2016年2月29日月曜日

大学のこれから(5)

案の定,スーパーグローバル大学が暗礁に乗り上げかけています.
そのうち本格的に暗礁に乗り上げるでしょう.

聞くところによりますと,関東ではスーパーグローバル大学(SGU)に選ばれたところは軒並み入学希望者数(一般入試)がふるわず,逆にSGUから外れたところに人気が集まっているようです.
そのうち詳細なデータが出ると思うので,気になる人は調べてみてください.
つまりは程度の差こそあれ,SGUの評判は一般人レベルにおいては芳しくないことは確かなようです.

だいたい,スーパーグローバルなんてものを気にしていたのは一部の「意識高い系」のバカだけでして,幸いなことに世の中そんなにバカは多くないわけでして,だからこんな状況なのでしょう.
ただ,バカは感染します.気をつけなければいけません.

そもそもSGUとは,「2018年問題(1818危機)」を前にした大学が,その2018年を食いつなぐための補助金狙いで始めたことです.
2018年問題っていうのは,2018年に18歳人口がガクンッと少なくなることから,きっとそのあたりから深刻な大学経営難が予想されるだろうってことで.その2018年に向けて「どうしよう・・」と大学が悩んでいることを意味します.
だから今回のSGUは,補助金支給期間が2013年〜2023年までなので2018年問題を乗り切る上で重要なものと位置付けられることが多かったのです.
実際のところ,SGUに選定されるような大学は2018年問題なんて気にしなくていいところでしょうけどね.

ところが,そのSGUに選ばれた大学の評判がよろしくない.という状況なのです.

いやいや,SGUは入学希望者である高校生や,世間の評判を気にするような話ではないでしょう.やらねばならぬからやるのだ,という意見もあるかもしれません.
私も「世間の評判を気にして大学ができるか!」という趣旨の記事をずっと書いているわけですし.

ですが,もともとSGU自体が「世間の評判」を気にして始めた愚行です.
SGUや大学経営に限らず,「それ」について各方面から論じてきたのが私のブログでもあります.

金が入るんだから,入学希望者がふるわなくてもいいじゃないか.と,そんな見方もできるでしょう.
いえ,実はこれが最も看板倒れなんです.

どういうことかって?
少なくない大学が,申請時に希望した通りの補助金が入っていないんですよ,実際は.

どこの大学とは言えませんが,以下,大学関係者間での話として聞いて下さい.

ある大学では,申請時に
「現在,◯◯という事業を展開しているが,補助金を受けることでさらなる発展が期待できる(だから補助金ちょーだい!)」
という趣旨のことを書いて採択されたからヨッシャー!って思っていたら,フタを開けてみると,
「補助金無しでもその事業が展開できているのだから,そこへの補助金は支給しない」
っていうことになっているそうです.
SGUに採択されるため,いろいろと無理して展開していた事業なのに,そこに補助金が出ないんならやってらんねー,という感じです.

またある大学では,
「現在,◯◯という事業を展開しているが,補助金を受けて十分な人材が確保できれば,さらなる事業の拡大ができる(だから補助金ちょーだい!)」
という趣旨のことを書いて採択されたからソレキター!って思っていたら,フタを開けてみると,
「現在の人員数でもその事業が展開できているのだから,そこへの補助金は支給しない」
っていうことになっているそうです.
SGUに採択されるため,少ない人数で無理して回していた事業なのに,そこに補助金がでないんならマジで継続不可なんですけど,というところです.

考えてみればヤクザな話じゃないですか.
「グローバル化すれば補助金やるよ」って言っておいて,
がんばってグローバル化するよう努力したら「グローバル化できてるんだから補助金いらねぇだろ」って言ってるわけでしょ.
たちが悪いにも程がある.

さらに悲惨なのは,採択されたは良いけど,上記のような話が盛り沢山な大学です.
けっこうな有名大学(どこも有名なんだろうけど)からも,そんな話を聞きます.
申請時の半分の補助金しかもらえていない大学もあるようですね.

というわけで,SGUを続けることが困難な大学がたくさんあるのです.
ある大学では,「事業の部分的削除や,補助金の部分的返金ができるか?」とか,「SGUから手を引いてもペナルティなどがあるか文科省に聞いてくれ」といったことが話し合われているとのこと.つまり,やる気無くしてるわけです.
事の発端が,各大学「経営を楽にする」ための補助金狙いだったのですから,当然の帰結ですね.
政策・支援としては完全に事前調整不足.今からでも遅くないので,全国の大学と国民に謝罪し,計画(と,できれば理念)の見直しをすることを強く要望します.

あと,伝え聞く所によれば,
https://www.jsps.go.jp/j-sgu/gaiyou.html←スーパーグローバル大学創生支援事業HP
にも掲載されている,「事業の評価等」について.
支援開始から4年目の平成29年度と7年目の平成32年度に中間評価、支援終了後(支援開始から11年目の平成36年度)に事後評価を実施する予定です。
などと威勢よく言っているものの,誰がどんな基準でどうやって評価するのか悩んでいるんだそうです.
え? そんなことも決めないままスタートしたの?
じゃあどうやって「採択」大学を決めたのよ?

2016年2月21日日曜日

大学のこれから(4)

大学のこれから(1)
大学のこれから(2)
大学のこれから(3)
の続きです.

「大学のこれから」と題しているのに,現状の話ばかりで「これから」の話が書かれていないではないか,そんな声が聞こえてきそうな記事ばかりでした.

なので今回は,「これからの大学はこうなるだろうな」というものを書いておこうと思います.
大学の広報戦略の話でして,今回のそのツボは,
「明るくフレンドリー」が通用しなくなったら「シックでフォーマル」に変わってゆくでしょう
というものです.

今回の話,できれば予備知識・関連知識として以下の
こんなホームページの大学は危ない
こんなパンフレットの大学は危ない 
こんなパンフレットの大学は・・,おっと危ない
を読んでおくことをオススメします.

現在の大学では,学生募集が必要なところもそうでないところも,民間企業のマネゴトとしての広報をがんばってやっています.
マジで学生募集を本気でやらないと潰れる大学は,それなりの広報をやっております.が,その他多くの大学は周りの大学の手法をマネたり,もしくは広告会社のアドバイスを聞きながらのんびりやっているのが実情です.

今のところ,学生募集が気になり始めた大学の主流は「明るくフレンドリーな雰囲気を広報することで,高校生に親近感を持ってもらう」ということを狙っています.
ためしに,有名と言えるほどではない大学のホームページ等を見てみましょう.どこもかしこも「明るくフレンドリー」なアピールで溢れていますよね.

たしかに,明るくフレンドリーな雰囲気を提示すれば,世の高校生の大多数の感覚としては好まれることと思います.
しかし,好ましく思われることと入学したいと思わせることとは違います.

民間のマネゴトを楽しんでるだけで済まされる大学では,そんな「好感触」を得てもらう広報でも十分かもしれません.さしずめ広報委員会なんかのミーティングでは,
「えぇ〜と,来年のパンフのデザインですが,今日の朝にメールで業者から案が挙がってきましてですね.まず文学部のページについてですけど,そちらにお配りしているA案とB案なんですが,どうでしょう? どちらがいいですかねぇ」
「うーん,そうですねぇ.A案の方が見やすいし綺麗なんだけど,B案の方がうちの学部らしいですよ.うん,そう,なんだかホンワカした感じがするし」
などと,なんともホンワカした感じで決められていくものです.

ところが,学生募集に危機感をもってあたっている大学では,たしかに数年前ならホンワカしたミーティングをしていたかもしれませんが,どうやらそんな悠長なことをしてられないぞ,と.そういう結論に至る教職員が現れるようになるはずです.

で,そんな大学ではもはや教員主体の広報委員会みたいなものは組織されなくなります.大学教員の意向を反映しているほど余裕がなくなるからです.
代わりに,自分たちの大学に入学してくれそうな生徒層の分析を行ない,その層の入学意欲をそそる広報を作成するようになります.
もはやそこに大学教員達の「学生をこういうふうに教育したいんだ」とか「うちではこんな研究をしているんですよ」といったことを素直に示すページはありません.
生徒募集用に特化するわけですね.

先日,駅で見かけた看護系専門学校の広告は「それ」として見事なものでした.
10代後半に見えるかわいい女の子がナースの格好で微笑んでいる写真,それを前面に出しているポスターなんですけど,「◯◯看護専門学校」という文字がなければ,風俗店の前に貼ってあるものと同じです.その代わりに「今宵も貴方を “お大事に”  1時間 ¥25,000〜」って書かれててもおかしくない.
そしてこのポスターは,そういう嗜好センスのある女子,およびそれにむらがる男子学生を引っ張るために強力に機能するはずです.
狙ってやっているのかどうか定かではありませんが,もし私が経営難の専門学校の広報担当なら迷わずやります.背に腹は代えられない.

それと同じことが大学の広報でも見られるようになるでしょう,ということです.
そう遠くない将来,大学においてもナースやスチュワーデスの格好をさせた卒業生,はたまたチアリーディングや競泳水着姿の学生を,パンフやポスター,HPといったところにデカデカと掲載するようになるのです.

もちろん堂々と厭らしく載せるのではなく,それとなくエロく載せるはずです.
当然のことながら,女子学生も対象にしたものを用意するはず.
男女両方を引っ掛ける釣り針の具体例としては,こんなのが考えられます.
※以下,大学パンフ or HPを想定し,じっくり想像しながらお読み下さい.

【フィリピン短期留学】などというページを用意して,そこに綺麗な浜辺をバックにした「留学中の様子」と称したポートレート写真を用意します.美人系の3人娘を肌露出多めにして中央に配置し,元気で満面の笑顔をみせる.そしてその両サイドをイケメン2人で挟んでおき,その後列にはブサイク気味な男子学生を3人配置させます.
これにより,大学生活におけるポジティブなキーワードを確保できます.つまり,
「楽しそう」「爽やか」「海外体験」「異性関係」「ワクワク感」
ブサイク気味な男子学生も隅っこに入れておくことで,ブサイク気味な男子学生がその写真を見た時に「何かしらの可能性」を感じさせるものにしておきます.
これで大抵のバカは興味を持つので,学生募集の足しになるわけです.

以前の記事で扱ったことのある,
こんなパンフレットの大学は・・,おっと危ない
での事例は,上記のような戦略の前段階と言えるでしょう.しかしそれも「それほど危なくない大学」の域を出ていません.

もっと言うなら,本当に危ない大学においては,そういう「性」に頼ることもあきらめるでしょう.
それが冒頭にお話した「明るくフレンドリー」から「シックでフォーマル」というものです.

たしかに大学は,「若々しい強いエネルギー」をイメージしやすいところですから,「明るくフレンドリー」なものと親和しやすい.それゆえ,エロスとバイタリティの風味がある広報戦略に走りがちです.

ですが,経営難に陥っている上に運営思想も危ない大学においては,このような戦略はとれなくなります.
明るくフレンドリーとは対象的とも思える,シックでフォーマルな雰囲気を見せるようになっていくはずなのです.
具体的に言えば,学生の写真を出すにしても,「笑顔でカラフルな私服」ではなく,「真顔でスーツ」になります.ジャンプしたり談笑している写真ではなく,整列して落ち着いている写真になります.
なぜか?

経営難に陥っている危ない大学に入学するような学生は,どうしても学力が低く,高卒でもいいから「やりたいことがある」といった信念や希望を持っていない生徒が多くなるわけです.
で,その親や教師も「とりあえず大学くらいは出ておきなさい(今は入ろうと思えばどこかに入学できるし)」といった指導をしている場合が多いことが予想されるのです.

とすると,そんな生徒と親,教師にとってはエロスとバイタリティといったものは魅力的に映らないことは想像に難くないですね.
じゃあ何なら魅力的なのか?

私(この子)は学力も低いし,やる気もない.だけど専門学校みたいな所じゃなくて,大学を出ておきたい.大学に行って,就職とか将来にとってなんか良いものを得て卒業したい.
とりあえず大学に行きたいんだけど,私(この子)が入れるところの中で,どれが一番無難かなぁ?
と,そう考えていることと思われます.

このような人達は,華やかで野心的な話をしても釣れません.
「人材スペック」における偏差値としては,自分が下位集団に分布しているという自覚があるので,そんな人達が目指すのは「尖った能力」よりも「人並み」「平均」なのです.
つまり,本当に危ない大学における広報戦略とは,大風呂敷を広げたハッタリ話を展開するのではなく,「貴方(その子)を “普通” の仲間入りにさせますよ」と見せることにあります.
「大学は専門学校とは違うんです.ワンランク上のステータスがあります.それがこれなのですよ」というアピールと言ってよいでしょう.

話が長くなりそうなので,まとめます.
それほど経営難ではない大学においては,「明るくフレンドリー」を基調とした,エロスとバイタリティをイメージさせる広報戦略がますます強くなっていくでしょう.
近い将来,もしかすると「いくらなんでもそりゃやり過ぎじゃないか」と思われるような,卑猥なアピールをする大学ホームページに出会うかもしれません.
その時はネットニュースなんかでも話題になると思うので乞うご期待です.

その一方で,本当に経営難の大学になってくると,シックでフォーマルな雰囲気を見せることによって,入学生を「普通の一般人」へと導くことをアピールするようになります.きっとそうなるので,乞うご期待です.

今は明るくフレンドリーな雰囲気を出すことに苦心している大学の皆様,マジで危なくなってきたら「明るくフレンドリー」じゃダメになるので,今のうちから準備しておきましょう.
もう既に危ない大学ではその方向で話し合われているかもしれませんけどね.


関連記事
こんなホームページの大学は危ない
こんなパンフレットの大学は危ない 
こんなパンフレットの大学は・・,おっと危ない

2016年2月17日水曜日

大学のこれから(3)

これからの大学がまともな道を歩めるか否か,その違いを見分ける「ツボ」をご紹介するこのシリーズ.
大学のこれから(1)
大学のこれから(2)
の続きです.

こういう大学教員や組織がのさばるところに未来は無い.というのをじんわりと表すツボを説明しています.
今回のツボはこちら.
iPadが好き

iPadがあれば仕事が捗る.iPadを使えば授業が変わる.iPadでできることは他に何かないだろうか?
と,そんなことをいつも話題にしている教員が一定数存在する大学に将来はありません.
それこそこれは「学生目線で見ても」,iPadを信奉している教員に碌な奴はいない.そうでしょう?

おいおい,いくらなんでもそりゃ短絡的すぎじゃないか,と思われるかもしれません.
しかも私自身がiPadユーザーの一人というところでもあるのですけど,これはなにも “大学教員たるものiPadユーザーになってはいけない” などと言っているわけではないのです.
これには順次説明が必要です.

まず,iPadごときで大学の仕事が捗ったりなどしません.
大学での仕事というのは,iPadが得意とする “やりたい作業や得たい情報が,事前に一定程度分かっている” ような作業はそう多くないからです.

とは言え,iPadを使えば便利にはなる作業もあるでしょう.私も仕事で使っていますし,いろいろと使いドコロはあるものですが,これがないと仕事にならない,大学としての作業能率が落ちてしまう,なんてものではないのです.
しかし,それを「捗るぞぉ」などと大袈裟に騒いでいる時点で,まずそいつが大学教員として無能であることの証左となります.

ところがそんな自身の無能を恥じること無く,こうしたiPad好きの教員は「これからの大学はiPadが活用されるべきだ」などと吹聴します.

だけならまだしも,iPadによって授業方法に幅が出たとか,学生への満足度が高まる可能性があるとか,iPadの誕生は授業に革命を起こすなどと目を輝かせます.

他方で,「アンチiPad使い」なる教員もいて,じゃあ彼らはまともな事を言うのかと思いきや,その他のタブレット端末の優位性とかオリジナリティを説いているだけで,本質的にはiPad好きであることに違いはないのです.

こういうのってちょうど,プレイステーションとファイナルファンタジーⅦが発売された時に「TVゲームに革命が・・」などと似たような騒ぎがありましたが,それと同じようなものです.
プレイステーションの高い処理速度と映像が生み出す未知なるゲーム画面に,何やら全く別の世界が誕生したワクワク感があったからでしょう.
でもこれによって新しい何かが始まったわけではなく,ロールプレイングゲームの魅力を引き継いだだけで本質的な違いはなく,ロールプレイングゲームの面白さはファミコンであってもスーパーファミコンであっても変わらないわけです.
今になっては大画面のテレビじゃなく,携帯やスマホとか,それこそiPadでゲームが楽しまれているようですし.

目の前に呈示されたエンターテイメント性の高い現象に対し,それを素直に,誠に素直に楽しんでしまっていて,且つ,それが自身の仕事や生活の有り様を変えてくれるものだと捉えてしまう.
ようするに大衆なのです.バカとまでは言いませんが,こういうのは大学の教員ではない.大学に居るべき者とは対局にある思考スタイルです.

彼らはiPadのようなタブレット端末を使って,大学で他に何か良いことはできないかと野心を燃やしているように「見せます」が,実際やってることは既存の用途に従ってるだけだったりします.なんなら「Safari」と「メール」,たまに「ミュージック」くらいしか使ってなくて,挙句にはPDFの閲覧もままならない状況だったりします.

別に一般消費者で良いじゃないか,iPad好きくらいでゴタゴタ小言を言うな.
と思われるかもしれませんが,大学教員や大学という組織にとってはそうじゃないから「ツボ」なのですよ.

iPad好きのバカをのさばらせると碌なことになりません.自分のその嗜好と思考を,思う存分大学運営に投影しようとするからです.

世間で流行っている知的でちょっとラグジュアリーなもの,それが大学教育の延長線上にあるものだ.そんなふうに彼らは捉えています.
iPadを小脇に抱え,それで仕事をスマートにこなしていく姿に憧れているんです.

そんな奴らですから,iPad好きのバカは揃いも揃って大学構内に「オシャレなカフェ・エリア」を作ろうとします.オシャレなカフェでiPadを操作することに知的な魅力を感じているからです.
そしてオシャレなカフェでiPadを片手に,知的な話題で学生たちと談笑したい.などと妄想しています.それが理想的な自分たちのキャンパス・ライフだと,本気で考えているのです.

「一段上のインテリジェンスなステータスとは,こういうものさ」
それらが単なる企業の広告戦略であっても,それをそのままコピペして自分たちの大学作りで使おうとします.学生には「コピペのレポートはダメだぞぉ」って言ってるくせに,肝心な自分の思考力はコピペなんです.哀れですね.

でも,そんな哀れな大学経営方針に,我が国の多くの大学が足を突っ込み始めていて,それを止めることがどうにもできないでいる.
そんな我々自身も哀れなわけです.

2016年2月12日金曜日

大学のこれから(2)

前回の■大学のこれから(1)の続きです.
これからの大学がまともな道を歩めるか否か,その違いを見分けるツボをご紹介したいというシリーズにしております.

今回のツボはこちら.
学生目線を大事にしたがる
です.

注意していただきたいのは,学生目線を大事に「する」ということではない点であり,「したがる」というところがツボなのです.

教員個人のレベルではこんなところに表出します.
例えば,表向きは「学生のことを第一にしなければならない」とか「学生の喜ぶ顔がみたいから」などと言っており,より具体的な事例としては「教員も学生と同じ土俵で向き合わなければならない」とか「教員も学生を評価しているのであれば,学生も教員を評価して然るべきだ」などと言って授業評価アンケートを肯定的に捉えているような節のことを発言しています.

そうして情熱を持って学生と真剣に向き合っているならまだ許せますが,こうした “学生目線を大事に「したがる」” 手合いの教員は,得てして肝心なところで学生のことを放ったらかし,教育らしい教育をしていません.

その代表的なものが卒業論文です.
普段から「学生のことを考えて・・」などと発言しているのですから,てっきり卒業論文もみっちり指導するのかと思いきや,そこは何故か「学生が主体的に取り組むものだから」と言って消極的になります.

あぁなるほど,主体性を大事にして書かせ,その上で最後に仕上げてくるんだろうなと思っていたら,そのまま最後まで放任して終了.
え? 学生目線を大事にしたいんじゃないのですか?

そういうわけで,こうした教員の言う「学生目線」というものが,多くの学者・教員が考えている「学生目線」となんらかのギャップがあると思われるわけですね.

ではそのギャップとは何なのかといえば,端的に言うなら後者が学生の能力を高めることを通して「社会や人類に貢献する」ということを目指しているのに対し,前者は学生個人の利益誘導を狙うことで「自分が学生から好かれたい」ということにあります.

ここで皮肉なのは,彼らはそうして学生から好かれたいという一心で振る舞っているのですが,残念なことに,まことに残念なことに,そんな彼らが重要視している「授業評価アンケート」の結果が芳しくないというところです.
んで,そういう結果を前にして「授業評価アンケートの結果には様々な疑義があるから」などとヘンチクリンな分析(みたいな言い訳)をして,そんな時だけ私のような根本的に授業評価アンケートの存在を批判している教員と意気投合しようとするのです.

より低次なところでは,学生目線を大事にしたがる教員は「ウケる授業」を展開したがります.最近流行してるプレゼン方法をマネたがるし,就活に応用できる話をしたがります.
さらに低次になれば,どっかの地域のイベントに学生と一緒にボランティアとして参加しようとするし,学祭とかの学内イベントで学生と共に汗を流そうとします.

こうした「学生目線を大事にしたがる」教育方針が大学組織レベルで展開されると,ことはさらに厄介になります.
勉強させなくても良い方向に向こうという力が加わってくるのです.まさに大学教育の崩壊です.

まぁたしかに,「学生目線」なのであればそうなるのでしょう.
大学での勉強って,本気で取り組んだら苦しいものですからね(楽しくもあるけど).

その代表的なものが,成績評価の厳密化と明瞭化です.
大学での学習と研究の採点や評価が,厳密に明瞭に出来るわけねぇだろと思われた方は常識人です.
明確な答えなんかなくて,考え方や捉え方の微妙な部分をたゆたうところに大学教育の面白さがあるのですが,ところがそんな本質的な部分が分かっていないからこその「学生」である学生目線に立てば,たしかに納得できないことでしょう.

そんなわけで,学生目線を大事にしたがる大学とその教授陣,そして最近は文科省なんかも,こうした誰もが納得できる成績評価を求めたがるのです.浅はかですね.

これはちょうど,ウイスキーやお酒などの銘柄の違いというのが,僅かな不純物やノイズによって生み出されていて,その違いはそう簡単に解明・再現できるものではないのと一緒です.
それに対し,「アルコール度数が一緒で,材料も一緒,さらには作成手順が一緒であれば,全部一緒のものになるはずだ」と言ってひとくくりにしようとするのが昨今の流れ.

原料が違えば作り方も違うし最終的な味もやっぱり違ってくる,その味わい方も変わってくるのは人間も一緒です.
そんなに納得のできる成績評価を大学で求めたいのであれば,どうか「エタノールの蒸留水割り」を楽しめるようになってから言ってほしいものです.

2016年2月5日金曜日

大学のこれから(1)

私はこれまで3つの大学に赴任したことがあるのですけど,それぞれの大学において,それぞれの特徴を見てきました.
そんな経緯だからなのか,学生を含め,大学というところで働いている人達の行動とか組織について,一定のパターンを見つけることが多いものです.

以前勤めていた大学の方からも,私がそこに居た時に話していた「この大学は何年後かに◯◯みたいなことをやり出しますよ」といったものが,現在,実際にそうなっているということも聞きます.

※そんなドタバタしていた3年前に,大学の在り方に不満をぶつけるつもりで書いてたのが,
とか,
とかです.

“実際にそうなっている” と言いましても,たいていは悪い方向の話なのですけど,私のように30歳そこそこの人間であっても,ツボさえおさえれば大学組織の将来の姿がかなりの精度をもって予測できるのだと感じている次第です.

「ツボさえおさえれば」というところが大事な部分でして,そのツボをおさえられていない人が案外多いものですから,現在の大学は,その思惑と期待とは裏腹に高等教育崩壊への道を突き進んでいるのです.

「ツボ」ってなんなんだ? と思われたでしょう.
なので今回の記事からは,それがどのようなものなのかお話しすることにします.

今回のツボ:整理整頓,スペースの有効活用を叫ぶ大学に未来はない
未来のない大学ほど,不要なものを処分しようとします.スペースを有効活用できないかと議論したがります.

とは言え程度の問題でもあります.どんな状況になったら危ないのか,その線引きですが.

例えば図書館の蔵書.古くなったものは捨てようとか言い出すのが典型的です.
古い蔵書を捨てたら即未来がないと言っているわけではありません.
そういうことを井戸端会議や教授会で言い出す教授陣がいることをもって,その大学に未来はないと言っているのです.

図書や雑誌は,大学における重要な教育資源です.それを「最近は読まなくなったから」とか「学生も興味を持っていない」とか「古い本がスペースを圧迫している」などと言って購読中止させたり廃棄しようとします.

なかには,不要なものを思い切ってバッサリ捨て去ることの有効性(?)を力説する教員もいます.しかもドヤ顔で.
たぶん,なんかの自己啓発本からの受け売りなのでしょうけど,とにかく浅はかな事この上ない.

古い本や資料がスペースを圧迫しているのであれば,それらを書架から降ろしてダンボール箱にでも入れて倉庫をつくって積んでおけばいい.まともな学者・大学教員ならそう思うはずです.
ところが,大学の未来を閉ざす教授陣は,「そんなことしたって骨折り損のくたびれ儲け,結局は誰のためにもならないよ」などと一般人と同じようなことを言い,いとも簡単に教育資源である古書や資料を「捨てる」という選択をする.
活用されていないものは無駄である,無駄を省くことで,活性化すると言い出します.
そう言えばこういうの,どっかで聞いたことがあるセリフですね.こういうものの根は一緒だと私は思います.

繰り返しになりますが,程度の問題ではあります.
それに,古い蔵書を捨てることそれ自体が悪いことと言っているわけでもありません.

そのプロセス,その着想に至る経緯に,学術性を重んじている集団としての態度が無いということが問題なのであって,そうした集団が運営する大学には未来がないと言っているのです.