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笑ってはいけない「いじめ防止対策推進法」
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ブログの更新が気乗りしなくなって数ヶ月近くが経ちました.
が,ここらへんで気合を入れ直していこうと思います.
今回のテーマは,少し時期が遅い話題ではありますが「いじめ防止対策推進法」についてです.
というのも,これまでに学校教育の場におられる方々から,いろいろとお話しを聞かせていただきまして.
大事なことですから,タイムリーに話さなくても意思表明くらいはしておきたいと考え,ここに述べさせていただきます.
この「いじめ防止対策推進法」ですが,そこに書かれていることの多くが学校に「あれして,これして」といった感じで「いじめ防止対策」を求めるもので(いじめ防止対策の推進法だから当然だが),学校現場においては法律に書かれていることへの対応が進んできているのだそうです.
ところで,この法律の「第四条」に以下の記述があります.
第四条 児童等は,いじめを行ってはならない(いじめの禁止)
笑ってしまった人は,アウトー!
(ちなみに私は初見では盛大に笑ってしまった)
そんなフザけた文言があるわけない,と思った人は,
別添3 いじめ防止対策推進法(平成25年法律第71号)(文科省HP)
にちゃんと書いていますので確認しておいてください.
まるでギャグ漫画のネタのような法律ですが,事実です.
「なんてことを!笑ってる場合じゃないんだ.不謹慎だ」
という人もいましょうが,ここは一つ,冷静にいきましょう.
昨年(2013年9月)から施行されている法律ですので,その前後にたくさんのニュースやブログが書かれています.
すでにたくさんの肯定的/否定的な評価がなされていますので,いろいろと他の記事と重複するところもありましょうが,私なりの見解もひとつ.
まず,この法律は機能しません.
なぜなら,この法律があろうとなかろうと,学校では「いじめ」への対策はされる(されている)からです.
というか,法律で定めるようなことに馴染まないと言ったほうが適切です.
「これまで,いじめ防止対策がされていなかったから,今回のような法律ができたんじゃないのか」
というご批判もあるかもしれませんが,残念ながらトンチンカンな指摘です.ベクトルが違います,と言ったほうがいいかも.
私はこの法律が無意味だと言っているのではありません.機能しない.と言っているのです.
一定期間,「いじめ問題って大変だよねぇ」という学校や家庭,一般人に対して啓蒙するような効果,意味はあるでしょう.
でも,1年くらいたったら「いじめ防止対策」を推進するための法律としては機能していないと思いますよ.
なぜかというと,そもそも,この法律を読んでいただけると分かるのですが,学校現場にある人達からすれば,
「そんなこと昔からやってるよ.ってか,これは現実的じゃないから,もっと別の良い方法を採らせてほしいんですけど」
というような内容なのです.
大津中2いじめ自殺事件に端を発する法律なのですが,世の中の学校の多くが件の中学校と同じ状態だと思ってもらってはいけません.
たしかに大津の中学校や関係者の対応がまずかったのはそうなのでしょうが,だからといって,法律が必要なほどに子供の「いじめ」をコントロールしようとするのはファビョり過ぎってもんです.
過去記事にも書いてきましたが,「いじめ」というのは複雑極まりない現象です.ですから,その対処方法というのは,警察が犯人を捕まえるようなシンプルさも,裁判所で判決を出すような明確さも無い,非常にあやふやなものを教師に求めることになります.
この法律では.いじめ問題対策連絡協議会とかいう会議をはじめ,地域,保護者,警察などの連携を求めたり,いじめが存在したら報告をするのだそうです.
会議が増えて,
報告を徹底したがる傾向.
これってダメ組織の典型ではないですか.
てか,そういうことを一々学校に求めるから,「教師が生徒と向き合う時間が減り」「いじめの隠蔽」が起こるんでしょ,というところです.
これまでだって「会議や報告書類の作成が増えて,クラブをみれなくなった,生徒と話す時間が減った」と言われてきていたのです.
よって,皮肉なことに今回の法律は,学校教育における教師と生徒の溝を深くするための,“トドメ”,として機能することでしょう(合掌).
あと,私がこうした子供のいじめ問題で気になっていることが一点.
冒頭の,
児童等は,いじめを行ってはならない
という名文(?)が示しているところでもありますが,ではなぜ大人はいじめをしても良いのでしょうか?
タバコやお酒とはわけが違うはずです.
「いじめ」というのは,にわかに実施されることが増えた様々なアンケート結果が示すように,誰しもが被害者だけでなく加害者の経験があるものです.
■いじめ問題アンケート(ニコニコ動画)
↑例の一つとしてリンクしています.このアンケートでも,加害と被害はそれぞれ半数います.半数ですよ.万引きや飲酒,暴力事件とはわけが違う範疇を「いじめ」とくくっているのです.
表在化したり被害者側に認識されずとも,「いじめている」という状態が存在したり,誰も加害していないにも関わらず,「いじめられている」という状態が存在する,極めて多様で幅の広い,人間らしい現象なのです.誤解を恐れずに言えば,恋愛と同じだと言っていいかもしれません.
人間は成長していくことで,そういう「いじめ」という現象に対して自己をコントロールできるようになっていきます.
いくつになっても出来ない人もたくさんいるでしょうけど(笑),いじめるとしても,周りや本人にバレないように,もしくは合法的に「いじめる」すべを知るようになる.それが大人になっていくということでもあるでしょうし,“心の底からいじめているか否か” といった点を論ずるならば,性格や人格,人徳,人間性という切り口から説明されるのかもしれません.
つまり,「いじめ」というのは人間社会(日本であれば,日本社会)が作り出している,その社会で過ごす人間らしい現象の一つと考えられます.
「いじめ方」が国や地域によって違ってくるのは当たり前で,「いじめ」とはすなわち,コミュニケーション法の一変種と捉えられなくもありません.
過去記事でも述べたように,子供は「いじめ」を通して成長していくのです.
■いじめ問題は解決できるものではない
「いじめ」という教材を通して,どのような姿勢で生きることが,この社会で徳のあることなのか.そして,「いじめ」による被害者を作り出すことは,社会や共同体を形成する上で不利益になるのだということを学んでいくのです.
しかし,「いじめ防止対策推進法」では,
児童等は,いじめを行ってはならない
とし,いじめが発生しないよう “防止” するための法律にしています.法律の名前からしてそうですから,これは間違いありません.
私はここに「いじめ防止対策推進法」という法律の真の恐怖が隠れていると睨んでいます.
それは何かというと,子供のいじめを法律で,そして,大人(もっと言うと“教師”)が防止(コントロール)できると考えていることです.
いじめを無くせば,子供が善く育つと考えていることです.
「いじめは良くない」「いじめを無くそう」
とても良いことです.異論はありません.
別に私は天邪鬼になって記事を書いているわけではないのです.
「いじめ」はどのような社会でも発生するものです.「防止」できるものでも,解決できるものでもありません.いじめが発生しない社会というのも気持ち悪いでしょ.
けれども,この「いじめ」を放置すると,その社会や共同体が健全に機能しなくなってしまう.それでは問題だから,どのようにすれば良いのだろうか,と考えることが大切です.
もっと言うと,「いじめ」がなくなってしまうと健全な学校教育ができなくなってしまう.それくらいの懐の深さで見守ってもらいたいところです.
そうは言っても,現実は今私が述べてるようなことを学校教育の場で粛々と先生方がやるわけでして.
法律があろうとなかろうと,知育,体育,徳育,芸術,遊戯,そして「いじめ」を交えながら,学校教育は今日も展開されていきます.
はっきり言って,法律でどうこうできるものではないのですから.
なので結論として,この法律は「機能しない」ということなのです.
が,ここらへんで気合を入れ直していこうと思います.
今回のテーマは,少し時期が遅い話題ではありますが「いじめ防止対策推進法」についてです.
というのも,これまでに学校教育の場におられる方々から,いろいろとお話しを聞かせていただきまして.
大事なことですから,タイムリーに話さなくても意思表明くらいはしておきたいと考え,ここに述べさせていただきます.
この「いじめ防止対策推進法」ですが,そこに書かれていることの多くが学校に「あれして,これして」といった感じで「いじめ防止対策」を求めるもので(いじめ防止対策の推進法だから当然だが),学校現場においては法律に書かれていることへの対応が進んできているのだそうです.
ところで,この法律の「第四条」に以下の記述があります.
第四条 児童等は,いじめを行ってはならない(いじめの禁止)
笑ってしまった人は,アウトー!
(ちなみに私は初見では盛大に笑ってしまった)
そんなフザけた文言があるわけない,と思った人は,
別添3 いじめ防止対策推進法(平成25年法律第71号)(文科省HP)
にちゃんと書いていますので確認しておいてください.
まるでギャグ漫画のネタのような法律ですが,事実です.
「なんてことを!笑ってる場合じゃないんだ.不謹慎だ」
という人もいましょうが,ここは一つ,冷静にいきましょう.
昨年(2013年9月)から施行されている法律ですので,その前後にたくさんのニュースやブログが書かれています.
すでにたくさんの肯定的/否定的な評価がなされていますので,いろいろと他の記事と重複するところもありましょうが,私なりの見解もひとつ.
まず,この法律は機能しません.
なぜなら,この法律があろうとなかろうと,学校では「いじめ」への対策はされる(されている)からです.
というか,法律で定めるようなことに馴染まないと言ったほうが適切です.
「これまで,いじめ防止対策がされていなかったから,今回のような法律ができたんじゃないのか」
というご批判もあるかもしれませんが,残念ながらトンチンカンな指摘です.ベクトルが違います,と言ったほうがいいかも.
私はこの法律が無意味だと言っているのではありません.機能しない.と言っているのです.
一定期間,「いじめ問題って大変だよねぇ」という学校や家庭,一般人に対して啓蒙するような効果,意味はあるでしょう.
でも,1年くらいたったら「いじめ防止対策」を推進するための法律としては機能していないと思いますよ.
なぜかというと,そもそも,この法律を読んでいただけると分かるのですが,学校現場にある人達からすれば,
「そんなこと昔からやってるよ.ってか,これは現実的じゃないから,もっと別の良い方法を採らせてほしいんですけど」
というような内容なのです.
大津中2いじめ自殺事件に端を発する法律なのですが,世の中の学校の多くが件の中学校と同じ状態だと思ってもらってはいけません.
たしかに大津の中学校や関係者の対応がまずかったのはそうなのでしょうが,だからといって,法律が必要なほどに子供の「いじめ」をコントロールしようとするのはファビョり過ぎってもんです.
過去記事にも書いてきましたが,「いじめ」というのは複雑極まりない現象です.ですから,その対処方法というのは,警察が犯人を捕まえるようなシンプルさも,裁判所で判決を出すような明確さも無い,非常にあやふやなものを教師に求めることになります.
この法律では.いじめ問題対策連絡協議会とかいう会議をはじめ,地域,保護者,警察などの連携を求めたり,いじめが存在したら報告をするのだそうです.
会議が増えて,
報告を徹底したがる傾向.
これってダメ組織の典型ではないですか.
てか,そういうことを一々学校に求めるから,「教師が生徒と向き合う時間が減り」「いじめの隠蔽」が起こるんでしょ,というところです.
これまでだって「会議や報告書類の作成が増えて,クラブをみれなくなった,生徒と話す時間が減った」と言われてきていたのです.
よって,皮肉なことに今回の法律は,学校教育における教師と生徒の溝を深くするための,“トドメ”,として機能することでしょう(合掌).
あと,私がこうした子供のいじめ問題で気になっていることが一点.
冒頭の,
児童等は,いじめを行ってはならない
という名文(?)が示しているところでもありますが,ではなぜ大人はいじめをしても良いのでしょうか?
タバコやお酒とはわけが違うはずです.
「いじめ」というのは,にわかに実施されることが増えた様々なアンケート結果が示すように,誰しもが被害者だけでなく加害者の経験があるものです.
■いじめ問題アンケート(ニコニコ動画)
↑例の一つとしてリンクしています.このアンケートでも,加害と被害はそれぞれ半数います.半数ですよ.万引きや飲酒,暴力事件とはわけが違う範疇を「いじめ」とくくっているのです.
表在化したり被害者側に認識されずとも,「いじめている」という状態が存在したり,誰も加害していないにも関わらず,「いじめられている」という状態が存在する,極めて多様で幅の広い,人間らしい現象なのです.誤解を恐れずに言えば,恋愛と同じだと言っていいかもしれません.
人間は成長していくことで,そういう「いじめ」という現象に対して自己をコントロールできるようになっていきます.
いくつになっても出来ない人もたくさんいるでしょうけど(笑),いじめるとしても,周りや本人にバレないように,もしくは合法的に「いじめる」すべを知るようになる.それが大人になっていくということでもあるでしょうし,“心の底からいじめているか否か” といった点を論ずるならば,性格や人格,人徳,人間性という切り口から説明されるのかもしれません.
つまり,「いじめ」というのは人間社会(日本であれば,日本社会)が作り出している,その社会で過ごす人間らしい現象の一つと考えられます.
「いじめ方」が国や地域によって違ってくるのは当たり前で,「いじめ」とはすなわち,コミュニケーション法の一変種と捉えられなくもありません.
過去記事でも述べたように,子供は「いじめ」を通して成長していくのです.
■いじめ問題は解決できるものではない
「いじめ」という教材を通して,どのような姿勢で生きることが,この社会で徳のあることなのか.そして,「いじめ」による被害者を作り出すことは,社会や共同体を形成する上で不利益になるのだということを学んでいくのです.
しかし,「いじめ防止対策推進法」では,
児童等は,いじめを行ってはならない
とし,いじめが発生しないよう “防止” するための法律にしています.法律の名前からしてそうですから,これは間違いありません.
私はここに「いじめ防止対策推進法」という法律の真の恐怖が隠れていると睨んでいます.
それは何かというと,子供のいじめを法律で,そして,大人(もっと言うと“教師”)が防止(コントロール)できると考えていることです.
いじめを無くせば,子供が善く育つと考えていることです.
「いじめは良くない」「いじめを無くそう」
とても良いことです.異論はありません.
別に私は天邪鬼になって記事を書いているわけではないのです.
「いじめ」はどのような社会でも発生するものです.「防止」できるものでも,解決できるものでもありません.いじめが発生しない社会というのも気持ち悪いでしょ.
けれども,この「いじめ」を放置すると,その社会や共同体が健全に機能しなくなってしまう.それでは問題だから,どのようにすれば良いのだろうか,と考えることが大切です.
もっと言うと,「いじめ」がなくなってしまうと健全な学校教育ができなくなってしまう.それくらいの懐の深さで見守ってもらいたいところです.
そうは言っても,現実は今私が述べてるようなことを学校教育の場で粛々と先生方がやるわけでして.
法律があろうとなかろうと,知育,体育,徳育,芸術,遊戯,そして「いじめ」を交えながら,学校教育は今日も展開されていきます.
はっきり言って,法律でどうこうできるものではないのですから.
なので結論として,この法律は「機能しない」ということなのです.
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コメント
>いじめが発生しない社会というのも気持ち悪いでしょ.
返信削除気持ち悪くありませんね。