2014年3月3日月曜日

簡易版・負けたのに楽しかったはダメでしょうけど.けどね

ネットニュースを見ている限りでは,オリンピックなどの国際スポーツ大会における代表選手の言動に関する議論が思いのほか続きました.

事の発端は,大学教員である竹田恒泰氏がツイッターで,日本代表選手は「「メダルを噛むな」「国歌は歌え」,負けたのに「記念になった」「楽しかった」などの発言はありえない」という一連の主張をしたことです.
「負けたのにヘラヘラと『楽しかった』はあり得ない」 竹田恒泰氏の五輪選手への「注文」が賛否両論

私は当初このニュースのことを一般庶民の「スポーツ」を見る目に興味深い変化が見られるものとして眺めていたのですが,残念ながら予想以上に「スポーツ」が放ったらかしになったままの下品な形で続いているようです.
ですので,
前々回の記事である■「負けたのに『楽しかった』」はダメでしょうけど.けどね.の続編,というか内容をあっさりさせてみたところです.
長い記事になってしまった前回の記事では,
「うわっ,スポーツごときで回りくどい面倒な話するんだなぁ」
と思われてページを閉じられた人もいるかもしれませんので,その簡易版も出しとこうと思います.
以下の詳細は,■「負けたのに『楽しかった』」はダメでしょうけど.けどね.を読んでください.

まず,負けたのに「記念になった」とか「楽しかった」などと発言する選手についてですが,
『論外』です.
文字通り,『 論 外 』です.論ずるに値せず,まったくもってフザケている選手ですので,論じる必要はありません.世が世なら斬首です.
その選手の回りにいる方々(指導者や肉親,友人など)が,そっと「お前,ちょっとあの発言はないで」と教えてあげてください.
バッシングする必要はありません.
関係者以外は黙っておくべきです.論じるに値する話ではないからです.
論じれば論じるほどに,さほど考えもしないで,印象だけで,“なんとなく多分そんな感じ”っていう理由だけで語りだす人が出てきます.酔っ払いオヤジの芸能ニュースのような議論でスポーツの在り方が方向付けされる恐れがありますので.

竹田氏に対して反論した人が色々いますが,それに対するネットのコメントを見ていると,「やっぱりそうきたか」と虚しい気分になってしまいます.
とはいえ,私は竹田氏が今回のような発言をしたこと自体,あまり評価はしていません.繰り返しますが,外から「選手はこういう態度をとるべき」みたいなことは言うべきではないと思っています.

負けたのに「楽しかった」という選手の発言がダメな理由ですが,これは,竹田氏が言うような「参加にあたって国費を使っているから」とか,この点への反論である「選手は国のために参加しているのではないから云々..」ということではありません.

そう言えば,ネットニュースを見ていたら竹田氏に
頑張った選手なら(何を言っても)いいではないか
と言った人がいるようです.
では,人は頑張ったら何を言ってもいいのでしょうか?
「ダメ」です.

私はラーメンを食べるときは「替え玉」をするよう頑張ります.もの凄く頑張って美味しくいただきます.でもそんなふうに頑張ったからといっても,ラーメン屋やラーメン業界に対して失礼になる発言はしません.できません.
頑張ったことと,何を言ってもいいこととは関係がないからです.

「スポーツとラーメンを一緒にするな!」と怒られるかもしれませんが...
ラーメン業界に対してもの凄い上から目線なこと言ってるようですが,まぁそれは無視するとしても,少なくともスポーツは特別だと思っているのですね?
では,なぜスポーツは特別扱いされるのですか?そういう認識になる理由はなんですか?

でも,「スポーツは特別」そういう認識が心のどこかに引っかかるのであれば,それを大事にしてください.それはスポーツを考える上で非常に大事なものだからです.

もうちょっとネットニュースを見ていたら,竹田氏に
「ヘラヘラしたコメントがあるかもしないが,それはその人の人格である.否定することはない.選手が思ったことを言えることのほうが自由でいい
と言った人がいるようです.
まぁ,人が何を言おうと勝手なのはそりゃそうですけど.

でもね.
オリンピック選手は尚の事ですが,スポーツ選手が好き勝手な発言をしては「ダメ」です.「 ダ メ 」なんです.
選手の人格を否定などしませんし,どんな発言をしようとギャーギャー騒ぎ立てる必要はないのですが,スポーツ選手がいい加減でヘラヘラした発言をすることは避けられるべきです.
古いとか,戦前の日本みたいとか,トチ狂って批判してくる人もいましょうが,これはスポーツがスポーツであるために重要なことです.

スポーツというのは,分かりやすく言うと騎士道精神(武士道精神でも良い),もっと根源的には「勝利」と「名誉」というものを尊ぶための,人間固有の文化と言っていいでしょう.この両方を得るため,人間はさまざまなものをスポーツしてきました.
(この詳細は■人間はスポーツする存在である

相手は人間であろうと動物であろうと,自然であろうと,物であろうと関係ありません.
なるべく比較・評価するために公平な条件になるようルールを設定して挑み,闘い,そしてそれに勝利することで名誉を得る.そうしたことに価値を見出す不思議な活動です.
(例えば,マラソンやサッカー,馬上槍試合や剣道,登山や冒険,ポーカーやソリティアなどは,こうしたスポーツすることによって現れた活動です)
人間が何かに勝利すること,そしてそれが名誉なことだと位置づけられることの源泉は,スポーツすることにあると言っても過言ではありません.

そして更に言うと,スポーツによる勝利には必ず,本人の実力以上の「何か」が関わっていると見做されるからこそ名誉なことなのです.
「おいおい,それは勝った選手が練習やトレーニングを頑張ったからでは?」
というところでしょうが,頑張ったのは全ての選手が同じことです(竹田氏の発言を批判している人もこれは同意してくれるはずですね).人一倍頑張ったけど負けたということは茶飯事です.試合のために腕を磨いてきたことは皆一緒なのですから.

だからこそ,そうした(皆が全力を尽くした)中において勝利者となる者.それは勝つべくして勝った者,選ばれし者であるということを意味します.
(現代的な感覚で捉えないでください.これはそういう問題ではないのです)
つまり,スポーツにおける勝利者とは,俗人とは違う何か偉大なるものを持っている,もしくは,大いなる背景をもってこの場に立っているという,いわば「英雄」であることを示します.
例えばスポーツニュースでは,選手が現在に至るまでの「物語」が(必要以上と思われるほど)語られますが,これはまさに英雄叙事詩なわけです.
もっと言うと,スポーツとは,人間がこうした「英雄」を輩出するためのシステムであるとも言えます(「近代スポーツ」だけのことを指して言っているのではない.詳細は別記事を参照).
ですから,オリンピックなど大規模スポーツイベントというのは,まさに目の前で繰り広げられる「英雄叙事詩」なのです.
人々がスポーツに魅せられる理由というのは,こうした点もあるでしょう.

そのようなわけで,上記を踏まえた上で,オリンピックやワールドカップという場においてスポーツ選手に「とるべき態度がある」という理由を述べるとすると,以下のとおりです.

国を代表する選手は,少なくともその国での勝利者「国の英雄」であると言えます.
そういう選手は英雄らしい振る舞いをしなければなりません.理由は,「英雄」は徳が高く,上品で,誰もが憧れる人物であるべきだからです.
カッコつけてアウトローを演じることは馬鹿げていますし,本当にそんな選手なのであれば裏で厳重注意です.
ここで重要なのは,外(観客・視聴者)の人々も,彼らを英雄として扱わなければならないことです.ですから,その英雄に向かって「英雄らしい振る舞いをしろ」と言った(そう見えた)に等しい竹田氏の発言は,私は評価できないということです.

故に,冒頭お話したように,こうしたことは元々「論じられる」に相応しくありません.
スポーツ大会における選手の立ち居振る舞いとは「そういうもの」なのですから,あれこれ注文つけたり,逆に「いいじゃん,選手の自由にすれば」となど吐き捨てることではないのです.
スポーツ選手の立ち居振る舞いというのは,その国や集団の英雄像を投影するものです.
我々はどのような英雄を望んでいるのか?
それがスポーツ選手に現れるのであり,そしてまた後世に引き継がれていくものなのです.

もう少し詳細に,もしくは別角度からスポーツを考えたいという場合は,以下の記事を.
「負けたのに『楽しかった』」はダメでしょうけど.けどね.
人間はスポーツする存在である