注目の投稿

最近の皇室とか天皇とかに思うこと

ゴシップネタとして世間を賑わせている「皇室」「天皇」の話題.
あんまり興味のない私の目にも止まっているのところからすると,「秋篠宮家子育て問題」「眞子様御結婚問題」あたりが特に活気があるようです.


いや,どうでもいいよ,こんなこと.
私の天皇や皇室に対する忠誠心が弱いからかもしれませんが,他人の家の心配をするような下衆なマネはしたくないものですね.
別にいいじゃないですか,眞子様が小室圭君と結婚したって.

そんなことで,皆さんの「皇室」に対する忠誠心が無くなるほどのことなのでしょうか.
えらく上から目線の忠誠心ですね.
そんなんよう言わんわ,って思います.

眞子様がチャラ男と結婚しようと,佳子様がパリピであろうと,悠仁様がヒッキーになろうと,そんなことどうでもいい.
もともと,我々平民が皇室に何か言える立場ではありません.

考えてもみてください.
数千年の歴史のなかで,かつての皇族に,チャラ男と結婚した人やパリピやヒッキーがいなかったはずがない.
それでも皇室は運営されたのです.
そんなこと関係なく日本人は許容したのです.

左翼が文句つけるのは分かります.
彼らは一般ピープルが皇室に注文をつけられる状態になることを目指しています.
それが「左翼」にとってのゴールですから.

タチが悪いのは,保守・右翼ヅラした連中です.
保守・右翼のクセに皇室に注文をつけようとします.
一昔前では考えられない話です.
彼らにとって「神聖にして侵すべからず」は忘却の彼方です.

これって,左翼にとっては右翼がオウンゴールしてくれているようなものでしょう.
まあ,結構おもしろい状況だと私は楽しんでいるのですが.


「皇室は税金で生活しているのだから,国民の意見を聞くべき」
という趣旨の主張を目にすることもあります.

教育問題と一緒ですね.
「税金で運営しているのだから,国民の意見が反映されるべき」
というのは,一見もっともに聞こえます.
でも,こんなこと堂々と発言するのは中2か,バカだけにしてほしい.


皇室にしても教育にしても,それを誤解を恐れずに言えば,国民を構成している圧倒的多数の「バカ」がまともに生活するために用意されたシステムです.
それに対し,この圧倒的多数のバカの意見を聞いていたらシステム不全に陥ります.

ところで,天皇は神聖視されていますが,そう言えば教育者も「聖職」と言われますよね.

分別のある国民は,皇室が無くても教育が無くても,「日本人」としてまっとうに生きていけます.
でも,バカはそうはいかない.
皇室にしても教育にしても,これはまっとうな考え方ができる人間には不要なものです.
これはバカがバカなりに,安定的な社会を形作るために必要なものだったのです.

そんな「神聖」「伝統」と言われるものに対し,一般ピープルが注文をつけだしたらお終いです.
なんのことはない,日本国において「皇室」も「教育」も終わったのです.
それが結論です.


現代において,「神聖」「伝統」は守るものではなく,壊すものになりました.
壊すことが正義,守ることは老害とされます.

これは近代化の必然とも言えます.
日本が近代化に手を出した時点で,皇室は死にゆく定めだったのです.

「日本の近代化は,欧米の植民地化を避けるための対抗策だった」
というのは本当のことなのでしょう.
でも,それによって日本は皇室を捨てる必要があったということです.
近代化や産業革命と,皇室はバーターだったのです.

近代国家や国民国家の価値観の下において,「伝統的な皇室」は機能しません.
両者は相反するものだからです.

国民一人ひとりの声,それも身分に関係なく発せられる声に注目が向くようになった時代では,皇室は不要とも言えます.
そう遠くない将来,皇室は日本国におけるその1500年あまり(建前上は2600年あまり)に渡った歴史的使命を終えることと思います.
それが10年後か20年後かは特定できませんが,現在の皇室問題からはその片鱗をうかがえるのです.


間違ってほしくないのは,「どうせ消える定めだから」と言って,それを加速させる必要はありません.
急速な変化は軋轢を生みます.

人の「命」の扱いも同じことでしょう.
「どうせいつかは死ぬんだから」と言って,自暴自棄な行動は社会を混乱させるし,身勝手な振る舞いは結果的に本人の不幸を招きます.
社会的システムの扱い方も,それと一緒です.

「どうやら我が国の皇室の末期が訪れたようだ」
そういう認識を持ちつつも,その変化をゆるやかに保つことが,本来の保守的な態度だと思うのです.
保守・右派の皆様は,ちょっと熱り立ち過ぎです.


関連記事
私の天皇論