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なぜ大学改革をやってはダメなのか

大学によっては既に授業が始まっているかと存じます.
今年も学生の教育を頑張ろうと意気込んでいる方も多いと思いますが,このブログでよく取り上げる,
「危ない大学」
に限らず,現在の少なくない大学においては,それが満足にできないと嘆いている先生方も多いのではないでしょうか.
※危ない大学とは何か? 気になる方はコチラ→■「教職員用」危ない大学とはこういうところだ

昨今の大学は「改革」と称していろいろな教育劣化策を講じてきています.なので我々教員一同(一部を除き)困っています.

大学改革によって,この教育機関の何かが好転しているという話は聞きません.
「何が改革だ.ぜんぜん良い方向に向いていないじゃないか」
そのように嘆いている先生方は少なくないでしょうし,それ故,こんなフザケた私のブログを読んでくれている大学関係者もまた少なくないようです.
実際,こういう記事に興味を持つ読者の母数はそう多くないはずなのですが,例えば上述の記事だと約2万件の閲覧数があります(Googleのカウント記録による).

大学教員になってしばらくして,この「大学改革」があまりにバカバカしいので,これを進めることで誕生するだろう「危ない大学」を,面白おかしく取り上げてきたわけです.
その嚆矢となる記事が,■反・大学改革論のシリーズです.
もう4年前の記事なんですね.私も若かったなぁ.光陰矢の如し.

当時は,「大学教員たるもの」と肩肘張っていたところもあって周りが見えていなかったですし,「この大学改革を進めていくのはダメだ」ということを伝えることばかりに記事作成の気が向いていて,では,
「なぜ大学改革をやってはダメなのか」
について論ずることが手薄になっていました.今回はそれをテーマにします.

このブログを読んでいる「大学関係者」の中にも,もしかすると,
「大学改革で困っているし良くなっているとは思えないんだけど,それに対する反論ができないんだよなぁ」
という人が多いのかもしれません.そして,
「改革しなければ立ち行かなくなる中にあって,いっそ,この流れに乗ってしまっていいんじゃないか」
と,煮えきらずに悩みながら2016年度の授業に向かっている人も少なくないのかもしれません.

なので今回は,「大学改革」がいかに支離滅裂なものか,「改革案」に突っ込みを入れることにします.
大学改革の何がどうダメなのかを知ってもらえれば,少なくとも皆様の気が紛れるのではないでしょうか(先に言ってしまうと,これは「気が紛れる」だけの話です).

今回も文部科学省のHPを参照しましょう.今回はこれ↓
中央教育審議会大学分科会大学教育部会「審議まとめ」
その中にある,■予測困難な時代において生涯学び続け,主体的に考える力を育成する大学へ(←PDFのページ)
をご覧ください.
ちょうど私が■反・大学改革論を書いた時期(2012年)に作成された,大学改革計画の最終章のようなものです.現在進行中の大学改革の原典ですね.
おぞましい物を見せられますよ.

まずタイトルからしておかしい.
「予測困難な時代において・・・」
予測可能な時代などあったのでしょうか? それは何時の時代でしょう.まぁ,そんな調子でやってたら日が暮れるので,要点だけにしていきます.

【1ページ目より】
平成初頭以降の種々の大学改革の取組の中で、以前に比べ、大学の教員は教育に多くの時間を割くようになっており、授業改善のための様々な工夫も進んできている。しかしながら、国民、企業そして学生自身の学士課程教育に対する評価は総じて低いと言わざるを得ない。
であるならば,その素直な診断は「大学を改革したこと」が間違っていたということになります.大学改革,授業改革なんぞに取り組んだ結果,今があるのです.
その後の文章も支離滅裂で,それらを逐一引用して論じたいのですが割愛します.気になる人は原典にあたってください.失笑できます.

それを端的に示す文言はこちら.
【3ページ目より】
高度成長社会では均質な人材の供給を求めた産業界や地域が今求めているのは、生涯学ぶ習慣や主体的に考える力を持ち、予測困難な時代の中で、どんな状況にも対応できる多様な人材である。
大学改革は倒錯しているとしか思えません.憐れみを覚えます.
以前,■専門職大学について思うところのシリーズを書きました.そこで取り上げたように,2015年の大学改革の一つである「専門職大学の設置」の提案理由が,
「産業界と連携しつつ,どのような職業人にも必要な基本的な知識・能力とともに,実務経験に基づく最新の専門的・実践的な知識や技術を教育する」
というものだったことを思い出してほしいのです.
文科省HPを見たい人はコチラ→実践的な職業教育を行う新たな高等教育機関の制度化に関する有識者会議
2012年に大学改革の方針を打ち出してから3年後,2015年には専門職大学の設置が提案されたのです.

つまりこういうこと.
「今の時代,どのような仕事にもつける均質な能力の人材はいらない.だから,どのような仕事にも必要な知識・能力をつける大学を用意しよう」
さっぱり理解できません.トチ狂ってるんでしょうか.

はっきり言えば,産業界の都合で大学教育をいじろうとしているだけなのです.
どうせこういうことでしょ.
(2012年当時→)今の時代は予測困難だから,我々産業界もそれで苦労してるんだ.そんな時代にあって,大学はぬるま湯に浸かった学生指導をしている.激動する時代に対応できる独創性ある学生を出せ.
(そして3年後→)予測していたよりも不況が酷くて新人教育に割いている時間がない.独創性なんかいらないから,さっさと即戦力となる学生を出せ.

まさに,時代は予測困難だったのですね.ご愁傷様です.
ただ,この方針転換にしたって周回遅れだと私は思うのですが,それはこの際ひとまず脇に置きます.
大学や大学教員も,自分たちがこういうのを相手にしているということを留意すべきです.
「社会からの要望があるので・・」などと言っている暇はない.相手は明らかに無責任かバカ,もしくはその両方だからです.
この手の奴らは,放っておくとつけあがってきます.

それが証拠に,こんなことを書いています.
【6ページ目より】
今求められてるのは、この質的転換を進める具体的な行動を直ちに始めることである。これを通じて我が国全体に必要とされている様々な改革に資することができる。
たしかに,大学改革が実現することとはつまり,我が国の知性が「改革バンザイ人間」を礼賛する存在になることを意味します.
そんな「改革バンザイ大学」から生み出される「量産型 改革バンザイ人間」が世に蔓延ることを思うと,これはバカにしている状況ではないのかもしれません.

【7ページ目より】
大学関係者、文部科学省等の関係機関は、学士課程教育の質的転換がいわば「待ったなし」の課題であり、若者や学生、産業界や地域社会等、我が国全体にとって極めて切実な問題であることを改めて認識する必要がある。
もともと改革を止める気なんかさらさら無い,ということです.
改革することが前提で進めているから「待ったなし」なんですね.

そう言えば最近,それと似たようなことを言って選挙をした日本の首相がいます.たしか,
「この道しかない」
だったような気がします.

経済政策3本の矢と言いながら2本しか打たず,
デフレ下で消費増税して再増税も検討し,
デフレ状態の最中にあって「もはやデフレ状態にはない」と言い,
奪われるだけで得るものがないTPP交渉を始め,
人口が減ってきたからと移民を入れ,
中国が脅威だからと集団的自衛権を容認したのに南スーダンで中国軍を護衛させ,
日本文化を大切にしたいと言いつつ小学校からの英語教育を推進し,
瑞穂の国の資本主義とか言いながら岩盤規制をドリルで壊すと言い,
景気が良くなってきたから女性も働けるようになったんだと言い放ち,
慰安婦問題は解決する問題ではないのに謝罪によって「解決」させたかのように見せる

そういう首相がこの国にはいて,もっと問題なのは,そんな首相を,
「本格派の保守政治家だ」などと評し,
「だったら代わりは誰かいるのか」と逆ギレし,
「それでもこの首相しかいないから」と消去法による「支持」.いや,もはや「師事」する国民がいることです.

たしかにこれは「予測困難な時代に入った」のかもしれません.凄いですね.
と同時に,こうした事態こそ大学改革をやってはいけない理由の最たるものなのです.

まともな思考力があれば,この首相は,
「保守派」ではなく「改革派」だし,
「憂国の士」ではなく「売国奴」だし,
「秀才」ではなく「バカ」です.
早く政権から引きずり下ろさなければいけない.一刻も早く.

昨年,シー◯ズっていう学生団体がいましたよね.バカ左翼だということで有名でした.
でも,過去記事の■なぜ右翼・保守的言動をする人にバカが多いのかでも書いたように,この点,右翼よりも左翼の方がまだマシです.この国の行く末を思えば,同じバカなら左のほうがやってることは正しい.

いやそうは言っても,大学はバカ左翼を生み出すだけではダメなのです.
きちんと物事を筋道立てて考え,正しい答えを紡ぎ出そうとする人を育てなければいけません.
そういう人であれば,上記の首相を「保守派」とか「憂国の士」だとは捉えないでしょう.

少なくとも現在の日本には,本来の大学教育において目指している「正しく物事を捉えようと努力する」卒業生が少ないのでしょう.
だからこんな首相がのさばることを許してしまう.

例えば1つの学級(クラス)を想像してみてください.その中に,論理的・道徳的な人間が一定数いれば,その集団は安定しますよね.ところが逆に,非論理的・不道徳な人間が一定数いると,その集団は荒れてしまいます.そんな経験のある先生はいらっしゃると思います.
大学は,前者をこの日本社会に一定数排出し続けるために存在していると言っても過言ではないのです.
そしてそれは,「文系よりも理系のほうがいい」とか,「今時そんな領域を研究してなんになるんだよ」といった損得勘定で判断されることになってはいけないのです.

いろいろ書いてきましたが,結論的に言いたいのは,現在の日本で大学をいい加減に改革すると,もっと酷い政治が展開されるようになるかもしれない.それを食い止めるためにも,まっとうな大学教育を受けた卒業生が安定的に輩出できる環境を守らなければいけません.
もっと言うなら,この現在の日本の有様は,
「大学ごとき経済と産業の都合で改革してしまえばいい」
と発想できてしまえる社会が生み出しているとも言えるでしょう.
だからこそ,価値の多様化と思想情報の氾濫が加速度的に進んでいく中にあって,古典的な大学教育が今ほど求められる時代はないのではないかと思うのです.


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