2015年2月21日土曜日

大学教育の質が低下している?

こんなニュースが流れましたので,それについて論じてみようと思います.
講義は中学レベル,入試は「同意」で合格 文科省がダメ出しした仰天大学とは

記事を抜粋しますと,
 「数学の授業は四捨五入から」「受験生と大学の『同意』で合格」「新入生が一人もいない」――。新設の大学や学部でこんな事例が相次ぎ、文部科学省が改善指導に乗り出しました。若者の減少とキャンパスの新増設で「大学全入」とも言われる時代。とりわけ知名度の低い地方大学で、教育の質の低下が懸念されています。
withnews:2月21日(土)
とのことです.

過去記事でも繰り返し論じたり訴えたりしている点ですが,現在の大学経営がどのような方向性を持っているのか,今一度お話しておきます.

大学は今,
「教育の質を下げなければ淘汰される」
という事態に突入しています.
このような事態へと突入させた犯人は,上記記事で “ダメ出し” している文科省と,あとは国民の要望です.

ですが,一口に「大学における教育の質の低下」と言いましても複数の視点がありまして,今回のニュースはそれを論じる上で格好の材料なんです.
今回のニュースを読み解くためには,きちんと論点を整理していく必要があります.
論点は以下の通りです.
1)学力が低い者を大学へ入学させることは悪いことか?
2)大学で四捨五入やbe動詞を学ばせることは “教育の質が低い” ことなのか?
3)質の高い大学教育とは何か?
4)なぜ大学は教育の質を下げるのか?

上記の記事には気になる文章があります.「大学の教育の質が低下している」というところです.
これについては,文科省や記者が考えている「教育の質」の認識が間違っていると指摘しておきましょう.
下がってきているのは教育の質ではなく,学生の学力です

勘違いしてもらいたくないのは,私は別に「学力が低い者を大学に入学させるな」などと言いたいわけではありません.
四捨五入や百分率,be動詞が分からない学生が増えてきているのですから,大学がそうした学生に応じて指導するのは当然ではないでしょうか.

たとえ経営難大学とは言え(経営難大学だからこそ,だが),そこに入学した学生は四捨五入や百分率,ちょっとした英語を学ぶ機会が得られているのであり,こうしたことは大変喜ばしいことです.
文科省や記者の人達がイメージする「私達が学生だった頃の授業」と食い違っているだけのことで,学生が教育を受けることができていることに変わりはありません.

私が問題視しているのは,こうした「四捨五入や百分率,be動詞を教えている “から”, その大学は教育の質が低い」という考え方です.
上記記事の本文にはこうあります.
こうした実態について文科省の調査は「大学教育水準とは見受けられない」と指摘しており、改善を求めています。
これはつまり,文科省としては「大学の授業では四捨五入やbe動詞を教えてはいけない」,すなわち「学力が高い者でなければ,大学に入学させてはいけない」ということを意味しているわけです.
要するに,文部科学省としては日本の教育を充実させる気がないことを暗に示しているのです.

もっと言うと,文科省もそうですが,こうした大学の現状を取り上げ囃し立てる人の多くは,「大学とは卒業の肩書きをもらうところであり,勉強するところではない」という本音を無意識にゲロっていることになります.
彼らの頭の中では,大学で何を学ばせるのか? ではなく,大学でどんな授業をすれば良いかが優先的なのです.
「大学とは勉強するところだ」と考えているなら,「大学では四捨五入やbe動詞を教えない」などという発想には至らないはずですから.

大学とは何を学ぶところなのか? について曖昧にしたまま,表面的な体裁を重視するとこのような着想になるという典型でしょう.

そんな現在の日本の大学が抱えている根本的な問題点というのは,その学生が大学で学ぶべき事を修めていなくても,なるべく卒業させなければならないという慣習めいた仕組みです.
端的に言うと,「不合格」や「卒業不可」を宣告しにくいということです.

私は先ほど,「四捨五入や百分率,be動詞を教えているから大学教育の質が低いという考え方は問題だ」と述べましたが,四捨五入や百分率,be動詞を学習できていなくても卒業できてしまう現在の大学の在り方も問題だと思います.

・・いえ,事の本質はそこにあるわけではないのです.
これは説明が難しいので注意して読んでほしいのですが,
簡単な数学や英語ができなかったとしても,“物事を学術的に捉える高度なモノの考え方” を身につけることが大学教育が成すべきことです.

学術的に物事を捉えることができると言うのは,物事を多角的に捉えることができ,誠実な議論から正しい解釈を導き出そうと努力し続ける態度のことです.
その態度・能力を磨くことが大学での学びと言えるでしょう.

そうした態度・能力を磨くためには,なるべく高度な数学や語学を身につけておいたほうが良いのです.
ですから,四捨五入や百分率,be動詞が分からない者が「物事を学術的に捉える高度なモノの考え方」を身につけるのは非常に困難であると言えます.
大学側としても,そうした基礎的な学力が備わっていない学生を相手に,モノの考え方を磨く授業を展開するのは難しいですから.

ですが逆に言えば,どれだけ数学ができようと,英語がペラペラであろうと,モノの考え方およびその態度が身についていなければ,その学生は卒業させてはいけないはずなのです.
そんな学生・卒業生は,なんとなくの雰囲気やノリで物事を判断する人物になっていきます.
瑞穂の国の資本主義を謳いながらTPP交渉に乗り出したり,日本文化の大切さを謳いながら英語教育を重視したりする左翼・改革主義の政党・政治家を「保守派」だと評する思考回路になってしまうのです.

私がこのニュースを取り上げてこんなこと書いているのには理由があります.
この「モノの考え方」ですが,基礎学力との相関は高そうに思えて,実はけっこう弱いという実感があるからです.
たとえ基礎学力が低くても,モノの考え方が身についた学生は必要に応じて独学で乗り越えようとします.

いろいろな大学の学生を見てきましたが,学力が高かろうが低くかろうが,大学教育を真面目に受けていればモノの考え方は備わります.そんな学生は,卒業してから後も誠実な議論と正しい解釈を通して学び続けることができるのです.
逆に,どれだけ学力が高くても大学で学ぶべき事が備わっていないままに卒業する人も多数おります.そんな学生は大学教育をもっと受けてもらったほうが良いのですが.

ですけど,さっきも言いましたが現在の大学教育では簡単な数学や英語を学ばなくても卒業させてしまう仕組みになっておりまして,それが事をややこしくします.
これに大学間競争が加わると,とにかく学生を獲得することが良いという認識になります.ビジネスライクな大学経営になっているんです.

ビジネスライクな大学経営には大きな特徴があります.
それは,「学生を教育した成果を,定量化して示すようになる」というものです.数字は学生募集のための重要なアピール材料ですから.典型的なのは,就職率とか何かの試験・検定の合格率などです.

その結果,定量化できない教育成果である「モノの考え方」については軽んじるようになります.就職するだけならモノの考え方は鍛えなくても良いからです.
それが冒頭の「教育の質を下げなければ淘汰される」の意味です.
本当の意味での「大学教育の質を下げる」ことをしなければ,経営難には対処できない.そんな状態に大学を追い込んでいるのが日本の現状なのです.
真に憂慮すべき大学教育の質とは,こちらの方です.

モノの考え方を鍛えることを怠ったツケは,5年・10年,それ以上経ってから現れてくるものですから,今のうちから声を上げていく必要があるんです.


関連記事
大学教育の在り方を示したヤスパースとオルテガの書籍を取り上げ紹介しています↓
大学について
大学について2

大学改革がなぜダメなのかを論じたのがこちら↓

2015年2月19日木曜日

エクセル散布図で相関関係・相関係数を確認する便利な方法

しばしば,大量のデータを前にして相関関係の有無を探索的に確認しなきゃいけない作業というのがあります.

例えば以下の様なデータ.
上記の例では,テストA〜Eという5つしかありませんけど,場合によっては何十個もの列が並んでいるデータに出くわすことがあります.
それについて以下のように2つの列(変数)を選択してから・・・,
そして,下図のように【グラフ】から散布図を作成して,その散布図がどのようにプロットされるのか,ということから相関関係の有無を確認するというのが一般的です.
(以下の図,テストAとテストBの間には相関関係は見られないようですね)
これを「テストAとテストB.以下,AとC,AとD,AとE,BとC,BとD・・・」
という感じでずーっと確認していきたい,ということがあります.

今回の記事では,この作業をスムーズにする方法をご紹介しようというものです.
※ここでは「エクセルMac2011」を使って紹介していますが,ほぼ全てのエクセルにおいて同じ操作が可能です.

早速その作業方法ですが,
まずは散布図を作ってもらって,それを少し改造していきます.

とりあえず,下図のようにグラフ右側に出てくる邪魔な「系列」の表示を削除(「系列」を選択してDeleteキーで消せる).

次に,散布図にプロットされる点々を右クリックして下図のようなメニューを出して・・・,
そこに表示される「近似曲線の追加」 をクリックします.

するとこんなダイアログボックス画面が出てきますので,「オプション」を選んでもらって,「グラフにR-2乗値を表示する」にチェックを入れます.

そうすると,下図のように散布図の中にR二乗値が表示されるようになりますので・・・,

それを今度はその表示されたテキストボックス的なものをドラッグして,下図のように適当な位置に移してフォントを大きめにします(別にやらなくてもいいけど,その方が見やすから).
とりあえずこれで準備完了.

あとは,この散布図グラフを選択した状態で,その青い参照部分をドラッグ&ドロップすれば・・・,

こんな感じで・・・,
テストAとテストCの相関関係を確認することができます.
(AとCには強い相関があるようですね)
ご存知の方もいらっしゃるでしょうが,この散布図に表示させたR二乗値は,いわゆる「相関係数」を二乗したものです.
ですから,例えば上記のR二乗値は「0.85754…」となっていますので,その平方根をとった数値「0.92603...」が相関係数ということになります.電卓で計算すれば簡単です.

以降,同じように青い参照部分をズラしていけば・・・,

以下はAとD,

以下はAとE,
 という感じで確認していけます.

ところが,ここから先で不便さを感じる人がいます.と同時に,これが今回の記事の目玉です.

散布図グラフを選択した状態だと青い参照部分(Y軸)は自由に動かせるんだけど,紫色の参照部分(X軸)が動かせないから困っている
とか,
このデータベース配列のままでX軸とY軸を入れ替えたい
という学生は結構いるものでして.なので以下にご紹介する方法を教えてあげると大変喜ばれます.

その紫色の参照部分の動かし方ですが,グラフ自体を選択するだけでなく「プロットされている点々を左クリックして選択」した状態にします.
以下のような状態です.

すると・・・,
紫色の参照部分を掴んでドラッグできるようになりますので・・・,

下図のように,紫色の参照部分をテストAからテストBに移せるようになります.

あとは思いのまま自由に移していけば,どんなに大量のデータを前にしても相関係数を確認できるようになる,という寸法です.

でも,こんなことを仰る人もいるかもしれません.
「わざわざ散布図を出さなくても,相関係数を一気に算出する仕組みを作ってr値を確認しちゃえばいいのでは?」

たしかにそれも可能ですし簡単ではあるのですが,やっぱり散布図を出して確認することが大事です.
これは多くの統計学の教科書でも指摘されている点でもあります.

例えば,今回の例ですとテストBとテストDで相関係数を確認すると,以下のようになることを確認できます.
 R二乗値は「0.53686...」ですから,そこから算出できる相関係数は「-0.73271...」です.
かなりいい感じの相関係数の強さだなぁ,って思うかもしれませんが,散布図を良く見てください.
グラフの上部中央にプロットされている,他から大きく外れた値が確認できます.こいつが相関係数を強く見せていることが考えられるわけです.チェックしなければいけないデータかもしれません(入力ミスという場合もあるので,それを確認できたりする).

こういうのは相関係数だけを算出するだけでは分かりませんから,きちんと散布図で確認する必要があるのです.


確認した相関係数が有意かどうかを算出する方法はこちら↓
エクセルで相関係数のp値を出す

信頼性係数として扱いたい場合はこちら↓
信頼性係数をエクセルで算出する

関連記事


その他,こういう怪しいブログ記事よりも,ちゃんと勉強になる書籍もご紹介しておきます.
詳しくは,
独学で統計処理作業をスキルアップさせるための本
を御覧ください.


       

2015年2月16日月曜日

センター試験とか入試におけるアレコレ

今日の記事は,はっきり言ってどうでもいい内容です.
何かの問題提起をするでもなく,珍しい考え方を提唱するでもなく.
なので,得られるものは何もないので,それを承知の上で読み進めてください.

では.
私もこの仕事に就いて5年.センター試験とか大学入試の業務をやり始めて久しいわけですが,その内情はどんなものなのか?外部の人には珍しいのではないかと思いましたので記事にしてみました.

センター試験や大学入試を控えている受験生にとっては,あの緊張感漂う入試会場の裏側で何が起こっているのか察しながら受けるのも楽しい(なわけないか)でしょうし,同じ大学人からすれば「あーっ,それあるある!」ってことで楽しんでもらえるんじゃないかというわけです.

まず,センター試験とか入学試験において外部の人(つまり受験生)が目にするところと言いますのは,検問所(受験会場への入り口)と受験会場ですよね.
で,その受験会場においては「試験監督」と呼ばれる人達がその場を取り仕切っているのですが,この試験監督も役割分担がされています.
大きく分けると以下の3つです.
1)監督主任
その試験場(部屋)を統括する役回りで,たいていその大学所属の教員が担当している.偉い役職についているから任される,というわけでは全然なく,適当に決められることが多いが,ことセンター試験においては「ヤバい」キャラの人は選ばれていないように思う.センターの場合は間違いが許されないので,少しでもマシな人選がされているはず.
ちなみに,センターの主任をやりたがる人は稀で,そのプレッシャーと業務把握量の多さからして可能な限り避けたい仕事である.
ご案内の方も多いだろうが,監督主任が発する言葉は99%が「監督要領(監督者の手引き)」に書かれていることの読み上げである.本人の意志や配慮から発せられる言葉は全く無いと言ってよい.

2)監督副主任(タイムキーパー)
監督主任を助ける役回り.試験時間や伝達事項,指示内容の読み上げなどを一緒に確認しながら進めるために配置されている場合が多く,センター試験においてはその役回り通りに「タイムキーパー」と称される.大学独自の入試や試験場の大きさによっては,この副主任を置かないことも多い.

3)監督者
監督主任以外の試験監督者は,総じて監督者と呼ばれることが多い.教員ではなく職員やパートのおばちゃんが担当することもある,文字通り試験場を監督する役回り.大学によっては,大学院生や非常勤講師の先生が担当することもある.
センター試験においては,これに追加して「監督補助者」というのがあり,大規模な試験場において解答用紙・問題,英語リスニング用のICプレーヤーを配るお手伝いとして配置される.

このように試験場では役割分担されている人々が活動しているのですが,こうした人々にも様々な人間模様があるのです.
それは以下の様なものです.

(1)監督副主任が仕事をしない
ことセンター試験において頻出するのですが,「私はタイムキーパーですから.タイムキーパーをしますので」などと言い,監督主任と一緒に試験場正面(たいてい教卓の前)に突っ立って,頑なに動かないというケースが見られます.
タイムキーパーや監督副主任であっても解答用紙や問題の配布をするのが普通なのですけど,特にセンター試験のような緊張感漂うところにおいては「私はなるべく作業に関与しないようにしとこ」という方略に出る人がいます.気持ちは分からんでもないですけど.
その場の状況からして周りの者は,「はい・・,そうですか.わかりました」と言うしかないのですが,結構迷惑な存在として有名です.
受験生におきましては,解答用紙・問題配布をしている中にあって,教卓の前に2人の人間が突っ立っている状態を見かけましたら,ちょっと笑ってください.試験前の緊張ほぐしになるでしょう.

(2)監督主任も仕事をしない
「監督主任は試験場の統括をする」ということで,特にこれといった作業は割り当てられていないことが多いのです.センター試験がその典型です.
そうは言っても,何もしないことが義務付けられているわけではありませんから,なるべくなら余裕をもって作業したい監督者一同としては,猫の手ならぬ主任の手も借りたいところであります.
ところが,「私は監督主任ですから」ということで一切の準備業務をしない人がいます.他の監督者は大急ぎで問題配布やら写真照合をすることになります.
作業に手間取り,焦る姿をこれ見よがしに見せつけるも,こういう主任は動かざること山の如しです.空気読めよと思われます.
受験生におきましては,試験場に入るなり教卓の前に陣取り仁王立ちして(または椅子に座って)全く動かない人を見かけましたら,ちょっと笑ってください.試験前の緊張ほぐしになるでしょう.

(3)問題冊子を包んでいるビニルパックが結構しぶとい
なるべく手際よく進めたい試験場における準備ですが,その中でもちょっと手間取るのが問題冊子を包んでいるビニルパックです.
かなり薄い素材で作られているのですが,これを剥ぎ取るのが結構面倒なんです.苦労している人をよく見かけます.
私としては,この時期にあわせて左手の親指の爪をやや伸ばし気味にしておくことで作業を円滑にするよう準備しています.これで冊子側面を引っ掻くことで,あっという間に包装袋を取り除くことができます(これは結構オススメです).
なんにせよ,ここまでガッチリ包まなくてもいいんじゃないかと思うほど,入試用問題冊子を包むビニルパックは強敵です.
受験生におきましては,問題冊子の包装袋を剥ぎ取るのに苦労している監督者を見かけましたら,ちょっと笑ってください.試験前の緊張ほぐしになるでしょう.

(4)なんだかんだで眠い(らしい)
毎年,大学入試の試験場で居眠りをする教員がいて,大学にクレームが入ることがこの季節の風物詩のようになっています.
私は試験場で居眠りをするたちじゃないのですが,周りの先生方に聞きますと,やっぱり眠いんだそうです.かなりキツいとのこと.センター試験ならいざ知らず,大学独自の入試においては監督者の緊張感が一気に落ちますから,主任以外は眠気との戦いになるのでしょう.
私も居眠りをする監督者に居合わせたことがありまして,その監督者を受験生が何度も見ていたので,その監督者のところに行って肩を叩いたこともあります.
センター試験や入試にあたっては,その説明会が毎度開かれるのですが,そこで毎度言われるのが「居眠り厳禁」です.ガキじゃないんだから,と思いつつも,やっぱりやらかす人は後を絶ちません.
居眠りをしたからといって受験生の試験結果に影響するわけではないのですが,中には大イビキをかく人もいるそうですから,やっぱり注意が必要です.

(5)座りっぱなしがキツいからってんで,試験場後方にて体操をしている
これは私のことなのですが,他にもこの戦略に出ている人はいるようです.居眠りするよりよっぽど健康的じゃないかと思っています.これは結構オススメです.
どういう事かというと,受験生は前を向いて(同じ方向を向いて)問題を解くのに必死ですよね.すると,試験場の後方にある程度スペースがあれば,そこで受験生に気づかれないようにいろいろな事ができるのですよ.
私は今年のセンター試験ではタイムキーパーでしたので,主任と違って試験場後方にいることができました.で,試験中,そこでずっとストレッチ体操をやっていたのです.さすがに動的なものは音が出ますので無理ですから,スタティック・ストレッチングをすることになります.
そこは体育スポーツを専門とする私ですから,1時間や2時間のストレッチ・プログラム作成は余裕です.試験場後方という限られた空間でも有益なものを選定して実施した結果,今年のセンター試験を心身ともに心地よく終えることができました.
あ,もちろん大学入試もです.こちらは主任をやっていましたが,センターほど縛りはないので,座り疲れたら試験場後方に行って息抜きです.来年は筋トレに挑戦してみようと思っています.
受験生におきましては,たまに試験場後方を覗いてみてください.私みたいな監督者がストレッチ体操をしている姿を見ることができるかもしれません.

(6)試験問題を読んでる
これは試験監督者なら誰もがやることとして有名です.
「へぇー,こんな問題なんだぁ」と読んでみて,そのあと巡視に向かいます.そこで受験生の解答を見て「あ,こいつ間違えている」とか「ふーん,それが正解なんだぁ」と覗きに行くわけです.
監督者や監督補助者の中には,気を利かせて予め監督者全員分の問題冊子を用意したり配ってくれる人もいたりします.
今年(2015年)のセンター試験の「国語」の問題が話題になりましたよね.
佐々木敦 著『未知との遭遇』を使って出題されたのですが,たしかに興味深いものでした.試験問題が,じゃなくて佐々木氏の文章が.
普通におもしろい内容だなぁ,というわけで「読書」です.本学の入試においても同様,やっぱり国語の問題冊子は読み込んでしまいます.・・・おっと,実は試験時間中における監督者の「読書」は禁止されていまして.でもこれも読書の一つですよね.
日本中の試験監督がルール違反をしていることになるのですけど,ま,それくらい許してください.

(7)センター試験の英語リスニングに愚痴る
そのままです.
とにかく英語リスニングを嫌う,恐れる,見下す監督者は多いものです.
その象徴がICプレーヤーの動作不良です.こちらの業務の出来とは無関係に,仕事を増やすことになるわけですから(動作不良が起きたら,再開テストをすることになる).
私としては,一度でいいから動作不良を見てみたい,という好奇心もあったりするのですが,それで業務が増えることを思えばやっぱり嫌ですかね.
ところで,センター試験に英語リスニングテストを導入したことによる好影響はあったのでしょうか? そろそろ結果を調査・公表してもらいたいものです.
私の実感としては,「無い」というのが本音です.やっぱり,試験用のリスニングではリスニング能力はつかないですし,そのリスニング技術は大学以降のトレーニングでいかようにもなる程度のものなんだと感じています.

(8)解答用紙を手渡ししてくれる受験生がちょっぴり嬉しかったりする
解答用紙の回収作業における一コマです.
「解答用紙に触れないで」とアナウンスしている手前,受験生は監督者が解答用紙を回収する際は不動になることが多いでしょう.いえ,それが正しいのですが.
でも,中には気を利かせてくれて解答用紙を手渡ししてくれる受験生がいるのです.あれが実は嬉しかったりするんですよ.
というのも,解答用紙を机から取り上げるのって結構面倒なんです.机の端に寄せてつまみ上げるようにすれば楽なのですが,受験生によっては体を机にかなり接近させていたり,机の端に筆記用具を置いていたりするので,それが邪魔でできない場合があります.
中には一つの机に3人以上座らせている試験場もあり,そんなところに体をねじ込ませながら回収するのって,かなりの面倒です.
そんな時,こちらの作業の都合を知ってか手渡ししてくれる受験生がいます.そんな彼ら/彼女らに私はしっかりと「ありがとう」と優しく声をかけています.もうその時点で「合格」にしてもいいんじゃないかと思うほどです.
それは言い過ぎにしても,受験生におきましては,解答用紙の回収時に手渡ししてくれると,こちらとしては嬉しかったりするので,ご配慮頂けますと幸いです.


途中に出てきた佐々木敦氏の著書はこちら↓





2015年2月11日水曜日

厄介な教員は切り捨てても良いか?

この記事は,ちょっと前に書いている
危ない大学に奉職してしまったとき「厄介な教員対策」
の続編みたいなものです.
危ない大学ほど「厄介な教員」が増加する傾向にあるので,その傾向と対策をご紹介したものです.

これについては,「だったら,そんな厄介な教員は切り捨ててしまえばいいじゃないか」と思われたかもしれません.
でも,そういうわけにはいかないのが教育現場ですので,そこらへんのことを詳しく述べておこうというわけです.

厄介な教員は切り捨てても良いか?
ダメです.
もちろん,この手の記事では毎度毎度のことですが,「程度の問題」ではあります.
ですが,そうした業務に支障が出るような教員であっても,「あぁ,こいつ邪魔だから」と言って切り捨ててよいかと言えば,それはやっぱりダメなのです.

なぜか?
一番大きい理由としては,「大学教育」という場において,厄介な教員という存在が本当にネガティブな存在としてだけで評価されていいものなのか? これが甚だ疑問であるから,ということを挙げておきましょう.

大学という場には様々な学問領域にいる教員が集まっています.
こうした様々な学問領域を研究する教員から,学生はモノの考え方を学ぶのが大学というところなのですが.
教育の難しいところは「学生をこういう状態にさせたら成功」というものが無い,乃至,卒業させる段階では未知数であるところにあります.
※これは大学教育に限らず,教育業界全般に言えると思います.

それ故,大学の教員は,自分が研究してきたこと,その研究方法,その研究領域における哲学・思想を学生に伝えることしかできません.
こういうのはよく,「ノコギリや金槌を渡して,その使い方を教えることはできるけど,それで何を作ったら良いのかは教えられない」というような比喩で表現されますが,まさにそれです.
もちろん,師事している教員が作った作品をコピーして自分の手で作ってみる,というのもありでしょうし,実際のところそれがゼミと呼ばれる授業なのかもしれません.
ですが,いつかは自分の手で自分だけの作品を作れるようになってもらうのが大学を卒業するということです.
※私個人的な現在の大学教育への不満を一つ言わせてもらうと,作品や完成品に関するウンチクはいろいろ勉強させているけど,道具の使い方や道具の存在を知らずに卒業させる場合が多いのではないかというところです.が,まあこれについては機会を改めます.

ですから,ある一部の人々にとっては「厄介な教員」であっても,別の人々からすれば「魅力的な教員」である,という状況は常にあり得ます.
特に一般的なものとしては,学生から見た教員と,教員間における教員の評価はかなり違ったものになる,ということです.
学生からすれば優しく朗らか教員に見えてもも,教員間ではいい加減で業務に支障をきたす教員,なんてことはよくあるでしょう.
逆に,教員間では頼れるタフマンであっても,学生から見れば融通の効かない厳しい教員,なんてことはよく見られる状況だと思います.

後者については,実際に私が母校での教育実習で目の当たりにしたことです.
生徒時代には苦手としていたその教員は,実は教員間や管理職との仲介役を勤めており,生徒に厳しく当たる役も進んで買って出ていたことを教育実習で知ることになります.
普通,教員は生徒に厳しく当たることを嫌がります.生徒と衝突することはエネルギーがいりますし,望むところではないからです.それでも教育である以上,厳しく当たらなければいけない時があります.
そうした役を率先して引き受けていたら,そりゃ生徒からは嫌がられる存在にはなるでしょう.ですが,その教員がいなければ学校としての秩序管理が滞ってしまうのです.

これは分かりやすく一般的なケースかもしれませんが,もっとレアなケースであっても重要です.周囲の圧倒的大多数から嫌われていても,ごく少数,ごく一部において教育的な価値がある教員はいるものです.
そうした教員を「厄介者だから」とか「無能だから」と切り捨ててしまうことは,すでにその組織自らが「教育機関」であることを捨てているに等しい.そう思います.
教育現場において各員が成している役割や仕事というのは,そんなに簡単に定量化したり客観評価できるようなものではありません.

ところが,そうした教員を「厄介者だから」と切り捨て始めたのが昨今の大学のようです.
理由は以前の記事でも説明しましたが,経営や運営に余裕がない大学(多くの場合,「危ない大学」)は,なんとかして教職員を一手に統率しようと目論むからです.学内外で評判が良くない教員は切り捨ててしまった方が何かと安全で効率的と考えることに起因します.

運営側からすれば,「まともな教員だけ残して経営すれば安全だ」という狙いかもしれません.
しかし,そんな「厄介者を切り捨てる大学」に奉職している教職員からしたら,「明日は我が身」と思うようになります.
厄介な教員であっても簡単に切り捨ててはいけない理由の二つ目はそれに端を発するもので,大学全体のパフォーマンスに影響するということです.

仮に厄介者ランキングというのがあって,レベルA(優秀)以降,B,C,D(超厄介)が存在するとします.
ある時,大学がレベルDを切り捨てると,次はレベルCの教員たちがビビり始めますよね(自身の立場を自覚できていたらの話ですけど).
レベルCの教員たちは何をするかというと,自分自身をレベルAは無理でもレベルBの教員たちと同等レベルに見せるように努力・・・,すればいいのですが,世の中そんなに甘くないことを知っているのが大学教員ですので,レベルBの足を引っ張ろうとします.もっとも頻発するのは,ミスやトラブルを誘発させる行為です.

レベルCが目論んでいるのは,自身の評価アップではなく周囲の評価ダウンです.そっちの方が確実性が高いですし,「あいつも私と同じミスをしているぅ〜」っていう訴えの方が効果的で明確だからです.
なぜかって言うと,評価が半年や単年度,イベント毎といった非常に短期間でワンポイントのものだからです.
評価アップをするためには時間がかかりますからね.即効性のある評価ダウン工作の方が好まれるのだと思います.

「なんて非建設的なことをしてんだよ・・・」って思われた方.はい.とても非建設的です.とてもじゃないけど大学教育どころではありません.かくしてその大学では,高等教育っぽいパッケージに包まれた昼ドラが展開されることになります.全体のパフォーマンスは下がりまくりです.運営側の思惑とは裏腹に.

こういう状況は早く是正していかなくちゃいけないなぁって,今は当事者じゃない私は少しだけ気にしているところです.

とは言え,「切り捨ててしまってもいいんじゃないか」と言いたくなる大学教員はいるわけでして.
もし「切り捨ててもよい教員」という存在がいるとすれば,大学教育を成し得ていない教員,それに逆行している教員であると言えるでしょう.
具体的には,各学問分野における学術的な規範・ルールに則った健康的で建設的な議論ができない教員です.


「じゃあ,大学教育とは何なのか?」についての記事は
大学について
大学について2


関連記事
危ない大学に奉職してしまったとき「厄介な教員対策」
こんな挙動の教員がいる大学は危ない
反・大学改革論4(喜んでる教員)

2015年2月5日木曜日

偏差値45の大学選び パート2

ほぼ1年ぶりとなる続編です.
パート1を見ていない人は,
偏差値45の大学選び パート1
をご覧ください.

パート1でも書きましたが,この記事で対象としているのはトップレベルの大学を目指している受験生ではなく,だいたい偏差値が40〜50くらいの枠の中で「大学のこと,あんま知らないし.どうしようかなぁ」「滑り止めとは言え,もしものために」と悩んでいる受験生です.

パート1でご紹介したのは,
(1)自宅からのアクセス
(2)図書館(パソコン室)まわり
(3)貸出備品
(4)ゆるさ
といったものでしたが,今回はこの中でも「(4)ゆるさ」について取り上げます.
良い大学において,なぜ「ゆるさ」がなぜ重要なのか,そこを解説してみたいと思うのです.

その「ゆるさ」というのは以下の様なものでした.
1)学内でお酒が呑めるか?ゼミ中や研究室で呑んでる先生がいるか?飲み会が開かれたりしてるか?
2)開門時間以外でも入校可能か?つまり,事実上24時間営業か?
3)軽い暴力(身体的・精神的)をふるう教員がいるか?で,その教員は,ちょっとした名物教員(つまり,解雇されずに済んでいる)か?
4)図書館の隅や未使用教室などで寝ている学生がいるか?
5)なんでもない時期に,2日以上連続で(さも当たり前のように)学内に宿泊している学生(または教職員)がいるか?
6)購買コーナーのおっちゃん・おばちゃんが,「えぇよ,えぇよ,なんとかしといたるから」っていう感じの融通がきくところか?(この場合,「お金がない時にツケがきいたりしますか?」なんていう質問で切り出してもいいでしょう)
7)大学職員が怖いか?学生を怒鳴りつける職員がいるか?
8)受講者の99%が寝てる授業があるか?
9)授業に行ったら先生が来なくて,そのまま何事も無く休講になることがあるか?
10)テストが全然できていないと思ったのに,高得点で単位が取れたことがあるか?

上記の中でも,高校生が確認(理解)しやすいものを優先的にご紹介しましょう.

●開門時間以外でも入校可能か?つまり,事実上24時間営業か?
勉強したい学生,仕事したい教員は好きな時に好きなようにやってください.という状態です.
最近はこれをコンセプトとして公言し,(ほぼ)24時間営業のように図書館や空き教室を提供する大学が増えてきておりますが,少なくない優良大学の多くはこれをストレートに宣言せず,“事実上の24時間営業” という状況にしていることがあります.
つまり,警備や経営上,本当は24時間営業じゃないんだけど,「ま,別に問題が発生しているわけじゃないんだし,放っとけばいいんじゃないの」ということで黙認しているということです.
私の母校もそういう状態でした.深夜に勝手に門を開け,寝てる警備員のオッチャンを横目に校内に入っていくということは日常茶飯事です.このゆるさが重要なのです.

このような状態になるためには,その大学において「大学とは勉強するところ」という認識が根付いており,「自習するのが当たり前」「放っといても学生が勝手に何かする」という文化があることが必要条件になります.
そんなの大学としては当たり前だろと思われる人もいるかもしれませんが,偏差値45くらいになると重要な判別材料になるのです.

逆に,教職員や学生について “営業時間” 以外での入校を制限しようとする大学は弱い(危ない)大学である可能性が高まります.
入校制限する理由としては,営業時間以外で学内に人を入れておきたくないからです.なぜ人を入れておきたくないかというと,営業時間以外で何か問題が発生した場合に責任を取りたくないという理由もありますが,もっと邪推すれば,
教職員目線として,休業日に堂々と出勤しない正当な理由がほしいからです.
言い換えれば,普段は勤務状況が厳しくチェックされている大学であることを示しており,且つ,授業と部活以外には学生が全く大学に来ない,来たがらないから閉門できちゃうというところにあります.

休業日は学生が来ない,だったら閉門したっていいじゃないか.いっそ,入校制限したっていいじゃないか.入校制限してるくらいだから,私も特に用事は無いから休んじゃお.
つまりこういう大学は,もともと学生を自習させる文化が無く,だから休業日に大学に来る学生はおらず,なら管理運営上も入校制限した方が楽でいいよね,っていうことなのです.
そういう大学はパスした方が無難です.あなたも勉強しない学生,それで良いと思ってしまう学生になる可能性があるからです.

●図書館の隅や未使用教室などで寝ている学生がいるか?
大学でハベる文化があるということを示しています.もちろん教職員は怒っていますし,学外の人からするとみっともないと思われるでしょうが,こういう大学は優良大学である可能性が高くなります.
部室や体育館の隅ではダメなのです.図書館や未使用教室であることが重要です.
どうせ寝るにしてもアカデミックな場所であることが判別材料になります.
弱い大学の学生は図書館では寝ません.図書館で寝るくらいなら家に帰るか,部室に行きます.

なんでもない時期に,2日以上連続で(さも当たり前のように)学内に宿泊している学生(または教職員)がいるか?
大掛かりなイベントや卒論・学位論文の作成,泊まりがけの実験などなど,そういうものが無いにも関わらず,ずっと学内に宿泊している学生や教職員がいるかどうか,そんな噂に耳を傾けてみましょう.そういう大学は優良大学である可能性が高くなります.
家に帰るくらいなら大学に泊まればいい,その方が楽.そんな感じで生活している人物がごく少数でも存在する場所には,知と共に生きる文化が自然と漂い,その空気が無意識下で多くの人々に影響を与えます.

これは上述したことと類似しますが,土日・盆正月など関係なく通学・出勤している人も同様です.
あらゆる時間帯,あらゆる時期において「この人,今日もいるよ」「この人,この時間もいるのかよ」という気合の入った人物を間近に見ることは「大学とはこういうところだ」ということを身を持って認識する上では重要なことなのです.
逆に,弱い大学ではそんな人はいません.そんな学生は除籍になりますし,そんな教職員を雇うこともありませんから.

購買コーナーのおっちゃん・おばちゃんが,「えぇよ,えぇよ,なんとかしといたるから」っていう感じの融通がきくところか?
最近の大学はコンビニが入っていることが多いのですが,そうではない大学の購買コーナーであれば判別材料のひとつとして考慮する価値はあります.
高校生にはイメージしづらいし複雑なので端折ってしまいますが,理由としては融通が効かない購買コーナーなんて大学内部にある必要がないから,というものです.
ちょっと具体例を出すと,講演会とか部活とかで今すぐ水やジュースが必要なんだけど,持ち合わせがない,って時に,「すみません!あとで払うんで,ここにあるやつ何本か持って行っていいですか!」って言うと,なんとかしてくれる.そんな感じ.

受講者の99%が寝てる授業があるか?
それでも授業として許されている.その時点で優良大学です.
こういうのを見ると思わず「うわぁ~っ,ほとんどの学生が寝てるなんて,きっとつまらない授業をやってるんだろう.そんな魅力のない授業をやっていても許されてるなんて,きっとダメな大学なんだろう」という感想を持つかもしれません.
ですが,大学の授業というのは学問をする上での「きっかけ」の一つに過ぎません.聞いていて勉強になった,なんていう講義の方が眉唾ものです.
講義を聞いて勉強になる程度の授業は,自習すれば同じように勉強できます.

全ての授業がそうだとは言いませんが,99%の学生が無関心であっても,1%の学生に引っかかるものであれば価値があるのです.
「そんなのレアケースだ.費用対効果が弱いじゃないか」という意見があって然りでしょう.それも重要です.
が,大学の授業というのはレアケースであろうと費用対効果が無かろうと,その道のプロである学者・研究者の考え方を学ぶところにあるのですから,そうした「学び」を何か統一された物差しで判断するわけにはいかない,という事情があります.

もちろん学生が魅力を感じ,満足してくれる授業を目指すことも重要ですが,それが優先的になると「大学での学び」が崩壊することになります.
※詳細は■反・大学改革論2(学生からの評価アンケート)等の記事をご覧ください.

逆に,弱い大学・高等教育ができていない大学ではそうした授業は許されません.統一された物差しで授業が計られます.
誰もが納得できるコンテンツ,ウケの良い授業が求められるのです.そして,受講者を寝かせないようにするための工夫が豊富に盛り込まれています.

1%の学術性よりも99%の満足を優先する大学.1%が覚醒しても99%に魅力を感じさせなければ「ダメな授業」だと見做す大学というのは,残念ながら弱い(危ない)大学であると言えるでしょう.
そんな大学に通うと,あなたも物事を費用対効果で見たり,キャッチーなものが優れたものだと認識する思考が身についてしまいます.
だからこういう大学はパスした方が無難なのです.


なお,「弱い大学」「危ない大学」を判別したい場合は,以下の記事をご参考に.