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体育学的映画論「ウィンストン・チャーチル/ヒトラーから世界を救った男」

原題が『Darkest hour』ということで,おそらく「夜明け前が一番暗い(The darkest hour is just before the dawn)」を指しているのだと思われます.

ヒトラーに支配されてゆくヨーロッパにあって,その反撃の芽となるチャーチル首相就任にまつわる話.ヒトラーの脅威がヨーロッパ全土を覆っていた暗黒の時代を描いています.
ゆえに,「夜明け前」の時間である「Darkest hour」なのでしょう.

政局によってしかたなく首相に就任したチャーチルが,ヒトラーと対決姿勢を示すまでの話なので,“ヒトラーから世界を救うお話” ではありません.イギリス人以外の,それも日本人が観るには,かなり地味なものとなっています.
ただ,「ヒトラーから世界を救った男」が,どういう経緯で誕生したのか興味深く撮られています.私はこういう作品は嫌いじゃありません.

あと,主演がなんでも演じられるゲイリー・オールドマンなのですが,体型や容姿がぜんぜん違うチャーチルを演じるために特殊メイクをして出演しています.パッと見ではゲイリー・オールドマンには見えません.
この特殊メイクが非常にハイレベルで,この手の見せ方によくある違和感や無理矢理感が全く無いんです.辻一弘という日本人メイクアップアーティストが担当しており,メイクアップ&ヘアスタイリング部門でアカデミー賞も受賞しているとのことです.

今年の3月に日本公開された作品でした.興味はあったんですけど,足を運ぶのが面倒だったので映画館では見ず,さっき動画配信サイトで見ました.
最近はヒトラーとかナチスにまつわる映画やドラマが多いですね.
この現象を解説したサイトがいくつかあります.
ヒトラー&ナチス映画が最近増えているのはなぜ? 「欅坂46」も巻き込んだナチズムの危険な魅力(エキサイトニュース 2017.7.12)
1.ヒトラーやナチスを扱った映画はクオリティが高い(適当には作れないから)
2.歴史的に時間が経過したことから,突っ込んだテーマのものを作りやすくなった
3.単純に,観客が見込める
ということでしょうか.

特にこれらが象徴的なのは,ご当地ドイツで2015年に作られたコメディ映画,『帰ってきたヒトラー』ですかね.
コメディではありますが,「ヒトラーは民主的に選挙で選ばれた,当時のドイツ人が望んで現れた政治家」であること,そして「今まさに現代のドイツ人が心の奥底で望んでいる政治家が,ヒトラー的な政治家ではないのか?」という,かなり突っ込んだ内容の映画です.

「ウィンストン・チャーチル/ヒトラーから世界を救った男」では,そんなヒトラーやナチスの危険性を予期し,ファシズムと独裁政治のイギリス侵入を断固として拒む政治家としてチャーチルは描かれます.
劇中にもあるように,軍事技術で圧倒されており,フランス・ダンケルクまで追い詰められたイギリスが,それでもドイツと和平交渉しないというのはかなり思い切った判断です.
つくづく,政治家は運と度胸,それに国の行く末を憂う信念が必要なのだと考えさせられます.

それはともかく,細かい歴史の描写は抜きにして,この映画の見所を一つ.
チャーチルと言えば「Vサイン」と,トレードマークの「タバコ」,それも太い葉巻を咥えた姿ですよね.
チャーチルのVサイン
葉巻を吸うチャーチル
映画には,チャーチルのVサインが登場したエピソードや,そこかしこで葉巻を吸うチャーチルの姿が見られます.
チャーチルは太い葉巻を好んだことから,現在ではこのサイズの葉巻を「チャーチル」と呼ぶようになったほどです.

映画レビューのサイトには,「昔はいろいろなところでタバコが吸えたんだな」「そこらじゅうで皆がタバコをふかしている」という,喫煙者に対して厳しい目が注がれる現代らしいコメントもあります.
たしかに,この映画は「タバコ」が一つの象徴的なアイテムとなっていますが,注目すべきところはそこではありません.

本作には,ベン・メンデルソーン演じる,イギリス国王ジョージ6世が登場します.現在のイギリス女王であるエリザベス2世のお父さんです.
ジョージ6世と言えば,最近の映画では『英国王のスピーチ』(2010年)で吃音症に悩まされるエピソードが有名ですが,このジョージ6世もたいへんな愛煙家だったようで,それが遠因となって病死したとも言われています.

太い葉巻を無骨に吸うゲイリー・オールドマンのチャーチルに対し,ベン・メンデルソーンのジョージ6世は一般的な細いタバコ,いわゆる紙巻きタバコをスマートに吸う姿が印象的です.
そのジョージ6世の喫煙シーンは,360度いかにも「英国紳士」と言える見事な姿.
推測ですが,泥臭く肝の座った政治家チャーチルとの対比として,ジョージ6世が置かれているのだと思います.演じたベン・メンデルソーンは,そのあたりをかなり意識して喫煙していたのではないかと.

ナチス・ドイツとの関わり方について,政界で孤立無援になってゆくチャーチルに手を差し伸べたジョージ6世は,当初はチャーチルを嫌っていました.
無骨に吸われる太いシガーと,スマートに吸われる細いシガレット.
その両者が手を取るところに,イギリスという国の豪快さと懐の深さを見ることができます.