

これは人間界における「あるある」なのですが,いかんせん現実の当事者にとってはただのトラブルメーカーであり,反抗的で嫌な奴として扱われます.
映画やドラマの世界では理解できても,実際に自分の身に降り掛かってくるとそうはいかないという人は多いものですよね.っていうか,そういう人が圧倒的多数だと思います.

こういう「トラブルメーカー」な人種は,学校現場においては「不良」「ヤンキー」「ませたガキ」というレッテルを貼られることになりますが,彼らを排除したり強制的に統率することでは,本質的な問題を改善したことにはなりません.

ではどうすればいいのか?
それは,葛藤することです.
葛藤していく中に人間としての成長があり,学校教育としての価値がある.
典型的な授業を受けて,典型的なクラブ活動をし,典型的な友人関係を築くことが最良の学校生活ではないのです.
それは大学においても同様で,分かりきっている知識や手順を学ぶことは大学教育ではありません.学友と,教員と,そして学界や自分自身と問答し,葛藤することに価値があるんです.
そして教員の役割とは,生徒や学生の「葛藤」をタイミングよく,適度に,そして安全に後押ししてやることに他なりません.

もちろんそれは難しい仕事です.
失敗すれば生徒や学生に大きな傷を負わせるかもしれません.落胆させたり,無気力になってしまうかもしれない.
しかし,それでも「葛藤させない」よりはマシです.
世の中は驚きに満ち溢れている.自分に都合よく出来てはいない.
そもそも,自分にとって「都合がいい」と今そこで考えていることは,本当に自分にとって都合がいいことなのか?
そうしたことを考える機会が,学校であり,大学です.


ところで,今回の和田先生を囲む会に行くまでの道すがら,時間があったので近くの映画館に寄り道してきました.
今,物凄い人気でニュースにもなっている,上田慎一郎 監督『カメラを止めるな!』を見てきましたよ.
あまりに「面白い!」との前評判のため,期待値とハードルが上がりまくっている作品ですが,その高いハードルをしっかり跳び越える面白い映画でした.

内容に少しでも触れただけでネタバレになってしまうので,現時点でこの作品の詳細は述べられませんが,「こういうのが人間として生きてて楽しいところだよね」ってことが詰まった良作です.
この作品では「映画」が舞台になっていますが,「学校」とか「教育」においても同じだなぁって思わされました.きっとどの職場にも通じると思う.

なお,本作は「ホラー映画」「ゾンビ映画」としてカテゴライズされていることが多いですが,これはコメディ映画です.ホラー映画が苦手だと思っている人はご安心ください.
三谷幸喜の『ラヂオの時間』に似ていますし,きっと元ネタはそれなんでしょうが,私としては「ラヂオの時間」よりも「カメラを止めるな!」の方が好きかな.泥臭さが魅力的です.
細かい事抜きにしても,『カメラを止めるな!』は見て損はありません.