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職業としてではない大学教員

「職業としての大学教員」というタイトルにすると,なんだかマックス・ウェーバーの著書みたいになります.


調べたら,「職業としての教師」という本も出ているそうです.
でも,今回の話は「職業としてではない大学教員」の話です.


もともと,大学教員は「職業」です.
なので,職業としての大学教員を考えることが普通なのかもしれませんが,そこをあえて考えません.

最近,大学教員をやめることにした私ですが,かつては夢や熱意がありました.
否,まだあるつもりです.

今日もがんばって授業で学生を叱りつけてきたところです.
私は普段はほとんど叱ることがありませんけど,やっぱり人を叱るのには膨大なエネルギーがいります.
怒鳴り散らすのは気分転換になりますが,何も産み出しません.
自分が怒鳴りつけられたらどう思うか,考えてみれば分かることです.

叱るのは相手の意思や意図とシンクロさせなければいけないので(という感覚が私にはあります),かなり疲れます.
シンクロさせた結果,怒鳴った方がいいと思えば怒鳴ります.でも,そんなケースはほとんど無い.

閑話休題.
今回は,学生の叱り方の話ではありません.
それは職業としての大学教員の話になります.





大学教員になるための小説


大学院に進学したいという学生や,大学教員になりたいという学生にオススメしている書籍があります.

森博嗣 著『喜嶋先生の静かな世界』



書評などでも軒並み高評価を得ている,自伝的小説.

著者の森氏は名古屋大学工学部助教授だった人.
つまり大学教員です.
理系ミステリー作家としてたくさんの本を出しており,不動の地位を持っています.
代表作に「すべてがFになる」「スカイ・クロラ」があります.

2005年から大学教員をやめて,現在は田舎で隠遁生活をしているそうです.

そんな森氏が2010年に書いたのが『喜嶋先生の静かな世界』

学生にオススメしている理由は,君が研究者になるなら,こういう世界があることを認識しておいてほしい,という私なりのお節介から.
そして,そんな「静かな世界」を持った大学教員になってほしいと思っているからです.

もちろん理想像や目標に個人差があっていいのですが,大学教育に関わる人なら知っておいてほしい価値観と思っています.


大学教員って「職業」として就くものではないのです.
職業に就く,という感覚で仕事されると困る世界と言ってもいい.

だいたい,大学の教育現場がメチャクチャになった要因の8割くらいが,大学教員を職業として扱ったからとも言えます.

大学教員は職業ではありません.
やりたいことがある人が,それを徹底してやれるポストと言ってもいい.
「やりたいことをやれる代わりに,これをやれ」などという,バーターやトレードオフが通用してはいけないのです.

森氏も別の書籍で言及していましたが,大学が予算不足で悩んでいるのなら,教員の給与をもっと大幅削減すれば良い,というもの.私もこれには同感.
たぶん,年収200万円くらいでも全く問題ないと思います.いやホントマジで.
もちろん研究費や出張費などは別ですけど.

大学教員って,給料が低くてもやりたい職業なんですよ.職業じゃなくてもいいんです.
個体が生存できるだけの環境が用意されれば,あとは研究に打ち込みますから.

「給与を高くしないと優秀な人材が来なくなる」という人もいますが,あれ,絶対に違う.
むしろ,少なくない大学教員が現在困っているのは,下手に給与が高いもんだから,研究以外の仕事を割り振られても文句言えないだろ的な環境と空気になっていること.
そんなんだったら,給与はいらないから勝手にやらせてくれ,って感じです.

何をもって「一般人」というのか,その定義が難しいですが,ひとまず研究者以外の人ということで話すと,一般の人には,研究者の世界を理解しといてくれるだけでいいんです.
これに納得してくれとは言えません
もともと,納得してもらえるような話ではないと思いますし.

研究者とは,頭が良い人のことを指すのではありません.
勉強が好きなわけでもないのです.
こういう事を言うと訝しむ人がいますが,本当です.

物事に対する興味の深さが違う人のことを研究者と呼びます.
興味の範囲が同じであっても,深さが違うと世界が変わります.

そしてそこは「静かな世界」なのです.
ところが,静かな世界のことを一般的には「オタクの世界」「自己満足の世界」などと呼びます.
オタクで何が悪いのか?
自己満足で何が悪いのか?
その世界があることによって,一体誰がどんな迷惑や損害を被るのか?

小説からのちょっと引用します.
でもね,社会の人って,みんな,そういうことを,もの凄く知りたがっているんだよ.君みたいに,構成方程式の一般形がどうのこうのって,そんなことには興味はないわけ.それよりもね,あの人とあの人はどうして仲が悪いの,どうしてあんなに仲が良いの,あの態度はどういうつもりなの,何を考えているの,なにか隠し事をしているんじゃないの,そんなことばっかり一所懸命考えて,一所懸命話し合っているんだよ.おかしいでしょう?絶対おかしいよね. 
おかしくはないよ.興味の対象っていうのは,人それぞれ,自由だと思うし. 
そう,それが正しい.でもね,違うの.世間の大部分の人はね,貴方みたいな数式ばかり考えている人は,頭がおかしいって思ってるわけ.
(中略)
みんなが変なんだよ.数式を一所懸命考えている人って,みんなのことを認めているのに,人間の心がどうこうって言う人は,数式を考えている人を認めないじゃない.

この小説を書いている時点で,森氏は大学教員をやめています.
小説の文章の中には,そんな大学教員という仕事に対する悲哀が感じられます.
つまらない雑事ばかりが押し寄せる.人事のこと,報告書のこと,カリキュラムのこと,入学試験のこと,大学改革のこと,選挙,委員会,会議,会議,そして,書類,書類,書類・・.
(中略)
今は,いろいろなことを考える.それは,大人になったとか,一人前になったとか,バランスの取れた社会人になったとか,家庭を持ち,人間として成熟したとか・・・,そういった言い訳の言葉でカバーしなければならない寂しい状態のこと.僕はもう純粋な研究者ではない.僕はもう・・・.

多くの人が,純粋な研究者でいられなくなったのが,現在の大学教員の実態なのかもしれません.
これは大学にとっても,学生にとっても,そして日本や人類にとっても損失です.

大学教員に幸せが訪れますように.
ウソじゃなく,心から祈っております.
いやホントマジで.

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