2013年8月22日木曜日

「ぶらぶら歩き」興国論

昨年の3月に,
「ぶらぶら歩き」亡国論
という記事を書きました.

そこで言いたかったのは,
「「ぶらぶら歩き」などという活動でもって,“私の運動・スポーツだ” という認識では,日本のスポーツ振興はままならない」
ということでした.

しかし,先日の記事である,
スポーツによって災害に強い強靭な町をつくれる
のような視点からすると,“ぶらぶら歩き” であっても十分価値あるものであることが推測されます.

むしろ「ぶらぶら歩き」こそが,亡国などではなく,興国の可能性を秘めているかもしれません.
細かいことは上に示した記事を読んでもらうとして,とにかくヒトは「身体を通して本気で遊ぶ」ところに,人間らしさの本質があるように思えてなりません.

上の記事では「ぶらぶら歩き」が日本人の運動・スポーツの特徴であると指摘しましたが,逆に言えば,ぶらぶら歩ける国民性があるということです.
いえ,むしろヒトはアフリカに始まり,世界中を歩き回って繁栄してきたのです.
同じルートやテリトリーを走り回ったり,飛び回ったりする他の動物とは違うのです.

ぶらぶら歩くだけでもいいから,とにかく動け.
ぶらぶら歩ける町をつくれということです.
「ぶらぶら歩き」,なんと人間らしい活動であることか.

おいおい,以前の記事と主張が(タイトルも)180度ちがうじゃないか.というところですが,まぁ,物は言いようですから,のんびりと聞いてください.

とは言え,いずれの記事にせよ私が言いたいのは,国や社会にスポーツを振興させることは,「無形の文化の発展」「人の可能性の発露」「教育的意義」「感動」といった分かりやすくお定まりの主張だけでなく,本当の意味での経世済民(経済)と共同体づくりに貢献するという点です.

スポーツの振興を「趣味の範疇」「税金の無駄」と考える人もいるようですが,そうではありません.

ここで言う「スポーツsport」は外国(ヨーロッパ)の思想であるから,日本には馴染まないのではないかという意見もあって然りでしょう.
しかし,名称こそ違えど,日本にもスポーツのような活動は多く散見されますし,これは日本に限ったことではありません.
大相撲は日本最古の「プロスポーツ」として知られており,各地にみられる「祭り」はスポーツの様相を呈するものも多いのです.

本来「スポーツsport」が意味しているところは幅広いにも関わらず,むしろ日本では「競技スポーツ」という側面だけで捉えすぎているきらいがあります.

あと,なんだかんだでスポーツを価値の低いものとして捉える向きもあります.
例えばダニングは,エリアスとの共著である『スポーツと文明化』において,
スポーツは,それが「仕事」と「余暇」,「精神」と「肉体」,「真剣さ」と「楽しさ」,「経済的」と「非経済的」,などの諸現象間の二分法のように,伝統的に了解されている重なり合う二分法の複合体の否定的な評価を下される側に当たると見なされているがゆえに,社会学的な思考や研究の対象として無視されてきたように思われるのである.
と指摘しています.
そして,その一方でダニングは,人間が織りなす社会構造や社会行動を探求するうえで,スポーツが提示しているものを研究することは社会学的に重要であるとも述べています.



あと,スポーツの新興について,「ようするに,国民を健康にすることが目的でしょ」という指摘もありますが,それについては,
スポーツは健康になるためのツールではない
を御覧ください.

私も授業なんかでたまに言うのですが,
最近はトレーニング(体力づくり)の分野が成長しているので嬉しい限りですけど,トレーニングというのは,その活動自体が目的になると長続きしないし飽きがくるものです.

トレーニングとは,『トレーニングしたい目的』があってこそ成り立つものです.
その目的とは,計測可能な健康や体力といった「状態」ではなく,「もっと◯◯したいから」というものです.

もっと野球がうまくなりたい,もっと険しい山を登りたい,もっと飲み会を楽しみたい.さらには,孫を背負って遊びに行きたい,という目的を持っていた高齢の方にお会いしたことがあります.
これがトレーニングの目的です.そして,こういう目的であればトレーニングは長続きします.

無理矢理「飲み会」もその目的に含めていますが,つまりは,何かしら健康や高い体力といったものが必要とされる「事」に夢中になっている(ハマっている)ことが前提であり,それを維持・強化しようとするところにトレーニングの本質があるはずなのです.

では,手っ取り早く健康や体力が必要とされる人間の活動とは何でしょうか?スポーツですよね.
野球や登山はもちろんスポーツですし,飲み会もある意味スポーツです.高齢者にとっては,孫を背負って遊び相手をすることもスポーツに関わっていることになります.

そんなわけで,自分の身体を自在に操りたいと願うほどハマる「事」を普及することが,まずは優先事項となります.
そして,その「事」こそがスポーツです.

健康になりたいからスポーツをするわけではありません.
スポーツをしている状態こそが健康なのです.
もっと言うと,スポーツをするからこそ人間なのです.
スポーツをしていれば,勝手に健康になり,勝手に共同体がつくられ,勝手に住み良い町ができます.

以上のことをまとめれば,どうせスポーツを振興するにしても,いえ,行政レベルでやるからこそ,
なるべく多くの人が関わり,なるべく大きな投資と消費を生み,なるべく無形有形の遺産を残す企画が望ましい
ということになります.
なぜなら,スポーツは共同体形成,経済活性,町(都市)整備の起爆剤になりますし,歴史的にみても世界中の地域にみられる「スポーツらしい活動」というのは,そういう機能があるとしか思えないからです.

2013年8月17日土曜日

“日本一”の故郷を撮る

ちょうど帰省した日.
私の実家の地域が全国的に有名になりました.

摂氏 41度.

ということで,我が故郷は日本一暑い町として,その名を全国に轟かせることになったのです.

つまり,今週は「旧日本一」から,「新日本一」へと移動したわけですね.
縁を感じます.

このお盆の帰省を写真で振り返ってみましょう.
結構長いけど,暇つぶしに見ていってください.

今回の帰省の移動手段ですが,東日本に移ってからというもの,自動車を手放しましたので公共交通機関での移動に逆戻りです.
岡山駅からは「アンパンマン」の絵が恥ずかしげもなく塗りたくられた電車,もとい「汽車(ディーゼル車)」です.
 高知や四国の「やなせたかし」押しが過ぎる気もしますが,まぁ地域活性化として頑張っているのですから,微笑ましいものです.
ちなみに,
高知県庁ホームページ(2013年8月17日現在)

の「広末涼子」押しも気になるところですが,同世代の高知県人が頑張っているのですから,優しく見守ってあげたいところです.

愛媛の高専に勤めている弟がいます.
ですので,愛媛県からは弟の運転する車で実家を目指します.

そして高知に帰ってきました.
が,この写真は四万十川ではありません.
四国三郎で知られる吉野川水系の「大橋貯水池」です.
ちなみに,この大橋貯水池をつくる「大橋ダム」の歴史は古く,1939年に竣工したものでして,「土木学会選奨土木遺産」としても知られています.
日本の公共事業の大切さを語り続ける車内でした.

伊野町(いの町)です.
高知らしい風景ですね.

上の写真の川と,下の写真の右を流れるのは「仁淀川(によどがわ)」です.四万十川ではありません.
実は四万十川よりも “真の清流” として県下では知られています.綺麗な川です.
四万十川なんてただの飾りです.県外の者にはそれが分からんのです.
この機会に覚えておいてください.「仁淀川」です.

下は土佐市あたりのお店を撮ったものです.
餅米,麦芽米,玄米,水,ぬか.刺し身,炭,きび...
何を売りたいのか分かりません.さすが高知です.

仁淀川です.県下では “真の清流” として知られています.以下略

高知の道路は狭いんです.
だからこんな標識があります.
ゆずり合い せまい道路も 広くなる
つまり精神論です.
現実逃避かもしれません.
でも,たぶんギャグです.
やすし・きよし,間寛平を生んだ県の底力です.

そうは言っても,「高知自動車道」の延長工事のおかげで,実家までの距離がだいぶ短くなりました.公共事業バンザイです.
これまで,高知中央部から実家まで2時間以上かかっていましたが,1時間に短縮されました.
できたてホヤホヤの高速道路は気持ちいいですね.

高知のauは茶色です.
京都も見習ってほしいですね.
でもたぶん塗り間違いです.

はい.これが有名な41℃の「四万十市」ですね.
どうでもいいけど,とりあえず撮っておきました.

そんなこんなで,到着.
これが本邦初公開.私の実家でございます.
これは全体のアングル.

これは家の庭.
母がこの数十年来,園芸に本気出しすぎて空中庭園の様相を呈してきました.
あとは父が「バベルの塔」を作れば完璧です.

そしてその庭からのアングル.

上の写真の,中央右の屋根をアップすると,
家を守る「鬼瓦」.
“鬼” が守る?という感覚の方もいるかもしれませんが.
日本における「鬼」についての解釈は面白いので,また別の機会に記事にします.
 

そして夕暮れ.

お盆ですので,提灯を出してきました.

そして迎え火です.

さて,以前から知り合いには,
「僕の実家はね,一言で言うと「リアル・トトロの世界」だよ」
って言っておりました.
それをご覧にいれましょう.

家の庭から向かいの景色を撮ったものです.ようはお隣さんの風景です.
ね?トトロの世界でしょ.

さらに,最近は父が「バベルの塔」ではないのですが,家の裏にある山を改造して楽しんでおります.
その改造された山を散策してみました.




中央部右付近に見えるのは「イノシシ用(それだけじゃないけど)の罠」です.

接近したらこんな感じ.
よく捕れるそうです.
しょっちゅう田畑を荒らすので,お縄(もとい,檻)にかかってもらいます.

こうして写真で見ると,えらく密林っぽく見えますね.
まぁ,実際に密林なんでしょうけど.

以下は父が最近ハマっている「養蜂箱」です.この山に据えております.
父はいつもニホンミツバチのデリケートな習性を語っています.ニホンミツバチはセイヨウミツバチと比べ,巣作りに慎重なようで,なかなか養蜂箱に入ってくれないのだそうです.
最近はデリケートなニホンミツバチが巣を作ってくれるようになったそうで,蜜がとれたと喜んでいます.

以下は母の空中庭園で作っているものです.
ここ十年くらい前からパイナップルも作っています.何年か前からはマンゴーも作っています.宮崎県に対抗しています.


以下の写真の手前に見えるのは「キャッサバ(マンジョカイモ)」と呼ばれる,南米や熱帯地方ではポピュラーな主食の芋です.
一般的な日本人にとっては,「タピオカ」というデザートの原料として知られています.
南米出身の方が日本には数多くいまして,そういう方が購入するんだそうです.日本人が海外で「米」を欲しがるようなものなのでしょう.飛ぶように売れるそうですよ.

ただですね,そのキャッサバをもう一度ご覧ください.
なんだかその「大麻」に似てるでしょ.
日本では馴染みのない芋ですけど,この栽培に母がハマっていまして,大規模に栽培した時なんか,本当に警察が確認に来たことがあります.

その他,我が家の水田です.


 写真によって稲の色が違うのは,光の具合ではありません.
「早稲(わせ)」と呼ばれる品種がありまして,台風シーズン前の早い時期に収穫できる特徴があります.その代わり収穫量は少なく,「しょせん早稲だな」と言われ,美味しくないとされます.
そういう稲は下の写真のように黄金色になり,すでに稲穂がついています.

ところで,田舎では農家の高齢化が著しく,下の写真のように田植えをしない田んぼも増えてきました.
以下の写真は,近隣の家の水田を撮ったものです.半分以上が未使用です.
だからと言って,私が田舎に戻って農業をやるっていうわけでもないですけど,寂しいものです.

 以下より,高知らしい風景をどうぞ.





え?高知なのに海の写真が無いって?
そうそう,「高知と言えば」って言われると,県外の人は「海」ってなることが多いのですが,実は高知は「山(森林)」の県です.
実際,高知県は森林率(農林水産省・林野庁調べ)は日本一です.
以下の写真なんか,まさに「高知」って感じですよ.




やっと出ました.四万十川.
良い状態で撮っておりませんで,適当に車中から流して撮りました.
良い所から撮ると,自慢できるような写真になるのですが.まぁ,家の近くの様子ってことで.
そう言えば,地元民は「四万十川」のことを「渡川(わたりがわ)」と呼びます.
四万十川(しまんとがわ)と呼び始めたのは最近です.
全国的には四万十川で通っていますからね.

 以下の写真は「ダムのない川・四万十川」にあるダムです.
「ダムがない川」というのは,ガセ情報です.
※支流だから「無し」でいい,という考え方もありますが.
「家地川ダム」と呼ばれています.
小さいころ,よく遊びに来ていました.春は桜の名所になります.

そんなこんなで実家をあとにします. 

この写真は香川県(の高速道路上)ですね. 
 香川って平野が多いです.高知とは違います.
香川らしいなぁ,という風景です.
さすがに「街」ですね.荒ぶる光化学スモッグ.
うどんを食べて,いざ東へ.

休みもとったし,後半も頑張っていきますか.

2013年8月9日金曜日

大阪市立大学の学長選挙について,下品だけど脊髄反射しておこう

今日のこのニュースについてです.
世間にとってそんなに影響力があるニュースではないように思えますが,私にとっては身近なニュースなので取り上げます.
橋下大阪市長、市立大学長選認めず 「選ぶのは市長」 大阪市長から任命される同市立大学長が従来、大学の教職員による選挙結果に基づき選ばれていることについて、橋下徹大阪市長は9日、「ふざけたこと。そんなのは許さん。学長を選ぶのは市長であり、選考会議だ」と述べ、今秋にも想定される選挙を認めない考えを示した。市役所で記者団に語った。
 同大の定款では、学長は大学の選考会議からの申し出に基づき、市長が任命する。ただ、学長候補者は従来、大学の教職員による2回の投票を経て選び、その結果をもとに選考会議が候補者を市長に伝えていた。現在1期目の西沢良記学長は来年3月末で4年間の任期を終える。
 橋下氏は「(学長は)選考会議で選ぶが、選考会議に僕の意見を反映させる。それが民主主義だ。何の責任もない教職員にトップを選ぶ権限を与えたらどうなるのか。研究内容に政治がああだこうだと言うのは大学の自治の問題になるが、人事をやるのは当たり前の話だ」とも述べた。 [朝日新聞2013年8月9日13時30分]
どこかの副総理のナチス発言と同じように,言葉尻をとった誤報ではないかと思い,ニコニコ動画でも確認してみました.
しかし,どうやらこの記事の通りで間違いないようです.

・・・・,
大学の自治” について考慮した上でも発言しているのですが,
・・・う〜ん....,

いささか乱暴な「人事権」とやらの行使ではないでしょうか.
私としては,この橋下市長の言動には賛同できるところもあるのですが,どうも今回の件もあさっての方向に向かって吠えているように見えます.

>選考会議に僕の意見を反映させる。それが民主主義だ。
とのことですが,これ間違っていないんだけど,知的レベルが知れる発言なのでやめたほうがいいと思います.

>何の責任もない教職員にトップを選ぶ権限を与えたらどうなるのか。
とのことですが,これまで別に問題なかったわけですから,慣例に従っておけばいいのでは?
それとも,
>研究内容に政治がああだこうだと言うのは大学の自治の問題になるが、人事をやるのは当たり前の話だ
とおっしゃるほど,市長が学長選考に口出ししなければいけないほど「大学の自治」が市立大では崩壊しているのでしょうか?

知り合いが市立大ですが,大学の体を成していないほど崩壊しているなんて,そんなことは聞いたことありません.

どうも任命権とか決定権とかを誤解してしまって,それを行使する人が世間受けする政治家には多いように思います.

なんか私にはこのニュース,とってもシュールに映ります.
このシュールさ.なんとか伝えたいなぁ.そうだなぁ.
さしずめ,深夜の外国製の通販番組あたりで繰り広げられる,
「やぁキャサリン.今回は君のキッチンの主役になるだろう,この『包丁』を紹介するよ」
「え?でもフランク,この包丁,普通に見えるんだけどぉ」
「君ならそう言うと思ったよ.でも,これはただの包丁じゃないんだ.例えば,このトマト.こうしてぇ..」
「うわぁすご~い.軽く触れただけなのにぃ」
「それだけじゃないんだ.ほらこの配線ケーブルも」
「すっご~い.ねぇ見て見てぇ.3本まとめてブツ切りよぉ」
「次はこのレンガさ.こんなふうにぃっ,それっ」
「えぇっ,そんなことして大丈夫なのぉ?うわぁ,刃こぼれしてなーい」
という感じのシュールさです.

まぁようするに,
単なるスタンドプレーだよね.しかも見せ方間違えてるよね.面白いけど.でもなんか違うくね?ただまぁ面白いけどね,
ということ.

そう言えば,こういうのに似た事例が以前ありましたね.
去年の民主党田中文科大臣による大学設置不認可の件です.
これについて,その時に記事にしていますので,
大学設置不認可について,大学教員として言いたいこと
も暇だったら読んどいてください.

今回の私立大にしても,大学側で「この人が学長でいいのではないかと」という候補者を出し,それについて問題がなければ「OK」と市長が決定していたものです.
それを,わざわざ「学長は私が決める」なんて意気込んだところで,
つまりその....,
....,
失笑.

あとですね,冒頭,「世間にとってそんなに影響力があるニュースではない」と言いましたが,実はジワジワと世間にも影響することなんですよ.

学長っていうのは,大学によっては “お飾り” のような立場の場合もありますが,学内でけっこうな影響力を及ぼします.
学長が「学問」とか「学術研究」について,どのような考え方を持っているのか,によって,その大学の方針が決まることも多いのです.

>選考会議に僕の意見を反映させる。それが民主主義だ。
と橋下市長はおっしゃっていますが,これは上述したような「知的レベルが知れる」とか「失笑」なんて問題ではなく,大問題につながることです.

つまり橋下市長の発言というのは,時の政治家や市長,民衆の意見が,大学の方針に影響するということを容認するものであり,これは何度も私が繰り返している「大学とは「王様は裸だ」と叫ぶ場所」ではなくなることを意味しています.

だったらなぜ学長の任命権が市長にあるのか?という点ですが,それは “市立” の大学だからでしょう.
それこそ,市立の大学なのですから,大学が市や人類のためにならないような事をやり始めた時に,「任命権は私にあるのだ」と睨みをきかせるためのものです.
ようするに,市立大が大学の体を成さなくなり始めた時,その市の長である市長が責任をとるようになっているわけです.

大学というのは,世間の要望とか市長の意向を受け入れるところではありません(学術活動において,という意味でですよ.その他のどーでもいい要望は受け入れるでしょう).
「おい,学費もらっといて何を言うんだ!」と言われるかもしれませんが,細かいことは
大学について
反・大学改革論3(学生はお客様じゃない)
英語教育について
とかに書いときましたので,そちらを御覧ください.

「大学の自治」というのはそういうことです.
直接的に言えば,大学にいちゃもんつけるような無教養な人が,市立大学がある市の市長をするのは出来るだけ避けてほしいのです.

レフェリーや審判に逐一注文つけるようなスポーツチームの監督,いてもいいし実際にいるけど,それは褒められたものじゃないでしょ.注文つけるにしても,やり方ってものがあります.それと同じです.
(それに,こういう監督ってファンに変に人気があったりして「いいぞ!もっと抗議してやれ!」みたいになって,実際に審判を怒鳴りつけたりしたら「そこにシビれる!あこがれるゥ!」って騒ぎ立てて拍手喝采になるところも,なんかデジャヴ)

市長や世間の顔色をうかがいながらの教育や研究をする大学.それはもはや高等教育機関としての務めを果たしえなくなった存在ですから.
ちょうど,野球の審判が観客や選手の要望を聞きながら「・・・,ストラーッイク」なんてジャッジしてたら変でしょ.それと同じです.

ただ,まぁ,この橋下市長の教育に対する発言を聞いておりますと,なんか望み薄だなぁ.
けど,猫も杓子も似たようなこと言ってるし,これが時代か...

この市長,よく「私は権力者だから,どんどん批判してくださいよ」なんて言いますよね.でも,
「(・・・けど..,俺を裸だと言う奴は消してやるぞ!)」
などと,いきりたった状態なので,こちらとしては「ハハハハハ...」と笑うしかないようにも.

市立大の皆様,そして友よ.
ご愁傷様です.

2013年8月8日木曜日

スポーツによって災害に強靭な町をつくれる


前回の記事 
スポーツで土建国家を復活できる
の続きです.
「土建国家復活」などと,なんてこと言うんだ,気は確かか?と思われるかもしれませんが,どうか冷静に読んでください.

学生には繰り返しになりますが,私のブログはコピペ・レポート用として利用してもらっても構いません.上段のブログ説明文にもそのようなことを書いておきました.
ただし,私は一向に構いませんが,レポートを課した先生は許さないと思いますのでバレないように.

さて,
前回の記事では.スポーツが円滑なインフラ整備に一役買っていることを説明しました.
そして今回の記事では,スポーツ活動が発展してくることで,実は勝手に町並み整備ができていくのではないか,という可能性をお話しします.

その話をするにあたって,まずはスポーツの起源に触れておきましょう.
スポーツは「祭祀」や「祭典」がその起源の一つであるとされています.
一般に知られるスポーツ種目でも,その起源に「祭り」との関係が認められるものは非常に多く,近代スポーツ誕生の代名詞でもあるサッカー(フットボール)も,イギリスの各農村で行われていた祭りが起源であり,ラクロスもネイティブアメリカンの祭りに源流をみることができます [文献1].
そう言えば日本の国技である相撲も,神事としての歴史を持つものです.オリンピックも「平和の祭典」と称されるように,スポーツイベントは一種の祭りと捉えることもできましょう.

ゆえに祭りとスポーツは,その機能においても強い関係性が認められることが推察されます [文献2].
その一つして考えられているのが,防災としての機能です
前回の記事では,スポーツ施設が防災施設としての機能を有する,という点をご紹介しましたが,今回はさらに解釈を拡大し,スポーツに防災機能が有機的に備わっている点を説明します.
祭りと防災については,前回もご紹介した,土建国家復活を願う京都大学の藤井聡先生のご著書でも紹介されていました[文献3].

典型例をあげましょう.
2011年に発生した東日本大震災は津波被害の強大さを知らしめましたが,古くから東北地方は津波に悩まされていたことも知られています.
そんな東北地方のお祭りは,地震と津波対策との関係があるのではないかと考えられています.
そうした中でも,日本国から重要無形文化財の指定を受けている岩手県室根神社の荒祭りは,津波対策を祭りという形で後世に伝えているのではないかと推測されています.

神輿をかついで高台に駆け上がる様や,その際,決して海の方角を向いてはいけないといった掟が,津波に対する畏怖と,住民のコミュニティを高める文化として表れているのではないかというのです [文献3].つまり,祭りを通して津波対策を地域の共同体意識に刷り込むものという考えです.

この祭りによって伝えられるものは津波対策としての振る舞いだけではありません.
こうした祭りを伝え残すという伝統は,祭りを行うために整備された「道」も伝え残すことになります.
いざという時に必要な道を確保しておくこと,どのルートが山の上(避難地)に向かうために最適なのかを,祭りを通してその身に刻む伝統であるとも考えられるのです.

現代においては,ジョギングやウォーキングといったスポーツ活動がこの役割を担えるの可能性があります.
前々回の記事,
スポーツは健康になるためのツールではない
では,批判的に捉えていた健康づくりのためのジョギングやウォーキングですが,ここでは敢えて逆手にとってみましょう.

目下,ジョギングやウォーキングといったスポーツ活動が盛んであることは確かなことですから.これが祭りに代わる機能として期待できるのではないでしょうか.
町を走り(歩き)回ることで,自分が住んでいる町の道や地形について身をもって感じ取ることができます.

例えば,最も適切な避難地点まで自身の体力であればどれくらいで到達可能か?このルートがダメなら別ルートはあるか?といった判断は,普段から運動していなければ把握できません.
一人だけでなく複数の住民同士でこれらのスポーツ活動を行えば,助け合いの精神も育まれるでしょう.
さながら,普段から避難訓練をしている状態を作り出すことができると言えるのです.

私も実際,引っ越してきたこの町がどのようになっているのか,グーグル・マップや地図だけでは把握しきれませんでした.
しかし,ジョギングや気分転換に自転車をこいだりすることで,どのような地形になっているのか,まさに身を持って知ったのです.今の自分の体力であれば,どういうペースでどれだけ動けるのかを知ることは,サバイバルにとって重要な情報です.

私の恩師は,出張先でも朝起きてジョギングやウォーキングをすることを習慣にされています.
見知らぬ土地だからこそ,こういった習慣がいざという時の防災対策になるのではないかと,今は私も見習っております.

そして,こうしたジョギングやウォーキングがさらに盛んになれば,車道優先に作られた道路も,走りやすい(歩きやすい)道路として改修される計画もでてきます.

そういった意味で,東京マラソンや大阪マラソン,そして私も選手ではないのに走り回るはめになった神戸マラソン(笑)に代表されるジョギング・ブームは,「ゆとりをもった道路づくり」を要求する根拠となるわけです.
「スポーツしやすい町づくり」を通して,結果的に「災害に強い町と共同体づくり」を推進することが期待できるのです.

報告書の図を元に改変
この「ゆとりをもった道路」を一つとっても,強力な防災の効果が期待できます.
左図は,1995年の阪神淡路大震災において,火災被害が深刻であった兵庫県神戸市長田区の「道路の幅員と延焼率」に関するデータです [←リンクしてます].

延焼を防ぐためには12m以上の道路,もしくは何もない空間が必要であり,逆に言えば,そうした空間があれば延焼をほぼ100 %防ぐことができることを示しています.

また,幅広い道路であれば地震等の自然災害で建物が倒壊しても道路が寸断されることは少ないため,避難経路を確保することができます.幅の狭い道路であれば,救助や災害復興のために車両や重機を入れることも困難となるからです.

こうした建物の延焼や,建物崩壊による道路の寸断といった危機を防ぐためにも,日本の「祭り」が伝統として機能しているのではないかと報告する論文もあります [文献4].

日本では水や消火剤を用いた本格的な消火作業をするようになったのは近代のことで,それまでは延焼を防ぐために近隣の家屋を建て壊して鎮火を待つことが火災対策でした [文献5]. 
つまり,火災対策とは延焼しない空間を作り,維持することに他なりません.そして祭りにこそ,火災・災害対策としての文化的機能が垣間見えます.

その関係を示す代表例として,私の第二の故郷である大阪府泉州地域にみられる「だんじり祭り」が挙げられます.
「だんじり祭り」とは,山車の一種である「だんじり(地車)」を大勢の人々が引きながら高速で走り回る勇壮な祭りです.そして,コンスタントに死者が出る祭りとして有名です.
そうした祭りを(華々しく,そして一応安全に)行うためには,幅広い道路を伝統的に確保せねばなりません.

だんじり祭りに限らず,これに類似した山車や大型の神輿を用いる祭りは全国各地にみられますが,このような祭りがある地域は,伝統的に幅広い道路と整備された町が維持されるようになるわけです.
また,だんじりを引く様相に競争的なムードが入っていることから,より良い祭りにするために各地域でトレーニングが行われ,強い共同体意識が育まれています.
「今年はあいつらには負けへんで」という心意気が溢れ,この地域では夏の終わり頃から,毎晩「ドーっりゃ!ドーっりゃ!」と叫びながら若い衆がランニング・トレーニングをしています.

これについて私は学生時代は「うるせぇ!」と思っていましたが,今では良い伝統だと受け止めています.
※ちなみに,どれだけ泉州人が「だんじり祭り」に “かけているのか” を示すものがあります.
暦(カレンダー)です.この地域のカレンダーは1月始まりではなく,祭りのある10月始まりになっているのです.泉州地域では,「だんじり祭り」によって年が始まります.
「だんじりがあるんで..,すみません」と,その週のリーグや試合を放棄する地元学生もいます.

話を戻すと,だんじり祭りに限らず,かなりの数の「祭り」が,防災機能を持った町や道路の維持と,強い共同体意識を育むことに寄与してきたのではないでしょうか.
このような祭りの機能も,現代ではスポーツが,特にスポーツイベントが担っていると言えるでしょう.

先に例として述べたように,マラソン大会などのイベントが実施され,住民がトレーニングのために町中をジョギングするようになることで,ゆとりある道路整備が行われます.
また夜間にジョギングをしたい女性なども増加しますから,人通りが多く見通しが良い町並みや道路の整備が要求され,治安を高める意識も強くなります.

時々ニュースになる「地方の田舎で企画されたビッグスポーツイベント」において,準備不足だけではなく,不十分なアクセス経路が渋滞や混乱を招くことが知られています(プロスポーツの地方巡業とか,F1とか).
塵も積もればで,こうしたニュースがきっかけで「やっぱ地方にも大きめの道路が必要だよね.これが災害時だとしたらヤバイじゃん」という空気ができれば幸いです.

さらに,2011年の東日本大震災の教訓として,自身の体力を高めておくことの重要性が意識付けされ,フィットネスクラブ入会への関心が増しているそうです(これは「健康・体力づくり事業財団」のカンファレンスでお聞きしました).

こうしたことを踏まえ,燃料を使わない自転車の利便性も再評価されており,スポーツサイクルを体力づくりも兼ねたレジャーとして楽しむ人々も増えています.
通勤等にスポーツサイクルを利用する人も増加しており,このような背景から,実際に2011年はスポーツ自転車産業の売上も増加しています [文献6].

その一方で,近年は自転車と歩行者による事故が懸念されています. 
これについては自転車側のマナーの向上はもちろんのこと,現在の日本の道路は自転車が車道を安全に走れない状態であり,本来なら自転車の通行が禁止されている歩道を走ることが常態化していることが問題点の一つとして浮き彫りになりました.
以前の記事■ETCをつけて思うこともご参考までに
そしてこのようなことがきっかけで,自転車が安全に走りやすい,ゆとりを持った車道整備が実際に求められています [文献7].
 
こうした動きはまさに,地方行政に対し道路の改修を申し立てる流れに結びついているものであり,防災意識とスポーツが相乗効果を生みながら,住みよい安全な町づくりに貢献している例でしょう. 

スポーツによって国土強靭化をスムーズに,しかも健康的に(つまり,シレーっと)推進できるということがお分かりいただけたでしょうか.


文献一覧
[1]稲垣正浩 , 谷釜了正編. スポーツ史講義. 東京 : 大修館書店, 1995.
[2]森川貞夫 , 編佐伯聰夫. スポーツ社会学講義. 東京 : 大修館書店, 1998.
[3]藤井聡 , 中野剛志. 日本破滅論. 東京 : 文藝春秋, 2012.
[4] BhandariB.R , OkadaNorio. Analysis of Social Roles and Impacts of urban ritual events with reference to building capacity to cope with disasters: Case studies of Nepal and Japan. kyoto : Kyoto University, 2010. academic dissertation.
[5]目黒公郎 , 村尾修. 都市と防災. 東京 : 放送大学教育振興会, 2008.
[6]日本生産性本部. レジャー白書2012. 東京 : 公益財団法人日本生産性本部, 2012
[7]日本自動車工業会. 自転車との安全な共存のために.  社団法人日本自動車工業会, 2009.