2013年10月14日月曜日

食料自給率を問いなおす

ここ最近,農業問題のことを立て続けに記事にしておりましたが.その記事を作成するにあたって,食料自給率に関するデータを再考してみました.
今回は,そのデータをざざっと広げてみようという寸法です.

日本の食料問題がグラフでわかるようになっています.
大学の授業では食事や栄養のことを取り扱うこともありますので,その時に教養・豆知識として紹介するという使途のために作成しているものです.つまり,もともとはこのブログのために作っているのではありません.
ちなみに,この記事に限らず,本ブログで作成されたグラフや表は皆様も利用価値がありましたらご使用ください(ただし,元データの出典の表記はお願いします).


食料自給率を取り巻く議論が賑やかだった頃がありましたが,最近はだいぶ落ち着いてきたようです.
でも,その「落ち着いてきた」理由が,多くの一般庶民の方々が農業問題や食料問題に関心がなくなったからというのが実際のところなのかもしれません.今のところ,食糧価格や貿易のことがニュースになることがありませんので.

原発事故や震災復興の遅れがニュースで出ることもありまして,物凄く重大なことだと私は思っていますが,少なくともネットニュースでは(私はテレビをみない)話題になることはないようです.
たいてい,芸能人が逮捕されたとか引退するとか,韓国が何か言ってるとか,そんな話ばかりが賑やかなようです.まぁ,世間というのはそんなもんですかね.

さて,食料自給率のことですが,過去記事にもあげているように,そして浅川芳裕 著『日本は世界5位の農業大国』でも述べられているように,日本は世界トップレベルの農業大国です.
日本の農業はそんなに弱くないはず.というのが私の直感でしたから,「やっぱりね」というところを浅川氏は指摘しております.
農業はその国の基本ですから,農業が活発であることは非常に喜ばしいことなのです.

そこはいいのです.
日本の農業は凄いんだ.もっと自信をもって日本の農業を語っていこう.このままパンや洋食を駆逐してやれ.ガンガンいこうぜ!という趣旨だと思っていたのですが.
ところが,どうやら浅川氏をはじめとする「日本は世界に冠たる農業国」という主張をする方々が向いてる方向というのは「だから日本は農業で世界を相手にビジネスできる」というもののようでして・・.
ズコーーーーっ
という感じであります.残念ですが,そこには賛同できません.

それに,この件については不明瞭な議論ばかりが目立つものですから,私なりに農業と食料自給率についてデータを集めてみました.
するとどうでしょう.どうやら退っ引きならない状態であることが徐々に分かってきましたので,一連の記事を書かせてもらいました.

まずは「農業をビジネスに」と考えている人が引っ張り出してくる生産額ベースの自給率について.

以下のグラフに示したように,2003年の時点で日本は70%です.
農林水産省資料より
■http://www.maff.go.jp/j/council/seisaku/kikaku/bukai/18/pdf/data1-1.pdf
分子を国内生産額,分母を国内消費仕向額として算出した「生産額ベース」では,“思ったよりも” 低くない.農業市場も8兆円ということで世界5位.それはいいのです.

ところが,こうした「農業をビジネスする」ためには,自国のカロリーを自給できる能力があってこそです.
それは,自給「率」ではありません.自給「能力」のことです.

私は壊滅的な国際食料危機が訪れる可能性は極めて低いと考えています.
ですが,そうはならなくても,それに近しい食料危機が降りかかる可能性はあります.
これについて,私が気にしているのは「飢餓」や「食料難」といった安全保障上の混乱による餓死ではなく,「食料不安」から惹起された「食料の海外依存」への流れが生む以下の問題点です.
そうした時,日本の食文化や食習慣,それを成り立たせている農業と伝統文化を守れるのか?
これについて,■PL480 通称,残飯処理法と,■農家が出荷しているのはお金になるからであって,国民の飢えを防ぐためではないに具体例を書きましたので,暇だったら参照ください.
食料難に陥る発展途上国は「栄養失調」と「肥満問題」の両方を抱えているというパラドックスがあり,これは「食料の海外依存」がその要因の一つなのです.

こうしたことを考えるために,なにかと生産額ベースと対比されて示されることの多い,カロリーベースの自給率をまずは確認しておきましょう.
もうおなじみですね.

農林水産省「食料自給率」資料より(2013)

ここで問題になるのは,過去記事でも指摘しているように,カロリーベースの自給率は流通している食料のすべてのカロリーを合算して説明しちゃっていること.
つまり,その国の食文化の根幹を担う「主食」を考慮したものではないわけです.

では,そうした点を考慮するために算出されている「穀物自給率」はどうなのか?
それがこれ.
農林水産省「食料自給率」資料より(2013)
ガーーーン!
なんと!日本の自給率が一気に下がりました.
その代わり,ドイツ,スウェーデン,イギリスといった,カロリーベースでの食料自給率が100%未満だった国が,自分たちの「主食」はちゃっかり確保しているわけです.

だから過去記事(本文末を参照)では,しつこいくらい「米食文化死守」「稲作復活」を声高に叫ぶことにしました.
しかしまぁ,よもや,ここまでヒドいとは.

これは重要な点ですので,もう少し詳しくみてみましょう.
各国は主食や穀物自給率をどように位置づけているのか?それが年次推移で確認できます.
農林水産省「食料自給率」資料より(2013)

上記の図では表示している国が多いので,各国の年次推移を読み取るのが難しいですね.
ですので,もともと穀物自給率が100%以上の国だけでみたのがこれ.
「100%は割らないぜ」という気概がみえます.
農林水産省「食料自給率」資料より(2013)
そりゃそうです.主食を自国で賄えないということはリスキーですからね.それに,過去記事でも繰り返しているように,主食は自国の食文化の要です.
ここを他国に頼り始めると,その国の操にかかります.

では次は,もともと穀物自給率が100%を下回っていた国だけでみたのがこれ.
イギリスは70年代,ドイツは90年代に100%を達成しており,スイスも徐々に高めていることが見て取れます.
スペインとイタリアは横ばいのようですが,なんとか一定水準をキープしています.

その一方で,悲惨なのが日本とオランダ.特に日本は “もともと高かったのに下がっている” という情けなさ.
おや?でもオランダってたしか農業大国だったよね.

あ!そうか.オランダの主食はジャガイモじゃないですか.
ということは・・・.

はい.そういうカラクリでした.
説明の必要はないですね.
各国とも,「自国の文化は徹底して守る」のがデフォなのです.
農林水産省「食料自給率」資料より(2013)

ついでに,これがその他の農産物の自給率.
はい.これが農業大国オランダの正体ということです.
農林水産省「食料自給率」資料より(2013)
ていうか,日本って主要な食料が何一つ自国で賄える状態にない,ということが判明されました.
こういう状況ということが分かったので,「日本の農業は大丈夫」とは簡単に言えないわけです.

過去記事でも書いていますが,別に自給率を100%にせよというわけではありません.
いざって時に,国内でかき集めれば日本の食文化を維持できるほどのカロリーと食料が確保できるのか?ということなのですが,それがままならないということが危険なのです.
これが引き金となって,「背に腹は代えられないぜ」と外国の食料を恥ずかしげもなく貪るような国にならないか?それが問題なのです.

もっと言うと,食料安全保障にしたって怪しいもので.
「だいたい,食料輸入ができないような国際危機においては,石油の輸入も危機でしょ.石油がない状態で日本は農業できませんよ(笑)」
と言う人もいるのですが,そんなお花畑な人たちに構ってられるほど,国家の危機への対処はバーチャルな話ではありません.
それは先の震災と当時の政権が十二分に示してくれたではありませんか.
もうお花畑な安全論はやめましょう.

以前,私はてっきり米などの穀類や芋の自給率は安全ラインにあって,カロリーベースとか生産額ベースなどというデータには出てこない食料安全保障は確保されているもんだと思っていました.
でも,どうやらそうではないのかもしれません.

食料の自給能力という点では,日本以外ではスペインとイタリア,スイスあたりも危険ということでしょうか.
こういう生命に直結する「食料」を自国で賄えない国は,国際的なイニシアチブをとるのは大変ですよ.
食料を誰かに恵んでもらう立場って,物凄い負い目です.でかい口たたけないでしょ.
(北朝鮮があるじゃないかぁ..,と言いたい人は,北朝鮮がいまだにユートピアだと考えているのでしょうか.ユートピアって食料を恵んでもらう国のことなのですね)

でも,この中でもスイスって・・・.
そうじゃないですよね.

まず,スイスの主食はパンだけでなく,オランダと同様,ジャガイモも食べます.主食と言えるものが分散しているという特徴があります.
それにですね,スイスには食料安全保障を助けるだけの強力な武器があります.

そう,それは武器です.
誤植でもなければ,ふざけているのではありません.「武器」「兵器」です.
各国,スイスから優秀な武器や兵器が調達できなければ困ります.
スイスの強力な武器と兵器の輸出は,食料と同等の価値をもつ強力な取引材料になっているのだと推察されます.
(北朝鮮には核ミサイルと軍隊による恫喝取引があります)

ところで,それに引き換えスペインとイタリアって,ヨーロッパの中では今・・・.
あの状況って偶然なのでしょうか?
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/37730




参考記事
参考になる書籍を,以下に示します.

                


2013年10月13日日曜日

PIAACとPISAの結果の考察

かなり昔の記事ですが,
学力低下
において「大人の学力みたいなものを測ればいいのに,というか,それを測って考察しないと子供の学力を云々することはできない」と言っていたら
PIAAC:国際成人力調査
でも紹介したように,OECDがそんなことを計画してやっておりました.

んで,先日,
待ちに待ったその結果が発表されました.

結果を前に言っておきたいのは,私が数年前からずっと主張していることをもう一度,
「今の日本の教育は悪くない.学力も低下していない.というか,もっと教育現場にいる人の言うことを聞いてくれないでしょうか皆様」
です.

さて今回は,PIAACの結果をうけて私なりに,そして,タイトルにあるような,皆さんが実は気にしているであろうPISAとの相関も含めて,面白可笑しく考察してみます.

文部科学省が出している結果・考察は,
http://www.mext.go.jp/b_menu/toukei/data/Others/1287165.htm
http://www.mext.go.jp/b_menu/toukei/data/Others/__icsFiles/afieldfile/2013/10/08/1287165_1_1.pdf
を御覧ください.

まずはシンプルな国際ランキングから.日本はどの位置につけているのか,左図を御覧ください.

めでたいことに,結構な差をつけて日本がトップという結果です.
しかも,本当に他国とは「差」をつけておりまして,統計学的に見ても2位以下に「有意差」をつけているのだそうですよ(詳細は文科省の結果考察を).

通常,このような「ランキング」にすると,実はその「差」は僅かなものであって,意味のある差(有意差)はみられないことが多いのですが.
実際,「数的思考力」では2位のフィンランドは3位,4位のベルギー,オランダと「差はない」という結果です.

例えば,体重65kgの人と64.5kgの人に「差がある」とは言えないでしょ?コーヒーを飲んだり,トイレに行ったらランキングに変動があるような「差」ですからね.
そのようなわけで,今回の日本の1位というのは「圧倒的ではないか,我が国は」と表現してよいものなのです.

このPIAACは16歳〜65歳の人を対象にしております.
ですから当然,「どの年代が優秀なのか?」という点は気になるところです.

文科省の結果・考察にも出ていますが,それがこの下図2つです.

別に,我々の世代(20代後半〜30代半ば)が優秀なんだと自惚れたいわけではありません.
OECD各国とも同じような結果ですし,その平均値も同じような傾向を示しています
要するに,このPIAACというのは20代後半〜30代半ばが,最も点数が高くなるテストなのであり,そうしたものを測定しているということが示されたわけです.

詳細に読み取っているわけではないので強くは言えないのですが,日本の特徴としては「数的思考力と読解力の両者とも,50歳頃から急激に低下する」ということです.
これはおそらく,その時期の方々が押し並べて「頭が悪い」わけではなくて,ヒトという生物的に低下が免れないものなのだと思います.

私の専門であるスポーツ科学でも同じことが言えます.日本人の「筋力(体力)」も50歳頃を境に急激な低下をみせるのです.
運動習慣やトレーニングの影響を受けにくい「握力」を例に,上のものと似せてグラフを作ってみました.
データ元は文部科学省のものです.
http://www.e-stat.go.jp/SG1/estat/List.do?bid=000001030954&cycode=0
2012年度の新体力テストより作成
※16歳〜19歳の値および男女の値を平均している
これは偶然ではないと思います.
50歳が一つのターニングポイントなのは,体力も知力も同じなのかもしれませんね.

※あと,「握力」のところで一つ解説をつけとくと,グラフのように10代の握力が弱く,30代でピークになる,というのは普通でして,昔から変わらない傾向です.これをもって「最近の子供は体力がない」というのは間違いです.意外と知られていませんので驚く人がいます.

私が学生時代,スポーツ科学では高名なとある先生が仰っていたことを思い出します.
「30歳前後が最も面白いアイデアや馬力を持っている時期だね.バリバリ動けるのはその時期で,その時に思い付いたことや疑問に感じたことを形にするのが,あとの研究生活だよ」
というものです.まさにそうしたことを数値で見ているようです.

では,こうしたPIAACで測定した値ですが,何かと議論されることの多い「子供の学力」とはどのような関係性を持っているのでしょうか?

今回は,PIAACにおける16歳〜24歳の結果と,2003年〜2009年までのPISA(いわゆる,OECD生徒の学習到達度調査)の結果との関係性を考察してみることにしました.

2003年〜2009年までのPISAの結果を平均し,それをPIAACの値とで相関をとりました.
なぜかというと,2003年〜2009年当時の子供たちが,今回のPIAACにおける16歳〜24歳の部分に相当するからです.

このやり方が良いか悪いかと言えば,そんなに良くないと思いますが.
PISAとPIAACで,評価したい事がそもそも違いますしね.片手間に趣味の範囲でやったことなので,その旨どうかご了承ください.
それらを以下に示しております.

まずはPISAの「読解力」と,PIAACの「数的思考力」の結果です.

そりゃそうなのかもしれませんが,「PISAの読解力」と「PIAACの数的思考力」の相関性は弱い( R二乗値=0.133)ことがみてとれます.

一方の「PIAACの読解力」との相関性はというと,こちらも微妙( R二乗値=0.414).
理由はその道の専門じゃないのでわかりませんせんけど,PISAの読解力,つまり子供の読解力の測定とPIAACの読解力は別物なのかもしれません.

実際,テスト内容はぜんぜん違いますし,これらのテストの名前も英語にすると異なるものです.
PISAの読解力はReading literacyですが,PIAACの読解力はLiteracyですので.

いずれにせよ,PISAで測定される子供の読解力は,PIAACで測定される大人の読解力や数的思考力との相関性は弱いことはわかりました.


では,次はPISAの「数学的リテラシー」とPIAACの結果をみてみましょう.
これはどうなのでしょうか?


まずはPISAの「数学的リテラシー」と,PIAACの「数的思考力」.
R二乗値は0.564と低くはないので,子供の頃の数学的リテラシーは,大人になった時の数的思考力と関係はあるようです.

さらに強力な関係が見いだせるのがPIAACの読解力です.
なんと,R二乗値が0.735という高さ.
ピシっ!と斜め45度になっております.
子供の頃の数学的リテラシーは,大人になってからの読解力との関係が強い可能性があります.
専門的に詳しく分析しないといけませんので,あんまり強引には言えませんが,そんなような傾向のようですね.

最後に,PISAの科学的リテラシーとの関係性をみておきましょう.
まずはPISAの「科学的リテラシー」とPIAACの「数的思考力」.

お次はPIAACの「読解力」との関係.
「科学的」っていうもんだから,PIAACの数的思考力との関係性が強いものだと思っていたら,どうやらこちらもPIAACの「読解力」との関係性が強いようです.
つまり,子供の頃の科学的リテラシーは大人になってからの読解力(literacy)につながる可能性が高いわけですね.まぁ,たしかにそんな感じはします.

義務教育後の,拡大解釈すれば「大人に求められる」能力というのは,以下のようにまとめることができるかもしれません.
大人に求められる「読解力」は,子供の頃の数学的リテラシーと科学的リテラシーの影響を強く受ける.
一方で,子供にとっての読解力は,大人になってから求められる読解力とは質が異なる可能性がある.
大人に求められる「数的思考力」のためには,やはり子供の頃の数学的リテラシーに依存する可能性がある.
そんなようなところでしょうか.
また気が向いたら別の分析をしてみようとは思いますが,教育学とか社会学の人の専門的な分析が出ることを期待しております.

データの出典元は,以下のOECDのサイトです.
http://www.oecd.org/pisa/aboutpisa/(PISA)
http://www.oecd.org/site/piaac/(PIAAC)

2013年10月11日金曜日

農家が出荷しているのはお金になるからであって,国民の飢えを防ぐためではない

農業問題という視点から少しずつ離れて,食料問題を取り上げていこうと思います.
ある意味,最初の■食料自給率と食料安全保障に戻ったということも言えます.

この記事のタイトルがかなり長いですが,要はそういう趣旨です.
今回は,ときおりネットでも目にすることのある「食料自給についての問題は現代日本においては無関係である」という説に釘を指す内容になっています.

とは言え,私自身,世界同時飢饉によって食料難になったとしても,日本中が飢餓に苦しむような事態になる危険性は非常に小さいとは思います.
絶対の保証はないものの,飢饉は突如として降りかかるものではなく,少しずつ現れてくるものだからです.よって,少しずつ対応策を打っていくことになるわけですから,ある時期から突然,地獄絵図になるというものではありません.

では実際にその危険というのは,巨大隕石が衝突するとか,ヨーロッパや北アメリカなどで大規模自然災害が発生するとか.あと,小規模ではあっても核を使った紛争が勃発するといったことで,国際関係に極度の緊張感と混乱が生じた場合です.そうした時,各国(特に先進国)は食料輸出に慎重になりますから,食料を輸入に頼っている日本のような国は,
\(^o^)/
にはならなくとも
/(^o^)\になります.
可能性としてはかなり低いですが,最悪のシナリオではないにしても,類似した事態にはなり得ます.

少しずつ困窮する中にあって,日本ほどの軍事力がある国であれば,どこかの国を脅したり制圧すれば済むかもしれません.でも,それって「歴史は繰り返す」ではないでしょうか?

「そうした事態はありえない」のであり,「お金と輸入で解決できる」という態度でふんぞり返るのは問題です.
これについて,平和的かつファンタジックに解決する手段を考えたのが,■ハイテク農業を考えるです.

ところで,特にこの「日本にはお金があるから大丈夫」というのは,非常に強い説得力を持つ理論なのですが,かつての人間社会は「食料=お金」の時代だったことを思い出してほしいのです.
Wikipedia:「食料自給率」なんかでも紹介されていますけど,古来,飢饉に陥った際に最も困窮するのはむしろ自給生活をしている農村であり,都市部はお金があるから食料調達が可能であるため,実はそんなに困らない,という説もあるようですが.

そんなことにはなりません.
昔ならいざしらず,現代の農家は都市部に食料を渡しません.もとい,「奪われなくて済む」のです.
なぜなら,現代日本は君主制でも専制政治でもないからです.
というか,「御國のために」だったと揶揄される第二次大戦中の日本ですら,そうだったではないですか.
詳細は後日の記事に回しますが,厚生労働省で手に入るデータからみても,終戦直後(1946年)の日本国民の1日当たりのカロリー摂取量は,
都市部:1721kcal 農村:2082kcal
(なお,この当時の農村の値は,現代日本人のカロリー摂取量:1840kcalより高い)
ということですから,ひもじかった戦中はさらに差があった可能性が高いですね.

この日本の例で言えば,かつて武士(公務員)の給料は「石高」でしたよね.石高というのは田んぼの数のことです.つまり食料供給能力の高さが有力者の給料や財だったわけです.
したがって,各々の領主は食料を都市部に集め,それを流通させるというかたちで管理運営します.
そうした中において飢饉が発生すれば,食料備蓄をしているのは都市部ですから,裕福な者は飢えず,供給側の農村が飢える,という構図になります.

ところが今は(上で確認したように,遅くとも戦前くらいからは),自分の家族が飢えるのを横目に,都市部に食料を召し上げられるような時代ではないのです.
現代において農家は,食料を日本に(そして都市部に)貢いでいる人たちではないからです.そこを勘違いしてもらっては困りますし,過去記事ではこうした「農業を甘く見ている都市部と,ふてくされた農家」という現状こそが問題だということを訴えているわけです.
それを少々荒っぽく訴えたのが■問題の本質は農家をバカにしていること

仮に「食料危機だ」というニュースが出ようもんなら,あっという間に市場に出回る食料は減ります.農家や農家同士で備蓄が始まるからです.
当然,「政府は何をやっている!」という都市部の不満も出ましょうから,少しは行政指導はされるでしょうが,「農家は都市部へ食料を安定的に供給しなければならない」なんていう義務もポリシーも気にせず来たのですから,すべて後の祭りです.

今,ビジネスとして成り立つ農家として持て囃されているのは「野菜農家」です.稲作ではありません.ところが,野菜農家では飢饉に対処できません.野菜には十分なカロリーがないからです.
そんな時,かつて日本の救世主とされたジャガイモが再び脚光を浴びるかもしれません.ジャガイモはカロリーが高いですし,作ろうと思った時に作れちゃうという奇跡の即効性を持っています.私も親からは遺言のように「困ったときにはジャガイモを植えなさい.どんな土地でも,気候が悪くても育つ」と言われてきました.
ところがジャガイモには連作障害(同じ畑で何度も作れない)という致命的弱点があります.緊急対策にはなっても,あとはジリ貧になっていきます.

一方で,農家以外の人は知らない人が多いのですが,米,つまり水田は思いつきで作れるわけではありません.土作りや,その土地での栽培ノウハウの蓄積など,数年は要します.農薬や品種改良などで,だいぶ安定して育てられるようになっていますが,それでも簡単なものではないのです.

そのようなわけで,農家としては飢餓によって都市部の人口が減っていくのを罪悪感に苛まれながら待つだけになります.

とは言え,そりゃあ命に代えられませんから,裕福な方々はお金をはたいて食料を手に入れるので大丈夫でしょう.
ところで,「お金がある都市部の方が飢饉に強い」という理論が説明するような「昔(中世や近世)」と同様に,今の日本の都市部の人は,農家よりも所得が大きいのでしょうか?
現代の都市部には裕福な人も多いですが,ギリギリの生活をしている人も多いのではないですか?

それこそ過去記事でも取り上げましたし,「農家は打って出るべき」と訴える人たちが明らかにしているように,現代日本においては都市部の所得と農家の所得に,大きな格差はありません.
ということは,「都市部にはお金があるから,農家よりも食料調達には困らない」という前提が崩れます.

都市部にいくらお金があろうと,農家としては「まずは自分の必要な分を確保」した後に,「余った分を都市部へ」が当たり前です.
お金で買えると言ったって,流通の仕組みとしてまず食料を買うのは卸・小売の人たちです.
そして,そういう人たちにしたって,「まずは自分の必要な分を確保」した後に,「余った分を販売に」が当たり前です(これにも行政が特別規制をかけるでしょうけど,事態が切迫するほど機能しなくなるでしょう).
食料を売ってしまって自分が飢えた,なんて笑えない冗談ですから.

「海外から買えばいい」
そうです.それしか道がありません.というか,そもそも今の日本は食料自給率が40%,穀物自給率は26%なのですから.平時においても常に「その」状況なのです.

もっと言うと,そもそもの前提として,日本がその時を迎える最悪のシナリオというのは,世界同時飢饉,もしくは国際食料流通網の遮断(混乱)ですよ.
海外からの食料調達が困難になった場合のことを言っているのです.

食料問題,特に米などの主食の流通というのは,トマトやイチゴの流通とはわけが違います.まして,自動車やテレビの流通とは別物です.
生命維持のための行動と判断が働きますから,同じように考えてはいけないのです.


私が食料問題について,ある程度,そしてある意味で楽観的なのは,最悪の事態が訪れたとしても都市部で餓死者が出るくらいで,決して日本人が全滅するわけではないというレベルの話です.
ほとんど多くの一般庶民は死ぬことになるでしょうが,そういう危険性を承諾した上での現在の農業政策だと理解しています.
これは原発や軍事基地の問題と同様,安全性と効率性のトレードオフの関係にある問題だと考えられます.

「そ,そんなこと言ったって,人肉を喰らい合う,地獄のような状況にはならないだろう(笑)」
そうです.そんな事態になる確率は極めて小さいでしょう.
ですが,むしろ私が危惧しているのは「とりあえず◯◯から食い物を輸入できて助かったね.食いつなげれたからいいじゃん!」などという,アホ人間のような感想で終わること,それなのです.

ほどよいショックがかかれば,
「やべぇ,米やカロリーの高い食料を確保するのは国家の基本なんだな」
という意識改革が起こるでしょうが,ジワリジワリと食料難になっていくと,ジワリジワリと日本の食文化や日本文化そのものが壊れていきます.

実際,食料難になっている国というのは,食える物はなんでも食う,調理法や味付け方法なんて後回し,というスタイルになります(当たり前だけど).
皮肉なことに,そうした食料難(と言われることの多い)の発展途上国は「栄養失調」と「肥満問題」を抱えています.

左図は,■WHO(世界保健機関)肥満に関するデータを基にしたグラフです.小さいのでクリックして御覧ください.
肥満ランキング上位国は,決して裕福な国ばかりではないことが分かります.よく目にすることが多いOECDの比較データには,こうした途上国が入っていませんので見落とされがちです.
さらに,中国やタイといった国は平均値でみると下位に位置していますが,一部の人が太っていく「肥満の格差」が広がっています.

こうした途上国の肥満問題というのは,油脂などのカロリーが高い食品を優先的に選択することによる,偏った食事に由来した栄養失調になってしまうためです.
実際に食料難であることはたしかなのですが,反動として,流通する食料が「カロリーを効率よく摂取できる物」になり,これが食料に困っているという現状とも相まって「食える物をとにかく食う」という要求と行動に陥るのです(仕方ないけど).
そうした食料難の国は,食事を「カロリー摂取対象」として見ます.つまり食餌です.

まさに,衣食足りて礼節を知る.というのは途上国に失礼かもしれませんが,つまり,食が足りない状況の中にあって,そして,背に腹は代えられないという判断のもとに輸入される食料が溢れる中にあって,日本の伝統文化は崩壊していきます.

これについて詳しくは■PL480 通称,残飯処理法をご参照ください.

都市部の人々が餓死するのはどうでもいいのですが,私にはそれが耐えられません.
せめて私は高知にもどって,静かに暮らしていこうと思っております.万一の自衛・安全のため,父の猟銃を譲り受けておきます.

そうならないためにはどうするか.
その近道は,
(1)米の消費量と生産量の増加に努める
(2)現在輸入している農作物を,国内で栽培する
のいずれかになります.
この2つを比べ,我が国において一番の近道は(1)であることは明白なはずです.
この点についての詳細も,■PL480 通称,残飯処理法をご参照ください.

2013年10月7日月曜日

今日は本物のパンを食べてもらう

TPPがとんでもない方向に向かいそうな今日此の頃.
一応,前回の記事で農業問題については一区切りつけようと宣言しましたが,そんな矢先にこんな記事が出ました.
TPP「聖域」撤廃検討 苦渋の政府・与党判断 農業関係者「信じられない」
たしかに信じられませんが,どうせこんなことになるだろうと覚悟はしていました.

こういう話を出してくる時点で,少なくとも国益にかなう交渉にはなっていないことが明らかになったと言えるでしょう.
ヤバい方向に向かっているから,早めにホウ・レン・ソウしときましたよ,という規定事実を作っているのでしょうかね.
交渉を抜けたいけど抜けられないカードを切られている.あとは草刈り場になったであろう日本市場を,どれだけの被害で抑えられるか.今後はそこが焦点になるのでしょう.
だから言わんこっちゃないのです.

さて,前回の記事 ■やっぱり本気で農業のこと では洋食化した日本の食生活・食文化が農業問題の癌であることを書きましたが,別に私は洋食を嫌っているわけではありません.
旨いものは旨いのです.
今回は,日本の農業問題のところでは目の敵にしてしまった「パン」について,ちょっと寄り道のお話しをしておきます.

今から50年ほど前.遥か昔のことです.
私の母が学生だった時のお話でして,私が学生時代に昔話として母から聞かせてくれたものです.

調理実習の授業が最終回を向かえ,最後の日である今日は何を作るのかなぁと楽しみに教室へ.
先生は,とても大人しくて寡黙な感じの中年オヤジだったとのこと.
そんな先生が授業に先立ち発した言葉が,
「君達が食べゆうもんは,あれはパンじゃないがやき.今日は本物のパンを食べてもらうきに」
と言って,すでに用意されているパン生地を各班に配り(最初から用意してたら授業時間内にはできないでしょうから),それをオーブンで焼いたとのことでした.

むせ返るようなパン生地の発酵した匂いが印象的で,どんな出来になるのか,女子学生一同,ワクワクしながら焼き上がりを待ちます.

50年前,当時のパンは味気のない,はっきり言ってマズイもの,小麦粉の塊みたいだったと言っていました.
例の余剰農産物の処理のために作られた,パンに似た「何か」です.
(余剰農産物処理法については,前回(上記)の記事を参照ください)

一方,授業で焼き上がったのは,少し固めの香ばしいパン.
学生たちが誰一人見たことも味わったこともない「パン」です.
「けっこう固いけんど,大丈夫がやろか?」
と心配になったそうですが,その芳醇な香りは,食べる前から美味しい食べ物だと訴えるに十分なものでした.

「外がカリカリで,中がふっくらしていて,見たことがないパンだった」
ということですから,たぶん,フランスパンかドイツパンみたいなものを焼いたのではないかと想像します.
母は目一杯の表現で,
「本当に美味しかった!」
と言っていました.

満足な設備もなかったはずの時代ですが,やっぱりパン生地に美味しさの秘密があったのでしょうか.
教室中がそのパンの味に驚嘆し,舌鼓を打ったそうです.
その時間に全部食べるのはもったいない,ということで,少しずつチビチビ食べる人も多く,母も一日かけてチョットずつ食べたとのこと.

「いまだに,あのパンの味は忘れられない.あのパンよりも美味しいパンに,まだ出会っていない」
というほどですが,焼きたてだし,“思い出補正” もあるでしょうから,きっと「街で評判の美味しいパン屋さんのパン」みたいなものでしょう.

気になるのは,「今日は本物のパンを食べてもらうきに」と豪語して,有言実行したその先生は何者か?というところですよね.

どうやら,戦争で海外に出兵した際(いわゆる炊事担当の人),外国人が食べているパンを食する機会があったそうで,「こりゃぁ旨い,どうやって作っているのか」と気になって調べたんだそうですよ.
その後,輸入される小麦を無理やり消費するために作られた,例の「パンみたいな物」の味にガッカリし,「これが本当のパンだ」と訴えたい想いを胸に教鞭をとられていたとのこと.

その強烈なインパクトは母の心に響き,「調理・食事のことを仕事にしたい」ということで,栄養士になったそうです.

このお話は,私が大学のゼミ選びで「来年からは運動栄養学を専攻するよ」という話題をした時に話してくれたものです.
結局,母と似たような道に進んでいました,ということですね.

私はその後,スポーツ科学の中でもトレーニングと測定評価を専門にすることになりますが,栄養学で学んだことがスポーツ科学に取り組む上でも礎になっております.

トレーニングにおいても,コンディショニングにおいても,やはり基本は「食」ですから.

私が農業問題にこだわるのは,実家が農家だというところもありますが,「食」に関心があるという部分もあります.

ちなみに,詳細を後日お話しますが,関東に移り住んできて思い知ったのが,
「関東の飯はマズイ」
賛同者多数.これは間違いありません.
(「食」に関心があると豪語した口で言うのもなんですが)「自炊しない歴8年」だったこの私に包丁を握らせたのです.間違いありません.

味付けが関西と関東で違う,というのも理解しているつもりですが,それにしても.
まぁ,詳細は後日記事にします.

2013年10月3日木曜日

やっぱり本気で農業のこと(PL480 通称,残飯処理法)

後期の授業が始まったり研究準備が慌ただしかったりと,少し更新が遅くなっておりました.
それに,ついつい体罰問題を先に取り上げてしまいましたが,今回で農業問題に一区切りつけようと思います.

最後は,
「農業問題の源流をたどると,食習慣と食文化,のみならず日本文化への執着と愛着に行きつく」
ということです.

これまでの話を総まとめしながら書いてみたいと思います.

でも触れましたが,農業はその地域・国の文化を担っているものです.

その記事内容の繰り返しになりますが,もう一度おさらいしますと,
文化(culture)は耕作(culture)が語源とされています.
そしてさらにその源を辿れば,「面倒をみる」という意味になります.
 
つまり農業というのは,その国の文化を育み,その国の面倒をみる役割を持っているわけです.

このブログでは上記の記事以外でも至るところで触れていることですが,そういった国の根幹や文化を育む役割がある業界には既得権益があるのです.農家もそれに入ります.
林業,漁業,土木,教育,医療といったことにも同様のことが言えます.

これを分かりやすく解説した書籍に出会いました.三橋貴明 著『国富新論』です.
この夏は「我が意を得たり」のオンパレードでしたが,これもその一つでございます.

三橋氏は,国家には「階層」があり,なかでも農業や土木,医療,教育,防衛といったものは,国家の根幹・基礎を形作る「階層」であり,規制緩和や市場競争といったものに簡単に曝してはいけないものだと説きます.
まったく同感です.

そんな中でも農業は,直接的にはその国の食文化を担っていると言えます.
その国の風土に合わせた作物が育てられ,田園,茶畑,みかん畑といった日本ならではの風景が形作られます.

もちろん,時代の流れとともに農作物が変わっていくのでしょう.ですが,それは国土や食文化に調和したものでなければいけません.
ある日,思いついたように変化させるわけにはいかないのです.

なぜって,農作物は自然を相手にしているわけですから,消費者の都合に合わせて「あらよっと」って感じに方針転換できないからです.

ところが,それをやらかした稀有な国があります.
日本です.

左図を御覧ください.
恐ろしいまでの食生活の変わり様です.
肉類,乳製品,油脂が大幅に増加しています.
なお,このデータだと「小麦」の消費量が増えていないように見えますが,それは1960年以前のデータが農林水産省に無いからです.
あとでご紹介しますが,1960年以前に一大事件が発生しています.
逆に言うと,「その事件以降,この50年間,小麦の消費量が増えているわけではない」という事実は重要なキーワードです.

「経済が豊かになることで,日本の食文化は欧米化した」などと奇妙奇天烈なことを恥ずかしげもなくドヤ顔で唱えている人もいますが,なんで経済が豊かになるとその国の食文化が欧米化するのでしょう?
欧米も経済成長すると,食事が欧米化するのでしょうか?意味不明です.
呆れる理屈ですが,それを信じていた時代があったことは事実なので,それはそれ.

でも,もうそろそろ一区切りつけましょう.経済成長するから食事が欧米化するのではなく,経済成長する過程において,欧米の農産物輸出を押しつけられるから,しかたなく食事が欧米化するのです.
「豊かになることで,欧米の農産物が手に入るようになるから」と考えている人は,気持ちがいいほど素直な方なので,そのまま欧米文化に追従をお願いします.

というか,実際に「欧米の食文化が理想,先進的」とキャンペーンをはっていた時代があったのだそうです.
それを真に受け,本気で欧米の食事に憧れていた人もいるのかな.我々より年配の方々にはご記憶があるのでしょうか?

日本の食文化が欧米化したその正体,それは「PL480」です.
これも以前の記事で触れていますが,ここで詳しく解説しておきましょう. 

PL480 (Public Law 480)についての表向きの解説はWikipediaに掲載されています.
法律の趣旨は以下の様なものです.
「あぁ大変だ.余剰農産物を抱えて困っているアメリカ農家がいるよ.その一方で,食べ物がなくて困っている貧困国があるみたい.そうだ,そんな可哀想な国に,アメリカで余っている農産物を買ってもらおうよ.すごい!みんな揃ってハッピーになる,なんて素晴らしい政策なんだろう!」
という,正義の味方っぽく振る舞っておきながら,実は徹頭徹尾自分の都合でしかないという「アメリカの法則」発動でして,相手国の事情や伝統,文化なんてお構いなしのアメリカらしい法律です.

そのようなわけで,アメリカは国内で売れ残って困っている麦やらトウモロコシやら肉やらを,農家の救済,輸出と称して他国に“押しつけた”時代がありました.それが1950年代です.
これが「PL480」という法律だと知ったのは私も最近ですが,一般には「余剰農産物処理法」として知られています.
通称「残飯処理法」が,案の定,日本に適用されます.敗戦間もない日本は仕方なく受け入れます.

買った物は消費しなければいけませんので,なんとかして麦やら乳製品やらを食べることになります.
でも,日本の食文化が染み込んだ人々が,いきなり洋食なんて受け入れられるわけがありません.
そこでターゲットになったのは「将来の日本人」,おわかりですね.
学校給食で消費することになりました.
パンや脱脂粉乳といったものが日本の給食に登場した理由は,このアメリカの残飯処理のためです.
つまり,アメリカの残飯処理のため,日本は国をあげて食事を洋食化させたわけです.

アメリカの本音は,余剰農産物の処理ではありません.輸出先の国の食料供給バランスをアメリカ依存にさせることです.
食料は生命に直結しますから,一度とりついてしまえば延々とその国の血を吸い続けることができます.ある日突然「輸入やーめた」とは言えないものですから.
このアメリカの作戦は見事に成功したと言っていいでしょう.

農林水産省HPより
それでも国士官僚・政治家は少なからず存在します.昭和51年,米飯給食が始まります.反撃の始まりです.

左図を御覧ください.米飯給食が普及していく様子がうかがえると同時に,昭和51年まで学校給食に米はなく,給食で普通に米が食べられるようになったのは,つい最近のことなのだと思い知らされます.

当時の文部省の通達を,■米飯給食の実施についてでみることができます.
その実施理由に「米飯の正しい食習慣を身につけさす・・」と書いてありますが,鬼気迫るものを感じます.

最近も,■学校における米飯給食の推進についてという通知を出していますが,ここでは明確に食料自給率に言及しています.
分かっている人は分かっているのです.食料自給率,ひいては食料安全保障の問題が,日本の食文化,食習慣と直結していることを.
この点については,農林水産省の■我が国の食料事情に詳しく載っています

むしろ私は当時の文科省の通達に「米飯導入は、食事内容の多様化を図り・・」と表現しているところから,作者の唇を噛む思いが伝わってきます.
なんで稲作文化の日本で米飯導入することが食事内容の多様化なのでしょう.さぞかしこれを書いた人は悔しかったでしょう.そして,米食文化の死守復活を願って書いたことと察します.

日本の食料調達がアメリカ依存になればなるほど,アメリカの言い分を日本は聞くしかない状態を続けることになります.これを日米同盟を確固たるものにするための外交だと断ずるのは危険です.
食料と防衛.国民の生命に直結するこの2つを他国に依存するというのは,正気の沙汰ではありません.
ですが,これを「外交・政治上,仕方がないこと」だとか「メリットもある」だとか,果ては「グローバルを目指す歴史の必然」などと呑気に構えてられる人は幸せでなによりです.

察しの良い方はもう気づいたでしょうが,「PL480」,これは逆立ちして見ても,地球が三角になっても日本の農家を壊滅させる政策です.当時もみんな分かってたはずです. 

日本の国土と自然,技術と気概によって育まれてきた農業が,急激な食生活の洋食化に対応できるわけもなく.
あれよあれよ,という間に米の消費量は減っていきました.
それが左図です.

敗戦国日本は仕方なく「食の欧米化」を受け入れ,当たり前ですが日本で生産される食料が必要とされなくなったのです.
米を作れど,食べてくれない.市場には米が余る.価格が暴落する.ということで減反政策が行われます.

そんなわけで,食料自給率を限りなく100%にしようとする人の選択肢は2つ.
1)穀物輸入量を低下させる
2)輸入している穀物を国内で栽培する

いずれも茨の道ですが,私としては穀物輸入量を低下させる(そして日本食の徹底)という方略が,この国の文化を守ることにもなるのでベターだと考えています.
もともと稲作のノウハウもあるのですから,わざわざアメリカに都合のいい食生活を続ける道を選ぶ理由が見出だせません.

農林水産省HPより作成
左の表はヒトが健康に生きていくための栄養バランス(PFC比)を示したものです.
日本の食事がどれほど優れた健康食なのか,お分かりいただけるかと思います.

同時に,こうした食文化を少しずつ蝕んでいくのが,食生活の欧米化であることは明白です.
1980年と2012年のPFCバランスを比べても,少しずつ「欧米化」しているのが見て取れます.

ここまでくると,日本の食文化を守らない理由が見当たりません.

つまり,食料自給率の問題だけでなく,健康問題の観点からも日本の食文化を守るためのキャンペーンをはる必要がありそうです.

ましてやグローバリズムがどうのこうの,TPPがどうのこうのと喧しい昨今ですが.
基準や発想,価値観をグローバルにすることが,どれほど愚かなことなのか,もうそろそろ気がついても良い頃でしょう.他国のことは知ったことではありませんが,少なくとも日本のためにはなりません.

さて,再び農業問題に戻します.まとめていきましょう.

「輸入拒否?でも,ご主人様であるアメリカの要求を突っぱねるのは難しいだろう」
という意見があって然りでしょう.否定はしません.
ならば,政治と消費者に翻弄された農家の所得補償は,倫理的に考えて当然でしょう.むしろ,来るべきアメリカ弱体のXデーまで,なんとかして日本の食文化,伝統文化を引き継ぐためにも最大限の保証が必要です.

「当時は食料に困っていたのだから,この顛末は仕方がないのでは?」
という意見があって然りでしょう.それもそうです.
ならば,食料に余裕が出てくれば輸入を断る気骨が必要です.が,それを日本はせず,逆に減反政策をしました. つまり,農家の機嫌もとり,輸入先の機嫌もとったのです.
ようするに,日本の文化なんてどうでもいい,農業問題と食文化は別問題,と考えていた人が少なくなかったという反省はした方がいいと思います.

「麦の輸入を規制するとパン屋に不利な状況になる.特定の分野を潰しかねない方針はダメだろ」
という意見があって然りでしょう.
ならば,どこかが不利になる状況にもっていく政策自体を否定するのですね.であれば,「農業改革だ.弱い農家は淘汰だ」と声をあげる理由がわかりません.矛盾していることが分かっていますか?パン屋は残してOKで,農家は淘汰されてもOKだという理屈はないのでしょ.

「いやいやいや.市場が求めるものを出すのが農家というビジネスモデルだろう.変化に対応しきれない農家は淘汰されるべきだ」
という意見も認めますよ.私は懐が深いですから.
ならば,日本の食文化,古代から受け継がれている稲作文化を衰退させるという十字架を背負ってください.
そして,トウモロコシ畑や麦畑へと農地転用する農家への交渉と,何年にも渡る栽培ノウハウの研究,その事業費を捻出することが,あなたの進むべき農業対策です.私にはスゲぇ遠回りに見えますが.

「農業の多様化が大事だ.稲作だけでなく,野菜や果物を重視して稼げる農業という視点も大事では」
という意見もくっついてくるでしょう.
ならば,全力でアメリカや中国の靴をなめて生きてください.どっかで戦争するってことになったら,ホイホイついて行きましょう.トヨタやソニーが欲しいって言われたら差し出しましょう.そうすれば,世界同時食糧難といった未曾有の危機に,少しは食べ物を分けてくれるかもしれません.

国内の農家だって,飢饉や食糧難になれば都市部に食料は出しませんからね.第二次大戦の時でもそうでしたから.
自分の家族が飢えるのと,都市部の皆が飢えるのと,天秤にかける必要もありません.そうでしょ?

こういうオプションがあることを踏まえ,改めて農業や農家のことを,どのように考えるのか.
面倒臭く見えてきたでしょ.そうです.面倒臭いのです.

どこかを改善・改革しようとすると,別のどこかが衰退したり不具合を起こす.それが農業問題なのです.
平時の感覚で効率や金儲けを目指せば,国民の生命と安全を脅かすことになる.それが農業問題なのです.

一連の記事で伝えたかったことというのは,農業問題は一筋縄ではいかないということ.
そして,農業問題に取り組む際の判断材料は,正しいとか間違っているとかじゃなくて,この国の文化をどのようにしたいのか,という思想や国家観の問題になることです

どっかの国(フランスだったかな)の諺に「青年の食事を見よ.その国の未来が見える」というものがあるそうです.
よく食習慣や健康問題とからめて使われることが多い諺のような印象ですが,実はこれは農業問題のことでもあります.
食べる物が変われば作るものも変わる.作る物が変われば文化も変わる.文化(culture)は耕作(culture)が語源とされていますからね.

「国体や文化なんて変わってもいいよ」という人を否定はしませんし,少しずつ変わっていくものだという理解でもおりますが,急激に変化することを私は許容できない,それだけのことです.