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人は人生に一度「中二病」という病にかかって大人になる

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かつて,「はしか」は大人になるための通過儀礼のような病気だとされました. はしかウイルスの感染力は極めて高く,事実上,予防できないからです. しかし,一度罹ったら体内に抗体ができて,二度とかからないと考えられていました. 実際,人生で2回罹ること人はほとんどいません. はしかを予防するためには,予防接種しかないとされています. 私は幼少の頃に予防接種(ブースター込みで)をしていますので,はしかに罹ったことはありません. なかには,予防接種をブースター(ワクチンを2回射つこと)していない人もいるそうですが,そういう人は気をつけてください. 大人になってからはしかに罹ったら大変だと言います. (1)中二病は大人になるための通過儀礼のような病気 大人になるための病気は「はしか」だけではありません. 「中二病」という病気もその一つです. 中二病とは, 中学2年生頃の思春期に見られる、背伸びしがちな言動を自虐する語。転じて、思春期にありがちな自己愛に満ちた空想や嗜好などを揶揄したネットスラング。(Wikipedia「中二病」) とされています. 具体的な言動としては, 1.洋楽を聴き始める。 2.旨くもないコーヒーを飲み始める。 3.売れたバンドを「売れる前から知っている」とムキになる。 4.やればできると思っている。 5.母親に対して激昂して「プライバシーを尊重してくれ」などと言い出す。 6.社会の勉強をある程度して、歴史に詳しくなると「アメリカって汚いよな」と急に言い出す。 (Wikipedia「中二病」より) 中二病はタイプ別でも分析されています. 【DQN系】 反社会的な行動や不良を演じ、格好いいと思い込んでいる。根は真面目であったり、臆病であったりするので本当の不良にはなりきれない。喧嘩や犯罪行為に対する虚言が多い。「DQN」とは「反社会的な人」や「迷惑な不良系」を表すネットスラング。 【サブカル系】 流行に流されずマイナー路線を好み他人とは違う特別な存在であろうとする。別にサブカルが好きなわけではなく他人と違う趣味の自分は格好いいと思い満足している。 【邪気眼(じゃきがん)系】 不思議・超自然的な力に憧れ、自分には物の怪に憑かれたことによる発現すると抑えられない隠された力があると思

日本人が「不寛容」と言われる理由

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日本人は,自分たちのことを外国人と比べて「優しい」「おもてなしの心がある」と思っています. 最近の日本人はそんな話題が好きなようなので,「海外の反応」と銘打ったネット記事を見かけることがあります. ■ 海外「日本人ほど親切な国民はいない」 訪日経験者達が語る日本人の特別な優しさ (海外の反応・パンドラの憂鬱) ■ 【日本人は優しい】外国人が感じる「日本の凄いところ」9選 (笑うメディア・クレイジー) なかには,「日本人は優し過ぎることが問題だ」という主張も見られるくらいです. その一方で,海外の人からは日本人は「冷たい」「不寛容」だとも評価されています. ■ 【悲報】日本は外国人から「友達が出来にくい」「冷たい」「仕事と生活のバランスが最悪」な国だと思われているらしい / あるランキングで判明 (ロケットニュース24 2017年12月9日) ■ “世界幸福度ランキング”後退の日本に足りないのは寛容さ?「みんな自分のことしか考えていない」 (Abema Times2019.03.22) 比較的きちんと調査したデータによれば,日本社会は「不寛容」だとされています. ■ 日本の幸福度、過去最低の58位 「寛容さ」足引っ張る (朝日新聞 2019.3.20) 報告の基になったデータは米ギャラップ社の世論調査で、各国・地域の各3千人程度が16~18年、現在の生活の満足度を「0~10」で答えたもの。国連の関連団体「持続可能な開発ソリューション・ネットワーク」がその値について①1人当たりの国内総生産(GDP)②社会的支援の充実ぶり③健康寿命④人生の選択の自由度⑤寛容さ⑥社会の腐敗の少なさ、の6項目を用いて分析を加えた。 日本は健康寿命で2位、1人当たりGDPで24位となったものの、人生の選択の自由度(64位)、寛容さ(92位)が足を引っ張ったとみられる。経済協力開発機構(OECD)加盟国36カ国で見ても、32位と低迷した。 日本人は「寛容」なのか,「不寛容」なのか. どっちが本当なのでしょうか? 結局のところ,「人による」というのが真理かと思います. しかし,海外から日本人のことを, 「優しい」 「親切で寛容」 と言われて嬉しくなる,だけならまだしも,「やっぱりそうだよね」と思う日本人が多

天皇についての先生と学生の対話

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前回の記事では,私があまり取り上げない(避けている)天皇・皇室についてでした. 最近の皇室に関するゴシップを見ておりますと,「あぁ,皇室もいよいよ末期になっているのだな」と確信するものです. その社会における「神聖」なものに対する構成員の態度を見れば,その構成員たちの教養水準が推し量れるというものです. 神聖なものに理由はありません. みんなが神聖だと思っているから神聖なのです. それにあれこれ理由をつけたり,神聖具合いを評価するものではありません. 私が天皇や皇室のことを取り上げにくいのは,語るべき材料を持ち合わせていないからだと思っています. これについて参考になる記述を, 新潮社編 『小林秀雄・学生との対話』 で見ることができます. この本は,批評家・小林秀雄が昭和36年から53年の間に九州各地で開催していた,学生に向けた講演会の記録です. 講義もさることながら,質疑応答(対話)の記録が魅力的です. その中に,「天皇について」の質疑応答もあります. 今回,そこから小林秀雄の天皇に関する捉え方をご紹介します. 学生G: 僕たちの天皇に対する接し方と申しますか,おつきあいの仕方というものはどうすればよいのでしょうか? 小林: 誰に対する? 学生G: あの,天皇です. 小林: 天皇? 学生G: はい. 小林: ああ,君はどうして,そういう抽象的な言葉を出すかな.君は天皇というものについて,関心がある? 天皇制がどうだとか,民衆意識がどうだとか,そういうことに僕は答える興味がないんだよ.というのはね,君は心の底からそういうことに関心があるわけではないからなのだ. 天皇に対して本当に親しみを持っているのは,ほとんど側近の方だけではないかな.諸君が聞かれてどう思うかわからないが,こんな話をしよう.このあいだ,僕は皇居を拝観に行ったのです.その時,今度新しくなった皇居を設計した人が案内してくれた.その人に僕は天皇の話をいろいろ伺った.すると何のついでだったか,鴨の話になって,「あなた,そんなに鴨がお好きなら,今度,新嘗祭の時にご招待しましょう」と言われた. 新嘗祭の夜,陛下はたった独りで賢所にお入りになる.そこで何をなさっているのかは誰にもわからない.無論,新嘗祭ですから,新しいお米を神様にお供えして,お礼を

最近の皇室とか天皇とかに思うこと

ゴシップネタとして世間を賑わせている「皇室」「天皇」の話題. あんまり興味のない私の目にも止まっているのところからすると,「秋篠宮家子育て問題」「眞子様御結婚問題」あたりが特に活気があるようです. いや,どうでもいいよ,こんなこと. 私の天皇や皇室に対する忠誠心が弱いからかもしれませんが,他人の家の心配をするような下衆なマネはしたくないものですね. 別にいいじゃないですか,眞子様が小室圭君と結婚したって. そんなことで,皆さんの「皇室」に対する忠誠心が無くなるほどのことなのでしょうか. えらく上から目線の忠誠心ですね. そんなんよう言わんわ,って思います. 眞子様がチャラ男と結婚しようと,佳子様がパリピであろうと,悠仁様がヒッキーになろうと,そんなことどうでもいい. もともと,我々平民が皇室に何か言える立場ではありません. 考えてもみてください. 数千年の歴史のなかで,かつての皇族に,チャラ男と結婚した人やパリピやヒッキーがいなかったはずがない. それでも皇室は運営されたのです. そんなこと関係なく日本人は許容したのです. 左翼が文句つけるのは分かります. 彼らは一般ピープルが皇室に注文をつけられる状態になることを目指しています. それが「左翼」にとってのゴールですから. タチが悪いのは,保守・右翼ヅラした連中です. 保守・右翼のクセに皇室に注文をつけようとします. 一昔前では考えられない話です. 彼らにとって「神聖にして侵すべからず」は忘却の彼方です. これって,左翼にとっては右翼がオウンゴールしてくれているようなものでしょう. まあ,結構おもしろい状況だと私は楽しんでいるのですが. 「皇室は税金で生活しているのだから,国民の意見を聞くべき」 という趣旨の主張を目にすることもあります. 教育問題と一緒ですね. 「税金で運営しているのだから,国民の意見が反映されるべき」 というのは,一見もっともに聞こえます. でも,こんなこと堂々と発言するのは中2か,バカだけにしてほしい. 皇室にしても教育にしても,それを誤解を恐れずに言えば,国民を構成している圧倒的多数の「バカ」がまともに生活するために用意されたシステムです. それに対し,この圧倒的多数のバカの意見を聞いていたらシステム不全に陥

現代大学論の古典

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これまで私なりの「大学論」を展開してきました. とっ散らかっているので,それをまとめたページも用意しました. ■ 大学について こうした私なりの大学論の参考書としてオススメする書籍がこちらです. 内田樹 著『街場の大学論』 文庫化したのが2010年. その元になっている書籍が2007年のものなので,もう「古典」と言ってもいいかもしれません. 私がこれを手にとったのは2011年でして(Amazonに履歴がある),大学教育を考える上でかなり参考にさせてもらった本です. ちょうどこのブログでも,2011年頃から「大学教育の批評」を始めました. 本書は,その参考文献として位置づけられます. 著者は,現代社会を鋭く論評することで定評のある内田樹氏. 内田氏が2007年当時から感じていた「日本社会における大学教育の没落」と,「大学改革の功罪(っていうか「罪」)」が列記されています. (1)そろそろ,大学改革の将来予想を当てた人の意見を聞くべきでは? 2007年頃と言えば,「大学改革」の影響がちょっとずつ現れてきた頃と言えます. その時点で,見る人が見れば, 「あっ,大学改革ってダメじゃね?」 という評価があったわけです. 私も2010年から大学教員を始めましたが,その時点で, 「あっ,大学って将来は無いな」 と感じました. 内田氏の『街場の大学論』は,私のその自信を確信に変えた本と言えます. その後,あらゆるところで「大学改革」の悪影響が出てきた現在,それでも大学改革に対する反省の動きはありません. むしろ,「うまくいっていないのは,改革が足りないから」という調子で,理屈を捏ねくり回して継続・加速しています. かつて,民間療法に「乾布摩擦」というのがありました. ■ 乾布摩擦 (Wikipedia) 寒い冬であっても,たとえ風邪を引いていても,庭(都市部では公園とかベランダ)に出て,乾布(乾いた手ぬぐい等)で体を擦ることで健康になるはずだという,トンデモ健康法です. 精神論が好きなジジイたちから好評を得ていた時代があります. 風邪を引いている中で乾布摩擦をしたら,当然のことながら風邪は酷くなります. ところが,乾布摩擦を盲信している人は, 「風邪が治らないのは,乾布摩擦が足りない

報道・ジャーナリズムとして至極真っ当な常識

前回のホルムズ海峡タンカー攻撃事件について,ブログ読者よりメールを頂いたので,この場をお借りしてお返事させていただきます. 元ジャーナリストという大学教員の方からです. 貴重なお便り,誠にありがとうございました. 以下に,メールをそのままコピペさせてもらいました. 今回のホルムズ海峡の記事は素晴らしいです。元ジャーナリストの端くれとして1人でも多くの国民が同じ考えを取り戻してもらうことを(かつてはそれが常識に近い時代があったと思いますので)願うばかりです。もちろんメディアの側に問題がないわけではありませんが、至極真っ当なご意見に触れて嬉しくなりました。 その至極真っ当な意見を載せた記事はこちらです. ■ ホルムズ海峡タンカー攻撃事件の真相究明が急がれる時,日本は安田純平を出国禁止にしていた 抜粋・要約すると以下のようになります. 日本国民にとって利益のある真相究明が必要です. それができるのは報道機関であり,ジャーナリストと呼ばれる人たちです. 世界各国,報道の自由が叫ばれているのはそのためです. ところが,日本の政府や国民は,そうした報道機関やジャーナリストに対する風当たりが強いのです. 典型的なのが,安田純平氏のシリア拘束事件に対する見方です. ジャーナリストや報道機関の仕事は,政府や国家を批判することです. 政府や国家が,どんな理由でどんな正義を掲げようと,ジャーナリストや報道機関は徹底して批判しなければなりません. ラーメン屋がラーメンを作って非難される覚えが無いのと同様,ジャーナリストや報道機関が政府・国家批判をして非難されるのは可笑しなことなのです. 最近では,「メディアは政府批判しかしない」とか言い出すポジショントーカーや評論家も出てくる有様. 末期症状ですね. 元ジャーナリストという大学教員から「それが常識」「至極真っ当」と言われて,私,かなり喜んでいるところです. と同時に, 「ですよねぇ~」 って言いたくなる. ところで,あのタイトルは煽ったものです. 別に安田純平氏の出国禁止を解けと言っているわけでも,安田純平氏にこの事件の真相究明を期待しているわけでもありません.誤解無きよう. そうではなくて, 報道機関やジャーナリストの仕事の本来性に立ち戻るべき だという話です.

ホルムズ海峡タンカー攻撃事件の真相究明が急がれる時,日本は安田純平を出国禁止にしていた

私も気になっていないわけではありません. 例のホルムズ海峡タンカー攻撃事件です. ■ ホルムズ海峡タンカー「飛来物で攻撃」 運航会社が説明 (朝日新聞 2019.6.14) 中東・ホルムズ海峡付近のオマーン湾で攻撃を受けたケミカルタンカー「KOKUKA COURAGEOUS(コクカ・カレイジャス)」を運航する国華産業(本社・東京)が14日午後に記者会見を開いた。乗組員が「飛来物で攻撃された」と話していることを明らかにした。実際に飛来物が飛んでくるのを見た乗組員がいるといい、詳細な状況を確認している。 この事件を受け,アメリカが「イランが攻撃した」と言い出しました. ■ 「イラン関与」裏付け、米が機密開示を検討 (読売新聞 2019.6.15) シャナハン米国防長官代行は14日、中東ホルムズ海峡近くのオマーン沖で起きた日本などのタンカー2隻への攻撃について、「情報の機密をさらに解除し、より多くの情報を共有したい」と述べた。イランの攻撃への関与を裏付ける情報を関係国などに提供し、米国の主張に対する国際社会の理解を広げる狙いだ。 イランと一戦交えたい意思があるとされるアメリカなので,今回の事件はアメリカが仕組んだことではないかという憶測がなされています. アメリカには,2003年のイラク戦争における「イラクは大量破壊兵器を隠し持っている」というでっち上げの前科がありますので,今回のタンカー攻撃も怪しまれているわけです. なので,この事件の真相究明が急がれるわけですが. その「真相究明」に必要なことは3つあります. 1つは,誰にとっての「真相究明」なのか? ということ. 日本人である私達にとっては,当然「日本」にとって利益(国益)のある真相であることです. 日本に不利益なことであれば,真相を明るみに出す必要などありません. ちょっとブラックな言い方ですが,政治的な「真相」とはそういうものです. 2つ目は,日本にとって利益のある真相究明なのですから,日本国として真相究明ができる情報元や組織を用意することです. しかし日本国は,公式にはそれができる諜報機関を持っていません. いわゆる,アメリカのCIAとか,イギリスのMI6とか,ロシアのKGBとかです.

偏差値45の日本人は日本語が理解できない

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先日, ■ 偏差値40の大学生は「普通の日本人」です|または,日本人の3割は日本語が読めない という記事を書きました. たくさん閲覧いただき,ありがとうございます. そこでは,学力偏差値が「40」の大学,または大学生は「普通」の学力を有することを取り上げました. 偏差値40の大学生は,劣等日本人ではありません. 極めて平均的.ないし,どちらかって言うと優秀な部類です. さて今回の記事では, 「文章が読めない学生がいる」 「留学生でもないのに日本語が通じない」 とお困りの先生方に,その理由をお話します. 理由がわかれば気分が落ち着きます. 落ち着いたところで対策を考えましょう. (1)偏差値を再確認しておきましょう ところで,「偏差値」をきちんと説明することはできますか? 恥ずかしがることはありません. 実際,意外と知られていません. よく理解できていない人は,以前の記事で確認しておいてください. なんとなくの理解で以降を読んでも,イマイチ意味が分からないと思います. ■ 偏差値40の大学生は「普通の日本人」です|または,日本人の3割は日本語が読めない 偏差値は,データの元になった受験生(生徒)によって異なります. あと,なにをもって「偏差値◯◯だ」と評価するのかによっても違います. 結構いい加減な数値です. とある学校の生徒にとっては偏差値70の大学であっても,とある塾では偏差値50と言われる,ということが理屈の上では成り立ちます. 事実,大学の偏差値は塾によって異なります. ■ 大学偏差値一覧 (ベネッセ) ■ 入試難易予想ランキング表 (河合塾) とは言え,今回の記事で言う「偏差値」とは,そういう学力偏差値のことではありません. 日本人全体からみた「読解力」のことを指します. つまり,あくまでも仮定の話. 分母は日本人全体です. それを偏差値として表現した場合ということ. この理解をしてもらった上で,以下をご覧ください. (2)偏差値45以下の読解力を持った日本人 もしすべての日本人に読解力(日本語能力)テストをさせることが出来たら,各個人

職業としてではない大学教員

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「職業としての大学教員」というタイトルにすると,なんだかマックス・ウェーバーの著書みたいになります. 調べたら,「職業としての教師」という本も出ているそうです. でも,今回の話は「職業としてではない大学教員」の話です. もともと,大学教員は「職業」です. なので,職業としての大学教員を考えることが普通なのかもしれませんが,そこをあえて考えません. 最近,大学教員をやめることにした私ですが,かつては夢や熱意がありました. 否,まだあるつもりです. 今日もがんばって授業で学生を叱りつけてきたところです. 私は普段はほとんど叱ることがありませんけど,やっぱり人を叱るのには膨大なエネルギーがいります. 怒鳴り散らすのは気分転換になりますが,何も産み出しません. 自分が怒鳴りつけられたらどう思うか,考えてみれば分かることです. 叱るのは相手の意思や意図とシンクロさせなければいけないので(という感覚が私にはあります),かなり疲れます. シンクロさせた結果,怒鳴った方がいいと思えば怒鳴ります.でも,そんなケースはほとんど無い. 閑話休題. 今回は,学生の叱り方の話ではありません. それは職業としての大学教員の話になります. 大学教員になるための小説 大学院に進学したいという学生や,大学教員になりたいという学生にオススメしている書籍があります. 森博嗣 著『喜嶋先生の静かな世界』 書評などでも軒並み高評価を得ている,自伝的小説. 著者の森氏は名古屋大学工学部助教授だった人. つまり大学教員です. 理系ミステリー作家としてたくさんの本を出しており,不動の地位を持っています. 代表作に「すべてがFになる」「スカイ・クロラ」があります. 2005年から大学教員をやめて,現在は田舎で隠遁生活をしているそうです. そんな森氏が2010年に書いたのが 『喜嶋先生の静かな世界』 . 学生にオススメしている理由は,君が研究者になるなら,こういう世界があることを認識しておいてほしい,という私なりのお節介から. そして,そんな「静かな世界」を持った大学教員になってほしいと思っているからです. もちろん理想像や目標に個人差があっていいのですが,大学教育に関わる人なら知っておいてほしい価値観と思って

大学教員は「キャリア教育」をどのように考えるべきか

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今となってはこのブログは「エクセルの統計」が主体となっていますが,最初のうちは読書レビュー・ブログにしたいと思っていました. なので,ラベル(カテゴリ,タグ)には「読書」を用意していたのですけど,現在はすっかり「統計」と「大学教員の愚痴」のブログです. ちょっとずつ軌道修正したいと思います. 「統計」の記事についてはオススメ書籍や推奨サイトを紹介できていますので,「大学教員の愚痴」についても書籍を紹介しながら記事を書ければと考えています. そもそも,大学教員の愚痴として書いた, ■ 反・大学改革論 シリーズ にしても,オルテガやヤスパースの大学教育論を参考にしています. 実際,このブログを通して, ホセ・オルテガ 著『大学の使命』 や, カール・ヤスパース 著『大学の理念』 といった堅苦しい教育哲学書も売れているようです.   普通に生活していたら絶対に読まない本が紹介できているのですから,このブログ本来の趣旨はここにあるのかもしれません. このブログを検索で見つけたり,読んでくれるよう人たちは,もともと「大学教育」について多角的に情報を精査しているであろう知能指数の高い人たちなのですから,参考書籍とその読み方を紹介した方が,「私の意図」が伝わりやすい可能性があります. 逆に言えば,ネット情報やブログ記事だけで判断するような人は,このブログの読者ではないはずなんです. さて今回は,「大学のキャリア教育」について疑問に思っている人に向けた記事です. キャリア教育のウソ 児美川孝一郎 著『キャリア教育のウソ』 2013年にちくまプリマー新書から出版されたもので,当時,「キャリア教育の胡散臭さ」を怪しんでいた私は,すぐに買ったのを覚えています. ブログで私もよく噛み付いている「キャリア教育」について,この本から得られた知見は多いです. 目次をいくつか拾ってみましょう. 私の過去記事でも触れていることがたくさんあります. *キャリア教育の狭すぎるかたち *ウソで固めたキャリア教育? *「やりたいこと」探しの隘路 *職場体験って意味があるの? *「キャリアプラン」なんて,立てられるの? *「正社員モデル」の限界 Amazonレビューを読んでみると,興味深いものがありました.