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天皇についての先生と学生の対話

前回の記事では,私があまり取り上げない(避けている)天皇・皇室についてでした.
最近の皇室に関するゴシップを見ておりますと,「あぁ,皇室もいよいよ末期になっているのだな」と確信するものです.

その社会における「神聖」なものに対する構成員の態度を見れば,その構成員たちの教養水準が推し量れるというものです.
神聖なものに理由はありません.
みんなが神聖だと思っているから神聖なのです.
それにあれこれ理由をつけたり,神聖具合いを評価するものではありません.

私が天皇や皇室のことを取り上げにくいのは,語るべき材料を持ち合わせていないからだと思っています.

これについて参考になる記述を,新潮社編 『小林秀雄・学生との対話』で見ることができます.


この本は,批評家・小林秀雄が昭和36年から53年の間に九州各地で開催していた,学生に向けた講演会の記録です.
講義もさることながら,質疑応答(対話)の記録が魅力的です.

その中に,「天皇について」の質疑応答もあります.
今回,そこから小林秀雄の天皇に関する捉え方をご紹介します.





学生G:僕たちの天皇に対する接し方と申しますか,おつきあいの仕方というものはどうすればよいのでしょうか?
小林:誰に対する?
学生G:あの,天皇です.
小林:天皇?
学生G:はい.
小林:ああ,君はどうして,そういう抽象的な言葉を出すかな.君は天皇というものについて,関心がある? 天皇制がどうだとか,民衆意識がどうだとか,そういうことに僕は答える興味がないんだよ.というのはね,君は心の底からそういうことに関心があるわけではないからなのだ.
天皇に対して本当に親しみを持っているのは,ほとんど側近の方だけではないかな.諸君が聞かれてどう思うかわからないが,こんな話をしよう.このあいだ,僕は皇居を拝観に行ったのです.その時,今度新しくなった皇居を設計した人が案内してくれた.その人に僕は天皇の話をいろいろ伺った.すると何のついでだったか,鴨の話になって,「あなた,そんなに鴨がお好きなら,今度,新嘗祭の時にご招待しましょう」と言われた.
新嘗祭の夜,陛下はたった独りで賢所にお入りになる.そこで何をなさっているのかは誰にもわからない.無論,新嘗祭ですから,新しいお米を神様にお供えして,お礼を申し上げる儀式があるのだが,これはどういうものか天皇しかご存知ない.天皇だけが綿々と守ってこられた儀式です.
賢所に入られると,長いこと出ていらっしゃらない.そのあいだ,臣下はかがり火を焚いて,陛下を待っている.新嘗祭は晩秋ですから,真夜中になると寒い.寒いから,白酒,黒酒が出る.お酒,どぶろくですよ.そして,鴨の雑炊が出る.「その鴨はうまいですよ」と,その人に言われた.「あなたがそんなに鴨が好きならば,今度,陛下のお入りになる時に外で一緒にお守りをしてください.その時に鴨のお雑炊を差し上げます」.
これで僕は,陛下に対するアンティミテ(親近感)ってものがわかった気がした.もちろん普段の僕には,天皇へのアンティミテというものはありません.それは僕の性格だし,現代人はみんなそうでしょう.しかし,その話を聞いた時に,ああ,アンティミテとはこういうものだとわかった.このアンティミテを昔の日本人は持っていた.ついこのあいだまで持っていた.

小林秀雄が何を言いたいのか,明瞭に表現しているわけではないから,私なりの受け取り方を以下に示します.


まず,「君は天皇への関心があるわけではない」について.
そもそも,多くの一般人にとって「天皇制」や「天皇を見る民衆の目」なんてものを論じるのは無意味だと小林は言います.
なぜかと言うと,現在の多くの一般人は「天皇」について本当の意味で関心がないからです.

彼ら一般人が「関心がある」と言っていることというのは,実際のところ「天皇を戴いている制度(天皇制)」についての議論や,天皇や皇室に対する民衆の目と声です.
つまり,「皇室問題」のことなのです.

昨今であれば,天皇の譲位・跡継ぎ問題や,秋篠宮家問題などでしょう.

小林に言わせれば,そんなものは「天皇」を論じていることにならない.
天皇に本当の意味で関心があるわけではない人たちが,面白半分,ミーハー,下衆の勘繰りで語っているだけだというわけです.

実際,現代の天皇・皇室はゴシップネタに成り下がりました.
もちろん,彼らは彼らで「天皇の在り方」とか「天皇と国民の関係」をまじめに論じている気分になっているのです.
常識的な感覚がある日本人であれば,そんな畏れ多い評論なんぞ出来るわけないと思うものですが,至って熱心に語りたがります.

この国は末期だな,と思わされるのは,それを保守・右翼と自称する人たちが嬉々として論じていることです.


次に,「天皇に対するアンティミテ」について.
天皇と共に生きる心,天皇に寄り添う心とでも言いましょうか.
それが今の日本人には無くなったと小林は言います.

小林が宮中の人を通して感じたアンティミテとは,臣下が天皇に対し「忠誠を誓う」といった西洋的な感覚ではありません.
もっと家族的な感覚.苦労を共にする仲間としての感覚です.

「あなたがそんなに鴨が好きならば,今度,陛下のお入りになる時に外で一緒にお守りをしてください.その時に鴨のお雑炊を差し上げます」
という言葉が,それを端的に表しています.
排他的でも,権威的でもない,不思議な感覚が天皇の周りには漂っているのでしょう.


前回の記事でも書きましたが,日本人がこの感覚を失ったのは,日本が近代化したからだと思います.
日本は富国強兵の代償として,皇室を失ったのです.
第二次大戦の敗戦は,それを加速させたにすぎません.
もとを辿れば近代化です.

天皇や皇室と寄り添わなくなった日本人は,天皇や皇室を評論するようになりました.
天皇や皇室の人間は国民の税金で暮らしているのだから,我々には彼らの行動や意向を評論する資格があると構えるのが現代人なのです.


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