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大学教員は「キャリア教育」をどのように考えるべきか

今となってはこのブログは「エクセルの統計」が主体となっていますが,最初のうちは読書レビュー・ブログにしたいと思っていました.

なので,ラベル(カテゴリ,タグ)には「読書」を用意していたのですけど,現在はすっかり「統計」と「大学教員の愚痴」のブログです.

ちょっとずつ軌道修正したいと思います.
「統計」の記事についてはオススメ書籍や推奨サイトを紹介できていますので,「大学教員の愚痴」についても書籍を紹介しながら記事を書ければと考えています.

そもそも,大学教員の愚痴として書いた,
反・大学改革論シリーズ
にしても,オルテガやヤスパースの大学教育論を参考にしています.

実際,このブログを通して,ホセ・オルテガ 著『大学の使命』や,カール・ヤスパース 著『大学の理念』といった堅苦しい教育哲学書も売れているようです.

 

普通に生活していたら絶対に読まない本が紹介できているのですから,このブログ本来の趣旨はここにあるのかもしれません.

このブログを検索で見つけたり,読んでくれるよう人たちは,もともと「大学教育」について多角的に情報を精査しているであろう知能指数の高い人たちなのですから,参考書籍とその読み方を紹介した方が,「私の意図」が伝わりやすい可能性があります.

逆に言えば,ネット情報やブログ記事だけで判断するような人は,このブログの読者ではないはずなんです.


さて今回は,「大学のキャリア教育」について疑問に思っている人に向けた記事です.




キャリア教育のウソ


児美川孝一郎 著『キャリア教育のウソ』




2013年にちくまプリマー新書から出版されたもので,当時,「キャリア教育の胡散臭さ」を怪しんでいた私は,すぐに買ったのを覚えています.
ブログで私もよく噛み付いている「キャリア教育」について,この本から得られた知見は多いです.

目次をいくつか拾ってみましょう.
私の過去記事でも触れていることがたくさんあります.

*キャリア教育の狭すぎるかたち
*ウソで固めたキャリア教育?
*「やりたいこと」探しの隘路
*職場体験って意味があるの?
*「キャリアプラン」なんて,立てられるの?
*「正社員モデル」の限界

Amazonレビューを読んでみると,興味深いものがありました.
Amazonのサイトから趣旨を引用したら以下のようなもの.
(どうやら,アマゾンレビューの転載引用はできないらしい)
キャリア教育はまだまだ進化中である
★☆☆☆☆
キャリア講師として考えさせられた.
しかし若者への向けたメッセージとして考えると,これまでに学んできたことが否定されてるような気持ちがする.
「じゃあどうしたらいいの?」が不明確であるため,評価は星1つ。
マジっすか.って思うようなレビューです.
レビュアーはどうやら「キャリア講師」とのことですが,どんな業務をしているのかは不明です.
もしかすると大学におけるキャリア教育を担当しているのかもしれません.

おそらく「大学にキャリア教育が必要である」という意見を持っている方のレビューだと思いますので,この考え方に反論してみたいと思うのです.

まず,大学教育に対し「進化中」というのは無責任ではないでしょうか?
そんな進化中の教育,過渡期の教育を学生に向けているのはいかがかと思います.

「これまでに学んできたことを否定されているような気持ちがする」
という意見も,大学教育からすれば本末転倒です.
そもそも大学教育とは,「これまでに学んできたことを否定する」ことにその存在意義があります.

私の恩師による教えです.
「教科書を読むのが学校.教科書を疑うのが大学.教科書を書くのが大学院だ」
関連することを,こっちの記事でも紹介しています.
大学の上にある大学院

実際のところ,その恩師も「僕の恩師が言っていたんだけど」とおっしゃられていたので,この教育理念は代々受け継がれているものなのでしょう.
私が受け持った学生の何%に伝わっているのか分かりませんが,これは大学教育における本質論だと思います.


『「じゃあどうしたらいいの?」が不明確』
というレビューについても,著者の児美川氏は「キャリア教育のウソ」という書籍タイトルで,既に主張しているではありませんか.
キャリア教育なんていらないんですよ.
だってウソだから.


児美川氏に言わせれば,「キャリア教育」の問題点の一つが,学生に「やりたいこと」を見つけさせようとする点です.
実際に社会人になった人ならご存知の通り,人は「やりたいこと」をやれるわけではないし,「やりたいこと」がないまま仕事をして,傍目からは「成功している」と思われている人もいます.

多くの一般的な人にとって,「やりたいこと」と「仕事」は別なのです.

児美川氏はさらに言います.
個人的な提案であるが,流行りのキャリア教育が<「やりたいこと(仕事)」の選択→その職業(仕事)について調べ学習>といったベクトルでの段階論に立っているとしたら,そんなことはすぐにでもやめたほうがいい.
(中略)
結果として,在学中に「やりたいこと(仕事)」が決まらなくても構わない.「専門職(専門的職業)」に就きたいのであれば,ある時点で決めておく必要があるかもしれないが,それ以外の若者にとっては,困ることなんてない.むしろ,決めていなくても,いろいろな選択肢(仕事)について理解していることの方が決定的に大事なのである.

医師や教師といった専門的職業については,「やりたいこと」に応じて大学・学部を選ぶ必要があります.
しかし,その他圧倒的多数の学生にとっては,自分が今そこで勉強していることや,「やりたいこと」と職業選択との間の関連は非常に低いのです.

キャリア教育とは,そのミスマッチを大学教育から廃するために誕生してきた経緯もありますが,そもそも「やりたいこと」と大学教育,職業選択の関係性が無いんだから仕方ありません.

大学でキャリア教育をするにしても,児美川氏は「銀行型学習」ではなく,「料理教室型学習」が良いと提案します.
従来の学校においては,生徒は「銀行型」の学習を行なっていた.知識やスキルを学んで,それを “預金” のように貯めこんでおく.卒業後には,そうして預金しておいた知識やスキルを引き出しながら,仕事や人生を送っていくのである.このモデルにおいては,学習は基本的には学校卒業の時点で終了する.
(中略)
料理教室型では,知識としてもスキルとしても,料理の「いろは」は教えてもらうけれども,その後自分が作ることになるすべてのレシピを習うわけではない.習得するのは,料理の仕方である.
しかし,それさえ修得すれば,生涯いつでも,料理番組や料理本のレシピを参考にしたりしながら,自分で料理を作れるようになる.しかも,料理教室で学んだやり方を忠実に守るのは,おそらく初期の段階だけである.その後は,誰もが自分なりの料理法や味付けなどを創意工夫していき,自分なりの環境に合わせていく.「銀行型」の学習よりもはるかに自由度が高く,応用範囲も広い.
「そんなことは分かっている」
という声も聞こえそうですが,分かっているクセにやっていないのが昨今のキャリア教育なのです.

引き出したお金を支払えば欲しい商品が手に入るのと同様,知識やスキルを,すぐに使える「お金」のように貯め込ませる授業や研究が,キャリア教育では展開されます.
あくまでも銀行型を目指しているのです.

もちろん,文部科学省もその点については分かっているつもり.
こんなプロジェクトが以前から立ち上げっています.
「予測困難な時代において生涯学び続け、主体的に考える力を育成する大学へ」(文部科学省HP 2012年)

ところが,その資料を読むと,
1)アクティブ・ラーニングを充実させる
2)学習時間を増やす
3)高校と大学の円滑な接続
といったことによって「予測困難な時代に対応できる学生」が育つと考えています.

予測困難なんだから,下手に未来を予測して教育現場をかき回すよりも,現場での学習方法の自由度を上げればいいのにと思うのですが,そんなことをしたら「文部科学省としての仕事」にならないから出来ないのでしょう.


結局のところ,キャリア教育などしなくてもキャリアはできるものなのです.
どのような人生を歩むかは個々人に任されているのだから,その可能性を「卒業」までの短期で考えるより,もっと長いスパンとして広げるのが大学教育の価値のはず.

そんなわけで,「大学のキャリア教育」について疑問に思っているけど,具体的にどういう点がダメなのか指摘しにくい人や,理論武装したい人にとって本書は有益です.


今回紹介した著者の本はこちら