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なぜ大学改革をやってはダメなのか(2)
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前回の補足と続きです.前回記事はこちら→■なぜ大学改革をやってはダメなのか
前回記事で展開した議論に反論がある方もりましょう.例えば以下の件.
文部科学省(中央教育審議会)では,2012年の時点では,
これってつまりは企業や産業界(あと,国民)の都合で大学教育をするような方向に大学改革が進んでいるんじゃないかということなのです.
それについて,
「いや,そこまで深刻になる必要はないだろう.大学を従来の『研究教育型』と,新しく『職能指導型』に分けるだけの話で,それが日本社会や国民のためになるのであればOKではないか」
という反論もあるかもしれません.
もちろん,私はそうした『職能指導型』の教育機関の存在を否定しているわけではありません.それはそれで存在すればいい.やりたい教育者がいるならやればいいのです.
ですが,これまでに検討され,そして今まさに進行している「大学改革」を見ると,その先の大学教育全体のことを安心して眺めていられないのです.
なぜか?
専門職大学を取り上げた過去記事,■専門職大学に思うところ(3)で詳しく述べていますが,「どのような仕事にも必要な職業能力」なんてものを4年間かけて学ぶことに何の意味があるのか?ということです.
だいたい,「専門職大学」などと言うくせに「どのような仕事にも必要な能力」を養成しようとすること自体,明らかにフザケています.もしくは思慮が浅い.
私に言わせれば,もうこの時点でアウトです.とてもじゃないですが確固たる思想と信念に基づいた政策とは思えません.
さらに始末が悪いのは,専門職大学の母体として想定されているのが「低偏差値・経営難大学」であろうこと.
今ここに生きている中にあって仕方ない側面もあるのでしょうけど,だとしてもこういう政治的な形で「高度な知性と技能を有する者」と「従順な労働者」を “特性的” ではなく, “競争的” な環境条件から分けて作り出そうとする発想自体,ヤバイと思わないことがヤバイのではないかと考えるのは私だけなんでしょうか?
「近代の病,ここに極まれり」とも言いたくなりますが,そんなこと言ってるとまた「あなた共産主義者ですか?」などと言われかねないのでやめておきます.
でも,こうなってくるとマルクスの気持ちも分からなくもないですよ.
これまでの記事の繰り返しになってしまいますが,
大学教育は,受けられるものなら国民の出来るだけ多くの者に受けさせることが理想です.
それは「職業能力の養成」という形ではなく,学術に基づいた正しいモノの考え方,捉え方を涵養することです.
大学改革をするなら,そういう方向にすればいい.そう思っています.
前回の記事でも触れましたが,現在の政治経済はあまりにも酷い.ですが,それを生み出しているのは選挙に足を運ぶ国民です.現在の政治経済の有り様は,国民にとっての写し鏡なのです.
だとしたら,今後このような政治経済を続けないためにも,国は高等教育に投資をしなければいけない,そういうことになるはずなのです.
より具体的に言えば,大学が経営難に陥って学生募集で競争しなくてもいい状態にしなければいけません.学生募集で競争するから,こんな無惨な大学教育になっているのですから.
ところが,どうやら国(政府)はそういうことにはしたくないらしい.学生募集で競争する状況が好ましいと思っている節があります.
それってつまり,この国の政府(それを選ぶ国民)は,今の若者に,学術に基づいた正しいモノの考え方・捉え方を身につけてもらっては困ると(あるいは無意識的に)思っているのではないか,と疑いたくもなります.
なぜなら,そんなことされたら自分たちがやっている非論理的で不道徳的,非教養的な上に非建設的な言動がバレてしまう.そんなところでしょうか.
それゆえ,「黙って働いてもらえばそれでいい」を地で行く「専門職大学」なるものを要望し,それを実現しましょうとばかりに動き出してしまう.
もっと言えばこの件,「産業界の声」を発しているつもりの「有力な発言者」とやらが,苦しい自分の会社経営から逃れて,倒産しそうになったら会社を売っ払って大学教員に転職しようと画策しているだけなんじゃないの? ということも邪推したくなりますね.
それはそうと,とにかく私が言いたいのは,
「現在進行している大学改革は,多くの国民が求める “短期的欲求” と,一部の者が求める “長期的利益” を満たすために存在しているだけなんじゃないのか?」
ということです.
要するに,卑小で不埒な理由で進んでいるのが現在の大学改革なのです.
だからこの大学改革はダメだと言っているのです.
前回記事で展開した議論に反論がある方もりましょう.例えば以下の件.
文部科学省(中央教育審議会)では,2012年の時点では,
国民、企業そして学生自身の学士課程教育に対する評価は総じて低いと言わざるを得ない。(―中略―)高度成長社会では均質な人材の供給を求めた産業界や地域が今求めているのは、生涯学ぶ習慣や主体的に考える力を持ち、予測困難な時代の中で、どんな状況にも対応できる多様な人材である。などと言っていたのに,2015年になったら,
■予測困難な時代において生涯学び続け,主体的に考える力を育成する大学へ
産業界と連携しつつ,どのような職業人にも必要な基本的な知識・能力とともに,実務経験に基づく最新の専門的・実践的な知識や技術を教育するなどと言い出してきているわけで.
■実践的な職業教育を行う新たな高等教育機関の制度化に関する有識者会議
これってつまりは企業や産業界(あと,国民)の都合で大学教育をするような方向に大学改革が進んでいるんじゃないかということなのです.
それについて,
「いや,そこまで深刻になる必要はないだろう.大学を従来の『研究教育型』と,新しく『職能指導型』に分けるだけの話で,それが日本社会や国民のためになるのであればOKではないか」
という反論もあるかもしれません.
もちろん,私はそうした『職能指導型』の教育機関の存在を否定しているわけではありません.それはそれで存在すればいい.やりたい教育者がいるならやればいいのです.
ですが,これまでに検討され,そして今まさに進行している「大学改革」を見ると,その先の大学教育全体のことを安心して眺めていられないのです.
なぜか?
専門職大学を取り上げた過去記事,■専門職大学に思うところ(3)で詳しく述べていますが,「どのような仕事にも必要な職業能力」なんてものを4年間かけて学ぶことに何の意味があるのか?ということです.
だいたい,「専門職大学」などと言うくせに「どのような仕事にも必要な能力」を養成しようとすること自体,明らかにフザケています.もしくは思慮が浅い.
私に言わせれば,もうこの時点でアウトです.とてもじゃないですが確固たる思想と信念に基づいた政策とは思えません.
さらに始末が悪いのは,専門職大学の母体として想定されているのが「低偏差値・経営難大学」であろうこと.
今ここに生きている中にあって仕方ない側面もあるのでしょうけど,だとしてもこういう政治的な形で「高度な知性と技能を有する者」と「従順な労働者」を “特性的” ではなく, “競争的” な環境条件から分けて作り出そうとする発想自体,ヤバイと思わないことがヤバイのではないかと考えるのは私だけなんでしょうか?
「近代の病,ここに極まれり」とも言いたくなりますが,そんなこと言ってるとまた「あなた共産主義者ですか?」などと言われかねないのでやめておきます.
でも,こうなってくるとマルクスの気持ちも分からなくもないですよ.
これまでの記事の繰り返しになってしまいますが,
大学教育は,受けられるものなら国民の出来るだけ多くの者に受けさせることが理想です.
それは「職業能力の養成」という形ではなく,学術に基づいた正しいモノの考え方,捉え方を涵養することです.
大学改革をするなら,そういう方向にすればいい.そう思っています.
前回の記事でも触れましたが,現在の政治経済はあまりにも酷い.ですが,それを生み出しているのは選挙に足を運ぶ国民です.現在の政治経済の有り様は,国民にとっての写し鏡なのです.
だとしたら,今後このような政治経済を続けないためにも,国は高等教育に投資をしなければいけない,そういうことになるはずなのです.
より具体的に言えば,大学が経営難に陥って学生募集で競争しなくてもいい状態にしなければいけません.学生募集で競争するから,こんな無惨な大学教育になっているのですから.
ところが,どうやら国(政府)はそういうことにはしたくないらしい.学生募集で競争する状況が好ましいと思っている節があります.
それってつまり,この国の政府(それを選ぶ国民)は,今の若者に,学術に基づいた正しいモノの考え方・捉え方を身につけてもらっては困ると(あるいは無意識的に)思っているのではないか,と疑いたくもなります.
なぜなら,そんなことされたら自分たちがやっている非論理的で不道徳的,非教養的な上に非建設的な言動がバレてしまう.そんなところでしょうか.
それゆえ,「黙って働いてもらえばそれでいい」を地で行く「専門職大学」なるものを要望し,それを実現しましょうとばかりに動き出してしまう.
もっと言えばこの件,「産業界の声」を発しているつもりの「有力な発言者」とやらが,苦しい自分の会社経営から逃れて,倒産しそうになったら会社を売っ払って大学教員に転職しようと画策しているだけなんじゃないの? ということも邪推したくなりますね.
それはそうと,とにかく私が言いたいのは,
「現在進行している大学改革は,多くの国民が求める “短期的欲求” と,一部の者が求める “長期的利益” を満たすために存在しているだけなんじゃないのか?」
ということです.
要するに,卑小で不埒な理由で進んでいるのが現在の大学改革なのです.
だからこの大学改革はダメだと言っているのです.
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