注目の投稿

報道・ジャーナリズムとして至極真っ当な常識

前回のホルムズ海峡タンカー攻撃事件について,ブログ読者よりメールを頂いたので,この場をお借りしてお返事させていただきます.

元ジャーナリストという大学教員の方からです.
貴重なお便り,誠にありがとうございました.
以下に,メールをそのままコピペさせてもらいました.
今回のホルムズ海峡の記事は素晴らしいです。元ジャーナリストの端くれとして1人でも多くの国民が同じ考えを取り戻してもらうことを(かつてはそれが常識に近い時代があったと思いますので)願うばかりです。もちろんメディアの側に問題がないわけではありませんが、至極真っ当なご意見に触れて嬉しくなりました。

その至極真っ当な意見を載せた記事はこちらです.
ホルムズ海峡タンカー攻撃事件の真相究明が急がれる時,日本は安田純平を出国禁止にしていた
抜粋・要約すると以下のようになります.
日本国民にとって利益のある真相究明が必要です.
それができるのは報道機関であり,ジャーナリストと呼ばれる人たちです.
世界各国,報道の自由が叫ばれているのはそのためです.
ところが,日本の政府や国民は,そうした報道機関やジャーナリストに対する風当たりが強いのです.
典型的なのが,安田純平氏のシリア拘束事件に対する見方です.
ジャーナリストや報道機関の仕事は,政府や国家を批判することです.
政府や国家が,どんな理由でどんな正義を掲げようと,ジャーナリストや報道機関は徹底して批判しなければなりません.
ラーメン屋がラーメンを作って非難される覚えが無いのと同様,ジャーナリストや報道機関が政府・国家批判をして非難されるのは可笑しなことなのです.
最近では,「メディアは政府批判しかしない」とか言い出すポジショントーカーや評論家も出てくる有様.
末期症状ですね.
元ジャーナリストという大学教員から「それが常識」「至極真っ当」と言われて,私,かなり喜んでいるところです.

と同時に,
「ですよねぇ~」
って言いたくなる.


ところで,あのタイトルは煽ったものです.
別に安田純平氏の出国禁止を解けと言っているわけでも,安田純平氏にこの事件の真相究明を期待しているわけでもありません.誤解無きよう.

そうではなくて,報道機関やジャーナリストの仕事の本来性に立ち戻るべきだという話です.

なんのことはありません.
私がこれまで学校・大学問題で訴えてきたことと同じです.
大学の仕事の本来性に立ち戻るべきだ,と.

学校とは何か?
大学とは何か?

それが今回,「報道とは何か?」に変わっただけだと思っています.

前回の記事でも書いたことですが,報道というのは政府や国家を批判することです.
これを広げて,「権力」の批判と言うこともできます.

当然,報道機関やジャーナリストも一つの「権力」だと評価できますので,それを批判的に捉えることもできます.
ただ,話せば長くなるので今回は割愛しますが,私はこの手の「メディア自体が権力」という解釈については否定的です.

ガチの権力を批判をするからには,批判する側に「仮性」でもいいから,とりあえず「力(権力)」が必要になります.
これは鬼ごっこにおける,「鬼」という権力と一緒です.

鬼は子を捕まえるため追いかけ回すことができますが,子が鬼を捕まえることは出来ません.
これは「そういうルール」だからです.
「メディアは権力」とは,その仮性の権力です.

メディアの権力を疎ましく感じるのであれば,「鬼ごっこ」というゲームから降りればいい.
誰も止めません.
近代の国民国家は,そういうルールで権力の監視をすることにしています.

ただ,現在の日本で問題になっているのは,「子」が「鬼」に「俺にタッチしたら,あとで痛い目にあうぞ」と圧力をかけたり,勝手に「安全地帯」とか「無敵バリア」を作って安住していることです.
しかも周囲の人たちが,
「子は追いかけられてばかりで可哀想だ.鬼も追いかけられるべき」
とか,
「追いかけられなくてもいい子がいてもいいはずだ」
などと宣うようになりました.
これじゃ鬼ごっこになりません.


ところで,こういうメールをいただくと,以前に「いじめ問題」の記事を書いてて,例の和田先生からも最初,「我が意を得たり」とメールをいただいたことを思い出します.

その記事はこちら.

和田先生というのは,以下のような著書や,ネット記事を出されている教育識者です.

  


和田先生も,元教師の方.
教育現場における,その道のプロです.

こういった方々にお褒めの言葉を頂戴するのは,望外の幸せですね.