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昨今の大学問題について,久しぶりにお便りが来たので取り上げます

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もうこのブログ,閉鎖しようかとも思う今日このごろ. なんだかここに来て,世の中について厭世的な気分がさらに強くなってきました. そう思っていたら,先日こんなメールが届いたのです. 「Deus ex machinaな日々」の先生 突然メールを差し上げて失礼いたします。 さて、先生がブログに2014年4月18日金曜日にお書きになった、「危ない大学とはこういうところだ其の三」なかの「教員が年度末で突然やめる」という事態が弊学部で発生してしまいました。 (以降,内容が具体的で当事者の方々が特定されかねないので省略) これまでにも,こういったお悩みメールを頂いたことは結構ありまして,中には都内で一緒に呑みながら情報交換会をしたことがある人もいます. でも,まだまだ若手教員の中でもさらに若手の部類に入る私には,諸先輩方にお話できることはあまりありません. 「いやぁ,もうダメですよ」って言ってあげられるくらいです. 数年前からのブログ記事でも書いているように,これからの教育界と大学は堕ちるだけです. この崩壊は止められません. 止められない仕組みと流れができているからです. その崩壊する様を経過観察すること自体に,意味があるくらいかなって思っています. そして崩壊しきった時に,ほらね,こんなに崩壊したでしょう? って言ってあげることぐらい. どっかの記事で書きましたが,直感的には2022年あたりから一気に進行するんじゃないかと. むしろ,崩壊しちゃうわけですから,教育の新しい在り方を模索する方がいいと最近は思うようになりました. その方が,皆がハッピーになれます. 崩壊させた張本人たち(政治家とか文科省とか,あと多くの国民)も,自分たち自身が崩壊させたことを認めたくないし反省もしないでしょうから,「教育の新しい在り方」というロジックにしてあげた方が前向きになれます. 話が逸れました. メールについてです. 「教員が年度末で突然やめる」 という件ですが,メールを頂いた先生にお応えすると,この時期(1月)はまだ年度末ではありません. 私がいう「教員が年度末で突然やめる」というのは, 3月中旬から下旬 にかけてを指します. むしろ,この1月の時期に大学を移るのは非常に一般的です. 多くの場合,まず,

私の遺伝子を調べてみた

母がですね,こういうの好きなんで買ってみたらしんですね. で,実家の人間だけじゃなく,おせっかいにも私や弟の分も買ってきて,これを受けてみろと送りつけてきたんです. 「高いお金がかかってるんだから,必ずやれ」とのこと. 遺伝子検査のことです. 今回は, ■ ジーンライフ・ジェネシス2.0+10 special value (Genelife社) を利用しています. 昨年12月にサンプルを送って,その結果が先日届きました. 生理医学的な身体上の特徴については,ほぼ当たっています. その他の行動パターンや嗜好性についても,最近の研究で遺伝で説明できることが明らかになってきていますので,きっとこれが私という人間の特徴として捉えることができるのでしょう. 生理医学的な特徴としては,分かりやすいところで言えば,ずっと悩みのタネである副鼻腔炎や花粉症,そして乳糖不耐性(牛乳が飲めない)や,LDLコレストロール値が低いこと,ヘマトクリット値が低い,髪の毛が太いことなどです. 行動パターンとしても,夜型で睡眠時間が長いとか,協調性が高くないとか,報酬依存性が低いとか,どれも当たっています. こういう遺伝子の研究が進むに連れて,私が気になるのは「教育」とか「社会秩序(法やマナー)」,「生活スタイル」との関連です. 私としては, その人が本当にそうしたいと本能的に考える行動や生活スタイルをすれば,その人なりの幸福な生活が送れる と考えており,なんだったらこれに準ずることを「健康スポーツ」に関する授業でも説いています. 例えば,ヒトや動物はその生物が本来生息している環境下でほったらかしにしておけば,肥満や精神疾患などは起こしません. 動物もケージで飼うと肥満になります. 現代のヒトの生活も,ある意味でケージで飼われているようなものですし. 以前の記事でも紹介しましたが,狩猟採集生活をしていた頃のヒトの方が,農業や都市生活をするようになったヒトよりも豊かな暮らしをしていたことが分かっています. ■ Deus ex machinaな未来(4) 狩猟採集生活していた頃のヒトについては,常に飢餓や天敵に悩まされて,不安で危うい生活をしているかのような捉え方をしますが,実のところ, 「不安で危うい生活」 という評価は極めて主観的な

最後の平成

明けましておめでとうございます. 今年も宜しくお願いします. 平成も今年が最後となるようです. そんな平成最後のニュースとして,新元号の発表がやたらと遅いことが話題となっています. ■ 4月1日に新元号公表 安倍首相、年頭会見で発表 (産経新聞 2018.1.1) 安倍晋三首相は、天皇陛下の譲位と皇太子さまの新天皇即位に伴う新元号について、4月1日に閣議決定し、同日中に公表する方針を固めた。1月4日に伊勢神宮(三重県伊勢市)参拝後の年頭記者会見で正式発表する。首相は当初、4月11日の新元号公表を検討していたが、5月1日の改元に伴うコンピューターソフトのシステム改修が間に合わないため断念した。 発表が遅くなることで,企業内の文書で「元号」を使うことを取りやめるところも現れるのではないかと危惧されていますし,実際,それがもとで今年から社内文書を元号ではなく西暦に変えた,とのネットのコメントも見られます. 今上陛下がせっかく国民に配慮して御代替わりを「予定できるもの」にしてくれたのに,それを反映しないのが現代日本クオリティです. 平成の世を象徴する最後だったと言えるでしょう. 一言で言い表せば「KY」. 平成とは,忖度はすれど,KYの時代でした. (もともと,忖度には悪い意味はありませんので,ようするにKYなのです) KYとは,平成生まれの日本人から生まれた言葉でもありますよね. もっとも,元号がいつ発表になろうと,私はどうでもいいと思っています. ただ,元号を日本の伝統として守るつもりがないことは,この事態が物語っています. その国の伝統や文化とは,守らなければいけないから守られるのではなく,守れるものだから守られるのです. 当たり前のことですが,これは民族主義者や国粋主義者には分かってもらえないことですね. これはちょうど,ダイエットと一緒です.体型をキープ(保守)するのは努力だけではどうにもなりません.年齢や生活環境によって出来ることと出来ないことがあります. 理想体型をキープできる人の目には,それをキープできない人が怠惰でずぼらな人間に映ります.でも,誰もが努力すれば理想体型を得られるわけでもキープできるわけでもありません.そもそも,その「理想体型」とは本当に理想的なのか? そこまで