2012年11月12日月曜日

大学設置不認可について,大学教員として言いたいこと

タイトルにあるようなことを記事にするべく,本件のバカバカしさを語ってやろうと意気込んでいたら,内田樹先生のブログに先をこされていました.
全くと言っていいほど同様の見解なだけに,誠に残念であります.
田中大臣の不認可問題の影にあるもの(内田先生のブログ記事)
大学を減らすために何ができるのか?(これも内田先生の記事)
一歩遅かった.

今日の朝,Yahooニュースを見ていたら,『政治クローズアップ 大学設置不認可 問題の本質は』とかいう記事があって,その中で見つけてしまいました.

チクショウ.悔しい.
こんなことなら先週は仕事を適当にやってブログ書いとけばよかった.と不埒な考えも出たり.
ちょうどこういうのって,実験をやろうと企画している途中で,実は先行研究に全く同じ実験デザインの研究があるのを見つけちゃった,というのに似ています.


まぁそれでも,私なりの記事も書いておこうということで,一筆したためましょう.

9月の記事では,『反・大学改革論』を展開しておりますので,その続きということにもしときます.
以下の4つは私の記事です.
暇でしょうがなかったら,合わせて読んどいてください.
反・大学改革論
反・大学改革論2(学生からの評価アンケート)
反・大学改革論3(学生はお客様じゃない)
反・大学改革論4(喜んでる教員)


大学設置不認可については,適当にググったら出てくるので,ご自身で詳細は調べといてください.

本件を語る上で重要なくせにニュースとして取り上げられない課題があります.
(1) 本当に大学生の学力は下がっているのか?
(2) そもそも大学は多いのか?
(3) 大学を減らせば「良く」なるのか?
(4) 認可手続きは本当に「不自然」なのか?
(5) 本当に大学の質は下がっているのか?
(6) 淘汰されるべき大学とは,どんな大学か?

この問題の本質を本当に問いたいのであれば,上記の課題に答えなければならないはずですが,「なんか多分そんな感じだから」ということで語られているので始末に終えないのです.

(1)については,かなり以前に記事にしたことがあります.
学力低下
大学の数が増えて,大学生の数が増えているのであれば,当然ながら「大学生」という身分の人間の平均的な学力は下がります.
でも,これは「日本人の学力が低下している」ということにはなりません.
今まで大学に入学できるような学力ではなかった高校生も大学に入学できるようになった.
それだけのことなわけですから,これは単純な統計的な問題です.

内田先生もブログで述べているように,たくさんの若者が大学教育を受けるようになったのだから,“誠に幸いなことに”,日本人の若者が高等教育を受ける機会が増えていることを意味しているわけです.

(2)と(3)については,考えようでしょう.
上で述べたように,日本人の学力(と言うよりも,高等教育,正確に言えば “学術力”)を高めたいのであれば,大学は多いほうがいいわけですから.
そのぶん,教育予算を増やさなければならないのですが,それは次代を担う日本人を育てる気概の問題のような気がします.
それでもなぜ世論が 「なんとなく大学を減らしたい」 という方向に向かっているのか?,については内田先生が述べているところです.

教育問題には首を突っ込みたい.
「だから最近の◯◯はダメなんだ」と言いたい.
でも,本当に日本の若者の学力・学術力が高まってもらったら,自身の立場が危うくなるから困る.
そういうことです.
まぁ,皮肉を言えば,日本人の多くが教育問題を適当に考えていることを汲み取れるわけですね.


さて,内田先生のブログには載っていないことに突入していきます.
(4)の認可手続きについてですが,これは一般に流れている(Yahooニュースでも池田信夫氏などが述べている)「不自然」な手続きではないことを主張しておきたいと思います.

たしかに,一般の感覚では認可途中で
「建物が出来上がっている」や,
「教職員の採用が決まっている」,そして
「学生募集が済んでいる」
といったことを「不自然」と捉える向きもわからんでもないのですが.

これこそ,「知らないんなら口出すな」と言いたくなることでして(少なくとも,ちゃんとメディアは認可手続きの意味を国民に広く正確に伝えるべき).

では,「不自然だ」と主張する人に聞きますが,
建物も教職員も学生の集まり具合も全く分からないままに,書類だけで認可するのか?
ということに同意するのでしょうか.

会社を立ち上げることとはわけが違うんですよ.
例えば,書類だけで認可させることを考えるんなら,申請時に以下のような文言を放り込んどけばいいんですよ.
「東京駅前に200万平方mの敷地を用意する予定」
「ノーベル賞受賞者を中心として,各界で活躍する教員を採用予定」
「そんなスゲぇ大学ですから,定員を大幅に上回る受験生を見込んでいる」
そして認可後に,
「あれは予定だったから,結局こんな大学になっちゃいました」
で構わないことになってしまうんです.

それでいいと思います?
ダメでしょ.

だから新設大学は,コツコツと文科省と進捗状況を協議しながら認可の内定をもらい,最後のこの時期に大臣からの最終認可を“儀式として”受けるようなシステムになっているのです.


さて,次は(5)の問題ですが,これは私も「大学改革」の余地ありと考えているところです.
9月の一連の「反・大学改革論」シリーズでも少し述べていますが,私なりの大学改革.

それはつまり,「やっぱり本来の大学に戻ろう」です.

大学改革というのは以下の2点を担保しなければいけないと考えています.
(1) 大学の研究レベル
(2) 卒業生の学術レベル

最低でも,どちらか1点は担保すべきです.
ところが,これまでの大学改革は上記の2点とも無視したビジネスライクな改革になっていました.

「いや,だからそれを担保するために市場原理を持込み,グローバル時代に対応する“教育力”を大学に求めて・・・」
と反論してくるのかもしれませんが,結果としてダメだったのだし,現在進行形でダメになっていっているわけですから,考えなおさなければなりません.

現状,大学の数が多いことを認めるとしましょう.
では,その「数が多すぎる大学」という現状から,大学改革するには何をすればいいのか?
しかも,上記で示した2点を担保しながら.
かつ,抜本的でハードランディングな改革にならないもの.

今のところ,私にはこれしか思いつきません.

(1) 卒業基準を各大学で呼応して厳しくする
(2) 卒業基準に各大学の “らしさ” を求める
(3) 卒業基準の甘い大学への行政指導
(4) その代わり,改革移行期に発生するであろう「卒業しにくい大学を敬遠」という現象を文科省はフォローする

「大学は質の高い学生を世に出すべき」
というなら,これが必要です.
改革には混乱がつきものです.
ゆえに,(4)のような,大学をフォローする仕組みも用意しなければ,ただの大学いじめにしかなりません.
だって,卒業生の学術レベルを高めようと頑張れば頑張るほど,おそらく今の高校生・保護者の感覚では,その大学への入学者数が減ることになるのですから.
つまり,何を学ぶか?ではなく,卒業することに価値を置いている今の価値観で上記の改革をすると,きっとそんな動きになるはずです.

だいたい20年ほどのスパンでやる必要があると思います.
20回くらい卒業生を出せば,どの大学が良い卒業生を出しているのか,その社会的な評価も出るでしょう.

とは言え,大学の評価に,そんなに大きな変化があるとは考えていません.
なぜなら,私の感覚的なものですけど,現在でも「良い」とされている大学は,そのまま「大学の研究レベル」と「卒業生の学術レベル」の高さを保有しているからです.

ただし,この私の改革論だと,どうしても拭えない危惧があります.
それは,「教育のマニュアル化」です.
楽して数値を示したい大学が,学問ではなく勉強を,学術力ではなく学力を高めることを是とする動きが予想されます.
そこをどうするのか?考えものですが.

最後に(6)についてですが,内田先生もおっしゃられるように,ビジネスライクな大学が消えていくのではないですか.
結局,社会に役立つ知識だとか,教育力(学術的な意味ではない)だとかを謳う大学っていうのは,淘汰されてしまうんだと思います.