2016年10月12日水曜日

体育学的映画論「ロッキー・ザ・ファイナル」

前回の記事に続き,さっそく体育学的映画論の記事を一つ.

スポーツ映画の最高峰だと思われる一本を紹介しておきます.
『ロッキー・ザ・ファイナル』(2006年)
です.
今,Huluで配信されています.
以前にも見たことがあるのですが(もう10年前の作品なんですね),このネット配信を機会に何度も見返しています.

細かな評論をする必要のないほどの「完全なるスポーツ映画」.
スポーツが持っている魅力を余すことなく純粋培養したのがロッキー・ザ・ファイナルです.

「ああいう映画って好きじゃないんです.他にもっといい映画ないですか?」
などと言い出す女子学生もいますが,そんな甘っちょろいこと言ってる女に授業の単位は出しません.
この映画は “基本” です.

実際のところロッキー・ザ・ファイナルだけではダメで,「ロッキー1」からシリーズ全てを見ることで「ザ・ファイナル」の価値が分かるというものです.
まさにロッキー・シリーズの最後を飾るに相応しい完璧な作品.文句のつけようがありません.

私にとって心に残るシーンとセリフはこれ.
映画の序盤でロッキーは過去を思い出しながら町を歩き回ります.
そこで彼はこんなことを言う.「同じ場所に長く住んでいると,その場所が自分自身になる」
中途半端にあちこち住所を変えている私にって,なんだか妙にズキンと胸にくる言葉でした.
人は同じ場所に長く住むことが本来の在り方なんだ.定住することで,その場所すら自分の体の一部となる.つまり周囲の環境が「身体化」するのだということを,彼は語っているのです.
これは体育学的を考える上でも重要な観点です.

でもまぁ,そんな難しい話は抜きにしても,この作品を真正面から見ればスポーツの価値を容易に読み解くことができます.

老いたロッキーが現世界チャンピオンと試合をするなんて非現実的だ,ですって?
そんな細かいことに口を出すのは野暮ってものです.これは映画です.

何もかもが都合よく展開している?
エキジビション・マッチへの流れ然り,息子の行動然り.たしかに都合がいい.
でもこれは映画です.話は都合よく展開するに決まっています.
そこに何を見るかが問われているのです.

今作のロッキーの相手役ですが,彼は過去(ロッキー3)のロッキーです.
勝てる挑戦者としか戦わず,エキジビション・マッチに遊び感覚で参加し,スター選手として自惚れているボクサー.
今作のロッキーは,そんな過去の自分に立ち向かっているのです.

終盤,お決まりのトレーニング・シーン.
ちなみに,今回のロッキーのトレーニングですが,実施しているメニューは最新のスポーツ科学的にも「重いパンチを生み出すためのパワー強化」として王道的なプログラムが行われています.
適当に見栄えのしそうなものを用意したのではなく,かなり緻密に設定されたものであることが窺えます.これには私も感心しました.

そして試合開始.カッコ良すぎて笑けてきます.
思わずパソコンの画面に前のめりになって見ている自分がいる.画面を見ながら拳に力が入るのを自覚できる.
カメラワークを実際のボクシングの試合をベースとしたものにしているのも良い.実況アナウンサーも “いかにも” なフラグを立てまくるし,周囲の反応もわざとらしい.
でも,ここに「スポーツの本質」を見れるかどうかが,この映画を楽しむためのコツです.

最終ラウンド.フラフラになりながら対峙する2人.
そこでチャンピオンは言いいます.「イカれたジジイだぜ」
ロッキーの返事は,「お前もそうなる」
涙が出そうになります.

結末,「ロッキー」の最後は,やっぱり「ロッキー」でした.
スポーツとは,勝つことではなく,勝とうと努力するところにその魅力がある.という綺麗事を,見事なまでにスポーツの「真理」として呈示してくれている.
人類史に残る名作.オーバーでなく,私はそう思っています.