2015年6月15日月曜日

専門職大学に思うところ(3)

専門職大学に思うところ(1)(2)の続きです.

企業等で求められる能力を育成することを目的とした「専門職大学」を新設するという提言が,文部科学省の有識者会議から出てきたそうです.
それがどれだけ間違った発想であり,この社会に悪影響を及ぼし,さらに悪化させる可能性があるか知ってほしいという話をしてきました.

文部科学省のHPに以下の様なページがありますので,原典に当たりたい方はそちらもどうぞ.
実践的な職業教育を行う新たな高等教育機関の制度化に関する有識者会議(文部科学省)

いろいろ文句をつけてきましたが,勘違いしてほしくないのは,
「大学で職能を高める教育をしてはいけない」
と言っているわけではありません.

職能を高めることを第一とした教育を大学でやってはいけない.学術的思考力や論理的・科学的思考力を高める教育を第一とし,そのついでに職能も高まればいいな,という程度でいてほしいということです.

それもお気に召さないのであれば,たとえ職能を高めることを優先したとしても,それと同等の価値をもって思考力の強化に取り組むことが大事ということです.

なぜそんなに職能を高める教育を批判するのか,そこが気に入らないという人もいましょう.

大学で職能教育をすることが不毛であることを以下に列記します.
1)企業等の職場で一般的に求められる能力の多くは,短ければ数日,長くても1年程度で身に付き,鍛えられるものであり,わざわざ大学生活として何年もかけて学ぶ必要などないこと.
2)その一方で,重要な技術,独自性のある技能は,まさに「それを仕事にする」ようにしないと身に付かないこと.
3)さらには,その業界やフィールドならではの技能やルールが求められるものが多く,大学でどんなに訓練したところで,結局その職場に勤めなければ分からないこと.
4)長期的な視点で見た場合に,企業を成長させ,職場を発展させるためには,学術的思考力や論理的・科学的思考力が必要であるが,それは新卒段階では定量化,視覚化できないこと.

言い換えるなら,多くの企業や職場では,卒業生に「その仕事」を始めてもらうための,いわば「初期スペック」はそんなに高くなくても良いわけです.
これは毎度おなじみ就活関連情報として「企業が就活生に求める能力」の第一位に君臨し続ける「コミュニケーション能力」とか,あとは「責任感」「主体性」「協調性」といったものが挙がることがそれを裏付けています.

これはようするに,就職するだけなら現在の大学が教育している(つもりの)学術的思考力や研究能力なんてのは必要ないことを意味します
もっと言うなら,実は大学教員や研究者もこれは同じことが言えるんです.

言われた仕事や誰もが取り組んでいる作業をするだけなら,企業人だろうと研究者(院生も含む)だろうと,物事を深く洞察したり哲学的・統合的に思考する能力なんて必要ありません.
問題解決能力(という低次な能力)があれば,仕事はできるし,論文は書けるし,給料はもらえます.

しかし,その仕事を自分で責任を持って主体的に,さまざまな分野の関係者と協調しながら進めようとした時,そこに「哲学」や「思考力」が必要になってきます.
これは,革新的なアイデアを閃くとか,新しいテクノロジーを発明するといったことを指すわけではありません.

今まさに自分が取り組んでいる仕事が,自分自身や身の回りの人々,社会,国,人類にとってどういう価値や意味を持っているのか,それを考えられるということです.
私は別に博愛精神を礼賛しているわけでも,ロマンチックに仕事を語りたいわけでもありません.

こうしたことを考えながら取り組む仕事は,きっとその人の周りを幸せにすると思います.
こういう人々が増えてくれれば,きっとそのような社会や国は幸せになるのではないでしょうか.
大学の教育はその思考力を鍛えるためにあります.

さらに宗教じみた話になったと思われるかもしれませんが,実は体育会系な話ですので,詳しくは,
井戸端スポーツ会議 part 16「体育の授業で得てほしいこと(特に大学で)」
を御覧ください.

最後にもう一つ,職能教育を大学でやってはいけない理由を挙げておきます.
大学教育のことを,ビジネススキルや金儲けのアイデアを得るためのところだという認識が強まってしまうからです.
今でもそういう見方をする人が多いことと思いますが,それに加速がかかるのを避けたいのです.

専門職大学という位置付けの大学が設置されると,そうではない大学も,いらぬ危機感をもってこれに対応しようとします.これは間違いありません.
「うちは専門職大学じゃないけど,それに匹敵する人材を輩出できるんだぞぉ」って広報するに決まっています.広報だけじゃなくて,実際にカリキュラムを改変したり学生サポートにも取り組みます.
結果,この国の大学は共倒れになる.そんな危惧があるのです.

いくらなんでも危惧し過ぎじゃないかと思われるかもしれませんが,専門職大学を新設(もしくは現存する大学の一部がそれに移行)するということは,ただでさえ低下してきている学術的思考力を鍛える教育にトドメを刺すことになりかねません.

そうなると,大学が社会に果たすべき機能が失われてしまうのではないか,そんな絶望感が目の前に現れてくるのです.

「じゃあ,その大学の機能って何?」
と聞かれる人もいるでしょう.
詳しくは本文末のリンク先を覗いてほしいのですが,例えばドイツの哲学者であるカール・ヤスパースは,その著書『大学の理念』でこう述べています.
最高の訓練とは,完結した知識を習得することではなく,むしろ学問的な思考へと諸器官を発展させることであり,また教育することなのです.そうすることによって,生涯を通して,更なる精神的・学問的訓練が可能となるのです.
高等教育機関である大学が,目先の利益とも言える職能教育,もっと言うなら「就活教育」に注力することは,たとえ就職活動がスムーズにいったとしても,そんな彼らを量産してしまった日本社会と企業はやがてジワジワと錆びついていくのではないでしょうか.

続きはこちら→■専門職大学に思うところ(4)

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