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ノートと漢字


本学では新入生に対し,ノートの書き方や漢字の書き方を教える授業が用意されています.
いくつかのクラスに分けられているのですが,そのうちの一つを私が担当しています.

ん〜〜,,,
私自身,大学時代はノートを取るようなタイプではなかったですし,漢字も書ける方ではないので不安な授業です.

いっそ,
ノートなんかとらなくても大丈夫,要点を記憶する方法は人それぞれだから.
漢字は読めさえすれば問題ない,ワープロ変換したときに直感的に正しい漢字が選べればOK!
とでも教えましょうか?
怒られますね.やめときます.

でも・・・,例えばノートなんて必要に迫られなきゃ覚えない技術でしょうし.
私に言わせれば,講義とかで学生がノートするスピードに合わせてあげたりするから良くないんです(かくゆう私も合わせてあげてますが.今のところ).
「ノートしときゃ良かった...」と思わせるような状況を作る方が勉強になると思いますが.
そのための “失敗が許される学生期間” だと思います.

だいたい,偉そうに「ノートの取り方がぁ!」とか言ってる社会人だって,てめぇらだって社会に出てからノートの取り方覚えただろうに.

だからノートの仕方を扱うような書籍もでるわけですよ.
とりあえず今回は奥野宣之 著『情報は1冊のノートにまとめなさい』を挙げておきます.
つーか,この著者にしたって単行本ではこんなこと書いてますが,なんかのビジネス雑誌では「結局は,自分に合うノートの仕方を探すことが重要」とかぶっちゃけてました.
ノートの仕方なんて,いい加減なもんです.

授業のマニュアルでは「内容をきれいにまとめることが出来る」という目標を掲げてもいますが,社会人用のノートって内容をきれいにまとめることが出来る能力よりも,素早く話の要点をメモる能力の方が要求されます.

ま,少なくとも私が担当するクラスでは実践力を身につけさせます.
適当な雑談をして,その内容の要点だけメモらせます.そんな授業にします.


漢字にしたって,漢字を覚えることも重要ですけど,それ以上に必要だと思うのが語彙力(ボキャブラリー)だと思います.

てっきり世間では数値化が容易な表面上の能力である「漢字力」が重要だと思われているようで,だから本学でも漢字の書き取り学習を大学生相手にするわけですが,私はナンセンスだと考えています.

なんでかって?だって,昔の知識人にしたって,片手に辞書を持ち,それがすり切れるほど使い倒すことがステータスのようにほざいていた時代がありました.
ということはですよ,偉そうに漢字力を提唱する人だって,いざ文章を書く時には漢字を忘れることが多いってことでしょ?

だから,漢字が書けるかどうかでは重要ではなくて,まずは “語彙” を知っているかどうかが重要なのです.
その語彙に使われている漢字はどうだったかな?と調べるぶんには辞書だろうがワープロ変換機能だろうが何でもいいと思うんです.

だいたい,ここで使ってる「語彙」っていう漢字も私は書けません.
でもブログにこの単語を使って文章書いていることに変わりはないのです.

[ 漢字が読めない=漢字を書けるようにする ]
ではなく,
[ 漢字が読めない=語彙を増やす ]
ということの方が必要です.

専門外のクセに大見得きりますけど,
文章中の漢字って,その多くが「読める」んではなくて,そこで使われる語彙を「知っている」から「読んでいる」んではないですか?

言い方を変えると,「漢字の読み方を知っている」よりも「語彙を知っている」が先行しているはずなのです.たぶん.

で,語彙の増やし方ですが.
ん〜〜,,,
大学生の本分である “本を読め” ということでしょうか.
今んとこそれぐらいしか思いつきません.