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偏差値45の日本人は日本語が理解できない

先日,
偏差値40の大学生は「普通の日本人」です|または,日本人の3割は日本語が読めない

という記事を書きました.
たくさん閲覧いただき,ありがとうございます.

そこでは,学力偏差値が「40」の大学,または大学生は「普通」の学力を有することを取り上げました.
偏差値40の大学生は,劣等日本人ではありません.
極めて平均的.ないし,どちらかって言うと優秀な部類です.

さて今回の記事では,
「文章が読めない学生がいる」
「留学生でもないのに日本語が通じない」
とお困りの先生方に,その理由をお話します.

理由がわかれば気分が落ち着きます.
落ち着いたところで対策を考えましょう.

(1)偏差値を再確認しておきましょう


ところで,「偏差値」をきちんと説明することはできますか?
恥ずかしがることはありません.
実際,意外と知られていません.
よく理解できていない人は,以前の記事で確認しておいてください.
なんとなくの理解で以降を読んでも,イマイチ意味が分からないと思います.

偏差値は,データの元になった受験生(生徒)によって異なります.
あと,なにをもって「偏差値◯◯だ」と評価するのかによっても違います.
結構いい加減な数値です.
とある学校の生徒にとっては偏差値70の大学であっても,とある塾では偏差値50と言われる,ということが理屈の上では成り立ちます.

事実,大学の偏差値は塾によって異なります.
大学偏差値一覧(ベネッセ)


とは言え,今回の記事で言う「偏差値」とは,そういう学力偏差値のことではありません.
日本人全体からみた「読解力」のことを指します.

つまり,あくまでも仮定の話.
分母は日本人全体です.
それを偏差値として表現した場合ということ.
この理解をしてもらった上で,以下をご覧ください.







(2)偏差値45以下の読解力を持った日本人


もしすべての日本人に読解力(日本語能力)テストをさせることが出来たら,各個人でその偏差値を算出することができます.
この場合に,偏差値45以下である人の人数は,全体の約30%に相当します.

そして,この下位30%の日本人,つまり日本人の3〜4人に一人は,日本語がきちんと理解できません.
以外に思われますが,これはOECDが実施している国際成人力調査(PIAAC)の結果です.

こうしたデータを元に,科学的にみた「教育」や「組織運営」の在り方を検討している書籍があります.

橘玲 著『もっと言ってはいけない』

昨今の「日本語を理解してくれない大学生」に困っている教員は必読です.


「日本人の30%が日本語ができないとは,またぞろ日本教育批判の類か?」
と思われる人もいるかもしれませんが,違います.

逆に言えば,日本人は70%の人が日本語をきちんと理解できる.
つまり,ちゃんとした読解力が備わっている人が70%もいるのです.
これは世界トップです.

一方,他の先進国は約50%の人間にきちんとした読解力が備わっていません.


「そもそも,読解力とはどのようなテストなのか?」
と疑問に思われる人もいるでしょう.

テスト問題は以下のような文章です.
皆さんは,以下の日本語の文章が読めますか?

遺伝子組換え食品に賛成の主張と反対の主張のいずれも信頼できないと主張しているのはどの本ですか?

実際のテストでは,上記の指示を元に,リストの中から該当する本を選ぶというものです.
リスト中にある,遺伝子組換え食品に賛成の主張と反対の主張の両方とも信頼できないと言っている本を選択すれば「正解」になります.

他にも,PIAACの「読解力」の問題例を紹介したサイトがありますので,そちらもご確認ください.
国際成人力調査(PIAAC)問題例(国立教育政策研究所)

その中から一つピックアップしてみましょう.
もう一度,皆さんもチャレンジしてみてください.
保育園のルール
私達の保育園へようこそ!おおいに遊び,学び,そしてみんなと仲良くなれる1年であることを願っています.少し時間を割いて当保育園のルールを確認してください.
*お子さんを午前9時までに連れてきてください.
*お昼寝用に,小さな毛布や枕と小さなぬいぐるみ,あるいはそのどちらかをお持ちください.
*お子さんに楽な服装をさせ,着替えをお持ちください.
*宝飾品類やお菓子は禁止です.誕生日の場合は,子供に与える特別なおやつについて担任と話をしてください.
*お子さんにはきちんと服を着せてから,お越しください.パジャマではいけません.
*フルネームで署名をお願いします.これは入園に必要な規則です.ご協力お願いします.
*朝食は午前7時30分までご用意しております.
*お薬をお持ちになる場合は,ラベルが貼ってある元の容器に入れたままにし,各教室に置いてある与薬依頼表に記入しなければなりません.
*質問があれば,担任または山田・宮内にお聞きください
【問題】
子供は,遅くとも何時までに保育園に来ればよいですか?

正解は,「午前9時まで」です.
分かりましたか?


なんとなくテストの意図が分かってきた人もいるかと思います.
ようするに,長い日本語,ややこしい言い回しに対する理解度(つまり読解力)をテストしているわけです.

そして,上記のような問題文に,日本人の30%は不正解になります.

もうお分かりですね.
作成・用意した側の人間にとっては,簡単で懇切丁寧なルール表記や説明文だと思っていても,それを「読めない人」がいるんです.
それも,約30%.

こういう人であっても,日本語を話すことはできるし,簡単な文章は理解できます.
ユネスコの定義では,「日常生活で用いられる簡単で短い文章を理解して読み書きできる状態」を「識字率」として定義しています.
「識字率」は,現在では一部の国を除き,世界中ほとんどの国で,ほぼ100%です.
しかし,「読解力」となると話は変わってくるのです.

この30%の「日本語が読めない日本人」にしたって,本人は日本語を理解していると思っています.
なぜなら,その問題文にしても「読んでいる自覚」はあるからです.
ところが,不正解になってしまう.

そんな彼らは,他人だけでなく自分にも言い訳をします.
「文章がまどろっこしいから騙された」
「文章が長いから面倒くさくなって適当に答えた」

そして最後にはこう言うでしょう.
「ちゃんと読めば分かったはずだよ」と.

しかし,そういうのを「読解力が無い」と言うのです.
読解力が無い人は,ちょっとでも難解な文章になると読むのを諦めます.長い文章を前にすると,読むのを面倒くさく感じるのです.

体力がある人は,階段を使いますが,無い人はエスカレーターを使いたがりますよね.
体力が無くたって,階段を登ることはできる.でも,登ろうとはしません.
そういう人をなんと評するのかというと,「階段を使わない人」です.
それと一緒.






(3)読解力が無い学生の対処


「最近の大学生は,日本語が通じない奴がいる」
そんなことを言う先生方もいますが,その感覚は本当なのです.
詳細は,
偏差値40の大学生は「普通の日本人」です|または,日本人の3割は日本語が読めない
で説明しましたが,現在の「偏差値60クラスの大学」までには,日本語が理解できない学生が極少数まぎれています.

ここで問題になるのは,読解力が無い学生を「なんとかして卒業させよう」とする大学や教員が出てくることです.

お願いです.
それ,やめてください.

読解力が無くても,何かしらの特技や思考力があって,素晴らしい才能を発揮する学生もいるでしょう.
まあ,レアだとは思いますが.

でも,そうでもないのに,あたかも読解力が高まったことにして単位を出したり,卒業させるのは,大学にとって自殺行為です.

可哀想かもしれませんが,読解力が足りないことによって授業についてこれない学生は,ちゃんと落とすべきです.
「授業の中でトレーニングしてあげればいいのに」って思うかもしれませんが,ここで言う日本語の読解力というのは,普段の生活で訓練されていることです.
「分かりやすい授業を展開すれば理解できるのでは?」というスタイルもありますが,やれることは限られてきますし,そもそも読解力を必要としない授業というのも問題でしょう.
大学の授業内でなんとかできるレベルの話ではないことがわかると思います.


対策としては,授業以外のところで「読解力強化セミナー」を開催することでしょうか.
わざわざ大学が開催しなくてもいいのでは? と思う人もいるでしょうが,背に腹は代えられない大学があることも知っています.

そこでは,文章作成や日本語技法などをトレーニングするのが良いでしょう.
それ専門のユニットを作ったり,作文講師を雇ったりして対応するのがベターです.

現在の多くの大学では,そうした読解力に相当する能力のトレーニングを,「基礎演習」とか「初年次ゼミ」などと称して,1年生のときに全学生対象で「授業」として開催しています.
あれ,猛烈に不毛だからやめた方がいいです.

なぜ全学生対象にするんですかね?
そんなに大事なことなら,すべての受験問題に入れとけばいいのに.
他の問題が出来ても,ここが不正解だったら入学を許可しなければいいんです.


すでに入学後だというのなら,それこそ責任を持って,一定の読解力がなければ初年次(1年生)から進級できないようにすればいいんです.
一定の読解力を有していないのに,2年生以上の授業を履修できる仕組みの方が無責任ではないですか?
これについて,納得のいく説明をしてくれる「初年次教育」の推進者を私は知りません.
私の目には,初年次教育は責任逃れの規定事実づくりに見えます.

順序が逆なんですよ.
大学とは,基礎的な読解力や文章技法,数的思考力といったものが身についていないと受講できない授業を展開しなければいけないのです.
それに対し学生は,授業を受けるために読解力や数的思考力を身につける手段を考えるのです.
手段は大学が用意したセミナーでもいいでしょうし,独学でも外部セミナーでもいい.
そもそも,それを身につけるはずの場所が高校なんですけど.この際,その点については無視することにします.

授業についていけない学生が一定数いるのは承知しています.
でも,その少数の学生に目をつけて,全体の学習量を増やして,質を低下させるのはいただけません.

この話は,発達障害の学生への対応とも関連しますが,それはまた別の機会に取り上げたいと思います.



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