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最後の平成

明けましておめでとうございます.
今年も宜しくお願いします.

平成も今年が最後となるようです.
そんな平成最後のニュースとして,新元号の発表がやたらと遅いことが話題となっています.
4月1日に新元号公表 安倍首相、年頭会見で発表(産経新聞 2018.1.1)
安倍晋三首相は、天皇陛下の譲位と皇太子さまの新天皇即位に伴う新元号について、4月1日に閣議決定し、同日中に公表する方針を固めた。1月4日に伊勢神宮(三重県伊勢市)参拝後の年頭記者会見で正式発表する。首相は当初、4月11日の新元号公表を検討していたが、5月1日の改元に伴うコンピューターソフトのシステム改修が間に合わないため断念した。
発表が遅くなることで,企業内の文書で「元号」を使うことを取りやめるところも現れるのではないかと危惧されていますし,実際,それがもとで今年から社内文書を元号ではなく西暦に変えた,とのネットのコメントも見られます.

今上陛下がせっかく国民に配慮して御代替わりを「予定できるもの」にしてくれたのに,それを反映しないのが現代日本クオリティです.
平成の世を象徴する最後だったと言えるでしょう.
一言で言い表せば「KY」.
平成とは,忖度はすれど,KYの時代でした.
(もともと,忖度には悪い意味はありませんので,ようするにKYなのです)
KYとは,平成生まれの日本人から生まれた言葉でもありますよね.

もっとも,元号がいつ発表になろうと,私はどうでもいいと思っています.
ただ,元号を日本の伝統として守るつもりがないことは,この事態が物語っています.
その国の伝統や文化とは,守らなければいけないから守られるのではなく,守れるものだから守られるのです.
当たり前のことですが,これは民族主義者や国粋主義者には分かってもらえないことですね.

これはちょうど,ダイエットと一緒です.体型をキープ(保守)するのは努力だけではどうにもなりません.年齢や生活環境によって出来ることと出来ないことがあります.
理想体型をキープできる人の目には,それをキープできない人が怠惰でずぼらな人間に映ります.でも,誰もが努力すれば理想体型を得られるわけでもキープできるわけでもありません.そもそも,その「理想体型」とは本当に理想的なのか? そこまでしなくても健康的で精神衛生上も充実した「体型」というのはあるのではないか?
その答えは一つではありません.

元号にしても同じです.
個人的には,元号を利用する価値は薄れてきていると思いますので,表立ってこれを活用する必要はないと思います.実際,私の仕事や生活のなかで元号は全くと言っていいほど使いません.年間,数回じゃないかな.いつも「今年は平成なん年だったっけ?」といちいちネットで調べなければいけないので,頼むから西暦で統一してくれというのが本音です.
まだまだ元号を文書フォーマットとして利用している企業は多いので「今年は平成なん年か?」を悩まなくていい人は多いと思いますが,今回の御代替わりでこんな調子なのですから,これから私みたいな人はどんどん増えるでしょう.

そして近い将来,元号を使うことが不便で生活の障害になってくることは火を見るより明らかです.

間違ってほしくないのは,元号をなくせと言っているわけではありません.元号という制度は残しておいて,普段の生活では使わなくてもいいのではないかという話です.
たまたま明治から平成にかけて安定した御代替わりが行われているから良かったものを,これが明治以前のように複雑な変化が起きたら,とてもじゃないですが現代日本の生活で利用できるものではなくなります.「守れる伝統」ではなくなるんです.
これは皇位継承にも同じことが言えますが,それはまた別の機会に.

「そんなんだったら,西暦の代わり皇紀を使おう」という話もありますね.
私は歓迎しますが,それこそコンピューター関係のプログラムの書き直しが大変ですし,これまで西暦で通してきたことがパーになってしまいますし.
なんにせよ,こだわりの問題ですね.