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沖縄の米軍基地問題について2019

これが今年最初の「沖縄基地問題」になります.
過去には,
沖縄の米軍基地問題について2018
続・沖縄基地問題を諦める
沖縄基地問題を諦める
ウヨクの知能を諦める
といった記事を書いてきました.




今回は,先日に沖縄で投開票のあった「辺野古埋め立てアンケート」に関連してお話したいと思います.
まず,話題となるニュースはこちらです.

辺野古「反対」72% 玉城氏「工事中止を」 知事選の得票超す 投票率52.48% 沖縄県民投票(朝日新聞 2019.2.25)
米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設計画をめぐり、名護市辺野古沿岸部の埋め立ての是非を問う県民投票が24日、投開票され、「反対」が72・15%の43万4273票だった。玉城デニー氏が昨年9月の知事選で得た過去最多の39万6632票を超えた。
この結果については,ウヨク系の人たちが「辺野古埋め立てであって米軍基地について問うたものではない」とか「賛成派が意思表示できないような空気が沖縄にはある」などといろいろイチャモンをつけていますが,なんにせよ沖縄県内では「米軍基地を置き続けたくない」という意見が圧倒的多数であることが分かった調査だったと言えます.

どう偏って見ても,そこいらの社会調査や世論アンケートよりよっぽど信頼性がありますので.


投票率が52.5%と低かったことをあげつらう本土のウヨクもいますが,そんなこと言い出したら,ここ数年の衆参両院選挙の投票率も52%〜54%と同じです.
もっと言えば,安倍晋三の山口4区の投票率も50%台ですし,彼の得票率も約75%と,今回の県民アンケート結果と類似しています.


そもそも,その集団における「意見」を聞き出したいのであれば,別に回答率が100%である必要はありません.
昨今では有名になりましたが,世論調査のようなものであれば,統計学的には1500人〜2000人規模の調査で済むとされています.もっと少なくてもいいくらい.
今回の結果にしても,たとえ投票率が100%になったとして,結果が大きく変わることは考えにくいです.


いえ,今回はそんなことを論じたいのではありません.

この県民アンケート実施の賛否は別にしても,その地方自治体の構成員や首長がそろって「嫌だ」と意思表示しているものを,わざわざ推進していくことは,立憲と民主を標榜する国としていかがなものかということです.

そういう意味では,今回の県民アンケートの実施は意義があったと言えます.


この手の話としてネット記事でも論じられているものに,「日本国憲法第95条」があります.
第九十五条
一の地方公共団体のみに適用される特別法は、法律の定めるところにより、その地方公共団体の住民の投票においてその過半数の同意を得なければ、国会は、これを制定することができない。
当然のことながら,「軍の基地を設置する」というのは特別法によります.

日本では,基地を置くには地方公共団体である住民の同意を得なければいけないシステムになっているのですが,今回の沖縄基地問題はこれに抵触しますよね.


これについて,主に沖縄に基地を置くことに賛成の立場の人たちは,

「国防という安全保障に関わる問題や,国際的な信頼性に関わる事柄では,その解釈に幅を持たせるべきだ」

と主張することがあります.

いや・・・,何いってんの?
絶対ダメでしょう.


同じような話が「集団的自衛権問題」の時にもありました.
その時に書いた記事はこれ↓

私はなにも,憲法の解釈に幅を持たせることに反対しているわけでもないし,集団的自衛権に反対しているわけでも,沖縄に基地を置くことに反対しているわけでもない.

のちの世に禍根を残すような杜撰な判断をするなと言っているだけです.


例えばさっきの,
「国防という安全保障に関わる問題や,国際的な信頼性に関わる事柄では,その解釈に幅を持たせるべきだ」
という話にしても,これってメチャクチャ危ない話ですよね.
「国防」という名分であれば,地方公共団体の主張や意思は中央の都合でなんとでもなる,ということを意味します.

そしてそれは「国防」に限ったことではありません.
その時その時の国家の興味や都合に合わせて,解釈したい事に幅をもたせてもいいということになる.


頭の弱いウヨク系の人たちは,
「その判断は時と場合によるんだ」
などと言いたいのでしょうが,これは法の話です.
そんな適当な認識で「僕の考えた最強の国家運営」を展開されては困ります.

大人たちがこんな状態ですから,小学校からプログラミング教育が展開されることは歓迎すべきかもしれません.
今後の子供に期待です.

どうして国家が「憲法」を用いた統治を始めたのか.
それは,君主や為政者が「その判断や解釈を,時と場合によって使い分けられないようにするため」だったはずです.


もちろん,国防は大事ですよね.
それを軽く見ているわけではありません.

でも,そんなに大事なことであれば,まずは「憲法改正」をしてから取り組めばいい話です.
というか,そうじゃなきゃダメです.
プログラミングの考え方からしても,そうなります.


私は憲法改正を支持している者ですから,さっさとそっちから進めればいいと考えています.
でも,なかなか進めてくれませんね.


沖縄基地問題に関することであれば,どうしてもっていうのなら憲法第95条のところに,

「なお,国防に関する法や条例については,この限りではない」

などと加筆すればいいのではないですか.
まあ,そんなことは常識的にも倫理的にも勧められないでしょうけど.


ところで,以前の記事からずっと述べてきていることですけど,沖縄に基地を置きたいのに県民が嫌がっているからって,じゃあ別のところに絶対移さなきゃいけないのか? というと,そういうわけでもないと私は思っています.

日本国として,沖縄に軍事基地を過密になろうと置かなきゃいけないと考えているのであれば,そうすればいい.
繰り返しますが,国防は大事だから.


でも,それだけの負担をかけるのであれば,憲法第95条に照らして現地の人がOKを出すくらい優遇措置をとる必要があります.

「タカリ根性」とか「つけあがってきた」などという批判があろうとも,それは日本という国家・政府として調整すべきです.
それが嫌なら憲法改正をしましょう.

これは「基地」に限った話ではありません.
原発とかダムの建設,その事故対応についても同様だと思います.


沖縄基地問題に関連して,「沖縄独立」が取り沙汰されますよね.

正直なところ,私はそれも沖縄にとっての政治的カードだと思いますよ.
なぜって,沖縄が独立されて一番困るのは日本だからです.


よく,
「沖縄が独立して困るのは沖縄県民だ」
「中国に侵略されるぞ」
などと言われますが,本当にそうでしょうか.


むしろ,仮に中国に侵略・吸収されたとしても(そんな事態はほぼ考えられないけど),今の御時世,中国としては沖縄を穏便に,否,高待遇で統治することによってアメリカ・日本との対決を有利に進めたいと考えるのが普通じゃないですか.

私が国家主席ならそうします.


よく引き合いに出されるチベットやウイグルとは地政学的にも条件が全く違うし,どっちかというと香港に近いんじゃないですかね.

まあ,そんな話は妄想だったとしても,沖縄が日本国による統治を嫌がるような状況,それこそが事の本質を表現することと言えます.


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